某ヲタ趣味に対する破折再び

2023年8月2日、忌々しい負の歴史にピリオドが打たれた
某ヲタ趣味の呪いから解放を果たした瞬間でもある
詳細は、この記事の最後方で触れることとする

某ヲタ趣味について

某ヲタ趣味については2014年11月と、2020年11月にも破却を行っており現在では全面的に禁制になっている
2014年11月の破却においては、当時の聖域なき見直しの第一の結果として行われたものであり我が一家の発展を著しく妨げるものであると認定されたことによっている
2020年11月の再破却においては、前回の破却があわや有耶無耶にされかかっていたことから再粛清、綱紀引き締めという意義がある

問題点について

2021年4月の前回記事の時、鉄道趣味の問題点として以下の項目を指摘している

煽りとハタカセを内包した趣味であり、自然発生ではなく体制側によって作られた趣味であること。
多額の金員と多くの時間を浪費する性質を有すること。それによって他のことを考えたり実行したりする余裕が奪われること。
鉄道趣味界には苛烈な煽りの風が吹き荒れており、鉄道事業者も鉄道趣味業者もグルであること。
更に放り出さない程度に適度にいじめてこの趣味にしがみつかせる悪質な手法が取られていること。
鉄道を含む交通趣味そのものが体制側である交通産業企業を対象としていること。
鉄道趣味界隈にはカルト宗教信者や工作員、性格に問題のある輩や社会不適合者が大半を占めていること。

捩じ込みと焚き付けについて

我が一家との関わりは以下の通りである
1990年代中盤以降は半ば放置状態で、2000年を迎えるころには最早どうでもよくなっていたものであり、本来であればそこで整理対象としてピリオドを打つべきものであった
ところがだ。煽りネタを新たに欲していた敵宗門一味によってこのどうでもよくなっていたはずのものが焚き付けられて極大化されスピンされたということだ
その為整理対象とハッキリさせることができなかったことには忸怩たる思いがあったが、真に為すべきことを考えればそれには反することくらいわかっただろう
この忌々しいヲタ趣味、何故か小学高学年の頃には存在していてどこからどうやって侵入してきたのか判然としない、今もって不明なのはそれが捩じ込みたる所以だろう
捩じ込みでなければ切っ掛けとかいつからとか自分で覚えていて然るべき性質のものだからだ、自分の意志でないことは明らかだ
成人後ならともかく当時で異物の侵入に気付けるようなはずもなく、このことからやはり敵は狙って侵入させてきたと判断されるべきと思われる
最初の破却後においては、敵宗門一味の仕業か、Twitter上で鉄道趣味系のアカによる執拗な粘着が繰り返された。裏を返せばそれほどまでにこの認可取り消しがたまらなく不都合だったことに他ならない
なお、異物の侵入については数十年が経過していることなどからこれ以上の解明は難しく、全体の経緯などから敵宗門一味による捩じ込みということで推定によっての断定をしている

また、この十数年の間幾多の機材振り回し策動が敵宗門主導で打たれ多くの金員をそこでも失わされる結果となっている
10年前の13年には再三キヤノンからの脱却が図られたところ報復とみられる振り回し策動に見舞われ経済的痛手と心にも深い傷を残している
2014年11月の破却に当たってはミラーレスへの切り替えを図っているが、当時のキヤノンミラーレスは性能が不十分だった
結局つい最近の23年7月に至るまでキヤノン製ミラーレスが続いていたが後述の通り新機材の導入とマウントチェンジを図っている
今後については敵宗門一味及びそこに隷属する輩に対する無慈悲な報復をしていかねばならない

特異性、その他

数あるヲタク趣味の中でも鉄ヲタ趣味はその特異性から特に日本では一般の市井からも嫌われがちであり、社会不適合者が大半を占めることから陰湿な輩が多くカルトとの親和性も高いと云わざるを得ない。2014年11月の破却の際はまだ真実追究が始まって日が浅かったが、もう追及が始まって9年にもなる今では体制側によって作られたヲタ趣味であることからも真実追究者には相応しくないものであるといえる。潰れろと言って潰れるものでもないが、真実追究者が手を出してはならないことは明らかである。
最期の失地回復プロジェクト単一5か年計画に賭命している現在、趣味ごとが趣味ごとの範疇を超えてはならないのだ
その点某ヲタ趣味はいとも簡単に趣味ごとの範疇を超えてしまいやすく失地回復プロジェクトの敵とさえいえる性質を有する、だから敵宗門一味が捩じ込みたがったり破却に対して引き戻しに拘ったりするのである。それは今なお諦めきれていないような動きが見えるが、最早再捩じ込みは無駄でしかない
また、某ヲタ趣味内の一部先鋭的勢力による反社会的行為が度々問題視されるに至っており、最早社会的に看過できないところまで悪化している
従って、現在一家では失地回復の完全なる実現が達成されない限りにおいては決して再認可には応じないとの方針で一貫している
失地回復の妨害などは以ての外だ

再焚き付けを企む徒輩は衝撃的な慟哭の中その予測不可能な凄惨な結末に1000%かつ一方的な責任を負うことになるということを一々に肝に銘じて永遠の撤退を決断するべきなのである

参考記事:鉄道趣味の禁制について(シングスピール会ウェブサイト)

鉄道趣味の禁制について

参考記事:鉄道趣味の問題点と機材問題を斬る(当サイト)

鉄道趣味の問題点と機材問題を斬る

マウントチェンジ

2023年5月9日発会の新失地回復プロジェクト・単一5か年計画の最初の事業として老朽化が著しいカメラ機材の代替が計画され、検討を重ねた結果マウントチェンジが決定されソニー製・新ミラーレスカメラが2023年8月2日に導入された
カメラ側でぎりぎりまで設定を追い込むことでJPEG撮って出しとしている上哨戒と旅行記録がメインとなっている現在では某社製機材に拘る意味合いは無くなっていたといえ、色味などの違和感は一切ない

今回導入の運びとなった新ミラーレスカメラ、ソニーZV-E10である
なお、市内などの哨戒にはキットレンズを主に用いる計画で、今後導入を予定する新標準ズームはそれ以外に用いる計画である
なお、キットレンズであるE PZ16-50mmについてはオートレンズキャップを装着し市内での哨戒業務に特化している
このレンズ、キットレンズとしては珍しくF5.6までで止まっており他社ミラーレスの望遠側より若干明るい
なお、キヤノンは新しいミラーレスマウントとしてRFマウントを立ち上げているが、最下級モデルでも10万円を大きく超えることや、APS-Cが今時では非常識ともいえる29mm相当スタートとなっていることなどから一足早く候補から脱落している
この非常識ともいえる29mm相当スタートこそどこに軸足が向いているかを如実に示しているといえ、某ヲタ趣味の使用者が多い同社のことだ、某ヲタ趣味であまり使わない部分を軽視しているともいえる
EF-Mマウントでは24mm相当を実現していただけにこの退化は風景や哨戒業務をAPS-Cモデルでは軽視したと取れる、24mmスタートならもう少しもつれたかも知れないのに
しかしながら、このマウントチェンジによって某ヲタ趣味の焚き付けから長く続いたしがらみがここでピリオドを迎えることになったのは神の思し召しという他ないのである
なお、旧機材は修理期間終了による修理不可につき値段もつかず、引き取り手もなく現在は予備機扱いとなっているがいずれ廃止の運命である、予定では2023年9月8日に廃止される計画である

ジャーヒリーヤ

これまで敵宗門一味は隷属させていた時期においても脱退後においても一貫して吾輩の失地回復を執拗に妨害し続けている。既に敵宗門から脱退して8年が経過しており、最早引き戻せる可能性は潰えていると考えるのが一般的とは思う。それにもかかわらずである。
今回は失地回復闘争25周年の年に当たることを踏まえ、失地回復闘争の開始前に惹起し、我が一家に致命的ともいえる痛手を与えた事件群について述べる。

1988年に斃死した通称クズ元・母親には非ざる邪悪な猶太人が学会員であったこと、奴と取り巻きとの勝手な意向で島流しが行われたことは前にも述べたと思う。その絶海の孤島でクズ元含む敵一味に引き合わされた史上最悪級の日本女があった。本会ウェブ上では狐女の通称名で扱っている、同学年だった女である。何度かシングスピールウェブ上で扱っているが、入学して程なく敵側に寝返っている。その後吾輩の卒業に伴う本土復員に際してわざわざ!!復員の船便のそばまで見送り?に来ているのが怪しい。恐らく意図的に勘違いをさせる為だろう!!そこから約3年経って同窓会が行われているが、これに参加したことがそもそもの間違いでもある。そこに狐女は現れた。通称・新宿事件の惹起である。そしてわざわざ!!声をかけてきやがったのだ。その気がないのなら声かけて来んなということだ。最終的にはこの時の罪状により一家は永代追放を言い渡している。

気付くのが遅すぎるのだが、この事件はその後に続発した重大事犯の下敷きになっている。瀬戸事件、ラ・チーカ事件、そしてこれらに続く風俗地獄事件である。これらによって吾輩は精神的にも経済的にも疲弊させられすべてを失わされる羽目にまでなっている。そのことからも新宿事件は狐女の単独犯たり得ず、思考操作・遠隔洗脳も込みの敵一味ぐるみの事件と見做されている。なぜここで狐女が出てくるのか?それは、敵一味宗創医連合と狐女の間に密約があった可能性が浮上していることにある。敵一味が狐女を攻撃の対象としない代わりに吾輩に手を出さない密約を結び、見返りに吾輩が他の女と結ばれることのないように取り計らったのではないかということである。更に敵一味が狐女をカネで篭絡していたであろうことも容易に想像できる。如何にも敵宗門一味のやりそうなことである。つまり吾輩は奴等の身勝手な意向の為に人生の一大事からは遠ざけられ、狐女に「キープ」されたという可能性である。最近の疑惑浮上である故まだ確定的とはしていないものの、他に合点のいく推定が見出せず、専らの推定となっている。勿論一家としてこの「キープ」は断じて認められるものではなく。また狐女自体が既に追放となっていることから万が一の際は命に代えても奴の身勝手なキープをぶっ潰す。薄汚い辺境の地への誘導においてその目的の一に吾輩を然るべき縁から徹底的に遠ざけることが目的に入っていると見られており。実際にこの辺境に縁などがあるはずもなく屈辱的な境涯にまでつながっていることから薄汚い辺境の地からの脱出と然るべき地への帰還は我が一家の果たすべき義務となっている。いずれにせよ吾輩が部分的にでも失地回復を果たすことは敵宗門一味と狐女の間に結ばれているとみられる密約の破綻を意味するということになる。
よって狐女に復讐することは敵宗門一味への復讐にもなる。つまり本年の目標を完全達成して生活再生と然るべき地への帰還を果たすことは即ち密約の破綻をも意味する復讐の一環ということになる。

ここでは、ジャーヒリーヤ時代に惹き起こされ、我が一家に大きな痛手を経済的にも精神的にも負わされることとなった事件群を各個別に解説する。

新宿事件

新宿事件とは、1992年に惹起し、吾輩に重大な精神的痛手と悪しき影響を及ぼすことが目的で惹き起こされた交際類似事件である。

時は1992年になっていた。
結局筆者は復員以来わずか3年の間に4つの職業を転々とすることとなっていた。
そのうちの一つはあくまで臨時であり、つなぎではある。
しかし、宅配便のアルバイトは当時としては長く続いていたほうであった。

1990年秋に宅配便のアルバイトとなって、2年目のシーズンに入っていた。
前年秋に学会が日蓮正宗より破門され、正法とは無関係の団体となっていたがこの時すでに学会を離れてから年月が経過しており、知る由もなかった。

1992年に入り、高校のクラス会が企画され、参加させられることとなった。
恐らく同年2月11日のことであったと記憶している。
このクラス会に、渦中の元女子生徒がやってきたのだ。
この女子生徒が、その気もないのにやおら筆者の下に寄って来て話しかけてきたのである。
しかも話は長々と続いたのである。
これは、筆者にとって想定外であった。
しかし、この女子生徒は一次会だけで帰ってしまった。
今書けることは、これで精いっぱいである。
いったい何のつもりだったのか。
いずれにしてもこの元女子生徒、筆者と交際する気などは毛頭なかったのである。
そのくせしてみだりに筆者に近づいてくるというのはあり得ない話である。
しかし、敵はここで印象操作を行いその不審さを掻き消し筆者を幻想の罠にはめてしまったのである。
これを新宿事変という。

この一件は、敵に大いに利用されることとなり、人的ガスライティングのネタにもなっていた。
当時筆者の側近とされていた男が、実はグルだったのであった。(但し当時までは学会員ではなかった)

なお、新宿事変に対しては一度処分の見直しが行われている。理由は、事件に対する精査が不十分だったことによる。
しかし、あらぬ誑惑であったことに違いは無く、改めて精査を行い結局復権の可能性のない永代追放の処分を改めて下す結果となっている。
島人そのものが排除対象であることもあって、いずれにしてもその関係の復活は今後あり得ないという見解である。
新宿事変から既に30年が経つが、この女子生徒を含めた女子全員はこれ以後一度も訪ねてくることは無くまた連絡も一切ない。

瀬戸事件

瀬戸事件とは、1993~94年に惹起し、通称・保母失格女と現場上長などの謀略で吾輩が重傷を負わされた挙句不当に会社を追われることとなった事件である。

吾輩はそれまで勤めていた宅配会社を辞め、都内のとあるタクシー会社に就職することになる。
この就職したタクシー会社の養成で普通二種免許を取得した筆者は、池袋にある(現存せず)営業所に配属されたが、後から一人の女が入ってきた。
この女がとんでもない女で、社内の評判も散々であったがよりによってこういう女に限って筆者に近づいてくる。
しかしながら、この女が突如筆者を裏切り、これがきっかけで苛烈なガスライティングに遭うこととなった。いや、最初から敵側だったんだろう。
この女(瀬戸容疑者)は、営業所の所長(当時)に囲い込まれ、筆者を裏切ったものであった。
テクノロジー犯罪による洗脳の影響も大きく、そのせいで成績を上げてもなお認めてもらえず、いつまでも試雇用のままであった。
これは、先述の所長による策略であり、本採用にする気など毛頭なかったのである。
簡単に言うと、策略にはめて辞めさせるつもりであったということになる。

この頃からしばしば疲れやすくなり、すぐに眠くなってしまい勤務中に眠ってしまうこともしばしばであった。
それは、恐らくテクノロジー犯罪による強制睡眠であった。
無論それだけでは成り立つものではなく、他の社員にはしないような苛烈な煽りを浴びせて精神的に追い詰めるということまで行われていたのだ。これは人的ガスライティングと遠隔操作による複合的な手口の事件ということができる。

そんな状態で迎えた1994年7月、筆者は強制睡眠によって前のトラックに突っ込んでしまい重傷を負った。
一歩間違えば殺されるところであったのだ。
相手方はトラックということもあって無事でありトラックも小さいダメージで済んだ。
恐らく、敵はここで筆者を殺害することにしたのだろう。
敵宗門一味の連中は、何のためらいも無く与えられたターゲットを虐げることに血道を上げ、自殺するまで追い詰めて自殺しなければ殺してしまうような腐りきった連中なのである。

筆者は、世田谷の病院に1か月の入院を余儀なくされた。
会社に置いてあった自分のクルマは、父に引き上げてもらった。
退院したのは、確か8月の中旬のことであったと記憶している。
この事故によって、筆者は経済的にも追い詰められ、信用に大きな傷がつくこととなってしまった。
これも、敵の策謀どおりである。

奇跡的に一命をとりとめ、生還した筆者を待っていたのは非情な通告であった。
何度か会社に顔を出していたのだが、8月の末に筆者を待っていたのは不当解雇であった。
こうして筆者は失意のうちにこの会社を去ることとなった。
これら一連の事件を、「瀬戸事件」という。
本件は、敵のアナログな根回しによる人的ガスライティングとテクノロジー犯罪の併用によって初めて成り立つ、複合型の事件である。

なお、後年の調査によってこの「保母失格女」の一家が日有系の大型カルト教団の信者であることが明らかにされている。つまり最初から工作員だったのだ。

ラ・チーカ事件

ラ・チーカ事件とは、1995年に惹起し吾輩のライフプランを崩壊させ後にその生活基盤を崩壊させる為に惹き起こされた交際類似事件である。
1994年9月。
筆者は、前の職場を不当に追われたのち、実家にほど近い同じ業種の会社に再就職を果たす。
次の事件は、明くる1995年になって惹き起こされた。
その後、懸命の努力で生活を立て直し、さぁこれからという時に再び事件が惹起する。
某量販店からの帰り。駐車場に向かおうとする吾輩を一人の工作員が待ち構えていた。それは、比国人の見知らぬ女で、フィリピンパブの輩であった。
女は、かなり強引に吾輩の腕をひっつかみ、何度断っても腕を放そうともせず、結局店に引きずり込まれてしまったのであった。
それは、かつてないほどの、凡そ当時では考えられないほどの強引なやり口だった。なお、今日ではこのようなやり方は法律、条令によって厳しく処罰されることになる。
件の店は、違法なフィリピンパブであった。しかも、料金が異常に高く、その日だけで蓄えを使い切らされてしまったのであった。カードは、瀬戸事件の時にNGとなってしまっていた。
しかも、「もうお金がない。カードもない」といっても延長を迫られる始末であった。そのことからもこの事件は吾輩の金員を徹底的にハタカセて、なおかつ不満を意図的に募らさせて更なるハタカセと性的搾取に繋げるために惹き起こされた事件であり、これ単独で論じることは不適当であるがこの事件がなければその後の運命が違うものになっていたであろうことは間違いなく、我が一家にとってはあってはならなかった極めて不幸な事件であるといえる。

ラ・チーカ事件における実行犯の女は、それまでに例を見ない強引さで筆者を引きずり込み、金を巻き上げていった。
この件は、長らくBMI犯罪によるものと思われていたが、現在では敵一味宗創医連合に加えこの店側も実はグルだったというのが専らの見解になる。
何度断ってもしつこく絡んできて、腕を離そうとしない強引な手段はBMI犯罪だけでは説明が付かない。つまり、敵対勢力の根回しが予め成されており、筆者の行動を何らかの手段で追跡していた敵側が、私があの場所に来たことを店側に教えたのではないか。それで件の女が遣わされて店に引きずり込んだという訳である。それだけでなく、問題の女も工作員であり、目的達成の為に徹底した訓練を積まれており敵宗門かそれに近いカルト教団に忠誠を誓った輩であったというのが専らの推定になる。この点においては、瀬戸事件の通称・保母失格女もカルト員であることが判明しており、同様に徹底した訓練を積まれていてそれを隠蔽する為にバカな振りをしていた門外漢女型の工作員ではないかという見方が最近では有力である。

当方も断固として突っぱねるつもりでいたのだが、気が付いたら引きずり込まれていた。
敵の連中の脳裏には、恐らく高校進学時の誘導が失敗に終わったことが苦い記憶として残っていたものと推定され、それが力づくで引きずり込むという強引な手口となって現れたものと思われる。

1990年代も半ばになると、精神的にかなり破壊された状態となっていたので、このような手口に対応できなかったのであった。
また、パートナー不在の状況の長期化のみならず、ほぼ孤立した状況となったことも敵にとっては交際事犯をやりやすくなっていたのであろう。
ラ・チーカ事件は、典型的な交際類似行為である。後の複数の事件でも、この交際事犯型のハラスメントが行われることとなる。

その後もしつこく件の女に絡まれ、何とか振り切るまでに半年以上を要してしまった。
ただお金を使わされるだけだということに気づいて、必死の思いで振り切った。
しかし、敵はそこに落とし穴を用意していたのであった。
振り切ったはいいが、敵対勢力は別の策略を用意していたのであった。

風俗地獄事件

風俗地獄事件とは、ラ・チーカ事件終息後の1995年~98年頃(終息時期は推定)に惹き起こされた、思考操作・遠隔洗脳によって異常なほどの金員を風俗によってハタカサレた事件である。
敵は、筆者がまともに結婚できないようにすることに執念を燃やしていた。
また、この断絶を機に再び復活[大学への進学や大資格の取得]を再び目指すような事態だけは何としても避けたかったに違いない。それが証拠に、敵一味宗創医連合による極めて破壊的で悪逆な策動は今日に至るまでとどまることなく続けられ、何かをやろうとすると事件を起こしたりハタカセ策動を捩じ込んだりして徹底的に押さえ込むという極めて悪逆なやり口が続いている。
そのために用意した誘導先が、風俗地獄であった。
この誘導は、風俗というものに興味を向けさせて情報誌を何度も繰り返し読ませて(手に取らせて)刷り込むという、後年の機材破壊策動でも用いられた手口が使われている。
そして筆者は池袋にある、ある個室付浴場へ誘導されたのであった。だが、この時はうまく機能せず、もうやめようと思ったものだ。

しかし、それでは困る敵一味宗創医連合は、これでもかというくらいしつこい誘導で吾輩をつなぎとめた。
しかして、当該の風俗嬢もまた、敵側に与する人間だったのである。
筆者は毎月のように個室付浴場に通わされるようになる始末であった。
これには、別の目的があった。
それは、男性としての自信を完膚なきまでに喪失させてしまうことと、まともな異性交際に目を向けさせないようにすること、そして身近な縁に近づかせないようにする事であった。
何故なら、風俗通いほど女性に忌避されるものは無いからである。
実際、後には「風俗に行けばいくほど身近な縁が遠ざかっていく」と考えるようになり、そのことが最終的に風俗通いをしなくなるようになってそれで身近な縁を呼び込んだともいえるからである。
毎月のように通いながらいざとなるとまともに機能しない始末で、後年の回復から云っても今日においては明らかに身体操作によって性機能を低下させられたものであると断言できる。
いったいどこまで根性が腐っているのか。
風俗地獄は、その後の経済的凋落もあり1998年頃には終息したが、すでにこの時点で500万を超える金員をハタカサレるという凄惨な戦争犯罪となった。
この風俗地獄では、多いときには月に10万も使わされるなど、当時の年令では人より稼いでいたであろうその実入りを徹底的にはたかされるのに利用されることとなった。
それは、徹底的にはたかせることで貯蓄をさせないこと、それと同時に徹底的に煽り続ける為のネタを温存し続け、そして考える余裕を与えずにさらに負のスパイラルに陥らせ以って将来的に吾輩を社会的に抹殺する目的で行われたのである。

もしこのお金が残っていれば…。
少なくとも、今日の状況のように貶められることは無かったであろう。
まさしく演出型ハラスメントである。

また、ラ・チーカ事件、及びこの風俗地獄の惹き起こされた時期は吾輩にとって人生の一大事を決め種の存続に関わるべき時期でもあったのだが、それを悉く潰して押し流し、屈辱の境涯に押し込める為の薄汚い謀略事件であったのだ。

箱物へのスピン策動

瀬戸事件、ラ・チーカ事件の後、交際問題からのスピンの為にそれを住宅問題にすり替えられて殊更にハタカサれた事件(不祥事)をこのように総称する。
ここでは、所謂三バカのうちジャーヒリーヤ時代に惹き起こされた分について簡単に述べる。
ラ・チーカ事件の後、吾輩は実家からの独立問題に直面していた。当初吾輩は当時の職場からさほど遠くない、埼玉でも東京に近い地域への移住を提案していた。勿論経済的な制約から実家ごと移転する前提であった。何故か?単身での入居が当時はできなかったからである。しかしそれでは都合の悪い奴等がそこで拘らせるように洗脳操作で捩じ込んだネタが「公団住宅」である。公団住宅は、物件ごとに最低月収額が規定されていてそれ以下だと入ることができない半面、保証人が不要というメリットがあった。敵が誘導した物件は、東京から40キロも離れたところにある7万円超という高額物件であった。今にしてみれば、それに何の意味があるのか?と必ずストップが入るところだが、ストップされてはハタカセられないので「踏みとどまることを押し止めた」のである。その結果が職場から1時間半、40キロも離れた7万もの割高物件だったのだ。後に現実的として移ったのが距離こそ似たようなものだが4万の物件だったから、いかに高いかが窺える。ではどうすればよかったのか?精々4~5万程度で職場から近い民間の物件に住めばよかったのである。だが、それだとハタカセられないので思考操作・遠隔洗脳で捻じ曲げたということだ。然るべき家賃を5万程度と見積もっても、差額だけで凡そ70万円にもなる。この70万円だけでもあれば、その後の人生は違うものになっていたであろう。どちらにしても、どちらの物件も東京からは遠すぎた。勿論現在押し込められている薄汚い辺境の地にしても同じことだ。東京から50分は、十分に遠いといえるものだ。保証人不要のメリットですら当時では必要のない代物であり、敵宗門一味の離団政策の代物と断ずるべきものだ。ラ・チーカ事件、風俗地獄によるハタカセ額と合わせると少なくて600万にもなったと見積もられており、改めて敵一味宗創医連合の邪悪さが浮き彫りになっている。その他にも不当なハタカセが行われており総額は800万にも達すると見積もられている。結局経済的に窮したことで実家に戻ることとなり、ジャーヒリーヤ時代は終わりを迎えたがその傷跡は今日に至るまで暗い影を落としているといわざるを得ない。

総括

もし誰か身近な人がいて助言があれば、間違いなく引き止めが入って止めさせてくれたことであろう。
それをさせないための「離断政策」の強要であり、風俗地獄に引きずり込むことは彼の「新宿事変」の時に既に予定されており敵にとっては既定路線だったのである。
そして、離団政策の為に仕組んだのが「縁なき辺境への隔離」ということになる。後の「薄汚い辺境の地」のことも含め、現在では三バカと謂われている。
東京で生まれ育った吾輩は、何があっても東京を離れてはいけなかったのだ。

ではどうすればよかったのか。
新宿事件は、問題の同窓会の出席を断ればよかっただけの話だ。それをされては困るので敵宗門一味による思考操作がなされたというのが専らの推定である。
瀬戸事件についてはあれだけの悪評が立っていたのであるから近寄らないようにしていれば防げた。
ラ・チーカ事件については何としても強引に押し切って断れば防げた。しかし普通はあそこまでは絶対にしないであろうことから敵一味宗創医連合の命であったことが明らかである。
風俗地獄についてはうまくいかなかった時点で普通は諦める。そこには敵一味宗創医連合による遠隔操作による強力な洗脳操作があったと推測され、奴等の正体を知らなかったことが問題である。
時系列を追う毎に敵一味による操作・洗脳が酷くなっていったことが窺われ、改めて敵宗門一味の邪悪な様が浮き彫りになっている。
謂わば超毒親ともいえるクズ元が意図的に大切なことを教えずに締め付けばかりを行いその対価に汚いカネを受け取っていたことに元凶があり、改めて万死に値するといえる。

当時はネット自体が一般的なものではなく。あらゆる人間関係はアナログで繋がっていた。しかしカルト集団は異様に組織されており一人を集団で追い込んで破滅させるという悪魔的所業が既に平然と横行していた。その上当時既に亡かったクズ元が意図的に毒親としての所業を平然と働き、その対価を受け取っていた典型的カルト脳だったことは不幸であった。そしてそのクズ元がカルト宗教に阿る愚行をしでかしたことが総ての不幸の始まりであり、それがなければこれらの事件はなかったのである。

結局以前の記事にもあるように35を超えて結婚できる確率はごく僅か、針の穴を通すようなものでありそうなってしまっては最早諦めるしかないのであるが、諦められては煽ることが出来なくなってしまうので遠ざけておいて煽るという非常に邪悪な謀略を奴等は組んだということなのである。

これらの事件群総ては、人間にとって大切な人生の一大事からスピンし然るべき縁を得させないための薄汚い謀略であった。と同時に後の敵宗門隷属強要時代における異性問題煽りを惹き起こす為でもあり、当初から緻密に計画された謀略事件だったのだ。

托卵疑惑が浮上

金城修一の元クズ親(クズ元)に托卵疑惑が浮上した。

金城修一の写真を見ている人もいるかと思うが私は全然尊父に似ていないし何一つ似たところが無いのだ。全然太らなかった尊父と違い私は太りやすい体質だし。今更確かめようがないのではあるが…
恐らくクズ元の劣性の遺伝子が私を苦しめているのは事実だろう。血液型は合っていても、どこも似たところが無いというのはさすがにおかしい。今となっては確かめようがないが、クズ元の晩年の荒れ方から言っても托卵の可能性は十分あると思う。それでも尊父は尊父だ。加害者はクズ元だから。

尊父とクズ元は島流し前に離婚しているが、恐らくクズ元の不倫が原因じゃないのかと金城は推定する。有責側に親権を持たせないようにする法整備は喫緊の課題かと思う。あんなクズいあばずれな母親だったらいないほうがいい。実際百害をばら撒いているような状態だったし。
何故托卵と思ったか?それはクズ元の聞き捨てならない発言がもとになっている。「河原で拾ってきた」と。つまるところそれが托卵を意味してんじゃねえのかと。この不幸の最大原因は敵一味宗創医連合だが、クズ元も一枚噛んでるでは済まないほど大きな元凶だったのではないか。何度でも○したい。

このクズ元、我が一家では重篤な戦争犯罪人として認識されている。何故なら一家をあの忌まわしき創価学会に引きずり込み、敵宗門・日蓮正宗への橋渡しをさせた上、本来東京で学生期を過ごさせるべきをカルトの言いなりになって絶海の孤島に島流しにして逃げられないようにしたことで非常に重く暗い影を落とし敷いては一家凋落の元凶となったからである。
このクズ元、島流し以降の晩年においては子供の都合そっちのけでテメエが心地良い刺激の中で過ごせればそれでいいというクズ丸出しの様相を呈していた。男をとっかえひっかえしては家に連れ込んでいる有様であったが、恐らくそれも敵宗門一味のお墨付きだったんだろう。
結局は敵一味手先のブルジョア家当主にこき使われた挙句42歳で頓死することになるのであるが、本来であればそこであのクズい島には別れを告げ全てを断ち切って本土に復員するべきでありそこから進路を決めるべきであった。
もっと重大なのは、このクズ元は「東大、東大」とほざくだけで明確なビジョンを見せることは無かったことにある。この、明確なビジョンを見せないようにすることこそが敵宗門一味の策略であり、そこから落として底辺に突き落とすことも最初から計画された通りだったということである。つまり、ビジョンを見せて何かを目指されること自体が敵宗門一味にとって非常に都合が悪いことだったということになる。そのために敵が持ち出したのは、ここでもやはり「実現の可能性が無いか、極めて低い夢や幻想の化城」ということになっている。それが「ロック」であり敵のねじ込んだロックグループ「A」がそのための動機付けということになっている。
結果的にAは2003年に粛清されることになっているが、その理由が「キリスト教との深い関連性」ということであり結果オーライのような形にこそなっているがそもそもキリスト教である敵宗門一味としては都合の悪いことであったはずである。それが放置されているということはA自体が既に「用済み」であったということではなかろうか。この時点で絶海の孤島によって未来が捻じ曲げられてからすでに15年以上を経過しており、既に筆者は底辺を彷徨わされていたからである。底辺を彷徨わされているような者でなければどんな巧妙なウソでたらめを以ってしてもカルト宗教に引きずり込むことは出来ない。その意味では既に敵宗門一味の思惑通りに行っていたということになり、非常に許し難い。尤も、Aについてはこれが無くてもそのキリスト教との深い関連性からいずれ粛清の対象になっていたであろうけれども。それが早い時期にできていたことは逆に結果オーライであるというものである。もし脱退以降であればAは苛烈な吊し上げの対象になっていたであろうがな。

今にして思えば私は様々な点で尊父とは大きな違いを抱えている。体型、太りやすい体質、性格…どれを取っても尊父とは大きく異なり、やはりあのクズ元の薄汚いDNAの混入がこの人生にも深い影を落としているというべきであろう。そのことからも恐らく私は托卵子なのであろう。だが、それでも尊父は尊父だ。
クズ元については実にどんなに恨んでも恨みきれず、何度でもこの世に引きずり込んで〇したい程である。あのクズ元がもし近年まで生きていたらそれはそれで恐怖の姑になっていたであろうことは間違いなく、人生の大きな足かせになっていたであろうことは間違いなく、クズ元の早世は敵の重大な(笑)ボーンヘッドだったんだろう。
私はクズ元のことを親とは思っていないので、そこだけ間違いのないように。
勝手な思い込みや都合でこれを曲解する者はそのことによる予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことになるということを敵一味関係者共々一々に肝に銘じるべきであると謂っておく。

【追記】
クズ元は1988年8月に他界している。

不本意なるこの人生 1

私がこの人生において本来の姿であったことはただの一度もない
また、これからも本来の姿に戻ることは無いであろう
何の罪もないのに島に流され、そこで凄惨なガスライティングを受け、更には進路を捻じ曲げられてすべてを失った
復員後も焦点を狂わされ、失地回復への動きを押し止められ、失地回復が絶望的になった頃になって失地回復なる語を捩じ込まれ、更にはいくつもの錯誤を強要され、刷り込まれスリカエられたものばかりが席捲し、敵の正体を突き止めると凄惨な報復を受け二度と元に戻ることの無い体にされ未来への希望を奪われたのである
そこにあるのは捏造と錯誤と強要、そして暴力と憎悪、これがすべてである
筆者は1981年頃から凄惨なガスライティングを受けるようになった
その前から得体の知れない感覚に襲われるようになっており、また意味不明の語が頭の中を席捲していたことが判っている
これらは電磁波ガスライティングによるとしか考え得ない

意味もなく狂わされて攻撃対象にされたのは明らかで、初期のそれは明らかに島流しへの誘導とその前段階である
つまり、島流しにするための理由付けになる
実母が創価学会に入信したのは1983年頃のことになる
一家も、実父を除いて入信させられることになる
父は、カルト創価を断固として拒み続けた
今にして思えば真っ当なことである
ここでは詳細を割愛するが、筆者は虚偽交際事件に巻き込まれることとなっている
そしてこの虚偽交際が、その後長年に亘って島流し以前を美化するために利用され続けたのである
やがて、島流しの時がやってくる
実母は、依頼者である某ブルジョア一家当主に巧く取り込まれてしまっていた
1984年初秋、それは突然一家にもたらされた
筆者は反対したが、敵によって狂わされた頭では抗うことが出来ず、島流しが決定してしまう
かくして同年9月17日頃、一家はとある離島に移り住むこととなっている
この島流しには、いくつかの目的がある
・一家を離散と破滅に追い込むこと
・学歴を不当に低く抑え、それに対する動きも押し止めてしまうこと
・筆者に対する凄惨なガスライティングと人格改造を強行すること
・以って筆者のその後の人生を永遠に狂わせてしまうこと
等々細かく書けばまだ挙げられるが、大体そんなところである
この(筆者にとっては)絶海の離島でそれらを確実に実行するには、筆者が現地の環境に馴染んでは都合が悪かったのである
ここで、既に筆者をマインドコントロール下に置いていた電磁波部隊が暗躍し、思考と行動を改竄して攻撃の標的となるように仕向けてしまった―
そして周囲の者をも操作してこぞって筆者を攻撃するように仕向けた訳である
これが真相である
そして四年半もの間、筆者は不本意な環境下で過ごさせられることとなったのである
そして、筆者に好意を持ちあるいは近づこうとする者に対しては時に人為的に、時に電磁波による操作でこれらを遠ざけ、筆者に孤立を強要してきたのである
そのために敵は筆者本来の思考とは違うものを捩じ込んできた、それが某AでありY.MでありR.Hであるという訳である
そして、筆者が進学できないように、勉強しようとする動きはマインドコントロールによって押し止められ、徒に現を抜かすことを強要したのである
つまり、これはリベンジができないようにその機会を奪ってしまい後戻りできなくしてしまうというまさしく悪魔の所業である
悪魔に魂を売り渡した実母は1988年の夏に42歳という若さでこの世を去る
これは厳然たる謗法の報いであるとも云えるが、これにはもう一つの狙いがある
それは、卒業を目前にしてその命を奪い、孤児同然の状態にすることで恩の押し売りをしてその奸計を隠蔽してしまうというものであった
都内の高校に転籍という選択肢もあったはずであるが、それでは隠蔽ができなくなるので選択肢から消し去ってしまったのである
それは他のきょうだいにしても同じで、況して下は義務教育中でもあったことを考えれば直ちに島を離れて復員するべきであったと云える
たかが7か月であっても、そこには雲泥の差が存じた訳である
少なくとも、その時点で島に留まるべきではなかった
つまり、件のブルジョア一家当主は最初からそういうつもりで実母を酷使し続けたという訳である
そして計算通りに実母は頓死した―
そして最後の7か月間は件のブルジョア一家の離れに強制的に住まわされることとなっている
そして進路は捻じ曲げられ、進学への動きは封じられた
そして翌年3月12日、一家は島を離れ復員している

進学への動きを封じられたことについて

云うまでもなく、斯様な状況下であっても手を尽くせば進学する望みはあったはずである
奨学金の制度もあったし、働きながら進学を目指すという方法論もあった
しかし、そのためになるような情報は封じられ、進学できなくて当たり前だということにされてしまったのである
そして、そのために敵は運送会社に筆者を誘導して考える暇を与えないようにしたのである
復員後も、敵の手によってそのような情報に接することがないように細心のコントロールで筆者を貶めてきたのである
そして、徒に目の前のことに現を抜かすことを強要し、目先のカネだけを追わせた―
また、敵は筆者が蓄えを持つことの無いように不当に生活を監視し、蓄えようという姿勢を見せるや否やかの「ラ・チーカ事件」を惹き起こし、カネを不当に簒奪しそして風俗地獄へと誘導していったのである
これによって失地回復の望みは事実上絶たれていたと云える
これらの監視と誘導は、電磁波部隊の手によって行われてきたものである

アイドルとロックについて

島流し末期の1988年7月、目黒でアイドル歌手Y.Mのファンが家族3人を惨殺する事件が惹起している
参考:目黒・中2少年の家族3人殺害事件
これを契機に筆者はそれまでの反省からアイドルからの脱却を図り、アイドルでないポップス音楽の導入に踏み切っている
これが敵にとっては殊の外面白くなかったようである
当時敵の奸計は未発覚で、筆者としてもそういうつもりでやった訳ではなかったが、このため後に切り崩し工作の対象となり、くだらない理由で以って引き離しにかかり、別の複数のアイドルグループに誘導して元の木阿弥にしてしまったのである
昨年になってその切り崩し工作が発覚し、当該アーティストの名誉回復が行われている
なお、敵によって誘導されたアイドルグループはその後の衰退もあって排除されることとなり、CDの残っていたアーティストから順に旧に復している
その中には目黒の事件の反省から初めて筆者の意志で導入した第一号アーティストも含まれている
何よりも筆者が自分の意志で導入したことが気に食わなかったようである
なお、敵の誘導した最大のトリックでもあるロックグループ「A」は、2003年の日蓮正宗入信に先立ってその謗法の実態が問題となり、入信に先立つ同年8月末を以って粛清することとなっている
現在革命一家ではアイドルとJロックはご法度となっており、再三禁止の徹底が行われている

その後吾輩は2015年1月10日を以て敵宗門より脱退し、以来激しい攻防を繰り広げている

【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)