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バイク戦争犯罪について(最新の見解)

一家では現在戦後処理と並行して交通整備の計画を進めているが、これが完遂すれば実に7年ぶりのエンジン付き車両が復活するということになる。
ここで忘れてはならないいのは身の丈に合った計画にすること、持続可能であることと並んで過剰規模とならないことに重点があるのは云うまでもない。
つまり過去に敵宗門一味が惹き起こした「バイク戦争犯罪」の二の舞は絶対にならないということである。

「バイク戦争犯罪」とは2000年頃から2013年頃にかけて敵宗門一味が仕組んで「バイク」をネタに筆者を陥れた一連の事件群の総称である。この戦争犯罪のために一家は翻弄され、第一次「三本柱の化城」の洗脳犯罪と相俟ってあらゆる事物を失わされた過去がある。

一家では嘗て一号形原付車両を1999年から保有しており、2005年から2010年まで約5年の休車があったが復帰して運用されており、その代替のため2012年に自動二輪免許を取得、100ccクラスの自動二輪車を導入して運用していた訳である。

その頃に受けた事故被害の賠償金を得ることが確実となったところで150ccクラスへのステップアップを計画したところこれが敵宗門一味の洗脳操作で不当に改竄され、本当にするべき事からも遠ざけられたことに加え裏では人工透析への転落策動まで進行されており、不必要な中型バイクに手を出させられた挙げ句大きく資金をハタカサレ移住も潰された事件であった。この時点であれば移住してから次を考えることも可能だっただけに今考えても殺意が止まらない。

しかも敵は、筆者がバイク戦争犯罪に気付いたのを見計らったように阿呆悦講員による交際類似事件を用意しており、あらぬ夢を見せあらぬ希望を持たせることで敵自ら仕組んだデッドエンドに気付かせないようにして対策を取らせないようにするという残忍無慈悲な所業を働いたのであった。

あらぬ夢と希望を見せられたことでせっかく取り返した金員はすぐにしかも必ず要らなくなる車でハタカサレて、しかも脱退をも妨害されてギリギリの底辺まで突き落とされることとなったのであった。

更に筆者にあらぬ夢と希望を見せたクズ女は目的を達すると逃げるようになり、奴に引き合わせた講幹部を詰問するもこの幹部は加害者である柏原を守って被害者である筆者を一方的に悪者扱いして逃げたのである。

普通はさすがにここで脱退となるべきであった所、敵宗門阿呆悦院幹部は予め温存していた、死亡講員の仏壇を重石として与えることを画策して脱退を妨害したのである。このように、単独で行われた事件は脱退前に於いてはほぼ皆無に等しく、如何なる事件も全ては繋がっているのである。

この間の2005年には敵宗門工作員である通称門外漢女によるデジタル一眼スキャンダル、及びバイク圧殺演出事件が惹き起こされており、今なお当時の経緯が問題視されている。云うまでもなく圧殺の演出は「バイク」を燻らせて人の人生を狂わせるためであるが、この門外漢女は嘗て不倫で有責となり親権を剥奪された輩であることが脱退後に判明している。そのような輩であると知っていれば騙されずに済んだのであり、今であればその事はその言動から簡単にわかる程度のザル女であるが、敵宗門という一神教によって生命力を殺がれていたために読み切れなかったのであった。こいつもまた目的を達するや疎遠になり逃げるようになったのであった。目的を達するか、或いは達せられなかった途端に逃げるようになるのは工作員の定石であるから覚えておいたほうがいい。

以上がバイク戦争犯罪とこれに続いて行われた交際類似事件の概要である。この間に別の交際類似事件も惹起しているが、これは脱退妨害のために憎き柏原容疑者への憎悪をスピンするために惹き起こされた事件であるがそれはあくまで別件でありバイク戦争犯罪との関連性は薄い。

以前のバイク戦争犯罪関連記事でも書いているように、この一連の事件群では嘗てやらされていたサイトで薄い繋がりがあった、某鉄道関連サイトの運営者の男が煽り目的で関与していてPCX批判と取れるような記事も書いている。この男については2014年に追放しており、その後やらされていたサイトも破却に伴い閉鎖して久しくその後追加の事件惹起もないため現在では全く無関係であるが、こいつについては敵宗門謀略部門の工作員である疑いがかけられている。

なお、こいつが絡んだネット上での戦闘が終結したことを端緒としてついに敵宗門一味が押し止めていた真実の追究が始まり、漸く絶望的な現実に気付いたことで敵宗門への疑問が生じ、ここに漸く信仰の見直しが行われることとなったのである。その後はご存知の通り2015年1月10日付けで遂に敵宗門・日蓮正宗から脱退する運びとなっている。

以上がバイク戦争犯罪関連の経緯であるが、我が一家は二度とこのような戦争犯罪に巻き込まれないようにしなければならない。今なお敵による「バイク」の煽りが散見される状況でもあり、油断はできない。このため失地回復プロジェクト第7次、第8次計画の策定に当たっては今後の交通政策についても間違いのないように定めたところである。

  • 今後バイクは125ccクラスまでとする。
  • 車種選定は実用本位とする。
  • 不必要にバイクにカネをかけないようにする。
  • 地方を跨ぐような遠距離は公共交通によることとする。
  • 失地回復後は四輪自動車に切り替えることとする。

今後は遅くとも3年程度で車に切り替える前提であり、このことを前提に計画を進めており、今後の実力蓄積計画とこれに特化した暮らしに貢献させるべく進行させているところである。

我が一家のこの方針に敵対して身勝手な妬みや未練、或いは自己の都合による行動を行う者は予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことに必ずなるということを敵宗門及び辺境民の関係者は一々に肝に銘じるべきであるということを改めてここに警告しておく。

過去のバイク戦争犯罪関連記事

バイク戦争犯罪の概略について

バイク戦争犯罪による損害の考察

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ドキュメンタリー動画を制作

このたび我が一家では2007年5月20日に惹起した石之坊信徒による金銭恐喝事件についてのドキュメンタリーを制作し公開した。
※注意:1時間超え動画です。スマホの方はギガにご注意下さい!

あの日、私はバス代として取っておいた金銭を石之坊受付の女どもに掠め取られ、坊の講員どもも誰も帰りの足を助けず、結果9キロ近い道のりを延々と歩かされる羽目になったものである。
当時はスマホもタブレットもまだ無い時代であり、突然の事態に近道を調べるなど不可能だったのだ。そうなると知っている大きな道で行かざるを得ず、もちろん先述の講員どももそんなもの教えもしない。どうせ奴等のことだから「そんなものてめえで調べろ」で終わりだろう。当時であっても。何しろ会合が中止になってもそのことすら知らせずにおいて「自分で聞きにこい!」とかほざく無慈悲な連中だからな!
こんなことだったらあのときに日顕宗など辞めておけばこんなに不幸にならずに済んだだろうに。
近道であれば7キロ台後半の道のりになるが、バス代が必要なことはわかっていてもそれを掠め取られることなど誰が想定などするか。それすら「当たり前だ!」で片付けるであろうけどな、法華講員どもは。それほどまでに傲慢尊大で残忍無慈悲な連中だ。

この事件にはそのための布石、環境整備として惹き起こされた「前哨戦」というべき事件があった。予定外機材売却強要事件である。
この時、門外漢女によるデジタル一眼スキャンダルによってもたらされた忌まわしきEOSKissDを代替することになっていており、後継機だった10Dでは使えない18-55mmレンズとともに売却がすでに決まっていた。それとて、今まで取引していたカメラ店で売ってくれば済んだ話だ。だが、それでは敵が事件を起こせないためこれを捩じ曲げることになったのだろう。そして誘導されたのが中野の某F店だった。
そこには完了品の某レンズメーカー製レンズが置いてあった(70-200/2.8)。
既に純正の70-200/4Lを持っており必要など全く無かったのだが、敵とグルのFはこれを目立つように陳列して目を引かせたのだ。つまり、その存在を敵宗門宗務院は知ってやっていることになる。件のKissDと18-55だけ売って終わりにすればいいものを、それでは事件を起こせないから敵はそこを捻じ曲げて不当に行動を狂わせたのである。つまりその売却を以前の店でされたのではハタカセられないからだったのである。
まずで以て、以前の店では買取と販売の部門が離れていて別の場所にある。つまり売却の席で次を煽ることはこの形態では不可能となる。それに対して問題の「F」ではそれが一体であり売らせた席ですぐ次を煽れる構造になっているのである。それと丁度煽りのネタにできる商品が以前の店には無かったことも理由のひとつだったであろう。
この予定外機材売却強要事件は大いに我が一家の経済を狂わせた。更に追い討ちをかけるように購入したカメラに不具合による交換が発生し、価格が大幅に上がってしまった。それでもそれは当初の売却予定価格で十分カバーできる金額であったのであるが、そこでカバーされては困るのが敵宗門日顕宗であったということだ。つまり当初からこの日に斯様の恐喝事件を惹き起こして大きな打撃を我が一家に与える計画だったのだ、奴らは。

更にこの恐喝事件はその後の「罰・罪障」の演出や離間工作、一家離散策動にもつながっているのでありこのような人格抹殺を平然と行っているのが敵宗門日顕宗であるということである。

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風化させない 2

先の記事の続きをご覧いただく。

ツアーは更に富士宮市街に向けて下ってゆく。

宮原付近
宮原付近。

宮原付近
宮原付近

富士宮北高付近
富士宮北高付近。

宝町
富士宮市街に入り、宝町。

宮町
宮町。

西町
西駅に向かって右折し、西町。

西富士宮駅
西駅。

当日のルート

事件は2007年5月20日に惹起した。
この日、半ば強制的に参詣させられた支部総会の受付で、バス代として取っておいた金銭を受付の女子講員に恫喝されて掠め取られたものである。
その後、誰も助け舟も出さず結果駅まで8キロ以上の道のりを延々と歩かされる羽目になったものであった。

これには前振りがあった。
当月の初旬にカメラの代替に絡んでレンズの買い替え強要事件というものが惹起し、売らなくてもよいレンズまでそっくり売らされて社外品のレンズに買い換えさせられたという事件である。
更に買い換えたカメラの不具合で別の品に交換せざるを得なくなり、価格の上昇で家計が一杯一杯になってしまったのであった。
売却強要事件は、売らなくてもよかったレンズを売らせて別の品を買わせることで予定していた余裕を奪い、参詣させる頃にはカツカツになっているように予め計算されていたのであった。
不具合の出たカメラは、ランクの低い「並品」であった。
もし最初から「良品」だったら、この事件は起こっていなかったであろう。
なぜならレンズを買い換える余裕はないと判定され使えないレンズだけ売れば済んだ話だったからであり、本来はその予定でもあったのだ。
つまり、カメラ本体を売ったM店も、レンズを買い換えさせたF店も敵一味とグルだった(つまり、糞寺ともグルだった)訳である。
M店は最初から良品だけ出せばよかったものを値段の安い並品を出して手を出させ、F店に至っては問題の社外品をわざと目立つところに展示して目を引かせるなど非常に悪質であり、現在では両店とも永久追放(取引禁止)になっている。
この売却強要事件は、専ら仄めかしによって成り立っており、仄めかしによる売却誘導事件であると捉えることも出来る。
ただ、その際に過去の忌まわしき出来事が心中に噴出してきたことは尋常でなく、何らかの心理操作があったと考えるべきであろう。

そして、この事件は最初から寺ぐるみで仕組まれた悪質なハラスメント事件であったということがいえる。
この事件を惹起するに当たって寺側は誰として帰りに手助け(車に乗せる)などをしないように予め根回しをしていたのである。
その結果、先述の通り駅まで延々と歩かされる羽目になったものであり、これを見てもわかるようにこの寺、この宗派では私は最初から敵扱いであったのである。
それをわからなくするために姑息な環境整備で宗教に引きずり込み安心できるウソで騙して目くらましをしたのであった。
シングスピール・ウェブ立ち上げ当時に鉄道趣味を焚き付けてまで真実追究を押し止めたのも、全てはそのためだったのである。
このことを考えると、鉄道趣味の全面解禁などは到底応じられるものではないのである。
まして宗教などもっての外である。

恫喝体質そして意に沿わない者に対する不寛容体質は敵宗門全体に広く蔓延しているものであり、それが後年の脅迫事件にもつながっている。
「宗教は自由だ」「言論弾圧は出来ない」と言っていた寺の住職が講員を恫喝のために差し向けるくらいだから、最悪のカルト宗教であると断罪しなければなるまい。

敵宗門のウソでたらめというものが、この中間もこれでもかと言わんばかりに噴出している。
まず教えている歴史がウソでたらめだらけ。
そして大本尊は贋作。
更に二箇相承もでっち上げ。
これらをでっち上げたのは悪僧・9世日有である。
このような有様のカルトであるから、金輪際戻ることはないし引き戻しは絶対に許さない。

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風化させない 1

2007年5月、当時隷属させられていた糞寺でバス代恐喝事件が発生し、その影響で8km離れた最寄り駅まで2時間半あまりも歩かされるという事件があった。
後年そのとき歩いた道を辿るツアーが開催された時に収めた写真を2回に分けてご覧いただく。
敵宗門の本山からほど近い場所に北山本門寺という日蓮宗(興統法縁会)の大きな寺がある。
そのすぐ近くの本門寺入り口交差点の付近からツアーは始まった。

門外漢女による最後の仄めかしがあった場所
本門寺交差点からカルト本山方向を望む。
この場所では糞寺脱退の日に門外漢女による最後の仄めかし事件が惹起している。

北山郵便局
本門寺入口交差点角には北山郵便局がある。

朝霧高原方より交差点を望む
朝霧高原方より交差点方向を望む。
このちょうど左側手前に富士宮行きのバス停がある。

本門寺入口バス停
バス停の名前も「本門寺入口」。

ツアーはここから西駅方向(富士宮市街方向)に進むことになる。

北山交差点より南進
交差点から西駅方向に進み始める。

北山にあったコンビニ
十数分歩いたところにあったコンビニ。
ここでなけなしのカネでパンとドリンクを買ったことが昨日のように思い出される。

外神付近
外神付近、カルト本山への抜け道の交差点を過ぎた辺り。

ツアーはまだまだ続く。

このあと富士宮市街まで延々と歩かされた昔日の経緯があったのであるが、一方的な下り道であるにも拘らず駅までは2時間半を要した。
事件当日は5月にも拘らずかなりの暑さでもあり、暑さに弱い筆者には殊更に応えてしまったのであった。
ツアーのときはバイクで下ったのであるが、市街までは15分ほどに過ぎなかった。
しかも、当該ルートはかなりの遠回りであり、最短ルートだと6.6kmで歩けたことがわかっている。
これに対して当時のルートは8.2kmもあり、事の重大さがわかろうというものだ。
これは当時予定がバス前提で組まれており、突然襲い掛かってきた災難であったが故に知りえぬ道では対応が出来なかったのに加え、当時はスマートフォンもタブレットも存在せずナビも持ってなかったため出先で調べることが出来なかったことによる側面が大きい。

以後の写真は次の記事で。

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バイク戦争犯罪の概略について

バイク戦争犯罪の濫觴は、既に回顧録ブログでも書き出している通り1990年代後半にまで遡る
すなわち、十数年にも及んで行われた大掛かりな人格破壊策動であるということになる
そうだ、全てはつながっているのであって偶然はどこにもないのである
ここでは、その全体像を暴き出し決して風化させないことを目的に書き記す

濫觴

筆者は、元々は乗用車に乗っていた人間であったが、回顧録ブログにもある通り敵(敵一味宗創医連合。以下同じ)の策謀によって1997年にその乗用車が失われたことによってバイク戦争犯罪が始まった
翌年頃から、他人の口を使った「クルマは金食い虫だ」の吹聴が幾度となく繰り返され、バイク戦争犯罪に巻き込むための洗脳策動が始まったのである
99年に原付を使う仕事に誘導されたことで、完全にその軌道に乗せられることになったものであると云える
同年11月に、とりあえずの足として「1号形原付車」が導入されたが、この時点ではそこから先に進むことは無かった

テコ入れ

その後も敵は雑誌やネットなどを駆使して刷り込みや煽動を続けたが、にも拘らず計画の進まないことに相当の苛立ちを募らせていたに違いない
そこで敵が仕掛けたのが、「自動二輪計画」の刷り込みとその圧殺の演出であった
この時点ですでに2005年、計画の開始から8年が経過していたことになる
自動二輪計画もその圧殺も、いずれもが敵によって演出されたものであり典型的なマッチポンプ犯罪である
その後も先記の1号形原付車が稼働していたが、これを電磁波による攻撃によって計画的に故障させることで「バイク」をくすぶらせることにしたのだ
1号形原付車は、その後数年に亘って廃車にもならずに留置されていた
この留置も、敵の意向通りのものでありまさしく「バイク」をくすぶらせるためのものであると云える
当該は購入からほどなく絶版となっており、本来であればこの時点で廃車解体してしまうのが措置としては適当であったと云えるが、それでは煽れなくなるので押し止められたものであった

解放聖戦の最中で

その後09年になって「解放聖戦」が勃発し、その後戦線が石之坊にまで拡大することとなった
聖戦の真っただ中、09年の10月になってやおら、とあるブログ管理者が二輪免許をおっぱじめたのである
よりによって解放聖戦の最中にやりだすというのはただ事ではない
恐らくは敵幹部の指示による操作があったものと推察され、これは劣等感を煽るためにわざわざ後を追わせて読ませたものであると断定している
(この部分削除)
更に、その直後の12月には敵による「自動二輪圧殺」の計画的発覚が実行に移されたことで煽動は決定的となったのである

聖戦終結の後

結局解放聖戦は筆者が石之坊から不当に粛清されるという形で終結を見ている
その後、6月になると突然1号形原付車の復活が浮上し、同月下旬に竣工している
この復活は、現在からみれば全く不適当なものであったと云え、まさしく先述の劣等感を煽るための煽動によってもたらされたといえる
この頃になるとすべてが「バイク」を中心に回るようにされてしまっており、結果本末顛倒の有様が長期に亘って続くことになる
適度な迫害を加え続けることで「自由の闘士気取り」に仕立て上げ、それによってますます振り回し続けるという悪質な洗脳犯罪であるということになる

行き倒れ策動の中で

その後、2012年4月には結局自動二輪免許取得に動くことになり翌月に免許の交付を受けている
同年6月には現実的対応として100ccの二輪車を導入し運用を開始している
これは、あくまで当時の情勢による現実的対応であり他者の意向は関係ない
しかし、現実的対応止まりでは不満な敵の策謀によって事故に巻き込まれ、左手首を骨折する14級障害相当の大怪我を負っている
この時巻き込まれたのが代車であったというのもミソである
というより代車に乗っているところを狙った、そういうことになる
結局この事故の解決には1年近い時間がかかっているが、これは不自然に長いものだ
最低でも6か月はかかるのであるが、それ以上は明らかに時間稼ぎであると云える
何のためか?云うまでもなく、洗脳のための時間稼ぎであるということである
それは、賠償金の使途を不当に変えさせるためのものであったということである
そして計画はスリカエられ、仏壇購入計画を押し流す形で全てが「バイク」によって吸い込まれたのである
スリカエの概要はここでは省略する
更に、この策動に乗じて更なる策動が発動された
それが、行き倒れ策動であった
この行き倒れ策動は、この「バイクの極大化」に乗じてマインドコントロールを行い、薬を外させ血圧を測ることも押し止めてその裏で電磁波犯罪によって血圧を不当に吊り上げて腎機能の破壊を謀ったものである
そして行先は行き倒れか人工透析かという極めて悪質なものであった
そのために、バイク以外のものはすべて押し止められ、計画は実行に移された―
こうして2013年9月21日に筆者は人工透析の身に貶められたのである

悪質なハタカセ

行き倒れ策動の最中、8月にはシステムをキヤノンに戻し活動を再開しているがこの時にはすでに病状が進行しており、敵は既に「先が無い」状態になったことを確認していたはずである
そして行き倒れ策動の発覚直前、敵は「意図的に」洗脳を抜くことにしたのである
こうしてバイクの売却と自家用車の導入が行われることになったが、敵は「自家用車を導入してもすぐに用途を失い金食い虫になる」ことを当初から計算していたのである
その目論見とは何か。それは、「手元にいささかの資金も持たせないこと」にあるのであった
自家用車を持っていれば、それだけで月に2万近いカネがかかるのである
結局6か月で手放したが、それでも10万以上の無駄が出ていたのである
購入額と売却額の差額15万を足せば、実に25万もの無駄が出ていたのである
この他にも、クルマ絡みの不当なハタカセがあり損害額は40万近くにも上る

バイク戦争犯罪の概略は以上であるが、全ては敵側団体の主導で行われておりその組織的攻撃によるものであるということを決して風化させてはならないのである

(おわり)

【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
この記事は、史実認定の修正により2016.1.30 9:41に修正されています。

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