Disgusting Creatures

アベルフが政権を簒奪したあの忌まわしき不正選挙から5年。
またしても茶番は繰り返された。
結果の程はほぼ想定どおりであり、幾分ましかもしれない程度で終わっている。
それでも支配層どもにとっては必ずしも納得のいく結果ではなかったようではあるが。
まともな選挙だったら自公は惨敗していたところだろうな。

5年前の当時に書いた「最悪の結果を目の当たりにして」の当時には不正選挙というものがわかっていなかった節があった。
いまや不正選挙はこの界隈ではもはや常識となっているが、メディアスレーブどもの盲目が開けるには到底程遠い現状については当時の認識も間違ってはいなかった。

私はあれ以来選挙などという茶番には参加していない。
選挙で体制は変えられないからである。
選挙に参加した時点で、反体制ではないのである。
体制を変えるには、体制を構成する組織を悉く叩き潰す必要があるのだ。

真実の追究が再点火してから3年余りが経った。
その間様々なことを暴いてきたのであるが、今回はあえて不正選挙と愚民に焦点を当てて展開する。

まず第一に、この国の選挙システムは不正を働くことが前提であり、愚民に「自分で決めている」と錯覚させるためのものであるということである。
前から指摘しているとおり、この国は民主主義国家ではなく、企業社会主義と官僚社会主義という「二重の社会主義」に支配されている国家であり、これを偽天・米帝連合が牛耳っているのである。
民主主義を偽装するのに重要なツールが無記名による秘密選挙なのであり、支配層が絶対に変えさせないのが秘密選挙なのである。
このシステムでは投票してしまったら最後、悪魔の契約を結ばされることになる。
ネトウヨどもはやたら9条を変えさせたがっているようであるが、これは支配層の意向そのまんまである。
ここで大事なのは、支配層は9条を変えさせて秘密選挙を絶対に変えさせない意向であるということである。
この秘密選挙の枠組みの中で行われる限り、投票者は支配層の手のひらで弄ばれるのみであり決して社会を変えることはできないということである。
つまり入れた時点で奴らに従わされる定めなのであり負けなのだということである。
何故投票所では鉛筆が使われるのか?
それは鉛筆でないと不正が出来ないからであり、無記名の秘密選挙になっているのも同じ理由である。
鉛筆で書いたものなど磁気的な仕掛けでいくらでも改ざんが利くのである。そういう機械が使われている、そういうことである。
もしサインペンやボールペンで投票者記載で行おうものなら支配層の意図通りに改ざんすることなどできないからなのである。
無記名ということはブラックボックスであるということでもあり、これまたいくらでもイカサマが利くということなのである。
なお、一部の陰謀論者は某宗教団体が偽票書きをしていたと主張しているが、それは既に過去のやり方と化しているであろう。陰謀論者は支配層の手先であり、陰謀論者の役割は真実追究者に対する騙しとミスリードであるから、奴等が出してくる時点で既に支配層にとっては痛くも痒くもない情報であり、既に何年も前に終わっていたはずである。そうでなければあのような情報は出せないはずである。

第二に、そのイカサマでしかない選挙システムをこの国の愚民が盲信してきたということである。
恐らく、不正選挙は最近に始まった話ではない。
というのはその中核である「ムサシ」は最近になってできた会社ではないからである。もう一つの中核は総務省であり、これも省庁改編でも変わることの無かった古い官僚組織である。ということは、遠く55年体制ができた選挙から既に不正選挙であった、そして偽票書きは当時の手口であったというのが私の見立てである。
55年当時というのは丁度テレビなるものが出現し始めた時期である。
当時は「テレビを見ると馬鹿になる」と民衆の間でも言われてきた。


それが70年経った現在はほとんどがメディアスレーブに成り下がり、このような体たらくである。
しかし、これは戦前に既に画策されていたことなのではないか。
というのは、大戦を前に時間にルーズだった民衆に「勤勉」を教え込むキャンペーンが行われものの見事に目論見どおり時間通りに動く歯車化しているからである。
これが戦後の社畜化にも大いに貢献しているのである。
これとテレビの普及そしてメディアのスピンコントロールによって愚民、メディアスレーブは生み出されてきたということである。
メディアと教育は繋がってないようで裏で繋がっている。そして教育は肝心なことを何も教えずに支配層にとって都合のよい駒になるよう「教育」しているのである。
そして、点と点を結んで考えさせないようにスピンするためのものを企業とメディアが流布するのである。それが流行りモノの正体である。
そのような支配層とメディア、そしてカルトなどこれに連なる連中にとって都合が悪いのが、昔を知っている人間ということになる。老人福祉のドラスティックな改悪などの老人いじめは、昔を知っている者を口封じするためなのである。

いずれにしても、55年体制以降の政治というものはすべてが体制側によるイカサマであり、メディアとグルになって民衆を愚弄してきたのが現在の自公・企業社会主義体制なのである。09年の政権交代でさえ、自公が責任逃れをするために敢えて下野する「振りだけ」したのである。そして下野中に人工災害を惹き起こし、「下野中」であるのをいいことに当時の民主党に責任を押し付け、そして不正選挙で政権を簒奪したということなのである。3・11は世界支配層によって予め予定されていたものであり、そのときには自公は下野中である必要があった、そういうことである。

云うまでもなくメディアの流す情報はウソとスピンに満ち溢れているものである。
メディアの流すウソの価値観に毒された愚民はもはや支配層とグルになってこの国を毒し続ける有害な存在でしかなく、忌まわしい生物(Disgusting Creatures)でしかない。
斯様な愚民が9割である以上関東で儚い夢を追い求めても意味はなく、そこは厳しくやるということになる。
したがって過去の忌まわしい連中も全て愚民であることに例外は無かろう、そのような輩など最早惜しくもないし忌まわしい過去は投げ捨てさし措くべきなのである。

前回記事にも書いたとおり、本当の投票は毎日の買い物、毎日の生活の中にこそある。何故ならこの国は民主主義に偽装した社会主義国家だからであり、その主体が企業社会主義勢力にあるからである。
愚民が何の抵抗もせずに盲従するさま、その足元を見ているからなのか、企業社会主義勢力は事もあろうにシュリンクフレーションなる手口を使い裏でこっそり内容量を減らして小売店も消費者がそれに気付けないようなやり口で協力してともに暴利を貪っている有様である。要するにこれがアベノミクスの正体なのである。
先ずは暴利を貪る企業どもを悉くぶっ潰さなければならないのであり、その意味でも日々の生活、日々の買い物が重要なたたかいの場となるのである。

前の記事にも書いたことだが、企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。システムを止めなければならないのである。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけなのである。
このあたりについては前の記事「毎日の買い物が本当の投票だ」に書いているとおりである。
余計なドリンク類に始まり余計な趣味ごと、余計なレジャー、余計な流行りモノなど全てが支配層による収奪のツールであるということである。
つまり「×買っている⇒買わされている⇒買うな!」ということである。
同じように、「×出かけている⇒出させられている⇒出るな!」なのである。
つまり、自分の考えで買ったり出かけているようでもそれは実は自分の考えによるものではなく、支配層の手先による誘導もしくは洗脳操作によって強制されているのであり、させられているものなのだということである。
この「○○している⇒○○させられている⇒○○するな!」はわが一家が誇る最強ロジックであり、これによって多くの無駄遣いやハタカセを防いできたものである。このロジックに当てはめて考えれば、必ずや多くの無駄をシャットアウトできるであろうこと請け合いである。ゆえに敵一味にとってはこれがたまらなく都合が悪く、何度も朝礼ごと押し流そうとしてきたものでもある。その敵一味はこれまでにも書いてきたとおり支配層の手先であり、支配層の一部でもある。
今もメディアは多くのウソにまみれた情報を垂れ流し、民衆を愚弄して収奪を行い力を削いでいるのである。その意味では選挙もまた収奪のツールであり、民衆の力を削いでシープル(愚民やメディアスレーブの海外における名称)にするためのものなのである。そのような愚弄のためのツールは全て全蹴りにするべきなのである。全蹴り以外に選択肢は無いのである。
以前にも書いたことだが支配層やその手先はシステムが止まって貰っては困る、民衆からの収奪と騙しを生業とする伝統偽装カルトも同じなのである。
奴等は、日々の生活が行き詰っては困るという愚民の目先だけの考えに乗じてシステムをまわし続けのさばっているのであるからシステムを止めて潰さなければ未来は無いのである。

毎日の買い物が本当の投票だ

既に砦ブログでは触れている話だが、冒頭の言葉を知った動画をまず見てもらおう。

買ってはいけない/Meiso

企業社会主義が支配するこの国の現状に照らし合わせればまさに言っているとおりなわけで、選挙の投票など錯覚システムに過ぎず国会はお飾りに過ぎないこと、アベルフですらパペットに過ぎないことを併せて合点がいった訳である。

企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけだ。

私は三度に亘って自動車利権について書いたが、その自動車も不用品であるしその先にある趣味やレジャーの類も不要不急品であり収奪の手段であり、そしてその目的地の多くが支配勢力の利益に繋がっているのである。

このツイートに書いた通り不倶戴天の敵の一つである創価学会は主に傘下企業によって企業社会主義の主力となっている。その創価は日蓮正宗の別働部隊・系列カルトであり、日蓮正宗の手先であるとも言える。その日蓮正宗はキリスト教勢力の手先であり、偽天皇の手先でもあるのだ。そしてこれらカルトが、日本の主たる企業に入り込んで企業をカルト化させているのである。

物を買うことの意味

物を買うことは、すなわちそれを売っている店やそれを作っている企業に一票を投じるのと同じことである。
また、この概念において買い物とはただ単に物を買うことのみを意味するものではなく、カネを出して対価を受ける全てのものが買い物であるといえるのだ。移動を買うことも有償でサービスを受けることも全てがこれに該当する。
企業社会主義の今日においては毎日の買い物が本当の投票であり、このことを厳格に考えて行動しなければならない。

たとえば主だったところでは電気を使うことも対価を払って電気を買っているのであり、れっきとした買い物であるというべきだろう。ガスや水道、交通サービスも同じであり、交通機関を使うことでさえ、カネを払って移動を買っているということなのである。

更に言うならば、企業に勤めることもその企業に一票を投じているのと同じだ。企業に勤めることによって客にカネを払わせている=一票を投じさせているのと同じだからだ。
そしてその出したカネがこれら企業社会主義の構成員どもを維持することになるし、カネを出すことはその企業を支持することと同じになる。そのカネが回りまわって広告代理店やカルト宗教さらには再エネ利権や原発マフィアを潤すことになるのである。
テレビはエアコン以上に多大な電力を消費する。すると原発利権や再エネ利権の一員である電力会社が潤う。そしてそのカネが広告費として回りまわってメディアや広告代理店を潤し、ますますテレビなどのメディアがのさばる原因を作っているのだ。
従って、我々はカネを出して何かを買うという行為に対して厳格に考えて行動し不要なものを買わされないようにする必要があるのだ。敵一味が私に対して使う、「必要を創造する」という手口をメディアや広告代理店は広く民衆に対して使っているということである。「創造された必要」を見抜きそれに騙されたり踊らされないようにしなければならない。

冒頭にも書いたとおり、政治も国会もただのお飾りであり本当の権力はそんなところには無い。そして選挙の投票も奴隷たちが自分で決めていると錯覚させるためのからくりに過ぎない。支配層の手先であるメディアが殊更にこれらのお飾りを煽りたて選挙に行けと叫ぶのは、本当の投票である消費行為に目を向けさせずに企業社会主義勢力を支持させ続けるためでもあるのだ。
与党も野党も皆用意されたものであり、全てグルである。そしてメディアの操作による左右プロレスが平然と罷り通っているが、そんなところに支配層のアキレス腱は無い。
この国を牛耳っているのは企業・官僚・偽天であり、これらは皆キリスト教勢力の手先でもある。企業カルトも宗教カルトも殆どがキリスト教勢力の手先である。
奴らにとって一番困るのは、今の経済システムが回らなくなることなのである。
今の経済システムは、企業社会主義勢力がグルになって民衆を騙し不要不急で無駄なものをたくさん買わせる事によって成り立っている。したがって、無駄を省かれては困るのが支配勢力どもなのである。
翻って今の社会を変えるには、今のシステムを一度止める必要があるのである。
少なくとも煽られるままにあれこれ買っているようでは変革はおぼつかないのである。

ニホンジンにはセラヴィが足りない


ニホンジンがいとも簡単に広告代理店や悪徳企業の悪宣伝に乗せられてしまう原因として、ニホンジンには自分に必要なものはここまで、不要なものは買わないという信念が著しく欠如していることがある。煽る側もそれを知ってやっているので、力関係が一方的になり企業社会主義が一方的に搾取し続ける構図になってしまっている。
あらぬ夢や幻想を見せてそれで縛り、強迫観念を植え付けて企業社会主義の奴隷に成り下がらせ、成功例だけを見せリスクを教えずに妄信させるのが奴らのやり方だ。
夢に駆られていると、物事の善悪を判断する力が薄れる。 人殺しのような事に手を出してまで教祖様の夢を見続けるカルト員、宗勢拡大の夢のために平気で他者を罵り続け終いには邪魔者を糖質呼ばわりする某宗教の講員、「いい学校、いい会社」という夢の為にしなくていい借金に手を出す人、趣味ごとのために自己中心的になり他人ともめるような事をする人(鉄ヲタのトラブルがいい例)も、そのいい例であり夢に入りすぎて善悪を失った姿であるといえる。
そもそも支配勢力とは民衆にあらぬ夢や幻想を見せ続けて都合の悪い現実を見せないようにしているのであるから端から疑ってかかるべきである。

では民衆は最初からそのようなセラヴィを持ち合わせていなかったのか?
答えはNOである。
あらぬ夢や幻想を、それも超大型のそれを見せられてしまったがために感覚が麻痺してしまい忘れ去らされてしまったのである。
セラヴィは主に経験値から生み出されるものである。
それを吹き飛ばし民衆を洗脳するための装置として開発されたものがある。
それがテレビである。
この世にそれが登場してから、まだ60年ほどしか経っていないが、しかしこの悪魔の装置はそれまでの経験値という貴重な積み重ねを意図も簡単に吹き飛ばしてしまったのだ。
敵が失わせるのは簡単だが、失われたセラヴィを取り戻すのは大変な時間と労力を要する。
セラヴィを構築するには、まず自分の身の丈を弁えることが必要である。
そして背伸びをしないこと、ありのままの自分を受け入れることである。
何よりも必要なことは、夢や幻想から脱却して現実に立ち返ることである。
その上で自身の経験を振り返っていく中で、私は私なりのセラヴィを作り上げてきたのである。
企業社会主義やカルト宗教は信念を持つことを極端に嫌う。
何故か?信念を持っていると自分らの思うとおりに操って搾取収奪することが出来ないからである。
そのことはかつてカルト宗門の悪徳法主日如があからさまに「信念は不要である」と説法でのたまっていたことによく現れている。奴らは、信者に自分の人生の手綱を自分で握らせたくないのである。それは傘下のカルト集団や企業カルトなども同じである。
逆説的に言えば、信念を持つことによって不当な搾取収奪を、ある程度は防ぐことが出来る。
だから私は言うのだ、信念を持てと。
メディアスレーブとは、信念を持たずにメディアの奴隷に成り下がっている人間のことを指す言葉である。

実践について

冒頭に書いたように政治も国会もお飾りであり、それを叩いても本当に実権を握っている連中は痛くも痒くもない。
たとえアベルフを引き摺り下ろしたとしても、次のパペットが出てくるだけだ。
奴らが恐れているのはシステムが止まることであり、民衆が余計なカネを出さなくなることである。
何故なら奴らは民衆から搾取した「余計なカネ」で成り立っているからであり、デモも運動も奴らを止めることは出来ない。
民衆が出した余計なカネが、奴等に権力を持たせているも同じなのである。
奴らを止めるには悪質企業の商品を買わないこと、悪質企業で商品を買わないことしかないのである。
だからこそ不要なものを買わない、不要な移動をしないことが肝要なのである。
不要な移動の先にあるものは不要なレジャーや不要な物品であることが殆どであり、不要なレジャーを切れば不要な移動も同時に切れるのである。
それらを買うことは企業社会主義に一票を投じることになるのであり、商業主義がどうして好かれたいかというのはカネしかないのである。一票を投じさせたいのである。そのために手先のメディアはこれでもかと夢や幻想を見せ続けて消費を煽るのである。無論それにはあらゆる真実から目を逸らさせたいというのも目的としてあるのであるが。
悪質企業に一票を投じさせられないにはどうしたらいいか?それは必要なものであれば買う店を選びどこの作った商品を買うか選ぶことである。そこで売国企業やカルト企業を排除するのだ。売国企業等の商品を買わない、売国企業等で商品を買わないということだ。
カルト企業や向こう側の企業、或いは食べて応援系企業、或いは買ってはいけない商品についての情報は、その選別をするために必要なものである。支配層はそれを隠蔽することで成り立っているというべきであり、そのような情報を民衆は自分で探して商品を選別し、不用品を排除しなければならないのだ。それをしようともせず言われることを鵜呑みにして何も考えずに消費生活に浸かるのはメディアスレーブの所業である。

趣味ごとに対する考え方

これは、当サイトの固定コンテンツに私が書いたものを抜粋したものである。
趣味ごとは人間としての文化的生活に必要なものではあるが、度を過ぎて深みに嵌ると人生を狂わせる大きな原因にもなりえるものであり、深入りしすぎないように適正な規制が必要である。
趣味レジャー雑誌や御用サイトの類は総じて思考停止、脳内お花畑に民衆を陥れるためのNWO支配勢力の陰謀であり、煽りとハタカセ、資産簒奪のためのツールであるからそのようなものに頼らないようにして、対象を限定するなどして深みに嵌ることを防がなければならない。
また、趣味ごとの対象の中には権力者、支配層の都合と思惑によって捏造されたものが必ず存在するからそのようなものを見抜き、そのようなものは対象としてはならない。
趣味ごとに使うツール或いはグッズはあまり売り買いしないようにして、ひとつのものを長く使い続けるようにするべきであり、支配側が煽るような流行やトレンドなどには踊らされないようにしなくてはならない。また、趣味ごとによる所有物は必要最低限に抑制し、浪費を防がなければならない。

民衆の命運は、我々の実践にかかっているのだ。

2013年の車によるハタカセ事件について

私は、かねてよりクルマが収奪装置であり、利権の塊であると指摘しており先にもこの趣旨で記事を上梓したところである。
しかし、2013年にこれに矛盾するような事態が起きている。
これについては、誤解のない様にそれが洗脳と誘導による事件であることを説明しておく必要があり記事を起こすこととした。

何故クルマを買わされる事態が惹起ったのか?

2013年に私は敵宗門の策略による交際類似事件に巻き込まれた。
この事件は人工透析への転落を目前にして惹き起こされたものであり、その一部として必要の無いクルマを買わせそれによって殊更にハタカサレるという事態が起きている。
2013年8月、最後のツーリングの帰途で私は異常なほどの疲労感に襲われた。
しかし、それは年齢的なものではなく腎臓疾患の悪化によるものだったが、敵はこれを「年齢的な衰えだ」と遠隔洗脳操作で刷り込んで思い込ませた。それはその後に予定していた交際類似事犯とハタカセ策動のためであった。

当時はまだ敵宗門に隷属させられていた次期であり、2011年に始まっていた真実の追究からも敵の策動による再洗脳によって遠ざけられていた時期でもあった。アベルフが政権を不当に簒奪して諦めムードが漂っていたことも悪い意味で影響していた。

翌13年9月、私は御講にタクシーで来ていて帰りも私は自分でタクシーを捕まえて帰るつもりでいた。
しかし、当時の役員で班長だった男が、私に車に乗って帰れとしつこかった。
私は一度断ったが、それでもなおこの男は乗って帰れとしつこく迫っていた。
その狙いこそ、後々問題になるこの寺の女工作員である柏原という女にあった。
つまり、思わせぶりによって誑かし行動を改変するとともに来るべき人工透析転落という事態に対してその重大性に気付かせず変な希望を持たせて騙くらかして脱退を妨害する意図が含まれていたのだ。つまり、敵宗門は私が人工透析に転落するということを予め察知して予定していたことになる。
案の定、その車の中で問題の女は思わせぶり行為を行い、これが後の洗脳誘導に利用されたというわけである。
女工作員による思わせぶりつまり交際類似行為は、決して個人的に行われたものではなく、これまでに宗門が惹き起こした数々の事件と同様寺ぐるみ、講ぐるみによるものであり宗門の指示に基づいている。
なお、当時まだバイクがあったにも拘らずタクシーで来させたのも敵一味の裏部隊による遠隔洗脳であり、バイクで来られては組織ぐるみの交際類似事犯を起こせないため洗脳装置で誘導した結果なのである。

ここでは、交際類似女のコトはひとまず置いておいて、クルマを買わせた謀略について説明する。

この時、私はバイクを手放そうとしていて、まずこれが間違いの元であった。
つまり、この間違いこそ先の思い込ませによる「年齢的な衰えだ」という誤認識によるものであり、またその原因をスリカエられていたことによるものである。
腎臓疾患の悪化は、予測しようとすれば予測出来ないことはなかったことである。
しかし、それは最後のツーリングの後で気分を悪くしそこで異常な血圧に気付いていたことによるもので、既に内容を敵の遠隔洗脳操作によって書き換えられていたので、そのことによって腎臓の悪化に気付くことができなかったのである。もっと正確に云えば、悪くなっていたことには気付けていても、人工透析への転落という最悪の事態を予測するという決定打を打てないようにされていたのだ。

その前、私は敵一味の策謀による遠隔洗脳操作で診察からドロップアウトさせられていた。このドロップアウト操作は腎臓の悪化が敵の一部である悪徳病院の医師によって出された薬に起因するものであることを隠蔽し、ドロップアウトのせいにして助けてやったんだろと恩を売って善と悪をすり替えるために行われたものである。
つまり、ドロップアウトしないでいて病状が悪化されると悪い薬を混ぜたんじゃないのかと疑われる可能性があるからで、犯罪行為の隠蔽である。
少し前置きが長くなったが、要するにバイクを売ったカネをクルマを買うことで使わせ更にこれをネタにハタカセて蓄えのない状態を強要したのがこの事件であり、先の交際類似事犯はそのきっかけを投じるために行われたものである。

事態の経過

きっかけを投じられたことと遠隔洗脳操作が発動されたことによって私が取るべき行動は捩じ曲げられ、すぐに必要性が無くなるクルマを買わされるような方向に敵は力ずくで引っ張っていったのである。
当時取るべき行動は何だったのか。
それは、身の丈に合わないバイクを、身の丈に合う小型のバイクに乗り換えて残りの資金を温存することであった。何故なら透析への転落が目前に迫っており、金銭的余裕が絶対に必要だったからである。
それを捩じ曲げるために敵が行ったことが、透析への転落が目前に迫っていることを知らせないようにすることと、女工作員による交際類似行為で未来に変な期待を持たせて誑かすことであったのだ。
云うまでもなく、クルマというのは持っているだけでハタカセのネタになり得るものである。而して敵が行ったのは、必要も無いクルマを買わせてさらに車をネタにいろいろと物を買わせて殊更にハタカセることであった。
その後すぐに人工透析に転落させられ、会社は退職となりクルマの必要性は失せたのであった。クルマの必要性などすぐに失せることは確定事項であったといえるのであるが、敵一味はそれを知りながら真実を知られないように隠蔽を図り、思わせぶり行為で誑かして判断を狂わせ行動を改変し、クルマが必要だと思わせて行動に走らせたのであった。
結局、このクルマはたったの半年しか持たずに売却させられることとなっており、25万で買ったクルマの売値は10万だった。たったこれだけで15万ものカネを不当にハタカサレて力を削がれているのだ。一家の中でも最も最大級の汚点である。

もしこれがクルマでなく小型のバイクであったらどうだったか。
クルマよりは格段に経済的であり、当時の厳しい状況でも何か制止に足る理由が無い限り乗り続けられたはずであり、2015年3月までは乗り続けられたはずであった。
25万で車を買わされるのであれば、後述の通り小型バイクとカメラ機材を同時に買えてしかもその後のハタカセを防ぐことが出来たはずである。

クルマを降ろされたあとはバイクを買うことも出来ず、しかも機材破壊工作によってカメラ機材を不当に失わされており、最低限の機材は持っていたがそれを使い続ける選択も敵は許さずに最後に残った10万円を敵は買い換える必要も無かったカメラなどに使わせるという暴挙に及んだのである。当時カメラ機材が無いわけではなく、しばらく待って別のカネでやるべきであった。それをやるのであればクルマを買わされるのを防いで小型バイクと同時にやれば両立できた。しかもその後敵一味は更なる機材破壊工作を続け、殊更にハタカサレて最後の10万円は藻屑と消えたのであった。
もっと云うならば、2013年に「無慈悲な揺さぶり事件」というものがあり、一度は問題の機材を買っているのである。しかし、これが敵一味の標的となり電磁波攻撃で不調を演出され、更に全く必要の無い機材を洗脳で買わせて翌日には売らせ、それだけで万を超える損害を出しているのだ。それでさえ、敵一味は洗脳で正当化を演出してまで犯行に及んでいる。
機材破壊策動とは、まさにハタカセのためにあるものであり、殊更にハタカセて力を削ぎ利権のために私を薄汚い辺境の地につなぎとめておくのが目的である。

これらは全て敵一味の悪辣な誘導と遠隔洗脳操作によってもたらされたものであって、決して私の選択ではない。殊更にハタカセて力を削ぎ移住を妨害するためであり、宗教からの離壇を妨害して縛りつけておくためだった。

その後

問題の女工作員はその後どうしたかといえば、人工透析に転落して直後のお会式のあとすぐに疎遠になり、このことを班長だった男に問い詰めても「そんなものある訳ない」などと年令などという理由にならないものを盾に女工作員をかばい一方的に私のせいにしたのだ。しかし問題の交際類似事犯を指示していたのは他ならぬこの伊藤という役員の男であり、宗門僧の指示で事件を指揮したのである。これは門外漢女を守った石之坊と全く同じであり、このことが宗門に対する不信感を募らせその後の聖域なき見直しそして宗門からの脱退につながったことは云うまでもない。

現在伊藤や柏原ら法悦工作員、法悦僧俗どもは全て本会の決議により「永代追放扱い」となり、厳しく放逐するとともに更なる報復措置も辞さない旨警告している。
特に重篤な惹起犯罪者については各個別に永代追放を宣告している。

この事件が決定打となった上、その後も敵一味による無慈悲な洗脳犯罪によるハタカセが続き今日に至るまで蓄えのない状態を強要されているのが現状である。

あの日のこと

2015年6月14日、敵宗門石之坊は法悦院と共謀して寺院をまたいだ迫害部隊を結成し、私に対して宗教団体にあるまじき迫害を行った。
あまりの衝撃に、いまだ事件名が制定されないほどの忌まわしき事件であり、私の心に深い傷を残す結果となったものである。

この事件は敵一味の策謀によってBMIによる洗脳操作で書き急がされた旧回顧録ブログがカモにされ、更に当日に敵側がBMI犯罪による洗脳の影響下に置き、これによって操作を行いながら、私が一方的に不利となるような状態を作り上げた上で、寺院をまたいだ工作員数名(少なくとも4人以上)で押し掛け、言論封殺と強引な引き戻しを謀った事件である。

問題となった旧回顧録ブログは、その内容が敵宗門による創作であり、これをBMIによる洗脳で思い込ませて書き急がせたものである。さすがに違和感がありありであり、再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、その後の見直しにもこれを削除させないでおきながら、私が宗門の意に沿わず脱退するとこれをカモにして寺院をまたいだ工作員によって迫害を行わせ、しかもこれを宗門側がBMI犯罪によってアシストして工作員の側に一方的に有利となる状況を作り上げたのである。
私がいまだ宗門に隷属させられている間は宗門側は決してこれに手を付けず、数々の事件において宗門が真の画策者であることを隠し脱退を防ぐためのデコイとして門外漢女を利用していたものであり、私が宗門の意に反して脱退したことで当初の予定通りこれをカモにして迫害を仕込んだということである。
そうでなければもっと早い時期に問題になっているべき代物だからである。
工作員の側がこのことをどの程度知らされていたかは不明であるが、BMI犯罪が併用されていることから見ても単なる講員どもの連帯による犯罪ではなく、宗門宗務院が画策しその指示によって惹き起こされたものではないかと当方では見ている。
この事件が起こるまでの間にはいくつもの不審な出来事があり、脱退にかかる正規の手続が不当に妨害される事態も起こっている。
本件事件は、決して単発の一個事件ではなく、そこに至る過程に宗門との闘争があって惹き起こされたものであり、決して個人的或いは末寺レベルだけで惹き起こされたものではないのである。

2015年1月10日、私は宗門から脱退し、無宗教に戻ることを決めた。
しかし、敵一味はこの瞬間から然るべき手続をさせずに強引に引き戻し再洗脳した挙句抹殺するための悪逆なる策動に動き出したのであった。
まず、脱退届は基本的にその時点での所属寺院に出すべきものであり、宗門に直接差し出すケースもあるもののいずれにしても郵送で行い、敵のいるところには向かっていかないのがセオリーである。
ところがこれに対して早速操作が入った。
何をさせたかというと、わざわざ本山まで脱退届を携えて向かわせるという凶行に及んだのである。
これには、事前調査の不備とそれに対する妨害があったのである。
正しい脱退方法が記載されたサイトにアクセスさせないように、また検索で調べさせないように仕向けていたのである。
当時はスピン目的の偽被害者サイトやアカウントに愚弄されていたこともあり、BMI犯罪の主導者は宗門であるという重要な真実をまだ知らなかった。
スピン目的の偽被害者どもは、創価や公安など的外れなものをデコイとして叩かせるために演技を行い、本当の被害者を愚弄する連中なのである。

話を戻して、宗務院の者が脱退届を易々と受け取る訳はない。
何故なら、搾取する側であり、宗教にしがみつかせておきたい側がそう易々と脱退を受け入れられるはずが無いからである。
かくして、脱退届けを突きつけたはいいが敵宗務院の者はこれを何だかんだと理由を付けてついに受け取らなかったばかりか「謗法」を脅し文句に違う寺院で続けさせようとしたのである。結局は全くの無駄足に終わったばかりか、奴らのいわば仲間であるともいえるバス会社に儲けさせるだけの結果に終わった訳である。F社は富士・富士宮周辺のバス路線を寡占的に占めているだけでなくG社もその傍系であり、ほぼ独占企業だ。そしてこの会社は大石寺への路線を独占的に運行している。そのことだけでも「お仲間」であると気付くべきであった。
しかし、宗門そのものに疑問を感じていた私がその寺院に出向くことは無かった。
そして、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると、宗門側は掌を返すような態度に出たわけである。
まず、ツイッター上で法華講工作員が不審な態度に出始めた。
その中に、法道院の信者と思しき輩がいた。
恐らく、この者が宗門側に私の動きを逐一報告していたのであろう。
この者については激論の末にブロックの処分としている。
その後、私は新たな誘導先の寺つまり法道院に断りの電話を入れるのであるが、寺の者はまともに取り合わず馬鹿にした態度でぞんざいな応対をする有様であった。

さて、先述のとおり私は問題の回顧録ブログの内容には予ねて疑問と違和感を感じていたわけであるが、そのことが敵宗門にとっては都合が悪かったようである。
つまり、敵宗門はその内容が絶対に正しいと思い込ませたかったということになる。
そのために、敵宗門はBMI犯罪によってその影響下におき、私を不当に操作するという悪行に及んだのである。
それは、宗門側工作員どもを一方的に有利にするために行われたわけである。

宗門脱退の決定からおよそ5ヶ月経った2015年6月14日に、その事件は惹起した。
冒頭のとおり、寺院をまたいだ少なくとも4名以上の男子部が押し掛けてきて迫害を企てたものである。
その結果、認めなくてもいいものを認めさせられ、ブログは閉鎖に追い込まれしなくてもいい不本意な謝罪までさせられるという被害が発生したものである。
先述のとおり、私は問題のブログの内容に疑問を抱いていた。
しかし、それがそのときには敵の操縦によって消されて敵の操縦どおりのことを言わされる被害を受けてもいる。
それだけではない。
BMIの被害は、対応の改変にまで及ぶことになった。
元来このような不当な迫害者には何ら対応をする必要はなく、また食って掛かってもいけない。
ところが敵一味は不当な操作でこれらをさせるという所業に出たのである。
更に、敵工作員は偽名を使って法的拘束力のないちんけな紙を入れてきたのだが、このようなものに対応する必要は無いし連絡もしてはいけない。
ところが、敵はBMIでこれらを捩じ曲げ、対応をさせてしまったのである。
しかも、わざと怒らせるような手段を使い、心理操作まで行い冷静な判断をすることを徹底的に妨げたのであった。
したがって、当日のすべてが私にとっては非常に不本意なものであり、何ら私の主義主張を反映していないものであるから当家ではそのすべてを無効であると決している。

問題の回顧録ブログには、お問い合わせフォームを設置しており、異議や苦情に対応できるようにしていた。
しかし、奴らは決してそのアドレスを踏むことをしなかった。
つまり、苦情等は問い合わせフォームで行うのが正規のあり方であったのだが、奴らはこれを無視して押し掛けてきた。
敵工作員は初見の者とは思えぬ非常にぞんざいで高圧的な態度であり、わざわざ怒らせるようなやり方を取って冷静さを保たせないという非常に謀略的な方法を取った。これは石之坊住職・山根の指示であると思われ、それを思わせる言がこのものから発せられているので恐らくそうであろう。
そして、敵工作員はウソでたらめで脅し罵倒して私の言を全て「ウソ、でたらめ」などと罵って塞いで自分たちの主張「だけ」を一方的に飲ませようとしたのである。
そしてこれがBMI犯罪による操作によってアシストされたのであった。
思考は捩じ曲げられ混乱し、冷静さを奪われ、一方的にやり込められる事態となったのだ。
メールフォームを設置していたのはそのような事態を防ぐためでもあったが、奴らはそれを意図的にすり抜けていたということになる。
事件を画策した宗門僧侶が、メールフォームを無視して集団で押し掛けるよう指示していた可能性が極めて高い。

敵工作員・龍神ひろしは私がブログで使っていた「敵」という語句に激しく反応してきた。何故か?それは身に覚えがあるからに他ならず、この犯罪の主導者が宗門であると見抜かれているのではないかという恐れを敵一味が持っていたからに他ならず、また私が宗門を敵視し始めていたことに対しそれを引っ込めさせる狙いがあり、それで山根がこの男に指示していたのであろう。
また、この男は「ブログ辞めろ」「ツイッター辞めろ」とその目的をあらわにするような台詞を平然と吐いていた。
つまり、奴らの目的は記事の修正や削除ではなく、真実を突き止められないうちに私からブログやツイッターなどの情報ツールを奪い、その上で元の寺に引き戻し、そして皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺することにあったのである。
そうでなければ正規のあり方に従って、メールフォームから異議を申し立てればそれで済んだだけの話である。
他に疚しいことが無ければ絶対にそうしていたはずであり、正規のあり方に従わなかった時点で他に邪悪な企みや目的があったということを直ちに意味するものである。
尤も、あのような内容をBMIで仕込んで書き急がせている時点で貶める気満々であったと云わざるを得ない。
なお、お問い合わせフォームを無視したことにはもう一つ理由があった。それは、後々証拠が残らないようにすることであった。というのは、このフォームでは書き込んだ者の「足跡」つまりIPやOSなどのメタが必ず残るようになっているのである。これはWordpressの仕様に準拠したプログラムを使用しているためである。これらをすり抜けようとしている時点で疚しさ満点なのであり、犯罪者の行動であるといえる。

当時はまだ偽被害者どもの正体を見抜けておらず、奴らによって的ずらしされた情報がまかり通っていたことも問題であった。
これらも敵一味の側に有利に働いたことは厳然たる事実であり、創価や公安のせいにして逃げおおすことで真の画策者に矛先が向かないようにしている連中に敵一味が誘導していたこともほぼ間違いない。
おかしいと思って調べているところへ斯様の偽情報をぶつけられて誘導され、引っ掛かった者は統失呼ばわりされるシステムになっていたのである。

しかし、問題のブログこそ閉鎖することにはなったが、ツイッターアカウントや他のブログ・サイトはどうにか死守した。
更に、この男は偽名を使い、ウソで私を脅していた。
偽名であることは、後に判明している。
しかも、自分は偽名を使っておいて私には本名で謝罪文を掲載させようとしたのである。
これはその意図を見抜きそのようにはしなかったが、するとすぐさま電話で食って掛かるという所業に出たのだ。
これだけ取ってもこの要求が非常に邪悪な意図に満ちたものであったことがわかる。
つまり、本名を晒させることで徹底的に貶めることにあったのであり、奴らの目的は社会的抹殺であったことになる。

この事件が惹起した時は、真実の追究は動き出していたもののまだ完全には真実をつかめたとはいえない状態であり、「宗門=敵」という真実にもたどり着いていなかった。
この事件の狙いは、私が敵の正体を掴みきってしまわないうちに脅迫で丸め込んで再洗脳し、真実がわからないうちに皆で言いくるめて精神科⇒抹殺に追い込んでしまおうとしたことにあったのだ。

工作員の男は、通称龍神ひろしの名でブログを持っている。
ただし、現在は殆ど更新を停止している。
龍神は、事件の翌日ツイッター上で平然と私のことを統失呼ばわりするという暴挙に及んでいるが、これが日蓮正宗側の狙いを如実に表している。
やはり精神病扱いして精神科にぶち込み抹殺するのが宗門側の狙いだったのだ。

しかし、偽名を使っていたことがわかり文書は無効であることが判明。
翌月から再び被害をツイッター上に記すとともに更なる真相の究明に奮迅することとなった。
その後、問題のブログは内容に大きな誤謬があること、それが宗門側によって仕込まれたものであることが判明し、その稿は用いないこととなった。

この迫害&引き戻し策動、さらにはBMIによる心理操作によってもなお宗門に戻ろうとしない私に対して、敵は自分たちの所業である風評工作や離間工作をネタにして、しかも創価をデコイにして創価がやったという主張をし、これによって見直しをさせようという暴挙に及んだ。
しかし、これは程無く見破られ同年9月22日付にて宗門からの脱退を確定した。

だが、脱退のための正式な手続は押し止められたまま時が流れ、龍神からの一方的な電話。
しかし、宗門がキリスト教の下僕であることを私が指摘すると返答に詰まり、逃走したのである。自分で吹っかけてきておきながら。
その後この工作員をロックアウトし、ツイッターアカウントも一新したことにより、有害でしかないコネクションは切れることとなった。

結局、正式手続が執り行われたのはその後年が変わって2016年の2月のことであった。
脱退通告を封書で送った上で、本尊や過去帳、御書などを小包で送り返し、残余の書籍は市の回収に出した。
しかし、市が回収するべきこれら書籍ゴミは、回収が来る前に何者かに持ち去られてしまったのだ。
しかも、一緒に出していたダンボールは置き去りになっていた。
また市内の他所で当日に持ち去りは確認されていない。
つまり、書籍を持ち去ったのは宗門側の人間であろうというのが専らの推定になる。

この手続のあとに、一番厄介なものが残っていた。
生活環境の整備を妨げるような大きな仏壇である。
しかもこれは自分で買ったものではなく、講幹部から押し付けられたものであった。
近くの仏壇屋は、全く話にならなかった。
だが、市の回収で安価に処理してくれるということで、粗大ゴミとして回収してもらうことが出来た。
この時点で、脱退決定から1年2ヶ月が経過していた。
跡地については就寝スペースとして整備し、居室と併せてカーペットを新調し綺麗に整備されて今日に至る。

その後、偽被害者どもの正体が判明するに至り、斯様の者どもはブロックで追い出すこととなっている。
奴らは、一様に創価学会による集団ストーカーなどと主張し、その創価の親玉については一切触れないという御用振りであった。
従って、今日においては創価や公安は真の画策者を隠蔽するために用意されたデコイであると見抜き、当時の主張は破棄されていることに注意してもらいたい。

最初からよく調べて郵送で手続していれば、このような惨劇には恐らくならなかったであろう。
しかし、一連の軋轢や迫害は日蓮正宗という宗教の独善性、全体主義体質そして意に沿わないものへの不寛容さそして不都合者を平然と抹殺する邪悪な宗教であることを如実に示す結果となったのである。

敵一味は、今日に至ってもなお引き戻しと再洗脳のたくらみに余念が無い有様だ。
その目的としては、実在しない「仏」を立てることでその邪悪なたくらみを隠蔽し、抹殺を企んでいるとは思われないままに抹殺を成し遂げたかったということだろう。
しかし、それは最早不可能である。
そもそも神も仏も、罰も罪障も実際には存在しないものであり、そのようなものを騙って不幸を作り出し、殊更に搾取して力を奪い支配しようとしていることが既に明らかになっているからである。

【追記】
後年、この工作員「龍神ひろし」がウソを使って脅していたことが発覚しており、宗務院録事でも証明されている。
龍神はウソで脅したのみならず、自分の境涯をもウソで着飾っていた。
付き合っている女などいもしないのに事前の口裏合わせでいることにして殊更に私の境涯を貶める侮辱発言までかましていたのである。
更に、こいつと連携している法悦院の女工作員も一般人に偽装して裏で口裏合わせした内容の書き込みをして私を釣ろうとしていたのである。しかもプロフ写真に当人とは解りにくいものを使うなどきわめて悪質である。正体がわかっていれば突っかかっていくことはない訳で、人を何だと思っているのか。龍神の境涯粉飾に、こいつも協力しており引っ掛け事件でも事前に口裏合わせした台本に従って引っ掛けツイートしており、更にはウソで脅威を感じさせるなどきわめて邪悪である。
「龍神に彼女」がウソだとわかっていれば引っ掛かるわけはないのだが、ここでも遠隔洗脳操作が絡んでおり取る必要の無い対応を強要されるなど極めて邪悪である。
龍神のツイッターアカウントを冷静に分析すれば女などいないに決まっていることが鮮明に浮かび上がるわけであるが、敵宗門は冷静な分析をさせずウソに引っ掛けさせるためにこいつと連携して遠隔洗脳操作を行っていたのである。
このような宗教団体を断じて許すわけには行かず、何としてもファシズム教団・日蓮正宗を撲滅し法華講を殲滅しなければならない。

この国の支配体制について

先の記事ではおよそ3年ぶりに真実追究の筆を取り、総論としてこれまでにわかっていることを書き記してきた。
ここでは、この国の真の体制について私の見解を述べる。
また、天皇と天皇制についても後半で解説する。

この国は、企業社会主義と官僚社会主義の「二重の社会主義」によって支配されており、政治家・政党・国会などはお飾りである。
官僚・企業は米帝と閥族によってまとめられており、これらの頂点に立つのがキリスト教徒であり英国陸軍元帥である偽天皇である。
天皇は、明治維新の直後にすり替えられており本物の皇族は既にいない。
そして、米帝や完了を牛耳っているのがこの偽天皇である。
これらの手先として、国家神道(靖国神社が首魁)があり、そして創価学会、幸福の科学、オウム真理教などのカルト宗教があり、これらの中に支配層の意向によって意図的に事件を惹き起こす特務機関があると見ている。なお、創価学会については後述する。

私は、5年前の時点で二重の社会主義と権力三兄弟に気付いていたことが過去記事に明らかである。
故に敵一味に恐れられたことについてはここでは割愛する。
そこで私は、権力三兄弟とは「官僚」「マスゴミ」「企業社会主義」であると指摘している。
大体は合っているのだが、より正確に表現するならば
官僚と官僚機構
マスゴミ
企業社会
ということになる。
これらを閥族が牛耳り、そして頂点には偽天皇が君臨し、権力三兄弟の横に民衆支配の手段として宗教やヒモ付きの陰謀論者や偽被害者がいるというのが現時点での見立てになる。
下ではなく横なのは、マスゴミが権力を構成する一部であるにも拘らず支配層を構成する他の勢力からの圧力に弱いからである。
今やマスゴミは政権批判もまともに出来ず都合の悪いことは報道しないという有様である。
そしてヒモ付きどもは覚醒し真実を探す民衆の矛先を逸らし、ミスリードして真実に近づかせまいとしている。
「権力三兄弟」は五年前の見解であるゆえ、もしかすると三兄弟が四兄弟、五兄弟になったり上下関係が入れ替わる時がくるかもしれない。明日そうなったとしても何ら不思議でない。
それは、偽天皇とカルト宗教特に代替キリスト教である宗教が密接に結びついていると見られることによる。
日蓮正宗の下部団体である妙観講が事件を惹き起こした時、奴らはすぐさま圧力をかけて報道を中止させ、記事を削除させたのである。
このような圧力をかけられるのだから動画削除を自作自演するのは簡単な話なのである。
そのときの削除前の記事がこちらになる。

現在の支配層は、云うまでも無く明治維新勢力つまりキリスト教勢力に連なっている。
従って、奴らの狙いは社会の完全なキリスト教化であり、全体主義化なのである。
しかし、キリスト教の不寛容性や全体主義性は日本人の機根にはなじまないものであった。
そこでキリスト教勢力が生み出した物が、キリスト教の代わりに信仰させキリスト教的価値観を植えつけ将来的にキリスト教に帰一させるための「代替キリスト教」なのである。
古神道から改変して性的要素を取り除きキリスト教化したものが国家神道であり、靖国神社は明治維新の直後に作られた。
そして廃仏毀釈が行われ、全国の無数の仏教寺院が破却されたのである。
この廃仏毀釈こそ、代替キリスト教である国家神道を崇拝させ天皇制崇拝につなげるためのものだったのである。
そしてキリスト教的価値観や道徳を強制するための工作が行われ、一夫一婦制・家制度・家父長制というキリスト教的価値観の制度が整備されたのである。
これについて「道徳の立て直しである」などとほざいているヒモ付きがいるが、当時道徳を立て直さなければならないような状況には無く、ためにする物言いである。それを云うならば、一揆などの反抗勢力を弾圧したことを指してそのように云っているのではないのか。
このほかにも、明治維新勢力は数々の偽伝統を作り上げ、喧伝して定着させていったわけである。
その代表的なものに、明治18年に作られた初詣がある。
云うまでも無く初詣とは元日を祝うために作られたものであり、キリスト教的価値観に合わせるためのものである。
元々元日を祝う風習は日本には無く、立春を以って新年としていたのが本来の伝統である。
また神社にせよ仏閣にせよ各々に詣でるべき日取りは決まっており、それぞれに異なる日だったのであり元日に詣でる習慣など無かった。
また、現在の年越しそばも新暦つまりキリスト教歴に合わせて改変されたものであり、元々は節分に食べていたものと毎月末日に食べていた晦日そばを合造し、大晦日に食べるように改変した偽伝統である。
伝統だというのであれば新年を祝うならば立春にするべきであり、年越しそばは節分に食べるべきものである。

その捏造された価値観の浸透は都市部ほど早く、一部地方においては戦後まで江戸時代の価値観のまま残存したコミュニティがあったが、戦後レジームの中でそれも一掃されてしまったようである。

代替キリスト教は国家神道だけではなかった。
神道系や日蓮系のカルト宗教である。
通称富士門流は実質的には1400年代の怪僧、日有の数々の捏造を端緒とする異端流派であるが、元々が謀略的であったため易々とキリスト教勢力と結託するに至ったものと私は見ている。
また神道系のカルトとして大本が、日蓮系のカルトとして国柱会があり、これらは互いに結託していたと見ている。
なお大石寺門流は明治維新以後に日蓮宗興門派に組み込まれ、1900年に分離独立で日蓮宗富士派と名乗り、1912年に日蓮正宗とその名を改めている。
日蓮宗興門派とは、明治政府がその方針により日蓮系宗派の中でも日興を派祖とする流派を束ねたものであり、日有門流と決別した他の富士門流系宗派は、現在では日蓮宗(主流・身延)に束ねられている。興門派であった寺院は興統法縁会に属するものが多い。

天皇制は明治維新勢力によって捏造されたものであり、日本本来の天皇の存在意義とは異なるものである。
天皇制では天皇を「現人神」として崇めていたが、「現人神」こそキリストのことであり、これを鋭く指摘していた作家があった。幸徳秋水である。
幸徳秋水は、天皇制はキリスト教であるという鋭い指摘をしていた。しかし、故に明治政府に敵視されるようになり、疑獄事件によって処刑されてしまったのであった。
そして、その肝心の天皇は明治維新に際してすりかえられた偽皇族であると云われている。
江戸時代は、幕府が実権を握ってはいたが、その長たる将軍は形式上ではあるが朝廷から将軍職に任ぜられていた。
やはり明治維新勢力がキリスト教化のためにスリカエたのではなかろうか。
何故なら古来天皇皇族とは仏教徒であったからである。
また、天皇は英国陸軍元帥である、生きた天皇は偽物であるというのは今や特別な情報ですらない。
やらせによる戦争が終わると、天皇は人間宣言なるものをして無力化をして逃げおおそうとしたのである。
しかし、これは権力のロンダリングであり天皇を疑わせないための偽装でもある。
そして、秘密選挙による形だけの民主主義制ということにして、お飾りである国会や政治家、政党が治めているように偽装することとなったのである。
従って、今でもこの国の最高権力者は天皇皇族なのであり、国会でもなければ内閣でもない。
その天皇の権力の源は何か。それは、米軍の駐留なのである。
つまり、正規軍を作らせないことによって天皇の権力は成り立っているということである。
正規軍を作れば、その兵力を以って天皇の権力を脅かすことになりかねないためである。
天皇は、「米軍の撤退だけはダメだぞ」と官僚(高官)に命じたそうである。
しいては天皇には米軍を牛耳るほどの権力があるということにもなるのである。

明治維新から60年余り、一つの支配層団体が作られた。
その名を創価教育学会といい、その設立に日蓮正宗が関っていた。
創価教育学会は、現在の創価学会の前身であり、設立当時は支配者層の集まりであり教育者の集まりでもあった。
実際、創立メンバーにはそうそうたる面子が名を連ねており、現在の創価学会がHPで自慢するほどである。
創設者とされる牧口常三郎はクリスチャンであったといわれているが、このことがこの団体の正体と真の目的を雄弁に物語っている。
日蓮正宗が関っていながら初代代表がクリスチャンであること自体、この団体がキリスト教支配層の集まりでありこの時点で日蓮正宗も完全に代替キリスト教と化していたということである。
もとより富士門流時代から数々の偽作贋作を繰り返してきた宗派であり、キリスト教的価値観に合わせて御書を改変することなど朝飯前だったのである。
翻って現在の両団体とも日蓮ふうキリスト教そのものであり、他の傍系団体においてもそれは変わらない。
戦後になって創価教育学会は戸田城聖が創価学会と改めて凄まじい活動によって会員数を増やした。
この戸田も怪しい男で、岸信介が友人だったというではないか。
現在形の上では創価学会が破門され対立しているかのように見せかけているが、これには裏がある。
創価学会の不法行為が一般から見てあまりにも目に余るようになり、このままでは日蓮正宗も同様の危険な団体と見做される(実際そうなのだが)危険があったこと、また対立を煽ることに信者操縦法としての旨みがあることにより、裏で申し合わせて茶番を繰り広げ、表向き破門したことにしたのである。
その後大石寺に街宣右翼が押し寄せたが、この街宣右翼もまた大石寺の警備側もプロレスのようなことをやっていたのである。
街宣右翼は昼間だけ吼えて夜は宿坊で寝ていたといい、警備側は右翼のいない夜だけ見張りに出ていたというのである。
その後、大石寺の境内地にあった、創価学会系の富士美術館が撤退することとなったのであるが、本当に対立しているのであればこんなおいしい陣地を易々と手放すわけは無いのである。何しろ敵宗派の境内地にあるわけだから。
そして、美術館の敷地建物は宗門に返還される事となり、現在は宗門が宝物殿として使用している。
従って、この返還に際しては宗創の間に必ず話し合いが持たれたはずである。つまり、破門は表向きだけで、実際には裏でつながっているということになる。
更に、宗門側の某寺院が自爆発言を行った。
それは、創価の大幹部は学会葬をしていないというものである。
では、その大幹部は誰が葬儀をしているのか?
しかし、それについて当該寺院は答えていないのである。
つまり、それは答えられない内容なのである。
どういうことか?大幹部の葬儀は宗門の高僧が執り行っているということに他ならない。
更に、某週刊誌に掲載された池田大作の「日顕上人にお会いしたい」発言の暴露が、裏でつながっていることを雄弁に物語っている。
もし本当に対立しているのであれば、間違ってもそのような言が口を突いて出ることは無いのである。
以上より、今でも宗門と創価、強いては鶴丸四宗派は裏でつながっているものであるといえる。
顕正会もまた、両団体にとっての叩かれ役、デコイの役回りを引き受けているものであり、対立は表向きだけなのである。
尤も、真相を知っているのは一部の大幹部だけなので、中級クラス以下の者は対立しているものと本気で思い込んでいる。この点には注意が必要である。

今や皇族にも創価学会員がいるということであるが、そもそも学会は支配層の集まりなのであるから官僚が居ようが皇族が居ようが何ら不思議なことではない。
偽天皇偽皇族はキリスト教勢力なのであるから、まさしく仲間同士なのである。
従って、創設以来創価学会はキリスト教支配層の集まりであるのであり、日蓮正宗から見れば今でも傘下団体、別働部隊なのである。
支配層の集まりを牛耳っている時点で相当の権力であり、もしかすると権力三兄弟に並び立ち得るのが宗門なのかも知れぬ。メディアに圧力をかけるなど朝飯前な訳だ。
少なくともこんな宗教にカネを出すことは無いのである。
何でも破門直後の信徒の少ない時代でも高級の法主専用車で移動していたというから、実際には学会からかなりの資金供給を受けていたに違いない。
貧乏人の信者がわざわざカネを出さなくても宗門には有り余るほどカネがあるのだからカネなんか出すことは無い。
まさしく坊主丸儲けである。

ヒモ付きは創価を叩いてもその親玉である日蓮正宗・宗門を叩かない輩が多い。これに該当していたら、ほぼヒモ付きであると見て間違いない。それは創価をデコイにして真の画策者を隠蔽する輩に他ならないからである。

ではおさらいしよう。
官僚社会主義を構築する官僚機構、企業社会主義を構築する企業連合があり、これらの下僕、大本営発表機関としてマスゴミが存在する。
そして民衆を誑かし的ずらしして支配する(We fool you)国家神道などの代替キリスト教があり、支配層の集まりである創価学会がある。創価学会は今でも日蓮正宗宗門が牛耳っている。
これらを閥族がまとめ、そしてその頂点に偽天皇偽皇族が立つ。
これが現在の日本国内の権力構造であり、アベルフなどその下僕でしかない。
いわんをや国会も政治家も政党も全てお飾りであり、選挙など奴隷が自分で決めていると錯覚させるための権力装置に過ぎない。

私は、遠い日に消費者が消費者責任を果たせば企業社会主義は潰せると書いた。
利権だって消費者が消費者責任を果たせば潰せるだろう。
つまり消費者責任とは不必要なもの、利権まみれのもの、有害なもの、身の丈に合わないものに手を出さないことである。
然るに、メディアとは支配層のための大本営発表機関であるからメディアの言うことを鵜呑みにしていてはいけない。
メディアは「欲しい」だけのものを「必要」とすりかえるのが大の得意である。
したがって、欲しいものと必要なものの区別を厳密につけることが消費者責任を果たすには必要である。
消費者責任を果たせないのはメディアスレーブだからである。
権力装置を止めたければ、無駄なものにカネを出さないことであり趣味ごとやレジャーを止めることである。

あなたが無駄遣いしたカネが、回りまわって権力システムを回し続けていることになるのである。

今のチャンネルを始めた時に投げたツイートを貼り付けて本稿を締める。