月別アーカイブ: 2017年4月

最後の手段、ついに発動

再三再四の警告にも敵一味が妨害とハタカセを辞めないため、ついに一家が最後のカードを切るに至った。

2017年4月16日付において本会執行部は、
・束社に対する無期限取引停止処分
・趣味活動の全面差し止め処分
の2処分とともに、未だ処分から漏れていた重大交際類似事犯を認定。この者は阿呆悦院の有力檀家であるため、家ごと丸ごと永代追放処分となった。
元より阿呆悦院の檀家は自動的に追放扱いではあるが、個別追放してない場合檀家を外れた時点でその効力が及ばなくなる訳であり、ここで敵一味の煽りネタを永遠に切り離しておくのは悪い話ではない。
敵一味の流すものは無い物であり、敵一味の流す期待は絶対に現実のものにならないのだから、最初から厳しくやっておくことである。

更に、ハタカセに対する抜本的対策としても先記の二つの差し止め・取停は極めて有効である。
一家では機材回復と移住準備の二大プロジェクトを推し進めており、これ以上の駄々漏れは命に代えてでも防ぎきらなくてはならない。

結局先日大問題となった4月10日の不祥事はプロジェクトを大きく躓かせることが目的の悪質洗脳ハタカセ事犯であると断定され、当該画像の破却が命ぜられた。
この事件は、これまでに無いタイプの危険なハタカセの手口であることがわかった。

これらは、本会作成の「最も警戒するべきハタカセの手口」パンフである。

然るに、10日の手口は2のほうに掲載している「ちょっとだけ」型のハタカセ手口であった。
これを機に、ハタカセを防ぎ切るには根元を絶たねばなるまいという判断が働いたのはいうまでもない。
敵一味に対する対抗手段は取り決め事項・決定事項の絶対厳守以外に無く、絶対に捩じ曲げられないように日々決意を新たにして戦っていく。
なお、この処分の発動により、GW中の活動については不許可となる。

それと、回顧録にも書いたとおり思わせぶりや交際類似行為による引っ掛けで宗門に貢献するのが優秀な女講員だと法華講では決まっているのだから、最初から離壇などに期待してはならないしその様な洗脳に深く嵌った輩に何を言ったところで労力の無駄でしかないのである。
当然のことだが、現在では法華講に一度でも籍を置いた女は当家として原則、交際禁止としている。

余談として
最近特に都内などで自転車に対する締め付けが厳しさを増しているが、これは恐らく自転車によって交通企業がカネを踏んだくりそびれている、利益を逸失しているという極めて身勝手な考え方から起こっているものである。
辺境の地から都内となるとかなりの労力であるが、都内在住であれば自転車だけで都内の移動は足りてしまうのである。これが企業社会主義の交通企業にとっては面白くないという訳なのである。
更に、自転車というのは健康的な交通手段であり、体も鍛えられる。クルマや交通機関で楽ばかりしていると体を動かさなくなり、体がなまって病気を呼び込むことになりこれが医療利権にとっても都合がいい故にこのような締め付けを行うのである。
更に、クルマが「走る電子レンジ」であり大変な被曝量の電磁波を発する代物であること、そして他の交通機関も電磁波を発しないものは無いことを考えると、これらによる移動を強要することで病気を増やし、支配する側にとっても医療利権にとってもとても都合がいい話であることは少し考えればわかるだろう。
企業社会主義における企業とは民衆を支配し搾取する側なのだからそのことをよく弁え、買ってはいけないものの代表格であると肝に銘じるべきだろう。
体力的に無理な人に無理強いするつもりは無いが、体力のある人は自転車で日常の交通を賄うことを強くお薦めする。

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雑感 2017.4.13

GW期間中における活動が、許可されない可能性が高くなった。
これは、再三再四の警告にも拘らず敵一味・宗創医連合軍が邪悪なハタカセ策動や収入妨害、執拗な誘い出しをやめようとしないためである。

記事「フォーシング」で紹介したような過大要求から小さい要求に切り替えてゴリ押ししようとする手口の他、今度は「ちょっとだから」で誘い出しいつもどおりにハタカセようとする手口が発覚した。その結果、ツイッターで発信したとおり余計に活動させられたことが発覚し、その分の公開中止が一家によって命ぜられた。
今回の手口は、過大要求から小さい要求に切り替えてゴリ押しする手口が通用しなくなったために新たに手を変えてきたものであると見られる。

敵一味は12日についても執拗に「ちょっとだから」で誘い出しをかけて余計にハタカセようとしたが、勝負の舞台から外させようとする企み、更にはその先に邪悪な「公開処刑」の悪企みがあることを見抜き、全蹴りにしていた。
そして迎えた12日、数日おきに実施している自転車の運行前点検において後タイヤの著しい劣化が発覚した。
自転車の、それも後タイヤの劣化は宿命であり、自転車はライフラインでもあるのでその維持は最優先事項であり趣味ごとをさし措くことの出来る事項である。
だが、一週間かそこらで急激に劣化するはずはなく、運行前点検を数日の間、押し止めてその上で誘い出しの犯行に及んでいたものだったのである。
更に、これには伏線があった。
誘い出しのために敵一味は最初の遠征の途上で姑息な操作を行い、煽る理由を作っていたのである。

自転車のタイヤに出費するのは当然のことであり、それがわかっていれば余計な活動はしなくて済んだはずだ。それに執拗に誘い出しておいて成果には疑問の付く内容で、曇りがちな天気を読みきっての犯行であることも明らかだ。かつて門外漢女に騙されていた頃のようなくすんだ画像には言葉も出なかった。
無論30Dはその程度のカメラでは決してないことは先日出したキレッキレの画像で証明済みであり、その様なくすんだ画像が出てくるということは敵の操作が絡んでいたということだと私は判断した。翻って、門外漢女によってもたらされたあのKissDはその程度のカメラだ。
その分はすぐに取り返したからいいようなものの、今後同様の事態を発生させるわけにはいかず、規制強化の判断が働いたのは云うまでも無い。

問題が発生した「4月10日」は、7年前にあの糞石之坊から不当に粛清されたその日だった。
その日に策動が発生したことを受けて、「4月10日」は特定日となり不要不急の活動が一切出来なくなる。
これによって4月は最多の9月(7個)に次ぐ6個の特定日を有することになった。
また、撮影対象がそう簡単に無くならないものであることもあり、余程の事態でも無い限り問題の撮影は封印する。

当局指定の特定日
(PDFファイル注意)

我が一家がなすべきことは移住であるが、それが実現するまでにやるべきことは第一にそのための蓄財であり、第二に回顧録やブログ(このブログではなく、ポータルのブログ)の執筆である。そして第三に敵一味から償いを勝ち取るか、或いはそれに等しい儲けを出すことである。そして最後に敵一味を一刻も早く撤退させこの人生のステージから追い出すことである。なお、当家では「追及より解放」の主義を取っており、償いをして解放に応じるのであればいつでも闘争を終わらせる用意がある。
これらが出来ないうちに趣味ごとに現を抜かしていてはいけないのが本来の筋であり、写真活動は特別の中の特別に許可を得て行われているものである。その認可条件を破らせようとする悪逆な策動は、何があっても到底許されるものではなく、斯様の勢力に対しては厳格・無慈悲・冷酷に対処・処断するからそのつもりでいろ。

今後は2年後に予定している移住事業の確実な実施ありきで蓄財の推進と機材の回復とを行い、辺境の地からの脱出を図る。

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毎日の買い物が本当の投票だ

既に砦ブログでは触れている話だが、冒頭の言葉を知った動画をまず見てもらおう。

買ってはいけない/Meiso

企業社会主義が支配するこの国の現状に照らし合わせればまさに言っているとおりなわけで、選挙の投票など錯覚システムに過ぎず国会はお飾りに過ぎないこと、アベルフですらパペットに過ぎないことを併せて合点がいった訳である。

企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけだ。

私は三度に亘って自動車利権について書いたが、その自動車も不用品であるしその先にある趣味やレジャーの類も不要不急品であり収奪の手段であり、そしてその目的地の多くが支配勢力の利益に繋がっているのである。

このツイートに書いた通り不倶戴天の敵の一つである創価学会は主に傘下企業によって企業社会主義の主力となっている。その創価は日蓮正宗の別働部隊・系列カルトであり、日蓮正宗の手先であるとも言える。その日蓮正宗はキリスト教勢力の手先であり、偽天皇の手先でもあるのだ。そしてこれらカルトが、日本の主たる企業に入り込んで企業をカルト化させているのである。

物を買うことの意味

物を買うことは、すなわちそれを売っている店やそれを作っている企業に一票を投じるのと同じことである。
また、この概念において買い物とはただ単に物を買うことのみを意味するものではなく、カネを出して対価を受ける全てのものが買い物であるといえるのだ。移動を買うことも有償でサービスを受けることも全てがこれに該当する。
企業社会主義の今日においては毎日の買い物が本当の投票であり、このことを厳格に考えて行動しなければならない。

たとえば主だったところでは電気を使うことも対価を払って電気を買っているのであり、れっきとした買い物であるというべきだろう。ガスや水道、交通サービスも同じであり、交通機関を使うことでさえ、カネを払って移動を買っているということなのである。

更に言うならば、企業に勤めることもその企業に一票を投じているのと同じだ。企業に勤めることによって客にカネを払わせている=一票を投じさせているのと同じだからだ。
そしてその出したカネがこれら企業社会主義の構成員どもを維持することになるし、カネを出すことはその企業を支持することと同じになる。そのカネが回りまわって広告代理店やカルト宗教さらには再エネ利権や原発マフィアを潤すことになるのである。
テレビはエアコン以上に多大な電力を消費する。すると原発利権や再エネ利権の一員である電力会社が潤う。そしてそのカネが広告費として回りまわってメディアや広告代理店を潤し、ますますテレビなどのメディアがのさばる原因を作っているのだ。
従って、我々はカネを出して何かを買うという行為に対して厳格に考えて行動し不要なものを買わされないようにする必要があるのだ。敵一味が私に対して使う、「必要を創造する」という手口をメディアや広告代理店は広く民衆に対して使っているということである。「創造された必要」を見抜きそれに騙されたり踊らされないようにしなければならない。

冒頭にも書いたとおり、政治も国会もただのお飾りであり本当の権力はそんなところには無い。そして選挙の投票も奴隷たちが自分で決めていると錯覚させるためのからくりに過ぎない。支配層の手先であるメディアが殊更にこれらのお飾りを煽りたて選挙に行けと叫ぶのは、本当の投票である消費行為に目を向けさせずに企業社会主義勢力を支持させ続けるためでもあるのだ。
与党も野党も皆用意されたものであり、全てグルである。そしてメディアの操作による左右プロレスが平然と罷り通っているが、そんなところに支配層のアキレス腱は無い。
この国を牛耳っているのは企業・官僚・偽天であり、これらは皆キリスト教勢力の手先でもある。企業カルトも宗教カルトも殆どがキリスト教勢力の手先である。
奴らにとって一番困るのは、今の経済システムが回らなくなることなのである。
今の経済システムは、企業社会主義勢力がグルになって民衆を騙し不要不急で無駄なものをたくさん買わせる事によって成り立っている。したがって、無駄を省かれては困るのが支配勢力どもなのである。
翻って今の社会を変えるには、今のシステムを一度止める必要があるのである。
少なくとも煽られるままにあれこれ買っているようでは変革はおぼつかないのである。

ニホンジンにはセラヴィが足りない


ニホンジンがいとも簡単に広告代理店や悪徳企業の悪宣伝に乗せられてしまう原因として、ニホンジンには自分に必要なものはここまで、不要なものは買わないという信念が著しく欠如していることがある。煽る側もそれを知ってやっているので、力関係が一方的になり企業社会主義が一方的に搾取し続ける構図になってしまっている。
あらぬ夢や幻想を見せてそれで縛り、強迫観念を植え付けて企業社会主義の奴隷に成り下がらせ、成功例だけを見せリスクを教えずに妄信させるのが奴らのやり方だ。
夢に駆られていると、物事の善悪を判断する力が薄れる。 人殺しのような事に手を出してまで教祖様の夢を見続けるカルト員、宗勢拡大の夢のために平気で他者を罵り続け終いには邪魔者を糖質呼ばわりする某宗教の講員、「いい学校、いい会社」という夢の為にしなくていい借金に手を出す人、趣味ごとのために自己中心的になり他人ともめるような事をする人(鉄ヲタのトラブルがいい例)も、そのいい例であり夢に入りすぎて善悪を失った姿であるといえる。
そもそも支配勢力とは民衆にあらぬ夢や幻想を見せ続けて都合の悪い現実を見せないようにしているのであるから端から疑ってかかるべきである。

では民衆は最初からそのようなセラヴィを持ち合わせていなかったのか?
答えはNOである。
あらぬ夢や幻想を、それも超大型のそれを見せられてしまったがために感覚が麻痺してしまい忘れ去らされてしまったのである。
セラヴィは主に経験値から生み出されるものである。
それを吹き飛ばし民衆を洗脳するための装置として開発されたものがある。
それがテレビである。
この世にそれが登場してから、まだ60年ほどしか経っていないが、しかしこの悪魔の装置はそれまでの経験値という貴重な積み重ねを意図も簡単に吹き飛ばしてしまったのだ。
敵が失わせるのは簡単だが、失われたセラヴィを取り戻すのは大変な時間と労力を要する。
セラヴィを構築するには、まず自分の身の丈を弁えることが必要である。
そして背伸びをしないこと、ありのままの自分を受け入れることである。
何よりも必要なことは、夢や幻想から脱却して現実に立ち返ることである。
その上で自身の経験を振り返っていく中で、私は私なりのセラヴィを作り上げてきたのである。
企業社会主義やカルト宗教は信念を持つことを極端に嫌う。
何故か?信念を持っていると自分らの思うとおりに操って搾取収奪することが出来ないからである。
そのことはかつてカルト宗門の悪徳法主日如があからさまに「信念は不要である」と説法でのたまっていたことによく現れている。奴らは、信者に自分の人生の手綱を自分で握らせたくないのである。それは傘下のカルト集団や企業カルトなども同じである。
逆説的に言えば、信念を持つことによって不当な搾取収奪を、ある程度は防ぐことが出来る。
だから私は言うのだ、信念を持てと。
メディアスレーブとは、信念を持たずにメディアの奴隷に成り下がっている人間のことを指す言葉である。

実践について

冒頭に書いたように政治も国会もお飾りであり、それを叩いても本当に実権を握っている連中は痛くも痒くもない。
たとえアベルフを引き摺り下ろしたとしても、次のパペットが出てくるだけだ。
奴らが恐れているのはシステムが止まることであり、民衆が余計なカネを出さなくなることである。
何故なら奴らは民衆から搾取した「余計なカネ」で成り立っているからであり、デモも運動も奴らを止めることは出来ない。
民衆が出した余計なカネが、奴等に権力を持たせているも同じなのである。
奴らを止めるには悪質企業の商品を買わないこと、悪質企業で商品を買わないことしかないのである。
だからこそ不要なものを買わない、不要な移動をしないことが肝要なのである。
不要な移動の先にあるものは不要なレジャーや不要な物品であることが殆どであり、不要なレジャーを切れば不要な移動も同時に切れるのである。
それらを買うことは企業社会主義に一票を投じることになるのであり、商業主義がどうして好かれたいかというのはカネしかないのである。一票を投じさせたいのである。そのために手先のメディアはこれでもかと夢や幻想を見せ続けて消費を煽るのである。無論それにはあらゆる真実から目を逸らさせたいというのも目的としてあるのであるが。
悪質企業に一票を投じさせられないにはどうしたらいいか?それは必要なものであれば買う店を選びどこの作った商品を買うか選ぶことである。そこで売国企業やカルト企業を排除するのだ。売国企業等の商品を買わない、売国企業等で商品を買わないということだ。
カルト企業や向こう側の企業、或いは食べて応援系企業、或いは買ってはいけない商品についての情報は、その選別をするために必要なものである。支配層はそれを隠蔽することで成り立っているというべきであり、そのような情報を民衆は自分で探して商品を選別し、不用品を排除しなければならないのだ。それをしようともせず言われることを鵜呑みにして何も考えずに消費生活に浸かるのはメディアスレーブの所業である。

趣味ごとに対する考え方

これは、当サイトの固定コンテンツに私が書いたものを抜粋したものである。
趣味ごとは人間としての文化的生活に必要なものではあるが、度を過ぎて深みに嵌ると人生を狂わせる大きな原因にもなりえるものであり、深入りしすぎないように適正な規制が必要である。
趣味レジャー雑誌や御用サイトの類は総じて思考停止、脳内お花畑に民衆を陥れるためのNWO支配勢力の陰謀であり、煽りとハタカセ、資産簒奪のためのツールであるからそのようなものに頼らないようにして、対象を限定するなどして深みに嵌ることを防がなければならない。
また、趣味ごとの対象の中には権力者、支配層の都合と思惑によって捏造されたものが必ず存在するからそのようなものを見抜き、そのようなものは対象としてはならない。
趣味ごとに使うツール或いはグッズはあまり売り買いしないようにして、ひとつのものを長く使い続けるようにするべきであり、支配側が煽るような流行やトレンドなどには踊らされないようにしなくてはならない。また、趣味ごとによる所有物は必要最低限に抑制し、浪費を防がなければならない。

民衆の命運は、我々の実践にかかっているのだ。

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目には目を

まずは写真を数点見てもらおう。

この3枚は近場で30Dの試運転を行った砌の画像である。
レンズは継続使用の55-250STMである。
近場なのは、昨日は大混乱になることを予想していたからである。
案の定大きな混乱に見舞われたようだが、それは後述する。
見ての通り、キレが素晴らしくピクセル等倍でも鑑賞に耐えるものであった。
画質=画素数ではない。近年のデジタルカメラはやたら画素数が大きくなりつつなる傾向があるが、余りにも大きい画像は一般ユーザーの手には余るものであり、また必要ですらない。
メーカーには先の見えない画素数争いからは降りて本当の画質を追求してもらいたいと思うがいかがであろうか。
そのような「画質=画素数」という勘違いをしているユーザーが少なからずいることも原因になっているのである。
しかし、少なくとも現在の私には820万画素でも十分な画質であり当面において問題はないと決している。
ボディの堅牢性や連写、撮影後の立ち上がりなどカメラとしての基本性能は前任機とは雲泥の差であり、腐っても鯛とはまさにこのことなのである。

この2枚はやはり近場でP7700によって撮影している。
先日には某鉄道撮影地で練習をしているが、その折に試しにP7700でも撮影してみた。
その結果焦点距離に限りがあるものの連写速度も速く、8コマ/秒で6コマ切れるので余程タイミングを間違えない限りにおいては問題なく戦えることがわかった。
コンデジなりの画質ではあるが…。
そうは云ってもISO500辺りまでであれば十分な画質を確保しており、コンデジの場合は一眼ほどに絞る必要が無いので多少厳しい条件でも十分な画質を確保できる。

しかし、現状は決して誉められたものでないし、そもそも鉄道破却があったとしても機材を売る必要までは無かったわけで、敵一味に強要されたものであるとも言える。

その敵一味は今日に至ってもその所業を全く改める事無く、不当な嫌がらせに精を出して損害を出している有様である。
それに対する要求全蹴りは当然の措置であり、正当な報復だ。
その正当な報復に対しても敵一味は逆上して嫌がらせを重ねており、もはや奴らは人間ですらないというべきだ。
嫌がらせをされただけの目には目の報復をするのが至極当たり前であり、それに対する逆上は到底許されない。

しかも問題の売却強要は敵一味がその悪事に対する矛先を逃れようと洗脳操作によって機材のせいにさせたものであり、それによって損害を負わなければならない筋合いは我々にはない。
然るべき償いが成されない限りにおいては日蓮正宗殲滅のその日まで戦い続ける覚悟でいるのは当然のことだ。
表の連中は裏部隊が何をしているか知らないでいることが多いが、龍神は元から裏部隊兼任であり、裏で洗脳操作や裏工作をやってることを知ってやっているに違いあるまい。それでいて勝ち誇った書き方で誹謗をしているのだからもはや狂っていると言わなくてはならない。
そんな輩には女など出来なくて当然だしキモヲタ化の流れも至極当然だ。
しかし、工作員の柏原容疑者(2013年の交際類似事犯の惹起者)はさも龍神に女がいるかのような嘯きで恐怖を覚えさせるようなことをしたのである。ウソで脅しウソで恐怖を覚えさせるとはさすがウソで塗り固めたカルト宗団だけの事はある。
しかし、それも裏で遠隔洗脳部隊が汚い操作をしていてのことであり、組織的犯罪であるといえる。
奴が惹き起こした交際類似事犯も講幹部や宗門僧に下命されての組織的犯罪であり、だから伊藤は何があっても柏原を一方的に庇ったのである。
つまり日蓮正宗グループとは史上最悪級の組織犯罪集団であるといわなくてはならず、その殲滅は全人類の使命である。

今後も嫌がらせをやればやっただけの目には目の報復をしていくからそのつもりでいろ。

昨日の大混乱と敵の策謀について

昨日敵一味はなんとしても私を遠くに出かけさせたかったようである。
これに対して私は大混乱によって執筆が潰される恐れがあるとして全蹴りにしてやった。
そうしたら雷雨だの急病人だので交通機関は大混乱だったそうである。
全蹴りで大正解である。
敵一味はこれに対して強制催眠という邪悪な手口を以って執筆を妨害しにかかったものの、執筆を止めるには及ばなかった。
出かけるだけで時間の浪費になり、執筆が止まることを重々承知していた故に、私は全蹴りの判断を下したのだ。それが敵の狙いだったからだ。
無論敵の狙いはそれだけでなく、余計に出かけさせて資金を削ぐこともそうだし私が出たところに工作員を派遣して私を貶めるような事件を惹き起こそうとしていたであろう事が容易に想定できたのだ。そしてそれを以って殊更に時間を浪費させる‐それが敵の狙いだったのだ。
無論それだけではなく、その交通企業も向こう側であり当家では抑止対象である(趣味の対象にしてはならないという一家の指定)から、私の存在を理由に特急を全部通過にしたそんな糞会社にカネは払いたくない。10km圏が自転車の指定になっているのはそのためだ。
10km圏と書いたが、実際には10kmを超えていても自転車で出かけていることが多いので滅多なことではそんな糞会社を利用する事態にはならない。平坦に近ければ時間はかかるが20kmでも自転車で行けてしまったりするのだ。

そう簡単に貴殿らの策謀には乗せられんぞ。

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フォーシング

正念場の2017年度が始まった。
今一家は新たなスタート地点に立っている。
今後は敵一味の策略や操作に振り回されることの無いようにしなければなるまい。

最近フォーシングなるものがあることをツイッターで知った。

フォーシングの詳細は下記ページにある。
フォーシング
フォーシングとは、要するに自分の意志で選んでいると思い込ませながらその選択を操る悪辣な手口である。
思い込みに乗じて暗示や引っ掛けなどの悪事をなすやり方もあるという。
これを知った時、私は即座に敵一味のやり方がこれだったとわかった。

敵一味のフォーシングの特色として、殆どのケースでそれが敵一味の利益若しくは利害に直結していたことが挙げられる。
もっと云えば、私にとっての損失はその殆どが敵一味にとって利益に直結しており、余計な売り買いや余計な物を買わされたことでハタカサレたことや人工透析に貶められて宗創医連合軍が不当に利益を得ていることがこれに当たる。
更に遡れば、未だ真実が隠蔽されていた時代に情報の小出しによって無用に踊らされて無用の機材換えをさせられ当時最高レベルとなっていた機材を失ってしまったこともあった。これにはSG現場の工作員どもが関与して、フォーシングに気付かせずにその結果を納得させる役割を担っていた。
2013年に惹起した前代未聞の機材不祥事も敵一味によるフォーシングであり、この不祥事による損失が現在にまで尾を引いているのである。
その後機材を立て直したが、2014年の聖域なき見直しに際して敵一味は汚い手段で矛先を逃れ、しかも無用の損失を負わせようとしたのである。
以前の記事でも書いたとおり、聖域なき見直しの時にはまだ真実の追究が遅まきながら始まったばかりであり、手探りだったわけであるが敵一味はこの真実追究の遅れに乗じて鉄道趣味や機材のせいにして矛先を逃れ、以って折角回復した機材を失わせたのであった。それに気付かせないために敵一味はネット工作員に粘着行為を行わせ、破却に抵抗する振りをした、つまりプロレスに巻き込んだのであった。
如何に鉄道趣味の破却がその時の結論であったとしてもカメラ機材には何の関係もなく、破却を理由に機材を売却或いは代替する必要は無い。だが、敵一味は破却の決定に託けて機材に矛先を向けさせて無用の売却をさせ、しかも当時まだ結論の出ていなかった宗教問題に対しては「今後も(敵宗門の)信仰を続けろ」という結論だけを何の道理も筋道も抜きで押し付けてきたのである。事件の起きた’14.11.15は敵宗門では「目師会」つまり日目の命日であり、これに託けてもいたのである。尤も、この押し付けは程無く見破られ脱退を防ぐことは出来なかったのである。
その後も敵一味は機材の売却と再購入を繰り返させ、これがそっくり筆者にとっての損失且つ敵一味と眷属にとっての利益になっていたのである。
敵一味の利益は金銭的なものだけではない。私を運命操作によって不幸の境涯に押し込めておくことによってこれを出汁にして信者に対する引き締めや再洗脳そして脱退防止のために利用しているのである。
昨年機会があってカメラを再整備することになった際も、敵一味は門外漢女※の存在と過去のスキャンダルを出汁にして感情操作を行い、然るべき機材を選択させないようにして以って短期間で代替させ、更にそこでも然るべき軌道修正をさせずあのようなまるで戦えない問題だらけの機材を選ばされたという結果になった。これがフォーシングでなくて何がフォーシングだというのか。

フォーシングの結果に過ぎなかった過去の入信強要

筆者が忌まわしき敵宗門に引きずり込まれたのは’03年9月のことであるが、これは典型的なフォーシングによる結果である。
まず無用の関西遠征に行かされたこと。これは遠隔洗脳操作による結果であると一家では見ており、偶然を装っていた石之坊講員岩下容疑者も実は予め敵一味によって予定された遠征スケジュールに合わせて派遣されていたものであり、「必ず」帰りの途で鉢合わせするようにプログラムされていたのである。
その後筆者は鵜呑みにせずに調べを行ったが、そのときに検索した情報が偏っており、敵宗門に都合の悪いサイトは一切見せないようにされていたのであった。少しでも都合の悪い記述があれば、宗門に引きずり込むのに不都合が生じる。下手すれば破談になりかねない。そこで情報操作を行い、都合の悪い情報を遮断し宗門に都合のよい情報だけが検索されるようになっていた。なお、2003年当時にはまだ「アンチ日蓮正宗オフィシャルブログ」そのものが無かったようである。
更に岩下容疑者のいかにも好意を装った行動によって思考にフィルターがかけられ、これによって「疑う」というごく当たり前のことが妨げられていた。典型的なマインドコントロール手段だ。やはり殆どの法華講員は工作員であると云わなければなるまい。

フォーシングだけではない。
最近多用される手口が下記ツイートに記したものである。


たとえば、近くに出かけさせて外そうとする時にわざと遠くに行かせるような操作を仕掛けて、拒否するとあっさり引き下がって近くの目的地を提示してまんまと出かけさせるといったことがこれに当たる。これによって然るべき好機を逃させられた事件が発生しており、更に押し止めの洗脳操作によっても好機を逃させられるなどしており、大変問題視している。
これには二つの目的があると見ている。
一つは運命操作の一環であり、それは先述のとおり私を不幸な境涯に押し込めておくことによってこれを出汁にして信者に対する引き締めや再洗脳そして脱退防止のために利用しているものである。
もう一つは筆者の移住計画を妨害し大災害から逃れさせまいとしていることであると見られている。そのための収入妨害である。しかも収入妨害をしておいて余計なものは洗脳操作で買わせようとしているのだ。それによって資金を奪う腹積もりらしいのでそんなものにはNOを突きつけてやる。またそれによって趣味ごとのせいにして矛先を逃れられるとでも思っているのだろうか。それはさすがに問屋が卸さない。
趣味ごとを利用してハタカセて資金を奪おうなどとする連中に更生は期待できず、死罪が相応しいだろう。洗脳講員に付けるクスリは無い。
共謀罪ができれば法華講の連中の集団謀議もアウトだろうから、そのつもりでいろ。

必ずや敵一味の包囲網を打ち破り、自分の人生をこの手に取り戻す。

※門外漢女とは
筆者が石之坊に隷属させられていた当時に宗門僧の命によって私に対する交際類似行為や不当介入に従事していた女講員の通称。現在当該は石之坊で役員として認証された状態であり、私に対する謀略の功で役員に任じられたものと見られている。過去記事も参照のこと。

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