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6・14言論弾圧事件から8年が経過

忌まわしきあの6・14弾圧事件から今日で8年が経過した。
この事件は2015年6月14日夕方に、石之坊・法悦院の両寺院の男子部の者による押しかけ事件、ついで石之坊講員による脅迫事件が発生し、その影響により、不正追及のためのブログを一時閉鎖させられた事件である。


(写真)弾圧の様子を映した本会監視カメラより

事件発生当時吾輩は同年1月10日に脱退を宣言、その後宗務院による悪辣な誘導、法道院の非常に不誠実な対応、敵宗門一味が手を回したと思われる冤罪未遂事件などに見舞われつつ脱退闘争を戦っていた最中であった。男子部の者に徒党を組ませて押しかけ脅迫で引き戻そうなどという行為は、敵宗門が創価学会同様の悪辣な反日カルトである証左である。
その後もこの一件は紛糾していたが、そんな最中に最後に隷属させられていた寺院における、離間工作の発覚という事案が生じた。しかし、調査の結果離間工作をやっていたのはこの寺院の幹部であり、更にこの発覚は敵側がその行為者を偽り何としても宗門に引き戻さんとして起こした意図的発覚であると判明したことにより同年9月22日、1月10日に宣言していた敵宗門・日蓮正宗からの脱退を確定とする裁決を下し、同時にあらゆる種類のあらゆる宗派を禁制としたのである。
なお引き戻し策動に絡んだ押しかけはその後も2018年まで続き、今も有形無形大小の策動が打ち続いている。

以下は2018年まで続いた引き戻しを目的とした襲撃の様子である。


2016年8月16日 スキンヘッドだが、山根とは微妙に違う。宗務院僧?


2016年10月9日 若い。阿呆悦院の新参講員?


2016年12月15日 山根っぽく見えなくもないが…?


2018年6月27日 阿呆悦院のBBA講員と思しき。

2020年には敵宗門工作員による、生活再生の出鼻を挫くことが目的と思われる事件が発生しているが、2015年に惹起した冤罪未遂事件も同様に生活再生の出鼻を挫き勘違いを誘発し底辺に押し込め続け引き戻しに資する為に惹き起こされた事件だった訳である。しかしその目的は「その時点では」果たせず。戦後処理は恙なく終了している。しかしこれに逆上した敵宗門一味が第二次バイク戦争犯罪を惹き起こし、その影響で失地回復計画は遅れに遅れている。なぜ奴等はそこまでして失地回復の足を引っ張ろうとするのか?それは脱退者がこれ見よがしに幸福になられては困るからである。つまり脱退妨害のための妨害である。信者の更なる脱退を妨害するためのだ。そしてこれにはもう一つ理由がある。透析利権の命である。精神的プレッシャーをかけ続けることによる間接的ラベリングの目的があるのだ。日本女の真実に気付くのを妨害したのと同じく、楽にさせない為の策動なのであり「カネヅル」を逃させない為の策動なのである。だが、そうは問屋が卸すまい。

現在一家は新しい失地回復プロジェクトが5月にスタートしており、そのスタートアップのさ中にある。
結局現在の状況で従前の内容を保持し続けるのには無理があった。その為これまでのものは捨て置いて損切りとし、主に経済的回復と薄汚い辺境の地からの脱出、そして豊かな余生を実現することを目的としている。だが敵宗門一味はそれをも潰しに来ているのが目に見えて明らかであり、この執拗さはカルト教団そのものであるといえる。だからカルト教団は無慈悲に叩き潰さないといけないのだ。

追記
6・14弾圧事件で主導的な役割を果たした齋藤英通が石之坊の役員を下ろされたという情報が出ている。
恐らくは石之坊新住職・齋藤道愉が齋藤英通を問題視したのであろう。前住職の山根にとっては謀略の功労者であっても、山根より地位の高い齋藤新住職にとっては問題児と見做されたのであろう。この件については確定情報を入手し次第記事にする予定である。
なお、齋藤英通は敵宗門には未だ留まっている模様である。

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