これまで追求されてきた「豊かさ」について

人間というのはつくづく愚かな生き物であるということを痛感させられるこのごろであるが
われわれは、すでに今追求されている「豊かさ」というものは上辺だけのものであるという事に気づいてそれを全面的に見直すべきときを迎えている
それが出来ない人は、今後も企業社会主義にいい様に利用され、しゃぶり尽くされた挙句に破滅の結末を迎えることになるのだ
一時期はそういったものが見直され「心の時代」が実現するかに見えた時期もあったが、結局は格差社会を磐石にするためのプロパガンダが行われ、企業社会主義の巻き返しというか返り討ちに遭ってしまった
その結果、今なお学歴、職業だとか、あるいは「見た目」みたいな上辺の部分だけが重視されるようになってしまっているのが今の社会だ
実はその「格差社会」にしても、そのような意図を持った企業社会主義側の意向を汲んだマスゴミ・メディアによって煽り立てられたものに過ぎないのだ
その意味では、すべてのメディアが御用メディアであるといわねばならない
そして、60年近くも洗脳を受けた挙句に「モノ」や「カネ」がたくさんあることが豊かさだと勘違いするようになったのが今の日本人でありメディアスレーブである
下記も参照していただきたい
原発が稼働することで実現する経済は、「豊かさ」とは関係がない
(BLOGOS)
原発が無ければ維持できない「豊かさ」というものは、そんなに大切なものなのか?と疑わなければならないのだ
むしろ、そうした上辺だけの「豊かさ」を追求する強欲さこそが、今地球環境を破壊しつつある張本人だと気づかねばならない
窮極的に言えば、これからはあらゆる面での「ダウンサイジング」をしなければならないのである
しかし、企業社会主義にとっては大変に都合が悪いので、情報操作や事実の隠蔽、すり替えが行われ、もっともっと消費をさせるように誘導がなされたのである
もちろん、役所も裏で企業社会主義と結託しているので、役所に何を言っても無駄である
私がしつこいくらいに「消費者責任」を云うのは、プロパガンダに乗せられてしまえば「負け」だからである
メディアを離れる、というのはただ単にテレビを見ない、新聞を読まないだけでは終わらない
雑誌の類や、HowTo本、更には単行本に至るまで、煽りと脅しとプロパガンダが満ち溢れているのだ
そうしたものを手にとって読んでしまった時点で、すでに洗脳されてしまっているのだ
メディアスレーブから脱却するには、日本語だけでは不十分である
日本語だけでは、権力三兄弟の操作と洗脳から逃れるのは大変難しいのである
外国メディアの日本語版も日本語にする人間がすべて検閲しているので役に立たない
日本の教育が外国語に力を入れないのはそうした洗脳上の理由があるためと思われる
学校教育も国家の意向に左右される以上、親や学校の言うことを鵜呑みにするのではなく、自分で考えて真実を探すしかないのであるが、それをさせないようにしているのが今の学校教育である
公立学校の教師も、公務員=官僚であるので、信用は出来ないのだ
だから、給食の食材の産地を尋ねても、「業者との信頼関係」などという答え(答えにはなっていない詭弁なのだが)しか返ってこない
原子炉の事故では27種類の物質が放出されるのだが、マスゴミはそのようなことには一切触れない
やたらとセシウムだけが騒がれたのは、他の物質のことに触れさせない意図があったのは間違いない
だから、今頃になってストロンチウムが検出される、などということになる
さらに、役所や農協も検出限界を引き上げたり一部しか検査しなかったり、産地偽装を行うなどきわめて悪質である
何でもその検出限界が40ベクレルらしいが、どう考えても「実際の検出結果から逆算された」ものであり、ここでも情報操作が行われているのである
高知や宮崎でもお米からセシウム検出!でも千葉は一切未検出!
(日々雑感)
更に犬HKではトンデモな粉飾満載のプロパガンダ番組を流したらしい
NHKの本気を見た!福島産の野菜を使って食事を作る⇒0Bq 福島産以外を使うとセシウム検出【あさイチ】
(日々雑感)
事故を起こした福島で生産されたものが汚染されていないわけが無いのに、「汚染ゼロ」みたいなことを言っているのである
どう考えてもすりかえられているし、あんなのを信じる人は莫迦であるといわねばならない
更に、福島では「なぜ風評被害というのか」という問いに対して「原子力被害も実害もすべて風評被害で統一することになった」などと言っているらしい
マスゴミ・メディアがウソを流し、役所や官僚もウソをつき、学校でもウソを教える
この国はウソと欺瞞に満ち溢れているのである
いったいどこまで国民をなめきっているのだろうか!
一人でも多くがメディアスレーブから脱却することが最大の急務である
明後日は「利権装置」について書かせていただく予定である