シングスピールの回顧録について
伝統偽装カルト「日蓮正宗」から2015年1月に脱退。その後同宗の謀略によって人生を台無しにされたことに気付き、以後その迫害と引き戻し策動に対して自主独立と矜持を賭けて闘争を戦っています。
なお筆者は脱退以後無宗教であり、特定団体からの支援を一切受けていません。
Author:金城修一 Shuichi Kinjou
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門外漢女を斬る
当ブログでもたびたび問題にしている石之坊信者の女工作員・通称門外漢女。
この女は2004年に石之坊に入ってきてから凡そ6年の間私に対する敵宗門の工作の主軸を務めていた輩であり、これによる直接的や間接的な被害は数知れない。
2010年に私が石之坊から粛清されたことによりその後の接触はないが、現在もなお石之坊の主力役員であることに違いはなく今なお警戒を要する輩である。
門外漢女は当初から今日に至るまで反省懺悔の一片も見せておらず、一言の謝罪も一円の賠償も無く遁走を続ける。
斯様の状態が続く限りに於いては私も奴に反省の態度が無いと見なしてここに書き続ける。
門外漢女の紹介者はかつて石之坊の講頭も努めた男(桜梅桃李)である。しかしながら、桜梅桃李が入信した時に門外漢女は入信していない。
確か数日だと思うが入信日に不自然なズレがあるのだ。もちろん同日とはなかなかいかないものなのだがそれであればもっと、例えば数週間とか何ヵ月とか差が開くものだ。
この数日というズレとともに、わざわざ2月7日を選ぶという釈然としないわざとらしさは、「お上」にお伺いを立てたとも取れるに足るものだ。
何もなければ疑うに足らぬ事なのだが、あれだけの事があっては何を言われても言い訳にしか聞こえないものだ。2月7日を選んだのは明らかに「演出」であったと誰もが見抜けなかったのである。その「お上」とは奴が日蓮正宗の前に在籍していた衛星宗教の顕正会に他ならない。
入信時の経緯から不穏な門外漢女は、入信早々からおかしな発言や行動が目立った。
まず、明らかにおかしい発言の数々。
「私は浄い」
「バイクは正法じゃない」
「いいんです」
どれを取っても明らかにおかしいのだが、特に、「いいんです」は間違いや謗法の指摘に対する口答えなのである。
いくら新入者でもこんな尊大な態度はめったに見ないと思っていたが、創価学会や顕正会からの移籍者にはよく見られることであるようだ。
そもそも、「バイクは正法じゃない」って何だ?今にしてみれば全く以って意味不明であり、バイクに乗っている同門者をも侮辱する発言に他ならない。
今となってはあまり意味のない話ではあるが、謗法厳戒の念の薄い門外漢は某ロックグループ(「A」ではない)が創価系だと教えても「いいんです」で聞く耳を持たなかった。
さらに、創価にいる友だちとやらに正宗の名前を出せないとほざいていたがこれは法華講員のあり方として大変おかしいものと当時感じられた。
仕事関係で生活がかかってる話ならいざ知らず…
だがこれらは現在では私を騙し陥れるための演出であろうという見解が本会では有力となっている。これはいわゆる「ほのめかし」であるというのが現在の私の見解である。
「私は創価の人とつながりがあるのよ」というほのめかしだったのだ。だから他の人に言う訳が無いのだ、言えば大いに非難の対象になるし厳しく指導されることとなるからである。
創価とつながりがある振りをしたのは全ての謀略が敵宗門によるものであることを何としても隠蔽しておかねばならず、私が真実に気付いて脱退する事態を防ぎ妨害するためであったことが今日では判明している。つまりは敵宗門上層部の意向によって、直接的には石之坊上層部からの指示でやっていたということなのである。
更に門外漢は私に対するソーシャルエンジニアリングまで行った。いわゆる根掘り葉掘りである、これは回顧録にも書いた。なおソーシャルエンジニアリングはこの女以外にも通称SG現場の通称・千ラシ裏女も行っていた。
今にしてみれば、他に男がいながら根掘り葉掘りはおかしい訳であり、この根掘り葉掘りが行われた頃には既に私は敵宗門によってあの卑劣な連中に売られていたということだ。
そして、この後自動二輪圧殺をはじめとする数々の悪事に手を染めていった訳である。
石之坊での目立った権謀術数が目立つようになる以前より、やたらと交友関係を広げてはそれを自慢するようなことを門外漢女はしていた。
これにも狙いがあり、恐らくは筆者の悪評を広めて結婚の可能性の芽を摘む狙いか、或いは矢面に立たされた場合の擁護勢力生成の狙いがあったのだろう。
そして奴は二つの大きな事件を惹き起こす。自動二輪圧殺演出事件とデジタル一眼レフの導入に絡むスキャンダル事件である。
そしてこの二つが完結すると途端に門外漢女はそれまでと一転して私から距離を取るようになり疎遠になっていったのである。
自動二輪圧殺演出事件の後、筆者は門外漢女を公開で問い詰めたが、予想だにしない狡猾な巧弁の前に敗れてしまった。
しかしながら、門外漢女の側も誤魔化すのが精一杯で策に詰まったのだ。
この2005年秋から2007年春の間に参詣が極度に減るなどの空白期間があり、特に2006年春以降門外漢女とは疎遠になった。
そして門外漢女は派閥を形成し、数々の策謀に手を染めていった訳である。更に門外漢女は、恩ある人々に対して平然と恩を仇で返す所業にも出たのである。
恩を仇で返すというのは日本人のやり方には元々無い。というより、今でもまともな日本人ならそんなやり方はしない。カルトでもない限りは。
私が思うに、あの女は日本人ではない。云わんとする事が解るだろう。何しろ出身地が朝鮮人の集落と言われているところだ。少なくとも、私はあの女が日本人ではないと確信する。♨だ。写真で面を見た限りは。
そして2007年5月に石之坊で私に対する恐喝事件が発生したが、この時門外漢女は主犯吉田某と共に受付に同席していた。共犯者、共同正犯といっても差し支えないだろう。
尤も恐喝事件自体恐らくは宗務院が画策して山根に命じたものであろうから、門外漢女はこの事件については共犯者の範疇を出るものではない。
なおこの事件はその後長らく続いた機材迷走事件の端緒となっており、我が一家はこの事件に対してあくまで追及の姿勢を緩めないものである。
また機材が迷走したことについてはデジタル一眼レフスキャンダルによって不本意に入ってきた粗悪機材の影響もあり、門外漢女の責任も極めて大きい。
その後、再び私が石之坊から離れている間にその石之坊でクーデター事件「石の湯事件」が惹起し、当時講頭を務めていた桜梅桃李が粛清され石之坊を追い出されている。
それと共に石之坊ではネットが禁止になり、山崎が講頭に返り咲き門外漢女も山崎側に付いて桜梅桃李を裏切る所業に出ている。
門外漢女は石之坊入りした頃にも交際相手がいたようなのだが、結局この男性が入信を拒否したため別れたようで、その後2008年頃に明らかにカネ目的と分かる柄の悪い男と結婚している。カネ目的だけではなく、自分の立場が悪くなった時に力づくで相手を排除することも念頭に入れられていたであろうことが明らかである。さすがクズ女である。尤も日蓮正宗は奴だけでなく殆どの女信者が銭ゲバプリンクズ女なのであるから何も驚くことでもないが。まあこんなおかしいカルト宗教に嵌まっている銭ゲバ女なんて愛想を尽かされるに決まっているのであるがな。入信を拒否して別れた男性は救われたな。
その後は直接のやり取りも面会もなく2010年4月に私が石之坊から粛清されたことでその日奴の高級乗用車とすれ違ったのを最後に私は姿を見ていない。
その2010年4月に門外漢女は石之坊で役職に任じられたことが報告されており、その後龍神ひろしが役員に認証されたちょっとした騒動になった際にこの門外漢女も認証されている。
以後今日に至るまで石之坊では新たな人事が発表されていないので、そのまま龍神と共に石之坊の認証役員を務めているものと思われる。
以上が門外漢女についての概要である。
この門外漢女であるが、当初よりその視野狭窄杓子定規振りが目立つ輩で、しかも言っていることの支離滅裂さが迸っていた始末だったのであるが、当時は真実追究からスピンされていた暗黒時代だったので騙される事態を防ぐことが出来なかった。
云うまでもなく敵宗門が自宗門に引きずり込んだこと自体が真実追究からスピンされた状態を固定化して奴隷化し養分にしてしゃぶり尽くすつもりだったがためのものであり、この石之坊でおよそ6年半を空費させられた時代こそが最たる暗黒時代である。
そして先述の通り二つの大事件を惹き起こすという「目的」を達成した途端に疎遠になってもいる。目的を達して、或いは目的が達せられなかったり著しく不利になると逃げるのはカルト工作員の常套手段であり、この門外漢女よりも後代に出現した工作員共もこれを必ず踏襲しているという事実もある。
そしてもう一つ重要なのは、真実の追究が進んだことで発覚した新事実である。
この輩は以前に離婚歴があり、子供3人の親権を失っているということを本人が平然と口にしていたのであるが、これが何を意味するかということが重要なことであり、詰まり奴は不倫で有責側になり親権を元夫側に持っていかれてしまったということを意味する。以前ほどではないものの未だに親権争いでは母親が有利とされることが多い中子供3人の親権を母親が取れなかったということは相当に重篤であり、余程のことを惹き起こしてしまっていることを意味する。例えば不倫に起因する著しい浪費(間男に貢いだとか)若しくは間嫁に対する執拗な嫌がらせとか、などの悪質な行為が考えられる。
しかも門外漢女はその重篤な所業を棚に上げて「子供を取り返したい」などとほざいていたのである。不倫女がほざいていいことではない。
何故これが重要なのか。つまりこの女は自分勝手な不倫女ということになり、典型的な銭ゲバプリンクズ女であるということになる。もし同じ内容を現在の頭で聞いていたら即座に銭ゲバプリンクズ女と判断できる、その程度の簡単な設問だったということになり真実追究からのスピンが如何に重篤な結果を招いたかということにおいて敵宗門の責任の重篤さを示しているということである。つまりこのことを即座に判断できる状態になられては奴等が騙しをできなくて困るから真実の追究からスピンしなおかつ自宗門に引きずり込んで洗脳を深めさせたということになる。
このことが何を意味するか。
一般的な常識さえこの頃に知ることが出来ていれば高が門外漢女ごときには騙されずにすんでいた可能性が高いということである。
2000年末にもたらされたインターネット環境によって真実追究に期待がかかっていた矢先に、どうでもよくなっていた鉄道趣味を遠隔洗脳によって焚きつけられたことで真実追究からスピンされた結果が忌まわしき敵宗門に引きずり込まれたということであり、その後再三再四に亘って交際類似事犯が惹き起こされ以って敵宗門の意図通りに底辺に押し込まれる結果になってしまったということである。その意味では中ボスの足下にも及ばない単なるいち雑魚とはいえその影響力は絶大であり、実質的に人物破壊工作の主力であったことは疑いようがなく、ゆえに門外漢女の所業が現在の屈辱を決定づけたとまで言い切れるものであるから果てしのない憎悪を向けられて当然の輩なのである。
門外漢女の惹き起こした二つの大きな事件、自動二輪圧殺演出事件とデジタル一眼レフ導入に絡むスキャンダル。
これらはその後も筆者が石之坊を去ることになった後にまで影響を及ぼし続け、自動二輪圧殺演出事件はその後バイク戦争犯罪につながって巨額の損害を出し移住を望みをも断ち切ってしまった。またデジタル一眼レフ導入に絡むスキャンダルの影響はその後10年以上にも亘る機材の迷走と売った買った策動の罠に嵌められこれまた巨額の損害を出ししかも殆ど何も残らない結果にまでなってしまった。この二つの事件が直接原因、或いは遠因となっての損害額はおよそ300万円超と見積もられている。
そして門外漢女はこの二つの重大事件を惹き起こすための身のために色目を使い交際類似事犯に及んでいたということである。
なお今回の記事を執筆するに先立ち門外漢女の写真を改めて見返してみたがこれが見事なまでに♨の鼻面だったのを見て「ああ、やっぱり」となったのは云うまでもない。そりゃあ♨が仕切ってる宗教だもの。
そもそも門外漢女という通称はバイクやカメラのことをよく知らない分際で口を挟んできた不届き者という意味でつけられた蔑称であるのだが、上から聞かされたものとはいえある程度のことを事前に敵宗門から聞かされていて犯行に及んだであろうことが現在では明らかである。尤も、上から聞かされただけなので予定外のことが起きた場合には対応できなかったであろうとは思われる。
実際に疎遠になってからの機材改善の取り組み、望遠レンズの改善やこの門外漢女によってもたらされた不本意な機材の処分には門外漢女自身は全く対応できておらず、これに対する逆上は別の謀略部隊が惹き起こしていると考えられておりその後の機材迷走問題は最早門外漢女の手を離れたところで某店などもグルになって惹き起こされている。これについてはまた別途記事を起こして取り扱う予定である。
この門外漢女を抜きにしても60~80年代の輩にはクズDQNが非常に多い(保母失格女’66年、狐女’71年、門外漢女’74年、龍神ひろし’79頃、千ラシ裏女’80年、うりこ’85年)ことは見逃せない事実であり、今日の金城一家ではこの年代の輩との交際交流を避けるようにしていることも当然の帰結である。それだけ昭和の時代と云うのがカスでクズい時代だったということではある。
後記
この門外漢女、疎遠になる前には「私は頭が弱い」などとほざいていたが、本当に頭が弱い奴は自分でそんなことは言わない。つまり最初から頭が弱い振りをすることで相手の警戒を突破して欺くつもりだったのだということである。つまりは人を欺くことだけは天才だったということである。この手合いの輩はそれまでに遭遇したことがなく、未知の存在だったことが被害を大きくしているが、ネット参戦の時から予定通り真実の追究が行われていればまず100%対応出来ていたはずである。とどのつまり、真実を追究されては騙せなくなるから敵宗門はあんなやり方でどうでもよくなっていた鉄道趣味を焚き付けてその上汚いやり方で遠隔操作で洗脳してスピンしやがったのだ。
もしこの門外漢女のようにテメエで頭が弱いとかほざいている輩がいれば、それは100%詐欺師であるということであるからそのような輩からは速やかに距離を置くことである。子供3人の親権を取れないくらいだから相当あくどいことをしでかしたんだろう、今なら簡単にわかるレベルの話である。
カテゴリー: 宗教や敵対者について, 敵宗門, 敵対者批判, 金城修一の退魔神剣, 門外漢・SG・千ラシ裏問題
タグ: 石之坊, 門外漢女, 龍神ひろし
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この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-248.html
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日蓮宗と日蓮正宗の関係について
このところ敵宗門一味の妨害が激しさを増しており記事の執筆が妨害されているため本記事も大幅に遅れて執筆に乗り出しているものである。
日蓮教義の真実を探る中で既に解りきったことが中心ではあるが、ツイッターには以前にも書いていたことではあるが改めて記事にして残すことの重要性は今更云うまでもない。
また本記事は筆者が敵宗門のウソでたらめを当の昔に看破していることの証としても重要なものになるだろう。
また言質を残すことによって決して引き戻しに希望を持たせないという重要な意義を持つものでもある。
まず日蓮の後継者についてのウソでたらめを破しておく。
敵宗門が必ずと言っていいほど持ち出す「二箇相承」なる御書は他門流では既に「偽書」と決せられている、日有の偽作による文書であるから「日興へ相承した」ことの証とはならない。何なら炭素測定するか?
日蓮が六老僧として日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六名を定めて教団運営の中心としたことは事実であるとされているしどこの門流でも否定してない。
しかし日興に相承したというのは日有による捏造であり事実ではない。
日蓮は後継者を定めずに入滅した、これが事実である。
なお日蓮聖人は入滅に際して当時13歳であった後の日像上人に京都での弘教を託したのみであり、しかもそれが成就したのは日蓮聖人の入滅から50年以上経た1339年のことであり、現在に至るまで日蓮門下唯一の勅願寺である妙顕寺(日蓮宗。1321年創建)は地名にまでなっている。
日蓮宗からの分裂
日蓮聖人亡き後教団は六老僧による合議制となっていたようであるが、身延久遠寺の貫主が日向に決まると権力争いに敗れた日興は若干の弟子とともに身延を追われ、南条時光の請いで富士上野に入り、大石寺を創建した。これが富士門流の起こりである。この時点で日蓮聖人が入滅してからまだ8年しか経っていなかった。
その後身延日蓮宗は先述のとおり京都にまで教線を拡大し、先述のとおり日像上人が後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜るまでになる発展を遂げている。
一方の大石寺はどうかというと、日興日目の時代が40年余りに亘って続いた間は興隆を見せたかに思われたが、日目が日郷に託した後継を日道が年功に託けて簒奪したのを機に争いが絶えなくなり(「東坊地問題」はこの日道による簒奪に起因する)、やがて大石寺は見る影もないほどに衰退してゆくことになる。
怪僧日有の出現と教義改変
そこに出現したのが怪僧日有である。日有は鉱山で財を成し大石寺を建て直したとされているが、何故日有が鉱山の富を手にしたのかという点に疑義がある。つまり鉱山など当時の日本人の手に余るものだったからであり、空海も渡来人だったという説があるほどである。つまり日有が渡来人であるか、さもなければ外国の勢力と通じていたかのどちらかであろうということである。後述の教義改変も併せて考えると後者が有力なのではないか。ただ日有は南条姓を名乗ってはいたがその出自が全く明かされておらず、渡来人の説も捨て切れない。ただ渡来人というだけではあまりにも耶蘇教と合致するような教義改変には繋がりにくいのも事実である。
ともかく鉱山で財を成した日有は教義破壊と改変に着手し、いわば換骨奪胎とも言える変貌を為したのである。多くの御書を偽造し、日蓮が遺していない自称戒壇の大本尊を偽作し、そして世界で初めて「日蓮本仏」を言い出したのである。
本来の日蓮宗は釈尊本仏、日蓮聖人は「大菩薩」として僧宝であり日蓮宗は多神教である。
これを日有は戒壇の大本尊は「仏の当体」であるとしてキリスト教のデウスに等しい執着するべき「実体」をなし、「代々の上人悉く日蓮」として法主を権威付けるという大改竄を行ったのである。これは今日の敵宗門における法主絶対主義にまで繋がっている。
つまり「日蓮本仏=絶対神」という一神教化であり、キリスト教化である。
そして日有は「化儀抄」によって自らに都合のよい教えを体系化し、換骨奪胎を成し遂げるに至ったのである。
こうして富士門流日有派閥は完全にキリスト教化しており、このときから基本的な教義は日蓮正宗の今日に至るまで変わっていない。
当然に他門流などから激しい批判を浴びることになるのであるが、不思議なことにこれによってこれまで続いていた分裂が止まるという皮肉な事態となっている。
日有がどのようにして鉱山の富を手にするに至ったのかという点は外国勢力との関係を探る上で重要でありその解明が望まれる。
しかしながらザビエルより100年早い日有がキリスト教の十八番とも云える見事なまでの換骨奪胎を為したという事実はあまりにも重く、敵宗門も口を閉ざして遁走する他ない有様である。
ある人が「創価学会はキリスト教である」と言っていたが、そもそも創価学会は日蓮正宗の教義を踏襲しておりその上創始者がキリシタンであるのだからある意味当たり前のことである。
顕正会も元々は法華講のひとつであり、同じく日蓮正宗の教義を踏襲しているのであるからやっていることも当然同じようなものであり目くそ鼻くそになるのも当然の帰結である。
戒壇の大本尊がデウスであるという議論は、かつてのキリシタンの行動原理と照らしてみれば明らかになる。
かつてのキリシタンは村人に改宗を強要し従わなければ殺したという。またキリシタンは討論を挑んできた者に放火するという野蛮な所業をも為している。
つまり「デウス」という実体(の幻想)を与えられそれに執着するあまり無信者や反対者に対する憎悪を募らせて野蛮な所業に至ったものであり、敵宗門の者どももまた「戒壇の大本尊」への執着のあまり無信者や反対者に対する憎悪を募らせて同じように野蛮な所業に至っているのである。それが如実に顕になったのが2015年6月14日の言論弾圧迫害事件であるといえる。こともあろうに敵宗門宗務院は石之坊・法悦院両寺院の男子部をして徒党を組ませ迫害を行わせている。
つまり戒壇の大本尊が仏の当体〔実体〕であると教えられて執着を起こし、その執着のあまり脱退者に対する憎悪を募らせて惹き起こされたのがこの迫害事件であるといえるのである。男子部暴徒も山根も宗務院僧も皆この偽戒壇に執着している妄信者であるから当然執着からの憎悪も同じように湧き起こる。
つまり日有は戒壇の大本尊を仏の当体つまり実体として執着させることを最初から狙っていたのであり、実際に目的どおりに執着からの憎悪を惹き起こしているのであるから日有の目的が換骨奪胎によるキリスト教化にあったのは明らかである。
日有出現前の大石寺は見る影もないほどに衰退して滅亡寸前であり、これを乗っ取って利用しようとする外国勢力があったとして何の不思議もないのである。
つまり日有はキリスト教〔バチカン〕勢力の日本における最初の走狗であった可能性がかなりあるということである。
血脈の大嘘を破す
先述のとおり日蓮聖人は後継者を定めずに入滅し、日目による日郷への付属は日道によって簒奪されているので血脈もへったくれもあったものでは無い。日道による簒奪など権力争いそのものではないか。つまり断絶どころか最初からないのである。
更に最近聞くところによると阿部日顕の猊座もこともあろうに謀略で早瀬日慈〔日如の実父〕から簒奪したものだというではないか。日慈はショックで暫く寝込んでしまったほどだという。
これでは血脈もへったくれもあったものではない。
実際問題阿部は法主登座時56歳という近年では異例の若さだったことがそれを物語るかと。
ともかく非常に胡散臭いものであることだけは間違いない。
日蓮宗と日蓮正宗の違い
日蓮宗の総本山は日蓮聖人創建の祖山・身延久遠寺である。
このこと自体がどちらが本流であるかを如実に物語るものであるが、両者がまるで異なるものであるということを列記していく。
・日蓮宗の総本山は日蓮創建の身延久遠寺であるが、日蓮正宗の総本山は日蓮とは直接のかかわりのない富士郡上野村の大石寺であり、創建前は「大石が原」という名の石が転がる荒野であった。
・日蓮宗は釈尊本仏の多神教だが、日蓮正宗は「日蓮本仏」の一神教である。
・日蓮宗は一般信徒の生活にいちいち口出しはしてこないが、日蓮正宗は一般信徒の生活に対する不当干渉が堂々とまかり通っている。特に後者は男女関係に対して殊更に厳しく僧侶や役職による不当干渉が凄まじい。
・日蓮宗は全国に350万人を超える信徒がいるが、日蓮正宗のそれはどんなに多く見積もっても20万程度である。公称50万は当てにならない。
・日蓮宗と日蓮正宗では本尊が違う。後者のそれは日蓮が揮毫したものとは異なる文字が入っていたりする。自称・戒壇の大本尊は複数の書写本尊からパクったパッチワーク本尊である。
・日蓮宗にノルマは存在しないが、日蓮正宗には僧俗に対する苛烈なノルマがある。
・日蓮宗のお会式は多くの人で賑わうが、日蓮正宗のそれは信徒のみしか入れず閑散としている。
・日蓮宗は多くの人に一般的仏教宗派として認められているが、日蓮正宗は統一教会や幸福の科学などと並ぶ狂信的カルト宗教と多くの人に思われている。
・日蓮宗は地域社会に認められることを重要視しているが、日蓮正宗はそれとは真逆で地域社会との関わりを非常に軽視しており、それどころか地域社会と信者との関係を絶ち異質のカルト社会に閉じ込めようとする。
・日蓮宗は真書(日蓮が本当に記した御書)であることを重視するが、日蓮正宗は日有などが偽作した偽書ばかりを重用してくる。
・日蓮宗はお布施や戒名料などを直接頂戴しているが、日蓮正宗はどんなに遠くても折伏系統に従わなければならず交通費が大きな負担になることが非常に多い。いわば間接収奪である。自分たちではそんなに取ってないよという表向きのポーズでしかなく、手先企業を使って間接的に収奪しているに過ぎない。
思い起こせる限り書いてみたが、まだ足りないものがあるかもしれない。
足りないものがあったらご教示いただければと存ずる。
私は何故日蓮宗に帰依しないのか
日蓮宗こそが日蓮教義の本流であり本来の教団であることは火を見るより明らかであるが、しかし私は日蓮宗に帰属することを良しとはしていない。
これにはいくつか理由がある。
それは
・我が一家では敵宗門より脱退後に宗教というものに関わることを一切禁じている。
・宗教は人を救わないと決しており、無宗教を貫くことを決めている。
・宗教の所為で不幸を蒙っており宗教はもうこりごりだ。
・日蓮宗も世界連邦運動に関わっている。
・一つの宗派に拘る必要はどこにも無い。
・宗教自体お金がかかり過ぎる。失地回復と移住を第一とするわが一家の方針にはそぐわない。
・そもそも日蓮自体が怪しい宗教者であるとも言われている。
これらの理由により我が一家は今後も特定の宗派に属することは無い。
引き戻しを企む敵宗門の輩はもれなく大地の藻屑にしてやるから覚悟しておけ。
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この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-238.html
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ドキュメンタリー動画を制作
このたび我が一家では2007年5月20日に惹起した石之坊信徒による金銭恐喝事件についてのドキュメンタリーを制作し公開した。
※注意:1時間超え動画です。スマホの方はギガにご注意下さい!
あの日、私はバス代として取っておいた金銭を石之坊受付の女どもに掠め取られ、坊の講員どもも誰も帰りの足を助けず、結果9キロ近い道のりを延々と歩かされる羽目になったものである。
当時はスマホもタブレットもまだ無い時代であり、突然の事態に近道を調べるなど不可能だったのだ。そうなると知っている大きな道で行かざるを得ず、もちろん先述の講員どももそんなもの教えもしない。どうせ奴等のことだから「そんなものてめえで調べろ」で終わりだろう。当時であっても。何しろ会合が中止になってもそのことすら知らせずにおいて「自分で聞きにこい!」とかほざく無慈悲な連中だからな!
こんなことだったらあのときに日顕宗など辞めておけばこんなに不幸にならずに済んだだろうに。
近道であれば7キロ台後半の道のりになるが、バス代が必要なことはわかっていてもそれを掠め取られることなど誰が想定などするか。それすら「当たり前だ!」で片付けるであろうけどな、法華講員どもは。それほどまでに傲慢尊大で残忍無慈悲な連中だ。
この事件にはそのための布石、環境整備として惹き起こされた「前哨戦」というべき事件があった。予定外機材売却強要事件である。
この時、門外漢女によるデジタル一眼スキャンダルによってもたらされた忌まわしきEOSKissDを代替することになっていており、後継機だった10Dでは使えない18-55mmレンズとともに売却がすでに決まっていた。それとて、今まで取引していたカメラ店で売ってくれば済んだ話だ。だが、それでは敵が事件を起こせないためこれを捩じ曲げることになったのだろう。そして誘導されたのが中野の某F店だった。
そこには完了品の某レンズメーカー製レンズが置いてあった(70-200/2.8)。
既に純正の70-200/4Lを持っており必要など全く無かったのだが、敵とグルのFはこれを目立つように陳列して目を引かせたのだ。つまり、その存在を敵宗門宗務院は知ってやっていることになる。件のKissDと18-55だけ売って終わりにすればいいものを、それでは事件を起こせないから敵はそこを捻じ曲げて不当に行動を狂わせたのである。つまりその売却を以前の店でされたのではハタカセられないからだったのである。
まずで以て、以前の店では買取と販売の部門が離れていて別の場所にある。つまり売却の席で次を煽ることはこの形態では不可能となる。それに対して問題の「F」ではそれが一体であり売らせた席ですぐ次を煽れる構造になっているのである。それと丁度煽りのネタにできる商品が以前の店には無かったことも理由のひとつだったであろう。
この予定外機材売却強要事件は大いに我が一家の経済を狂わせた。更に追い討ちをかけるように購入したカメラに不具合による交換が発生し、価格が大幅に上がってしまった。それでもそれは当初の売却予定価格で十分カバーできる金額であったのであるが、そこでカバーされては困るのが敵宗門日顕宗であったということだ。つまり当初からこの日に斯様の恐喝事件を惹き起こして大きな打撃を我が一家に与える計画だったのだ、奴らは。
更にこの恐喝事件はその後の「罰・罪障」の演出や離間工作、一家離散策動にもつながっているのでありこのような人格抹殺を平然と行っているのが敵宗門日顕宗であるということである。
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