日蓮宗と日蓮正宗の関係について

このところ敵宗門一味の妨害が激しさを増しており記事の執筆が妨害されているため本記事も大幅に遅れて執筆に乗り出しているものである。
日蓮教義の真実を探る中で既に解りきったことが中心ではあるが、ツイッターには以前にも書いていたことではあるが改めて記事にして残すことの重要性は今更云うまでもない。
また本記事は筆者が敵宗門のウソでたらめを当の昔に看破していることの証としても重要なものになるだろう。
また言質を残すことによって決して引き戻しに希望を持たせないという重要な意義を持つものでもある。

まず日蓮の後継者についてのウソでたらめを破しておく。
敵宗門が必ずと言っていいほど持ち出す「二箇相承」なる御書は他門流では既に「偽書」と決せられている、日有の偽作による文書であるから「日興へ相承した」ことの証とはならない。何なら炭素測定するか?
日蓮が六老僧として日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六名を定めて教団運営の中心としたことは事実であるとされているしどこの門流でも否定してない。
しかし日興に相承したというのは日有による捏造であり事実ではない。
日蓮は後継者を定めずに入滅した、これが事実である。
なお日蓮聖人は入滅に際して当時13歳であった後の日像上人に京都での弘教を託したのみであり、しかもそれが成就したのは日蓮聖人の入滅から50年以上経た1339年のことであり、現在に至るまで日蓮門下唯一の勅願寺である妙顕寺(日蓮宗。1321年創建)は地名にまでなっている。

日蓮宗からの分裂

日蓮聖人亡き後教団は六老僧による合議制となっていたようであるが、身延久遠寺の貫主が日向に決まると権力争いに敗れた日興は若干の弟子とともに身延を追われ、南条時光の請いで富士上野に入り、大石寺を創建した。これが富士門流の起こりである。この時点で日蓮聖人が入滅してからまだ8年しか経っていなかった。
その後身延日蓮宗は先述のとおり京都にまで教線を拡大し、先述のとおり日像上人が後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜るまでになる発展を遂げている。
一方の大石寺はどうかというと、日興日目の時代が40年余りに亘って続いた間は興隆を見せたかに思われたが、日目が日郷に託した後継を日道が年功に託けて簒奪したのを機に争いが絶えなくなり(「東坊地問題」はこの日道による簒奪に起因する)、やがて大石寺は見る影もないほどに衰退してゆくことになる。

怪僧日有の出現と教義改変

そこに出現したのが怪僧日有である。日有は鉱山で財を成し大石寺を建て直したとされているが、何故日有が鉱山の富を手にしたのかという点に疑義がある。つまり鉱山など当時の日本人の手に余るものだったからであり、空海も渡来人だったという説があるほどである。つまり日有が渡来人であるか、さもなければ外国の勢力と通じていたかのどちらかであろうということである。後述の教義改変も併せて考えると後者が有力なのではないか。ただ日有は南条姓を名乗ってはいたがその出自が全く明かされておらず、渡来人の説も捨て切れない。ただ渡来人というだけではあまりにも耶蘇教と合致するような教義改変には繋がりにくいのも事実である。
ともかく鉱山で財を成した日有は教義破壊と改変に着手し、いわば換骨奪胎とも言える変貌を為したのである。多くの御書を偽造し、日蓮が遺していない自称戒壇の大本尊を偽作し、そして世界で初めて「日蓮本仏」を言い出したのである。
本来の日蓮宗は釈尊本仏、日蓮聖人は「大菩薩」として僧宝であり日蓮宗は多神教である。
これを日有は戒壇の大本尊は「仏の当体」であるとしてキリスト教のデウスに等しい執着するべき「実体」をなし、「代々の上人悉く日蓮」として法主を権威付けるという大改竄を行ったのである。これは今日の敵宗門における法主絶対主義にまで繋がっている。
つまり「日蓮本仏=絶対神」という一神教化であり、キリスト教化である。
そして日有は「化儀抄」によって自らに都合のよい教えを体系化し、換骨奪胎を成し遂げるに至ったのである。
こうして富士門流日有派閥は完全にキリスト教化しており、このときから基本的な教義は日蓮正宗の今日に至るまで変わっていない。
当然に他門流などから激しい批判を浴びることになるのであるが、不思議なことにこれによってこれまで続いていた分裂が止まるという皮肉な事態となっている。
日有がどのようにして鉱山の富を手にするに至ったのかという点は外国勢力との関係を探る上で重要でありその解明が望まれる。
しかしながらザビエルより100年早い日有がキリスト教の十八番とも云える見事なまでの換骨奪胎を為したという事実はあまりにも重く、敵宗門も口を閉ざして遁走する他ない有様である。

ある人が「創価学会はキリスト教である」と言っていたが、そもそも創価学会は日蓮正宗の教義を踏襲しておりその上創始者がキリシタンであるのだからある意味当たり前のことである。
顕正会も元々は法華講のひとつであり、同じく日蓮正宗の教義を踏襲しているのであるからやっていることも当然同じようなものであり目くそ鼻くそになるのも当然の帰結である。

戒壇の大本尊がデウスであるという議論は、かつてのキリシタンの行動原理と照らしてみれば明らかになる。
かつてのキリシタンは村人に改宗を強要し従わなければ殺したという。またキリシタンは討論を挑んできた者に放火するという野蛮な所業をも為している。
つまり「デウス」という実体(の幻想)を与えられそれに執着するあまり無信者や反対者に対する憎悪を募らせて野蛮な所業に至ったものであり、敵宗門の者どももまた「戒壇の大本尊」への執着のあまり無信者や反対者に対する憎悪を募らせて同じように野蛮な諸行に至っているのである。それが如実に顕になったのが2015年6月14日の言論弾圧迫害事件であるといえる。こともあろうに敵宗門宗務院は石之坊・法悦院両寺院の男子部をして徒党を組ませ迫害を行わせている。
つまり戒壇の大本尊が仏の当体〔実体〕であると教えられて執着を起こし、その執着のあまり脱退者に対する憎悪を募らせて惹き起こされたのがこの迫害事件であるといえるのである。男子部暴徒も山根も宗務院僧も皆この偽戒壇に執着している妄信者であるから当然執着からの憎悪も同じように湧き起こる。

つまり日有は戒壇の大本尊を仏の当体つまり実体として執着させることを最初から狙っていたのであり、実際に目的どおりに執着からの憎悪を惹き起こしているのであるから日有の目的が換骨奪胎によるキリスト教化にあったのは明らかである。
日有出現前の大石寺は見る影もないほどに衰退して滅亡寸前であり、これを乗っ取って利用しようとする外国勢力があったとして何の不思議もないのである。
つまり日有はキリスト教〔イエズス会〕勢力の日本における最初の走狗であった可能性がかなりあるということである。

血脈の大嘘を破す

先述のとおり日蓮聖人は後継者を定めずに入滅し、日目による日郷への付属は日道によって簒奪されているので血脈もへったくれもあったものでは無い。日道による簒奪など権力争いそのものではないか。つまり断絶どころか最初からないのである。
更に最近聞くところによると阿部日顕の猊座もこともあろうに謀略で早瀬日慈〔日如の実父〕から簒奪したものだというではないか。日慈はショックで暫く寝込んでしまったほどだという。
これでは血脈もへったくれもあったものではない。
実際問題阿部は法主登座時56歳という近年では異例の若さだったことがそれを物語るかと。
ともかく非常に胡散臭いものであることだけは間違いない。

日蓮宗と日蓮正宗の違い

日蓮宗の総本山は日蓮聖人創建の祖山・身延久遠寺である。
このこと自体がどちらが本流であるかを如実に物語るものであるが、両者がまるで異なるものであるということを列記していく。

・日蓮宗の総本山は日蓮創建の身延久遠寺であるが、日蓮正宗の総本山は日蓮とは直接のかかわりのない富士郡上野村の大石寺であり、創建前は「大石が原」という名の石が転がる荒野であった。
・日蓮宗は釈尊本仏の多神教だが、日蓮正宗は「日蓮本仏」の一神教である。
・日蓮宗は一般信徒の生活にいちいち口出しはしてこないが、日蓮正宗は一般信徒の生活に対する不当干渉が堂々とまかり通っている。特に後者は男女関係に対して殊更に厳しく僧侶や役職による不当干渉が凄まじい。
・日蓮宗は全国に350万人を超える信徒がいるが、日蓮正宗のそれはどんなに多く見積もっても20万程度である。公称50万は当てにならない。
・日蓮宗と日蓮正宗では本尊が違う。後者のそれは日蓮が揮毫したものとは異なる文字が入っていたりする。自称・戒壇の大本尊は複数の書写本尊からパクったパッチワーク本尊である。
・日蓮宗にノルマは存在しないが、日蓮正宗には僧俗に対する苛烈なノルマがある。
・日蓮宗のお会式は多くの人で賑わうが、日蓮正宗のそれは信徒のみしか入れず閑散としている。
・日蓮宗は多くの人に一般的仏教宗派として認められているが、日蓮正宗は統一教会や幸福の科学などと並ぶ狂信的カルト宗教と多くの人に思われている。
・日蓮宗は地域社会に認められることを重要視しているが、日蓮正宗はそれとは真逆で地域社会との関わりを非常に軽視しており、それどころか地域社会と信者との関係を絶ち異質のカルト社会に閉じ込めようとする。
・日蓮宗は真書(日蓮が本当に記した御書)であることを重視するが、日蓮正宗は日有などが偽作した偽書ばかりを重用してくる。
・日蓮宗はお布施や戒名料などを直接頂戴しているが、日蓮正宗はどんなに遠くても折伏系統に従わなければならず交通費が大きな負担になることが非常に多い。いわば間接収奪である。自分たちではそんなに取ってないよという表向きのポーズでしかなく、手先企業を使って間接的に収奪しているに過ぎない。

思い起こせる限り書いてみたが、まだ足りないものがあるかもしれない。
足りないものがあったらご教示いただければと存ずる。

私は何故日蓮宗に帰依しないのか

日蓮宗こそが日蓮教義の本流であり本来の教団であることは火を見るより明らかであるが、しかし私は日蓮宗に帰属することを良しとはしていない。
これにはいくつか理由がある。

それは
・我が一家では敵宗門より脱退後に宗教というものに関わることを一切禁じている。
・宗教は人を救わないと決しており、無宗教を貫くことを決めている。
・宗教の所為で不幸を蒙っており宗教はもうこりごりだ。
・日蓮宗も世界連邦運動に関わっている。
・一つの宗派に拘る必要はどこにも無い。
・宗教自体お金がかかり過ぎる。失地回復と移住を第一とするわが一家の方針にはそぐわない。
・そもそも日蓮自体が怪しい宗教者であるとも言われている。

これらの理由により我が一家は今後も特定の宗派に属することは無い。
引き戻しを企む敵宗門の輩はもれなく大地の藻屑にしてやるから覚悟しておけ。

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脱退4周年を迎えて

当ブログ主宰者である金城修一は、2015年1月10日に敵宗門・日蓮正宗から脱退してから、引き戻されることなく2019年1月10日に脱退4周年を迎えることが出来た。
昨年春には既報のとおり遺骨の奪還を果たし、秋には永代供養の実現、新施設への納骨まで滞りなく終了し、遺骨を握って支配するという敵宗門の邪悪な企みは永遠に潰えることとなった。

しかしながら敵宗門が裏に回っての生活・収入妨害は凄まじく、またしても催眠犯罪によってほぼほぼ取れる見込みだった大魚を封殺されるという大不祥事が惹起している。それも普段は出来ていたことが全く出来ない状態に陥らされてこれまで実になり始めていたものをパーにさせられるという極めて重大な犯罪被害であった。
以前問題になった大魚封殺事件の時は勝負以外のものがスピンや混乱させたり気を逸らさせたりすることに利用されており、それに気付けば気付いたでショックドクトリンを仕掛けられて持っていればよかった機材を破壊されてただただ無碍にハタカサレるという大事件まで惹起していたのであるが、そのようなものに加えあらゆるスピンネタを当家が徹底的に塞いだことによって敵宗門一味はこれまでとは違い精神的催眠状態に陥らせるという更に強力な洗脳犯罪に踏み切ったことのようであるのだ。

特に脱退4周年を迎える前後になってこうした各種妨害が激しさを増しており、上記催眠犯罪のほか人の尊厳を踏みにじるような操作や特に自転車絡みのトラブル創出の謀りなどが多発している。
この犯罪の首謀実行者が他ならぬ敵宗門(妙観講)であることを知り、その敵宗門の全てがウソとでたらめと捏造で出来ているという真実を知り、徹底して敵宗門の残滓を一掃し遺骨も他の施設で永代供養にした者がどうやって戻るというのか一般人頭脳の私には全く理解ができないのであるが、奴等は都合ありき、欲望ありきなので一般の常識が全く通用しないのである。つまり首脳はテメエらの都合だけ、前線の連中は屈服させられないことへの逆上だけなのである。

最近になって、重大な真実が複数発覚している。
一つは日蓮教義に関するそれであり、日蓮教義の本流は他ならぬ身延祖山の日蓮宗のほうにこそあるということである。
1400年代の怪僧日有(にちう)が本尊から教義から捏造した挙句多数の偽書まででっち上げて今日の超キリスト教的主義の宗教に仕立て上げたことは既に判明済みであるが、敵宗門は日有以前の歴史のあらゆる部分をでっち上げ歪曲して信者等に伝えていたことが判明している。
日有は日蓮が遺していない自称「戒壇の大本尊」を偽作し、それを弟子の日法(にっぽう)が彫刻したということまで偽書にして喧伝していた。
日蓮本仏論をでっち上げたのも日有なのであるが、戒壇の大本尊に意義を持たせるためには日蓮は本仏でなければならなかったということを、私が信頼する「アンチ日蓮正宗ブログ」では指摘されていた。これをキリスト教との類似性に着目して分析すれば、とどのつまり日蓮とは絶対神でありデウスでなければならなかったということになり、日蓮を一神教の絶対神にまで祭り上げて「悪しく敬って」いるのが敵宗門・日蓮正宗であるということになる。
勿論戒壇の大本尊とはキリスト教におけるデウスと同じであり信者に執着すべき「実体」として崇めせしめるものである。結果それに対する執着から反対者、無信者に対して憎悪を生じさせるということを日有は計算していたとしか思えない。
日有は鉱山マネーで潤っていたということも指摘されているが、鉱山など当時の日本人には手に余るものであり、その経緯に疑義がある。何故日有は鉱山マネーで潤うことができたのかということであるが、そこが不明点なのである。つまり、そこに外国勢力特に欧州覇道・キリスト教(イエズス会)勢力の影があったのではないかという疑念が払拭できない。
日有は、日本における最初の欧州覇道・キリスト教勢力の走狗であった可能性がかなりある。日有出現前の大石寺・富士門流はもはや滅亡寸前の状態まで落ちぶれており、例え1400年代であってもこれを乗っ取って利用しようとする勢力のあることは十分に考えられる。何故なら当時の日本は鎖国状態でもないし外国との交流も既にあった。日蓮在世に元寇があったくらいであるからだ。
つまり、日蓮正宗とは「キリスト教に乗っ取られた偽仏教勢力」であるというのが私の最終的な結論ということになる。
敵宗門側の輩がやたら「池田(大作・創価学会名誉会長)による乗っ取り」を主張するのも、敵宗門が「キリスト教勢力により乗っ取られた宗教である」ことを知られたくないという敵宗門トップの思惑があって流布させているのではないかということである。これは「テメエらのことを相手に吹っかけて脅す」というのが欧州覇道のやり口であることから考え得る。また、敵宗門がやたら日有を持ち上げ崇めるのもそこであり、敵宗門の首脳は全てキリスト教(イエズス会)勢力の手先であることの証左であると私には取れるのである。
今日の敵宗門・日蓮正宗の姿はまさしくキリスト教に背乗りされ新キリスト教主義的宗教に変わり果てた姿そのものであるのだが、1400年代の日有以外に大きな契機となった出来事が敵宗門(富士門流~日蓮宗興門派~日蓮宗富士派~日蓮正宗)には見当たらず、創価学会(創立当時は創価教育学会)の創立に日蓮正宗が関わっていること、その創価教育学会の初代である牧口常三郎がキリシタンであったという事実も既に敵宗門がキリスト教勢力に背乗りされた後の出来事としか考え得ないこと、日有以降の富士門流~日蓮正宗の教義には大きな変化が見られないことから、フランシスコ・ザビエルよりも100年以上早い日有が新キリスト教主義的教義を作り上げたという事実は非常に重く故に敵宗門は自称「戒壇の大本尊」の学術的測定も拒んで沈黙しているということなのである。

ちなみに、妙観講工作員が日蓮宗僧侶に法論を吹っかけたらしいが全うな正論の前に遁走を余儀なくされたようだ。
「妙観講員(法華講員?)vs日蓮宗住職」で、妙観講がまた虚言
なお、このページによると写真鑑定で既にパッチワークと証明された代物らしいのだが…。
結局都合が悪くなると遁走する、沈黙する振りをするのは言質を取られると即教義崩壊、教団崩壊に繋がるからである。
それでいて表向きは沈黙する振りをしておいて裏に回って陰湿苛烈な嫌がらせをするのが敵宗門のやり方なのだ、富士門流日有の時代から!

もう一つは、敵宗門一味が「カフカの階段」を知りながら該当するような状況に私を貶めていた疑いが非常に高いことである。
脱退前の2014年夏から真実追究の大進撃を始めていながら最近に至るまで私がこの「カフカの階段」を知らないでいたこと自体が割いた時間を考えれば異常に過ぎるともいえるのであるが、カフカの階段を知られることは脱退阻止もしくは引き戻しへの大きな障害になりかねずなおかつ恨みを殊更に増大させ復讐を恐れなければならないこととなる(但し、もう既に他の要因によりそのような状況になってはいるが)故に何とか知られないように敵が妨害していたということなのではないか。

コピーレフトの画像があったので引用させていただく。

これが世にも恐ろしい「カフカの階段」である。

現在私は社会保障によって最悪の状態を免れてはいるが、敵による「金銭からの排除」のたくらみによって苛烈な妨害に晒されており、既に「労働」「家族」からも排除された状態であり「住居」に関してももし今の居所を追われるようなことがあれば住居からも排除されかねず、既に多重排除の状態にあることで移住もままならない状態になっている。つまり他の地方に行くような大掛かりな移住には莫大な金銭が必要な状態であるということである(家を買わねばならなくなるため)。

敵が最初に実行に移したのが「家族からの排除」である。
敵一味は医療殺人によってわが尊父をこの世から消し去り、更に離間工作によって然るべき結婚のチャンスも失わされ、他の家族や親戚からも孤立させられることとなった。これら一連の工作は2007年から2011年にかけて行われた。また以前にも指摘したとおりこの一連の工作は敵宗門(の者)以外には頼る者のない状況に追い込むためでもあったのである。そしてそれがカフカの階段の恐るべき一段として実行されたということだったのである。
次に敵が実行したのは「健康からの排除」であるが、途中から「労働からの排除」も平行して行われている。これらは2010年から2013年にかけて行われている。
これらによって敵は私を人工透析へと貶め、更に労働からも排除するという極めて邪悪な「一石二鳥」をやってくれたのであった。
私が人工透析に貶められたのは、慢性腎不全だった私に阿呆悦院近傍の某病院の悪徳医師が「ディオバン」を押し付け削減にも応じなかったことが原因だとわかっている。それが証拠に、この病院は私が人工透析に陥ると持っていた薬を全て強制的に回収し証拠の隠滅を図ろうとしたのである。だが、何の薬を出したかという証拠は残っているので隠そうったって無駄だけどな!
また並行して行われた「労働からの排除」については、就職の際に一度は決まった就職を敵宗門幹部の干渉(口車)によってやり直させられてまんまと「手先」のいる職場へと誘導されたことが一因でもあった。更に2012年頃から妙観講の手先によって車両によるストーカー行為が繰り返されたことにより精神的な疲労が著しく、そこへ人工透析に陥らされたこと、更に阿呆悦院の寺ぐるみによる交際類似事犯に起因して更に精神的ダメージを受けたことによって就業の継続を諦めざるを得なくなったことが大きな要因であった。こんなことだったら以下に辺境とはいえ最初に決めた職場に行っているか、或いはもっと稼げる地域でその仕事に就くべきであった。
「住居からの排除」については、現在の不本意な薄汚い辺境の地に移らされ押し込まれた後に「家族からの排除」が行われたことによって、保証会社を利用するという手もあり全く不可能ではないものの通常の転居が極めて困難になっておりまた近隣で移ったところで状況は大して変わらないので敵宗門の意図した状況から抜けられる可能性は「一発逆転」にしかないという状況である。この状況は事実上「住居から排除」されたのと変わらない状況であるということである。
そして現在は「金銭からの排除」を奴等は推し進め大魚の獲得を妨害しているというのが現在の状況である。

もしもっと早く真実の追究が行われてこの恐るべき「カフカの階段」を知ってさえいれば、人生の一大事に比べれば取るに足らない趣味ごとなんぞにかまけて人生を棒に振ることもなかっただろうし尊父の死が迫る危機的状況を見れば何が必要かくらいわかったはずである。その意味でも真実の追究からスピンして趣味ごとや浪費にかまけさせた挙句に自宗門に引きずり込んで洗脳しこれらの真実や重要事項に触れさせまいとした敵宗門一味の所業は万死に値する。敵宗門によるスピン洗脳がなければ2001年には真実の追究と大金獲得への取り組みが行われていたはずだったからである。それは尊父からも命じられていたものだからである。

先述のとおり既に多重排除の状態にあることで身動きがかなり取りづらくなっている状態であり、何としても敵の妨害という壁をぶち破って大金を獲得し移住を果たさなければならない。
ところが敵宗門一味は「二兎を追う者一兎も得ず」を狙って勝負「だけには」集中させずにあれもこれも追わせて全てが中途半端な状態に追い込んで結局一兎も得られない状況に私を追い込んでいたことがこれまでの調べで明らかになっている。
従って金城家においては重要度の低い事業については本年における事業化を事実上見送り、重要性・喫緊性の高い事業のみに絞り行うことで「勝負」を阻害しないようにすることを決意した次第である。この薄汚い辺境の地では人の縁や誰かに助けてもらうことなど到底期待できない以上一攫千金に賭けるしか道は無いということである。
これが4年前であればまだ違った道があったのであろうが、こともあろうに敵宗門一味は「金銭からの排除」を狙いくだらないことでハタカセる行為を繰り返し貯蓄もさせずに却って重い負担だけを押し付けるというあるまじき迫害をしでかしてくれやがった。漸く苛烈なハタカセからは抜け出したものの、今から4年などという悠長な時間は最早残されておらず今からちまちまとやったところでそれは最早雀の涙でしかないということである。であれば男らしく一発逆転に賭けるのが正しい生き方であり、最低限の生活だけ守ってあとは勝負に賭けるべきであるということである。

それにしても全ての真実を知り全てが敵宗門の所業であったことを知った者が、しかも敵宗門の教義のカラクリやウソでたらめをすべて知り尽くした者がどうやったら戻るのか一般人頭脳の私にはまったく理解ができないのであるが、奴等は最早正論で勝とうなどとは思っておらず、人の生活と幸福を徹底的に塞いで疲弊させ力尽きたところを狙おうなどという暴力的手段で引き戻そうとしている恐れがある。
たかが一般人ひとりに対してそこまでするというのは通常ではあり得ず、この犯罪が敵宗門首脳の首謀と指示による犯罪である傍証であるといえる。まして表題のとおり既に引き戻されることなく4年を戦い抜いた人間に対してである。
だが、そのようなやり方であることがわかっている以上断固として戦い抜いていく覚悟が私は出来ているし同じ不幸で終わるのであれば引き戻されることなく矜持を貫いて終わるのが人間として至極当たり前のことである。

漸く敵宗門脱退から4年が経過したが、これまでは引き戻されないようにすることと事後処理だけで精一杯で、また真実追究の遅れからさまざまな金銭的、精神的被害にも遭ったことで失地回復が大きく遅れている状況である。
今年は何としても失地回復を前進させなければならないということで年間テーマを「復讐前進の年」とした次第である。
所定の「脱退から5年」まで、漸く1年のところまで漕ぎ着けることができた。状況は厳しいが、必ずこの難局を乗り越え引き戻しの謀りを撥ね退けて自主独立を死守してみせる。

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15 Years

きょう9月7日は、15年前の2003年に敵宗門一味の謀略にかけられて敵宗門に引きずり込まれた忌まわしき日である。

つまり、タイトルの意図は敵宗門一味によって15年というとてつもなく大きな年月を失わされたのだということであり、それを決して許さないということである。

この15年で私はあらゆるものを失わされた。

夢も希望も結婚の機会も金銭的チャンスも財産(主に金銭)も何もかもである。

そしてソコツキになるまでハタカサレた。

そうだ、その総てが敵宗門とその傘下組織によって失わされたのである。

この9月7日という日取りが、敵宗門一味得意の日付合わせであったことが最近になって発覚している。

つまりこうだ。

9×7=63

6×3=18=666

段階を二つ踏めば666という悪魔、獣の数字になる訳だ。

我が一家が2000年にインターネットに参戦した本来の目的は、真実の追究、なかんずく我が一家に不幸をもたらす元凶を突き止め失地回復を果たすことである。

しかしこれが敵宗門一味の都合に真っ向から逆うものであったために、見るに無惨なまでにこれがスリカエられて歪んだビジョンによるミスリードがこれでもかと繰り広げられ、医療利権との共謀によって身体の健康まで破壊されかけがえのない家族までもが尊父の暗殺、一家離散までされるという結末になったのである。

敵宗門一味は私の心に「三本柱の化城」をでっち上げそれによって精神を不当に支配して悪逆なる抹殺の策謀とその行為者の正体に気付かせないようにしていたのである。

敵宗門一味によるこの化城が崩壊する端緒となったのは2014年夏になって真実の追究が14年遅れで始められ絶望的な現実に気付き、私が関わる総てを対象とした「聖域なき見直し」が行われたことである。

そして2015年1月9日に宗教活動を停止して翌10日に敵宗門・日蓮正宗を脱退したのである。

つまり三本柱の化城が崩壊してからまだ4年弱しか経っていないことになる。

化城を崩壊させて再出発を果たそうとした私に対して、敵宗門一味は極めて不寛容な態度を取り徹底して特殊な暴力による破壊を行い、折角の二度に亘る経済的立て直し、回復のチャンスまでも潰してくれやがった。

しかし、4年に及ぶ真実追究の積み重ねは遂に敵宗門・日蓮正宗の正体が仏教に偽装したキリスト教であることを突き止め、なおかつそれを論理的に証明できるまでに到達したのである。

1400年代の邪僧・日有は日蓮が遺していない「戒壇の大本尊」をでっち上げ、日蓮本仏論をはじめとする教義までもでっち上げた。あまつさえ御書までも日有はでっち上げていたのである。そして、この事こそが「仏教に偽装したキリスト教・日蓮正宗」の草創だったのである。

つまり日蓮正宗にとって「戒壇の大本尊」とは信者が執着すべき本仏としての「実体」であり、その執着がこれを否定する者に対する暴力的逆上行為に繋がっているということである。つまり戒壇の大本尊とはキリスト教の「デウス Deus」に相当するのである。実体に執着する余りにそれを否定する者、疑問を呈する者に対する憎悪が生じて暴力的行為を惹き起こすに至っている点も全く同じである。

そして傍証としてキリスト教との多数の共通点も判明している。

・キリスト教の祝日である1月1日を祝い、元朝勤行まで奉修していること。

・異を唱える者、疑問を呈する者に対する極めて不寛容かつ暴力的な姿勢と行為。

・性、異性関係に対する不当な制限と一夫一婦制の支持。

異を唱える者、異教に対する極めて暴力的な姿勢が先述のように脱退して再出発を果たそうとした者への徹底的な破壊暴力に繋がっているということであり、討論を挑んだ者に暴力で報いたかつてのキリシタンどもと何も変わりがない。

それを「罰だ、罪障だ、そういう命だ」で誤魔化し通せると敵宗門とその眷属どもは思い込んでいたようであるが、4年に及ぶ真実追究の成果がそれを決して許さないのである。

脱退して3年半余りのこの結果が敵宗門一味による破壊暴力の結果であるという厳然たる事実を詭弁で誤魔化すことは最早不可能であり、従って敵宗門トップが夢見ているような「引き戻して再洗脳し全てを誤魔化す」も実現不可能な歪んだ夢に過ぎないのである。

敵宗門一味は2015年9月の脱退確定のあと翌年の早春に一家が事後処理を企図したことに対して、最重要であるといって差し支えない遺骨問題の浮上を妨げて不当に遺骨を握り続け遺骨問題の解決を妨げるために莫大な金員をハタカセていたことは未だ記憶に新しいが、我が一家では本年4月の遺骨奪還に続いて遺骨問題の完全解決となる敵宗門抜きでの永代供養の実現に尽力していたところ、先月末になってその実現の目処が立ち、このほど手続きが完了し敵宗門抜きでの永代供養が実現した。

これによって、敵宗門が執着していた「遺骨を掌握しての支配」という目論見は完膚なきまでに崩壊し、敵宗門の寺に我が尊父の魂は宿らないことが証明され、後戻りできないことと併せ引き戻しは皆目不可能となったのである。

2016年、17年の二度に亘る超大型のハタカセ事件の目的は遺骨問題の解決妨害の他にもう一つ目的があった。

それは、順当に脱退後の再生がステップアップされては「罰だ罪障だ」で吹っ掛けて引き戻しを謀ることができないからであった。

脱退後のステップアップを不当に妨害して潰すことによって「罰だ罪障だ」と詭弁を垂れて引き戻すつもりだったのだ、敵宗門は。

敵宗門の吹っ掛け屋が来なかったのは、万一に対する警戒を隙なく行っていること、敵宗門を排除するためには手段を選ばないことを私が公言していることで命に危害が及ぶことを敵宗門・末寺が警戒して行動に踏み出せないことによる。勿論脅しなどではなく、いざとなれば私は殺るつもりでいるから間違えるな。アホッケの連中と戦うことに私は何の躊躇いもない。

そこで敵宗門は、もう一つの汚い手段つまり電波兵器による遠隔洗脳や身体操作、精神操作を用いての妨害に切り替えただけの話であるが、そんなやり方は最早通らない。何故ならわかってしまっているからである。況して私はアホッケの連中と違い夢と現実の区別をはっきりつけられるので人工夢で脅そうとも全て無駄である。こじつけは一切通用しないということだ。

また私は真実の追究によって五感に門番をおき動かされないということを覚えた。

人的接触による方法も電波兵器による方法も手段の違いだけで扇動手法は同じであり、防ぐ方法は同じであるからこれが大きな力になっているのである。

先述の二度に亘る超大型のハタカセ事件において中野に所在する某カメラ店がこれに加担していたことは以前に書いている。現在では当該店を敵宗門一味とグルであるとして排除し、付近を訪問禁止としている上カメラに関する厳しい取決事項を設けており、更に滅多なことでは生活圏外に出させない政策を取っているため再現は不可能である。

遺骨問題の完全解決が実現したこと、妙観講が犯罪組織であることがわかったことによって引き戻しは皆目不可能となり、敵宗門は損切りをせざるを得なくなったのである。日蓮正宗がらみの事件、犯罪も立て続けに惹起しており、虚像は完膚なきまでに崩壊しているのだ。知らぬは盲信のアホ講員ばかりということだ。

敵宗門によって失わされた15年に対する落とし前はきっちり付けさせて貰うから覚悟しておけ。

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敵は敵でしかない

回顧録の上梓を始める前に、はっきりさせておかねばならないことがある。

それは、私が敵宗門に引きずり込まれるずっと以前から敵宗門が敵でなかったことはただの一度もなく、敵宗門工作員やその他の法華講員どもも私の味方であったことはただの一度もないということである。

然るに、敵宗門一味が私に対して行ってきたこと全ては一貫して敵としてのそれであるし、法華講員の連中にしてもやること成すこと全てが敵としてのそれであるのだ。

その詳細については回顧録の中でたっぷり書かせて貰うとして、その全てにおいて奴等は私を欺き、安心できるウソで騙してきたのである。

そして敵宗門の工作部隊は常に私をミスリードし続けて一家を離散させ、歪んだビジョンをこれ見よがしに見せつけてハタカセや余計な計画の捩じ込み、必要もない移住の強要で各地を不必要に転々とさせ、職業選択にまで介入してその選択を都合よく改変させて計画的に貶めて、まるで自然と堕ちたかのように演出して貶めてきたのである。自然と堕ちたということは全くなく、全ては敵宗門一味の所業であるということははっきりと示しておかねばなるまい。

云うまでもなく敵宗門が私を自宗に引きずり込んだことも、最初から私を抹殺することが目的であり、幸せにしようなどという気は最初から皆無だったということである。

敵宗門に引きずり込まれた者は例外なく不幸になるが、それは敵宗門のごときカルトに入ると外部から遮断され、外部の言に耳を貸さないように仕向けられるので一般社会との接点が無くなり孤立していくからである。

勿論私が敵宗門に引きずり込まれた経過の中でもそのような経過はあったのであるが、それ以前に引きずり込むための計画的環境整備としての謀略による分断があり、職業選択のミスリードのために仕組まれたハタカセまであったのである。

私のように計画的抹殺の謀略に遭うというのは数ある脱退者の中でもレアケースであり、敵宗門が執拗に引き戻しを仕掛けてくるのもそれを隠しておきたい、都合の悪い真実であるからであるということなのである。

勿論カルト宗教であるから引き戻しは行われるが、私のように真実を見切って絶対に戻り得ないような者に対して脱退後3年半以上も謀略を仕掛けそれが殊更にエスカレートするというのはそういうことであり、暴力的な引き戻し策動の数々は敵宗門がオウム同然の悪徳カルト宗教であることを如実に示している。

もし敵宗門で生活や金回りがよくなる者があらば、それは敵宗門の工作員と化したということであり、組織中枢に組み込まれた輩であるということである。

敵宗門はどこまでも敵なのであり、敵は敵でしかないということははっきりとさせておかねばならない。そこを見誤ると本ブログの目的、真意が見えないということになる。

既にTwitterでは何度も言及しているが、敵宗門の本当の危険性は社会の問題を宗教の問題にスリカエて安心できるウソで騙し、思考停止に追い込むところにある。

もう一つは、敵宗門がオウム真理教のように信教の自由に対してどこまでも不寛容であり、引き戻しに応じない者は「自殺に追い込め」と指導している反社会的宗教であるということである。

私の目標はどこまでも敵宗門に抗い引き戻しを諦めさせて迫害を止めさせて自主独立を果たすこと、それによって失われた人生の目的を取り戻すことにある。

そのためには真実をはっきりと示して敵宗門に社会的制裁を受けさせなければならないということである。

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ブログ開設のご挨拶

このたび以前に開設していたブログと同名にて対宗門闘争の記事を上梓するための独立したブログを開設する運びとなった。
筆者は2015年1月に敵宗門・日蓮正宗を脱退して執筆時点で3年半になる。
現在回顧録はグループのポータルサイトにて公開しているが、対宗門闘争の独立したブログがやはり必要であるとの判断に至り、改めて開設して最新の史実に基づいて綴ることとした。

以前の同名ブログには大きな問題点があった。
それは敵宗門一味が捩じ込んだ偽りを前提に書かされていたということである。
敵一味は単なるいち雑魚に過ぎない門外漢女を「首謀者」に仕立て上げてることで敵宗門こそが真の首謀者であることを隠蔽し脱退を妨害していたのである。
当然のことながら敵宗門こそがすべてにおいて首謀者であることがばれることは即座に脱退につながり、更に全てのウソが暴かれることを意味していたからである。
実際に、今現にそのような状態になっておりその邪悪な企みが白日の下となっている訳である。

2015年6月、敵宗門一味は寺院をまたいだ徒党を結成させて襲撃を行い言論弾圧事件を惹起した。
当時はまだ脱退直後ということもあり真実の追究が十分でなかった。
そのため敵一味の捩じ込んだ虚構がそのままとなってしまっていたところを突かれたのであった。
しかしながらその後の検証において、敵一味が捩じ込んだ部分を除けばおおむね事実どおりであり問題の部分を取り除けば十分検証に耐えるものであることが判明しており、現在は先述のとおりグループのポータルサイトにて事実関係を反映の上公開している。

敵宗門一味は、私を未だ宗門に隷属させていたときにはこの部分を決して問題にしなかった。
それが脱退した途端に自作自演で捩じ込んだ虚構を奇貨として言論弾圧に及んだのであった。
つまり、未だ私を隷属させていた間は捩じ込んだこの虚構を信じ込ませることによって脱退を妨害し、更に思考停止に追い込んで真実を追及することを押しとどめていたのであり、脱退されたときにはこの虚構を奇貨として迫害して言論を弾圧し引き戻しに利用することが最初から考えられていたのである。

また、問題があるのであれば事実関係を示して訂正を求めればいいだけの話であり、その窓口となるメールフォームも設置していた。
にも拘らず敵宗門一味はこれを無視して徒党を突撃させて言論弾圧事件を惹き起こしている。
つまり奴等の目的は記事の訂正ではなく、ブログを潰しツイッターを止めさせようとしていた、それによって目・口・耳を塞いだ上で引き戻して再洗脳し抹殺しようとしていたそれが目的だったということなのである。
それを証明しているのが敵宗門工作員・齋藤英通の「ブログやめろ」「ツイッターやめろ」であり、それが敵宗門の意向を正しく反映していたということなのである。
しかし、このように暴力的なやり方での引き戻し策動に対する反感は誤魔化すことができなかったようであり、結局2015年9月を一期に敵宗門からの脱退と宗教に関与することの禁止が確定し、一家は無宗教となって今日に至っている。

以後敵宗門批判は行き場を失っていたが、シングスピールの砦ブログにて近年は展開していたところである。
しかし同ブログは元からそのような目的のブログではなく、そのこともあって敵宗門批判記事のアクセスは伸び悩んでいたのが現実である。
そこで回顧録と敵宗門批判を展開する専用のブログが要請され今回再オープンの運びとなった。
現在は敵宗門批判の過去記事の再公開に向けて準備をしており、出来次第再公開することとなっている。
移管する記事は33本あるのでそれに従って本記事の連番も決定されているものである。
回顧録についてはインポートではなく元記事を元に最新の史実を反映した上で新たに上梓することとさせていただく。
あえて過去のブログと同名としたのは敵宗門の言論弾圧を明るみに出すことと、あくまで矜持を貫き敵宗門からの解放を目指して戦っていくという決意を表したものである。

ここに改めて敵宗門は最初から敵でしかなかった、敵宗門にとっても私は最初から敵でしかなかったのであるということを厳しく指摘しておくとともに敵宗門一味による引き戻しの邪悪な企みと生活妨害には決して屈しないことをここに宣言するものである。
人の生活を裏に回って塞ぎ続けそれを罰だ罪障だとやれば折れるなどと思ったら大間違いであり、そうは問屋が卸さない。
そもそも罰も罪障も天然には存在しないものでありもしあらばそれはそれをほざいている連中の犯罪行為の結果に過ぎないということがわかっている以上そんな戯論には騙されないし引き戻しは一切無駄である。

敵宗門が悔い改めて裁きを受け償いをするのでなければ、私は徹底的に戦い続ける。

追記

予定の記事32本を再上梓しました。
20番に当たる記事のみ、当面公開を見合わせます。
(2018.7.21 20:45)

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