令和新編 シングスピールの回顧録 » 宗教や敵対者について »

日蓮宗と日蓮正宗の関係について

このところ敵宗門一味の妨害が激しさを増しており記事の執筆が妨害されているため本記事も大幅に遅れて執筆に乗り出しているものである。
日蓮教義の真実を探る中で既に解りきったことが中心ではあるが、ツイッターには以前にも書いていたことではあるが改めて記事にして残すことの重要性は今更云うまでもない。
また本記事は筆者が敵宗門のウソでたらめを当の昔に看破していることの証としても重要なものになるだろう。
また言質を残すことによって決して引き戻しに希望を持たせないという重要な意義を持つものでもある。

まず日蓮の後継者についてのウソでたらめを破しておく。
敵宗門が必ずと言っていいほど持ち出す「二箇相承」なる御書は他門流では既に「偽書」と決せられている、日有の偽作による文書であるから「日興へ相承した」ことの証とはならない。何なら炭素測定するか?
日蓮が六老僧として日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六名を定めて教団運営の中心としたことは事実であるとされているしどこの門流でも否定してない。
しかし日興に相承したというのは日有による捏造であり事実ではない。
日蓮は後継者を定めずに入滅した、これが事実である。
なお日蓮聖人は入滅に際して当時13歳であった後の日像上人に京都での弘教を託したのみであり、しかもそれが成就したのは日蓮聖人の入滅から50年以上経た1339年のことであり、現在に至るまで日蓮門下唯一の勅願寺である妙顕寺(日蓮宗。1321年創建)は地名にまでなっている。

日蓮宗からの分裂

日蓮聖人亡き後教団は六老僧による合議制となっていたようであるが、身延久遠寺の貫主が日向に決まると権力争いに敗れた日興は若干の弟子とともに身延を追われ、南条時光の請いで富士上野に入り、大石寺を創建した。これが富士門流の起こりである。この時点で日蓮聖人が入滅してからまだ8年しか経っていなかった。
その後身延日蓮宗は先述のとおり京都にまで教線を拡大し、先述のとおり日像上人が後醍醐天皇より法華経布教の勅旨を賜るまでになる発展を遂げている。
一方の大石寺はどうかというと、日興日目の時代が40年余りに亘って続いた間は興隆を見せたかに思われたが、日目が日郷に託した後継を日道が年功に託けて簒奪したのを機に争いが絶えなくなり(「東坊地問題」はこの日道による簒奪に起因する)、やがて大石寺は見る影もないほどに衰退してゆくことになる。

怪僧日有の出現と教義改変

そこに出現したのが怪僧日有である。日有は鉱山で財を成し大石寺を建て直したとされているが、何故日有が鉱山の富を手にしたのかという点に疑義がある。つまり鉱山など当時の日本人の手に余るものだったからであり、空海も渡来人だったという説があるほどである。つまり日有が渡来人であるか、さもなければ外国の勢力と通じていたかのどちらかであろうということである。後述の教義改変も併せて考えると後者が有力なのではないか。ただ日有は南条姓を名乗ってはいたがその出自が全く明かされておらず、渡来人の説も捨て切れない。ただ渡来人というだけではあまりにも耶蘇教と合致するような教義改変には繋がりにくいのも事実である。
ともかく鉱山で財を成した日有は教義破壊と改変に着手し、いわば換骨奪胎とも言える変貌を為したのである。多くの御書を偽造し、日蓮が遺していない自称戒壇の大本尊を偽作し、そして世界で初めて「日蓮本仏」を言い出したのである。
本来の日蓮宗は釈尊本仏、日蓮聖人は「大菩薩」として僧宝であり日蓮宗は多神教である。
これを日有は戒壇の大本尊は「仏の当体」であるとしてキリスト教のデウスに等しい執着するべき「実体」をなし、「代々の上人悉く日蓮」として法主を権威付けるという大改竄を行ったのである。これは今日の敵宗門における法主絶対主義にまで繋がっている。
つまり「日蓮本仏=絶対神」という一神教化であり、キリスト教化である。
そして日有は「化儀抄」によって自らに都合のよい教えを体系化し、換骨奪胎を成し遂げるに至ったのである。
こうして富士門流日有派閥は完全にキリスト教化しており、このときから基本的な教義は日蓮正宗の今日に至るまで変わっていない。
当然に他門流などから激しい批判を浴びることになるのであるが、不思議なことにこれによってこれまで続いていた分裂が止まるという皮肉な事態となっている。
日有がどのようにして鉱山の富を手にするに至ったのかという点は外国勢力との関係を探る上で重要でありその解明が望まれる。
しかしながらザビエルより100年早い日有がキリスト教の十八番とも云える見事なまでの換骨奪胎を為したという事実はあまりにも重く、敵宗門も口を閉ざして遁走する他ない有様である。

ある人が「創価学会はキリスト教である」と言っていたが、そもそも創価学会は日蓮正宗の教義を踏襲しておりその上創始者がキリシタンであるのだからある意味当たり前のことである。
顕正会も元々は法華講のひとつであり、同じく日蓮正宗の教義を踏襲しているのであるからやっていることも当然同じようなものであり目くそ鼻くそになるのも当然の帰結である。

戒壇の大本尊がデウスであるという議論は、かつてのキリシタンの行動原理と照らしてみれば明らかになる。
かつてのキリシタンは村人に改宗を強要し従わなければ殺したという。またキリシタンは討論を挑んできた者に放火するという野蛮な所業をも為している。
つまり「デウス」という実体(の幻想)を与えられそれに執着するあまり無信者や反対者に対する憎悪を募らせて野蛮な所業に至ったものであり、敵宗門の者どももまた「戒壇の大本尊」への執着のあまり無信者や反対者に対する憎悪を募らせて同じように野蛮な所業に至っているのである。それが如実に顕になったのが2015年6月14日の言論弾圧迫害事件であるといえる。こともあろうに敵宗門宗務院は石之坊・法悦院両寺院の男子部をして徒党を組ませ迫害を行わせている。
つまり戒壇の大本尊が仏の当体〔実体〕であると教えられて執着を起こし、その執着のあまり脱退者に対する憎悪を募らせて惹き起こされたのがこの迫害事件であるといえるのである。男子部暴徒も山根も宗務院僧も皆この偽戒壇に執着している妄信者であるから当然執着からの憎悪も同じように湧き起こる。

つまり日有は戒壇の大本尊を仏の当体つまり実体として執着させることを最初から狙っていたのであり、実際に目的どおりに執着からの憎悪を惹き起こしているのであるから日有の目的が換骨奪胎によるキリスト教化にあったのは明らかである。
日有出現前の大石寺は見る影もないほどに衰退して滅亡寸前であり、これを乗っ取って利用しようとする外国勢力があったとして何の不思議もないのである。
つまり日有はキリスト教〔バチカン〕勢力の日本における最初の走狗であった可能性がかなりあるということである。

血脈の大嘘を破す

先述のとおり日蓮聖人は後継者を定めずに入滅し、日目による日郷への付属は日道によって簒奪されているので血脈もへったくれもあったものでは無い。日道による簒奪など権力争いそのものではないか。つまり断絶どころか最初からないのである。
更に最近聞くところによると阿部日顕の猊座もこともあろうに謀略で早瀬日慈〔日如の実父〕から簒奪したものだというではないか。日慈はショックで暫く寝込んでしまったほどだという。
これでは血脈もへったくれもあったものではない。
実際問題阿部は法主登座時56歳という近年では異例の若さだったことがそれを物語るかと。
ともかく非常に胡散臭いものであることだけは間違いない。

日蓮宗と日蓮正宗の違い

日蓮宗の総本山は日蓮聖人創建の祖山・身延久遠寺である。
このこと自体がどちらが本流であるかを如実に物語るものであるが、両者がまるで異なるものであるということを列記していく。

・日蓮宗の総本山は日蓮創建の身延久遠寺であるが、日蓮正宗の総本山は日蓮とは直接のかかわりのない富士郡上野村の大石寺であり、創建前は「大石が原」という名の石が転がる荒野であった。
・日蓮宗は釈尊本仏の多神教だが、日蓮正宗は「日蓮本仏」の一神教である。
・日蓮宗は一般信徒の生活にいちいち口出しはしてこないが、日蓮正宗は一般信徒の生活に対する不当干渉が堂々とまかり通っている。特に後者は男女関係に対して殊更に厳しく僧侶や役職による不当干渉が凄まじい。
・日蓮宗は全国に350万人を超える信徒がいるが、日蓮正宗のそれはどんなに多く見積もっても20万程度である。公称50万は当てにならない。
・日蓮宗と日蓮正宗では本尊が違う。後者のそれは日蓮が揮毫したものとは異なる文字が入っていたりする。自称・戒壇の大本尊は複数の書写本尊からパクったパッチワーク本尊である。
・日蓮宗にノルマは存在しないが、日蓮正宗には僧俗に対する苛烈なノルマがある。
・日蓮宗のお会式は多くの人で賑わうが、日蓮正宗のそれは信徒のみしか入れず閑散としている。
・日蓮宗は多くの人に一般的仏教宗派として認められているが、日蓮正宗は統一教会や幸福の科学などと並ぶ狂信的カルト宗教と多くの人に思われている。
・日蓮宗は地域社会に認められることを重要視しているが、日蓮正宗はそれとは真逆で地域社会との関わりを非常に軽視しており、それどころか地域社会と信者との関係を絶ち異質のカルト社会に閉じ込めようとする。
・日蓮宗は真書(日蓮が本当に記した御書)であることを重視するが、日蓮正宗は日有などが偽作した偽書ばかりを重用してくる。
・日蓮宗はお布施や戒名料などを直接頂戴しているが、日蓮正宗はどんなに遠くても折伏系統に従わなければならず交通費が大きな負担になることが非常に多い。いわば間接収奪である。自分たちではそんなに取ってないよという表向きのポーズでしかなく、手先企業を使って間接的に収奪しているに過ぎない。

思い起こせる限り書いてみたが、まだ足りないものがあるかもしれない。
足りないものがあったらご教示いただければと存ずる。

私は何故日蓮宗に帰依しないのか

日蓮宗こそが日蓮教義の本流であり本来の教団であることは火を見るより明らかであるが、しかし私は日蓮宗に帰属することを良しとはしていない。
これにはいくつか理由がある。

それは
・我が一家では敵宗門より脱退後に宗教というものに関わることを一切禁じている。
・宗教は人を救わないと決しており、無宗教を貫くことを決めている。
・宗教の所為で不幸を蒙っており宗教はもうこりごりだ。
・日蓮宗も世界連邦運動に関わっている。
・一つの宗派に拘る必要はどこにも無い。
・宗教自体お金がかかり過ぎる。失地回復と移住を第一とするわが一家の方針にはそぐわない。
・そもそも日蓮自体が怪しい宗教者であるとも言われている。

これらの理由により我が一家は今後も特定の宗派に属することは無い。
引き戻しを企む敵宗門の輩はもれなく大地の藻屑にしてやるから覚悟しておけ。

カテゴリー:宗教や敵対者について, 敵宗門
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-238.html