令和新編 シングスピールの回顧録 » 「新天地からの手紙」からの編入記事 »

印象操作と利権などについて

実を言うと前回の記事を書いてこれを見回していたときにあることに気が付いた
それは、「出会いがない」という枝葉の理由自体がメディアや利権の絡む者どもによって「人工的に」作られていたということである
「出会いがない」という状態が存在することによって商売が成り立っている連中がいたのだ
それは、ずばり「出会い系」である
何故それがわかったかというと、この出会い系を規制するためにあるはずの法律が役立たずの「ザル法」だったからである
つまり、このザル法は「出会い系から児童を守るため」ということになっていて出会い系そのものを規制する法律ではなかったのである
つまり、出会い系という胡散臭い商売が権力によって守られていることになるのだ
ついでに書いておくが、この「出会い系」は出会えるようにはなっていない
なぜなら、出会えてしまえば後は用無しになってしまうので、出会えると偽ってサクラを使い引き付けておけば「メール送受信料」の名目でいくらでも金を巻き上げることが出来るというビジネスモデルになっているのだ
これについて、Peachyが印象操作記事を書いたので言及しておく
この記事では、「女性も被害にあっている」事になっている
しかし、もし本当にそうであればあっという間に叩かれて出会い系などとうの昔に無くなっていたであろう
印象操作といえば、某週刊誌が印象操作記事と思しき記事を掲載していた
それは、「正常範囲内の結果を『がんの疑いあり』と書き換えていた」という趣旨のものである
チェルノブイリの前例から言って、その逆はあってもこの記事のとおりということはありえない
この記事が出てきた理由は、がんが増えていることを知られたくないのでわざわざ逆のことを書いて追及されないようにするためであろう
つまり、これも権力3兄弟のなせる業ということなのである
次に、権力3兄弟のもうひとつの手口について言及しておく
少し前に、ある人が「精神病院通院暦がある」者によって迫害を受けているという記事を目にした
この「精神病院通院暦がある」者は地元で盗撮や誘拐未遂事件を起こしているとの事だったが警察が一切捜査しないと聞いてピンときたのだ
それは、「精神病院通院暦がある」者を一方的に弱者として扱うことの旨みがあることに他ならない
そして、この犯人を野放しにしているのが実は権力なのではないかということに気づいたのである
普通に考えれば、「精神病院通院暦がある」からといって何をしても許されるはずは無いのである
ここでは「精神病院通院暦がある」男を仮に「男A」としておく
つまり、「何をしても捕まらない」存在を作ることによって権力構造に都合の悪い者を迫害することを容易にしているということではないのか
そういえば、筆者が対峙する敵対者も「頭が弱い」などと言って筆者を安心させようとしていたのだった
本当に頭が弱ければこの敵対者が惹き起こしたような狡猾な事件も起こせないし、男Aが本当に頭がおかしければきわめてレベルの高いハッキング犯罪も出来るわけが無いのである
これは私の見立てであるが、権力側はこの男Aに「頭が弱い証拠」という箔をつける為にわざわざ卑劣な犯罪を惹起させてその上で「精神病院通院暦がある」状態に仕立て上げたのではないかということである
男Aは権力によって飼われて「精神病院通院暦がある」ことになっているが、横山の場合には自作自演だったという違いがあるのみである
いずれにしても、「心神耗弱」や「心神喪失」の犯人を罪に問わない制度は改めるべきであろう
精神病だから人を殺しても許される、などという莫迦な話は普通だったらありえないし恐らくこの国をはじめとする一握りの国だけである
筋の通っていることを書いている人に対してメディアの焼き直しに過ぎぬ知識で攻撃的なコメントや罵詈雑言を浴びせている徒輩だとか、あるいは個人ブログのふりしてステマ(ステルスマーケティング)だらけだったり書いていることがメディアの垂れ流しているものと何も変わらないようなブログとかあるがこれらも実は権力によって雇われているのではないかということに書きながら気が付いた
だから、時には企業が権力に雇われて事件を起こしたりすることが外国でもあるのだ
その最もたる例が、かの有名なロッキード事件である
ましてメディア側そのものである芸能人とかのブログが信用なんざ出来る訳が無いのである
またの機会に書くが、芸能人そのものがメディアの手先であり権力3兄弟の手先である
時折まっとうなことを書いたと思ったら粛清されてしまうのはそのためである
改めて深く掘り下げるつもりだが、日本は既に欧州諸国などから強いバッシングを浴びており、不買運動も起こされている
その原因となっているのは権力3兄弟であり、利権構造であり、企業社会主義・学閥主義・商業原理主義なのである
メディアが流しているものを考えもせずに盲信していればそれが見えないのは当然の話である
欧州のようなメディア同士がチェックしあうシステムになっておらずメディアが皆横並びの馴れ合い・もたれ合いになっている以上、メディアの書くことには何か裏があるということを前提にしなければならないのである

カテゴリー:「新天地からの手紙」からの編入記事
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-54.html