このたび以前に開設していたブログと同名にて対宗門闘争の記事を上梓するための独立したブログを開設する運びとなった。
筆者は2015年1月に敵宗門・日蓮正宗を脱退して執筆時点で3年半になる。
現在回顧録はグループのポータルサイトにて公開しているが、対宗門闘争の独立したブログがやはり必要であるとの判断に至り、改めて開設して最新の史実に基づいて綴ることとした。
以前の同名ブログには大きな問題点があった。
それは敵宗門一味が捩じ込んだ偽りを前提に書かされていたということである。
敵一味は単なるいち雑魚に過ぎない門外漢女を「首謀者」に仕立て上げてることで敵宗門こそが真の首謀者であることを隠蔽し脱退を妨害していたのである。
当然のことながら敵宗門こそがすべてにおいて首謀者であることがばれることは即座に脱退につながり、更に全てのウソが暴かれることを意味していたからである。
実際に、今現にそのような状態になっておりその邪悪な企みが白日の下となっている訳である。
2015年6月、敵宗門一味は寺院をまたいだ徒党を結成させて襲撃を行い言論弾圧事件を惹起した。
当時はまだ脱退直後ということもあり真実の追究が十分でなかった。
そのため敵一味の捩じ込んだ虚構がそのままとなってしまっていたところを突かれたのであった。
しかしながらその後の検証において、敵一味が捩じ込んだ部分を除けばおおむね事実どおりであり問題の部分を取り除けば十分検証に耐えるものであることが判明しており、現在は先述のとおりグループのポータルサイトにて事実関係を反映の上公開している。
敵宗門一味は、私を未だ宗門に隷属させていたときにはこの部分を決して問題にしなかった。
それが脱退した途端に自作自演で捩じ込んだ虚構を奇貨として言論弾圧に及んだのであった。
つまり、未だ私を隷属させていた間は捩じ込んだこの虚構を信じ込ませることによって脱退を妨害し、更に思考停止に追い込んで真実を追及することを押しとどめていたのであり、脱退されたときにはこの虚構を奇貨として迫害して言論を弾圧し引き戻しに利用することが最初から考えられていたのである。
また、問題があるのであれば事実関係を示して訂正を求めればいいだけの話であり、その窓口となるメールフォームも設置していた。
にも拘らず敵宗門一味はこれを無視して徒党を突撃させて言論弾圧事件を惹き起こしている。
つまり奴等の目的は記事の訂正ではなく、ブログを潰しツイッターを止めさせようとしていた、それによって目・口・耳を塞いだ上で引き戻して再洗脳し抹殺しようとしていたそれが目的だったということなのである。
それを証明しているのが敵宗門工作員・齋藤英通の「ブログやめろ」「ツイッターやめろ」であり、それが敵宗門の意向を正しく反映していたということなのである。
しかし、このように暴力的なやり方での引き戻し策動に対する反感は誤魔化すことができなかったようであり、結局2015年9月を一期に敵宗門からの脱退と宗教に関与することの禁止が確定し、一家は無宗教となって今日に至っている。
以後敵宗門批判は行き場を失っていたが、シングスピールの砦ブログにて近年は展開していたところである。
しかし同ブログは元からそのような目的のブログではなく、そのこともあって敵宗門批判記事のアクセスは伸び悩んでいたのが現実である。
そこで回顧録と敵宗門批判を展開する専用のブログが要請され今回再オープンの運びとなった。
現在は敵宗門批判の過去記事の再公開に向けて準備をしており、出来次第再公開することとなっている。
移管する記事は33本あるのでそれに従って本記事の連番も決定されているものである。
回顧録についてはインポートではなく元記事を元に最新の史実を反映した上で新たに上梓することとさせていただく。
あえて過去のブログと同名としたのは敵宗門の言論弾圧を明るみに出すことと、あくまで矜持を貫き敵宗門からの解放を目指して戦っていくという決意を表したものである。
ここに改めて敵宗門は最初から敵でしかなかった、敵宗門にとっても私は最初から敵でしかなかったのであるということを厳しく指摘しておくとともに敵宗門一味による引き戻しの邪悪な企みと生活妨害には決して屈しないことをここに宣言するものである。
人の生活を裏に回って塞ぎ続けそれを罰だ罪障だとやれば折れるなどと思ったら大間違いであり、そうは問屋が卸さない。
そもそも罰も罪障も天然には存在しないものでありもしあらばそれはそれをほざいている連中の犯罪行為の結果に過ぎないということがわかっている以上そんな戯論には騙されないし引き戻しは一切無駄である。
敵宗門が悔い改めて裁きを受け償いをするのでなければ、私は徹底的に戦い続ける。
追記
予定の記事32本を再上梓しました。
20番に当たる記事のみ、当面公開を見合わせます。
(2018.7.21 20:45)