敵宗門一味による奴隷化策動について検証する

先の記事で述べた通り、我が一家が失地回復や生活再生の絶好機を迎えたり資金を蓄えようとしたり、或いは敵が仕組んだ化城が破られたりする度々に大きな事件が惹起して悉く潰されてきているという史実が存在する。本記事に於いてはこれら奴隷化策動による大きな事件について検証していく。

小生が敵宗門に隷属させられていたのは約11年間であるが、奴隷化策動はそのはるか以前から行われていた。つまり前振りがあったということだ。敵宗門に隷属させられる以前はいかようにして行われたかというと、その主たるものは運命操作と貧困化策動、そして学歴や資格の阻害である。そしてこれらは今日にまで亘っているのである。
つまりこの策動には遠隔操作によるものと人間によるものの両方が含まれているのだ。

ここではこれら奴隷化のために行われたところのいわゆる「潰し策動」の数々について時系列順に追って検証する。

主な事件
復員妨害事件(復員潰し)
ラ・チーカ事件(貯金潰し)
上記に続く風俗地獄事件(同)
鉄道趣味の焚きつけによるスピン事件(真実追究潰し)
石之坊への引きずり込みに絡むハタカセ事件(経済潰し)
バイク戦争犯罪(移住潰しが目的のハタカセ策動)
冤罪未遂事件(生活再生潰し、及び新たな化城への誘導目的)
店内での店員や客による嫌がらせ事件(再度の生活再生潰し・潰しは未遂に終わる)

復員妨害事件

これは、クズ元の関係者どもが、クズ元が身罷った際に直ちに復員するという道を妨害して復員を遅らせたうえ恩着せがましく罵ってきた事件である
これは、吾輩が直ちに復員することで本土との縁が復活するのを妨げることが狙いで、狐女による仄めかし犯罪の助長にも使われた

ラ・チーカ事件

この事件は記事「ジャーヒリーヤ」でも触れたが、吾輩の未来に向けた貯金の妨害とあらぬ方向に仕向けることが主眼として惹き起こされた事件でありそのスピンは次の風俗地獄事件とのセットで達成されるとした事件である

上記に続く風俗地獄事件

上記「ラ・チーカ事件」を吾輩が無理にでも収束させたところに惹起した事件で、この事件により費用として温存するべきか徹底してハタカサレて底辺にまで貶められることとなった事件である
この事件は敵宗門一味による洗脳犯罪の代表的なもので、そのことに気付いたのは後年のことである
この事件によって金員を徹底してハタカサれ、この時点で希望は潰えていたともいえる
こちらについても記事「ジャーヒリーヤ」で触れている

鉄道趣味の焚きつけによるスピン事件

これは2000年頃に我が一家がインターネットに漸くありついたことから真実からのスピンのために惹き起こされた事件である(以下は「ジャーヒリーヤ」未収録)
当時はどうでもよくなっていたはずの忌々しいヲタ趣味を焚き付けられたもので、人工透析に貶める為の事件群の一であった

石之坊への引きずり込みに絡むハタカセ事件

敵宗門は今から約18年前の2003年に悪逆非道なやり口で必要のない趣味ごとに駆り出しその道中に狙い撃ちする形で工作員を刺客として差し金を向けて入信するように誘導しやがった。この時の工作員が石之坊にいた故・岩下容疑者である。また、山崎・元講頭(正死不明、身罷った?)が裏で指示していたともいわれる

バイク戦争犯罪

これは門外漢女が圧殺を装うことで事件のスピンが行われたものだ
その時の有名過ぎる弄言が「バイクは正法じゃない」であり敵宗門の歪んだ体質を如実に示すものとなっている
後年二度に亘ってバイク戦争犯罪が惹起され、門外漢女が事件に繋がる燻りを発生させた元凶とされる
今日、この門外漢女はネットに姿を現しておらずまた役職からも解任され行方知れずである

冤罪未遂事件

これは脱退直後の2015年4月頃に惹き起こされたものであり、引き戻して再洗脳し総てをうやむやにすることが目的の事件であるが、未だ未解決事件となっている
その結果として現地人との交際・交流は今日まで総て厳禁とされる
この事件は薄汚い辺境の地に吾輩を押し込めておくための事件であるとされ本会では懸賞金案件にまで発展している
事件から8年、輩が今でも売れ残っていることを願わんばかりだ
この事件を契機として一家では護身用機材の携行が義務付けられている

店内での店員や客による嫌がらせ事件

この事件は2020年4月、我が一家が再出発を図るべく債務整理に着手したことに逆上した敵宗門一味によって惹き起こされ一部店員がグルであるとされた
事件から2年ほど問題の店は利用されず、その間にグル店員をクビにしたようだが事件が終わった訳ではなく今も燻っている
事件を惹き起こした者の一は法華講員であるとも言われ、引き戻しがままならない敵宗門によって惹き起こされたことが明らかである
我が一家は逆転を果たすその日までこの事件を忘れることは無いであろう!

以上に共通するのは、吾輩を何としても押し込めたまま、透析利権の奴隷としておくことが事件の目的であり敵宗門と透析利権の利害に直結しているということだ
このことから、薄汚い辺境の地からの脱出は一家の最大命題であり同時に透析からの脱出が同じく最大の命題であるということになる

我が一家では、以下の事項を絶対遵守の附註を付した上で絶対律としている
1.透析関係者との交際、交流の絶対禁止。ネット上で見かけたらブロックすること
2.人工透析からの脱出は絶対である故、脱出のためなら如何なる労苦も厭わない
3.今後の失地回復において絶対事項でない事項も含めた総てが達成されない限り某ヲタ趣味の復興はない
4.薄汚い辺境の地からは2026年春までに絶対に脱出すること。脱出後については一家が指定するものとしこれに逆らうことはできない

足元に転がる儚い夢にどうか躓かないように!

新たなスタート

我が一家は、これまで25年に亘った失地回復プロジェクトを根本から見直し、心機一転1からの再出発を決議、2023年5月9日より全く新しいプロジェクトの下新たなスタートを切った
まずは未来に向けての蓄積と整備を行うこととして既にそれは始まっている
最低限の機材として動画も収められるカメラと移動の足たる原付車(二種)の整備を行う
また、作品を形にする為の最低限の楽器の導入を予定する
また、近く現在の物件は取り壊しのため立ち退きとなる見通しであり移転が予定されている
年内は、現有のカメラ機材が修理期間を過ぎており壊れたら終わりの状態である為、その更新を行い先述の楽器導入も行う
以前の記事でも述べたように時間が経ちすぎていて絶望的な事項については新たな失地回復プロジェクトからは外しているが、一家で非合法化したヲタ趣味についてはその事項も含めた完全な失地回復が実現しない限りは決して再認可はしないとしている
新たな失地回復プロジェクトは第一次五カ年計画の単一プログラムとして計画しており、2028年春までの全項目実現を目指している
その内容は一部を除いて非公開としており、敵一味宗創医連合の妨害を防ぐ目的がある
2026年春には薄汚い辺境の地からの脱出をいよいよ実現させる計画としており、2024年の移転はあくまで暫定でしかない
また、辺境からの脱出を前に透析からは脱出を計ることとしており、それに伴い医療女からの交際行為及び交際類似行為は全蹴り、シャットアウトとする
原付き車の復活は2024年の夏前を一応予定する

過去の軌跡については一応の総括が必要であり、その一環として青ブログのほうで写真特集を組むこととしそれは既に始まっている
用いている画像の殆どは2015年に敵宗門から脱退後に撮影したものであり、如何に敵宗門が史実からのスピンに執心していたかが窺える
吾輩が敵宗門一味の謀略によって現在の忌々しい薄汚い辺境の地に誘導されたのは2005年春のことである
その経緯も最早数奇を飛び越えており謀略の産物でしかないことが窺える
脱退後に於いても敵宗門一味の激しい妨害により薄汚い辺境の地からの脱出は未だ道半ばとなっている
1990年代終盤には既に「薄汚い辺境の地で人工透析に貶める」ことを奴等は決定していたものと見られ、その前段階としてのあまりにも激しい振り回し策動の跡が史実には残る
その90年代半ばからの勤務先でさえ奴らにとってはその都合に真っ向から逆らうものであった故に、凄まじい妨害とスピンによって追い落とされていたのであった
そのことによる悪しき結果の全ては我が一家にとっては到底受け入れられないものであり、否定対象である
また、その後の真実追及で「男は31、女は24まで」という絶対的真理が明らかになっているが、その大切な時期を棒に振らせておいて永遠に煽り続けるという敵宗門一味の邪悪な謀略の産物があの忌々しい風俗地獄であったのだ
そしてその後も敵宗門一味は一貫して吾輩が、我が一家がこの絶対的真理に決して到達できないようにあの忌々しい趣味ごとによるスピンを徹底していたことが明らかになっている
それだけではない、スピン徹底の為の邪悪過ぎる謀略がもう一つあった、それが三本柱の化城と呼ばれる幻想の産物だったのである
そこで敵宗門一味の繰り出した邪悪過ぎる幻想それが陸蛾と呼ばれる者どもである
それは決して到達できないように敵にとって都合よく脚色されたものであり、関わった輩ども全てはグルだったのである
ラ・チーカ事件、風俗地獄、その後の三本柱の化城、そして都内での安定居住の妨害更に人工透析に貶める策謀は全て敵宗門一味の謀略であり一つの謀略に含まれるとするべきものである

今、我が一家はそれら過去の地獄から決別して新たな道に進むべきなのであるが、決して忘却してはならない過去がそこにはあるのである
今度こそ全ての目標を必ず達成して失地回復を果たすことが我が一家に属し今後属する者総てに課せられた義務なのである
その為には過去の教訓が必ず必要なのであって敵対者どもは決して許してはならないのである

不倶戴天の敵が…

先日、筆者が信頼する動画チャンネルにおいて不倶戴天の敵・龍神ひろし(齋藤英通)が石之坊支部の役員を降ろされたことが明かされた。そのため本会としても調査をしたところ龍神のみならず同じく我が一家にとって不倶戴天の敵である通称・門外漢女も会計から降りていたことが判明している。

前回記事でも指摘したように前住職山根にとっては筆者に対する謀略の功労者であっても新住職の齋藤道愉にとっては石之坊支部のイメージダウンにつながり広布(笑)の妨げになっている問題児と見做されたということだろう。
さらに驚いたのが、前回2016年認証時には合計6名いた法華講役員が何と!たったの3人になっていることである。
これはどういうことか?吾輩が推測するに、真実が暴かれるにつれ脱退者が増えて止まらないということと、偽枠で身罷っている可能性もあることだ。
嘗ての不倶戴天の敵であり、石之坊における謀略の最大の功労者〔敵にとって〕であった門外漢女の名前がないことの理由もそこにあるのだろうか。
なお龍神に関してはTwitterが更新されており、役員は降りたものの未だ健在であり法華講にも留まっているようである(2023年6月現在)。

石之坊では2021年新年早々に前住職の山根が住職を免じられており、新住職として富士学林の教授でもある齋藤道愉が着任している。
この人事が発せられたのが2022年4月28日であることから着任から1年が経過しており、場当たり的な人事ではないことも窺える。
このことから今後龍神が再び役員に任ぜられる可能性は限りなく低いと思われる。
門外漢女についての退任後の動向は不明であるが、元からネットにはその姿が見えず、以下の事項は推測に過ぎない。
ネットでも悪評のあるこの人物を同じく新住職齋藤道愉が同じように問題視した可能性は十分にある。元から輩は女尊男卑のヘルミサンドリスト、ツイフェミ根性の銭ゲバプリンクズ女であり講内でも問題を起こしていた可能性は否定できない。
いくら山根時代に謀略の功労者であっても新住職には関係がなく、またあっさりと両名が降ろされたことからこの人事については宗務院も容認しているか、或いは悪評が止まらないことから宗務院として両名を降ろさせることで事態の幕引きを謀った可能性がある。
前回認証時に講頭に任ぜられ今回も引き続き講頭に任じられている秋山という輩は石の湯事件では山崎側についた輩であるが、筆者に対する謀略への関与はないか、あっても軽いものに過ぎないのだろう。そもそも秋山も門外漢女とともに山崎側についていたのだが、事後に反目でもあったのか?


動向の不明な門外漢女(2005年当時)

阿呆悦院の動向

同時に取り寄せた資料から、同じく不倶戴天の敵である阿呆悦院の人事(2022年5月当時)が判明し、ほぼ前回判明時のメンツが引き続き任じられていることが判明している。
こちらは相変わらずの老老人事であり、後継者の育たないさまが迸っている。
2020年の事件以降、阿呆悦院の関係者が表に出てくることはほぼ無く、接触すれば引き戻しどころか逆にミイラ取りがミイラになる、つまり脱退に繋がることを恐れているということであろう。しかし法華講信者にはコロナ脳が多いといわれており、マスクをいいことにあらぬ所業に出る可能性は決して低くない。然るべき地への帰還にはいましばらく時間がかかることもあり、また阿呆悦院の状況には不明な部分も多く、引き続き警戒が必要な状況である。

6・14言論弾圧事件から8年が経過

忌まわしきあの6・14弾圧事件から今日で8年が経過した。
この事件は2015年6月14日夕方に、石之坊・法悦院の両寺院の男子部の者による押しかけ事件、ついで石之坊講員による脅迫事件が発生し、その影響により、不正追及のためのブログを一時閉鎖させられた事件である。


(写真)弾圧の様子を映した本会監視カメラより

事件発生当時吾輩は同年1月10日に脱退を宣言、その後宗務院による悪辣な誘導、法道院の非常に不誠実な対応、敵宗門一味が手を回したと思われる冤罪未遂事件などに見舞われつつ脱退闘争を戦っていた最中であった。男子部の者に徒党を組ませて押しかけ脅迫で引き戻そうなどという行為は、敵宗門が創価学会同様の悪辣な反日カルトである証左である。
その後もこの一件は紛糾していたが、そんな最中に最後に隷属させられていた寺院における、離間工作の発覚という事案が生じた。しかし、調査の結果離間工作をやっていたのはこの寺院の幹部であり、更にこの発覚は敵側がその行為者を偽り何としても宗門に引き戻さんとして起こした意図的発覚であると判明したことにより同年9月22日、1月10日に宣言していた敵宗門・日蓮正宗からの脱退を確定とする裁決を下し、同時にあらゆる種類のあらゆる宗派を禁制としたのである。
なお引き戻し策動に絡んだ押しかけはその後も2018年まで続き、今も有形無形大小の策動が打ち続いている。

以下は2018年まで続いた引き戻しを目的とした襲撃の様子である。


2016年8月16日 スキンヘッドだが、山根とは微妙に違う。宗務院僧?


2016年10月9日 若い。阿呆悦院の新参講員?


2016年12月15日 山根っぽく見えなくもないが…?


2018年6月27日 阿呆悦院のBBA講員と思しき。

2020年には敵宗門工作員による、生活再生の出鼻を挫くことが目的と思われる事件が発生しているが、2015年に惹起した冤罪未遂事件も同様に生活再生の出鼻を挫き勘違いを誘発し底辺に押し込め続け引き戻しに資する為に惹き起こされた事件だった訳である。しかしその目的は「その時点では」果たせず。戦後処理は恙なく終了している。しかしこれに逆上した敵宗門一味が第二次バイク戦争犯罪を惹き起こし、その影響で失地回復計画は遅れに遅れている。なぜ奴等はそこまでして失地回復の足を引っ張ろうとするのか?それは脱退者がこれ見よがしに幸福になられては困るからである。つまり脱退妨害のための妨害である。信者の更なる脱退を妨害するためのだ。そしてこれにはもう一つ理由がある。透析利権の命である。精神的プレッシャーをかけ続けることによる間接的ラベリングの目的があるのだ。日本女の真実に気付くのを妨害したのと同じく、楽にさせない為の策動なのであり「カネヅル」を逃させない為の策動なのである。だが、そうは問屋が卸すまい。

現在一家は新しい失地回復プロジェクトが5月にスタートしており、そのスタートアップのさ中にある。
結局現在の状況で従前の内容を保持し続けるのには無理があった。その為これまでのものは捨て置いて損切りとし、主に経済的回復と薄汚い辺境の地からの脱出、そして豊かな余生を実現することを目的としている。だが敵宗門一味はそれをも潰しに来ているのが目に見えて明らかであり、この執拗さはカルト教団そのものであるといえる。だからカルト教団は無慈悲に叩き潰さないといけないのだ。

追記
6・14弾圧事件で主導的な役割を果たした齋藤英通が石之坊の役員を下ろされたという情報が出ている。
恐らくは石之坊新住職・齋藤道愉が齋藤英通を問題視したのであろう。前住職の山根にとっては謀略の功労者であっても、山根より地位の高い齋藤新住職にとっては問題児と見做されたのであろう。この件については確定情報を入手し次第記事にする予定である。
なお、齋藤英通は敵宗門には未だ留まっている模様である。

ジャーヒリーヤ

これまで敵宗門一味は隷属させていた時期においても脱退後においても一貫して吾輩の失地回復を執拗に妨害し続けている。既に敵宗門から脱退して8年が経過しており、最早引き戻せる可能性は潰えていると考えるのが一般的とは思う。それにもかかわらずである。
今回は失地回復闘争25周年の年に当たることを踏まえ、失地回復闘争の開始前に惹起し、我が一家に致命的ともいえる痛手を与えた事件群について述べる。

1988年に斃死した通称クズ元・母親には非ざる邪悪な猶太人が学会員であったこと、奴と取り巻きとの勝手な意向で島流しが行われたことは前にも述べたと思う。その絶海の孤島でクズ元含む敵一味に引き合わされた史上最悪級の日本女があった。本会ウェブ上では狐女の通称名で扱っている、同学年だった女である。何度かシングスピールウェブ上で扱っているが、入学して程なく敵側に寝返っている。その後吾輩の卒業に伴う本土復員に際してわざわざ!!復員の船便のそばまで見送り?に来ているのが怪しい。恐らく意図的に勘違いをさせる為だろう!!そこから約3年経って同窓会が行われているが、これに参加したことがそもそもの間違いでもある。そこに狐女は現れた。通称・新宿事件の惹起である。そしてわざわざ!!声をかけてきやがったのだ。その気がないのなら声かけて来んなということだ。最終的にはこの時の罪状により一家は永代追放を言い渡している。

気付くのが遅すぎるのだが、この事件はその後に続発した重大事犯の下敷きになっている。瀬戸事件、ラ・チーカ事件、そしてこれらに続く風俗地獄事件である。これらによって吾輩は精神的にも経済的にも疲弊させられすべてを失わされる羽目にまでなっている。そのことからも新宿事件は狐女の単独犯たり得ず、思考操作・遠隔洗脳も込みの敵一味ぐるみの事件と見做されている。なぜここで狐女が出てくるのか?それは、敵一味宗創医連合と狐女の間に密約があった可能性が浮上していることにある。敵一味が狐女を攻撃の対象としない代わりに吾輩に手を出さない密約を結び、見返りに吾輩が他の女と結ばれることのないように取り計らったのではないかということである。更に敵一味が狐女をカネで篭絡していたであろうことも容易に想像できる。如何にも敵宗門一味のやりそうなことである。つまり吾輩は奴等の身勝手な意向の為に人生の一大事からは遠ざけられ、狐女に「キープ」されたという可能性である。最近の疑惑浮上である故まだ確定的とはしていないものの、他に合点のいく推定が見出せず、専らの推定となっている。勿論一家としてこの「キープ」は断じて認められるものではなく。また狐女自体が既に追放となっていることから万が一の際は命に代えても奴の身勝手なキープをぶっ潰す。薄汚い辺境の地への誘導においてその目的の一に吾輩を然るべき縁から徹底的に遠ざけることが目的に入っていると見られており。実際にこの辺境に縁などがあるはずもなく屈辱的な境涯にまでつながっていることから薄汚い辺境の地からの脱出と然るべき地への帰還は我が一家の果たすべき義務となっている。いずれにせよ吾輩が部分的にでも失地回復を果たすことは敵宗門一味と狐女の間に結ばれているとみられる密約の破綻を意味するということになる。
よって狐女に復讐することは敵宗門一味への復讐にもなる。つまり本年の目標を完全達成して生活再生と然るべき地への帰還を果たすことは即ち密約の破綻をも意味する復讐の一環ということになる。

ここでは、ジャーヒリーヤ時代に惹き起こされ、我が一家に大きな痛手を経済的にも精神的にも負わされることとなった事件群を各個別に解説する。

新宿事件

新宿事件とは、1992年に惹起し、吾輩に重大な精神的痛手と悪しき影響を及ぼすことが目的で惹き起こされた交際類似事件である。

時は1992年になっていた。
結局筆者は復員以来わずか3年の間に4つの職業を転々とすることとなっていた。
そのうちの一つはあくまで臨時であり、つなぎではある。
しかし、宅配便のアルバイトは当時としては長く続いていたほうであった。

1990年秋に宅配便のアルバイトとなって、2年目のシーズンに入っていた。
前年秋に学会が日蓮正宗より破門され、正法とは無関係の団体となっていたがこの時すでに学会を離れてから年月が経過しており、知る由もなかった。

1992年に入り、高校のクラス会が企画され、参加させられることとなった。
恐らく同年2月11日のことであったと記憶している。
このクラス会に、渦中の元女子生徒がやってきたのだ。
この女子生徒が、その気もないのにやおら筆者の下に寄って来て話しかけてきたのである。
しかも話は長々と続いたのである。
これは、筆者にとって想定外であった。
しかし、この女子生徒は一次会だけで帰ってしまった。
今書けることは、これで精いっぱいである。
いったい何のつもりだったのか。
いずれにしてもこの元女子生徒、筆者と交際する気などは毛頭なかったのである。
そのくせしてみだりに筆者に近づいてくるというのはあり得ない話である。
しかし、敵はここで印象操作を行いその不審さを掻き消し筆者を幻想の罠にはめてしまったのである。
これを新宿事変という。

この一件は、敵に大いに利用されることとなり、人的ガスライティングのネタにもなっていた。
当時筆者の側近とされていた男が、実はグルだったのであった。(但し当時までは学会員ではなかった)

なお、新宿事変に対しては一度処分の見直しが行われている。理由は、事件に対する精査が不十分だったことによる。
しかし、あらぬ誑惑であったことに違いは無く、改めて精査を行い結局復権の可能性のない永代追放の処分を改めて下す結果となっている。
島人そのものが排除対象であることもあって、いずれにしてもその関係の復活は今後あり得ないという見解である。
新宿事変から既に30年が経つが、この女子生徒を含めた女子全員はこれ以後一度も訪ねてくることは無くまた連絡も一切ない。

瀬戸事件

瀬戸事件とは、1993~94年に惹起し、通称・保母失格女と現場上長などの謀略で吾輩が重傷を負わされた挙句不当に会社を追われることとなった事件である。

吾輩はそれまで勤めていた宅配会社を辞め、都内のとあるタクシー会社に就職することになる。
この就職したタクシー会社の養成で普通二種免許を取得した筆者は、池袋にある(現存せず)営業所に配属されたが、後から一人の女が入ってきた。
この女がとんでもない女で、社内の評判も散々であったがよりによってこういう女に限って筆者に近づいてくる。
しかしながら、この女が突如筆者を裏切り、これがきっかけで苛烈なガスライティングに遭うこととなった。いや、最初から敵側だったんだろう。
この女(瀬戸容疑者)は、営業所の所長(当時)に囲い込まれ、筆者を裏切ったものであった。
テクノロジー犯罪による洗脳の影響も大きく、そのせいで成績を上げてもなお認めてもらえず、いつまでも試雇用のままであった。
これは、先述の所長による策略であり、本採用にする気など毛頭なかったのである。
簡単に言うと、策略にはめて辞めさせるつもりであったということになる。

この頃からしばしば疲れやすくなり、すぐに眠くなってしまい勤務中に眠ってしまうこともしばしばであった。
それは、恐らくテクノロジー犯罪による強制睡眠であった。
無論それだけでは成り立つものではなく、他の社員にはしないような苛烈な煽りを浴びせて精神的に追い詰めるということまで行われていたのだ。これは人的ガスライティングと遠隔操作による複合的な手口の事件ということができる。

そんな状態で迎えた1994年7月、筆者は強制睡眠によって前のトラックに突っ込んでしまい重傷を負った。
一歩間違えば殺されるところであったのだ。
相手方はトラックということもあって無事でありトラックも小さいダメージで済んだ。
恐らく、敵はここで筆者を殺害することにしたのだろう。
敵宗門一味の連中は、何のためらいも無く与えられたターゲットを虐げることに血道を上げ、自殺するまで追い詰めて自殺しなければ殺してしまうような腐りきった連中なのである。

筆者は、世田谷の病院に1か月の入院を余儀なくされた。
会社に置いてあった自分のクルマは、父に引き上げてもらった。
退院したのは、確か8月の中旬のことであったと記憶している。
この事故によって、筆者は経済的にも追い詰められ、信用に大きな傷がつくこととなってしまった。
これも、敵の策謀どおりである。

奇跡的に一命をとりとめ、生還した筆者を待っていたのは非情な通告であった。
何度か会社に顔を出していたのだが、8月の末に筆者を待っていたのは不当解雇であった。
こうして筆者は失意のうちにこの会社を去ることとなった。
これら一連の事件を、「瀬戸事件」という。
本件は、敵のアナログな根回しによる人的ガスライティングとテクノロジー犯罪の併用によって初めて成り立つ、複合型の事件である。

なお、後年の調査によってこの「保母失格女」の一家が日有系の大型カルト教団の信者であることが明らかにされている。つまり最初から工作員だったのだ。

ラ・チーカ事件

ラ・チーカ事件とは、1995年に惹起し吾輩のライフプランを崩壊させ後にその生活基盤を崩壊させる為に惹き起こされた交際類似事件である。
1994年9月。
筆者は、前の職場を不当に追われたのち、実家にほど近い同じ業種の会社に再就職を果たす。
次の事件は、明くる1995年になって惹き起こされた。
その後、懸命の努力で生活を立て直し、さぁこれからという時に再び事件が惹起する。
某量販店からの帰り。駐車場に向かおうとする吾輩を一人の工作員が待ち構えていた。それは、比国人の見知らぬ女で、フィリピンパブの輩であった。
女は、かなり強引に吾輩の腕をひっつかみ、何度断っても腕を放そうともせず、結局店に引きずり込まれてしまったのであった。
それは、かつてないほどの、凡そ当時では考えられないほどの強引なやり口だった。なお、今日ではこのようなやり方は法律、条令によって厳しく処罰されることになる。
件の店は、違法なフィリピンパブであった。しかも、料金が異常に高く、その日だけで蓄えを使い切らされてしまったのであった。カードは、瀬戸事件の時にNGとなってしまっていた。
しかも、「もうお金がない。カードもない」といっても延長を迫られる始末であった。そのことからもこの事件は吾輩の金員を徹底的にハタカセて、なおかつ不満を意図的に募らさせて更なるハタカセと性的搾取に繋げるために惹き起こされた事件であり、これ単独で論じることは不適当であるがこの事件がなければその後の運命が違うものになっていたであろうことは間違いなく、我が一家にとってはあってはならなかった極めて不幸な事件であるといえる。

ラ・チーカ事件における実行犯の女は、それまでに例を見ない強引さで筆者を引きずり込み、金を巻き上げていった。
この件は、長らくBMI犯罪によるものと思われていたが、現在では敵一味宗創医連合に加えこの店側も実はグルだったというのが専らの見解になる。
何度断ってもしつこく絡んできて、腕を離そうとしない強引な手段はBMI犯罪だけでは説明が付かない。つまり、敵対勢力の根回しが予め成されており、筆者の行動を何らかの手段で追跡していた敵側が、私があの場所に来たことを店側に教えたのではないか。それで件の女が遣わされて店に引きずり込んだという訳である。それだけでなく、問題の女も工作員であり、目的達成の為に徹底した訓練を積まれており敵宗門かそれに近いカルト教団に忠誠を誓った輩であったというのが専らの推定になる。この点においては、瀬戸事件の通称・保母失格女もカルト員であることが判明しており、同様に徹底した訓練を積まれていてそれを隠蔽する為にバカな振りをしていた門外漢女型の工作員ではないかという見方が最近では有力である。

当方も断固として突っぱねるつもりでいたのだが、気が付いたら引きずり込まれていた。
敵の連中の脳裏には、恐らく高校進学時の誘導が失敗に終わったことが苦い記憶として残っていたものと推定され、それが力づくで引きずり込むという強引な手口となって現れたものと思われる。

1990年代も半ばになると、精神的にかなり破壊された状態となっていたので、このような手口に対応できなかったのであった。
また、パートナー不在の状況の長期化のみならず、ほぼ孤立した状況となったことも敵にとっては交際事犯をやりやすくなっていたのであろう。
ラ・チーカ事件は、典型的な交際類似行為である。後の複数の事件でも、この交際事犯型のハラスメントが行われることとなる。

その後もしつこく件の女に絡まれ、何とか振り切るまでに半年以上を要してしまった。
ただお金を使わされるだけだということに気づいて、必死の思いで振り切った。
しかし、敵はそこに落とし穴を用意していたのであった。
振り切ったはいいが、敵対勢力は別の策略を用意していたのであった。

風俗地獄事件

風俗地獄事件とは、ラ・チーカ事件終息後の1995年~98年頃(終息時期は推定)に惹き起こされた、思考操作・遠隔洗脳によって異常なほどの金員を風俗によってハタカサレた事件である。
敵は、筆者がまともに結婚できないようにすることに執念を燃やしていた。
また、この断絶を機に再び復活[大学への進学や大資格の取得]を再び目指すような事態だけは何としても避けたかったに違いない。それが証拠に、敵一味宗創医連合による極めて破壊的で悪逆な策動は今日に至るまでとどまることなく続けられ、何かをやろうとすると事件を起こしたりハタカセ策動を捩じ込んだりして徹底的に押さえ込むという極めて悪逆なやり口が続いている。
そのために用意した誘導先が、風俗地獄であった。
この誘導は、風俗というものに興味を向けさせて情報誌を何度も繰り返し読ませて(手に取らせて)刷り込むという、後年の機材破壊策動でも用いられた手口が使われている。
そして筆者は池袋にある、ある個室付浴場へ誘導されたのであった。だが、この時はうまく機能せず、もうやめようと思ったものだ。

しかし、それでは困る敵一味宗創医連合は、これでもかというくらいしつこい誘導で吾輩をつなぎとめた。
しかして、当該の風俗嬢もまた、敵側に与する人間だったのである。
筆者は毎月のように個室付浴場に通わされるようになる始末であった。
これには、別の目的があった。
それは、男性としての自信を完膚なきまでに喪失させてしまうことと、まともな異性交際に目を向けさせないようにすること、そして身近な縁に近づかせないようにする事であった。
何故なら、風俗通いほど女性に忌避されるものは無いからである。
実際、後には「風俗に行けばいくほど身近な縁が遠ざかっていく」と考えるようになり、そのことが最終的に風俗通いをしなくなるようになってそれで身近な縁を呼び込んだともいえるからである。
毎月のように通いながらいざとなるとまともに機能しない始末で、後年の回復から云っても今日においては明らかに身体操作によって性機能を低下させられたものであると断言できる。
いったいどこまで根性が腐っているのか。
風俗地獄は、その後の経済的凋落もあり1998年頃には終息したが、すでにこの時点で500万を超える金員をハタカサレるという凄惨な戦争犯罪となった。
この風俗地獄では、多いときには月に10万も使わされるなど、当時の年令では人より稼いでいたであろうその実入りを徹底的にはたかされるのに利用されることとなった。
それは、徹底的にはたかせることで貯蓄をさせないこと、それと同時に徹底的に煽り続ける為のネタを温存し続け、そして考える余裕を与えずにさらに負のスパイラルに陥らせ以って将来的に吾輩を社会的に抹殺する目的で行われたのである。

もしこのお金が残っていれば…。
少なくとも、今日の状況のように貶められることは無かったであろう。
まさしく演出型ハラスメントである。

また、ラ・チーカ事件、及びこの風俗地獄の惹き起こされた時期は吾輩にとって人生の一大事を決め種の存続に関わるべき時期でもあったのだが、それを悉く潰して押し流し、屈辱の境涯に押し込める為の薄汚い謀略事件であったのだ。

箱物へのスピン策動

瀬戸事件、ラ・チーカ事件の後、交際問題からのスピンの為にそれを住宅問題にすり替えられて殊更にハタカサれた事件(不祥事)をこのように総称する。
ここでは、所謂三バカのうちジャーヒリーヤ時代に惹き起こされた分について簡単に述べる。
ラ・チーカ事件の後、吾輩は実家からの独立問題に直面していた。当初吾輩は当時の職場からさほど遠くない、埼玉でも東京に近い地域への移住を提案していた。勿論経済的な制約から実家ごと移転する前提であった。何故か?単身での入居が当時はできなかったからである。しかしそれでは都合の悪い奴等がそこで拘らせるように洗脳操作で捩じ込んだネタが「公団住宅」である。公団住宅は、物件ごとに最低月収額が規定されていてそれ以下だと入ることができない半面、保証人が不要というメリットがあった。敵が誘導した物件は、東京から40キロも離れたところにある7万円超という高額物件であった。今にしてみれば、それに何の意味があるのか?と必ずストップが入るところだが、ストップされてはハタカセられないので「踏みとどまることを押し止めた」のである。その結果が職場から1時間半、40キロも離れた7万もの割高物件だったのだ。後に現実的として移ったのが距離こそ似たようなものだが4万の物件だったから、いかに高いかが窺える。ではどうすればよかったのか?精々4~5万程度で職場から近い民間の物件に住めばよかったのである。だが、それだとハタカセられないので思考操作・遠隔洗脳で捻じ曲げたということだ。然るべき家賃を5万程度と見積もっても、差額だけで凡そ70万円にもなる。この70万円だけでもあれば、その後の人生は違うものになっていたであろう。どちらにしても、どちらの物件も東京からは遠すぎた。勿論現在押し込められている薄汚い辺境の地にしても同じことだ。東京から50分は、十分に遠いといえるものだ。保証人不要のメリットですら当時では必要のない代物であり、敵宗門一味の離団政策の代物と断ずるべきものだ。ラ・チーカ事件、風俗地獄によるハタカセ額と合わせると少なくて600万にもなったと見積もられており、改めて敵一味宗創医連合の邪悪さが浮き彫りになっている。その他にも不当なハタカセが行われており総額は800万にも達すると見積もられている。結局経済的に窮したことで実家に戻ることとなり、ジャーヒリーヤ時代は終わりを迎えたがその傷跡は今日に至るまで暗い影を落としているといわざるを得ない。

総括

もし誰か身近な人がいて助言があれば、間違いなく引き止めが入って止めさせてくれたことであろう。
それをさせないための「離断政策」の強要であり、風俗地獄に引きずり込むことは彼の「新宿事変」の時に既に予定されており敵にとっては既定路線だったのである。
そして、離団政策の為に仕組んだのが「縁なき辺境への隔離」ということになる。後の「薄汚い辺境の地」のことも含め、現在では三バカと謂われている。
東京で生まれ育った吾輩は、何があっても東京を離れてはいけなかったのだ。

ではどうすればよかったのか。
新宿事件は、問題の同窓会の出席を断ればよかっただけの話だ。それをされては困るので敵宗門一味による思考操作がなされたというのが専らの推定である。
瀬戸事件についてはあれだけの悪評が立っていたのであるから近寄らないようにしていれば防げた。
ラ・チーカ事件については何としても強引に押し切って断れば防げた。しかし普通はあそこまでは絶対にしないであろうことから敵一味宗創医連合の命であったことが明らかである。
風俗地獄についてはうまくいかなかった時点で普通は諦める。そこには敵一味宗創医連合による遠隔操作による強力な洗脳操作があったと推測され、奴等の正体を知らなかったことが問題である。
時系列を追う毎に敵一味による操作・洗脳が酷くなっていったことが窺われ、改めて敵宗門一味の邪悪な様が浮き彫りになっている。
謂わば超毒親ともいえるクズ元が意図的に大切なことを教えずに締め付けばかりを行いその対価に汚いカネを受け取っていたことに元凶があり、改めて万死に値するといえる。

当時はネット自体が一般的なものではなく。あらゆる人間関係はアナログで繋がっていた。しかしカルト集団は異様に組織されており一人を集団で追い込んで破滅させるという悪魔的所業が既に平然と横行していた。その上当時既に亡かったクズ元が意図的に毒親としての所業を平然と働き、その対価を受け取っていた典型的カルト脳だったことは不幸であった。そしてそのクズ元がカルト宗教に阿る愚行をしでかしたことが総ての不幸の始まりであり、それがなければこれらの事件はなかったのである。

結局以前の記事にもあるように35を超えて結婚できる確率はごく僅か、針の穴を通すようなものでありそうなってしまっては最早諦めるしかないのであるが、諦められては煽ることが出来なくなってしまうので遠ざけておいて煽るという非常に邪悪な謀略を奴等は組んだということなのである。

これらの事件群総ては、人間にとって大切な人生の一大事からスピンし然るべき縁を得させないための薄汚い謀略であった。と同時に後の敵宗門隷属強要時代における異性問題煽りを惹き起こす為でもあり、当初から緻密に計画された謀略事件だったのだ。