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改めて、門外漢女を破す

2010年4月に吾輩は石之坊から粛清された、しかし信徒除名とはならなかった
何故か?他の寺に誘導して人工透析転落まで騙し続ける必要があったに他ならない
ここでは、2004年1月に石之坊に来て以降2010年4月まで一貫して敵であり続けてきた門外漢女にかかる破折記事である
なお、輩は2016年に石之坊の幹事、会計に任じられているが2022年に罷免されて以降行方がつかめていない
悲惨な状況でなければ、逃げる必要はないだろう!
敵宗門一味は、吾輩をあの忌々しい石之坊に誘導しやがった
その時(2003年頃)には、既に薄汚い辺境の地で人工透析に貶めることを一味は決めていたのだ
なお、忌々しい岩下容疑者は早々と敵宗門に消されて姿を消した
何故か?真っ先に責められるべき輩に他ならないからだ
早々と奴が消されたことで敵宗門一味の邪悪さ、薄汚さに気付くべきだったのだが、そこで吾輩に逃げられては目的を達せられずただただ徒労に終わるだけになってしまう
そこで敵宗門一味が目をつけたのが門外漢女だったという訳だ
取り敢えず吾輩の知っている範囲での暴露とさせて貰う
門外漢女は、2004年2月7日、こともあろうか邪僧日興の命日に狙って石之坊に入って来やがった
吾輩があの忌々しい岩下ごときに誘導されてからまだ一年も経っていなかった
その後、岩下は早々に消されて姿を消した
何故か?何かあった時に真っ先に責められるのが目に見えていたからであり、真相を知る故に敵宗門一味にとってはまずいからである
その為、輩が身罷った際も簡単に知らせて来ただけという有り様だったのだ
門外漢女がしゃしゃり出てきたのは、岩下が身罷るかどうかというタイミングだった
そこから奴による、吾輩に対する人物破壊工作が行われることになる
なお、門外漢女の入信については、自らの意志でなく顕正会から派遣されてきたことが明らかである

まず奴について語っておかなければならないのは、奴は子供3人の親権をただの一人として取れずに離婚されたという事実である
まず離婚の際の親権は基本的に母親有利であり、それが取れないということは余程何かをしでかした…具体的には不倫などで一方的に有責となりその上家事放棄などが著しかったということである
そうでもなければ子供の親権をただの一人として取れない、という事態にはならない
その時点でとんでもない銭ゲバプリンクズ女ということであって決して近づいてはならない輩ということになる
しかしながら、吾輩の場合はあの忌々しいヲタ趣味によってそういった大切な真実からスピンされていた故にそんな輩でも楽に工作ができたということになる
そもそも失地回復プロジェクトの最中ということをもっと認識出来ていれば真実追及からスピンされる、ということにはならない
云うまでもなくその意識を薄めて誤魔化していたのは他ならぬ敵宗門には他ならない、奴等こそは不倶戴天の敵である
いずれにしても、少しでも真実追及が出来ていればこんな輩にしてやられることなど無かったことが悔やまれる

門外漢女による工作が著しかったのは2005年前後であるが、その最たるものが「バイクは正法じゃない」というものである
2023年の今から見ればバイクとは?交通の手段それ以上でも以下でもない
あの忌々しい日有宗教に囚われていなければ正法じゃない?それ何?で終わってしまう話なのだが。少しでも真実追及が出来ていればそこで終わった話には過ぎない。また、門外漢女がとんでもない銭ゲバプリンクズ女と知れていればそんな輩に騙されることは無かった。だから敵宗門一味は徹底してスピンして来やがったのだ。そもそも門外漢女ごときはいちザコには過ぎない。それを誤魔化し脱退を妨害する企みをした敵宗門が、敵宗門こそは第一の敵であるとバレたら終わりな故に壮大な虚偽を仕組んだことには他ならない
さて、この門外漢女がしでかしたのはバイク圧殺事件といいんです事件になる。いいんです事件とは、吾輩の機材問題に首を突っ込んで結果旧式機材に2年も苦しめられた次第である。その後門外漢女は疎遠になり、機材問題はひとまず問題の機材が粛清されたことにより一旦は終息したかに見えた。しかし、それで黙っている敵宗門ではなかったのだ
その後だが、これまた幾多の事件群に苦しめられた挙げ句縁は遠ざけられ(これは門外漢女よりは敵宗門一味の仕組んだところが大きい)、今度は遠隔洗脳による機材売却強要事件が惹起する
また、その直後に5.20事件が惹起。本来であればここで脱退するべきだったと言える。しかし、脱退妨害の為の洗脳とダブルバインドを脱せる程にはなっていなかった。
やがて門外漢女は引っ張ろうとした男には振られ入信もさせられず。その後バカマッチョを強引に引っ張っている。
その後、石之坊は山崎の勢力が対立勢力を追い落として寺院を占拠。やがてこれが遠因で第一次解放聖戦が興る。
解放聖戦の戦局はやがて石之坊にも飛び火する。かくして山崎は吾輩を口汚く罵るに至る。これにより吾輩は石之坊との対決を決意する。門外漢女と刺し違える覚悟で対決に臨んだが、当時住職の山根は門外漢女を場には来させず、輩はほぼ一方的に話を捻じ曲げ他の寺へ吾輩を飛ばす話にしやがった。本来であればもうここで脱退するべきだったと言える。しかし、それではこの先の謀略が成り立たない。だから敵宗門からの脱退はさせず、阿呆悦院に飛ばす形でものの20分で話を終わらせた。これが石之坊からの粛清事件であり、この粛清によって門外漢女との直接的な関係は終わった。なお、敵石之坊は、この直前に門外漢女を役職につける暴挙に出ている。

やがて時は流れ、吾輩は遂に敵宗門からの脱退を果たす。その後、恐るべき話が舞い込む。
敵石之坊で、門外漢女が会計兼任に、龍神ひろしが役職に新たに任命されたのだ!これこそは謀略の功という他なく、やがて時は流れて敵石之坊は住職交代の時を迎える
2021年の初っ端のことだ。住職だった山根は隠居させられ、新たに富士学林から新たな住職が送り込まれる。同じ大僧都でもこちらは富士学林教師などを歴任しており、石之坊の立て直しの為に新たに送り込まれたことが明らかである
それから一年余り、新しい住職の齋藤道愉は新人事を敢行した。ここに、石之坊の癌細胞とも言える2名、龍神と門外漢女は役職を追われたのだ!その後、龍神は未だ敵宗門には留まっているようだが門外漢女は行方知れず。今に至る。なお、龍神は婚活に失敗しているようだ。それでも脱退しないのは洗脳の深さを物語る。諦めろ!

門外漢女の行方知れずとは?詳細は知れていないものの、悲惨な末路を辿ったことだけは明らかである。今や50目前のツイフェミ根性銭ゲバプリンクズ女を誰も相手にしないのは明らかで、輩は最早詰んでいる!2010年時点でも子供(後からの子供)が病に伏しており、敵宗門への与同罪障で悲惨な末路を辿ったには違いはあるまい。前にも似たようなことを書いているが無事なら反駁してくるだろう。その余裕すらないということであり、まさに因果応報というべきである。元夫の父親に引き取られた元子息らも間もなく社会に出ることだろう。門外漢女に引き取られなかったことはただただ幸いという他ない。その後バカマッチョとの子供?詳細はわからないが、碌なことにはなっていないに決まっている。門外漢女の罪障が総てその子供に降り掛かったかの如く。

いま、敵宗門では殆どの寺で目標未達、早瀬がブチギレるほどだ
吾輩は2017年に世界でも初めて宗創プロレスを暴いた。これはその後他の追及家が追証している。敵宗門が超スーパーカルトであると広く知れた為に誰もが警戒して話に応じないのだ。
いずれにしても吾輩が奴らを許す時など皆目来ない、それどころか何千年に亘ってでも呪い殺してやる。呪殺は罪に問われない。精々少しでも罪を償うことでも考えるんだな!
脱退は諦めが肝心であり、敵宗門で幸福など掴めることはない、と知ることから始まる。
何年かかろうと、いや何千年かかろうと、敵宗門はじめ日有系4宗派だけは絶対に滅ぼさなければならんのだ
また、他に石之坊で謀略に関わった徒輩どもは悉くその罪障が降りかかってくるのは間違いないのだ、それは最早懺悔などでは済まされようはずがないほど重いのだ

なお、山崎は2016年時点で最早隠居状態で講頭を降りているが、2022年人事ではその名前すらなかった
要するに、年が年だけにもう身罷ったんだろう。できればこの手で復讐を果たしたかったところだけどな!
同じ住職だったら謀略の功で奴等を役職につけそうなものだが、新住職はそうではなかったということ

勿論、今後奴等を見かけた際にはなりふり構わず復讐の拳を振り下ろすということになるだろう

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2000年以降の諸事件の総括

ここでは、主に失地回復プロジェクト発会後に何があったのか、ということに焦点を当てていく
なお、以前の事件については一度「ジャーヒリーヤ」にて取り上げ、詳細にやっている
ここでは、「ジャーヒリーヤ」以降に何があったのかを詳細に取り上げてゆく

鉄道趣味の焚きつけによるスピン事件

この事件は、我が一家がインターネット環境を導入したことに焦燥を隠せない敵宗門一味が、その目的をスピンして都合よく操り続ける為に惹き起こしたものである
これにより、真実の追及から10年以上に亘ってスピンする為の敵宗門一味にとっての環境整備だったと謂われている
しいては、その為に自宗門に引きずり込んで洗脳の果てに総てを誤魔化し逃げおおそうとしたものである、それが目的の大型スピン事件だったのである
間違っても、あのヲタ趣味を復活させてはならなかったのだ
そのまま某却に葬り去るのが正解だったといえ、後に二度に亘って破却されることになっている

石之坊への引きずり込みと、これに絡むハタカセ事件

2003年の関西遠征、その正体は敵宗門が自宗門への引きずり込みの為に画策したものであることが今日では判明している
事件に当たっては、自宗門で今にも身罷りそうな輩を選定して任務に当たらせこれを消すことで逃げおおそうとしたことが判明している
間違っても、あの敵宗門なんぞに引きずり込まれてはいけなかったのだ
これを誤魔化すために、前もって神道なんぞへの誘導を敵宗門自ら行っていることが分かっている
その後、敵宗門一味はこの者を駆って吾輩を敵宗門なんぞに引きずり込みやがった
入信させられた直後の凡そ一か月で数万円も奴等は意図してハタカセて我が一家の経済を崩壊させ、後には杉並を去らせられる大きな要因となっている
なお、この事件は去らせたかった勢力、詰まり中核派の要請で仕組まれたと謂われている
入信させられ隷属させられての11年の全てが無駄になっており、大いに問題となっている

自動二輪圧殺事件及びこれに絡むデジタル一眼レフスキャンダル

敵宗門は、吾輩に対する工作を意図して門外漢女を後から入信させる。これ以降の工作員は大体吾輩よりも後に来る傾向が強い
この門外漢女は、「安ければいいんです」の妄言で有名だがこの一言が惹き起こしたのがデジタル一眼スキャンダルである
デジタル一眼スキャンダルはよりによって旧式の機材をもたらし、これによって大きく歩留まりが下がっている
この門外漢女は任務を終えると疎遠になり、機材改善の取り組みによって2年後に遂にこいつによってもたらされた旧式機材が粛清される

予定外機材売却強要事件

門外漢女がもたらした機材の粛清に対する逆恨みだと謂われている
遠隔によるマインドコントロールによって惹き起こされた誤売却事件である

5.20事件

上記事件に続き、強制的な参詣で吾輩の金員をハタカセるのが目的であったことが明らかになっている
この事件は、帰宅のために留保していたなけなしの金員を強引に収奪されたものであった
この事件においては、吉田という女が主犯であり門外漢女は共犯とされる
まだこの両名は裁かれていない
この事件以降、吾輩は寺から疎遠になっている
謂わば、このタイミングで脱退を果たすべきだったともいえる
ここで脱退しておけば、以降の事件群は無かったとさえ謂えるものだ

石の湯事件

山崎派と対立派の対立から起こり、山崎派が石之坊を占拠する結果に。
敵宗門が吾輩を寺から疎遠にさせた目的はこれだったと謂われている

第一次解放聖戦

2009年8月遂に解放聖戦が始まる。同年1月に石之坊に行った際に新入講員どもに恫喝を受けたのがきっかけとされる
これ以降、遂に石之坊がその邪悪な正体を現し始める

石之坊からの粛清事件

この事件は、吾輩が門外漢女を裁くことを石之坊に要求したところ吾輩を粛清するという一方的なものであったと言え、このタイミングで脱退すればよかったものを脱退妨害のために山根は阿呆悦院に誘導したものとみられる
この粛清以降、門外漢女と直接のかかわりは無いがスピンに繋がっている

第一次バイク戦争犯罪

大金をハタカセ、移住潰しのために行われたとされる事件
あらかじめ計画されていた内容を捻じ曲げ、好き放題にスピンしまくったのがこの事件だ
阿呆悦院に誘導されていなければ起きなかった事件であるともいえる

柏原事件

移住潰しの後、目くらましのために行われたとされる
しかし、この事件が後の脱退に繋がっていると謂われる
これも阿呆悦院に誘導されていなければ起きなかった

交際類似事件

吾輩を絶望に追いやった病院ぐるみの事件である
交際類似事件が発覚し、敵は都合の悪い吾輩を一方的に放逐した
更に、一対多数というこれまたカルトの常套手段ですらあった

その後、我が一家は話があまりにもでき過ぎであることに気付き、また絶望的な現実にも気付く
これにより聖域なき見直しが興り寺参詣を停止、4か月にも及ぶ聖域なき見直しの末に某ヲタ趣味は破却。更に我が一家は脱退を決断するが、あまりにも遅い4年間であった
事実、山根による脱退妨害から人工透析に転落させられるまで僅か3年余りでしかない
あの時脱退していれば、人工透析に貶められることは無かっただろう
そうだ、山根こそは呪い殺すべき相手に他ならない

-聖域なき見直し&敵宗門脱退以降-

冤罪未遂事件

引き戻して再洗脳し、総てを有耶無耶にしようとして惹き起こされたが、狙いは失敗に終わり敵宗門一味の邪悪さばかりが引き立つこととなった。この事件は我が一家が敵宗門からの脱退を決断したことに対する逆上による事件だとされ、被疑者は未だ裁かれていない
日本警察のカルト汚染と邪悪さを世に知ろしめた事件ともいえる

言論弾圧事件

その2か月後、敵宗門は石之坊と阿呆悦院の男子部を駆って言論弾圧事件を惹き起こす
しかし、この弾圧が原因で敵宗門は邪悪だという結論に至り、同年9月に脱退を確定させる
しかし、関係物の処分を敵宗門は遅らせに遅らせ翌年にズレ込んでいる
その後、有形無形の嫌がらせが数年にも及んでおり如何に脱退が都合の悪い決断であったかを物語っている

再びの交際類似未遂事件

吾輩は2016年に転院を果たすが、これに合わせて敵宗門が送り込んだ輩があった
大体工作員はあとからくる輩とこれ以降相場が決まっている
この輩が2017年に惹き起こした交際類似未遂事件である

ファクサイ事件

再再度敵宗門一味が巻き返しを謀ったが計画は失敗に終わる
2018年頃、突如「うりこ」を名乗る敵宗門信者が現れたが、吾輩は相手にせずブロック。その危険性を共有したところ他者から叩かれた挙句現在でも鍵である
その後、この輩によるとみられる嫌がらせ目的のアカウントが立ち上がり各方面にその災禍を残したが、悉く論破され姿を消している

店内での店員や客による嫌がらせ事件

冤罪未遂事件、ファクサイ事件の失敗に対する逆恨みだと謂われている
この事件は我が一家が債務整理に踏み切ったタイミングで惹き起こされ、敵宗門工作員が含まれていたと謂われている
以降、約2年に亘って同店を利用できずこの間の無駄が大いに問題視されている

第二次バイク戦争犯罪

債務整理成功に対する逆恨みだと謂われている
今、絶賛その災禍を粛清中である

邪悪な運動への誘導事件

敵宗門とつながりがあり、それによって惹き起こされたとされる
この事件は、バイク戦争犯罪とセットであると謂われ、大いなる無駄とあらぬ誘導がセットになったものであるとされる
これ以降、一家ではいかなる運動への参加も禁じている
二度と我が一家をはめようとなど考えないことだな!

以上が2022年までに惹起した主たる事件であるが、その殆どに敵宗門が関わっていることがよくわかる

今、敵宗門ではその正体が暴かれたことなどによってほとんど入信者がおらず、殆どの寺で誓願目標割れを起こし早瀬が大激怒していると謂われている
しかし、酒池肉林を改めるべきはどっちなのかということだ
最早敵宗門は行き詰まっており、その解散が急がれる
日有系4宗派の頂点にあるのが敵宗門であることには変わりがなく、あれだけ大きくても創価など敵宗門の衛星でしかないのだ
日有の乗っ取りからはや600年が経過、その殲滅は喫緊の課題なのだ
そうだ、総てはユダヤ人日有の所業が元で惹き起こされているのだ
この日有がユダヤ人であるという真実は、奴等にとって最も都合が悪いものだ
故に、何が何でも崇拝させようとしてくるのだ
恐らく日興も、ユダヤ人の類だろう、だから崇拝される
勿論、日有以降の法主は全てユダヤ人である

なお、門外漢女に対する破折はこの後の記事で行うことにしている

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脱退前事件の総括

この記事においては、主にブログリニューアルにおいて対象外となる、2012年以前の事件等の総括をここにおいて行うものとなる
なぜ宗創は敵なのか、なぜ千ラシ裏や門外漢女は敵なのか、なぜ多くの日本女は敵なのか、という背景が良くわかるように書くつもりである
以前の記事10件若しくはそれ以上を潰して総括することになるが、そこはご了承願いたい

先日シングスピール会では、記事の公開は2013年以降に限るとしそれ以前の記事で必要なものはリニューアルして新規記事とする旨発表している

吾輩が敵宗門から脱退したのは2015年1月10日のこととなる
それより前、吾輩は絶望的な現実に遂に気付くこととなり寺院への参詣を辞め聖域なき見直しをすることを決意する
真実の追及自体は2014年半ばにネット上における戦闘の終結があり、そのあとから始まっているものだ
その後、すぐに絶望的な現実に気付くこととなっているのだ
これにより、同年9月より聖域なき見直しに入り、一切を封じて見直しを行ったのだ
その結果として、まず11月には某ヲタ趣味の破却を決定している
なお、この際に法華講の者が破却に一切協力をしなかったことから関連性が浮上し、そして翌年1月10日、遂に敵宗門から脱退する決意を固め、今日に至る訳だ

吾輩が大きなうねりに巻き込まれたのは2000年、インターネット環境が手に入りいよいよ真実を手にしようと動いた時だ
この時までに某ヲタ趣味などは最早どうでもよくなっていたはずだったのだが、これをキッチリ粛清できていなかったことが敵宗門一味に隙を与えてしまったようだ

吾輩は1989年、本土への復員を果たしている
しかし、敵の連中は何も知らせないままに吾輩を放り出し意図的に毒牙にかけようとしていたことが分かっている
そこから2000年に至るだけでも紆余曲折を経ているのだが、中でも大きかったのはラ・チーカ事件とこれに続く風俗地獄である
これらについては青ブログの写真特集でも述べている
世紀末にはこれらは終息するが、スピンの数々はこれでは終わらなかった
やおら、敵宗門一味が持ち出してきたのは忌々しいとあるヲタ趣味だったのである
当時はまだテクノロジー犯罪などというものは一般には知れておらず奴等もやりたい放題だったのだ
それがネットによって白日の下に晒されること、それが奴等の恐れていたものだ
その為、敵宗門一味はこともあろうか某ヲタ趣味を焚き付けてのスピンという最悪のことをしてくれやがった
そしてそれがやがて岩下容疑者との遭遇という最悪の結果をもたらすことに、しかも敵宗門一味はその真実を隠蔽するべく岩下を亡き者にするという最悪のことをしてくれやがった
つまり某ヲタ趣味の焚き付け一つとっても最悪に過ぎる、それが無いだけでもこんな事態にはなっていないということだ
結果として某ヲタ趣味は2014年に破却、2020年にはこれを支持する形で再度破却となり失地回復の完全な達成が無ければその復活はないとしている
そして石之坊の邪悪さが知れてきたことにより第一次解放聖戦が勃発し、吾輩は事態の拡大を恐れた前住職によって石之坊を追われたという訳だ
これが2010年、脱退のおよそ5年前という訳だが本来であればここで脱退しておくべきだったといえる
前住職・山根はここで話を捻じ曲げるという最悪のことをしてくれやがった為に阿呆悦院に誘導されることとなり脱退が遅れたという訳だ
謂わば、脱退妨害の為に他の寺院に飛ばすということをしやがった訳で、いっそ除名にでもしてくれた方がまだ気が晴れるというものだが
本件が、脱退妨害事件であり、なおかつ門外漢女を守るために惹き起こされたことは明白であるが、その門外漢女は新住職によって役職から追われている
つまり門外漢女が役職に任じられたのは専ら謀略の功のみという訳で、それが新住職によってその地位を追われるという結果になっているのであって講内でも何かと問題を惹き起こしていて度々問題になっているのでは?
その辺については吾輩が2010年に石之坊から、2015年には敵宗門から脱退を果たしているために明らかでない
ここでは詳細を省くが、復員から今日に至るまでには多くの事件群が惹き起こされ一家の失地回復を妨げてきた

新宿事件

1992年2月、狐女によって惹き起こされた事件。この事件が原因で以降に多くの振り回し策動の末今日の事態を惹き起こしたといえる

瀬戸事件

1994年に惹起。

ラ・チーカ事件

風俗地獄事件

住宅統一不達成事件及びその後の各種策動

以上の事件は以前に解説済み
以降は失地回復プロジェクト発会後の事件だ

鉄道趣味の焚きつけによるスピン事件

石之坊への引きずり込みに絡むハタカセ事件

予定外機材売却強要事件

門外漢女がもたらした機材の粛清に対する逆恨みだと謂われている

5.20事件

石の湯事件

山崎派と対立派の対立から起こり、山崎派が石之坊を占拠する結果に。

第一次解放聖戦

石之坊からの粛清事件

この粛清以降、門外漢女と直接のかかわりは無いがスピンに繋がっている

バイク戦争犯罪(一次)

大金をハタカセ、移住潰しのために行われたとされる

柏原事件

移住潰しの後、目くらましのために行われたとされる
しかし、この事件が後の脱退に繋がっていると謂われる
-聖域なき見直し&敵宗門脱退以降-

冤罪未遂事件

引き戻して再洗脳し、総てを有耶無耶にしようとして惹き起こされたが、狙いは失敗に終わり敵宗門一味の邪悪さばかりが引き立つこととなった。

ファクサイ事件

再再度敵宗門一味が巻き返しを謀ったが計画は失敗に終わる

店内での店員や客による嫌がらせ事件

冤罪未遂事件、ファクサイ事件の失敗に対する逆恨みだと謂われている

第二次バイク戦争犯罪

債務整理成功に対する逆恨みだと謂われている

邪悪な運動への誘導事件

敵宗門とつながりがあり、それによって惹き起こされたとされる

正直、吾輩サイドのカウントだとしてもこんなにあるとは。開いた口が塞がらない。
これだけ取っても如何に敵宗門一味が邪悪であり害悪であるかがわかるというものだ

いずれにしても一人でこんなに事件に遭うというのは通常では考えられず、そこには必ず理由があるというものだ
その最たる理由は好き勝手ばかりし放題した挙句身罷り、その挙句その関係者によってジャーヒリーヤ島に抑留されたことが総てだった
絶海の孤島での4年半というものは、絶対に歴史に残してはならない4年半だった
せめてクズ元が身罷った段階で直ちに本土復員が果たせていれば…。
何千年経っても吾輩はこのクズ元を呪ってやる、と思うのが当然といえる
まだ敵宗門など日有系4宗派が滅んだわけではなく、最後の事件からまだ2年であることからまだ警戒は必要であるといえる

時は過ぎ狐女は既に52歳。瀬戸事件の瀬戸に至っては56歳という有様だ。
最早昭和の女に用はなく、我が一家は令和の今新たなスタートラインに立つ
これからは最早引き離す一方であり、二度とその距離が縮まることは無いのだ
あとから後悔してももう遅いのだ!若さゆえの過ちで済んだら婚活行き遅れ女の大量発生は無いのだ!

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天使と悪魔、その後は

千ラシ裏女に出来て門外漢女に出来なかったことが一つある
それは何かというと、マインドコントロール手法の一つである「天使と悪魔」の天使役になることであった
それは、筆者が門外漢女は敵であると早期に感づいていたことによる
これが2006年から翌年にかけて約1年に及ぶ空白期を敵が作らざるを得なかった大きな成因である
結果的には筆者が惨敗していたものの門外漢サイドもその場限りで誤魔化すのが精一杯で策に詰まり何も出来なかったものであった
この空白期に門外漢女は表立っては行動に出ず裏で根回しに奔走していたというのが事実である
対して、千ラシ裏女は最初から最後までSGにおけるマインドコントロールとガスライティングの実質的責任者であるとともに天使役を見事に演じ切ったのである
しかし、この女とて時折り本性を見せることがあった
その時は、普段の姿とは180度がらりと変わって非常に口汚く、そして毒々しい態度に変わった
有名な捨て台詞の「お前の頭と同じでな!!」も、まさにその状態で出たものであった
後で追及してもしらばっくれる事が殆どで「そんなこと言ってないよ」などとのたまう体たらくであった
大粛清を決断できたのも、そうして千ラシ裏女の本性を垣間見ていたことが大きかったのだ
その姿は、あたかも学会員が一般の市井に対しては八方美人なのに対して法華講の者には一変して猛々しい、そして毒々しい態度に豹変するのと何ら変わらなかった
それは、法華講の者が学会の者に対する際にも全く同じである

では、石之坊においての天使と悪魔について少々説明する
石之坊でそれが行われたのは筆者在籍末期に限られた
何故なら、石の湯事件以前には出来なかったからである
石の湯事件以前には過去に筆者の盟友でもあった前講頭氏を筆頭に道念のある信徒が少なくなかった
しかし、まっとうな信徒の存在が門外漢女にとっては目の上のたんこぶだったのである
門外漢女は、これらまっとうな信徒の粛清を目論んでいたのである
そこで、先の空白期の間には専ら派閥形成に勤しんでいたものと推定される
そして体制を整えたことの名刺代わりの事件が電磁波による機材売却強要事件でありその後の5.20事件なのであった
5月20日事件の後、石之坊への参詣は激減した
2007年11月(強制登山)
時期不明(2008年1月?ネットの話はこの時に出た)
2008年7月(夏期講習会)
(この間に石の湯事件)
2009年1月(思いつき参詣)
少なくとも大粛清以前はそれだけだったと記憶している

この時期は電磁波による洗脳の影響が最も強く、筆者にあっては狂った思想と歪んだ夢や憧れの類が席巻していた
この時期には少なからず人に迷惑をかけてしまうことがあったほどであった
なお、この時期のことに関しては洗脳の影響が最も強く、記憶のあやふやな部分があることをご了承いただきたい

当時門外漢女は、新入信徒には口八丁手八丁で取り入って、講頭に復帰を狙う山崎には長年講頭を勤めた事のプライドと講頭を降ろされたことへの怨念を煽り立てて虜にし体制を固めたのだ
石之坊側が犯人であると主張している男は、スケープゴートにするために祭り上げられたのではないかというのが今日でも当家の見解である
そして王権復古を目論んだ―
石の湯事件は、かくして惹起したのであった
石の湯事件の後、道念ある信徒の殆どは追放された
門外漢女は、口八丁手八丁でネットの禁止徹底に奔走したのだ
最終的に、門外漢の一味とほんの少数の古参信徒だけが残った
2009年1月、思いつき参詣の際にO氏の姿は既に無かった
私は不審に思ったが、誰も真相を語ることは無かった
この頃から、大塚某が「天使と悪魔」の天使役となったのである
大塚は、私を石之坊につなぎ止めマインドコントロールとガスライティングを続行する上で重要なキーマンだったのだ

しかし、それは長続きしなかったわけである
同年秋の大粛清に端を発する解放聖戦のうねりが、それを許さなかったのである
11月、大塚は例の日払い発言に及んだことで私に対する信用を完全に失い没落したのだ
門外漢女は、筆者を非正規の派遣に引き戻すのを急ぎすぎたことで馬脚を露わしたのである
翌年4月初め、遂に講頭がその悪逆なる本性を露わにしたのであった
そこにあったのは、完全に門外漢の傀儡と成り果てたその姿であった
そして、私は最早躊躇する事無く講頭らを激しく追及した
その結果、敵は石之坊でのガスライティングの続行を断念し、その結果門外漢女の口車によって石之坊サイドは私を粛清することにしたのだ

時は流れて2011年5月、筆者は千葉県某所で千ラシ裏女と思しき姿を見た
動きが明らかに怪しく、スパイのそれと何ら変わらなかった
そこには、最早天使役を演じていた時の面影は微塵も無かった
しかし、同じ事を再度企もうとも最早それは通用しない旨謹告する
あれから、石之坊に関する情報が一切漏れ伝わってこないのは不気味に過ぎる
恐らく徹底したマインドコントロールと緘口令、ネット禁止の徹底で完全に統制されていたのだろう
講頭Yは学会出身であり学会の時の考え方が抜けていないことが斯様の手法を使うことを躊躇しないことにつながっているのである
2012年9月1日に添書登山した折に御経日であるにかかわらず石之坊信徒と思しき姿を山内で見かけなかったこともそれと何か関係しているのだろう
それはつまり、吾輩から逃げていたということなのだ

それにはいくつかの理由があったが何とか敵宗門の真実に踏み込まれまいとしていたのが2023年の今からは明らかなのである
そして、その時は来た
聖域なき見直しである
遅きに失してはいるものの漸くそのスピンの全貌が見えようとしていた
既に他の記事でも記しているが、某ヲタ趣味はスピンの為に捩じ込まれたものだったのだ
然して、2014年11月某日にヲタ趣味は破却されることとなり、それは2020年に改めて支持されている
それはまだ聖域なき見直しの最中には過ぎなかった
その後、2015年1月10日に至って我が一家は敵宗門からの脱退という一大判断を下すこととなるが、それは敵宗門一味が最も恐れていたものだった
故に脱退届を奴らは受け取らず、その後8ヶ月に亘って戦闘は繰り広げられた
しかし、同年9月に我が一家は脱退確定の一大判断を下し確定
一方の門外漢女、千ラシの裏の野干は逃げ回るばかり、その後門外漢女が役員に任じられたものの野干は逃走その後行方知れずとなっている
門外漢女も、石之坊に新たな住職が赴任したことによって2022年に役職から解任されておりその後行方知れずである
また、脱退界隈では有名な竜神ひろしとやらも同じく2022年に役職からは解任されているが、こちらはまだ法華講にはとどまっている模様だ
なお、山崎某の姿は2016年時点で既に見えず後継の者が講頭に任じられ、2023年現在既に身罷っているものと思われる
もし生存なら門外漢女は50目前、千ラシ裏の野干は43だがどちらも幸福にはほど遠く吾輩を罠に嵌めた報いは果てしなく大きいということなのだ
何といっても大きいのは、2023年に至って石之坊の役職がたったの3名!という惨状を呈していることだ、2016年ですら6名いたのだ

しかしどんなに時が経とうと忘れてはならないことがある
それは、奴らは我が一家にとって不倶戴天の敵には他ならないということである
これは、我が一家が今後如何様に発展を遂げたとしても変わることがない

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敵対者どもの今は

門外漢女と千ラシ裏の野干、そしてかの卑劣な連中―
これらに共通する卑劣なやり口がある
それは、人を踏みにじるようなことをしておきながら謝罪も償いもせず、そのことによって却って逆上させることでターゲットの注目を引き付けて離させないようにする、そしてターゲットの行動を狂わせてゆくという人に非ざる手口である
もう一つ共通するのは、ターゲットに「自分だけが…」と強烈に思い込ませるというやり方である
お前だけが間違っている。お前だけが××である。お前だけがおかしい。そんなこと言うのはお前だけだ。etc…
これらはターゲットの孤立化を狙ったものであり、明らかなガスライティングである
今から13年程前には第一次解放聖戦というものがあった
敵対者らの影響で、今も失地回復に大きな遅れが出ているのである
その中の大きなものに、撮影機材の世代遅れというものがある
撮影機材が「最新」であったことはただの一度しかなかった
2008年に入れたEOS40Dである
しかし、その40Dも程なくしてSGでの謀略によって機材破壊工作があり失われてしまっている
その影響は現在まで尾を引いている、明らかな歴史上の汚点である
あれから10余年、漸く新しいスタートを切りシステムも変わろうとしているが、この汚点は、今後機材が最新型になったところで消えるものではない
2009年末、漸く撮影に復帰した時の機材は当時二世代前のEOS20Dである
結局、解放聖戦が終結してもそれを使い続けなければならなかった上2010年の大病で機材を喪失する事となっている
今日まで続く機材面の混乱の濫觴は2007年の機材売却強要事件にまでさかのぼる
あれは明らかな精神域介入犯罪であり敵宗門一味の意向を援用し強く投影したものである
もっと言えば、デジタル一眼スキャンダルもその根源を為している
Kiss Digital導入時に、既に後継のKiss Digital Nが発表され翌月には発売される事となっていたのだ
しかし、門外漢女は「安ければいいんです」の巧言を以ってKiss DNの導入を妨げ、明らかな欠陥のあるKiss Dを強要したのであった
門外漢女が死んだという話はまだ聞いていない
しかし、あれだけの事をしてのうのうと生きながらえられるほど世間は甘くない
この門外漢女もまた、悪行の罪障を懺悔していない徒輩である
懺悔していないことは、これまでに為してきた数々の事件、そして「私は浄い」発言からも明らかである

そのことは、根回しに奔走せるその姿、そして高圧的な行いの数々から明らかである
この数々の屈辱も、それがなければ無かったものだと判断されたもので、2023年の今から見てもそれは間違っていない

なお、その後聖域なき見直しによって某ヲタ趣味は我が一家に不適格とされ、敵宗門脱退前の2014年11月に破却された
凡そ4ヶ月超に亘った聖域なき見直しの果てに2015年1月10日に至って我が一家は敵宗門から脱退を果たし、同年9月にはこれを確定としている
そこから今日まで、新たな解放聖戦を戦っている
然して、その門外漢女はここに至って役職から降ろされ、我々には明らかになっていないもののその末路は凄惨なものであることが明らかである
我が一家を欺きその歴史に大きな傷をつけたところの罪障は果てしのないものであると知るべきである
そして、千ラシ裏の野干に至ってはあれから話を聞かないほどであり、断末魔に墜ちたことが明らかでさえある
我が一家は、完全新規で単一五カ年計画の新・失地回復プロジェクトのもと陽のあたる場所に向けて新たなスタートを切っている
そこに奴らなどは皆目不要なのであって復権は不可能である
最早奴らがどうなろうと我が一家には関係がなく、もし邪魔となれば排除あるのみである
第一次解放聖戦から間もなく14年になるが、その間の凄惨な数々はいままさに清算されようとしている
誰もがその報いから免れることはできないのである
奴らの悪夢の叫びを、我々は高みから見届けるのみである
今、一部の医療利権の輩は我が一家から逃げ回っているが同様にその行いの報いによって悪夢の叫びがまさに迫っているのは明らかである
門外漢女、そして千ラシ裏の野干共に逃げ回っているばかりで一言の謝罪すら吾輩は聞けていないが、既にその報いによって悪夢の叫びと共に断末魔を迎えているに違いはない

ご注意

本記事は、再公開にあたってリニューアルしています。あしからずご了承ください。

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