シングスピールの回顧録について
伝統偽装カルト「日蓮正宗」から2015年1月に脱退。その後同宗の謀略によって人生を台無しにされたことに気付き、以後その迫害と引き戻し策動に対して自主独立と矜持を賭けて闘争を戦っています。
なお筆者は脱退以後無宗教であり、特定団体からの支援を一切受けていません。
Author:金城修一 Shuichi Kinjou
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ドキュメンタリー動画を制作
このたび我が一家では2007年5月20日に惹起した石之坊信徒による金銭恐喝事件についてのドキュメンタリーを制作し公開した。
※注意:1時間超え動画です。スマホの方はギガにご注意下さい!
あの日、私はバス代として取っておいた金銭を石之坊受付の女どもに掠め取られ、坊の講員どもも誰も帰りの足を助けず、結果9キロ近い道のりを延々と歩かされる羽目になったものである。
当時はスマホもタブレットもまだ無い時代であり、突然の事態に近道を調べるなど不可能だったのだ。そうなると知っている大きな道で行かざるを得ず、もちろん先述の講員どももそんなもの教えもしない。どうせ奴等のことだから「そんなものてめえで調べろ」で終わりだろう。当時であっても。何しろ会合が中止になってもそのことすら知らせずにおいて「自分で聞きにこい!」とかほざく無慈悲な連中だからな!
こんなことだったらあのときに日顕宗など辞めておけばこんなに不幸にならずに済んだだろうに。
近道であれば7キロ台後半の道のりになるが、バス代が必要なことはわかっていてもそれを掠め取られることなど誰が想定などするか。それすら「当たり前だ!」で片付けるであろうけどな、法華講員どもは。それほどまでに傲慢尊大で残忍無慈悲な連中だ。
この事件にはそのための布石、環境整備として惹き起こされた「前哨戦」というべき事件があった。予定外機材売却強要事件である。
この時、門外漢女によるデジタル一眼スキャンダルによってもたらされた忌まわしきEOSKissDを代替することになっていており、後継機だった10Dでは使えない18-55mmレンズとともに売却がすでに決まっていた。それとて、今まで取引していたカメラ店で売ってくれば済んだ話だ。だが、それでは敵が事件を起こせないためこれを捩じ曲げることになったのだろう。そして誘導されたのが中野の某F店だった。
そこには完了品の某レンズメーカー製レンズが置いてあった(70-200/2.8)。
既に純正の70-200/4Lを持っており必要など全く無かったのだが、敵とグルのFはこれを目立つように陳列して目を引かせたのだ。つまり、その存在を敵宗門宗務院は知ってやっていることになる。件のKissDと18-55だけ売って終わりにすればいいものを、それでは事件を起こせないから敵はそこを捻じ曲げて不当に行動を狂わせたのである。つまりその売却を以前の店でされたのではハタカセられないからだったのである。
まずで以て、以前の店では買取と販売の部門が離れていて別の場所にある。つまり売却の席で次を煽ることはこの形態では不可能となる。それに対して問題の「F」ではそれが一体であり売らせた席ですぐ次を煽れる構造になっているのである。それと丁度煽りのネタにできる商品が以前の店には無かったことも理由のひとつだったであろう。
この予定外機材売却強要事件は大いに我が一家の経済を狂わせた。更に追い討ちをかけるように購入したカメラに不具合による交換が発生し、価格が大幅に上がってしまった。それでもそれは当初の売却予定価格で十分カバーできる金額であったのであるが、そこでカバーされては困るのが敵宗門日顕宗であったということだ。つまり当初からこの日に斯様の恐喝事件を惹き起こして大きな打撃を我が一家に与える計画だったのだ、奴らは。
更にこの恐喝事件はその後の「罰・罪障」の演出や離間工作、一家離散策動にもつながっているのでありこのような人格抹殺を平然と行っているのが敵宗門日顕宗であるということである。
カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 動画, 宗教や敵対者について, 敵宗門, 風化させない
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この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-228.html
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【動画】所縁の地探訪
我が一家では、本来の所縁の地はどこであるかをはっきりさせておくことによって敵一味・宗創医連合軍による運命操作を誤魔化させないため所縁の地探訪動画を制作し公開した。
杉並探訪
東武練馬探訪
現在の薄汚い辺境の地に筆者を誘導したのは敵一味・宗創医連合軍であり云うまでもなくそれは首魁である敵宗門・日顕宗の意向である。
それはただ単に罰・罪障を演出するためではなく、最終的に我が一家を滅ぼすことを目的とした運命操作なのだ。
奴等は、最初から救う気もなければ幸せに導く気も全く無かったのだ。
また、奴等には最初からそのような力など備わってもいないし日蓮は仏ですらない。
そのことがわからないように安心できるウソで騙しておきながら、しかも変わらないどころかどんどん不幸になるように仕組んでおきながらそれに対する誤魔化しの言い訳として「罰・罪障」を持ち出しておりその演出もかねて数々の事件は敵宗門日顕宗サイドによる自作自演で惹き起こされていたのだ。
そして真実の追究を宗教と趣味ごとで押し流し探られないようにしておきながら増癌剤で父を殺しそれと平行して離間工作を繰り広げ、孤立化によって敵宗門以外他に頼るものの無い状況を創り出していったのだ。
全く縁の無い辺境の地である必要性は運命操作を誤魔化す為であり、所縁の地にいられては都合が悪かったということでありなおかつその後の迫害工作の舞台として最適な地として敵一味がこの辺境の地そして阿呆悦院を選んだということだったのだ。
勿論途中で抜けられては真実がばれて今日のように正体がわかってしまうので「功徳」と「罰・罪障」によるダブルバインドで抜けられないようにして行為者を隠し、それでも事件の追及を始めると今度は単なる雑魚に過ぎない門外漢女を「首謀者である」「創価とつながっている」ということにしてそこへ責任転嫁をさせていたのである。敵はそれらを汚い手段を使って捩じ込んで書き急がせたのである。もちろんそれらは敵宗門がでっち上げたウソでたらめなのであるが、私が日顕宗から脱退するとこれをネタに脅迫してブログを潰すなどの言論弾圧という暴挙に及んだのだ。
問題のブログについては「内容に疑義あり」として何度も問題になり、一度は畳んでいたのであるが捩じ込まれたことがばれると即脱退につながるためか再度捩じ込んで書かせていたものだった。なお問題のブログで問題だったのは誰が首謀者であるかという点のみであり、実際には手先、雑魚に過ぎなかった門外漢女を「首謀者」に仕立て上げたのは敵宗門であるし奴もそれを了承していたはずである。
でなければ脱退に至る前に内容が問題となるはずであるしそうでないのは脱退に至った場合の脅しネタに温存させていたということである。それが脱退前には決して問題にされなかった理由であり、なおかつそのでっち上げた内容が敵宗門に引き止めておくために絶対に必要であったということだ。それが崩れては「行為者は宗門である」ということがたちどころにバレて直ちに宗門からの脱退につながってしまうからだったのである。つまり数々の事件が宗門を舞台に惹き起こされた以上他には当たるところは無く、門外漢女が首謀者でないのであれば首謀者は宗門だということに必ずなるからである。少し考える余裕があればすぐにそこに行き着くはずなのであるが、考えられないように宗教の教義によるダブルバインドで思考停止に追い込み考えられないようにしていたのであり、それが敵宗門の手口だということだ。そしてそれを助けていたのが機材を含む趣味ごとによる煽りだったということになる。
俺は日蓮正宗を絶対に許さない!
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