敵宗門脱退から6周年を達成

我が一家は去る本年1月10日にあの忌まわしい敵宗門を脱退してから満6周年を達成した。大きな節目は既に過ぎているとはいえ周年に意義のある記念日であることに変わりはない。

昨年一年を掛けて取り組み、敵宗門による戦災や背負わされた重石、そしていかなる敵宗門残滓をも除却するために行われた戦後処理事業はその全ての目標目的を達成し成功裡に終わった。それに加え長らく構想されながら敵宗門の妨害で遅れに遅れていた私有交通の復活をも達成し、一家史上初めて年間目標がまともに達成されたのである。

「再出発の年」の成功を受けて定められた今年の年間テーマは「蓄積の年」である。云うまでもなく蓄積するべきは人生を変え失地回復を達成する為の力、スキルアップである。必ずや本年に定められた課題を達成し失地回復に弾みをつける。これが一家の必修命題であり、余事や儚い夢などに躓かされるようなことは間違っても惹起してはならない。従って本年も前年に増して厳格な交際統制を行い失地回復の妨げになるような悪縁を寄せ付けない。

ご存知の通り、一家の失地回復は脱退を基準にすれば5年遅れであり、ある忌まわしき事件を基準にすれば25年遅れということになる。この二つに共通するのは、「さあこれからだ」というタイミングで出鼻を挫く為に大きな事件が惹起して時間と金員が徒に失われていることである。そこにあるのは、敵宗門一味の「するべきことを絶対にさせない、寄せ付けない」という強固で邪悪な意志なのである。それだけでなく、インターネット参戦を知るやどうでもよくなっていた悪しき趣味ごとを焚き付けて真実追究と失地回復からスピンするという残忍で邪悪な策動をも惹起させているのである。これらについてはまた別に記事を起こして検証する必要がある。

敵宗門一味によって人生の多くの時間が徒に失われた現在、失地回復は最早待ったなしであり時間と金員の無駄は少しも許されない。時間と金員を浪費させようとする勢力はその所属の如何を問わず我が一家の敵と見做され一の例外もなく粛清されるということ、かかる重要命題に敵対して身勝手な妬みや未練或いは自己の都合による勝手な行動を行う者は予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことに必ずなるということを招かれざる客員どもは肝に銘じて立ち去るべきことを警告しておく。
我が一家は失地回復の必修命題に向かってただ一つの輝ける道を直進してゆくことをここに宣言するものである。


photo:昨年12月に導入した自動二輪車(導入当時の姿、グループサイトより自己転用)

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確定裁決から5年が経過

2015年9月22日に我が一家が同年1月10日付で決定していた敵宗門からの脱退を確定とする裁決を採択してから満5年が経過した。
この5年間の辛苦は筆舌に堪え難いものがあった。そしてこの5年間も敵宗門は裏から手を回して一家を苦しめ続けてきた。その損失は非常に莫大であり、妬みと逆上による失地回復妨害は万死に値する。
5年前の4月14日、敵宗門一味は生活再生計画の出鼻を挫くべく冤罪未遂事件を惹起させてぶち壊しにした挙げ句、その後新たな化城に引きずり込んで愚弄してくれやがった。混乱させて思い通りに操ろうという汚い謀略だった。
2015年1月10日に我が一家は敵宗門・日蓮正宗からの脱退を決定した。通常であれば脱退届は末寺に郵送で出して行うべき性質のものであるが、敵一味がこれを遠隔の精神操作によって悪しく改変しこともあろうにわざわざ交通費を費やさせて本山まで来させるという暴挙を働き脱退を妨害したのである。案の定本山では他の寺で続けさせるべく宗務院僧が待ち構えており更に奴等は脱退届を受け取らなかったばかりか却って殊更に他の寺に誘導を図りやがったのである。

我が一家はこれを保留にしていたところ先の冤罪未遂事件が惹起した訳である。結局我が一家は別の寺、つまり法道院への誘導を蹴ることに決定したのであるが、同寺の輩はこの断りの電話に対して非常に不誠実な対応を以て応じたのである。

そしてそれから約2ヵ月後の2015年6月14日に敵宗門は石之坊・法悦院両寺の男子部を駆ってあの忌まわしき言論弾圧迫害事件を惹き起こしたのである。その後も激しい引き戻し策動の攻撃に晒される日々が続いたが、そうした中で敵宗門側が惹き起こした法悦院に於ける孤立化策動の意図的発覚があった。しかし調査の結果これを惹き起こしたのは他ならぬ敵宗門の法悦院役員であったことが却って発覚し、結果的に敵宗門はオウンゴールを放っただけの結果に終わったのである。これを受けて一家では審議を行い、2015年1月10日に決定していた敵宗門からの脱退を同年9月22日付けで確定とする決定を下したのである。この日は奇しくも大安吉日であり、まさに真の神による正しい裁きが敵宗門に下ったというべきである。

現在(2020年9月22日現在)一家では敵宗門一味による戦災と不当に負わされた重石そしていかなる敵宗門残滓を除却するための戦後処理事業の最中にある。この戦後処理は新たな5ヶ年計画の一年目に於ける最重要課題であり、必ずやこれを成功させることが一家にとっての必修命題である。

失地回復の狼煙を消すことは、誰にも許されない。

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バイク戦争犯罪について(最新の見解)

一家では現在戦後処理と並行して交通整備の計画を進めているが、これが完遂すれば実に7年ぶりのエンジン付き車両が復活するということになる。
ここで忘れてはならないいのは身の丈に合った計画にすること、持続可能であることと並んで過剰規模とならないことに重点があるのは云うまでもない。
つまり過去に敵宗門一味が惹き起こした「バイク戦争犯罪」の二の舞は絶対にならないということである。

「バイク戦争犯罪」とは2000年頃から2013年頃にかけて敵宗門一味が仕組んで「バイク」をネタに筆者を陥れた一連の事件群の総称である。この戦争犯罪のために一家は翻弄され、第一次「三本柱の化城」の洗脳犯罪と相俟ってあらゆる事物を失わされた過去がある。

一家では嘗て一号形原付車両を1999年から保有しており、2005年から2010年まで約5年の休車があったが復帰して運用されており、その代替のため2012年に自動二輪免許を取得、100ccクラスの自動二輪車を導入して運用していた訳である。

その頃に受けた事故被害の賠償金を得ることが確実となったところで150ccクラスへのステップアップを計画したところこれが敵宗門一味の洗脳操作で不当に改竄され、本当にするべき事からも遠ざけられたことに加え裏では人工透析への転落策動まで進行されており、不必要な中型バイクに手を出させられた挙げ句大きく資金をハタカサレ移住も潰された事件であった。この時点であれば移住してから次を考えることも可能だっただけに今考えても殺意が止まらない。

しかも敵は、筆者がバイク戦争犯罪に気付いたのを見計らったように阿呆悦講員による交際類似事件を用意しており、あらぬ夢を見せあらぬ希望を持たせることで敵自ら仕組んだデッドエンドに気付かせないようにして対策を取らせないようにするという残忍無慈悲な所業を働いたのであった。

あらぬ夢と希望を見せられたことでせっかく取り返した金員はすぐにしかも必ず要らなくなる車でハタカサレて、しかも脱退をも妨害されてギリギリの底辺まで突き落とされることとなったのであった。

更に筆者にあらぬ夢と希望を見せたクズ女は目的を達すると逃げるようになり、奴に引き合わせた講幹部を詰問するもこの幹部は加害者である柏原を守って被害者である筆者を一方的に悪者扱いして逃げたのである。

普通はさすがにここで脱退となるべきであった所、敵宗門阿呆悦院幹部は予め温存していた、死亡講員の仏壇を重石として与えることを画策して脱退を妨害したのである。このように、単独で行われた事件は脱退前に於いてはほぼ皆無に等しく、如何なる事件も全ては繋がっているのである。

この間の2005年には敵宗門工作員である通称門外漢女によるデジタル一眼スキャンダル、及びバイク圧殺演出事件が惹き起こされており、今なお当時の経緯が問題視されている。云うまでもなく圧殺の演出は「バイク」を燻らせて人の人生を狂わせるためであるが、この門外漢女は嘗て不倫で有責となり親権を剥奪された輩であることが脱退後に判明している。そのような輩であると知っていれば騙されずに済んだのであり、今であればその事はその言動から簡単にわかる程度のザル女であるが、敵宗門という一神教によって生命力を殺がれていたために読み切れなかったのであった。こいつもまた目的を達するや疎遠になり逃げるようになったのであった。目的を達するか、或いは達せられなかった途端に逃げるようになるのは工作員の定石であるから覚えておいたほうがいい。

以上がバイク戦争犯罪とこれに続いて行われた交際類似事件の概要である。この間に別の交際類似事件も惹起しているが、これは脱退妨害のために憎き柏原容疑者への憎悪をスピンするために惹き起こされた事件であるがそれはあくまで別件でありバイク戦争犯罪との関連性は薄い。

以前のバイク戦争犯罪関連記事でも書いているように、この一連の事件群では嘗てやらされていたサイトで薄い繋がりがあった、某鉄道関連サイトの運営者の男が煽り目的で関与していてPCX批判と取れるような記事も書いている。この男については2014年に追放しており、その後やらされていたサイトも破却に伴い閉鎖して久しくその後追加の事件惹起もないため現在では全く無関係であるが、こいつについては敵宗門謀略部門の工作員である疑いがかけられている。

なお、こいつが絡んだネット上での戦闘が終結したことを端緒としてついに敵宗門一味が押し止めていた真実の追究が始まり、漸く絶望的な現実に気付いたことで敵宗門への疑問が生じ、ここに漸く信仰の見直しが行われることとなったのである。その後はご存知の通り2015年1月10日付けで遂に敵宗門・日蓮正宗から脱退する運びとなっている。

以上がバイク戦争犯罪関連の経緯であるが、我が一家は二度とこのような戦争犯罪に巻き込まれないようにしなければならない。今なお敵による「バイク」の煽りが散見される状況でもあり、油断はできない。このため失地回復プロジェクト第7次、第8次計画の策定に当たっては今後の交通政策についても間違いのないように定めたところである。

  • 今後バイクは125ccクラスまでとする。
  • 車種選定は実用本位とする。
  • 不必要にバイクにカネをかけないようにする。
  • 地方を跨ぐような遠距離は公共交通によることとする。
  • 失地回復後は四輪自動車に切り替えることとする。

今後は遅くとも3年程度で車に切り替える前提であり、このことを前提に計画を進めており、今後の実力蓄積計画とこれに特化した暮らしに貢献させるべく進行させているところである。

我が一家のこの方針に敵対して身勝手な妬みや未練、或いは自己の都合による行動を行う者は予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことに必ずなるということを敵宗門及び辺境民の関係者は一々に肝に銘じるべきであるということを改めてここに警告しておく。

過去のバイク戦争犯罪関連記事

バイク戦争犯罪の概略について

バイク戦争犯罪による損害の考察

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宗教テロリストの存在が明るみに

偽経・法華経を原理主義化し日蓮を「仏」とした一神教に仕立て上げた怪僧日有の存在は既に本ブログでも問題視しているところであるが、そもそも偽経でありキリスト教の擬態である法華経を日本に持ち込んだ「宗教テロリスト」の存在が7世紀に明らかになっている。まだイエズス会もない時代であるが、恐らくバチカンから日本宗教の一神教化をこのテロリストが託されていたのではないかという見方が有力になっている。
日有の教義改変は15世紀前半に惹き起こされたものであるが、この時点でもイエズス会すらまだ存在していない状況であり、いったいどこから使途が来たのかという疑問が拭えないでいた。しかし、法華経を持ち込んだ聖徳太子が宗教テロリストであったとすればその説明がようやくつくことになる。
フォロワーの方から教えていただいた情報によれば、日本の宗教の一神教化の流れは聖徳太子以来続いていたものであるということであるので、法華経を持ち込んだ聖徳太子がそもそも宗教テロリストであったということであれば説明も付くというものである。確かに日有ほど小賢しく狡猾な宗教者もそうはいないのであるが、それとて聖徳太子以来の日本宗教一神教化の流れの中に過ぎない可能性が高まっている。
そもそも霊鷲山の説法はイエスキリストの山上の説法と瓜二つであり、長者窮子の譬は文字や貨幣が出てくるなど釈迦の時代と内容が矛盾する。このことから法華経がキリスト教であることはほぼ100%間違いなく、一神教でない宗教は現在ではほとんど残っていないとまで言われていることからも宗教自体が百害あって一利なし、百害を撒き散らしている状態であるといえる。
聖徳太子以降の時代において様々なものが中国大陸から伝わってきているが、更にその先があったということは簡単に想定できるし、なぜその先を教えないのかということについても現代教育がキリスト教の悪い部分を隠蔽していることで想定できる。つまりその先を教えてしまっては全てキリスト教の謀略であったことがバレてしまい信じ込ませていたウソでたらめが崩壊して追及に対抗できなくなってしまうから教えないのではないかというのが専らの推定である。
それともう一つ衝撃の情報を。
法華経の「五五百歳」というのがそもそも誤訳であり、実際は500年ではなく50年の刻みだった!というものである。そうなれば末法なんていうものは既に終わっていることにもなり、敵宗門・日蓮正宗の全てはありもしないウソでたらめで作られたそれこそ巨大な「三本柱の化城」ということになるのである。
そもそも私が前に動画で語った通り宗教の教義なんていうものはそれがどの宗教のものであれ100%かつ一方的に教祖・宗門の側に有利なように作られているということを肝に銘じ宗教への依存を辞め自立思考に立ち返るべきである。何故なら一神教は思考のエネルギーを奪い去り精気を奪い去ってしまう代物に過ぎずそれこそ世界に百害を撒き散らしているのだからである。

参考資料:
過去動画「日蓮正宗について#2~そもそも法華経自体が偽経だった!」

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托卵疑惑が浮上

金城修一の元クズ親(クズ元)に托卵疑惑が浮上した。

金城修一の写真を見ている人もいるかと思うが私は全然尊父に似ていないし何一つ似たところが無いのだ。全然太らなかった尊父と違い私は太りやすい体質だし。今更確かめようがないのではあるが…
恐らくクズ元の劣性の遺伝子が私を苦しめているのは事実だろう。血液型は合っていても、どこも似たところが無いというのはさすがにおかしい。今となっては確かめようがないが、クズ元の晩年の荒れ方から言っても托卵の可能性は十分あると思う。それでも尊父は尊父だ。加害者はクズ元だから。

尊父とクズ元は島流し前に離婚しているが、恐らくクズ元の不倫が原因じゃないのかと金城は推定する。有責側に親権を持たせないようにする法整備は喫緊の課題かと思う。あんなクズいあばずれな母親だったらいないほうがいい。実際百害をばら撒いているような状態だったし。
何故托卵と思ったか?それはクズ元の聞き捨てならない発言がもとになっている。「河原で拾ってきた」と。つまるところそれが托卵を意味してんじゃねえのかと。この不幸の最大原因は敵一味宗創医連合だが、クズ元も一枚噛んでるでは済まないほど大きな元凶だったのではないか。何度でも○したい。

このクズ元、我が一家では重篤な戦争犯罪人として認識されている。何故なら一家をあの忌まわしき創価学会に引きずり込み、敵宗門・日蓮正宗への橋渡しをさせた上、本来東京で学生期を過ごさせるべきをカルトの言いなりになって絶海の孤島に島流しにして逃げられないようにしたことで非常に重く暗い影を落とし敷いては一家凋落の元凶となったからである。
このクズ元、島流し以降の晩年においては子供の都合そっちのけでテメエが心地良い刺激の中で過ごせればそれでいいというクズ丸出しの様相を呈していた。男をとっかえひっかえしては家に連れ込んでいる有様であったが、恐らくそれも敵宗門一味のお墨付きだったんだろう。
結局は敵一味手先のブルジョア家当主にこき使われた挙句42歳で頓死することになるのであるが、本来であればそこであのクズい島には別れを告げ全てを断ち切って本土に復員するべきでありそこから進路を決めるべきであった。
もっと重大なのは、このクズ元は「東大、東大」とほざくだけで明確なビジョンを見せることは無かったことにある。この、明確なビジョンを見せないようにすることこそが敵宗門一味の策略であり、そこから落として底辺に突き落とすことも最初から計画された通りだったということである。つまり、ビジョンを見せて何かを目指されること自体が敵宗門一味にとって非常に都合が悪いことだったということになる。そのために敵が持ち出したのは、ここでもやはり「実現の可能性が無いか、極めて低い夢や幻想の化城」ということになっている。それが「ロック」であり敵のねじ込んだロックグループ「A」がそのための動機付けということになっている。
結果的にAは2003年に粛清されることになっているが、その理由が「キリスト教との深い関連性」ということであり結果オーライのような形にこそなっているがそもそもキリスト教である敵宗門一味としては都合の悪いことであったはずである。それが放置されているということはA自体が既に「用済み」であったということではなかろうか。この時点で絶海の孤島によって未来が捻じ曲げられてからすでに15年以上を経過しており、既に筆者は底辺を彷徨わされていたからである。底辺を彷徨わされているような者でなければどんな巧妙なウソでたらめを以ってしてもカルト宗教に引きずり込むことは出来ない。その意味では既に敵宗門一味の思惑通りに行っていたということになり、非常に許し難い。尤も、Aについてはこれが無くてもそのキリスト教との深い関連性からいずれ粛清の対象になっていたであろうけれども。それが早い時期にできていたことは逆に結果オーライであるというものである。もし脱退以降であればAは苛烈な吊し上げの対象になっていたであろうがな。

今にして思えば私は様々な点で尊父とは大きな違いを抱えている。体型、太りやすい体質、性格…どれを取っても尊父とは大きく異なり、やはりあのクズ元の薄汚いDNAの混入がこの人生にも深い影を落としているというべきであろう。そのことからも恐らく私は托卵子なのであろう。だが、それでも尊父は尊父だ。
クズ元については実にどんなに恨んでも恨みきれず、何度でもこの世に引きずり込んで〇したい程である。あのクズ元がもし近年まで生きていたらそれはそれで恐怖の姑になっていたであろうことは間違いなく、人生の大きな足かせになっていたであろうことは間違いなく、クズ元の早世は敵の重大な(笑)ボーンヘッドだったんだろう。
私はクズ元のことを親とは思っていないので、そこだけ間違いのないように。
勝手な思い込みや都合でこれを曲解する者はそのことによる予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことになるということを敵一味関係者共々一々に肝に銘じるべきであると謂っておく。

【追記】
クズ元は1988年8月に他界している。

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