門外漢女を斬る

当ブログでもたびたび問題にしている石之坊信者の女工作員・通称門外漢女。
この女は2004年に石之坊に入ってきてから凡そ6年の間私に対する敵宗門の工作の主軸を務めていた輩であり、これによる直接的や間接的な被害は数知れない。
2010年に私が石之坊から粛清されたことによりその後の接触はないが、現在もなお石之坊の主力役員であることに違いはなく今なお警戒を要する輩である。

門外漢女は当初から今日に至るまで反省懺悔の一片も見せておらず、一言の謝罪も一円の賠償も無く遁走を続ける。
斯様の状態が続く限りに於いては私も奴に反省の態度が無いと見なしてここに書き続ける。

門外漢女の紹介者はかつて石之坊の講頭も努めた男(桜梅桃李)である。しかしながら、桜梅桃李が入信した時に門外漢女は入信していない。
確か数日だと思うが入信日に不自然なズレがあるのだ。もちろん同日とはなかなかいかないものなのだがそれであればもっと、例えば数週間とか何ヵ月とか差が開くものだ。
この数日というズレとともに、わざわざ2月7日を選ぶという釈然としないわざとらしさは、「お上」にお伺いを立てたとも取れるに足るものだ。
何もなければ疑うに足らぬ事なのだが、あれだけの事があっては何を言われても言い訳にしか聞こえないものだ。2月7日を選んだのは明らかに「演出」であったと誰もが見抜けなかったのである。その「お上」とは奴が日蓮正宗の前に在籍していた衛星宗教の顕正会に他ならない。
入信時の経緯から不穏な門外漢女は、入信早々からおかしな発言や行動が目立った。
まず、明らかにおかしい発言の数々。
「私は浄い」
「バイクは正法じゃない」
「いいんです」
どれを取っても明らかにおかしいのだが、特に、「いいんです」は間違いや謗法の指摘に対する口答えなのである。
いくら新入者でもこんな尊大な態度はめったに見ないと思っていたが、創価学会や顕正会からの移籍者にはよく見られることであるようだ。
そもそも、「バイクは正法じゃない」って何だ?今にしてみれば全く以って意味不明であり、バイクに乗っている同門者をも侮辱する発言に他ならない。

今となってはあまり意味のない話ではあるが、謗法厳戒の念の薄い門外漢は某ロックグループ(「A」ではない)が創価系だと教えても「いいんです」で聞く耳を持たなかった。
さらに、創価にいる友だちとやらに正宗の名前を出せないとほざいていたがこれは法華講員のあり方として大変おかしいものと当時感じられた。
仕事関係で生活がかかってる話ならいざ知らず…
だがこれらは現在では私を騙し陥れるための演出であろうという見解が本会では有力となっている。これはいわゆる「ほのめかし」であるというのが現在の私の見解である。
「私は創価の人とつながりがあるのよ」というほのめかしだったのだ。だから他の人に言う訳が無いのだ、言えば大いに非難の対象になるし厳しく指導されることとなるからである。
創価とつながりがある振りをしたのは全ての謀略が敵宗門によるものであることを何としても隠蔽しておかねばならず、私が真実に気付いて脱退する事態を防ぎ妨害するためであったことが今日では判明している。つまりは敵宗門上層部の意向によって、直接的には石之坊上層部からの指示でやっていたということなのである。

更に門外漢は私に対するソーシャルエンジニアリングまで行った。いわゆる根掘り葉掘りである、これは回顧録にも書いた。なおソーシャルエンジニアリングはこの女以外にも通称SG現場の通称・千ラシ裏女も行っていた。
今にしてみれば、他に男がいながら根掘り葉掘りはおかしい訳であり、この根掘り葉掘りが行われた頃には既に私は敵宗門によってあの卑劣な連中に売られていたということだ。
そして、この後自動二輪圧殺をはじめとする数々の悪事に手を染めていった訳である。

石之坊での目立った権謀術数が目立つようになる以前より、やたらと交友関係を広げてはそれを自慢するようなことを門外漢女はしていた。
これにも狙いがあり、恐らくは筆者の悪評を広めて結婚の可能性の芽を摘む狙いか、或いは矢面に立たされた場合の擁護勢力生成の狙いがあったのだろう。

そして奴は二つの大きな事件を惹き起こす。自動二輪圧殺演出事件とデジタル一眼レフの導入に絡むスキャンダル事件である。
そしてこの二つが完結すると途端に門外漢女はそれまでと一転して私から距離を取るようになり疎遠になっていったのである。

自動二輪圧殺演出事件の後、筆者は門外漢女を公開で問い詰めたが、予想だにしない狡猾な巧弁の前に敗れてしまった。
しかしながら、門外漢女の側も誤魔化すのが精一杯で策に詰まったのだ。

この2005年秋から2007年春の間に参詣が極度に減るなどの空白期間があり、特に2006年春以降門外漢女とは疎遠になった。

そして門外漢女は派閥を形成し、数々の策謀に手を染めていった訳である。更に門外漢女は、恩ある人々に対して平然と恩を仇で返す所業にも出たのである。
恩を仇で返すというのは日本人のやり方には元々無い。というより、今でもまともな日本人ならそんなやり方はしない。カルトでもない限りは。
私が思うに、あの女は日本人ではない。云わんとする事が解るだろう。何しろ出身地が朝鮮人の集落と言われているところだ。少なくとも、私はあの女が日本人ではないと確信する。♨だ。写真で面を見た限りは。

そして2007年5月に石之坊で私に対する恐喝事件が発生したが、この時門外漢女は主犯吉田某と共に受付に同席していた。共犯者、共同正犯といっても差し支えないだろう。
尤も恐喝事件自体恐らくは宗務院が画策して山根に命じたものであろうから、門外漢女はこの事件については共犯者の範疇を出るものではない。
なおこの事件はその後長らく続いた機材迷走事件の端緒となっており、我が一家はこの事件に対してあくまで追及の姿勢を緩めないものである。
また機材が迷走したことについてはデジタル一眼レフスキャンダルによって不本意に入ってきた粗悪機材の影響もあり、門外漢女の責任も極めて大きい。

その後、再び私が石之坊から離れている間にその石之坊でクーデター事件「石の湯事件」が惹起し、当時講頭を務めていた桜梅桃李が粛清され石之坊を追い出されている。
それと共に石之坊ではネットが禁止になり、山崎が講頭に返り咲き門外漢女も山崎側に付いて桜梅桃李を裏切る所業に出ている。

門外漢女は石之坊入りした頃にも交際相手がいたようなのだが、結局この男性が入信を拒否したため別れたようで、その後2008年頃に明らかにカネ目的と分かる柄の悪い男と結婚している。カネ目的だけではなく、自分の立場が悪くなった時に力づくで相手を排除することも念頭に入れられていたであろうことが明らかである。さすがクズ女である。尤も日蓮正宗は奴だけでなく殆どの女信者が銭ゲバプリンクズ女なのであるから何も驚くことでもないが。まあこんなおかしいカルト宗教に嵌まっている銭ゲバ女なんて愛想を尽かされるに決まっているのであるがな。入信を拒否して別れた男性は救われたな。

その後は直接のやり取りも面会もなく2010年4月に私が石之坊から粛清されたことでその日奴の高級乗用車とすれ違ったのを最後に私は姿を見ていない。

その2010年4月に門外漢女は石之坊で役職に任じられたことが報告されており、その後龍神ひろしが役員に認証されたちょっとした騒動になった際にこの門外漢女も認証されている。
以後今日に至るまで石之坊では新たな人事が発表されていないので、そのまま龍神と共に石之坊の認証役員を務めているものと思われる。

以上が門外漢女についての概要である。

この門外漢女であるが、当初よりその視野狭窄杓子定規振りが目立つ輩で、しかも言っていることの支離滅裂さが迸っていた始末だったのであるが、当時は真実追究からスピンされていた暗黒時代だったので騙される事態を防ぐことが出来なかった。
云うまでもなく敵宗門が自宗門に引きずり込んだこと自体が真実追究からスピンされた状態を固定化して奴隷化し養分にしてしゃぶり尽くすつもりだったがためのものであり、この石之坊でおよそ6年半を空費させられた時代こそが最たる暗黒時代である。
そして先述の通り二つの大事件を惹き起こすという「目的」を達成した途端に疎遠になってもいる。目的を達して、或いは目的が達せられなかったり著しく不利になると逃げるのはカルト工作員の常套手段であり、この門外漢女よりも後代に出現した工作員共もこれを必ず踏襲しているという事実もある。

そしてもう一つ重要なのは、真実の追究が進んだことで発覚した新事実である。
この輩は以前に離婚歴があり、子供3人の親権を失っているということを本人が平然と口にしていたのであるが、これが何を意味するかということが重要なことであり、詰まり奴は不倫で有責側になり親権を元夫側に持っていかれてしまったということを意味する。以前ほどではないものの未だに親権争いでは母親が有利とされることが多い中子供3人の親権を母親が取れなかったということは相当に重篤であり、余程のことを惹き起こしてしまっていることを意味する。例えば不倫に起因する著しい浪費(間男に貢いだとか)若しくは間嫁に対する執拗な嫌がらせとか、などの悪質な行為が考えられる。
しかも門外漢女はその重篤な所業を棚に上げて「子供を取り返したい」などとほざいていたのである。不倫女がほざいていいことではない。
何故これが重要なのか。つまりこの女は自分勝手な不倫女ということになり、典型的な銭ゲバプリンクズ女であるということになる。もし同じ内容を現在の頭で聞いていたら即座に銭ゲバプリンクズ女と判断できる、その程度の簡単な設問だったということになり真実追究からのスピンが如何に重篤な結果を招いたかということにおいて敵宗門の責任の重篤さを示しているということである。つまりこのことを即座に判断できる状態になられては奴等が騙しをできなくて困るから真実の追究からスピンしなおかつ自宗門に引きずり込んで洗脳を深めさせたということになる。

このことが何を意味するか。

一般的な常識さえこの頃に知ることが出来ていれば高が門外漢女ごときには騙されずにすんでいた可能性が高いということである。
2000年末にもたらされたインターネット環境によって真実追究に期待がかかっていた矢先に、どうでもよくなっていた鉄道趣味を遠隔洗脳によって焚きつけられたことで真実追究からスピンされた結果が忌まわしき敵宗門に引きずり込まれたということであり、その後再三再四に亘って交際類似事犯が惹き起こされ以って敵宗門の意図通りに底辺に押し込まれる結果になってしまったということである。その意味では中ボスの足下にも及ばない単なるいち雑魚とはいえその影響力は絶大であり、実質的に人物破壊工作の主力であったことは疑いようがなく、ゆえに門外漢女の所業が現在の屈辱を決定づけたとまで言い切れるものであるから果てしのない憎悪を向けられて当然の輩なのである。

門外漢女の惹き起こした二つの大きな事件、自動二輪圧殺演出事件とデジタル一眼レフ導入に絡むスキャンダル。
これらはその後も筆者が石之坊を去ることになった後にまで影響を及ぼし続け、自動二輪圧殺演出事件はその後バイク戦争犯罪につながって巨額の損害を出し移住を望みをも断ち切ってしまった。またデジタル一眼レフ導入に絡むスキャンダルの影響はその後10年以上にも亘る機材の迷走と売った買った策動の罠に嵌められこれまた巨額の損害を出ししかも殆ど何も残らない結果にまでなってしまった。この二つの事件が直接原因、或いは遠因となっての損害額はおよそ300万円超と見積もられている。
そして門外漢女はこの二つの重大事件を惹き起こすための身のために色目を使い交際類似事犯に及んでいたということである。
なお今回の記事を執筆するに先立ち門外漢女の写真を改めて見返してみたがこれが見事なまでに♨の鼻面だったのを見て「ああ、やっぱり」となったのは云うまでもない。そりゃあ♨が仕切ってる宗教だもの。

そもそも門外漢女という通称はバイクやカメラのことをよく知らない分際で口を挟んできた不届き者という意味でつけられた蔑称であるのだが、上から聞かされたものとはいえある程度のことを事前に敵宗門から聞かされていて犯行に及んだであろうことが現在では明らかである。尤も、上から聞かされただけなので予定外のことが起きた場合には対応できなかったであろうとは思われる。
実際に疎遠になってからの機材改善の取り組み、望遠レンズの改善やこの門外漢女によってもたらされた不本意な機材の処分には門外漢女自身は全く対応できておらず、これに対する逆上は別の謀略部隊が惹き起こしていると考えられておりその後の機材迷走問題は最早門外漢女の手を離れたところで某店などもグルになって惹き起こされている。これについてはまた別途記事を起こして取り扱う予定である。

この門外漢女を抜きにしても60~80年代の輩にはクズDQNが非常に多い(保母失格女’66年、狐女’71年、門外漢女’74年、龍神ひろし’79頃、千ラシ裏女’80年、うりこ’85年)ことは見逃せない事実であり、今日の金城一家ではこの年代の輩との交際交流を避けるようにしていることも当然の帰結である。それだけ昭和の時代と云うのがカスでクズい時代だったということではある。

後記
この門外漢女、疎遠になる前には「私は頭が弱い」などとほざいていたが、本当に頭が弱い奴は自分でそんなことは言わない。つまり最初から頭が弱い振りをすることで相手の警戒を突破して欺くつもりだったのだということである。つまりは人を欺くことだけは天才だったということである。この手合いの輩はそれまでに遭遇したことがなく、未知の存在だったことが被害を大きくしているが、ネット参戦の時から予定通り真実の追究が行われていればまず100%対応出来ていたはずである。とどのつまり、真実を追究されては騙せなくなるから敵宗門はあんなやり方でどうでもよくなっていた鉄道趣味を焚き付けてその上汚いやり方で遠隔操作で洗脳してスピンしやがったのだ。
もしこの門外漢女のようにテメエで頭が弱いとかほざいている輩がいれば、それは100%詐欺師であるということであるからそのような輩からは速やかに距離を置くことである。子供3人の親権を取れないくらいだから相当あくどいことをしでかしたんだろう、今なら簡単にわかるレベルの話である。

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石之坊住職の交代について

石之坊といえば我が一家にとっては最悪クラスの忌まわしき場所であり、尚且つ不倶戴天の敵としてこの界隈では知られているところである。その石之坊で遂にあの悪逆な山根一順が隠居し、新しい住職が赴任することとなったのでここで言及する。

去る令和3年1月8日に早瀬日如より辞令が発せられ、山根一順が隠居することとなり斎藤道愉という輩が新たに住職となった。
以下は当該辞令が掲載された大日蓮令和3年2月号の紙面である。

住職なので当たり前だが山根はただ単に石之坊を仕切っていたのみならず、石之坊における私に対する人物破壊工作の中間責任者であったとみられている輩である。
石之坊に隷属させられた6年間で私の人生は大きく狂わされることとなり、しかもその間に我が尊父を医療利権に殺される事態にまでなっている。本来ならばその時点で全てウソであると見切って敵宗門から離れるべきだったわけで、その時点で連絡を絶ち敵宗門を排除しているべきだったのである。この時の山根の言い草は「葬式を本宗でやるのか、他宗でやるのか」というものでありお悔やみのオの字も出なかったのである。如何にこの男が私を侮蔑していたかの証左であるといえよう。

この男、ここ数年は頭の疾患で療養していたと言われており、それが真実であればまさに私共を陥れたことの報いであり自業自得であると云わざるを得ない。自業自得はこのことにとどまらず、日有日寛門流の偽教義カルト宗教、♨の衛星宗教を布教していたことの業障であることもそうだ。
年齢的にもいつ迎えが来てもおかしくない輩であるが、ここまでクビにせずに引っ張っていたのはやはり謀略の功を買われてのことだったということではないのか。
もう表舞台に出てくることは二度とないであろうが、だからといって許される訳ではないことはここに警告しておかねばなるまい。

新住職の齋藤道愉であるが、僧階:大僧都こそ山根と同じであるものの富士学林図書館長を務めるなど明らかに山根より格上の輩であり敵宗門が如何に石之坊を重視しているかということがこの人事からは窺える。これ以上僧階が上がることも最早ない山根と異なり今後権僧正(能化)に叙せられる可能性のある輩であり、先述通り如何に石之坊を重視しているかと共に現在の石之坊の惨状そしてその立て直しに命運を賭して任命しているであろうことも窺える。
私とは面識のない輩であるが、引き戻しのための謀略に手を染めない保証はどこにもなく、我が一家は怒りと警戒を新たにして今後に臨まねばならないだろう。

敵宗門・日蓮正宗をはじめとする日有日寛門流4宗派は表では争っているように見せかけて裏ではガッチリと手を取り合っているのみならず統一教会をはじめとする他のカルト宗教とも裏でつながっているということがハッキリしてきている。そしてその元締めにイエズス会(♨)がいることも火を見るより明らか。
何よりもその日有自身が♨の手先若しくは同族であり、南条時光から疑わねばならないレベルである。♨人がそれよりはるか昔の7世紀ごろに日本に既に潜伏していた可能性も高く、日顕も日如もその面を写真で見て明らかなほど♨であろうことが明らかである。今日の敵宗門は完全にイエズス会の手先であるということも然り。
全ての宗教は支配のための手段であるということを悟り宗教からは離れるべきであるということを改めてこの席を借りて言わせてもらうものである。

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敵宗門脱退から6周年を達成

我が一家は去る本年1月10日にあの忌まわしい敵宗門を脱退してから満6周年を達成した。大きな節目は既に過ぎているとはいえ周年に意義のある記念日であることに変わりはない。

昨年一年を掛けて取り組み、敵宗門による戦災や背負わされた重石、そしていかなる敵宗門残滓をも除却するために行われた戦後処理事業はその全ての目標目的を達成し成功裡に終わった。それに加え長らく構想されながら敵宗門の妨害で遅れに遅れていた私有交通の復活をも達成し、一家史上初めて年間目標がまともに達成されたのである。

「再出発の年」の成功を受けて定められた今年の年間テーマは「蓄積の年」である。云うまでもなく蓄積するべきは人生を変え失地回復を達成する為の力、スキルアップである。必ずや本年に定められた課題を達成し失地回復に弾みをつける。これが一家の必修命題であり、余事や儚い夢などに躓かされるようなことは間違っても惹起してはならない。従って本年も前年に増して厳格な交際統制を行い失地回復の妨げになるような悪縁を寄せ付けない。

ご存知の通り、一家の失地回復は脱退を基準にすれば5年遅れであり、ある忌まわしき事件を基準にすれば25年遅れということになる。この二つに共通するのは、「さあこれからだ」というタイミングで出鼻を挫く為に大きな事件が惹起して時間と金員が徒に失われていることである。そこにあるのは、敵宗門一味の「するべきことを絶対にさせない、寄せ付けない」という強固で邪悪な意志なのである。それだけでなく、インターネット参戦を知るやどうでもよくなっていた悪しき趣味ごとを焚き付けて真実追究と失地回復からスピンするという残忍で邪悪な策動をも惹起させているのである。これらについてはまた別に記事を起こして検証する必要がある。

敵宗門一味によって人生の多くの時間が徒に失われた現在、失地回復は最早待ったなしであり時間と金員の無駄は少しも許されない。時間と金員を浪費させようとする勢力はその所属の如何を問わず我が一家の敵と見做され一の例外もなく粛清されるということ、かかる重要命題に敵対して身勝手な妬みや未練或いは自己の都合による勝手な行動を行う者は予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことに必ずなるということを招かれざる客員どもは肝に銘じて立ち去るべきことを警告しておく。
我が一家は失地回復の必修命題に向かってただ一つの輝ける道を直進してゆくことをここに宣言するものである。


photo:昨年12月に導入した自動二輪車(導入当時の姿、グループサイトより自己転用)

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確定裁決から5年が経過

2015年9月22日に我が一家が同年1月10日付で決定していた敵宗門からの脱退を確定とする裁決を採択してから満5年が経過した。
この5年間の辛苦は筆舌に堪え難いものがあった。そしてこの5年間も敵宗門は裏から手を回して一家を苦しめ続けてきた。その損失は非常に莫大であり、妬みと逆上による失地回復妨害は万死に値する。
5年前の4月14日、敵宗門一味は生活再生計画の出鼻を挫くべく冤罪未遂事件を惹起させてぶち壊しにした挙げ句、その後新たな化城に引きずり込んで愚弄してくれやがった。混乱させて思い通りに操ろうという汚い謀略だった。
2015年1月10日に我が一家は敵宗門・日蓮正宗からの脱退を決定した。通常であれば脱退届は末寺に郵送で出して行うべき性質のものであるが、敵一味がこれを遠隔の精神操作によって悪しく改変しこともあろうにわざわざ交通費を費やさせて本山まで来させるという暴挙を働き脱退を妨害したのである。案の定本山では他の寺で続けさせるべく宗務院僧が待ち構えており更に奴等は脱退届を受け取らなかったばかりか却って殊更に他の寺に誘導を図りやがったのである。

我が一家はこれを保留にしていたところ先の冤罪未遂事件が惹起した訳である。結局我が一家は別の寺、つまり法道院への誘導を蹴ることに決定したのであるが、同寺の輩はこの断りの電話に対して非常に不誠実な対応を以て応じたのである。

そしてそれから約2ヵ月後の2015年6月14日に敵宗門は石之坊・法悦院両寺の男子部を駆ってあの忌まわしき言論弾圧迫害事件を惹き起こしたのである。その後も激しい引き戻し策動の攻撃に晒される日々が続いたが、そうした中で敵宗門側が惹き起こした法悦院に於ける孤立化策動の意図的発覚があった。しかし調査の結果これを惹き起こしたのは他ならぬ敵宗門の法悦院役員であったことが却って発覚し、結果的に敵宗門はオウンゴールを放っただけの結果に終わったのである。これを受けて一家では審議を行い、2015年1月10日に決定していた敵宗門からの脱退を同年9月22日付けで確定とする決定を下したのである。この日は奇しくも大安吉日であり、まさに真の神による正しい裁きが敵宗門に下ったというべきである。

現在(2020年9月22日現在)一家では敵宗門一味による戦災と不当に負わされた重石そしていかなる敵宗門残滓を除却するための戦後処理事業の最中にある。この戦後処理は新たな5ヶ年計画の一年目に於ける最重要課題であり、必ずやこれを成功させることが一家にとっての必修命題である。

失地回復の狼煙を消すことは、誰にも許されない。

※この記事は公開が遅れていたものをそのまま公開しています。全ての表現は当時のものをそのまま使用しています。

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バイク戦争犯罪について(最新の見解)

一家では現在戦後処理と並行して交通整備の計画を進めているが、これが完遂すれば実に7年ぶりのエンジン付き車両が復活するということになる。
ここで忘れてはならないいのは身の丈に合った計画にすること、持続可能であることと並んで過剰規模とならないことに重点があるのは云うまでもない。
つまり過去に敵宗門一味が惹き起こした「バイク戦争犯罪」の二の舞は絶対にならないということである。

「バイク戦争犯罪」とは2000年頃から2013年頃にかけて敵宗門一味が仕組んで「バイク」をネタに筆者を陥れた一連の事件群の総称である。この戦争犯罪のために一家は翻弄され、第一次「三本柱の化城」の洗脳犯罪と相俟ってあらゆる事物を失わされた過去がある。

一家では嘗て一号形原付車両を1999年から保有しており、2005年から2010年まで約5年の休車があったが復帰して運用されており、その代替のため2012年に自動二輪免許を取得、100ccクラスの自動二輪車を導入して運用していた訳である。

その頃に受けた事故被害の賠償金を得ることが確実となったところで150ccクラスへのステップアップを計画したところこれが敵宗門一味の洗脳操作で不当に改竄され、本当にするべき事からも遠ざけられたことに加え裏では人工透析への転落策動まで進行されており、不必要な中型バイクに手を出させられた挙げ句大きく資金をハタカサレ移住も潰された事件であった。この時点であれば移住してから次を考えることも可能だっただけに今考えても殺意が止まらない。

しかも敵は、筆者がバイク戦争犯罪に気付いたのを見計らったように阿呆悦講員による交際類似事件を用意しており、あらぬ夢を見せあらぬ希望を持たせることで敵自ら仕組んだデッドエンドに気付かせないようにして対策を取らせないようにするという残忍無慈悲な所業を働いたのであった。

あらぬ夢と希望を見せられたことでせっかく取り返した金員はすぐにしかも必ず要らなくなる車でハタカサレて、しかも脱退をも妨害されてギリギリの底辺まで突き落とされることとなったのであった。

更に筆者にあらぬ夢と希望を見せたクズ女は目的を達すると逃げるようになり、奴に引き合わせた講幹部を詰問するもこの幹部は加害者である柏原を守って被害者である筆者を一方的に悪者扱いして逃げたのである。

普通はさすがにここで脱退となるべきであった所、敵宗門阿呆悦院幹部は予め温存していた、死亡講員の仏壇を重石として与えることを画策して脱退を妨害したのである。このように、単独で行われた事件は脱退前に於いてはほぼ皆無に等しく、如何なる事件も全ては繋がっているのである。

この間の2005年には敵宗門工作員である通称門外漢女によるデジタル一眼スキャンダル、及びバイク圧殺演出事件が惹き起こされており、今なお当時の経緯が問題視されている。云うまでもなく圧殺の演出は「バイク」を燻らせて人の人生を狂わせるためであるが、この門外漢女は嘗て不倫で有責となり親権を剥奪された輩であることが脱退後に判明している。そのような輩であると知っていれば騙されずに済んだのであり、今であればその事はその言動から簡単にわかる程度のザル女であるが、敵宗門という一神教によって生命力を殺がれていたために読み切れなかったのであった。こいつもまた目的を達するや疎遠になり逃げるようになったのであった。目的を達するか、或いは達せられなかった途端に逃げるようになるのは工作員の定石であるから覚えておいたほうがいい。

以上がバイク戦争犯罪とこれに続いて行われた交際類似事件の概要である。この間に別の交際類似事件も惹起しているが、これは脱退妨害のために憎き柏原容疑者への憎悪をスピンするために惹き起こされた事件であるがそれはあくまで別件でありバイク戦争犯罪との関連性は薄い。

以前のバイク戦争犯罪関連記事でも書いているように、この一連の事件群では嘗てやらされていたサイトで薄い繋がりがあった、某鉄道関連サイトの運営者の男が煽り目的で関与していてPCX批判と取れるような記事も書いている。この男については2014年に追放しており、その後やらされていたサイトも破却に伴い閉鎖して久しくその後追加の事件惹起もないため現在では全く無関係であるが、こいつについては敵宗門謀略部門の工作員である疑いがかけられている。

なお、こいつが絡んだネット上での戦闘が終結したことを端緒としてついに敵宗門一味が押し止めていた真実の追究が始まり、漸く絶望的な現実に気付いたことで敵宗門への疑問が生じ、ここに漸く信仰の見直しが行われることとなったのである。その後はご存知の通り2015年1月10日付けで遂に敵宗門・日蓮正宗から脱退する運びとなっている。

以上がバイク戦争犯罪関連の経緯であるが、我が一家は二度とこのような戦争犯罪に巻き込まれないようにしなければならない。今なお敵による「バイク」の煽りが散見される状況でもあり、油断はできない。このため失地回復プロジェクト第7次、第8次計画の策定に当たっては今後の交通政策についても間違いのないように定めたところである。

  • 今後バイクは125ccクラスまでとする。
  • 車種選定は実用本位とする。
  • 不必要にバイクにカネをかけないようにする。
  • 地方を跨ぐような遠距離は公共交通によることとする。
  • 失地回復後は四輪自動車に切り替えることとする。

今後は遅くとも3年程度で車に切り替える前提であり、このことを前提に計画を進めており、今後の実力蓄積計画とこれに特化した暮らしに貢献させるべく進行させているところである。

我が一家のこの方針に敵対して身勝手な妬みや未練、或いは自己の都合による行動を行う者は予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことに必ずなるということを敵宗門及び辺境民の関係者は一々に肝に銘じるべきであるということを改めてここに警告しておく。

過去のバイク戦争犯罪関連記事

バイク戦争犯罪の概略について

バイク戦争犯罪による損害の考察

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