この国の支配体制について

先の記事ではおよそ3年ぶりに真実追究の筆を取り、総論としてこれまでにわかっていることを書き記してきた。
ここでは、この国の真の体制について私の見解を述べる。
また、天皇と天皇制についても後半で解説する。

この国は、企業社会主義と官僚社会主義の「二重の社会主義」によって支配されており、政治家・政党・国会などはお飾りである。
官僚・企業は米帝と閥族によってまとめられており、これらの頂点に立つのがキリスト教徒であり英国陸軍元帥である偽天皇である。
天皇は、明治維新の直後にすり替えられており本物の皇族は既にいない。
そして、米帝や完了を牛耳っているのがこの偽天皇である。
これらの手先として、国家神道(靖国神社が首魁)があり、そして創価学会、幸福の科学、オウム真理教などのカルト宗教があり、これらの中に支配層の意向によって意図的に事件を惹き起こす特務機関があると見ている。なお、創価学会については後述する。

私は、5年前の時点で二重の社会主義と権力三兄弟に気付いていたことが過去記事に明らかである。
故に敵一味に恐れられたことについてはここでは割愛する。
そこで私は、権力三兄弟とは「官僚」「マスゴミ」「企業社会主義」であると指摘している。
大体は合っているのだが、より正確に表現するならば
官僚と官僚機構
マスゴミ
企業社会
ということになる。
これらを閥族が牛耳り、そして頂点には偽天皇が君臨し、権力三兄弟の横に民衆支配の手段として宗教やヒモ付きの陰謀論者や偽被害者がいるというのが現時点での見立てになる。
下ではなく横なのは、マスゴミが権力を構成する一部であるにも拘らず支配層を構成する他の勢力からの圧力に弱いからである。
今やマスゴミは政権批判もまともに出来ず都合の悪いことは報道しないという有様である。
そしてヒモ付きどもは覚醒し真実を探す民衆の矛先を逸らし、ミスリードして真実に近づかせまいとしている。
「権力三兄弟」は五年前の見解であるゆえ、もしかすると三兄弟が四兄弟、五兄弟になったり上下関係が入れ替わる時がくるかもしれない。明日そうなったとしても何ら不思議でない。
それは、偽天皇とカルト宗教特に代替キリスト教である宗教が密接に結びついていると見られることによる。
日蓮正宗の下部団体である妙観講が事件を惹き起こした時、奴らはすぐさま圧力をかけて報道を中止させ、記事を削除させたのである。
このような圧力をかけられるのだから動画削除を自作自演するのは簡単な話なのである。
そのときの削除前の記事がこちらになる。

現在の支配層は、云うまでも無く明治維新勢力つまりキリスト教勢力に連なっている。
従って、奴らの狙いは社会の完全なキリスト教化であり、全体主義化なのである。
しかし、キリスト教の不寛容性や全体主義性は日本人の機根にはなじまないものであった。
そこでキリスト教勢力が生み出した物が、キリスト教の代わりに信仰させキリスト教的価値観を植えつけ将来的にキリスト教に帰一させるための「代替キリスト教」なのである。
古神道から改変して性的要素を取り除きキリスト教化したものが国家神道であり、靖国神社は明治維新の直後に作られた。
そして廃仏毀釈が行われ、全国の無数の仏教寺院が破却されたのである。
この廃仏毀釈こそ、代替キリスト教である国家神道を崇拝させ天皇制崇拝につなげるためのものだったのである。
そしてキリスト教的価値観や道徳を強制するための工作が行われ、一夫一婦制・家制度・家父長制というキリスト教的価値観の制度が整備されたのである。
これについて「道徳の立て直しである」などとほざいているヒモ付きがいるが、当時道徳を立て直さなければならないような状況には無く、ためにする物言いである。それを云うならば、一揆などの反抗勢力を弾圧したことを指してそのように云っているのではないのか。
このほかにも、明治維新勢力は数々の偽伝統を作り上げ、喧伝して定着させていったわけである。
その代表的なものに、明治18年に作られた初詣がある。
云うまでも無く初詣とは元日を祝うために作られたものであり、キリスト教的価値観に合わせるためのものである。
元々元日を祝う風習は日本には無く、立春を以って新年としていたのが本来の伝統である。
また神社にせよ仏閣にせよ各々に詣でるべき日取りは決まっており、それぞれに異なる日だったのであり元日に詣でる習慣など無かった。
また、現在の年越しそばも新暦つまりキリスト教歴に合わせて改変されたものであり、元々は節分に食べていたものと毎月末日に食べていた晦日そばを合造し、大晦日に食べるように改変した偽伝統である。
伝統だというのであれば新年を祝うならば立春にするべきであり、年越しそばは節分に食べるべきものである。

その捏造された価値観の浸透は都市部ほど早く、一部地方においては戦後まで江戸時代の価値観のまま残存したコミュニティがあったが、戦後レジームの中でそれも一掃されてしまったようである。

代替キリスト教は国家神道だけではなかった。
神道系や日蓮系のカルト宗教である。
通称富士門流は実質的には1400年代の怪僧、日有の数々の捏造を端緒とする異端流派であるが、元々が謀略的であったため易々とキリスト教勢力と結託するに至ったものと私は見ている。
また神道系のカルトとして大本が、日蓮系のカルトとして国柱会があり、これらは互いに結託していたと見ている。
なお大石寺門流は明治維新以後に日蓮宗興門派に組み込まれ、1900年に分離独立で日蓮宗富士派と名乗り、1912年に日蓮正宗とその名を改めている。
日蓮宗興門派とは、明治政府がその方針により日蓮系宗派の中でも日興を派祖とする流派を束ねたものであり、日有門流と決別した他の富士門流系宗派は、現在では日蓮宗(主流・身延)に束ねられている。興門派であった寺院は興統法縁会に属するものが多い。

天皇制は明治維新勢力によって捏造されたものであり、日本本来の天皇の存在意義とは異なるものである。
天皇制では天皇を「現人神」として崇めていたが、「現人神」こそキリストのことであり、これを鋭く指摘していた作家があった。幸徳秋水である。
幸徳秋水は、天皇制はキリスト教であるという鋭い指摘をしていた。しかし、故に明治政府に敵視されるようになり、疑獄事件によって処刑されてしまったのであった。
そして、その肝心の天皇は明治維新に際してすりかえられた偽皇族であると云われている。
江戸時代は、幕府が実権を握ってはいたが、その長たる将軍は形式上ではあるが朝廷から将軍職に任ぜられていた。
やはり明治維新勢力がキリスト教化のためにスリカエたのではなかろうか。
何故なら古来天皇皇族とは仏教徒であったからである。
また、天皇は英国陸軍元帥である、生きた天皇は偽物であるというのは今や特別な情報ですらない。
やらせによる戦争が終わると、天皇は人間宣言なるものをして無力化をして逃げおおそうとしたのである。
しかし、これは権力のロンダリングであり天皇を疑わせないための偽装でもある。
そして、秘密選挙による形だけの民主主義制ということにして、お飾りである国会や政治家、政党が治めているように偽装することとなったのである。
従って、今でもこの国の最高権力者は天皇皇族なのであり、国会でもなければ内閣でもない。
その天皇の権力の源は何か。それは、米軍の駐留なのである。
つまり、正規軍を作らせないことによって天皇の権力は成り立っているということである。
正規軍を作れば、その兵力を以って天皇の権力を脅かすことになりかねないためである。
天皇は、「米軍の撤退だけはダメだぞ」と官僚(高官)に命じたそうである。
しいては天皇には米軍を牛耳るほどの権力があるということにもなるのである。

明治維新から60年余り、一つの支配層団体が作られた。
その名を創価教育学会といい、その設立に日蓮正宗が関っていた。
創価教育学会は、現在の創価学会の前身であり、設立当時は支配者層の集まりであり教育者の集まりでもあった。
実際、創立メンバーにはそうそうたる面子が名を連ねており、現在の創価学会がHPで自慢するほどである。
創設者とされる牧口常三郎はクリスチャンであったといわれているが、このことがこの団体の正体と真の目的を雄弁に物語っている。
日蓮正宗が関っていながら初代代表がクリスチャンであること自体、この団体がキリスト教支配層の集まりでありこの時点で日蓮正宗も完全に代替キリスト教と化していたということである。
もとより富士門流時代から数々の偽作贋作を繰り返してきた宗派であり、キリスト教的価値観に合わせて御書を改変することなど朝飯前だったのである。
翻って現在の両団体とも日蓮ふうキリスト教そのものであり、他の傍系団体においてもそれは変わらない。
戦後になって創価教育学会は戸田城聖が創価学会と改めて凄まじい活動によって会員数を増やした。
この戸田も怪しい男で、岸信介が友人だったというではないか。
現在形の上では創価学会が破門され対立しているかのように見せかけているが、これには裏がある。
創価学会の不法行為が一般から見てあまりにも目に余るようになり、このままでは日蓮正宗も同様の危険な団体と見做される(実際そうなのだが)危険があったこと、また対立を煽ることに信者操縦法としての旨みがあることにより、裏で申し合わせて茶番を繰り広げ、表向き破門したことにしたのである。
その後大石寺に街宣右翼が押し寄せたが、この街宣右翼もまた大石寺の警備側もプロレスのようなことをやっていたのである。
街宣右翼は昼間だけ吼えて夜は宿坊で寝ていたといい、警備側は右翼のいない夜だけ見張りに出ていたというのである。
その後、大石寺の境内地にあった、創価学会系の富士美術館が撤退することとなったのであるが、本当に対立しているのであればこんなおいしい陣地を易々と手放すわけは無いのである。何しろ敵宗派の境内地にあるわけだから。
そして、美術館の敷地建物は宗門に返還される事となり、現在は宗門が宝物殿として使用している。
従って、この返還に際しては宗創の間に必ず話し合いが持たれたはずである。つまり、破門は表向きだけで、実際には裏でつながっているということになる。
更に、宗門側の某寺院が自爆発言を行った。
それは、創価の大幹部は学会葬をしていないというものである。
では、その大幹部は誰が葬儀をしているのか?
しかし、それについて当該寺院は答えていないのである。
つまり、それは答えられない内容なのである。
どういうことか?大幹部の葬儀は宗門の高僧が執り行っているということに他ならない。
更に、某週刊誌に掲載された池田大作の「日顕上人にお会いしたい」発言の暴露が、裏でつながっていることを雄弁に物語っている。
もし本当に対立しているのであれば、間違ってもそのような言が口を突いて出ることは無いのである。
以上より、今でも宗門と創価、強いては鶴丸四宗派は裏でつながっているものであるといえる。
顕正会もまた、両団体にとっての叩かれ役、デコイの役回りを引き受けているものであり、対立は表向きだけなのである。
尤も、真相を知っているのは一部の大幹部だけなので、中級クラス以下の者は対立しているものと本気で思い込んでいる。この点には注意が必要である。

今や皇族にも創価学会員がいるということであるが、そもそも学会は支配層の集まりなのであるから官僚が居ようが皇族が居ようが何ら不思議なことではない。
偽天皇偽皇族はキリスト教勢力なのであるから、まさしく仲間同士なのである。
従って、創設以来創価学会はキリスト教支配層の集まりであるのであり、日蓮正宗から見れば今でも傘下団体、別働部隊なのである。
支配層の集まりを牛耳っている時点で相当の権力であり、もしかすると権力三兄弟に並び立ち得るのが宗門なのかも知れぬ。メディアに圧力をかけるなど朝飯前な訳だ。
少なくともこんな宗教にカネを出すことは無いのである。
何でも破門直後の信徒の少ない時代でも高級の法主専用車で移動していたというから、実際には学会からかなりの資金供給を受けていたに違いない。
貧乏人の信者がわざわざカネを出さなくても宗門には有り余るほどカネがあるのだからカネなんか出すことは無い。
まさしく坊主丸儲けである。

ヒモ付きは創価を叩いてもその親玉である日蓮正宗・宗門を叩かない輩が多い。これに該当していたら、ほぼヒモ付きであると見て間違いない。それは創価をデコイにして真の画策者を隠蔽する輩に他ならないからである。

ではおさらいしよう。
官僚社会主義を構築する官僚機構、企業社会主義を構築する企業連合があり、これらの下僕、大本営発表機関としてマスゴミが存在する。
そして民衆を誑かし的ずらしして支配する(We fool you)国家神道などの代替キリスト教があり、支配層の集まりである創価学会がある。創価学会は今でも日蓮正宗宗門が牛耳っている。
これらを閥族がまとめ、そしてその頂点に偽天皇偽皇族が立つ。
これが現在の日本国内の権力構造であり、アベルフなどその下僕でしかない。
いわんをや国会も政治家も政党も全てお飾りであり、選挙など奴隷が自分で決めていると錯覚させるための権力装置に過ぎない。

私は、遠い日に消費者が消費者責任を果たせば企業社会主義は潰せると書いた。
利権だって消費者が消費者責任を果たせば潰せるだろう。
つまり消費者責任とは不必要なもの、利権まみれのもの、有害なもの、身の丈に合わないものに手を出さないことである。
然るに、メディアとは支配層のための大本営発表機関であるからメディアの言うことを鵜呑みにしていてはいけない。
メディアは「欲しい」だけのものを「必要」とすりかえるのが大の得意である。
したがって、欲しいものと必要なものの区別を厳密につけることが消費者責任を果たすには必要である。
消費者責任を果たせないのはメディアスレーブだからである。
権力装置を止めたければ、無駄なものにカネを出さないことであり趣味ごとやレジャーを止めることである。

あなたが無駄遣いしたカネが、回りまわって権力システムを回し続けていることになるのである。

今のチャンネルを始めた時に投げたツイートを貼り付けて本稿を締める。

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敵宗門の動向について 2016.12.24

敵宗門における人事において、不倶戴天の敵人ふたりが日蓮正宗の管長たる早瀬日如から幹事に認証されていたことが判明した。
幹事に認証されるということは工作員の中でも精鋭であると認められたことを意味することで、当家としては予想の範囲内であるもののその持つ意味は決して小さくない。

また、この録事からこれまた不倶戴天の敵人である山崎が講頭職を降り、傀儡である秋山が講頭になったことが判明。
秋山は直接の敵人でこそないものの、石之坊講員である時点で私にとっては敵であるので、ここでも敵として扱う。
講頭を降りた山崎がかなりの高齢であり、Xデーに備えた人事であるとも取れるが、いまだ役員として認証されている状態であり、実質的には山崎による院政であると見ていい。
ここで謂う不倶戴天の敵人ふたりとは、謂うまでもなく龍神と門外漢女のことである。
門外漢女は実権こそ持たないものの石之坊における謀略の鍵を握る人物であり、山根、山崎らの命によって私に対する謀略の実行に当たったと当家では見ている。
私が引きずり込まれたよりも後から来た人物であるので、それ以前は山崎が直接手がけていたもの、山崎では出来ない交際類似行為などをこの門外漢女にやらせるようになったのであろう。
いずれにしても、これらの者が認証されたということ自体が日蓮正宗という宗教の謀略性を雄弁に物語るものであり、脱退の判断が正しいものであることをも証明するものである。

もう一つこの録事で重要なのは、龍神の本名が載っていること、および龍神のウソが白日の下にさらされたことである。
龍神はあの忌まわしき迫害の日、偽名を使って迫害を行い更に門外漢女が幹部でないとウソをついたのであった。
幹事に認証されるということは単なる役職とは意味が異なる。つまり、長いこと役職になければ幹事としては認証されないからである。つまり、門外漢女は2010年4月1日に横浜支区長に任ぜられて以来今日まで石之坊で役職の座にあったということであり、龍神はあの日ウソを使って私を脅したことになるのである。
なお、石川と中村については私の知らない人物でありここで語れることは無い。

門外漢女は私に対する謀略の功によって役職に任じられたというのが私の見方であり、石之坊脱退の日私が門外漢女の証人喚問を要求したにも拘らず石之坊サイドがこれに応ぜず、結論だけを押し付けて紙切れ1枚で追い出し門外漢女に証言をさせずこれを守った理由に通ずるものである。
つまり、石之坊におけるすべての事件は決して個人では起こされておらず、そのすべてが寺ぐるみ、講ぐるみ、宗門ぐるみであったということである。門外漢女が威迫によって真実をポロッとしゃべってしまうという事態を石之坊は恐れていたということになる。つまり、この真実がわかってしまえば直ちに石之坊のみならず日蓮正宗からの脱退につながってしまうからであり、2010年4月の時点での(宗門からの)脱退は何としても防ぎたかったというのが宗門側の偽らざる意向であったということになる。翻って当家の視点から見れば、この時点で宗門からの脱退を果たせていれば今日のような惨状は無かったし以後に惹き起こされた交際類似事犯も無かったということになる。
龍神による迫害が石之坊サイドの狼狽を表しており、石之坊サイドが私の筆に狼狽するということは私の推測が図星であることの表われであり、決して私の類推が的外れではないということになる。
それと、門外漢女は工作の任に任ぜられた時点で私から追及の矛先を向けられる危険性を承知していたはずであり、また石之坊サイドからいざという時には守ってもらうという約束を取り付けていたはずである。そうでなければ、あとから追及の矛先を向けられるようなリスクのある任務を易々とは引き受けないはずである。また、宗門に追及の矛先を向けられないためのデコイとして利用することを予め承知していたはずで、したがって門外漢女は決して傷ついてもいない。何故なら最初から謀略のための色仕掛け、交際類似事犯であり、相応の報酬、キックバックを受け取っていたに違いないからである。傷ついた振りをして涙で支配するのは悪いハラサーのやり口だ。
無論門外漢らは加担者や与同者の類であり首謀者ではない。また、門外漢女は全体構図から見れば最下級の戦闘員、ザコでしかない。龍神でやっと中ボスクラスである。
首謀者は宗務院の中にいるのではないかというのが当家では専らの見立てとなっている。

問題の旧回顧録ブログの内容は、敵宗門による創作であり、これを汚い手段で思い込ませて書き急がせたものである。再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、これがあとで敵工作員の龍神によってカモにされたということである。
いまだ宗門に隷属する間は宗門に矛先が向かないための的ずらしとして最下級のザコをデコイとして叩かせることでガス抜きとしてこれを利用していたものであり、また(宗門にとって)不本意にも脱退された際には迫害の理由作りとしてこれを利用することが予め予定されていたものであると見られている。
他にもヒモ付きの偽被害者などによる的ずらしのための情報が当時はまかり通っており、これも併せて敵一味のために利用されていたということである。
実際問題、いまだ宗門に隷属させられていた間には宗門も石之坊も問題のブログに対してアクションを起こすことは無く、宗門の意に反して私が脱退してからそれが行われた訳でもある。
なお、迫害事件の詳細については追ってポータルにて扱う予定である。
したがって、旧回顧録ブログについては公益に適わないばかりか私にとって害悪でしかないとして、永久に削除することになったものである。
その後の新しい回顧録についてはその後に判明した最新の史実によるものとして鋭意執筆中である。

話を録事に戻すと、この録事を見る限り龍神は石之坊においてナンバー4かそれ以上の地位にあるということになり、会計職が大した意味を持たないことと併せても現在の石之坊における中心的人物になっているということになる。
したがって、このこと一つ取っても石之坊、しいては宗門そのものが私にとっては相容れない輩であり敵であるということを意味するものである。
よって、あの日石之坊が取った龍神を派遣して脅迫し強引に引き戻しを謀るという手段は私の心に消えようの無い大きな傷を付けたという点で大失敗であったと言わざるを得ない。少なくとも功徳なる物がただのまやかしであることを知った人物に対して取るべき手段ではなかった。
石之坊は後々大きな代償を払うことになるであろうから覚悟しておけ。

いずれにせよ、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは宗門を首魁とする敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。

奴らが罰だ罪障だとしているものの正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回したことによる奴ら自身による自作自演、マッチポンプの産物でしかないから騙されてはいけない。
そもそもが罰論を先としている時点で罰だ罪障だといってありもしないもので脅しをかけて煽る脅しの宗教であり、キリスト教とやっていることが違わないのである。
その宗門はキリスト教的価値観をいくつも受け入れており、代替キリスト教であるといって差し支えない。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っている時点でキリスト教に与しているものであり、宗門刊行の破折書(つまりディベート指南書)にキリスト教の破折が載っていないことが、キリスト教の子分であることを雄弁に物語っているのである。

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今更だが、これまでにわかったこと 2016.12.19

忌まわしき宗門から脱退してもうすぐ2年になろうとしている。
そういつまでもグダグダしているわけにも行かないだろう。

という訳で、まずは記事執筆が停滞している間に判明したことを列挙してゆく。

・この国に民主主義というものはそもそも存在していない。秘密選挙とは不正前提のシステムであり、民衆に自分で決めていると思い込ませるための装置である。
・明治以降の天皇、皇族はすりかえられており本来の皇族ではない。日本人ですらない。
・ほぼすべての陰謀論者は、的ずらし、真実隠蔽のために存在している。
・この国の権力を掌握しているのは国会でもなければアベルフでもない。まして自公でもない。偽天皇と官僚と企業と閥族である。
・偽天皇は象徴ではない。それは悪質な無力化偽装であり、民主主義というありもしないものを偽装するためのまやかしであり、現在でも天皇が最高権力者である。
・偽天皇の先は国際秘密力に繋がっており、この国はその手先が多数蠢いている。
・不倶戴天の敵である宗創医連合軍もまた、国際秘密力の手先若しくは一員である。
・以前にも書いたとおり、この国は官僚社会主義と企業社会主義という「二重の社会主義」で支配されており、これらを閥族がまとめ、その頂点に偽天皇がいる。この「二重の社会主義」を打ち破らなければ未来はない。
・まともな宗教というのは今日では殆ど存在せず、殆どが支配層の手先として「二重の社会主義」を動かし続けるために民衆を欺いている。
・集団ストーカー、所謂「集スト」とされている情報の殆どが真実をすり替える為のウソでたらめで占められており、ネットにいるのは殆どヒモ付きの偽被害者である。このヒモ付きどもは、真の主導者に追及の目を向けさせないために創価や公安などをデコイに仕立て上げて叩かせているものであり、BMIの主導者はこれらではない。
・敵一味は、他のヒモ付きを使って今日の不幸な境涯に至った原因をスリカエて「女ども」をデコイにしてそれを叩かせ責任を有耶無耶にしようとしていた。それには様々な理由付けが成され、しまいにはキリスト教的価値観を盾に「反日」「パヨク」などのレッテルを貼って叩かせようとするヒモ付きまで動員されていた。
・然るに、すべての縁を遮断し分断していたのは他ならぬ敵一味宗創医連合軍であり、奴ら「だけ」が100%、一方的に悪い。
・このことを無視して大局ばかりに目を向けさせようとする輩は今日の事態に至った原因をスリカエてガス抜きを行い引き戻しに寄与しようとしていた者であり、真実を捻じ曲げる許されざる犯罪者である。実際、この者についてはツイッターポリシー違反に当たる、宗門関係者をフォローしていたことが発覚しており、繋がりがあったものと思われる。更に、後述するキリスト教的価値観の偽伝統の信奉者であった。
・明治以来この国にはキリスト教的価値観がはびこり、形を変えたキリスト教的価値観によって支配されている。
・私を有史以来苦しめてきたのはキリスト教的価値観とそれによる社会であり、敵一味もその一員である。
・今伝統とされているものの殆どは明治以降に作られた「捏造」であり偽伝統である。そのほとんどはキリスト教的価値観がベースである。
・カルト宗教の多くは形を変えたキリスト教=代替キリスト教であり、敵宗門もその一員である。
・一時期真実の追究が停滞していた原因は偽陰謀論者であり、敵一味のBMI悪用犯罪によって誘導されていたものである。しかもその陰謀論者は敵一味とつながりがある輩だった。
・敵一味の中心的存在である不倶戴天の敵・日蓮正宗は人権や自由を否定する全体主義集団であり、「総体革命」はその法主の命令によるものである。機関紙でも、たびたび個人の人権や思想の自由などを否定する発言や記事が掲載されていたほか公式の場でも法主が度々斯様の発言を繰り返していた。

なぜ記事執筆は停滞したか

各論については各々記事を起こして論ずるとして、何故これまで記事執筆が停滞したかについて説明しておく。
2014年1月以来であるから、もう3年近く真実追究について記事を起こしていないことになる。
勿論停滞していたわけではなく、追究の場がブログからツイッターに移行していたこと、またその間に多くの思想の変化があったことが主な理由である。
正確に言うと、2012年のイカサマ選挙(これについては追って記事を起こす。)以降やる気が失せてしばらく停滞していたのであるが、その原因に敵のBMI悪用犯罪と偽陰謀論者があった訳である。
先に書いた「二重の社会主義」というものに、4年前の時点で既に気がついていたのであるが、これに「偽天皇」を加えれば先に書いた答えになるわけで、当時としては画期的な発見であったともいえる。また、それが故に敵に恐れられる原因にもなっている訳で、それで再度真実追究から目を逸らさせようとしてBMI悪用による心理操作が発動されたものであったと見ている。
尤も、ちょうど人工透析に向かって転落させられていた時期ではあるが、そのこととはあまり関連性はなく、真実の追究とは関係なく計画通りに転落の策謀は進められていたと見るのが正しい。何故なら、最初から幸せにする気など敵側にはなく社会的抹殺を目的として奴らは動いていたからである。

真実の追究が再び動き出した端緒が、2014年にあったネット上での戦闘が終結したことであった。そして程無く聖域なき見直しが始まり、真の聖戦の火蓋が切って落とされたのであった。
動き出してから最近まで、専らツイッターを活動の場としていたという事情がある。
更にその間多くの発見があり、それによって多くの思想、心境の変化があった。
探せば探しただけ情報があり、めまぐるしく日々それらが変化し続ける中で記事を起こすことは難しいものだったしまた適当ではなかったというのがある。
更にその間には脱退を巡る敵一味との軋轢やその迫害などがあった訳で、そんな中で安定して記事を起こすのは難しかったということである。

また、敵一味によるBMI犯罪によって記事執筆からスピンさせられ妨害されていたという一面も少なからずあった。
ブログはツイッターよりもある一面においてははるかな強力な武器になりうるしツイッターに信用を与える物でもあるからである。
しかも当方はWordpressを使っており、強力な伝播力を有する。
その伝播力は問題のブログで証明済みでもあり(藁)。

未だ散発的な戦闘は発生する状況だが、荒廃からの整備が進み漸く落ち着きを取り戻しつつある。
漸く、記事を書ける態勢に戻りつつあることもあり、これ以上停滞しているわけには行かない。

最近で最も大きかった発見は、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論少年時代の理不尽且つ苛烈ないじめも敵一味の指示によるものであり、不幸を作り出し宗教に引きずり込むために惹き起こされたものであったのである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。このことについては別ブログにも同様のことを書かせてもらう。

敵一味の動向について

現在の薄汚い辺境の地に誘導していたのも敵一味であり、奴らはすべてを知っていて私には知らせない、知られないように汚い手口を使いながら誘導していたのだ。そして奴らは「本人に知らせてはいけない」という危険な手口を講内においても、また宗外の他者に対しても使っていたのである。創価が使っていると書かれることの多い手口ではあるが、その大元は創価ではなくその親玉である宗門だ。
奴らは私を宗門につなぎ止めておくためにウソの情報をBMIで流し思い込ませて書き急がせた。そして宗門に隷属の間は決してそれに手をつけることはなかったが、度重なる見直しにもこれを削除させず、削除しても再度焚き付けて書き直させていたのである。汚い手段によって。
そしてその意に反して私が脱退の動きを見せると汚い手段で行動を改変し、郵便で済ませるべきをわざわざ交通費を使わせて本山宗務院に向かわせるという所業に出たのだ。それによって不要な軋轢までもが生み出されたが、敵一味は私を別の寺院に再度繋ぎとめてそこで同様に人格破壊工作を続けるつもりだったのである。しかし、私が真実を追及する姿勢を見せると寺院側は断りの電話にもまともに対応しないなど不誠実な態度に一変したのである。
この頃からツイッター上の法華講員どもの中に態度のおかしい者が現れ出し、また奴らがネット上でいじめのようなことをしているのを散見するようになった。そんな最中で石之坊の者による言論弾圧迫害脅迫事件が惹起したが、脅迫で書かされた物は無効であること、人権侵害に当たるものは無効であることを確認し、再び書き出すこととなった。
電話での再度の脅迫にも私が動じないと見るや、敵工作員はその電話を一方的に切り(しかも自分でかけてきておいてだ)、約10日後に山根と思しき風貌の者が威圧にやってきたのである。これは居留守で凌いだが、被害者の中には間違って応対してしまいあまりの恐怖に電話に出れなくなってしまった人もいるというから質が悪い。
今日では敵一味の策動には対応しないのが最良の対応であると決しており、宗教には一切対応しない旨告示している訳である。もしかすると工作員が雑踏で突っ込んでくる可能性があるが、その際には実力でこれを排除することも辞さない。
それにしても声を上げるべき人に声を上げさせないようにする脅迫的手段を平然と使うというのはどこまで狂った宗教なのか。
私は今後金輪際この狂った宗教とは関りたくないし二度と戻らないから引き戻し策動は無駄であり却って行為者自身の顔に泥を塗るだけの結果になる旨強く警告しておく。
よもや再三再四のBMIによる心理操作によってもついに引き戻すことが出来なかったことを忘れたとは言わせないぞ?

最後に、陰謀論業界について

陰謀論業界には正義が存在しないことを確認した。
とある陰謀論者の動画があったが、これが利用され不要不急のものに手を出させられた。
敵一味に利用されるということは敵一味に都合のよい者であり、これは離れるべき者であるという判断が直ちに働いた。
これによりヒモ付きでない陰謀論者はいないことになり、完全に全滅である。
陰謀論者の記事や動画は見るべきではないとつくづく思ったものである。
特に動画にはテレビのような魔力がある。だから見てはいけない。
削除されたと騒いでいる者がおるが、これは内輪の演技で出来レースだろう。
この手口はかつて宗門宣伝工作員の樋田容疑者が使った手口でもある。

ヒモ付きについてその特徴を述べ、本稿を終わりにしようと思う。

・以下の項目に一切触れないか、避けるようにしている輩。
 キリスト教による支配と価値観・伝統の改変。
 和風・代替キリスト教の存在とそのカルト性。
 放射能・被爆による被害を認めさせることと移住の必要性。
 医療利権や自動車利権など偽天皇に繋がる利権の追及。
 秘密選挙が不正前提であることと、民主主義を偽装して奴隷に自分で決めていると思わせるためのからくりであること。
 何重にも敷かれた社会主義的制度(二重の社会主義)。官僚社会主義と企業社会主義、その上に閥族政治と偽天皇。
これらに触れないようにしているのはヒモ付きの証だといっていい。
(以上、小生のツイートより)
・上記のテーマについて触れてはいるが、その具体的な内容には突っ込まないなどしている。
・的ずらしや、デコイを叩かせるようなことを行い、真の画策者に矛先を向けさせないようにしている。
・いかにも被害者の振りをして、愛国やネトウヨのような発言をしている。
・後からなら何とでも謂えるのをいいことに、わざとらしい演出をしている。
・明治~昭和前期までの価値観を依教としていたり、この時期にキリスト教的価値観によって作られた偽伝統を信奉している。
・人格破壊工作を「集団ストーカー」と言い、創価学会の仕業であると決め付けている。
・なんらかの宗教を標榜し、或いはなんらかの宗教に帰依している。
・拉致被害者奪還を叫んでいる。(これは支配勢力による自作自演であり、北朝鮮はデコイだ。)
・特に偽被害者系やネトウヨ系に多いが、被爆被害をデマ呼ばわりして復興を叫ぶ、避難移住を押し止める、原発再稼動や核軍備、軍備増強を叫ぶ。
・やたらと日の丸や旭日旗、桜を背景やヘッダーに使っている。
・創価学会を叩いてその親玉を叩かない、或いは統一や日本会議、天皇制を叩かない。特に偽被害者系のヒモ付きに多い。
・繋がっている事象をわざわざ分断して考えさせようとしている。

これらに一つでも当てはまっていたら信用しないようにしたほうがいい。

次稿からはこれを踏まえて各論に移行して説明していきたいと思う。
なお、回顧録は当サイトでやるが宗門批判は主に砦ブログで行うこととするのでご承知いただきたい。

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雑感 2016.12.4

昨年1月にあの忌まわしき宗門を脱退してからもうすぐ2年になろうとしている。
形の上では既に事後処理を行うなどして切り離しているが、敵一味は今もあの手この手で生活やプロジェクトに対する妨害や嫌がらせを仕掛けてくる有様である。
しかし、今大切なのは復興と未来への準備である。

あまりにも厳しすぎる現実に目が覚めたのは14年8月のことであった。
03年に引きずり込まれて以来11年にも及んだ忌まわしき宗門での日々。
その11年で良くなるどころか逆に取り返しの付かない状況にまで追い込まれていたという現実に疑問を感じた訳である。
そしてそこから「聖域なき見直し」が始まって参詣をやめた。
聖域なき見直しの結果、同年11月に鉄道趣味を破却。
これが最初からあったのか敵一味によるスリコミの産物なのかは今も不透明で今後も解明は難しいが、真実の追究からスピンするために焚き付けられ利用されたことを重大視したものである。
この時敵一味は激しく激昂したのか、もう一つの問題であった宗教問題についてあらぬ結論「だけ」を押し付けようとしたのだ。あまりにも急な押し付けは、私の推理があまりにも図星であったために敵側がこのままでは宗門からの脱退につながると狼狽したことの現れであったのだろう。しかしこれは破られ、翌15年1月10日に宗門からの脱退が決定したのであった。

そこから今日に至るまでの過程は決して平坦ではなかった。
脱退(離壇)に当たっては宗門か寺院に文書で通告するのであるが、これを郵送とするべきところを行動を改変されて本山まで無駄足を運ばされたことが更なる軋轢を生んだ。
郵送されてはそれで離壇の手続が終わってしまい引き戻しが利かなくなるので、行動を改変したのだ。
敵宗務院は脱退通告を受け取らず、私を別の寺にたらい回しにしようと画策したのである。しかし、どこに行っても同じになるという思いが私の中では既に支配的であり、これを真実追及の絶好機と見て真実を問いただす姿勢を見せた。
すると敵側は態度を一変させ、それが極めて不誠実な態度に現れたのである。
恐らく敵宗務院は法道院に誘導し、そこで前の寺(法悦院)と同じように巧みに追い込もうという腹積もりだったのであろう。それが却って真実を追及する姿勢を見せられたことは、敵にとって今までのやり方では騙せなくなったこと、それと同時にこれまで重ねてきた敵側のウソが風前の灯であること、そしてこのままでは全てが暴かれる日が近いことを意味したのである。
この時点で敵宗務院は法道院での再洗脳を諦め、強引な手段で法悦院に引き戻すという決定を下したようである。

そこで敵宗門が取ったやり方は極めて邪悪なものであった。

同年6月14日、寺院をまたいだ敵側構成員数名(少なくとも4名以上。監視カメラ画像による)が、自ら捩じ込んだウソである門外漢女主導説をネタにブログ記事の訂正ではなくネット、ブログ、ツイッターなどからの引き離しを目的として脅迫のために押し掛けてきたのである。
これにより当該ブログは閉鎖させられたが、残るメインサイトや当ブログ、ツイッターなどは身命を賭して守り抜いた。
その後問題のブログの内容は敵一味が汚い手段を使って捩じ込んだウソでたらめであり、真相の発覚を防ぐために汚い手段で思い込ませて書き急がせた物である事が発覚した。
押し掛け事件の以前にも何度も見直しをかけていたが、閉鎖も訂正も妨害されていたのである。
更に、一度は閉鎖を敢行していたが再度書き急がされていたものである事も発覚している。
つまり一家執行部でも度々疑問視されるような代物であったということである。
そのような流れの中で、敵一味は私が未だ宗門に隷属させられていた時には一切手を付けなかった。それは、このウソの内容が私を宗門にとどまらせておく為に作られた物であり、それが破られて脱退を図られた際には脅しのネタとしてこれを使い暴力的手段で引き戻すことが当初から考えられていたのである。つまり、私が宗門にいる間は宗門に留めておくためにそれを保持させる必要があったということである。

敵工作員は、(法悦院に)「戻ったほうがいい」などと嘯いていたが、私はそれを拒んだ。
しかし敵は、敵一味自らが行った風評工作をネタにしてまで、「宗門には戻らない」という決定を見直させようとしたのである。更には近隣の別寺院への誘導を、汚い手段を持って画策しようなどという企みもあった。
しかし、結局は6月の脅迫事件が問題視されたことにより、同年9月22日に宗門からの脱退が確定したのである。

脱退に伴う事後処理は遅々として進まず、それに手が付いたのは年が明けて16年の2月になってからであった。
事後処理に先立って、足手まといとなっていた宗門書籍を処分した。
本尊、過去帳や(偽書だらけの)御書などの一部は小包で寺に送り返し、脱退済通告書を寺に郵送して離脱の正式な手続とした。同時に押し付けられた古い仏壇と壊れかけていたブラウン管の処分の計画を進め、これらを同年3月に実施した。
聖域なき見直しの開始からここまでで既に1年7ヶ月の歳月を要しているが、これは明らかに敵一味の妨害による産物であろう。

漸く隷属にピリオドを打ったが、永きに亘る隷属生活で一家本部内は荒廃が著しかった。
この8ヶ月余りその立て直しに注力してきたわけであるが、それは最終目標ではない。
立て直しはしても薄汚い地は薄汚い地。恥辱の地は恥辱の地に過ぎないのだ。
やはり移住を果たさなければそれは復興したとは言わないのである。
従って、新天地プロジェクトはこれからが本番であるといわねばならない。
幸いにして、整備するべきものは既に終了しておりレンズについては稼ぐまで凍結の措置を取っているが一応の体制は整っており当面の活動に支障は無い。
よって、2017年は新天地事業を確立し移住を決定付ける戦いの年であるということになる。
そしてここ2年ほどの不本意を雪辱しなければならない年でもある。
同時に2018年の移住に向けての勝負の年ということにもなる。
移住を達成するためには手段を選んでいてはいけない。
そのため、第二第三の手段を考えているのは云うまでも無い。
尤も移住先についてはまだ構想が固まらず、現在も検討中である。
宗門に壊された自分の人生を取り戻す戦いはまだまだこれからなのである。
邪魔したら最後、消されるだけ。

年の瀬なので触れておくが、一家には新年を祝うという概念が無い。
何故なら新年を祝うというのはキリスト教の考え方だからである。
1月1日を新年として祝っている宗教は漏れなく代替キリスト教であるといって差し支えないと思う。
この半生はキリスト教的価値観に苦しめられてきた人生でもあった。故に一家ではキリスト教的なものを徹底して嫌うのである。
一方、昨年より一家では4月始まりの年度制を採用しており、4月からと10月からのそれぞれ半期ごとに戦略を定め計画を練って物事を進めている。
従って、いま年の瀬であってもそれは形だけで、半期ごとの計画に沿って進めているゆえ新年は単なるキロポストでしかないということになる。
よって新年の挨拶の類は今後とも一切ご遠慮願うことをご諒承いただく。

なお、移住に賛同しない者との交際交流については規制対象となり厳しく取り締まるのでそのつもりで。

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雑感 2016.11.23

ここ数年ほど、敵一味によってグルグル思考にさせられた影響で正常な判断が出来なかったことが多く、そんな中で解放聖戦を戦わねばならない状況が続いていた。
これまた敵一味によって偽陰謀論なんぞというものに誘導されていた影響による思考停止もある。
真実の追究においては偽陰謀論を偽物と見抜くことから始まっているという側面があり、偽陰謀論からの脱却は一つの重要課題だったのである。

真実の追究が進んだことにより、ここにきて漸くグルグル思考から抜け出す事となり、過去の闘争に対する正当な評価が出来るようになってきた。
過去の闘争においては敵一味によって真実の追及からスピンされていた影響や姑息なスリカエの影響もあり、かなり遠回りさせられていた節も多分にある。
しかし、そんな最中でも過去の闘争があったからこそ現在の体制があるのであって、まるっきり無駄なわけではない。
何年も不変のものなどそうそうある訳は無く、時流によって考え方も思想も変化してゆくべきものなのである。
従って過去の闘争を評価する際には当時の時代背景を正しく認識してその上で評価するべきものであり、その上で正しかったものは評価し過ちは消去するということが必要である。
従ってそもそもバイクというものが闘争の具になること自体がおかしいのであるが、それは敵一味による姑息なスリカエに起因するものであってバイク自体が悪いということではなく、従ってバイクについては名誉回復が行われたものである。

そもそも闘争が始まった原因は敵一味のほうにのみ一方的にあるのであって、奴らが絡んでこなければ必要の無かったものである。
あの忌まわしき宗教に引きずり込まれて以来、搾取と軋轢にまみれた日々が十年余りに亘って続いてきた。
それはいわれの無い迫害であり、敵はその真の画策者を隠蔽するために闘争の焦点をずらしスリカエてきたのであった。その結果、闘争の真の目的であるべき支配者からの解放つまり宗門からの脱退は長年に亘って遠ざけられてきた。
今日でも形の上では切り離しているものの敵一味は有形無形の策謀を以って不当に粘着を続けており、復興の大きな妨げとなっている。

そもそもグルグル思考を持ち込んできたのも敵一味であり、それは私が再び力を付けないようにという奸計によって、悪辣な思考誘導を繰り返しその度に違う方向に誘導することで無意味に売り買いを繰り返させて殊更にハタカセていたのがその正体であった。
ハタカセるだけでなく、生活の安定をさせないという側面もこの奸計にはあった。
生活が安定することは、敵宗門の存在が不要になることをそのまま意味していたからである。故に、敵一味は私の生活が安定することを殊更に嫌っていたのである。
実際、今月奪還したばかりのレンズに対しても敵はあらぬ吹聴を仕掛け揺さぶりをかけてくる始末である。しかし、そのやり口がいつまでも通用すると思ったら大間違いである。
成り行きはともかく、一度買ったものは基本的にはそのまま使い続けるべきという考え方が一家には既に定着しているので無駄である。

グルグル思考によって失わされた物の中には、持っていればそれなりに役に立っていた物が多く、後に買い直させられる羽目になった物もある。
そのまま取り返すのが適当でない物や不要な物もあるが、基本的には復興の進展に従って取り返すべきものが多い。
時代や情勢の変化によってそのまま取り返すのが適当でないものは形を変えて奪還することになるのは云うまでもない。
今後は復興の進展に従って時流に合った形で奪還を行うことになろう。

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皮肉にも、東日本大震災はその真実追究への扉を開くこととなり、そこから今日に至る、真の闘争の歴史が始まっている。
初期の追究の中で私は、企業社会主義による民衆支配を見抜くに至っていた。
しかし、偽陰謀論に誘導されたことによって思考は停止させられ、真の目的は妨げられることとなった。
敵一味にとっては、企業社会主義を見抜いたことが殊更都合が悪かったようである。
元から民主主義などというものはこの国には無かったということであり、民主主義の偽装によって支配者がその正体を隠していたということを私は見抜いている。
敵宗門も支配勢力の一員であり、そのことを暴かれるのは勿論それを広められてしまうことが殊更に都合が悪いようである。
ただでさえ敵宗門は布教が行き詰ってその打開に躍起になって坊主の締め付けなんぞに走ってるようだからな。

しかし、敵宗門にとってもっと都合が悪かったのはその宗門こそが私にとって不倶戴天の敵であることを見抜かれたことではなかっただろうか。
そのためか、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると掌を返したように不誠実な対応をするようになり、昨年6月には寺院をまたいだ工作員集団が数名で押し掛ける脅迫事件まで惹起している。
敵宗門にとってはネットやブログというものが殊更に都合が悪いようである。
そのため、当該工作員から「ネット辞めろ」「ツイッター辞めろ」などと脅された挙句「精神科行け」などと暴言を吐かれたという事実がある。
このまま抜けられては人物破壊工作の事実を広められて布教がままならなくなるので何とかバレる前に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺してしまおうというのが敵・宗門の悪逆な企みだったのである。
しかし、その企みは真実追究の機運の前に潰えた。
悪評も何も、そもそも宗門内で私はれっきとした敵扱いだったのである。
だから、「本人に言ってはならない」という手口がまかり通ってしまうのだ。
逆説的に云えば、全ての宗門人は私にとっては不倶戴天の敵ということになる。
敵は、やたら「創価」を強調して真の画策者が宗門であることを隠蔽しようとしていたが、盗人猛々しいとも云われるようにやたら創価を持ち出すというのはやはり怪しかったのである。

まとめると以下のようになる。
・敵宗門が私を引きずり込んだのは、紛れもなく人物破壊工作のためである。従って、人を幸せに導こうなどという考えは微塵も持ち合わせていなかった。
・敵宗門は、宗門に引きずり込むために悪逆な環境整備や誘導などを行っていた。これについては既に別ブログで詳しく触れている。
・宗門隷属時における全ての事件&不祥事は全て寺ぐるみ、講ぐるみで仕組まれた悪逆な罠であって、講員個人で惹き起こされた事件は皆無である。
・宗門は、傘下団体などとも連携しながら私に対する人物破壊工作を行っていたものであり、汚い手口で私の行動を改変していたのもこの一味であった。
・宗門がやたら創価を持ち出し強調して創価のせいにしようとしていたが、仮に創価が関わっていたとしてもそれは宗門の手下としてであり、創価を強調する理由にはならない。
・その宗門は、すべてがウソでたらめで塗り固められたインチキ宗教そのものであり、伝統宗教の仮面を被った悪逆なカルト集団に他ならない。従って、日蓮教団の中でも超の付く異端でしかなく、間違っても「正しい」宗教などではない。

宗門が人物破壊工作をしていたということははっきりと伝えていかねばならないと思っている。

当家では、不倶戴天の敵である宗門とその手先によって破壊された生活を立て直し復興していく新たな戦いに入っている。
薄汚い辺境の地にいては復興も解放も無い。
そのため、移住によって復興を図るのが新しい新天地計画である。
事後処理を行って以降の環境整備によって見た目は荒廃から立ち直ったように見えるが、実際にはまだ敵一味による策謀の影響により大魚を逃す事態があったり、復興事業において結構な無駄が出ていたりする。
そこまでしても、私が再び力をつける事態を敵は恐れているということなのか。

未だ安定に至っていないので詳しくは書けないが、ついに敵一味による誘導先の一から脱出を図ることができた。
しかし、これに対しても余程都合が悪かったのか敵一味は汚い手口で破壊を謀ったのである。
しかもその影響で大魚を逃す事態にまで発展したが、すべては敵一味のせいによって「のみ」起きているということはわかっているぞ。

勿論、そういう態度を続けるのであれば私にも覚悟がある。
私にとっては宗門も信者もただの厄介な邪魔者に過ぎないからである。
私には、何があっても宗門にも宗教にも絶対に戻らないという確固たる意志を持っており、最早引き戻すことも戻るように誘導することも不可能であるから宗門人どもはよく肝に銘じておけ。
なお、突撃してきた宗門人は一の例外もなく永代追放であり名誉回復は不可能、子孫代々に亘って汚名を受け続けることになるからな。
更に、しつこく居座るなどして退去しない者は不退去罪で検挙させるのでそのつもりで。

立て直しと復興は一家にとって最重要課題であり、失敗は許されない。
従って、そのためなら私は手段を選ばない。
脅しではなく本当に選ばないので、そのつもりで。
邪魔したら最後、消されるだけ。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 雑感 2016.11.23 はコメントを受け付けていません
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