今更だが、これまでにわかったこと 2016.12.19

忌まわしき宗門から脱退してもうすぐ2年になろうとしている。
そういつまでもグダグダしているわけにも行かないだろう。

という訳で、まずは記事執筆が停滞している間に判明したことを列挙してゆく。

・この国に民主主義というものはそもそも存在していない。秘密選挙とは不正前提のシステムであり、民衆に自分で決めていると思い込ませるための装置である。
・明治以降の天皇、皇族はすりかえられており本来の皇族ではない。日本人ですらない。
・ほぼすべての陰謀論者は、的ずらし、真実隠蔽のために存在している。
・この国の権力を掌握しているのは国会でもなければアベルフでもない。まして自公でもない。偽天皇と官僚と企業と閥族である。
・偽天皇は象徴ではない。それは悪質な無力化偽装であり、民主主義というありもしないものを偽装するためのまやかしであり、現在でも天皇が最高権力者である。
・偽天皇の先は国際秘密力に繋がっており、この国はその手先が多数蠢いている。
・不倶戴天の敵である宗創医連合軍もまた、国際秘密力の手先若しくは一員である。
・以前にも書いたとおり、この国は官僚社会主義と企業社会主義という「二重の社会主義」で支配されており、これらを閥族がまとめ、その頂点に偽天皇がいる。この「二重の社会主義」を打ち破らなければ未来はない。
・まともな宗教というのは今日では殆ど存在せず、殆どが支配層の手先として「二重の社会主義」を動かし続けるために民衆を欺いている。
・集団ストーカー、所謂「集スト」とされている情報の殆どが真実をすり替える為のウソでたらめで占められており、ネットにいるのは殆どヒモ付きの偽被害者である。このヒモ付きどもは、真の主導者に追及の目を向けさせないために創価や公安などをデコイに仕立て上げて叩かせているものであり、BMIの主導者はこれらではない。
・敵一味は、他のヒモ付きを使って今日の不幸な境涯に至った原因をスリカエて「女ども」をデコイにしてそれを叩かせ責任を有耶無耶にしようとしていた。それには様々な理由付けが成され、しまいにはキリスト教的価値観を盾に「反日」「パヨク」などのレッテルを貼って叩かせようとするヒモ付きまで動員されていた。
・然るに、すべての縁を遮断し分断していたのは他ならぬ敵一味宗創医連合軍であり、奴ら「だけ」が100%、一方的に悪い。
・このことを無視して大局ばかりに目を向けさせようとする輩は今日の事態に至った原因をスリカエてガス抜きを行い引き戻しに寄与しようとしていた者であり、真実を捻じ曲げる許されざる犯罪者である。実際、この者についてはツイッターポリシー違反に当たる、宗門関係者をフォローしていたことが発覚しており、繋がりがあったものと思われる。更に、後述するキリスト教的価値観の偽伝統の信奉者であった。
・明治以来この国にはキリスト教的価値観がはびこり、形を変えたキリスト教的価値観によって支配されている。
・私を有史以来苦しめてきたのはキリスト教的価値観とそれによる社会であり、敵一味もその一員である。
・今伝統とされているものの殆どは明治以降に作られた「捏造」であり偽伝統である。そのほとんどはキリスト教的価値観がベースである。
・カルト宗教の多くは形を変えたキリスト教=代替キリスト教であり、敵宗門もその一員である。
・一時期真実の追究が停滞していた原因は偽陰謀論者であり、敵一味のBMI悪用犯罪によって誘導されていたものである。しかもその陰謀論者は敵一味とつながりがある輩だった。
・敵一味の中心的存在である不倶戴天の敵・日蓮正宗は人権や自由を否定する全体主義集団であり、「総体革命」はその法主の命令によるものである。機関紙でも、たびたび個人の人権や思想の自由などを否定する発言や記事が掲載されていたほか公式の場でも法主が度々斯様の発言を繰り返していた。

なぜ記事執筆は停滞したか

各論については各々記事を起こして論ずるとして、何故これまで記事執筆が停滞したかについて説明しておく。
2014年1月以来であるから、もう3年近く真実追究について記事を起こしていないことになる。
勿論停滞していたわけではなく、追究の場がブログからツイッターに移行していたこと、またその間に多くの思想の変化があったことが主な理由である。
正確に言うと、2012年のイカサマ選挙(これについては追って記事を起こす。)以降やる気が失せてしばらく停滞していたのであるが、その原因に敵のBMI悪用犯罪と偽陰謀論者があった訳である。
先に書いた「二重の社会主義」というものに、4年前の時点で既に気がついていたのであるが、これに「偽天皇」を加えれば先に書いた答えになるわけで、当時としては画期的な発見であったともいえる。また、それが故に敵に恐れられる原因にもなっている訳で、それで再度真実追究から目を逸らさせようとしてBMI悪用による心理操作が発動されたものであったと見ている。
尤も、ちょうど人工透析に向かって転落させられていた時期ではあるが、そのこととはあまり関連性はなく、真実の追究とは関係なく計画通りに転落の策謀は進められていたと見るのが正しい。何故なら、最初から幸せにする気など敵側にはなく社会的抹殺を目的として奴らは動いていたからである。

真実の追究が再び動き出した端緒が、2014年にあったネット上での戦闘が終結したことであった。そして程無く聖域なき見直しが始まり、真の聖戦の火蓋が切って落とされたのであった。
動き出してから最近まで、専らツイッターを活動の場としていたという事情がある。
更にその間多くの発見があり、それによって多くの思想、心境の変化があった。
探せば探しただけ情報があり、めまぐるしく日々それらが変化し続ける中で記事を起こすことは難しいものだったしまた適当ではなかったというのがある。
更にその間には脱退を巡る敵一味との軋轢やその迫害などがあった訳で、そんな中で安定して記事を起こすのは難しかったということである。

また、敵一味によるBMI犯罪によって記事執筆からスピンさせられ妨害されていたという一面も少なからずあった。
ブログはツイッターよりもある一面においてははるかな強力な武器になりうるしツイッターに信用を与える物でもあるからである。
しかも当方はWordpressを使っており、強力な伝播力を有する。
その伝播力は問題のブログで証明済みでもあり(藁)。

未だ散発的な戦闘は発生する状況だが、荒廃からの整備が進み漸く落ち着きを取り戻しつつある。
漸く、記事を書ける態勢に戻りつつあることもあり、これ以上停滞しているわけには行かない。

最近で最も大きかった発見は、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論少年時代の理不尽且つ苛烈ないじめも敵一味の指示によるものであり、不幸を作り出し宗教に引きずり込むために惹き起こされたものであったのである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。このことについては別ブログにも同様のことを書かせてもらう。

敵一味の動向について

現在の薄汚い辺境の地に誘導していたのも敵一味であり、奴らはすべてを知っていて私には知らせない、知られないように汚い手口を使いながら誘導していたのだ。そして奴らは「本人に知らせてはいけない」という危険な手口を講内においても、また宗外の他者に対しても使っていたのである。創価が使っていると書かれることの多い手口ではあるが、その大元は創価ではなくその親玉である宗門だ。
奴らは私を宗門につなぎ止めておくためにウソの情報をBMIで流し思い込ませて書き急がせた。そして宗門に隷属の間は決してそれに手をつけることはなかったが、度重なる見直しにもこれを削除させず、削除しても再度焚き付けて書き直させていたのである。汚い手段によって。
そしてその意に反して私が脱退の動きを見せると汚い手段で行動を改変し、郵便で済ませるべきをわざわざ交通費を使わせて本山宗務院に向かわせるという所業に出たのだ。それによって不要な軋轢までもが生み出されたが、敵一味は私を別の寺院に再度繋ぎとめてそこで同様に人格破壊工作を続けるつもりだったのである。しかし、私が真実を追及する姿勢を見せると寺院側は断りの電話にもまともに対応しないなど不誠実な態度に一変したのである。
この頃からツイッター上の法華講員どもの中に態度のおかしい者が現れ出し、また奴らがネット上でいじめのようなことをしているのを散見するようになった。そんな最中で石之坊の者による言論弾圧迫害脅迫事件が惹起したが、脅迫で書かされた物は無効であること、人権侵害に当たるものは無効であることを確認し、再び書き出すこととなった。
電話での再度の脅迫にも私が動じないと見るや、敵工作員はその電話を一方的に切り(しかも自分でかけてきておいてだ)、約10日後に山根と思しき風貌の者が威圧にやってきたのである。これは居留守で凌いだが、被害者の中には間違って応対してしまいあまりの恐怖に電話に出れなくなってしまった人もいるというから質が悪い。
今日では敵一味の策動には対応しないのが最良の対応であると決しており、宗教には一切対応しない旨告示している訳である。もしかすると工作員が雑踏で突っ込んでくる可能性があるが、その際には実力でこれを排除することも辞さない。
それにしても声を上げるべき人に声を上げさせないようにする脅迫的手段を平然と使うというのはどこまで狂った宗教なのか。
私は今後金輪際この狂った宗教とは関りたくないし二度と戻らないから引き戻し策動は無駄であり却って行為者自身の顔に泥を塗るだけの結果になる旨強く警告しておく。
よもや再三再四のBMIによる心理操作によってもついに引き戻すことが出来なかったことを忘れたとは言わせないぞ?

最後に、陰謀論業界について

陰謀論業界には正義が存在しないことを確認した。
とある陰謀論者の動画があったが、これが利用され不要不急のものに手を出させられた。
敵一味に利用されるということは敵一味に都合のよい者であり、これは離れるべき者であるという判断が直ちに働いた。
これによりヒモ付きでない陰謀論者はいないことになり、完全に全滅である。
陰謀論者の記事や動画は見るべきではないとつくづく思ったものである。
特に動画にはテレビのような魔力がある。だから見てはいけない。
削除されたと騒いでいる者がおるが、これは内輪の演技で出来レースだろう。
この手口はかつて宗門宣伝工作員の樋田容疑者が使った手口でもある。

ヒモ付きについてその特徴を述べ、本稿を終わりにしようと思う。

・以下の項目に一切触れないか、避けるようにしている輩。
 キリスト教による支配と価値観・伝統の改変。
 和風・代替キリスト教の存在とそのカルト性。
 放射能・被爆による被害を認めさせることと移住の必要性。
 医療利権や自動車利権など偽天皇に繋がる利権の追及。
 秘密選挙が不正前提であることと、民主主義を偽装して奴隷に自分で決めていると思わせるためのからくりであること。
 何重にも敷かれた社会主義的制度(二重の社会主義)。官僚社会主義と企業社会主義、その上に閥族政治と偽天皇。
これらに触れないようにしているのはヒモ付きの証だといっていい。
(以上、小生のツイートより)
・上記のテーマについて触れてはいるが、その具体的な内容には突っ込まないなどしている。
・的ずらしや、デコイを叩かせるようなことを行い、真の画策者に矛先を向けさせないようにしている。
・いかにも被害者の振りをして、愛国やネトウヨのような発言をしている。
・後からなら何とでも謂えるのをいいことに、わざとらしい演出をしている。
・明治~昭和前期までの価値観を依教としていたり、この時期にキリスト教的価値観によって作られた偽伝統を信奉している。
・人格破壊工作を「集団ストーカー」と言い、創価学会の仕業であると決め付けている。
・なんらかの宗教を標榜し、或いはなんらかの宗教に帰依している。
・拉致被害者奪還を叫んでいる。(これは支配勢力による自作自演であり、北朝鮮はデコイだ。)
・特に偽被害者系やネトウヨ系に多いが、被爆被害をデマ呼ばわりして復興を叫ぶ、避難移住を押し止める、原発再稼動や核軍備、軍備増強を叫ぶ。
・やたらと日の丸や旭日旗、桜を背景やヘッダーに使っている。
・創価学会を叩いてその親玉を叩かない、或いは統一や日本会議、天皇制を叩かない。特に偽被害者系のヒモ付きに多い。
・繋がっている事象をわざわざ分断して考えさせようとしている。

これらに一つでも当てはまっていたら信用しないようにしたほうがいい。

次稿からはこれを踏まえて各論に移行して説明していきたいと思う。
なお、回顧録は当サイトでやるが宗門批判は主に砦ブログで行うこととするのでご承知いただきたい。

両寺院における、本当の真相 その1

忌まわしき敵宗門に引きずり込まれたのは2003年9月のことであった。
現在途中まで公開している回顧録は、今のところその手前のところで止まっている。
先の記事でも書いたように宗門と創価は裏で繋がっているので、この連合軍が私に対する全てのハラスメントを画策し、行ってきたものということになる。
除名にしたモラ母が創価学会に関わったことが全ての原因の始まりであるといえる。
今でも宗創は一体だが当時は名実共にであったので、恐らくそれが全ての始まりであったといえる。
1988年にモラ母が死んだことで、一旦は宗教から足を洗うこととなったのだが、これも曰くつきであり、決して評価は出来ない。やはり自分の意思で自分から足を洗ってこそ真の自立であるといえるのではないか。
そうでなかった故に、後年に至るまで敵の思うがままとなってしまい、今日の不幸に繋がっている。

これまでに惹き起こされた全てのハラスメント、交際事犯、裏切り、争いごと、一家離散と孤立化、そして全ての運命操作が宗創をはじめとする敵一味によって画策され、惹き起こされたものである。
それには裏に回っての根回しや風評の流布、無線技術・脳波技術を悪用したテクノロジー犯罪による感情操作などありとあらゆる手段が使われてきたのである。

忌まわしき宗門に引きずり込まれる数年前から、敵はさまざまな策略によって人生には不要なものを捩じ込み、或いは焚き付けることによって経済的圧迫や本来とは違う人格の演出などを行っていた。
回顧録にもあるように風俗地獄への誘導、「バイク」の捩じ込みや「鉄道趣味」の焚き付けなどを敵は行い、「その日」に備えていたのだ。

かくして2003年8月、敵の捩じ込みによって「鉄道趣味」のせいによる「関西遠征」に行かされることとなったのであるが、ここに敵はとんでもない罠を仕組んでいたのである。
他ならぬ石之坊講員、岩下を敵はその帰路に送り込んできたのだ。
本件は明らかに宗創一体の謀略であり、真実の追究を決定的に遠ざけるべくその総仕上げとして宗門寺院に引きずり込み、宗教の教義でもって目暗ましとし、自分たちのしてきたことに気付かせないままで決定的な不幸に陥れようとしたのである。

2003年9月に石之坊に足を運ばされた(間違っても自ら足を運んだのではない。敵の誘導による罠であり本意ではない故にこの表現を用いるのが正しい。)訳であるが、その日から敵はおかしかったのだ。
敵連中は、確認をさせないようにあれよあれよの間にコトを進めて、気が付いたときには本尊下付まで行っていたのである、これが真相である。
私はあくまで話を聞くだけのつもりであり、そこまでは考えていなかったのである。
では確認をすればいいではないかというかも知れんが、そもそもそそくさと話を進めたのみならず、それに抵抗をさせないように感情操作を行い精神誘導をしていたのであるから、当たらない。
そもそも敵は確認をしない、させないようにそのような癖をつけさせないようにしていたので、確認するということ自体が不可能であったということになる。
なぜなら、確認をされては早々に「安心できるウソ」のボロが出てしまい、引きずり込めなくなってしまうからである。

こうして自宗に私を引きずり込んだ敵は、都合の良い誘導を長い年月に亘って行い不幸を決定付けるべく、悪辣な策謀を次々と実行に移していくのである。

敵がまず行ったのは、信心の名の下に当家の経済を破壊し、金銭的余裕を与えないようにすることであった。その狙いについては後述する。
石之坊(講頭)は入信させた9月だけで三度も遠路本山まで半ば強制的に参詣させ、約4万円もの経済的負担を強いたのである。

これによって当家の経済は崩壊した。そこへ以って敵に強要されていた「鉄道趣味」による経済的負担が重なり、台所は火の車となりその日暮らしを強いられることとなったのである。

その狙いは、筆者を敵一味があらかじめ取り決めていた誘導先に誘導し、そこから抜けられないようにすることであった。
この誘導先とは、狭義にはこの薄汚い辺境の地のことであるが、取り決められた誘導先はそれだけではなかった。
つまり、どこの土地に誘導しどこの寺院に移籍させ、そして何の病気にかからせてどこの病院に誘導してそこに縛り付けるということまであらかじめ決められていたのである。
この取り決めをしたのは、坊ではなく(医療利権精力を含む)一味の実務レベルのトップクラスの連中ということになる。

このような情勢となっていた翌年、坊に新たな工作員が入ってきた。
通称門外漢女である。この通称は当方で付けた物であるが、知りもしないで人の生活に土足で踏み込んであれこれ注文をつけた門外漢、という意味でつけられたものである。
この工作員の真の任務は、徒に近づかせて「根掘り葉掘り」を行わせること、そしてそれによって意図的にミスリードをすること、そして自らが目立ち矢面に立つことであとでハラスメントが発覚してもハラスメントを行う者の正体(宗門をはじめとする敵一味であるということ)を隠蔽し、この女が主導しているかのように思い込ませることにあった。
この者の入信の経緯を不審に感じたことがあったが、工作員として白羽の矢を立てたのは石之坊住職であるので、入信の経緯は大して問題にならない。

そして敵一味が仕掛けたのが「自動二輪圧殺の演出」と「予定していた誘導先の土地への誘導」であった。
門外漢女が惹き起こした事件のひとつに「デジタル一眼スキャンダル」があるが、そもそも鉄道趣味の焚き付けが無ければデジタル一眼など必要なかったのであり、全ては敵一味による大掛かりな策謀の一部に過ぎないということである。
門外漢女は、筆者が撤回をしない程度に「反対する振り」をすることで反発心を起こさせ、以ってこの薄汚い辺境の地への誘導に寄与したのである。
そして、全ての誘導が完了すると門外漢女は疎遠になったのである。所詮は謀略のために近づいたに過ぎないということであり、典型的交際類似事犯であるといえる。

門外漢女は、全体から見れば単なる最下級のザコに過ぎず、単なる一工作員に過ぎない。
敵は最下級の雑魚を叩かせることで親玉の寺ぐるみがばれないように取り計らったものであり、ボスである宗門一味の関与を隠蔽し、宗門に縛り付けておけるようにするために最下級のザコに責任をスリカエたということである。

敵一味は、あくまで真実の追究から遠ざけるために宗門に引きずり込んだのであって、幸せに導くつもりも無ければ(その力も無いがな)、熱心に信心に励ませるつもりも無かったのである。

こうしてスリカエに成功した敵一味は、あれよあれよの間にさまざまな策謀によって筆者を決定的に不幸に貶める工作を行っていったのである。

この間には、抗がん剤による父の毒殺、その後の離間工作による一家離散といったものが行われたが、この坊において惹起した大型事件が二つある。

ひとつは「石の湯事件」である。これについては後述する。
もうひとつが、2007年惹起の「受付恫喝事件」である。
これは、単に坊の規模にとどまらない大規模かつ大掛かりな謀略事件であり、敵一味総出で行われたハラスメント事件である。
これは、「デジタル一眼スキャンダル」による産物のカメラを処分しようとしたことに絡んで感情操作を行い、売却の必要の無い機材まで売らせしかも不要かつ高価な社外品を買わせたことによる資金の枯渇により資金をはたかせ、以って帰りのバス代を確保するのがやっとの状況に追い込んでおきながら、支部総会の受付で供養が出せないことに対して恫喝を行わせたものである。なお、問題のカメラ店も敵一味のヒモ付きであったことが後年に発覚し、取引禁止処分となっている。問題のカメラ店は、敵の精神的誘導によってこのとき初めて足を運ばされたものであった。
したがって、この事件も単に受付の講員による個人的犯行では決してなく、恫喝を行うように何者からか指示が出ていたものである。

一方の2008年惹起の「石の湯事件」に筆者は関わってない。
この事件は、ネットのSNSに絡んで運営者の講員を焚き付けておきながらそこにケチをつけさせ、以って当該講員をスケープゴートにして、かつ2005年に就任していた当時の講頭を辞任に追い込んだものである。
この事件が起こされた理由は、特段筆者と関わりのあるものではないが、やはり住職の意に沿わぬ者を放逐したかったということではないかと思われる。
逆説的に言えば、住職と関係の深い人物が講頭でないと都合が悪いために惹き起こされたということではないかと思われる。それだけにしてはずいぶんと大掛かりなことをしでかしたものである。
この事件自体、特段筆者は勿論のこと門外漢女の利害にも特段関わりのあるものではなかったが、この事件が後になって門外漢女に全てをなすりつけスリカエるために利用されることになるのである。
利害には関わりが無かったようだが、門外漢女はこの事件で体制側に付き、紹介者である当時の講頭(辞任の後移籍)と決裂したようである。
私には関係ないが、仕事で使ってもらっていながらこの手のひらの返しようには開いた口が塞がらない。
なお、後に講頭に復帰した山崎某は「私は知らない」と白を切っていたが、体制ぐるみで行われたものを知らないはずは無く、詳細は不明だが何らかの形で事件の惹起に関わっていたのではないかと考えるのが自然である。

石の湯事件以降、筆者は急速に講の中で孤立するようになったが、それも狙いの一つだったのではないか。
つまり、もうひとつの「誘導先」である「地元寺院」への誘導を敵一味は本格化させたということだろう。

このころになると、父を宗教に引きずり込んだ大塚という男が、自分の担当地域でもない筆者の元をたびたび訪れるようになる。
一方で本来の管轄であった北関東地区の幹部は一度も来なかった。
これには理由があったのである。
つまり、大塚が勝手に行ったことではなく、坊サイドの指示によるものだということである。
恐らく、坊自称幹部「龍神ひろし」(阿見在住で北関東エリアに該当)が、この時点で既にエリア責任者だったということなのではないか(あくまで推定ではあるが)。

石の湯事件のあと、石之坊ではネットが禁止となっていたが、この龍神ひろしはこの当時からブログをやっているのが確認されている。これは明らかなダブルスタンダードであり、片方でネット禁止を標榜しておきながら龍神ひろしにはネットをやらせているということになる。
どこまでもご都合主義なのである。
これでは到底創価のことなど言えた義理ではなかろう。同じ穴の狢である。

僧侶の序列は厳しく、より上位の僧侶が指示しないことを勝手に出来るほど甘くは無いことを考えると全ては宗門ぐるみだったということになろうか。
つまり全てのハラスメントや交際事犯など、宗門寺院において惹起したことは全て宗門上層部の指示、ということになる。

2009年1月には思いつきで参詣したところ住職夫人から一方的に罵倒され、思わず寺を飛び出したという事件もあった。これはいきなり行っても「登山」(要するに大本尊内拝)はできない、ということを私は承知でいったのだが、にもかかわらず罵倒されたというものである。
やはり、罵倒させるために参詣を思いつかせた精神操作だったのではないだろうか。
テクノロジー犯罪の犯人は宗門側だ。

そして8月。
仕方なく続けていた仕事が行き詰まり(これも一味の策謀が絡んでいる)、私は出直しを決意したのだがここで感情操作が行われ、向かってはいけない寺のほうに向かわされたのである。
2009年9月13日。
8ヶ月ぶりに参詣した私の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。
坊玄関前に、明らかに新入と思しき若い講員数名がたむろしており、その中の一人が
「てめえから挨拶してこいってんだ!」
などと恫喝してきたのである。
もちろんそれに応じる訳など無いが、私の記憶違いでなければ、それが龍神ひろしだったのである。
奴の本名については既にネットで拡散されているのでここでは割愛する。

普通であればそこで気付いてもよさそうなものであったのだが、敵一味の洗脳の影響下にあったことでそれが妨げられたという経緯がある。

翌月も足を運ばされたが、さすがに失望を隠しきれず、足が遠のくこととなった。
その後、11月に大塚が電話口で「日払いで働け」などと恫喝してくるという事件があったが、既に公的制度を利用する手立てを済ませていたので実害は無かった。実害こそ無かったが、この一件は石之坊から心が離れるには十分すぎる決定打となった。

その後、敵一味によって就業への動きを押し止められているうちに時は流れ、約半年後の2010年4月に事態が動き出す。
石之坊からの脱退を一家で決定したのだ。
そして、石之坊の講頭に復帰していた山崎との間で激しい戦闘が行われた。
電話口での戦闘において、山崎は「お前のためを思って言ったんだろうが!」という趣旨の暴言にまで及ぶという事態となり、完全に敵対者としての本性を露呈したのであった。

話し合いの要求に対して、敵側は4月10日を指定してきた。
これには目的があった。
敵側の意図に反してそのままフェードアウト(宗門から完全に脱退すること)することを妨げる狙いである。
指定日の翌日は、敵宗門の寺院で「御講」が行われる日であった。
日にちを置かないことによって、考える時間を奪い意図に反してそのまま宗門から離れることを妨げたのである。
敵側の意図とは、「地元寺院」つまり法悦院に移籍させるということである。
それが証拠に、住職・山根は一方的に法悦院を移籍先に指定してきたのである。
当方には、そのような意図は無く、その後については何も決めてなかったというのが真相である。
当方は、当日に門外漢女を話し合いの席に同席させることを要求したが、当日に来訪予定があったにもかかわらずこれに応じなかったのだ。
応じなかった理由は二つ。
一つは、話し合いに同席させることによって激しい非難に直接さらされる事態を防ぐため。
山崎ですら手を焼く相手を同席させたらどうなるか。
そこでポロッといかれては困るということだったのだろう。
要するに、実行犯を寺ぐるみで守ったということだ。
もう一つは、疑念を解決させないことによって引き続き、門外漢女の存在を寺ぐるみ関与の隠蔽とハラスメントに利用し続けるためである。
1時間の予定だったが、話し合いは20分で終わった。ほぼ一方的な侭で。

なお、門外漢女は2010年4月に横浜地区の地区長に任命されている。
龍神ひろしの虚言癖から云って、今でもその地位にあるものと思われる。
いずれにしても、長年寺ぐるみの工作に貢献してきたことに対する褒美として地区長の椅子を与えられたのではないか。
対照的に龍神ひろしは入信してそれほど経たずに地区長になっているが、新規の任命であり(前任者が無いという意味)、人材不足から起用され、その後精鋭工作員としての教育を受けたのではなかろうか。
その時期は2008年から翌09年の前半にかけてということになる。
玄関口恫喝事件の時点で既に精鋭としての本性を見せていたことからそのように推定する。
しかし、どこまでも宗門の意向に忠実な工作員という意味ではなんらその本質は変わりが無い。
ともに傘下のカルトからの転籍であり、工作にはもってこいの人材であったということである。

長くなったが、以上が石之坊における大まかな真相である。

両寺院の者による押し掛け事件が惹起したのは、その約5年後、筆者が宗門を脱退した後のことである。
内容に問題があるのであれば、なぜ宗門在籍中にやらなかったのか。
それは、筆者が宗門に籍を置く限りにおいては隠蔽のためにその敵一味が刷り込んだウソでたらめを利用し続けなければならなかったからだ。
そうでなければ、ウェブ上での連絡も可能な状態であった故、そこに連絡して訂正を要求すればよかっただけの話である。
もちろん、弾圧惹起の時点でもメールフォームが生きていたので同じことが言えたはずである。
ところが、敵講員どもはその手段を「あ・え・て」取らなかったのだ。
つまり、ワザと怒らせて罪悪感を植えつけることでそのまま言いくるめて敵宗門に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に放り込み抹殺することが目的だったのだ。
正しいことをしているはずの団体が、なぜ苦情を潰して人格ごと抹殺するようなことをしているのか。
苦情が表沙汰になっては布教が立ち行かないほど、悪いことをしてきた団体だということだ。
近年だけの話ではない、日興以来の捏造カルトだったということである。
それが故に、10年と経たないうちに日向に取って代わられて久遠寺を退出しなければならなかったのだ。
日興は異端だったのである。
その辺については、信頼できるサイトに詳しく掲載されている通りである。

「迫害されてきた」は、それこそウソでたらめだったのである。
実際には、敵宗門こそが異論を迫害し続けてきた団体だったのである。

重大な真実について

前回の投稿から三ヶ月が空いてしまったが、この間も真実の追究はくまなく進めていた次第である。
宗門が創価等のカルト宗教とグルであった事などは既に明らかにしてきたところであるが、この三ヶ月でまたしても宗門にとって都合の悪い重大な真実が明らかになった。

では、早速今回判明したことについて明らかにしてゆく。

この犯罪の主導者は?

私に対するガスライティング犯罪、テクノロジー犯罪、運命操作を主導してきた者の正体が明らかになった。
この犯罪を主導しているのは、日蓮正宗宗門の宗務院であり、実行犯は鶴丸グループ各宗派に散らばっているものと見られる。
一昨年の秋、私は宗門に対する疑問、特に現証の面からの疑問により、宗教に対する見直しに踏み切った。
これに対し、敵は激しい攻撃をもってこれに応え、更に鉄道趣味を非合法化する決定をしたことに対して、宗教の見直しに対して都合のよい結論を押し付けてきた。これはすぐに破られることとなったが、このことは「宗門からの決別」が誰にとって都合の悪いものであるかを端的に示している。
私をターゲットとした理由、動機などはいまだ不明であるが、真実の追究を押し止めてそこから宗教、自宗への誘導を行っていること、更に真実を追及しようとした私に対する宗門側の仕打ち、両寺院の構成員どもによる迫害・言論圧殺事件などから、この犯罪の主導者を日蓮正宗宗門であると突き止めた。
なお、言論圧殺事件において問題になった内容を刷り込んで書かせたのも、宗門側の意向であり、この犯罪の本質を隠蔽していち構成員になすりつけ追及を免れようとしたものである。
つまり、真実の追及を押し止めたのも、煽りとハタカセの手口も、そのような趣味を押し付けたのも、離間工作も、医療利権への誘導も、全て宗門の意向で行われたということである。
要するに、私は宗門の意向で医療利権に差し出された訳であり、生贄にされたということである。

宗門(隷属時代)における数々の事件の本質

この犯罪においては、以下の要綱に基づいて行われていると思われる。

運命操作によって身近な縁を徹底的に分断し、離間工作等によって孤立化させる。また、新たな縁など作らせないように操作する。
癒しを与えないようにして、怒りやイライラの感情を煽り立て増幅させることによって狂わせてゆく。
些細なことを針小棒大に煽り立て、トラブルや紛争を頻発させて孤立させる。
交際事犯を頻発させ、女というものに対する不信感を植え付けることによって不幸の固定化を行う。

そして敵宗門は、そのことを以って宗門から逃さないようにし、かつ宗門への依存を強めさせようとしていたのである。

11年間で、重大な交際類似事犯が2件惹起しているが、いずれも寺ぐるみによる犯行であり、惹起者個人の勝手な行動ではない。
いずれの事件も、法華講組織によるモラルハラスメントの本質を隠蔽し、それをいち構成員になすりつけて誤魔化すためであり、また自ら広めた悪評を固定化するための謀略によるものであったのである。
2013年の事件は、当時班長を務めていた男が主導して惹き起こされたものであり、そのために断って自力で帰ろうとした私を無理にでも引き止めて、問題の女と一緒に車に乗せるという蛮行に及んでいるのである。
法悦院における悪評は、まさにこの男が勝手に広めたものであり、いわれのないものであった。奴らは、私をモラハラのターゲットとして講員どもの不満のはけ口、サンドバッグとさせることによって講役員や住職などに、強いては宗門に非難の矛先が向かないようにしていたのである。
最終的には、悪事がばれないうちに皆で言いくるめて精神科にぶち込み、抹殺しようとしていたのである。

しかし、私が敵の操作にも拘らずこれを破って脱退の道を選んだことで、奴らの思惑が狂いだした。
宗務院は、私が用意した脱退届けを受け取らず、何とか誤魔化して脱退を押しとどめようとした。
しかし、私が真実の追及をする姿勢を見せたことで、敵は手のひらを返したように数々の仕打ちを行い、両寺院の者による迫害事件に発展している。更に、昨年暮れには「自殺に見せかけて殺してやるぞ」という脅しを例の本山任務者の男から受けてもいる。
その後、正式な脱退の文書を送付し本尊を返したことによって、表向きは姿を現さなくなっているが、近隣の者をけしかけたり人の見ていないところで悪さをするなどして工作を繰り返している。
学会員の可能性もあるが、創価学会はこの事件の加担者ではあっても首謀者ではない。
いずれにしてもそれらの嫌がらせや運命操作は宗門の意向、宗門の命によって行われているのである。

1年ほど前、忌まわしき言論弾圧事件が惹起し、危うく言論という武器を奪われるところであった。
あの日、敵は両寺院の男子部3名を以って家に押しかけてきた。
これに呼応するように、テクノロジー犯罪部隊が怒りの感情を殊更に増幅させ、見境のない状態にされた上取るべきでない行動を取らされ、結果決定的な不利をこうむることとなった。
あの日、くだらない紙切れにさえ反応せずに無視していればあのような手口には引っかかることなど無かった。
敵にしてみれば、なんとしても引っ掛けなければならなかったということであり、そのためにテクノロジー犯罪部隊を頼って怒りの感情を増幅させ、自分たちに向かっていくような行動を取らせるマインドコントロールに及んだと考えるのが自然である。

この事件は、私が真の真実を突き止める前に敵が捩じ込んだ内容を問題にして言論を封じ、これをネタに「戻ったほうがいい」などと言いくるめ、無理にでも引き戻して「皆で言いくるめて精神科」のレールに乗せ、そのまま抹殺しようとした極めて陰湿な事件であった。

このことが物語るものは何か。
つまり、テクノロジー犯罪は宗門の意向で行われているということである。これが明るみに出れば、宗門は崩壊の危機に瀕する。だから、なんとしても隠し通さねばならないのだ。
実際問題、前寺院でこの犯罪のことや陰謀論などについて話すと皆一様に「考えすぎだ」などといわれる有様だったのである。なんとしても「考えすぎだ」ということにしなければ都合が悪い、そういうことなのである。

繰り返すが、創価学会は加担者ではあっても首謀者ではない。
それについては後述する。

その後、真実の追究が進んだことによって問題のブログの内容が確かに間違いであったことを突き止め、これは敵が真の真実を知られないようにするために仕組んだものであったこと、門外漢女がそのために自らが目立つことで注目を引き、批判の矢面に立つことで石之坊サイドに批判の矛先が向かないようにする役割を担っていたいち工作員に過ぎなかったこと、石の湯事件がハラスメントの隠蔽のために利用され、敵が仕組んだ間違った内容につながっていたこと、そして一連のハラスメントがすべて寺ぐるみであり、宗門によって仕組まれたものであったことを突き止めたのである。
もちろん、その間違った内容を捩じ込んだのはテクノロジー犯罪部隊であるから、この部隊は宗門側の意向に沿って動いているということであり、陰謀論系の気まぐれファイルが言うような「創価学会の独自犯罪」ではないということである。

敵は今なお、運命操作によって孤立化の固定化を行うことに余念がない。
ここまで孤立化の維持に腐心せねばならないのは、私が宗門にとって不都合な真実をたくさん知っているからであり、それが広まっては困るからである。
今宗門にとって最も拙い存在のひとりが、他ならぬ私であるということだ。
敵は、運命操作を連続的に行い揺さぶりをかけることによってこれを現証だ、罰だと脅して引き戻すつもりでいるようだが、そんなカラクリには騙されない。
何故ならそれらは全て敵の運命操作によるものであって、人為的に作られた謀略に過ぎないと見抜いているからである。

創価学会の本質とは?

この点においては、創価学会がその方針をコロコロ変えるところ、カメレオンのように権力にしがみつこうという姿勢から解るように、創価学会というものが、「己の意思」を持たない存在であることがわかると思う。
では、創価学会は誰の意志に基づいて動いているのか?
それは、日蓮正宗宗門である。
つまり、宗門から「キャスティングボートを手離すな」という絶対命令を受けており、そのためにこれまでの主張を曲げて政権に従うという行動になっているということである。
そもそも、創価学会ができたのは日蓮正宗の別働部隊としてであり、クリスチャンである牧口はそのために裏勢力によってリクルーティングされたということである。
創価学会の体質は、宗門のそれの丸写しである。そのため、学会が(宗門の下命によって)惹き起こしてきた事件の一部が明るみに出るようになると、出来レースによって離脱騒動を惹き起こさせ、叱り付ける振りだけして体裁を取り繕っていたのである。しかし、それにも限界があったのと、また別の目的があって、平成2年末からの出来レースによって形の上で「破門したこと」にして追及を逃れようとしたのが破門の本質である。
宗門と創価の両者には、両者を形の上で切り離した上で、下級構成員同士を争わせることによってそれぞれのトップに非難の矛先が向かないようにする狙いがあったのである。こんなことは口が裂けても言えないだろうし、ばれては両組織の存亡にかかわってしまう。だから両者は訳のわからない言い訳でこの「破門」を正当化し、その理由をでっち上げ、或いは信者に教えないなどしたのであろう。
この点についても、両者は終始苦しい言い逃れを以って何とか誤魔化しを図っているのが実情であり、特に宗門は、その何重にも被った化けの皮がはがれそうになって狼狽している、それで各地の工作員を使って言論弾圧にいそしんでいるというのが真相であろう。
埼玉の某寺院が、創価の最高幹部は学会葬、友人葬をしていないとゲロってしまった。
そこには、最高幹部の葬儀がどうしているという、肝心なことが書いていなかった。
つまり、それは絶対に書けない内容なのである。
具体的に言うと、最高幹部の葬儀は宗門の高僧がやっているということになるのではないか。だったら書けない訳だ。

宗門が信者を逃げさせないようにする手口

よく宗教などで、「功徳」だの「罰」という言葉を聞かされた人は多いことと思う。
結論から先に言うと、功徳も罰もそもそも存在しないものである。それらは、信者を逃さないように引き止めや脅しの文句としてでっち上げたものである。
功徳が存在しないことは、私の実体験で証明できる。
人工透析に貶められる直前、私は1日に何時間も祈らされていたが状況は一向によくならず、却って悪化するばかりだったのである。
祈るとかする前に、もっとするべきこと考えるべきことがたくさんあったはずであったが、それは敵の目暗ましによって出来ないように仕向けられていたのだ。
自ら数々のハラスメントや謀略行為を惹き起こしておきながらそれを宿業だ試練だと誤魔化し、しかもこれをネタに「そんなことを書いているから功徳が出ない」などと脅して言論を弾圧していた、これが宗門というものの本質であり正体だ。
しかも功徳などそもそも無いものである事を知りながら、その言い訳作りにしていたというのであればこれは言語道断の所業である。
「悪者は無い物で煽る」という事をツイッターでも度々書いてきたが、まさに「功徳」「罰」などという「無い物」で煽っていたのが宗門であり、これが宗門が悪者である何よりの証左になる。
凡そ神も悪魔も、己の心の外には存在しないものである。しかし、宗教はそれらを心の外にあるということにしてそれをでっち上げ拝ませることによって都合のよい結論に導き、目暗ましをして搾取するのだ。
宗教というものは支配勢力のためにある、支配勢力の手先であり、決して信者の人生を救済するものではないということを、現実を以って知るべきである。
あの忌まわしき言論弾圧の日、敵工作員はブログを消すことを「功徳だ」などと言った。
しかし、あれから功徳らしきことは何一つもないし敵も運命操作をやめるどころかこれをエスカレートさせるばかりの現状である。
このことこそが、功徳など存在しないものであり、功徳めいたものは人為的に起こされたまやかしでしかないということである。
いかなる宗教であっても、それに人を救済する力など持ち合わせたものは無い。
むしろ安心できるウソで人を騙し、自分の人生の手綱を自分では握らせないようにして必要なことをさせずに不幸に貶め、しかもそれをネタにゆすりや脅しで従わせて金を巻き上げる、それが宗教というものの本質なのである。
宗教は支配勢力の手先であり、「的ずらし」「目暗まし」によって真実の追究をさせないためにあるものなのである。

陰謀論者と法華講の関わりについて

創価学会のことを批判しているようでも、その親玉である宗門法華講を批判しないばかりかその悪行には一切触れず、創価学会「だけ」を強調している陰謀論者の輩が多くいる。
これらの者は、巷に多くいる陰謀論者と同じく支配勢力に飼われた輩であり、的ずらしや目暗ましに加担する暗黒の輩である。
中には宗門の宣伝文句とまったく同じに「日蓮正宗こそが最高の宗教である」などとのたまっている陰謀論者もいる有様である。
RKを見て創価を脱会したはいいが、そのまま向こう側の思惑通り法華講に流れている馬鹿者がツイッター上にもいる。また、前寺院にも陰謀論者の信奉者がいたことを考えるとRKと法華講の間には何らかの関わり、密約があると考えるのが普通であり、その点でもRKはヒモ付きであると言わなくてはならない。
創価学会は、日蓮正宗の別働部隊であり、自らが目立つことで批判の矢面に自らが立ち、これによって宗門の悪事を隠蔽する役どころを担っている(ちょうど石之坊における門外漢女が筆者に対して行った役割と同じである)。
また、先述のとおり創価学会自体は自らの意思を持たない存在であり、それを強調することは真の首謀者を隠すことに加担する悪魔の所業なのである。
なお、テクノロジー犯罪の意図的発覚の際に見せられた「気まぐれファイル」というサイトがあるが、このサイトも陰謀論系かつ敵宗門紐付きであり、具体的な手口に触れていないこと、「逃げられない」的なことをほざいていること、くだらない的な、ままごと的な記述に終始していること(これは、テクノロジー犯罪の実際とは大きく乖離したものだ)、日蓮正宗を全く批判していないことをその傍証とする。
つまり、脱退されては困るので正宗批判を含まないサイトに誘導したということであるのだ。

私はかかる宗門の首謀による運命操作を絶対に許さないし、その結果は絶対に受け入れないということ、これら運命操作に対しては手厳しい復讐を以って臨むということをここに宣言するものである。

読者の皆さんにおかれては一日も早く宗教の呪縛から解放されて、くだらない常識にはとらわれず身近な縁を大切にする生き方を取り戻してほしいと願うものである。

ご注意

本記事は、敵宗門より脱退後の混乱期に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。(重篤なものについては最新の見解をもとに修正しています。)

これまでに判明した物事について

現在、回顧録の新規執筆に向けて真実の突き合わせを行っている。
これまでに探り出した真実を物差しとして、脱退後の現在までを含めた事実関係、また敵対勢力における常識等に照らし合わせた結果、これまでに書いていたいくつかのものが覆されることとなった。
訂正となるもの、白紙撤回となるもの、そして新たな判明となるものを含めて、ここに書き記すこととする。

その前に、まずこれらが見直される元となった、新たに判明したことを書き記す。

  • 悪者は必ず夢や幻想を見せる。
  • 凡そ悪者は無い物で煽ることを常套手段とする。
  • 宗門・創価・顕正・正信会の4宗教は、全てグルであり、それぞれ与えられた役割を演じているに過ぎないものである。当ウェブでは、このグループを「鶴丸グループ」と呼ぶことにする。
  • 「鶴丸グループ」においては、上の言うことは絶対であり、トップダウンありきである。したがって、いかなる事件であっても、信者個人の勝手な考えで惹き起こされるということは有り得ない。
  • 宗教の教義というものが敵の行うガスライティング行為を隠蔽し、ごまかすためにとても都合のよいものになっている。 つまり、宗教の教義とは最高の目暗ましになる。
  • あらゆる宗教は、人心を支配操作するための、支配勢力のためのツールであり、目暗ましをして真実の追究に向かわせないことを業としている。
  • 宗門の本山任務者は、単なる誘導役などではなく、本山での任にないときは宗門にとって都合の悪いあらゆるものを潰すための活動に当たる「精鋭部隊」である。
  • 宗門と創価は、ともに鶴丸グループの一員であるが、トップ同士が繋がっているとはいっても、実務レベルのことで逐一トップ同士が動いている余裕は無いと思われる。したがって、実務レベルの連携はトップ下、つまり宗門側宗務院と創価側本部での連携で行われていると思われる。
  • 宗門は天皇派であり、支配勢力の手先である。従って、支配勢力の命で医療利権と連携することは十分考え得る。宗門と創価と医療利権は、相互の利権利益のために手を結んでいるものと考えられる。

これらを元に、これまでの言説を検証した結果、以下の訂正・白紙撤回・新規判明したものについて書き記す。

  • これまで宗門人が惹き起こしてきたあらゆる事件は、直接的には宗門の指導者が選定した工作員によって、宗門の指導者の指示によって惹き起こされたものである。
  • 「宗門側にも多くの潜伏工作員が送り込まれて」という言説は、宗門も悪者であることを隠蔽するために捩じ込まれたデマである。したがって、当ウェブではこの言説を否定する。
  • これまで当ウェブで用いてきた「プロ講員」の概念も、上記の潜伏工作員云々から出たものであり、創価側が買収、というのは鶴丸グループの原則に照らして有り得ず、宗門側が養成した精鋭という意味で用いられるべきである。
  • 「石之坊、および法悦院におけるあらゆる謀略、紛争、ハラスメント等の類は、主として創価学会からの依頼によるプロ講員によって行われてきた」の言説は真実判明以前の誤謬に起因する間違いであり、依頼、ではなく指示をしていたのは創価学会ではなく宗門側の指導者であった。したがって、「石之坊、および法悦院におけるあらゆる謀略、紛争、ハラスメント等の類は、全て宗門側指導者の指示によって工作の任に当たった講員が惹き起こしてきたものであり、これに対して創価側の電磁波犯罪部隊等の工作員によるサポートが有ったものである」が正しい。
  • これまでの門外漢問題の追及において定説となっていた「門外漢女が石之坊サイドを籠絡」は、鶴丸グループにおける鉄則に照らして、これに反するものであり、ボトムアップになるので有り得ない事である。これは、「宗門もグルである」という真実を隠蔽するための目暗ましとして捩じ込まれたものであろう。したがって、今後当ウェブとしてもこの言説は否定する。
  • 「門外漢女は創価学会と裏で繋がっていた」という言説は、トップダウンの大原則に照らしてありえないものであり、論拠となっていた当人の言については、そのように思い込ませることを目的とした単なる「仄めかし」であり、これを基にしてでっち上げられ電磁波犯罪によって刷り込まれたのが前記言説であったというべきである。門外漢女は仄めかしによるミスリードを得意としていたが、この仄めかしを含めあらゆる仄めかしを行うように指示したのは宗門側指導者である。したがって、前記言説は白紙撤回するべき代物である。
  • 「門外漢女は朝鮮人である」という言説については、その可能性はあるものの確定情報ではなく、またその出自自体事件の本質にとって何ら重要ではない。したがって、あくまで可能性のレベルに留めるべきものであり、また事件の惹起との関連性はトップダウンの原則から云っても問題にするべきところに達してない。従って、これも煽りのための捩じ込みであると云うべきである。
  • 「『門外漢女』についてはまさしくこのプロ講員であり、在日ルートで創価学会から依頼を受けて暗躍したものである」の言説は、トップダウン原則に外れるものであり、有り得ない。門外漢女を刺客にしたのは他ならぬ寺院側であり、前記言説はこれに対する目暗ましのために捩じ込まれたと見るべきであり、これも白紙撤回するべき代物である。
  • SG現場の工作員との関連性については、既に否定されているものであるが、この現場に宗門側の人間が入り込む余地は無く、SG現場を支配していたのは創価側の人間である。連携については、もっと高いレベル、少なくとも実務レベルのトップ同士で行われているものであり、ヒラ会員・ヒラ講員や低級幹部のレベルでの連携は有り得ない。従って、その行動を連携させているのは実務レベルトップの指示によるものであり、ヒラ工作員同士の連携は無い。よって、石之坊での事件とSG現場での事件はあくまで分けて考えるべき性質のものである。
  • 「敵対勢力があくまで正宗にしがみつかせたいのは、攻撃の対象とするための口実を与えるため」という言説については、確かに攻撃の対象とするための口実になりはするが、それ自体が目的という小さいものではない。実際には宗教の教義での目暗ましと雁字搦めが目的であり、前記言説はそれをごまかすためにねじ込まれたものであると思われる。従って、「敵対勢力があくまで正宗にしがみつかせたいのは、宗教の教義での雁字搦めと目暗ましを続けて真実を知られないようにしたかったため」が正しい。
  • 2013年に惹起した交際類似事犯「柏原事件」は、惹起者個人の勝手な行動によるものではない。それは、信者という特殊性に鑑みて有り得ない。従って、本件も少なくとも支部組織ぐるみでセッティングされたものであり、意図的に引き合わせるよう手配がされていたというべきである。つまり、講幹部もグルであり、よって、本件も私に対する人物破壊工作を目的として寺院ぐるみで惹き起こされたものであるというべきである。
  • 「人工透析への転落も敵対勢力が画策したものであり、医療利権と結託して行われたものである。」の言説について、この場合の「敵対勢力」は、単に創価学会のみを指すべきではない。今や宗門も私にとっては敵対勢力であり、またこの画策については宗門側もグルになっていたものであると見るのが正しい。従って、「地元寺院」云々もこれら関係する勢力が談合して決めたものであり、それが宗門僧による一方的な押し付けに繋がっていると見るべきである。つまり、医療の面だけでなく、宗教面でも誘導先は前々から決まっていたものであると云うべきである。何としても元の寺院に引き戻したい理由も、離壇がこの談合による取り決めに反するものだからであると見るべきである。
  • 総合して、関わってきた全ての工作員はあくまでそれぞれの領域でのみ動いているものであり、その領域が重なったり、或いは垣根を越えてヒラのレベルで連携するなどということは有り得ない。何故なら、全てはトップダウンで行われているからである。
  • 「鶴丸グループ」内での宗教の移籍を指導者が指示する可能性は十分にあるが、その場合であっても移籍後は移籍先の指導者に従うのが絶対であり、旧所属宗派や所属してもいない宗派の者が指示を下すということは有り得ない。そのことからも、工作員個人で他の宗派と連携するということは絶対に、有り得ない。従って、宗門内で惹き起こされた事件は全て宗門側指導者の命で惹き起こされたものであり、この原則に外れる事件は無い。これに外れるような言説は、全て宗門や宗門僧を悪者だと思わせないために捩じ込まれた目くらましであるというべきである。

現時点で判明しているのはここまでである。

身辺整理

現在、パントルセレブルは将来に向けた身辺整理を行っている。
2015年1月10日に忌まわしき宗門を脱退したが、その後ここに至るまでの道のりは極めて厳しいものだった。
2稿前の記事で書いたとおり、脱退時の対応に問題があったが、真実追究が未だ中途である中で脱退となったことと、当時はまだ確認するという習慣がついていなかったことにより、敵にいい様に誘導されてしまいその後のゴタゴタに繋がってしまったのだった。

今般の身辺整理においては、不要物を徹底して捨て去るとともに、脱退後も当家に残ったままになっていた宗門関連の物を始末し事実上の離壇届けとなる信徒籍削除の要求文書を本尊などとともに郵送し、この問題に一つの蹴りを付けることとなった。
これによって晴れて宗門とは関係の無い外部の人間ということになったので、今後は書きたい様に書かせてもらう。

離壇に対する妨害工作が1年もの間続いた訳であるが、これは敵対勢力S会だけの意向ではない。
私を宗教の教義でがんじがらめにして思考停止にさせることで、利益を得或いは利益を維持しようとする勢力が複数あるということである。
そのことは、離壇から1年を経た今なお、敵がBMI犯罪の発動によってあらぬ勘違いをさせ、以って自分から宗門のほうに戻るように仕向けようとしていることが示している。
BMI犯罪が用いられているのは、最早外部からの人手によるやり口(脅迫やまやかし)では捻じ曲げたり転向させることが出来ないからであり、敵側もそのように認識しているということである。

私が宗教の無意味さに気づき、そのことを民衆に向けて発信することはまさしく民衆の利益に適っている。
何故なら、宗教は安心できる嘘で騙して搾取し、以って真実からの的外し、目暗ましをして利益を得ているからである。
宗教の役割とは民衆の人心を操作し、支配勢力に矛先が向かないようにすることにあるのである。

私を薄汚い辺境の地に幽閉し、浮上させないようにすることで利益を得ている勢力は一つではない。
父逝去時の寺院サイドが取った、安心できる嘘で騙して以って必要な対応を取らせないようにする策動は、敵対勢力S会と、これに連なる医療利権の謀略であった。そして、まさしくこの寺院こそが共犯者であり、最初から安心できる嘘で騙して貶め、孤立させて搾取する腹づもりだったのである。つまり、門外漢女を私に対する刺客にしたのは他ならぬ寺院側だったということである。私がこの女を追及した際に寺院側が徹底してこの女を擁護する側に立って私を一方的に悪者にしたことも、これで説明がつく。

本来であれば、石之坊を脱退した時点で宗門からも決別し、その時点で離脱するのが最良の善後策であった。
父の病気を救うどころか医療利権側と結託して真実には目を向けさせず、安心できる嘘で騙して必要な対応を取らせなかった時点で、この宗教に力が無いどころかグルになって私を貶めているものであることは明らかだったはずである。
そもそも、私を宗教に誘導したこと自体が敵対勢力の離間工作・孤立化工作の一部だったのである。
それは、宗教にのめり込んだ人間は例外なく嫌われて叩き、いじめの対象になるからである。
既に手元には無いが、宗門側の出している洗脳の手引きにはこのことに対する尤もらしい言い訳が指南されている。
このように、宗教は当たり前のことさえも否定して自分たちが正しいと主張し、他のものを否定することで従わせようとしているのである。

宗教によってがんじがらめにされていた11年間は、歴史には残してはいけない11年間であった。
34歳から45歳という、まさしく人生最良の時期を宗教によって台無しにされたという事実は、いかなるまやかしによっても消えるものでは無い。
折角の縁も、宗教に雁字搦めにされていたことで取るべき対応を取れず、みすみす逃させられることになってしまった。
これが現実なのである。
ところが、ある法華講の役員(私に対して太鼓持ちの振りをして、裏で悪評を吹聴していた)はこれに対してこんな暴言を吐露している。
「結婚することが幸せなこととは限らない。」と。
これこそ、人口削減計画そのものではないのか。
この宗教では、男女が仲良くすること、交際することに著しい制限を加えている。
このことから言って、陰謀論者が支配勢力の狙いとして上げている「フリーセックス」は、支配勢力の狙いではなくまさにその真逆であるということになる。
何故なら、宗教そのものが支配勢力のためのものだからである。
支配勢力の実際の狙いは人口削減であり、そのために男女間の関係に著しい制限を加えて引き離そうとする試みは、今の時代に始まったことではなく、キリスト教では古くから謂われていることなのである。
つまり、この点でも宗門はキリスト教的価値観を受け入れていることになり、まさに日蓮ふうキリスト教そのものであるということであり、この点は創価も顕正も同じである。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っていることもそうだし、そもそも新年を祝っていること自体がキリスト教に右ならえしていることになるのである。

宗教に誘導したことが敵対勢力S会の意向であり、しかも宗門側もグルであったことから、見直さなければならないものがある。
三本柱の化城である。
つまり、実際には柱は三本ではなく四本だったという意味でである。
実際には、宗教・鉄道・バイク・リクガの四要素によって構成され、その上に敵によって捏造された「自由の闘士気取り」と「宗教への隷属(強要)」が乗っかっていたわけである。
その意味で、柱が三本倒れても最後の極太の一本である「宗教」が残っていたというのが正解であって、三本の柱が倒れた時点で「自由の闘士気取り」も崩壊はしていたが、最後の一要素である「宗教への隷属」が残っていたので完全な崩壊とは言えなかったのである。
しかし、そのことに気づかれてしまうと全要素が崩壊して都合が悪くなるので、その最後の一本にはなかなか手を出させようとしなかったということである。つまり、宗教こそが敵による精神誘導のまさしく「大黒柱」であったということになる。
しかし、真実の追究によって他の柱と外壁が次々に倒され、その宗教についても「聖域なき見直し」の対象となって、決別という結論になり、化城はあっけなく崩壊したのである。

化城崩壊直前、私は鉄道趣味の非合法化をほぼ決断し、売れる物を始末しようとしていて、太鼓持ちの振りをしていた問題の役員に協力の話を持ちかけた。(先の暴言の役員)
しかし、この役員は応じなかった。
何故か?それは、どこかから情報が行っていて、協力するなという命令が出ていたからである。
つまり、「鉄道」を放り出すことは化城の崩壊につながるので、この売却を察知した敵対勢力から話が行って、「N(私のこと)が協力を要請してくるが、協力するな」という命令が上位の役員から下っていたのである。
つまり、問題の役員に直接命令を下したのは他ならぬ法華講だということである。
やはり、これらは利権によってつながっていたということである。
宗門とS会と医療利権は、派閥の違いこそあれまさしくその全てが支配勢力側であり、相互の利益になることであれば、手を結ぶことがあるということである。
そもそもが現在の宗門トップとS会の最高幹部同士が旧知の仲でもあり、完全な決別はあり得ないということである。
宗門・創価・顕正等は、実際には一体であり、支配勢力の命でそれぞれが与えられた役を演じているだけの話なのである。
なお、本山任務者の工作員の男が「敵」という一連の表現に激しく激昂したのは、一に自分たちが敵と看做されていることが気に入らないこと、二に実際にグルであり、そこを突かれたと思ったことで激しく狼狽したことによる。つまり、この「敵」という言葉に激昂したことで、宗門側もグルであることがバレてしまったのである。自覚が無ければ「敵」という言葉に反応する必要は無いからである。

今般の身辺整理は、その先にあるもの―この忌まわしき11年間を清算することにつながる重要な意義を持つものである。
この忌まわしき辺境の地に幽閉された11年間と、宗教によって雁字搦めにされた11年間は大体重なっているものでもあり、またこの地に誘導されたこと自体が誘導した宗教に最適化するために敵が意図した環境整備だった。
そのことから謂って、この薄汚い辺境の地から出来るだけ早く脱出して新天地を求めることこそがこの忌まわしき日々を清算する事になるのである。