千ラシ裏女の任務について

不本意な人生シリーズを続けていきたいところであるが、重要度が高い事柄なので先に書かせていただく
以前に筆者は通称:千ラシ裏女について、その任務を
「ソーシャルエンジニアリングとマーケティングにある」
と書いた訳であるが、その後千ラシ裏女がSG現場におけるガスライティングの実質的現場責任者であることが判っている
しかし、奴の任務はそれだけではなかった
まず、千ラシ裏女は交際類似行為でも処分されているが、この交際類似行為自体が任務の一部である
筆者の関心を常に引き付け、筆者が他の女との交際を成就するのを妨げ、孤立化に加担することが大きな任務であった
そして、もう一つの大きな任務が筆者に対する人格改造を強行するための策謀の実行であったのだ
この女には俗にいう復唱癖があった、と思われていた
しかし、それは単なる癖ではなく、筆者に復唱癖を植え付けるための工作だったのである
これが判明したのは、敵の吹聴の一部を意識の中で復唱させられていることが判明したからである
そこから、復唱といえば!あの女だ!とすぐに合点がいったのである
当時、言葉の送信による攻撃はまだ始まっていなかった
そもそも、千ラシ裏女はじめSG現場の輩は2009年の大粛清で一掃されているので3年近く間が空いている
言葉の送信が始まったのは2012年6月、敵の策謀から事故に巻き込まれた後である
しかし、その5か月後には電磁波犯罪が発覚し、併せて千ラシ裏女が敵側のエージェントであったことまで発覚している
そして、2012年11月28日を一期に永代追放処分となっている
その千ラシ裏女が人格改造の強行の一環として行ったのが復唱癖を植え付けるための工作だった、という訳である
それを工作員と気づかれないように実行する辺りは非常にしたたかであるという他なくこの手の人間はいくら諫暁しても時間を空費するだけである
それが証拠に、折伏しても余裕でかわし切り、任務を忠実に実行したのであった
筆者は勿論、他の者も一部工作員を除けば千ラシ裏女の真の素性を知っていたとは云えなかった
あの女のしぐさや素振りなどは99.9999%演技だったからである
それで本性を見抜けと云われて誰ができるのか
革命一家が千ラシ裏女を粛清してから敵による言葉の送信が始まるまで3年近く要していることについては、千ラシ裏女の犯罪行為を隠蔽するためという一面があると思われる
いずれにしても、復唱癖を植え付ける工作が行われた時点で言葉の送信工作も予定されていたということであるのは間違いない
千ラシ裏女が人格破壊工作のプロであることは間違いなく極めて危険な工作員であると云わねばなるまい
筆者にとってはこの人生を無残に破壊して貶めた悪の立役者の一であり未来永劫決して許してはならないのは云うまでもない

【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)

不本意なるこの人生 1

私がこの人生において本来の姿であったことはただの一度もない
また、これからも本来の姿に戻ることは無いであろう
何の罪もないのに島に流され、そこで凄惨なガスライティングを受け、更には進路を捻じ曲げられてすべてを失った
復員後も焦点を狂わされ、失地回復への動きを押し止められ、失地回復が絶望的になった頃になって失地回復なる語を捩じ込まれ、更にはいくつもの錯誤を強要され、刷り込まれスリカエられたものばかりが席捲し、敵の正体を突き止めると凄惨な報復を受け二度と元に戻ることの無い体にされ未来への希望を奪われたのである
そこにあるのは捏造と錯誤と強要、そして暴力と憎悪、これがすべてである
筆者は1981年頃から凄惨なガスライティングを受けるようになった
その前から得体の知れない感覚に襲われるようになっており、また意味不明の語が頭の中を席捲していたことが判っている
これらは電磁波ガスライティングによるとしか考え得ない

意味もなく狂わされて攻撃対象にされたのは明らかで、初期のそれは明らかに島流しへの誘導とその前段階である
つまり、島流しにするための理由付けになる
実母が創価学会に入信したのは1983年頃のことになる
一家も、実父を除いて入信させられることになる
父は、カルト創価を断固として拒み続けた
今にして思えば真っ当なことである
ここでは詳細を割愛するが、筆者は虚偽交際事件に巻き込まれることとなっている
そしてこの虚偽交際が、その後長年に亘って島流し以前を美化するために利用され続けたのである
やがて、島流しの時がやってくる
実母は、依頼者である某ブルジョア一家当主に巧く取り込まれてしまっていた
1984年初秋、それは突然一家にもたらされた
筆者は反対したが、敵によって狂わされた頭では抗うことが出来ず、島流しが決定してしまう
かくして同年9月17日頃、一家はとある離島に移り住むこととなっている
この島流しには、いくつかの目的がある
・一家を離散と破滅に追い込むこと
・学歴を不当に低く抑え、それに対する動きも押し止めてしまうこと
・筆者に対する凄惨なガスライティングと人格改造を強行すること
・以って筆者のその後の人生を永遠に狂わせてしまうこと
等々細かく書けばまだ挙げられるが、大体そんなところである
この(筆者にとっては)絶海の離島でそれらを確実に実行するには、筆者が現地の環境に馴染んでは都合が悪かったのである
ここで、既に筆者をマインドコントロール下に置いていた電磁波部隊が暗躍し、思考と行動を改竄して攻撃の標的となるように仕向けてしまった―
そして周囲の者をも操作してこぞって筆者を攻撃するように仕向けた訳である
これが真相である
そして四年半もの間、筆者は不本意な環境下で過ごさせられることとなったのである
そして、筆者に好意を持ちあるいは近づこうとする者に対しては時に人為的に、時に電磁波による操作でこれらを遠ざけ、筆者に孤立を強要してきたのである
そのために敵は筆者本来の思考とは違うものを捩じ込んできた、それが某AでありY.MでありR.Hであるという訳である
そして、筆者が進学できないように、勉強しようとする動きはマインドコントロールによって押し止められ、徒に現を抜かすことを強要したのである
つまり、これはリベンジができないようにその機会を奪ってしまい後戻りできなくしてしまうというまさしく悪魔の所業である
悪魔に魂を売り渡した実母は1988年の夏に42歳という若さでこの世を去る
これは厳然たる謗法の報いであるとも云えるが、これにはもう一つの狙いがある
それは、卒業を目前にしてその命を奪い、孤児同然の状態にすることで恩の押し売りをしてその奸計を隠蔽してしまうというものであった
都内の高校に転籍という選択肢もあったはずであるが、それでは隠蔽ができなくなるので選択肢から消し去ってしまったのである
それは他のきょうだいにしても同じで、況して下は義務教育中でもあったことを考えれば直ちに島を離れて復員するべきであったと云える
たかが7か月であっても、そこには雲泥の差が存じた訳である
少なくとも、その時点で島に留まるべきではなかった
つまり、件のブルジョア一家当主は最初からそういうつもりで実母を酷使し続けたという訳である
そして計算通りに実母は頓死した―
そして最後の7か月間は件のブルジョア一家の離れに強制的に住まわされることとなっている
そして進路は捻じ曲げられ、進学への動きは封じられた
そして翌年3月12日、一家は島を離れ復員している

進学への動きを封じられたことについて

云うまでもなく、斯様な状況下であっても手を尽くせば進学する望みはあったはずである
奨学金の制度もあったし、働きながら進学を目指すという方法論もあった
しかし、そのためになるような情報は封じられ、進学できなくて当たり前だということにされてしまったのである
そして、そのために敵は運送会社に筆者を誘導して考える暇を与えないようにしたのである
復員後も、敵の手によってそのような情報に接することがないように細心のコントロールで筆者を貶めてきたのである
そして、徒に目の前のことに現を抜かすことを強要し、目先のカネだけを追わせた―
また、敵は筆者が蓄えを持つことの無いように不当に生活を監視し、蓄えようという姿勢を見せるや否やかの「ラ・チーカ事件」を惹き起こし、カネを不当に簒奪しそして風俗地獄へと誘導していったのである
これによって失地回復の望みは事実上絶たれていたと云える
これらの監視と誘導は、電磁波部隊の手によって行われてきたものである

アイドルとロックについて

島流し末期の1988年7月、目黒でアイドル歌手Y.Mのファンが家族3人を惨殺する事件が惹起している
参考:目黒・中2少年の家族3人殺害事件
これを契機に筆者はそれまでの反省からアイドルからの脱却を図り、アイドルでないポップス音楽の導入に踏み切っている
これが敵にとっては殊の外面白くなかったようである
当時敵の奸計は未発覚で、筆者としてもそういうつもりでやった訳ではなかったが、このため後に切り崩し工作の対象となり、くだらない理由で以って引き離しにかかり、別の複数のアイドルグループに誘導して元の木阿弥にしてしまったのである
昨年になってその切り崩し工作が発覚し、当該アーティストの名誉回復が行われている
なお、敵によって誘導されたアイドルグループはその後の衰退もあって排除されることとなり、CDの残っていたアーティストから順に旧に復している
その中には目黒の事件の反省から初めて筆者の意志で導入した第一号アーティストも含まれている
何よりも筆者が自分の意志で導入したことが気に食わなかったようである
なお、敵の誘導した最大のトリックでもあるロックグループ「A」は、2003年の日蓮正宗入信に先立ってその謗法の実態が問題となり、入信に先立つ同年8月末を以って粛清することとなっている
現在革命一家ではアイドルとJロックはご法度となっており、再三禁止の徹底が行われている

その後吾輩は2015年1月10日を以て敵宗門より脱退し、以来激しい攻防を繰り広げている

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島流しの日々のこと

失地回復史の続きを行く前に
色々と書いておかねばならないことがある
島流しの日々については未だ多くを語ることを許されていない
しかしながら、当時のことについて正しく検証することは大変重要である
何故なら、筆者の人生に大きな影を落とし多大な影響のあった時代だからである
当時は未だインターネットの無い時代であり隔絶された離島ではメディアから逃れることは不可能だった
だから、メディアから入ってきたものが大きな影響力と猛威を振るった
しかも、中には価値観の面で基準になっていたものがあり、後に精神域介入によって法統相続妨害に利用されたことが解っている
今の実行委員会はアイドルは禁止になっているが80年代にはその規制が無かった
で、敵の都合によって適当に誘導された女がいたのだ
当時何かにつけて話題になったのだが、周囲の徒輩は一々その人の悪口を云っていたのだ
当時の島人でその話を知らないというのは筆者を知らないのと同じである
何かにつけて一々悪口を云っていたのはガスライティングに加担していたということであり、真に友達だった訳ではない
だから切られて当然なのである
あのT.Sでさえその人の悪口を言ったことは無かったことからもその様に云える
勿論現在ではアイドル禁止であり80年代と雖も例外では無いが、あの当時の情勢でのあの悪口はガスライティングになる
あの当時の情勢でアイドルの何たるか、本質を解れという方が無理だ
無論今であれば絶対引っ掛からないし偶像より現実にいる女を重んじるだろう
今の境地から見ればバンドだろうがアイドルだろうがアーティストぶっているのだろうが皆同じ穴の狢である
本当に価値があるのは一握りだということだ
島流し当時のガスライティングは某カルトではなく、例のブルジョア家の所業だろう
島の「ムラ社会」もまたそれを利することとなったのだ
ムラ社会は筆者の最も苦手とする閉鎖的コミュニティーである
当時の情勢から云っても2004年以後のそれとは関連性が無いだろう
何故か最初に入ってきたのは某ロックバンドであった
それは永きに亘って影響力を持ち筆者の人生に大きな影を落とし続けた
何故ならキリスト教的価値観の念慮が強烈なグループであるからである
他にもアイドルだの谷村某だの何だの入ってきたが、それらとは比較にならない影響力があったのだ
その事が問題となり2003年に某ロックバンドは粛清となった(2015年の脱退時に粛清支持決議、今日も継続)
従って、現在では何の関係も無いということだけは解っていただきたい
実際、当時とは明らかに別人であり当時の面影はどこにも見出だせないだろう
2000年代に入ってから島人の姿を見ておらず、筆者を知っていた者でも筆者を見つけられないのも当然である
もし解ったとしても、あまりにかけ離れたその姿に愕然とするだけであろう
島流しの日々はイコール、ガスライティングとの戦いの日々であった
片方でガスライティング、他方ではメディア禍、しかも逃げ場は無いという地獄の日々だったのだ
その意味に於いて、当時の筆者の面影を追い求めることは何の意味も持たないのである
そもそも感覚を狂わされていたのだから、当時の姿は不本意でありそれは黒歴史である
SGの日々と同じである
SGの日々は島流しの日々以上に不本意な日々である
しかし、島流しの日々に於いて、何人かの人と引き離されたことだけは理解している
もう会うことは無いだろうが、いい学校いい会社いい家というステレオタイプでは真の幸福は得られないし人生の根本の問題はそういうことでは解決出来ないのだということ
島流しの日々については今後折に触れて書くこととする

42年4ヶ月18日

今日はある意味特別な日であった
クズ元(世を忍ぶ仮の母親)が生きた年齢を厳密な意味で超えたものである
ちなみに、1946.4.3~1988.8.21で42年4ヶ月18日であった
それだけクズ元が早死にだったということであるが一家での実母の評価は大変低いものである
何故ならあのブルジョア一家にそそのかされて島流しの道を選んでしまったからである
あれが無ければもっとまともな人生を送れただろうし島に渡る理由などどこにも無かったはずである
島に渡った時点で、進学の夢も断たれその後の不遇も決定づいてしまったものである
したがって、正求節も祝日級ではないし盂蘭盆会を以って命日の法要に代えているのである
他にもクズ元は大きな過ちを犯しているが、それについては未だ多くを語ることを許されていない
あの島流しは、クズ元の側にそれに応じる目的として筆者の交際関係を分断することがあったといわれている
部活動に対して非常に否定的であった理由もそのことにあったというのが専らの推定である
つまり、永代追放が当然ともいえるだけの罪状がクズ元にはあったのである
実際、頭破七分ともいえる死に方であったことがそれを物語っている

いずれにしても、島流しによって生じた人縁は全て悪縁であると看做すべきものであり、島流し以降の二十六年を我々は頑なに否定するべき者と思し召せ
進学はクズ元の死によって潰えたのではない、島流しにあった時点で潰えていたのである
実父は、あの島流しには一貫して反対であった
実父は非常にまっとうな感覚の持ち主であったのだ
一家では、島流しによって生じた縁はすべて悪縁であり否定するべきものという立場に一貫して立っている
そのような所の者は如何に美形であろうとも我々にとっては些かの価値も無い徒輩である
しかし、今までの一連の女どもがカス過ぎただけであって、それを物差しにしていると非常にうがった考え方になってしまうのである
筆者は、カスどもには些かの未練も無いのである
よって、たとえ道端でカスどもに会い見えようとも一瞥もする価値がない以上取り合うことは決して無いのである
島流しの日々は筆者にとっては何の価値も無いものであり、そこであったことは全て幻であると思し召せ
従って、そこでの筆者の言は一切の実体を伴わないただの方便であると思え