シングスピールの回顧録について
伝統偽装カルト「日蓮正宗」から2015年1月に脱退。その後同宗の謀略によって人生を台無しにされたことに気付き、以後その迫害と引き戻し策動に対して自主独立と矜持を賭けて闘争を戦っています。
なお筆者は脱退以後無宗教であり、特定団体からの支援を一切受けていません。
Author:金城修一 Shuichi Kinjou
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島流しの日々のこと
失地回復史の続きを行く前に
色々と書いておかねばならないことがある
島流しの日々については未だ多くを語ることを許されていない
しかしながら、当時のことについて正しく検証することは大変重要である
何故なら、筆者の人生に大きな影を落とし多大な影響のあった時代だからである
当時は未だインターネットの無い時代であり隔絶された離島ではメディアから逃れることは不可能だった
だから、メディアから入ってきたものが大きな影響力と猛威を振るった
しかも、中には価値観の面で基準になっていたものがあり、後に精神域介入によって法統相続妨害に利用されたことが解っている
今の実行委員会はアイドルは禁止になっているが80年代にはその規制が無かった
で、敵の都合によって適当に誘導された女がいたのだ
当時何かにつけて話題になったのだが、周囲の徒輩は一々その人の悪口を云っていたのだ
当時の島人でその話を知らないというのは筆者を知らないのと同じである
何かにつけて一々悪口を云っていたのはガスライティングに加担していたということであり、真に友達だった訳ではない
だから切られて当然なのである
あのT.Sでさえその人の悪口を言ったことは無かったことからもその様に云える
勿論現在ではアイドル禁止であり80年代と雖も例外では無いが、あの当時の情勢でのあの悪口はガスライティングになる
あの当時の情勢でアイドルの何たるか、本質を解れという方が無理だ
無論今であれば絶対引っ掛からないし偶像より現実にいる女を重んじるだろう
今の境地から見ればバンドだろうがアイドルだろうがアーティストぶっているのだろうが皆同じ穴の狢である
本当に価値があるのは一握りだということだ
島流し当時のガスライティングは某カルトではなく、例のブルジョア家の所業だろう
島の「ムラ社会」もまたそれを利することとなったのだ
ムラ社会は筆者の最も苦手とする閉鎖的コミュニティーである
当時の情勢から云っても2004年以後のそれとは関連性が無いだろう
何故か最初に入ってきたのは某ロックバンドであった
それは永きに亘って影響力を持ち筆者の人生に大きな影を落とし続けた
何故なら謗法の念慮が強烈なグループでありロック音楽だからである
他にもアイドルだの谷村某だの何だの入ってきたが、それらとは比較にならない影響力があったのだ
その事が問題となり2003年の筆者の日蓮正宗帰伏に伴って某ロックバンドは粛清となった
従って、現在では何の関係も無いということだけは解っていただきたい
実際、当時とは明らかに別人であり当時の面影はどこにも見出だせないだろう
2000年代に入ってから島人の姿を見ておらず、筆者を知っていた者でも筆者を見つけられないのも当然である
もし解ったとしても、あまりにかけ離れたその姿に愕然とするだけであろう
島流しの日々はイコール、ガスライティングとの戦いの日々であった
片方でガスライティング、他方ではメディア禍、しかも逃げ場は無いという地獄の日々だったのだ
その意味に於いて、当時の筆者の面影を追い求めることは何の意味も持たないのである
そもそも感覚を狂わされていたのだから、当時の姿は不本意でありそれは黒歴史である
SGの日々と同じである
SGの日々は島流しの日々以上に不本意な日々である
しかし、島流しの日々に於いて、何人かの人と引き離されたことだけは理解している
その意味に於いてT.Sのほうにしても何か不本意なものを抱えていたのかも知れない
もう会うことは無いだろうが、いい学校いい会社いい家というステレオタイプでは真の幸福は得られないし人生の根本の問題はそういうことでは解決出来ないのだということ、真の幸福は正法に帰伏し信心に励んでいくことによってのみ得られるのだということは知ってほしいのである
島流しの日々については今後折に触れて書くこととする
カテゴリー: 旧ポータルブログからのインポート記事, 自主独立闘争の真実, 自主独立闘争関連
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計略
歴史編は少しお休みしてまた忘れてしまわないうちに書き留めておかねばならないことを先に綴る
筆者は洗脳とガスライティングの標的にされ今日も厳しい戦いが続く
何度も書いている通り、敵の要諦の一つに「法統相続をさせない」というものがある
最近の敵の攻撃内容から、何としても二輪にしがみつかせて車を買わせまいという計略が見え見えである
また、激しい刷り込みが続いており厳しい対峙が続いている
しかしながら、その様なやり方で一家の方針を変えられると思ったら大間違いである
そもそも門外漢らは信心のかけらも無い連中であり仏の前に敗れるのは必然である
敵は、筆者が派遣脱出を図った際にSGに誘導することを決定し実際に筆者はSGに誘導されている
だが、このことには先の「法統相続をさせない」という要諦に相反する危険があったはずである
この危険を敵が克服するために何をしたかを書いておこう
その危険とは、謀略団体幹部の意向に反して筆者が出会いを結実させることの「危険性」であった
法統相続=危険、というのは千ラシ裏の痴犬が「きけ~ん!!」と言い放ったのも同じ論理である
つまり、門外漢も痴犬も「法統相続=危険」という見解で一致していたことになる
敵の悪辣な計略というのは、仮に出会いがあっても筆者がそれを結実させることの無いように洗脳してしまうことにあったのだ
リクスーやアイドルを刷り込んだ最大の理由である
つまり、いくつかの出会いを潰したことに関しては、最初からその様なことを意図していたことなのである
その様なレールが、最初から敷かれていたことになる
韓流を刷り込んだのも同じ理由だ
いずれにしても、それら刷り込んだモノに現を抜かさせ、万一それを覆すような女が現れたときには全力でその縁を叩き潰すことを最初から考えていたのだ
何度も書いていることだが、「頭が弱い」はただの逃れ口上であり悪知恵が働くことを隠す為のごまかしである
自分でそんなことを言う奴にろくな奴はいないから頭に叩き込んでおく様に!
回顧録にも書いた「バイクは正法じゃない」にも、その様な計略とともに門外漢の悪辣なやり口が凝縮されているのだ
門外漢は、その我見を正当化するのに何かにつけては正法を持ち出し、正法を錦の御旗にするのが常套手段であった
奴は、正法を錦の御旗にすることで筆者に疑いを持たせないようにしていたのだ
例の「頭が弱い」も、同じく疑いを持たせないように重ねて謀った念慮だ
自動二輪と法統相続を潰す為の計略を正法の名の下にすり替えてごり押ししたというのが真相である
その姿には、本仏への供養と偽って巨額の財務を漁る某団体の姿にも通ずる重大なものがあるのだ
(この部分削除)
その門外漢集団であるが筆者がこれだけ綴っているにも拘らず今日までだんまりを決め込んでいる
また、石之坊においても石の湯事件はもとより一派の惹起した不祥事についてだんまりを決め込んでいる
だんまりを決め込んでいるのは、反論が不可能であることと、謝罪と賠償を逃れんとして決め込んでいるという極めて卑劣で悪辣なやり口だ
そんなものがいつまでも通用すると思ったら大間違いだから覚悟しておけ!
【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)
本記事は、当時の事情を反映するため一部表現をそのまま用いています。
カテゴリー: 敵対者批判, 旧ポータルブログからのインポート記事, 門外漢・SG・千ラシ裏問題
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この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-110.html
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42年4ヶ月18日
今日はある意味特別な日であった
クズ元(世を忍ぶ仮の母親)が生きた年齢を厳密な意味で超えたものである
ちなみに、1946.4.3~1988.8.21で42年4ヶ月18日であった
それだけクズ元が早死にだったということであるが一家での実母の評価は大変低いものである
何故ならあのブルジョア一家にそそのかされて島流しの道を選んでしまったからである
あれが無ければもっとまともな人生を送れただろうし島に渡る理由などどこにも無かったはずである
島に渡った時点で、進学の夢も断たれその後の不遇も決定づいてしまったものである
したがって、正求節も祝日級ではないし盂蘭盆会を以って命日の法要に代えているのである
他にもクズ元は大きな過ちを犯しているが、それについては未だ多くを語ることを許されていない
あの島流しは、クズ元の側にそれに応じる目的として筆者の交際関係を分断することがあったといわれている
部活動に対して非常に否定的であった理由もそのことにあったというのが専らの推定である
つまり、永代追放が当然ともいえるだけの罪状がクズ元にはあったのである
実際、頭破七分ともいえる死に方であったことがそれを物語っている
いずれにしても、島流しによって生じた人縁は全て悪縁であると看做すべきものであり、島流し以降の二十六年を我々は頑なに否定するべき者と思し召せ
進学はクズ元の死によって潰えたのではない、島流しにあった時点で潰えていたのである
実父は、あの島流しには一貫して反対であった
実父は非常にまっとうな感覚の持ち主であったのだ
一家では、島流しによって生じた縁はすべて悪縁であり否定するべきものという立場に一貫して立っている
そのような所の者は如何に美形であろうとも我々にとっては些かの価値も無い徒輩である
しかし、今までの一連の女どもがカス過ぎただけであって、それを物差しにしていると非常にうがった考え方になってしまうのである
筆者は、カスどもには些かの未練も無いのである
よって、たとえ道端でカスどもに会い見えようとも一瞥もする価値がない以上取り合うことは決して無いのである
島流しの日々は筆者にとっては何の価値も無いものであり、そこであったことは全て幻であると思し召せ
従って、そこでの筆者の言は一切の実体を伴わないただの方便であると思え
カテゴリー: 旧ポータルブログからのインポート記事, 雑感, 風化させない
42年4ヶ月18日 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-109.html
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