金城修一の元クズ親(クズ元)に托卵疑惑が浮上した。
金城修一の写真を見ている人もいるかと思うが私は全然尊父に似ていないし何一つ似たところが無いのだ。全然太らなかった尊父と違い私は太りやすい体質だし。今更確かめようがないのではあるが…
恐らくクズ元の劣性の遺伝子が私を苦しめているのは事実だろう。血液型は合っていても、どこも似たところが無いというのはさすがにおかしい。今となっては確かめようがないが、クズ元の晩年の荒れ方から言っても托卵の可能性は十分あると思う。それでも尊父は尊父だ。加害者はクズ元だから。
尊父とクズ元は島流し前に離婚しているが、恐らくクズ元の不倫が原因じゃないのかと金城は推定する。有責側に親権を持たせないようにする法整備は喫緊の課題かと思う。あんなクズいあばずれな母親だったらいないほうがいい。実際百害をばら撒いているような状態だったし。
何故托卵と思ったか?それはクズ元の聞き捨てならない発言がもとになっている。「河原で拾ってきた」と。つまるところそれが托卵を意味してんじゃねえのかと。この不幸の最大原因は敵一味宗創医連合だが、クズ元も一枚噛んでるでは済まないほど大きな元凶だったのではないか。何度でも○したい。
このクズ元、我が一家では重篤な戦争犯罪人として認識されている。何故なら一家をあの忌まわしき創価学会に引きずり込み、敵宗門・日蓮正宗への橋渡しをさせた上、本来東京で学生期を過ごさせるべきをカルトの言いなりになって絶海の孤島に島流しにして逃げられないようにしたことで非常に重く暗い影を落とし敷いては一家凋落の元凶となったからである。
このクズ元、島流し以降の晩年においては子供の都合そっちのけでテメエが心地良い刺激の中で過ごせればそれでいいというクズ丸出しの様相を呈していた。男をとっかえひっかえしては家に連れ込んでいる有様であったが、恐らくそれも敵宗門一味のお墨付きだったんだろう。
結局は敵一味手先のブルジョア家当主にこき使われた挙句42歳で頓死することになるのであるが、本来であればそこであのクズい島には別れを告げ全てを断ち切って本土に復員するべきでありそこから進路を決めるべきであった。
もっと重大なのは、このクズ元は「東大、東大」とほざくだけで明確なビジョンを見せることは無かったことにある。この、明確なビジョンを見せないようにすることこそが敵宗門一味の策略であり、そこから落として底辺に突き落とすことも最初から計画された通りだったということである。つまり、ビジョンを見せて何かを目指されること自体が敵宗門一味にとって非常に都合が悪いことだったということになる。そのために敵が持ち出したのは、ここでもやはり「実現の可能性が無いか、極めて低い夢や幻想の化城」ということになっている。それが「ロック」であり敵のねじ込んだロックグループ「A」がそのための動機付けということになっている。
結果的にAは2003年に粛清されることになっているが、その理由が「キリスト教との深い関連性」ということであり結果オーライのような形にこそなっているがそもそもキリスト教である敵宗門一味としては都合の悪いことであったはずである。それが放置されているということはA自体が既に「用済み」であったということではなかろうか。この時点で絶海の孤島によって未来が捻じ曲げられてからすでに15年以上を経過しており、既に筆者は底辺を彷徨わされていたからである。底辺を彷徨わされているような者でなければどんな巧妙なウソでたらめを以ってしてもカルト宗教に引きずり込むことは出来ない。その意味では既に敵宗門一味の思惑通りに行っていたということになり、非常に許し難い。尤も、Aについてはこれが無くてもそのキリスト教との深い関連性からいずれ粛清の対象になっていたであろうけれども。それが早い時期にできていたことは逆に結果オーライであるというものである。もし脱退以降であればAは苛烈な吊し上げの対象になっていたであろうがな。
今にして思えば私は様々な点で尊父とは大きな違いを抱えている。体型、太りやすい体質、性格…どれを取っても尊父とは大きく異なり、やはりあのクズ元の薄汚いDNAの混入がこの人生にも深い影を落としているというべきであろう。そのことからも恐らく私は托卵子なのであろう。だが、それでも尊父は尊父だ。
クズ元については実にどんなに恨んでも恨みきれず、何度でもこの世に引きずり込んで〇したい程である。あのクズ元がもし近年まで生きていたらそれはそれで恐怖の姑になっていたであろうことは間違いなく、人生の大きな足かせになっていたであろうことは間違いなく、クズ元の早世は敵の重大な(笑)ボーンヘッドだったんだろう。
私はクズ元のことを親とは思っていないので、そこだけ間違いのないように。
勝手な思い込みや都合でこれを曲解する者はそのことによる予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことになるということを敵一味関係者共々一々に肝に銘じるべきであると謂っておく。
【追記】
クズ元は1988年8月に他界している。