Disgusting Creatures

アベルフが政権を簒奪したあの忌まわしき不正選挙から5年。
またしても茶番は繰り返された。
結果の程はほぼ想定どおりであり、幾分ましかもしれない程度で終わっている。
それでも支配層どもにとっては必ずしも納得のいく結果ではなかったようではあるが。
まともな選挙だったら自公は惨敗していたところだろうな。

5年前の当時に書いた「最悪の結果を目の当たりにして」の当時には不正選挙というものがわかっていなかった節があった。
いまや不正選挙はこの界隈ではもはや常識となっているが、メディアスレーブどもの盲目が開けるには到底程遠い現状については当時の認識も間違ってはいなかった。

私はあれ以来選挙などという茶番には参加していない。
選挙で体制は変えられないからである。
選挙に参加した時点で、反体制ではないのである。
体制を変えるには、体制を構成する組織を悉く叩き潰す必要があるのだ。

真実の追究が再点火してから3年余りが経った。
その間様々なことを暴いてきたのであるが、今回はあえて不正選挙と愚民に焦点を当てて展開する。

まず第一に、この国の選挙システムは不正を働くことが前提であり、愚民に「自分で決めている」と錯覚させるためのものであるということである。
前から指摘しているとおり、この国は民主主義国家ではなく、企業社会主義と官僚社会主義という「二重の社会主義」に支配されている国家であり、これを偽天・米帝連合が牛耳っているのである。
民主主義を偽装するのに重要なツールが無記名による秘密選挙なのであり、支配層が絶対に変えさせないのが秘密選挙なのである。
このシステムでは投票してしまったら最後、悪魔の契約を結ばされることになる。
ネトウヨどもはやたら9条を変えさせたがっているようであるが、これは支配層の意向そのまんまである。
ここで大事なのは、支配層は9条を変えさせて秘密選挙を絶対に変えさせない意向であるということである。
この秘密選挙の枠組みの中で行われる限り、投票者は支配層の手のひらで弄ばれるのみであり決して社会を変えることはできないということである。
つまり入れた時点で奴らに従わされる定めなのであり負けなのだということである。
何故投票所では鉛筆が使われるのか?
それは鉛筆でないと不正が出来ないからであり、無記名の秘密選挙になっているのも同じ理由である。
鉛筆で書いたものなど磁気的な仕掛けでいくらでも改ざんが利くのである。そういう機械が使われている、そういうことである。
もしサインペンやボールペンで投票者記載で行おうものなら支配層の意図通りに改ざんすることなどできないからなのである。
無記名ということはブラックボックスであるということでもあり、これまたいくらでもイカサマが利くということなのである。
なお、一部の陰謀論者は某宗教団体が偽票書きをしていたと主張しているが、それは既に過去のやり方と化しているであろう。陰謀論者は支配層の手先であり、陰謀論者の役割は真実追究者に対する騙しとミスリードであるから、奴等が出してくる時点で既に支配層にとっては痛くも痒くもない情報であり、既に何年も前に終わっていたはずである。そうでなければあのような情報は出せないはずである。

第二に、そのイカサマでしかない選挙システムをこの国の愚民が盲信してきたということである。
恐らく、不正選挙は最近に始まった話ではない。
というのはその中核である「ムサシ」は最近になってできた会社ではないからである。もう一つの中核は総務省であり、これも省庁改編でも変わることの無かった古い官僚組織である。ということは、遠く55年体制ができた選挙から既に不正選挙であった、そして偽票書きは当時の手口であったというのが私の見立てである。
55年当時というのは丁度テレビなるものが出現し始めた時期である。
当時は「テレビを見ると馬鹿になる」と民衆の間でも言われてきた。


それが70年経った現在はほとんどがメディアスレーブに成り下がり、このような体たらくである。
しかし、これは戦前に既に画策されていたことなのではないか。
というのは、大戦を前に時間にルーズだった民衆に「勤勉」を教え込むキャンペーンが行われものの見事に目論見どおり時間通りに動く歯車化しているからである。
これが戦後の社畜化にも大いに貢献しているのである。
これとテレビの普及そしてメディアのスピンコントロールによって愚民、メディアスレーブは生み出されてきたということである。
メディアと教育は繋がってないようで裏で繋がっている。そして教育は肝心なことを何も教えずに支配層にとって都合のよい駒になるよう「教育」しているのである。
そして、点と点を結んで考えさせないようにスピンするためのものを企業とメディアが流布するのである。それが流行りモノの正体である。
そのような支配層とメディア、そしてカルトなどこれに連なる連中にとって都合が悪いのが、昔を知っている人間ということになる。老人福祉のドラスティックな改悪などの老人いじめは、昔を知っている者を口封じするためなのである。

いずれにしても、55年体制以降の政治というものはすべてが体制側によるイカサマであり、メディアとグルになって民衆を愚弄してきたのが現在の自公・企業社会主義体制なのである。09年の政権交代でさえ、自公が責任逃れをするために敢えて下野する「振りだけ」したのである。そして下野中に人工災害を惹き起こし、「下野中」であるのをいいことに当時の民主党に責任を押し付け、そして不正選挙で政権を簒奪したということなのである。3・11は世界支配層によって予め予定されていたものであり、そのときには自公は下野中である必要があった、そういうことである。

云うまでもなくメディアの流す情報はウソとスピンに満ち溢れているものである。
メディアの流すウソの価値観に毒された愚民はもはや支配層とグルになってこの国を毒し続ける有害な存在でしかなく、忌まわしい生物(Disgusting Creatures)でしかない。
斯様な愚民が9割である以上関東で儚い夢を追い求めても意味はなく、そこは厳しくやるということになる。
したがって過去の忌まわしい連中も全て愚民であることに例外は無かろう、そのような輩など最早惜しくもないし忌まわしい過去は投げ捨てさし措くべきなのである。

前回記事にも書いたとおり、本当の投票は毎日の買い物、毎日の生活の中にこそある。何故ならこの国は民主主義に偽装した社会主義国家だからであり、その主体が企業社会主義勢力にあるからである。
愚民が何の抵抗もせずに盲従するさま、その足元を見ているからなのか、企業社会主義勢力は事もあろうにシュリンクフレーションなる手口を使い裏でこっそり内容量を減らして小売店も消費者がそれに気付けないようなやり口で協力してともに暴利を貪っている有様である。要するにこれがアベノミクスの正体なのである。
先ずは暴利を貪る企業どもを悉くぶっ潰さなければならないのであり、その意味でも日々の生活、日々の買い物が重要なたたかいの場となるのである。

前の記事にも書いたことだが、企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。システムを止めなければならないのである。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけなのである。
このあたりについては前の記事「毎日の買い物が本当の投票だ」に書いているとおりである。
余計なドリンク類に始まり余計な趣味ごと、余計なレジャー、余計な流行りモノなど全てが支配層による収奪のツールであるということである。
つまり「×買っている⇒買わされている⇒買うな!」ということである。
同じように、「×出かけている⇒出させられている⇒出るな!」なのである。
つまり、自分の考えで買ったり出かけているようでもそれは実は自分の考えによるものではなく、支配層の手先による誘導もしくは洗脳操作によって強制されているのであり、させられているものなのだということである。
この「○○している⇒○○させられている⇒○○するな!」はわが一家が誇る最強ロジックであり、これによって多くの無駄遣いやハタカセを防いできたものである。このロジックに当てはめて考えれば、必ずや多くの無駄をシャットアウトできるであろうこと請け合いである。ゆえに敵一味にとってはこれがたまらなく都合が悪く、何度も朝礼ごと押し流そうとしてきたものでもある。その敵一味はこれまでにも書いてきたとおり支配層の手先であり、支配層の一部でもある。
今もメディアは多くのウソにまみれた情報を垂れ流し、民衆を愚弄して収奪を行い力を削いでいるのである。その意味では選挙もまた収奪のツールであり、民衆の力を削いでシープル(愚民やメディアスレーブの海外における名称)にするためのものなのである。そのような愚弄のためのツールは全て全蹴りにするべきなのである。全蹴り以外に選択肢は無いのである。
以前にも書いたことだが支配層やその手先はシステムが止まって貰っては困る、民衆からの収奪と騙しを生業とする伝統偽装カルトも同じなのである。
奴等は、日々の生活が行き詰っては困るという愚民の目先だけの考えに乗じてシステムをまわし続けのさばっているのであるからシステムを止めて潰さなければ未来は無いのである。

毎日の買い物が本当の投票だ

既に砦ブログでは触れている話だが、冒頭の言葉を知った動画をまず見てもらおう。

買ってはいけない/Meiso

企業社会主義が支配するこの国の現状に照らし合わせればまさに言っているとおりなわけで、選挙の投票など錯覚システムに過ぎず国会はお飾りに過ぎないこと、アベルフですらパペットに過ぎないことを併せて合点がいった訳である。

企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけだ。

私は三度に亘って自動車利権について書いたが、その自動車も不用品であるしその先にある趣味やレジャーの類も不要不急品であり収奪の手段であり、そしてその目的地の多くが支配勢力の利益に繋がっているのである。

このツイートに書いた通り不倶戴天の敵の一つである創価学会は主に傘下企業によって企業社会主義の主力となっている。その創価は日蓮正宗の別働部隊・系列カルトであり、日蓮正宗の手先であるとも言える。その日蓮正宗はキリスト教勢力の手先であり、偽天皇の手先でもあるのだ。そしてこれらカルトが、日本の主たる企業に入り込んで企業をカルト化させているのである。

物を買うことの意味

物を買うことは、すなわちそれを売っている店やそれを作っている企業に一票を投じるのと同じことである。
また、この概念において買い物とはただ単に物を買うことのみを意味するものではなく、カネを出して対価を受ける全てのものが買い物であるといえるのだ。移動を買うことも有償でサービスを受けることも全てがこれに該当する。
企業社会主義の今日においては毎日の買い物が本当の投票であり、このことを厳格に考えて行動しなければならない。

たとえば主だったところでは電気を使うことも対価を払って電気を買っているのであり、れっきとした買い物であるというべきだろう。ガスや水道、交通サービスも同じであり、交通機関を使うことでさえ、カネを払って移動を買っているということなのである。

更に言うならば、企業に勤めることもその企業に一票を投じているのと同じだ。企業に勤めることによって客にカネを払わせている=一票を投じさせているのと同じだからだ。
そしてその出したカネがこれら企業社会主義の構成員どもを維持することになるし、カネを出すことはその企業を支持することと同じになる。そのカネが回りまわって広告代理店やカルト宗教さらには再エネ利権や原発マフィアを潤すことになるのである。
テレビはエアコン以上に多大な電力を消費する。すると原発利権や再エネ利権の一員である電力会社が潤う。そしてそのカネが広告費として回りまわってメディアや広告代理店を潤し、ますますテレビなどのメディアがのさばる原因を作っているのだ。
従って、我々はカネを出して何かを買うという行為に対して厳格に考えて行動し不要なものを買わされないようにする必要があるのだ。敵一味が私に対して使う、「必要を創造する」という手口をメディアや広告代理店は広く民衆に対して使っているということである。「創造された必要」を見抜きそれに騙されたり踊らされないようにしなければならない。

冒頭にも書いたとおり、政治も国会もただのお飾りであり本当の権力はそんなところには無い。そして選挙の投票も奴隷たちが自分で決めていると錯覚させるためのからくりに過ぎない。支配層の手先であるメディアが殊更にこれらのお飾りを煽りたて選挙に行けと叫ぶのは、本当の投票である消費行為に目を向けさせずに企業社会主義勢力を支持させ続けるためでもあるのだ。
与党も野党も皆用意されたものであり、全てグルである。そしてメディアの操作による左右プロレスが平然と罷り通っているが、そんなところに支配層のアキレス腱は無い。
この国を牛耳っているのは企業・官僚・偽天であり、これらは皆キリスト教勢力の手先でもある。企業カルトも宗教カルトも殆どがキリスト教勢力の手先である。
奴らにとって一番困るのは、今の経済システムが回らなくなることなのである。
今の経済システムは、企業社会主義勢力がグルになって民衆を騙し不要不急で無駄なものをたくさん買わせる事によって成り立っている。したがって、無駄を省かれては困るのが支配勢力どもなのである。
翻って今の社会を変えるには、今のシステムを一度止める必要があるのである。
少なくとも煽られるままにあれこれ買っているようでは変革はおぼつかないのである。

ニホンジンにはセラヴィが足りない


ニホンジンがいとも簡単に広告代理店や悪徳企業の悪宣伝に乗せられてしまう原因として、ニホンジンには自分に必要なものはここまで、不要なものは買わないという信念が著しく欠如していることがある。煽る側もそれを知ってやっているので、力関係が一方的になり企業社会主義が一方的に搾取し続ける構図になってしまっている。
あらぬ夢や幻想を見せてそれで縛り、強迫観念を植え付けて企業社会主義の奴隷に成り下がらせ、成功例だけを見せリスクを教えずに妄信させるのが奴らのやり方だ。
夢に駆られていると、物事の善悪を判断する力が薄れる。 人殺しのような事に手を出してまで教祖様の夢を見続けるカルト員、宗勢拡大の夢のために平気で他者を罵り続け終いには邪魔者を糖質呼ばわりする某宗教の講員、「いい学校、いい会社」という夢の為にしなくていい借金に手を出す人、趣味ごとのために自己中心的になり他人ともめるような事をする人(鉄ヲタのトラブルがいい例)も、そのいい例であり夢に入りすぎて善悪を失った姿であるといえる。
そもそも支配勢力とは民衆にあらぬ夢や幻想を見せ続けて都合の悪い現実を見せないようにしているのであるから端から疑ってかかるべきである。

では民衆は最初からそのようなセラヴィを持ち合わせていなかったのか?
答えはNOである。
あらぬ夢や幻想を、それも超大型のそれを見せられてしまったがために感覚が麻痺してしまい忘れ去らされてしまったのである。
セラヴィは主に経験値から生み出されるものである。
それを吹き飛ばし民衆を洗脳するための装置として開発されたものがある。
それがテレビである。
この世にそれが登場してから、まだ60年ほどしか経っていないが、しかしこの悪魔の装置はそれまでの経験値という貴重な積み重ねを意図も簡単に吹き飛ばしてしまったのだ。
敵が失わせるのは簡単だが、失われたセラヴィを取り戻すのは大変な時間と労力を要する。
セラヴィを構築するには、まず自分の身の丈を弁えることが必要である。
そして背伸びをしないこと、ありのままの自分を受け入れることである。
何よりも必要なことは、夢や幻想から脱却して現実に立ち返ることである。
その上で自身の経験を振り返っていく中で、私は私なりのセラヴィを作り上げてきたのである。
企業社会主義やカルト宗教は信念を持つことを極端に嫌う。
何故か?信念を持っていると自分らの思うとおりに操って搾取収奪することが出来ないからである。
そのことはかつてカルト宗門の悪徳法主日如があからさまに「信念は不要である」と説法でのたまっていたことによく現れている。奴らは、信者に自分の人生の手綱を自分で握らせたくないのである。それは傘下のカルト集団や企業カルトなども同じである。
逆説的に言えば、信念を持つことによって不当な搾取収奪を、ある程度は防ぐことが出来る。
だから私は言うのだ、信念を持てと。
メディアスレーブとは、信念を持たずにメディアの奴隷に成り下がっている人間のことを指す言葉である。

実践について

冒頭に書いたように政治も国会もお飾りであり、それを叩いても本当に実権を握っている連中は痛くも痒くもない。
たとえアベルフを引き摺り下ろしたとしても、次のパペットが出てくるだけだ。
奴らが恐れているのはシステムが止まることであり、民衆が余計なカネを出さなくなることである。
何故なら奴らは民衆から搾取した「余計なカネ」で成り立っているからであり、デモも運動も奴らを止めることは出来ない。
民衆が出した余計なカネが、奴等に権力を持たせているも同じなのである。
奴らを止めるには悪質企業の商品を買わないこと、悪質企業で商品を買わないことしかないのである。
だからこそ不要なものを買わない、不要な移動をしないことが肝要なのである。
不要な移動の先にあるものは不要なレジャーや不要な物品であることが殆どであり、不要なレジャーを切れば不要な移動も同時に切れるのである。
それらを買うことは企業社会主義に一票を投じることになるのであり、商業主義がどうして好かれたいかというのはカネしかないのである。一票を投じさせたいのである。そのために手先のメディアはこれでもかと夢や幻想を見せ続けて消費を煽るのである。無論それにはあらゆる真実から目を逸らさせたいというのも目的としてあるのであるが。
悪質企業に一票を投じさせられないにはどうしたらいいか?それは必要なものであれば買う店を選びどこの作った商品を買うか選ぶことである。そこで売国企業やカルト企業を排除するのだ。売国企業等の商品を買わない、売国企業等で商品を買わないということだ。
カルト企業や向こう側の企業、或いは食べて応援系企業、或いは買ってはいけない商品についての情報は、その選別をするために必要なものである。支配層はそれを隠蔽することで成り立っているというべきであり、そのような情報を民衆は自分で探して商品を選別し、不用品を排除しなければならないのだ。それをしようともせず言われることを鵜呑みにして何も考えずに消費生活に浸かるのはメディアスレーブの所業である。

趣味ごとに対する考え方

これは、当サイトの固定コンテンツに私が書いたものを抜粋したものである。
趣味ごとは人間としての文化的生活に必要なものではあるが、度を過ぎて深みに嵌ると人生を狂わせる大きな原因にもなりえるものであり、深入りしすぎないように適正な規制が必要である。
趣味レジャー雑誌や御用サイトの類は総じて思考停止、脳内お花畑に民衆を陥れるためのNWO支配勢力の陰謀であり、煽りとハタカセ、資産簒奪のためのツールであるからそのようなものに頼らないようにして、対象を限定するなどして深みに嵌ることを防がなければならない。
また、趣味ごとの対象の中には権力者、支配層の都合と思惑によって捏造されたものが必ず存在するからそのようなものを見抜き、そのようなものは対象としてはならない。
趣味ごとに使うツール或いはグッズはあまり売り買いしないようにして、ひとつのものを長く使い続けるようにするべきであり、支配側が煽るような流行やトレンドなどには踊らされないようにしなくてはならない。また、趣味ごとによる所有物は必要最低限に抑制し、浪費を防がなければならない。

民衆の命運は、我々の実践にかかっているのだ。

この国の支配体制について

先の記事ではおよそ3年ぶりに真実追究の筆を取り、総論としてこれまでにわかっていることを書き記してきた。
ここでは、この国の真の体制について私の見解を述べる。
また、天皇と天皇制についても後半で解説する。

この国は、企業社会主義と官僚社会主義の「二重の社会主義」によって支配されており、政治家・政党・国会などはお飾りである。
官僚・企業は米帝と閥族によってまとめられており、これらの頂点に立つのがキリスト教徒であり英国陸軍元帥である偽天皇である。
天皇は、明治維新の直後にすり替えられており本物の皇族は既にいない。
そして、米帝や完了を牛耳っているのがこの偽天皇である。
これらの手先として、国家神道(靖国神社が首魁)があり、そして創価学会、幸福の科学、オウム真理教などのカルト宗教があり、これらの中に支配層の意向によって意図的に事件を惹き起こす特務機関があると見ている。なお、創価学会については後述する。

私は、5年前の時点で二重の社会主義と権力三兄弟に気付いていたことが過去記事に明らかである。
故に敵一味に恐れられたことについてはここでは割愛する。
そこで私は、権力三兄弟とは「官僚」「マスゴミ」「企業社会主義」であると指摘している。
大体は合っているのだが、より正確に表現するならば
官僚と官僚機構
マスゴミ
企業社会
ということになる。
これらを閥族が牛耳り、そして頂点には偽天皇が君臨し、権力三兄弟の横に民衆支配の手段として宗教やヒモ付きの陰謀論者や偽被害者がいるというのが現時点での見立てになる。
下ではなく横なのは、マスゴミが権力を構成する一部であるにも拘らず支配層を構成する他の勢力からの圧力に弱いからである。
今やマスゴミは政権批判もまともに出来ず都合の悪いことは報道しないという有様である。
そしてヒモ付きどもは覚醒し真実を探す民衆の矛先を逸らし、ミスリードして真実に近づかせまいとしている。
「権力三兄弟」は五年前の見解であるゆえ、もしかすると三兄弟が四兄弟、五兄弟になったり上下関係が入れ替わる時がくるかもしれない。明日そうなったとしても何ら不思議でない。
それは、偽天皇とカルト宗教特に代替キリスト教である宗教が密接に結びついていると見られることによる。
日蓮正宗の下部団体である妙観講が事件を惹き起こした時、奴らはすぐさま圧力をかけて報道を中止させ、記事を削除させたのである。
このような圧力をかけられるのだから動画削除を自作自演するのは簡単な話なのである。
そのときの削除前の記事がこちらになる。

現在の支配層は、云うまでも無く明治維新勢力つまりキリスト教勢力に連なっている。
従って、奴らの狙いは社会の完全なキリスト教化であり、全体主義化なのである。
しかし、キリスト教の不寛容性や全体主義性は日本人の機根にはなじまないものであった。
そこでキリスト教勢力が生み出した物が、キリスト教の代わりに信仰させキリスト教的価値観を植えつけ将来的にキリスト教に帰一させるための「代替キリスト教」なのである。
古神道から改変して性的要素を取り除きキリスト教化したものが国家神道であり、靖国神社は明治維新の直後に作られた。
そして廃仏毀釈が行われ、全国の無数の仏教寺院が破却されたのである。
この廃仏毀釈こそ、代替キリスト教である国家神道を崇拝させ天皇制崇拝につなげるためのものだったのである。
そしてキリスト教的価値観や道徳を強制するための工作が行われ、一夫一婦制・家制度・家父長制というキリスト教的価値観の制度が整備されたのである。
これについて「道徳の立て直しである」などとほざいているヒモ付きがいるが、当時道徳を立て直さなければならないような状況には無く、ためにする物言いである。それを云うならば、一揆などの反抗勢力を弾圧したことを指してそのように云っているのではないのか。
このほかにも、明治維新勢力は数々の偽伝統を作り上げ、喧伝して定着させていったわけである。
その代表的なものに、明治18年に作られた初詣がある。
云うまでも無く初詣とは元日を祝うために作られたものであり、キリスト教的価値観に合わせるためのものである。
元々元日を祝う風習は日本には無く、立春を以って新年としていたのが本来の伝統である。
また神社にせよ仏閣にせよ各々に詣でるべき日取りは決まっており、それぞれに異なる日だったのであり元日に詣でる習慣など無かった。
また、現在の年越しそばも新暦つまりキリスト教歴に合わせて改変されたものであり、元々は節分に食べていたものと毎月末日に食べていた晦日そばを合造し、大晦日に食べるように改変した偽伝統である。
伝統だというのであれば新年を祝うならば立春にするべきであり、年越しそばは節分に食べるべきものである。

その捏造された価値観の浸透は都市部ほど早く、一部地方においては戦後まで江戸時代の価値観のまま残存したコミュニティがあったが、戦後レジームの中でそれも一掃されてしまったようである。

代替キリスト教は国家神道だけではなかった。
神道系や日蓮系のカルト宗教である。
通称富士門流は実質的には1400年代の怪僧、日有の数々の捏造を端緒とする異端流派であるが、元々が謀略的であったため易々とキリスト教勢力と結託するに至ったものと私は見ている。
また神道系のカルトとして大本が、日蓮系のカルトとして国柱会があり、これらは互いに結託していたと見ている。
なお大石寺門流は明治維新以後に日蓮宗興門派に組み込まれ、1900年に分離独立で日蓮宗富士派と名乗り、1912年に日蓮正宗とその名を改めている。
日蓮宗興門派とは、明治政府がその方針により日蓮系宗派の中でも日興を派祖とする流派を束ねたものであり、日有門流と決別した他の富士門流系宗派は、現在では日蓮宗(主流・身延)に束ねられている。興門派であった寺院は興統法縁会に属するものが多い。

天皇制は明治維新勢力によって捏造されたものであり、日本本来の天皇の存在意義とは異なるものである。
天皇制では天皇を「現人神」として崇めていたが、「現人神」こそキリストのことであり、これを鋭く指摘していた作家があった。幸徳秋水である。
幸徳秋水は、天皇制はキリスト教であるという鋭い指摘をしていた。しかし、故に明治政府に敵視されるようになり、疑獄事件によって処刑されてしまったのであった。
そして、その肝心の天皇は明治維新に際してすりかえられた偽皇族であると云われている。
江戸時代は、幕府が実権を握ってはいたが、その長たる将軍は形式上ではあるが朝廷から将軍職に任ぜられていた。
やはり明治維新勢力がキリスト教化のためにスリカエたのではなかろうか。
何故なら古来天皇皇族とは仏教徒であったからである。
また、天皇は英国陸軍元帥である、生きた天皇は偽物であるというのは今や特別な情報ですらない。
やらせによる戦争が終わると、天皇は人間宣言なるものをして無力化をして逃げおおそうとしたのである。
しかし、これは権力のロンダリングであり天皇を疑わせないための偽装でもある。
そして、秘密選挙による形だけの民主主義制ということにして、お飾りである国会や政治家、政党が治めているように偽装することとなったのである。
従って、今でもこの国の最高権力者は天皇皇族なのであり、国会でもなければ内閣でもない。
その天皇の権力の源は何か。それは、米軍の駐留なのである。
つまり、正規軍を作らせないことによって天皇の権力は成り立っているということである。
正規軍を作れば、その兵力を以って天皇の権力を脅かすことになりかねないためである。
天皇は、「米軍の撤退だけはダメだぞ」と官僚(高官)に命じたそうである。
しいては天皇には米軍を牛耳るほどの権力があるということにもなるのである。

明治維新から60年余り、一つの支配層団体が作られた。
その名を創価教育学会といい、その設立に日蓮正宗が関っていた。
創価教育学会は、現在の創価学会の前身であり、設立当時は支配者層の集まりであり教育者の集まりでもあった。
実際、創立メンバーにはそうそうたる面子が名を連ねており、現在の創価学会がHPで自慢するほどである。
創設者とされる牧口常三郎はクリスチャンであったといわれているが、このことがこの団体の正体と真の目的を雄弁に物語っている。
日蓮正宗が関っていながら初代代表がクリスチャンであること自体、この団体がキリスト教支配層の集まりでありこの時点で日蓮正宗も完全に代替キリスト教と化していたということである。
もとより富士門流時代から数々の偽作贋作を繰り返してきた宗派であり、キリスト教的価値観に合わせて御書を改変することなど朝飯前だったのである。
翻って現在の両団体とも日蓮ふうキリスト教そのものであり、他の傍系団体においてもそれは変わらない。
戦後になって創価教育学会は戸田城聖が創価学会と改めて凄まじい活動によって会員数を増やした。
この戸田も怪しい男で、岸信介が友人だったというではないか。
現在形の上では創価学会が破門され対立しているかのように見せかけているが、これには裏がある。
創価学会の不法行為が一般から見てあまりにも目に余るようになり、このままでは日蓮正宗も同様の危険な団体と見做される(実際そうなのだが)危険があったこと、また対立を煽ることに信者操縦法としての旨みがあることにより、裏で申し合わせて茶番を繰り広げ、表向き破門したことにしたのである。
その後大石寺に街宣右翼が押し寄せたが、この街宣右翼もまた大石寺の警備側もプロレスのようなことをやっていたのである。
街宣右翼は昼間だけ吼えて夜は宿坊で寝ていたといい、警備側は右翼のいない夜だけ見張りに出ていたというのである。
その後、大石寺の境内地にあった、創価学会系の富士美術館が撤退することとなったのであるが、本当に対立しているのであればこんなおいしい陣地を易々と手放すわけは無いのである。何しろ敵宗派の境内地にあるわけだから。
そして、美術館の敷地建物は宗門に返還される事となり、現在は宗門が宝物殿として使用している。
従って、この返還に際しては宗創の間に必ず話し合いが持たれたはずである。つまり、破門は表向きだけで、実際には裏でつながっているということになる。
更に、宗門側の某寺院が自爆発言を行った。
それは、創価の大幹部は学会葬をしていないというものである。
では、その大幹部は誰が葬儀をしているのか?
しかし、それについて当該寺院は答えていないのである。
つまり、それは答えられない内容なのである。
どういうことか?大幹部の葬儀は宗門の高僧が執り行っているということに他ならない。
更に、某週刊誌に掲載された池田大作の「日顕上人にお会いしたい」発言の暴露が、裏でつながっていることを雄弁に物語っている。
もし本当に対立しているのであれば、間違ってもそのような言が口を突いて出ることは無いのである。
以上より、今でも宗門と創価、強いては鶴丸四宗派は裏でつながっているものであるといえる。
顕正会もまた、両団体にとっての叩かれ役、デコイの役回りを引き受けているものであり、対立は表向きだけなのである。
尤も、真相を知っているのは一部の大幹部だけなので、中級クラス以下の者は対立しているものと本気で思い込んでいる。この点には注意が必要である。

今や皇族にも創価学会員がいるということであるが、そもそも学会は支配層の集まりなのであるから官僚が居ようが皇族が居ようが何ら不思議なことではない。
偽天皇偽皇族はキリスト教勢力なのであるから、まさしく仲間同士なのである。
従って、創設以来創価学会はキリスト教支配層の集まりであるのであり、日蓮正宗から見れば今でも傘下団体、別働部隊なのである。
支配層の集まりを牛耳っている時点で相当の権力であり、もしかすると権力三兄弟に並び立ち得るのが宗門なのかも知れぬ。メディアに圧力をかけるなど朝飯前な訳だ。
少なくともこんな宗教にカネを出すことは無いのである。
何でも破門直後の信徒の少ない時代でも高級の法主専用車で移動していたというから、実際には学会からかなりの資金供給を受けていたに違いない。
貧乏人の信者がわざわざカネを出さなくても宗門には有り余るほどカネがあるのだからカネなんか出すことは無い。
まさしく坊主丸儲けである。

ヒモ付きは創価を叩いてもその親玉である日蓮正宗・宗門を叩かない輩が多い。これに該当していたら、ほぼヒモ付きであると見て間違いない。それは創価をデコイにして真の画策者を隠蔽する輩に他ならないからである。

ではおさらいしよう。
官僚社会主義を構築する官僚機構、企業社会主義を構築する企業連合があり、これらの下僕、大本営発表機関としてマスゴミが存在する。
そして民衆を誑かし的ずらしして支配する(We fool you)国家神道などの代替キリスト教があり、支配層の集まりである創価学会がある。創価学会は今でも日蓮正宗宗門が牛耳っている。
これらを閥族がまとめ、そしてその頂点に偽天皇偽皇族が立つ。
これが現在の日本国内の権力構造であり、アベルフなどその下僕でしかない。
いわんをや国会も政治家も政党も全てお飾りであり、選挙など奴隷が自分で決めていると錯覚させるための権力装置に過ぎない。

私は、遠い日に消費者が消費者責任を果たせば企業社会主義は潰せると書いた。
利権だって消費者が消費者責任を果たせば潰せるだろう。
つまり消費者責任とは不必要なもの、利権まみれのもの、有害なもの、身の丈に合わないものに手を出さないことである。
然るに、メディアとは支配層のための大本営発表機関であるからメディアの言うことを鵜呑みにしていてはいけない。
メディアは「欲しい」だけのものを「必要」とすりかえるのが大の得意である。
したがって、欲しいものと必要なものの区別を厳密につけることが消費者責任を果たすには必要である。
消費者責任を果たせないのはメディアスレーブだからである。
権力装置を止めたければ、無駄なものにカネを出さないことであり趣味ごとやレジャーを止めることである。

あなたが無駄遣いしたカネが、回りまわって権力システムを回し続けていることになるのである。

今のチャンネルを始めた時に投げたツイートを貼り付けて本稿を締める。

重大な真実について

前回の投稿から三ヶ月が空いてしまったが、この間も真実の追究はくまなく進めていた次第である。
宗門が創価等のカルト宗教とグルであった事などは既に明らかにしてきたところであるが、この三ヶ月でまたしても宗門にとって都合の悪い重大な真実が明らかになった。

では、早速今回判明したことについて明らかにしてゆく。

この犯罪の主導者は?

私に対するガスライティング犯罪、テクノロジー犯罪、運命操作を主導してきた者の正体が明らかになった。
この犯罪を主導しているのは、日蓮正宗宗門の宗務院であり、実行犯は鶴丸グループ各宗派に散らばっているものと見られる。
一昨年の秋、私は宗門に対する疑問、特に現証の面からの疑問により、宗教に対する見直しに踏み切った。
これに対し、敵は激しい攻撃をもってこれに応え、更に鉄道趣味を非合法化する決定をしたことに対して、宗教の見直しに対して都合のよい結論を押し付けてきた。これはすぐに破られることとなったが、このことは「宗門からの決別」が誰にとって都合の悪いものであるかを端的に示している。
私をターゲットとした理由、動機などはいまだ不明であるが、真実の追究を押し止めてそこから宗教、自宗への誘導を行っていること、更に真実を追及しようとした私に対する宗門側の仕打ち、両寺院の構成員どもによる迫害・言論圧殺事件などから、この犯罪の主導者を日蓮正宗宗門であると突き止めた。
なお、言論圧殺事件において問題になった内容を刷り込んで書かせたのも、宗門側の意向であり、この犯罪の本質を隠蔽していち構成員になすりつけ追及を免れようとしたものである。
つまり、真実の追及を押し止めたのも、煽りとハタカセの手口も、そのような趣味を押し付けたのも、離間工作も、医療利権への誘導も、全て宗門の意向で行われたということである。
要するに、私は宗門の意向で医療利権に差し出された訳であり、生贄にされたということである。

宗門(隷属時代)における数々の事件の本質

この犯罪においては、以下の要綱に基づいて行われていると思われる。

運命操作によって身近な縁を徹底的に分断し、離間工作等によって孤立化させる。また、新たな縁など作らせないように操作する。
癒しを与えないようにして、怒りやイライラの感情を煽り立て増幅させることによって狂わせてゆく。
些細なことを針小棒大に煽り立て、トラブルや紛争を頻発させて孤立させる。
交際事犯を頻発させ、女というものに対する不信感を植え付けることによって不幸の固定化を行う。

そして敵宗門は、そのことを以って宗門から逃さないようにし、かつ宗門への依存を強めさせようとしていたのである。

11年間で、重大な交際類似事犯が2件惹起しているが、いずれも寺ぐるみによる犯行であり、惹起者個人の勝手な行動ではない。
いずれの事件も、法華講組織によるモラルハラスメントの本質を隠蔽し、それをいち構成員になすりつけて誤魔化すためであり、また自ら広めた悪評を固定化するための謀略によるものであったのである。
2013年の事件は、当時班長を務めていた男が主導して惹き起こされたものであり、そのために断って自力で帰ろうとした私を無理にでも引き止めて、問題の女と一緒に車に乗せるという蛮行に及んでいるのである。
法悦院における悪評は、まさにこの男が勝手に広めたものであり、いわれのないものであった。奴らは、私をモラハラのターゲットとして講員どもの不満のはけ口、サンドバッグとさせることによって講役員や住職などに、強いては宗門に非難の矛先が向かないようにしていたのである。
最終的には、悪事がばれないうちに皆で言いくるめて精神科にぶち込み、抹殺しようとしていたのである。

しかし、私が敵の操作にも拘らずこれを破って脱退の道を選んだことで、奴らの思惑が狂いだした。
宗務院は、私が用意した脱退届けを受け取らず、何とか誤魔化して脱退を押しとどめようとした。
しかし、私が真実の追及をする姿勢を見せたことで、敵は手のひらを返したように数々の仕打ちを行い、両寺院の者による迫害事件に発展している。更に、昨年暮れには「自殺に見せかけて殺してやるぞ」という脅しを例の本山任務者の男から受けてもいる。
その後、正式な脱退の文書を送付し本尊を返したことによって、表向きは姿を現さなくなっているが、近隣の者をけしかけたり人の見ていないところで悪さをするなどして工作を繰り返している。
学会員の可能性もあるが、創価学会はこの事件の加担者ではあっても首謀者ではない。
いずれにしてもそれらの嫌がらせや運命操作は宗門の意向、宗門の命によって行われているのである。

1年ほど前、忌まわしき言論弾圧事件が惹起し、危うく言論という武器を奪われるところであった。
あの日、敵は両寺院の男子部3名を以って家に押しかけてきた。
これに呼応するように、テクノロジー犯罪部隊が怒りの感情を殊更に増幅させ、見境のない状態にされた上取るべきでない行動を取らされ、結果決定的な不利をこうむることとなった。
あの日、くだらない紙切れにさえ反応せずに無視していればあのような手口には引っかかることなど無かった。
敵にしてみれば、なんとしても引っ掛けなければならなかったということであり、そのためにテクノロジー犯罪部隊を頼って怒りの感情を増幅させ、自分たちに向かっていくような行動を取らせるマインドコントロールに及んだと考えるのが自然である。

この事件は、私が真の真実を突き止める前に敵が捩じ込んだ内容を問題にして言論を封じ、これをネタに「戻ったほうがいい」などと言いくるめ、無理にでも引き戻して「皆で言いくるめて精神科」のレールに乗せ、そのまま抹殺しようとした極めて陰湿な事件であった。

このことが物語るものは何か。
つまり、テクノロジー犯罪は宗門の意向で行われているということである。これが明るみに出れば、宗門は崩壊の危機に瀕する。だから、なんとしても隠し通さねばならないのだ。
実際問題、前寺院でこの犯罪のことや陰謀論などについて話すと皆一様に「考えすぎだ」などといわれる有様だったのである。なんとしても「考えすぎだ」ということにしなければ都合が悪い、そういうことなのである。

繰り返すが、創価学会は加担者ではあっても首謀者ではない。
それについては後述する。

その後、真実の追究が進んだことによって問題のブログの内容が確かに間違いであったことを突き止め、これは敵が真の真実を知られないようにするために仕組んだものであったこと、門外漢女がそのために自らが目立つことで注目を引き、批判の矢面に立つことで石之坊サイドに批判の矛先が向かないようにする役割を担っていたいち工作員に過ぎなかったこと、石の湯事件がハラスメントの隠蔽のために利用され、敵が仕組んだ間違った内容につながっていたこと、そして一連のハラスメントがすべて寺ぐるみであり、宗門によって仕組まれたものであったことを突き止めたのである。
もちろん、その間違った内容を捩じ込んだのはテクノロジー犯罪部隊であるから、この部隊は宗門側の意向に沿って動いているということであり、陰謀論系の気まぐれファイルが言うような「創価学会の独自犯罪」ではないということである。

敵は今なお、運命操作によって孤立化の固定化を行うことに余念がない。
ここまで孤立化の維持に腐心せねばならないのは、私が宗門にとって不都合な真実をたくさん知っているからであり、それが広まっては困るからである。
今宗門にとって最も拙い存在のひとりが、他ならぬ私であるということだ。
敵は、運命操作を連続的に行い揺さぶりをかけることによってこれを現証だ、罰だと脅して引き戻すつもりでいるようだが、そんなカラクリには騙されない。
何故ならそれらは全て敵の運命操作によるものであって、人為的に作られた謀略に過ぎないと見抜いているからである。

創価学会の本質とは?

この点においては、創価学会がその方針をコロコロ変えるところ、カメレオンのように権力にしがみつこうという姿勢から解るように、創価学会というものが、「己の意思」を持たない存在であることがわかると思う。
では、創価学会は誰の意志に基づいて動いているのか?
それは、日蓮正宗宗門である。
つまり、宗門から「キャスティングボートを手離すな」という絶対命令を受けており、そのためにこれまでの主張を曲げて政権に従うという行動になっているということである。
そもそも、創価学会ができたのは日蓮正宗の別働部隊としてであり、クリスチャンである牧口はそのために裏勢力によってリクルーティングされたということである。
創価学会の体質は、宗門のそれの丸写しである。そのため、学会が(宗門の下命によって)惹き起こしてきた事件の一部が明るみに出るようになると、出来レースによって離脱騒動を惹き起こさせ、叱り付ける振りだけして体裁を取り繕っていたのである。しかし、それにも限界があったのと、また別の目的があって、平成2年末からの出来レースによって形の上で「破門したこと」にして追及を逃れようとしたのが破門の本質である。
宗門と創価の両者には、両者を形の上で切り離した上で、下級構成員同士を争わせることによってそれぞれのトップに非難の矛先が向かないようにする狙いがあったのである。こんなことは口が裂けても言えないだろうし、ばれては両組織の存亡にかかわってしまう。だから両者は訳のわからない言い訳でこの「破門」を正当化し、その理由をでっち上げ、或いは信者に教えないなどしたのであろう。
この点についても、両者は終始苦しい言い逃れを以って何とか誤魔化しを図っているのが実情であり、特に宗門は、その何重にも被った化けの皮がはがれそうになって狼狽している、それで各地の工作員を使って言論弾圧にいそしんでいるというのが真相であろう。
埼玉の某寺院が、創価の最高幹部は学会葬、友人葬をしていないとゲロってしまった。
そこには、最高幹部の葬儀がどうしているという、肝心なことが書いていなかった。
つまり、それは絶対に書けない内容なのである。
具体的に言うと、最高幹部の葬儀は宗門の高僧がやっているということになるのではないか。だったら書けない訳だ。

宗門が信者を逃げさせないようにする手口

よく宗教などで、「功徳」だの「罰」という言葉を聞かされた人は多いことと思う。
結論から先に言うと、功徳も罰もそもそも存在しないものである。それらは、信者を逃さないように引き止めや脅しの文句としてでっち上げたものである。
功徳が存在しないことは、私の実体験で証明できる。
人工透析に貶められる直前、私は1日に何時間も祈らされていたが状況は一向によくならず、却って悪化するばかりだったのである。
祈るとかする前に、もっとするべきこと考えるべきことがたくさんあったはずであったが、それは敵の目暗ましによって出来ないように仕向けられていたのだ。
自ら数々のハラスメントや謀略行為を惹き起こしておきながらそれを宿業だ試練だと誤魔化し、しかもこれをネタに「そんなことを書いているから功徳が出ない」などと脅して言論を弾圧していた、これが宗門というものの本質であり正体だ。
しかも功徳などそもそも無いものである事を知りながら、その言い訳作りにしていたというのであればこれは言語道断の所業である。
「悪者は無い物で煽る」という事をツイッターでも度々書いてきたが、まさに「功徳」「罰」などという「無い物」で煽っていたのが宗門であり、これが宗門が悪者である何よりの証左になる。
凡そ神も悪魔も、己の心の外には存在しないものである。しかし、宗教はそれらを心の外にあるということにしてそれをでっち上げ拝ませることによって都合のよい結論に導き、目暗ましをして搾取するのだ。
宗教というものは支配勢力のためにある、支配勢力の手先であり、決して信者の人生を救済するものではないということを、現実を以って知るべきである。
あの忌まわしき言論弾圧の日、敵工作員はブログを消すことを「功徳だ」などと言った。
しかし、あれから功徳らしきことは何一つもないし敵も運命操作をやめるどころかこれをエスカレートさせるばかりの現状である。
このことこそが、功徳など存在しないものであり、功徳めいたものは人為的に起こされたまやかしでしかないということである。
いかなる宗教であっても、それに人を救済する力など持ち合わせたものは無い。
むしろ安心できるウソで人を騙し、自分の人生の手綱を自分では握らせないようにして必要なことをさせずに不幸に貶め、しかもそれをネタにゆすりや脅しで従わせて金を巻き上げる、それが宗教というものの本質なのである。
宗教は支配勢力の手先であり、「的ずらし」「目暗まし」によって真実の追究をさせないためにあるものなのである。

陰謀論者と法華講の関わりについて

創価学会のことを批判しているようでも、その親玉である宗門法華講を批判しないばかりかその悪行には一切触れず、創価学会「だけ」を強調している陰謀論者の輩が多くいる。
これらの者は、巷に多くいる陰謀論者と同じく支配勢力に飼われた輩であり、的ずらしや目暗ましに加担する暗黒の輩である。
中には宗門の宣伝文句とまったく同じに「日蓮正宗こそが最高の宗教である」などとのたまっている陰謀論者もいる有様である。
RKを見て創価を脱会したはいいが、そのまま向こう側の思惑通り法華講に流れている馬鹿者がツイッター上にもいる。また、前寺院にも陰謀論者の信奉者がいたことを考えるとRKと法華講の間には何らかの関わり、密約があると考えるのが普通であり、その点でもRKはヒモ付きであると言わなくてはならない。
創価学会は、日蓮正宗の別働部隊であり、自らが目立つことで批判の矢面に自らが立ち、これによって宗門の悪事を隠蔽する役どころを担っている(ちょうど石之坊における門外漢女が筆者に対して行った役割と同じである)。
また、先述のとおり創価学会自体は自らの意思を持たない存在であり、それを強調することは真の首謀者を隠すことに加担する悪魔の所業なのである。
なお、テクノロジー犯罪の意図的発覚の際に見せられた「気まぐれファイル」というサイトがあるが、このサイトも陰謀論系かつ敵宗門紐付きであり、具体的な手口に触れていないこと、「逃げられない」的なことをほざいていること、くだらない的な、ままごと的な記述に終始していること(これは、テクノロジー犯罪の実際とは大きく乖離したものだ)、日蓮正宗を全く批判していないことをその傍証とする。
つまり、脱退されては困るので正宗批判を含まないサイトに誘導したということであるのだ。

私はかかる宗門の首謀による運命操作を絶対に許さないし、その結果は絶対に受け入れないということ、これら運命操作に対しては手厳しい復讐を以って臨むということをここに宣言するものである。

読者の皆さんにおかれては一日も早く宗教の呪縛から解放されて、くだらない常識にはとらわれず身近な縁を大切にする生き方を取り戻してほしいと願うものである。

ご注意

本記事は、敵宗門より脱退後の混乱期に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。(重篤なものについては最新の見解をもとに修正しています。)