「日払い」云々が出てきた裏事情とは何か

不用意な発言は事態を大きく悪化させることがある。
K.Y入信当時(2004年)、私には自己防衛の知識が皆無では無いがあまりにも不十分だった。
なぜなら誰も教えてくれないからだ。
学校でも教えない。
だがエリートどもは知っている。
これもれっきとした格差だが、都合が悪いことなのでメディアも教育もひた隠しにする。
エリート階級にはそうした知識の蓄積がある。
だがエリートでない階級にはそれが無い。
何故か?
それは、搾取が出来なくなるので都合が悪いからである。
本題に戻るが、結果から言えば、自己防衛の知識がK.Yにはあって私には著しく欠けていた。
況して相手を陥れる方法など知る由もなかった。
前に書いたが、頭が弱いとか自分で言う奴にろくな奴はいない。
何故なら、それは相手を陥れるための巧言だからである。
本当に頭が弱い人はそんなこと言わない。
芸能界を見ても一目瞭然。
おバカキャラに限ってとんでもなく悪知恵が働いたり、あるいは名門校を出ていたり。
他では、清純キャラが信用ならない。
清純派で売っていたS.Tとその姉の「金づる使い捨て」は有名だ。
清純キャラが信用ならないのは実社会でも同じ。

先に大塚の口から何故「日払い」云々が出てきたかを分析した訳である。
うっかり何かをしゃべるとそういう風に流用される。
現講頭・山崎はこれについてずいぶんと恩着せがましく、且つ尊大な言い口で大塚を擁護した。
「**(私の名前)のことを考えて言ったに決まっている」云々。
本当にそうだったらそんな言葉は出て来ない。
況して大塚ほど上のほうの社会階級の者なら、日払いの弊害くらいわかるはずだ。
考えられるのはK.Yの巧言を大塚が盲信したことくらいである。
それが無ければ社会保障制度の活用が先に出てくるはずだ。
K.Yは嘘がばれても更に嘘を上塗りして幹部連を納得させ、取り込んでいたのである。
偶然にも私の側で社会保障制度の活用が決まっていたので、「日払い動議」にはぶれることが無かった。
同時に、あの日々には戻りたくはないという強い感情が私の側に湧いて出たことが二重のブレーキとしてぶれを防いだ。
経験者でなければ「飛んで火に入る夏の…」になるところだ。
改めて日払いの弊害を解説する。
まず、毎日(当然、休みの日は除く。)お金が入ってくるのでその日限りの生活になりやすい。
実際、私も日払い時代にはまとまったお金を用意するのに苦労していて、相当の決心が無いと実行できなかった。
実行したとしても、必ず計算に狂いが出て予想外に苦しくなることが多かった。
その日限りの生活では、毎日お金が入ってくることで安易な気持ちから無駄なお金を使いがちである。
そのことから、常に余裕の無い生活を送ることになる。
また、その日のことしか考えなくなる。
それを抜け出すのは並大抵のことではない。
さらに、日払いの職場は大抵劣悪な環境にある。週払いの職場でもこのことはあまり変わらない。
劣悪な環境にあっても抜け出せないという悪循環がそこには常にある。
こういうことは不思議と誰も書かない。
いずれにしても、生活を考えるサイクルとして一日とか一週間では短すぎるのだ。年では長すぎる。
それと、日払いだとか週払いということは、即ち非正規雇用を意味する。
これについても、大粛清までの経験から非正規雇用からの決別を固く心に決めていたので、紛動されずに済んだ。
(この間削除)
K.Yであるが、相手選びの基準において職業と収入に軸足が置かれていたであろう。
あとは腕力。
何故か?
都合の悪い奴を力ずくで黙らせるために決まっている。
それで無くとも職業や収入をもって人格を判断していたのは疑いようが無い。
そう言えるのは、私の職業をそれとなく聞きだしていたからである。
職業や収入、社会的階級、腕力で人を判断するのは、もちろん大きな間違いである。

一方では「本尊を御安置できるように」との進言どおりにしながら、他方では都合の悪い進言を聞かなかったことになる。
あくまで都合優先なのである。
それと同時に、このことはその時点ですでにそのような狡猾な下心があったから聞けなかった進言であったといえ、最初から都合が悪くなったら潰すつもりでいたのだ。
そんなだから最初の男には捨てられたのであるが、K.Yサイドにおいても当時の相手に対してそこまでの感情が無かったのだと言え、その都合優先ぶりが露骨に見えていた。
このような実態は何もK.Yに限った話でなく、殆どのイルボネサウォンニョがそんな様な考え方なのであり、これで男女間が巧くいくはずが無いのである。
男たちはもう見抜いているのであって、イルボネサウォンニョはオワコンであり不良債権なのだ。
さておき、私の職業や状況などを根掘り葉掘り聞きだしたK.Yは、直ちに私に人間失格の烙印を押していたのは間違いない。
また、大粛清による退職の後の私の動向を、おそらく他の講員からの風の噂(?)で知っていたのだろう。
怨嗟を向けるターゲットであり、何としても蹴落としたい相手である私が非正規雇用を脱出することがK.Yにとって面白く無いであろう事は、自動二輪計画の復活や自分が誘導して採用された粗悪機材と相性の悪いレンズをドナドナして高級化したことが面白くなかった事例に照らして容易に想像が付く。
前にも書いたように、K.Y自身が非正規(派遣)だったからである(過去において)。
だから、私が正規雇用を勝ち取ることを何としても邪魔したかったのであろう。

以上、某所より7/27付け記事の転載、一部追筆にてお送りしたがこの先は実行委員会の都合で。
今後の身の振り方であるが、しばらくは現状を静観することとし、情勢の推移を見て判断する。
一つだけいえるのは、必ず「俺5.0」を実現するということだ。

【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)

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雑感 5/9

自動二輪事業が始まり多忙となっているので当分の間不定期更新とさせていただくことをご了承ください
この中間にも米帝による支配の実態が明らかになりつつあるがそんな中で信じ難い小沢氏への控訴という事態となっている
これは、恐らく無罪を覆すためというよりも小沢氏を総理にしないため、代表戦に出馬させないための時間稼ぎではないかというのが専らの見方である
この中間に判ったことをいくつか簡単に申し述べる

物事というのは段階を踏んで進めていかなければならないのだ
一つは、米帝の支配について
米帝は直接日本を支配しているのではない
間に入っているのは所謂在日という連中である
ググれば出てくると思うが電通にしろパチンコにしろ某異流儀にしても在日の所業だ
在日に関する動画をYouTubeがいとも簡単に削除に応じるのは米帝の都合なのだ
こちらもご覧いただきたい
http://blog.livedoor.jp/livegems7799/archives/3865056.html
いずれにしても日本人はメディアを信用しすぎである
次に、そのメディアの真の役割について
一言で言えば、メディアは国民を権力の都合いいようにミスリードするためにある
その為に存在する捏造文化、捏造ブームも存在するしスポーツだってその一つだ
でなければ年がら年中、毎日のように試合があるというのはおかしい
普通はせいぜい週一回がいいところだ
それは、毎日のようにやることでその結果に一喜一憂させ、そこに注目させるというやり方なのだ
捏造文化と書いたが芸能もその一つだ
アイドルだけではない、ドラマだとか映画だとかの類もすべて捏造だ
アイドルや韓流のごり押しについては、主に電通の所業だ
もともとアイドルとオタクは関係ないものだし
オタク叩きというのはオタクがメディアにとって都合が悪いから行われたものだったのだ
所謂オタク叩きもそうだ
犯罪を犯す人間はオタクという刷り込みを何十年も続けてきたのが他ならぬメディアなのである
その他、メディアが刷り込んできた嘘やデタラメは数知れないのだ
時代だの、流行だの、というのも総てそうだ
こちらも参照あれ
http://blog.livedoor.jp/livegems7799/archives/3880395.html
以前に私は「メディアを離れよ!」と書いたことがある
世界共通の人権であるインターネットがあればいくらでも情報は入ってくる
ただし、日本のメディアがやってるサイトは論外だ
メディアを離れる、というのはメディアとは決別するということだ
それと、メディアに刷り込まれたものを一度クリアしてゼロにしてから次のことをしたほうがいい
私はこの一年でテレビというものを殆ど見なくなった
もともと地上波は見ていないが、CATVですら莫迦莫迦しくなって見なくなっているのだ
なぜなら、その大半が米帝のための御用番組だからである
今のメディアはすべてが捏造だから見ないほうがいいと言っているのである
メディアを信じてメディアを鵜呑みにするのは愚の極致であり敵対者連と変わらなくなってしまうのだ
メディアというのは、批判されることをことのほか恐れてはいない
むしろ、批判することで逆に喜んでいるのがメディアなのである
何故か?それはメディアという存在に意識を引き付けておく(ロックオンする)ことに成功しているからだ

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反消費主義に至るまでの心境について

先般もお知らせしているように我が一家はこれまでの体制を改め新たな思想・体制の下再出発を果たしたところである
今日は、今日の心境に至るまでのことを書くこととする
日本という国は、戦後以降資本主義の考え方が入ってきて資本原理主義・商業主義・消費主義の世の中になっている
安保闘争が終わりイデオロギーが崩壊させられて以降今日に至るまで、この国の民の大半は「お金と世間体が第一」になってしまっているのが現実であり法華講員と雖もその多くがこの悪しき考え方から脱却できていないのが現実である(このことについては記事を改めてもっと詳しく書くこととする)
しかして、我が一家一族もその渦中にあったわけであり、小生もそのような環境で生まれて育ってきた訳である
小生が物心が付いた頃には周り中が皆「お金と世間体が第一」になっていたので、当然にその悪弊を受けて育ってきた訳でありそれは多くの人民も同じである
持たざる者が持てる者や富める者と同じに何でもしようとすれば当然に無理やひずみが出てやがては破綻することになるのであるが、その事は我々の敵である資本原理主義・商業主義・消費主義にとって大変都合が悪いので隠蔽され、学校でも教えていないのだ
然るに、この暮らしている環境の中で至るところに煽り・脅し・プロパガンダが満ち溢れている
そういったものを否応無しに受け入れさせられてきたのだ、あの日までは
20世紀の終わり頃から権力3兄弟は「格差社会」を煽り立てて、次第にそのような変化が浸透していたのだがそのことに誰もが気づかぬうちにそういう世の中になっていたのだ
そうした中、我が一族もそれらに対して疑いを持つことも抗うことも許されず、その濁流に流されるまま来たのだ
その中で、小生も(煽られた)五欲を求めさまようような暮らしに明け暮れていた
しかしながら、その殆どは叶わず次第に余裕がない暮らしに苛まれるようになっていった
そんな中報われず流した涙は数えればきりがないほどだ
しかしながら消費主義やブランド信仰、「お金と世間体第一主義」等の持つ毒は超が10個ぐらい付くほど強力なので、現在の信心に帰伏してもなかなかそこから抜け出せないのだ
そこに加えて多くの敵対者があり、ある者は人格破壊工作に明け暮れ、ある者は交際類似行為で小生の暮らしを破壊しようと企てたのだ
そしてそれらとの闘争に明け暮れることとなり、その中であらゆる物を失い、大きな病にも倒れた
そのような中、なかなか反消費主義の生活に転換できずにあの日まで来たのだ
そしてその日は訪れた…
現在の生活体制はその直前に枠組みが出来、その直後にスタートを切っている
そんな中、これまでの常識が悉く崩れ去る中でさまざまな思想に触れ、またさまざまなことを知るに至り、これまで小生が生きてきた中で是としてきたもの、目指してきたもの、果ては夢や憧れに至るまで総て間違っていたことに気づいたのだ
それは、この国で崇められている拝金主義や世間体主義、お金持ちになることが重要だという考え方が、世界の多くの国で既に古くさくなっていることと大きな関係がある
そして紆余曲折の果てにたどり着いたのが、現在の根本思想である反消費主義である
反消費主義とはなるべく消費をしない、否、消費をさせられないつつましい暮らしをすることである
あえて踏み込んで書くが、お金持ちが偉い、高いものを買えるものが偉い、という考え方は間違っている
「消費社会では、商品を購入する能力で、優劣が決まる」(こちらより引用)とされているが、それは人の道に外れた考え方である
お金とは、即ち両刃の刃なのである
消費社会が間違っているのだから、無理をしてまで富める者や持てる者に追いついたり、それらと同じことをしようとする必要はどこにも無い
どんなに願っても叶わないもの、どんなに追いかけても手が届かないものというのがこの世の中にはあるのだ

翻って、斯様な人格破壊工作や謀略の数々を尽くし今日まで謝罪も賠償もせず無かったことにしたものと思い込み自分のした事を棚に上げてのうのうとしている者がおるが、そのことに対する懺悔も、謝罪も賠償もしないでただで許されようはずは無いのである

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言論弾圧

案の定言論弾圧が次第に強められているようだ
正直な話、総務省から弾圧の指示が出ていることは知っていた
「表現の自由に配慮」と表向きには書いているが、字面だけだろう
敵には良心のかけらも無いことは火を見るよりも明らかだ
で、案の定ツイッターでいくつか特定の言葉がツイートできなくなっている
筆者はある程度そうなるであろう事は読んでいた
なぜなら国家からの制限の要請には応えるという趣旨の記事があったからである
しかし、この記事には悪質な隠蔽があった
中国を引き合いに出して、あたかも対岸での出来事のように装ったのである
私がソーシャルメディアを信用していないことは以前に書いたと思う
なぜなら米帝企業か、権力3兄弟の一員がやっているものだからである
メディアは「フクシマ」の現状をあまり伝えていない
そもそもメディアは権力3兄弟の一員であり企業社会主義や利権の犬なのだから
でも、それで危機を感じないというのはあまりにも鈍感すぎるというものだ
前にも書いたとおり、我々に出来ることは「余計なものを買わない」ことである
多くの無駄が企業社会主義、学閥、商業原理主義を支えているからである

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雑感 2012/3/6

現在、大震災当時に起きたことを検証するためにひたすら検索をしているところであるが
その中で、今までには無かった真相というものが明らかになるかもしれない局面を迎えている

それら記事の信憑性については現在最終的な検証を行っているところであるが、それ以前に他のサイトで見た写真とその撮影日時、さらに最近思い出した、父からその生前に聞いた話の内容からいって、まず間違いないであろう
ただ、恐らくそれを載せる前にしなければならないことがあるようだ
現在、この日誌は「諸国漫遊鉄道写真館」の中にあるのだがそのことが足かせになるであろう事が見えてきた
尤も、これは驚くべきことではなく、構想自体はあるしサイト名も決まっているが、まだデザインが出来ておらずそちらに少々お時間をいただくであろう
現在の「諸国漫遊鉄道写真館」になるときに、日誌を含めて4つのサイトがあった(常磐路HDと一家の業務系サイトは除く。)訳だが、現在のサイトデザインが出来たことで首尾よくひとつにまとめることが出来たという経緯がある
しかし、この日誌でこれだけのものを扱うことまでは想定には無かったのだ
いずれにしても、近日中に日誌を二分割して新たなサイトで時事は扱うようになるだろう
用意が出来次第当日誌、およびサイトトップでお知らせするのでもう少し待ってほしい

[warning]本記事は日蓮正宗からの脱退、及び鉄道趣味の破却以前に書かれており、現在の思想・体制と食い違いのある部分を含みます。[/warning]

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