投稿者「金城修一」のアーカイブ

Aという似非ロックグループについて 2023年版

以前にも少し触れたと思うが、粛清の対象になったのはロックグループ「A」である
これを捩じ込まれたのは1986年頃、島流し時代にまで遡る
首魁のT.Tはもう70目前、と書けばどこのことを言っているのかは明らかであろう
島流し時代に捩じ込まれたものにはAのほかアイドルが数名あった
その中に、1988年の目黒の事件で問題になったY.Mもいる
アイドルどもは目黒の事件に対する反省から粛清となり、初めて自分の意志で第1号アーティストを導入したのである
しかし、そのことが敵の逆鱗に触れてくだらない理由で別れさせられ、元の木阿弥になってしまっていたのだ
その状態が続く中、2003年になって漸く光が差し込んだのであった
暗闇を照らした光はその問題点を暴き、Aが歌っている内容のほどが問題となったのみならず、首魁のT.Tがキリスト教の影響を多大に反映していることが大きな問題となった
かくして、入信の決定からほどなくAの粛清が決定したのであった
入信を目前にしたある日、筆者は荻窪の中古ショップにそれを持ち込んだ
売却価格は、20タイトル程で約7500円であった

入信して以後、筆者は他ならぬ敵宗門の計略による様々な迫害を受けるようになった
そして、そうこうしているうちに門外漢女が入ってきて様々な謀略に手を染めるようになったのである
最初から謀略で入ってきたか?というとそれは無いと思う
後から敵のエージェントになったのであって、敵にしてみれば都合のいい人間が入ってきた、しめしめと思ったことであろう
そして敵は、予ねて捩じ込みに精を出していた「バイク」の極大化を実行に移し、一方で門外漢女にはそれに真っ向から刃向うように仕向けたのである
そして「バイクは正法じゃない」の妄言が生まれ、そして敵は自動二輪計画なる者を筆者に強要したのである
かくして「自動二輪圧殺事件」は演出されたのである
以後、「バイク」はいたるところで利用され、賠償金簒奪事件そして行き倒れ策動にまで発展したのである
Aの粛清共々敵の都合に真っ向から逆らうものであった
何故ならばAこそが筆者を意図的にミスリードするべく敵が捩じ込んできた必殺兵器だったからである
そのAの存在が粛清によって筆者の思考から一掃されたことは、敵にとっては大いに想定外であったのである
Aの粛清が敵にとっては大いなる想定外だった、ということである
今にしてみれば、Aの歌っている内容は支離滅裂で一貫性が無く、インチキででたらめに満ちていると云える
そんなものに15年以上付き合わされたのである
しかも、島人の中では「(筆者の名前)と云えばA」のイメージがあまりにも定着してしまい非常に迷惑千万であった
今の価値観に照らして、Aは明らかにそこから大きく逸脱しているし女のA中毒者の派手さ加減を見れば筆者には到底合わないのは明らかである
でたらめといえば、一時期捩じ込まれかかったインチキアイドル「M」(茶畑崩壊アイドル)もでたらめに満ちている
云うまでもなく「M」も敵が捩じ込んできたものである
Aの粛清からMのねじ込みまで8年を要している辺り、Aの粛清がいかに敵にとって大きな痛手であったかが窺える
ちなみに、崩壊したのは「M」首魁のK.Mの地元の茶畑である、あれが顕罰でなくて何を顕罰と呼ぶのであろうか

その後、2014年に「聖域なき見直し」が実施され、その結果として吾輩は2015年1月10日付で敵宗門から脱退している

その後、Aの放逐、「M」の粛清は確定とされ、現在女の歌手は原則的に認可しないこととなっている
また、小文字mについても同様に粛清で確定している

【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正していま。)

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MONEY2

先のエントリで話題にしたのが「MONEY」という曲である
しかして、この曲には以下のような下りがある

「欲しいものはすべてブラウン管の中 まるで悪夢のように」

この部分がすべてを物語っていると私には思えるのだ

ブラウン管というのはいうまでもなくどこの家庭にも置いてあるであろうあのメディアのことである

ブラウン管にそれらを映し出しているのはいうまでもなくメディアの連中である
ブラウン管にはあらゆる煽動手段が凝縮されているのだ

しかしながら、反消費主義の生活をしているとブラウン管に映し出されるものが馬鹿馬鹿しく見える訳である
元からそういうものには盲従しない気質であるから、あの連中と馬が合うはずなどあろうはずもないのだ
それも解らずにてめぇらの思い通りにならないと騒ぎ立てているのはみっともない話なのだが
メディアがそうした本質の部分を隠蔽しているために誰もがイデオロギーに迷っているのだ

メディアを操っている連中の正体が解っている者としてはそれに操られることは万死にも等しい恥なのである
皆薄々気づいているのではあるがなかなか行動に移せないのは何重もの刷り込みから脱却できないからなのだ
だが、煽る側にも焦燥の色が見えており既に馬脚が現れているのだ

大切なのは、ブラウン管に映し出される物などでは決してないのだ

あの卑劣な連中に刷り込まれたものは既に破られた
門外漢女の究極の狙いも、すでに明らかになっている
数年のうちには、状況が完全に逆転し門外漢はそのすべてが潰えるであろう
門外漢に協力した連中も一の例外なく凋落の途を辿るのだ
人はそれを「還著於本人」というのである
まさしく敵宗門の現著於本人なのである

この記事は、2023年基準でリニューアルしています。

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圧殺の要諦 2023

今年は自動二輪計画圧殺事件から18年に当たる。
そして、事件発生から奪還までに7年を要してしまった現実がある。
ここでは、自動二輪計画圧殺事件を振り返りその要諦を暴く。
2005年には本事件の他にデジタル一眼レフの導入計画への不当介入スキャンダルを門外漢は起こしている。
当時門外漢女には男がいて、入信もさせていた。(当の男は結局入信せず。後にテメエに都合のいいバカマッチョと入籍も悲惨な末路を辿る)
にも拘らず何故私の人生に首を突っ込んだのかは明らかになっていない。
しかし、好意ではないことだけは間違いない。
人の人生まで自分の思い通りにならなければ気が済まないというのは典型的メディアスレーブである。
メディアの刷り込んだとおりに生きる門外漢女にとって私は想定外の生物であり、敵対の対象であったと考えられる。
自分と性質の違うものは攻撃しろという事をメディアは刷り込んでいるからである。
ともかく、門外漢女は私に対して巧言を以って自動二輪から遠ざけ、最終的に圧殺した訳である。
これに関しては手口がメディアやカルトのそれと酷似しており、奴がその「刷り込み・すり替え・誤魔化し」のテクニックを知っていた可能性が高い。
普通は自分の男でもない者に対してそこまで介入はしないだろう。
ともかく、その要諦は以下の通りである。
1.敵対勢力が自分たちにとって都合の良い土地に誘導すること。
2.(自分たちが誘導はしたが)信心中心にはさせず、自分たちの思い通りに操ること。
3.人生を破壊すること。
以上、すべて対象は私に対してであることは今更書くまでもないだろう。
順を追って解説する。
1.自分たちにとって都合の良い土地に誘導すること
当時の寺院は東京から150キロ離れた本山の中にあった。
ここまで電車で行くと、東京山手線内から片道2520円になる。
富士でも富士宮でも西富士宮でも山手線内からは同額である。
東京基準なのは当時はまだ東京都内に住んでいたからであり他意はない。
東京駅からは200キロ以内なので、東京都区内の制度の対象ではない。
なお、当時の最寄り駅から山手線内の駅までは190円であった。
この分だけで、往復5420円。
これに、前記3駅のいずれかからバス代がかかる。
富士800円、富士宮400円(※12月より直通で450円)、西駅350円、いずれも片道である。
更に、グリーン車代、時には特急代がかかることもあった。
これでは頻繁な参詣はおぼつかない。
しかし、それを可能にする手段があったのだ。
それが自動二輪車なのである。
既に実証したように、片道4時間10分(最速時)、燃料代にして小1枚である。
時間差を考慮すると、当時住んでいたところからは3時間あまりで着いてしまう。
恐らく当時住んでいたところからは往復1500円くらいだろう。
これは門外漢女にとっては脅威であった。
門外漢女の交通手段は軽であったが、片道でも小1枚とは行かない。
リッター20キロは走らないだろう。
軽は意外に燃料を食うのだ。
しかしバイクならリッター30キロは堅い。※2010年以降の原二バイクはリッター50キロ
さらに軽とバイクでは機動力が全然違う。
そのことが二輪嫌いの門外漢女には我慢ならなかったのだ。
なお、高速代は考慮していない(いずれも乗らないものとして計算している)。
往復1500円なら、確実に毎月来れてしまう。
そうなると思い通りに操って人生を操ることが叶わなくなるため、敵対勢力側によって画策されたものであった。
2.(自分たちが誘導はしたが)信心中心にはさせず、自分たちの思い通りに操ること
上記から発想を逆転して、自動二輪を潰せば毎月は来れなくなる。
そうすれば思い通りに出来る。
その上で、さまざまな事件を惹き起こして私を孤立させ、脱退はさせないままで苛め抜こうとしたことが要諦の一つにある。
3.人生を破壊すること
これは私でも想定していなかったことだが、バイクがあればバイクで、自転車があれば自転車で通勤できる。
電車通勤は確実に人の心を蝕む。
私が一時精神を病んだ一因に電車通勤があった。
ただしこれは、バイク通勤できない非正規の現場という大前提がある。
職場が変われば、バイク通勤できるようになる可能性が高くなる。
従って、この要諦は先の大前提とセットである。
バイク通勤できない非正規の職場という大前提が崩れれば、この要諦は成り立たない。
よって、門外漢女らは筆者が非正規を脱出することが無い様その動向には眼を光らせていたのである。
以上が圧殺の要諦である。
奴は敵対勢力側のエージェントであり、この要諦は奴が惹き起こした他の事件のベースにもなっているものである。
全てに亘ってこの要諦が基本になっているのであって、この要諦を外れた事件は無い。
8月30日事件も、このうちの1.がその要諦なのである。

その後2010年に石之坊から脱退後、2015年1月10日に敵宗門を脱退、以来敵宗門一味との激しい戦闘が繰り広げられている
現在は、自転車で通院している
その理由はコスト面と、先に述べた精神への影響を考慮したものである
今後2024年春に自動二輪車(原付二種)の復活を予定するが通院には決して用いない
2023年現在も偽コロナ策動に嵌められた人種が多く、特に薄汚い辺境の地は酷いものだ
一日も早い薄汚い辺境の地からの脱出と2028年春、必ずや失地回復を達成することが我が一家にとっては総てと言ってもいい

後続の諸君にはカルトの策動や日本女の薄汚いたくらみに嵌められることの無いよう、君の足元に転がる儚い夢に躓かないことを願うものである

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2014年以前の記事について

2014年以前の記事の中には公開されなかったり、或いは公開されていても不本意な状態のままだったりする者が多々ある
それは、2015年1月10日に敵宗門からの脱退という我が一家でもエポックメイキングな出来事がありその前と後で全ての価値観が違うこと、並びに2022年のMGTOW宣言による不適合が生じていることに起因している
2014年後期の中には脱退に至る経緯を書き記したものもあるが、それ以前のものは既に色あせておりリニューアルが必要となっている
これらは、2023年現在の価値観に基づいたリニューアル等が必要となっている
以て、これらに対しては何らかのリニューアルを加えての再上梓が必須となっている
これに当たっては、リニューアルが必要な記事は加筆修正のうえ新規記事としての再上梓となる
脱退の前後で変わらない部分はそのままになるが、そのような記事は少ないとみている
また、現在の価値観のそぐわない記事は削除修正等が有り得る

2023年の現在
1.忌々しいヲタ趣味は2014年に破却。2020年末に再度破却し失地回復の完全なる達成がなされなければ再認可はない
2.2022年春のMGTOW宣言により、それ以前の関係性については最早捨て置くべきという判断である
3.2023年開始、2028年完結予定の修正第一次失地回復プロジェクトは単一のものであり、この先も後もないものである
4.2023,2024年は主に蓄積を行い2025年から失地回復に向けた最後の戦いに赴くこととなる
5.失地回復に賛同できない輩、薄汚い辺境の地からの脱出を妨げる輩は全て敵と見做し無慈悲に攻撃する

我が人生に一片の悔いも残したくない吾輩は戦うことを決心した
失地回復達成のその日まで…

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MONEY

ある人の有名な歌で

「MONEY」

という曲がある

いつか奴らの足元にBIG MONEY 叩きつけてやる~

という歌詞の曲なのだが

今にしてみればアメリカンドリームの押し売り?とも思える内容なんだが

この曲がその時々によって利用されてきた訳である

※2010年頃
いつか長江の足元にBIG MONEY 叩きつけてやる~
と本気で思っていた自分がいたりするのであった

しかし、解放聖戦の後訪れた臙脂色革命は私の価値観を180度転換させた

周りばかり見ていてどうする。

人の人生を生きる訳じゃないだろ。

夢ばかり見ていてどうするんだ。

ということに気づいたことが転換点であったのだ

人の事など気にせずに慎ましく生きるのだ

メディアのあおりを真に受け鵜呑みにして夢ばかり見る時代は終わった

今鼻の下を伸ばしている奴らは必ず凋落する。

境涯の違いを気にする必要は無い。

※2012年の今
いつか早見の足元にBIG MONEY 叩きつけてやる~
とは毛頭思ってもいませんw

槍が降ってもトドはトド。

メディア人にあこがれること自体がメディアスレーブなのだ。
所詮はメディアスレーブの域を出ない徒輩なんだよ。

この記事の初版から早13年、今は2023年になる
既に失地回復プロジェクト25周年となるが道のりは今だ遠く…
つい先日の5.9に完全新規の新生失地回復プロジェクト5か年単一計画として再出発を果たした
今年、来年はまず蓄積の業を果たし未来への礎をここに築くことを目的としている
過去の失地回復プロジェクトに足りなかったもの、それは礎だ
2028年春の完全達成(※新生失地回復プロジェクトのみ)を目指してこれから邁進となる
奴等、特に狐女一派とクズ元が身罷った後の一派を見返してこれを完全アウトとする日は近い

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