アベルフが政権を簒奪したあの忌まわしき不正選挙から5年。
またしても茶番は繰り返された。
結果の程はほぼ想定どおりであり、幾分ましかもしれない程度で終わっている。
それでも支配層どもにとっては必ずしも納得のいく結果ではなかったようではあるが。
まともな選挙だったら自公は惨敗していたところだろうな。
5年前の当時に書いた「最悪の結果を目の当たりにして」の当時には不正選挙というものがわかっていなかった節があった。
いまや不正選挙はこの界隈ではもはや常識となっているが、メディアスレーブどもの盲目が開けるには到底程遠い現状については当時の認識も間違ってはいなかった。
私はあれ以来選挙などという茶番には参加していない。
選挙で体制は変えられないからである。
選挙に参加した時点で、反体制ではないのである。
体制を変えるには、体制を構成する組織を悉く叩き潰す必要があるのだ。
真実の追究が再点火してから3年余りが経った。
その間様々なことを暴いてきたのであるが、今回はあえて不正選挙と愚民に焦点を当てて展開する。
まず第一に、この国の選挙システムは不正を働くことが前提であり、愚民に「自分で決めている」と錯覚させるためのものであるということである。
前から指摘しているとおり、この国は民主主義国家ではなく、企業社会主義と官僚社会主義という「二重の社会主義」に支配されている国家であり、これを偽天・米帝連合が牛耳っているのである。
民主主義を偽装するのに重要なツールが無記名による秘密選挙なのであり、支配層が絶対に変えさせないのが秘密選挙なのである。
このシステムでは投票してしまったら最後、悪魔の契約を結ばされることになる。
ネトウヨどもはやたら9条を変えさせたがっているようであるが、これは支配層の意向そのまんまである。
ここで大事なのは、支配層は9条を変えさせて秘密選挙を絶対に変えさせない意向であるということである。
この秘密選挙の枠組みの中で行われる限り、投票者は支配層の手のひらで弄ばれるのみであり決して社会を変えることはできないということである。
つまり入れた時点で奴らに従わされる定めなのであり負けなのだということである。
何故投票所では鉛筆が使われるのか?
それは鉛筆でないと不正が出来ないからであり、無記名の秘密選挙になっているのも同じ理由である。
鉛筆で書いたものなど磁気的な仕掛けでいくらでも改ざんが利くのである。そういう機械が使われている、そういうことである。
もしサインペンやボールペンで投票者記載で行おうものなら支配層の意図通りに改ざんすることなどできないからなのである。
無記名ということはブラックボックスであるということでもあり、これまたいくらでもイカサマが利くということなのである。
なお、一部の陰謀論者は某宗教団体が偽票書きをしていたと主張しているが、それは既に過去のやり方と化しているであろう。陰謀論者は支配層の手先であり、陰謀論者の役割は真実追究者に対する騙しとミスリードであるから、奴等が出してくる時点で既に支配層にとっては痛くも痒くもない情報であり、既に何年も前に終わっていたはずである。そうでなければあのような情報は出せないはずである。
第二に、そのイカサマでしかない選挙システムをこの国の愚民が盲信してきたということである。
恐らく、不正選挙は最近に始まった話ではない。
というのはその中核である「ムサシ」は最近になってできた会社ではないからである。もう一つの中核は総務省であり、これも省庁改編でも変わることの無かった古い官僚組織である。ということは、遠く55年体制ができた選挙から既に不正選挙であった、そして偽票書きは当時の手口であったというのが私の見立てである。
55年当時というのは丁度テレビなるものが出現し始めた時期である。
当時は「テレビを見ると馬鹿になる」と民衆の間でも言われてきた。
それが70年経った現在はほとんどがメディアスレーブに成り下がり、このような体たらくである。
しかし、これは戦前に既に画策されていたことなのではないか。
というのは、大戦を前に時間にルーズだった民衆に「勤勉」を教え込むキャンペーンが行われものの見事に目論見どおり時間通りに動く歯車化しているからである。
これが戦後の社畜化にも大いに貢献しているのである。
これとテレビの普及そしてメディアのスピンコントロールによって愚民、メディアスレーブは生み出されてきたということである。
メディアと教育は繋がってないようで裏で繋がっている。そして教育は肝心なことを何も教えずに支配層にとって都合のよい駒になるよう「教育」しているのである。
そして、点と点を結んで考えさせないようにスピンするためのものを企業とメディアが流布するのである。それが流行りモノの正体である。
そのような支配層とメディア、そしてカルトなどこれに連なる連中にとって都合が悪いのが、昔を知っている人間ということになる。老人福祉のドラスティックな改悪などの老人いじめは、昔を知っている者を口封じするためなのである。
いずれにしても、55年体制以降の政治というものはすべてが体制側によるイカサマであり、メディアとグルになって民衆を愚弄してきたのが現在の自公・企業社会主義体制なのである。09年の政権交代でさえ、自公が責任逃れをするために敢えて下野する「振りだけ」したのである。そして下野中に人工災害を惹き起こし、「下野中」であるのをいいことに当時の民主党に責任を押し付け、そして不正選挙で政権を簒奪したということなのである。3・11は世界支配層によって予め予定されていたものであり、そのときには自公は下野中である必要があった、そういうことである。
云うまでもなくメディアの流す情報はウソとスピンに満ち溢れているものである。
メディアの流すウソの価値観に毒された愚民はもはや支配層とグルになってこの国を毒し続ける有害な存在でしかなく、忌まわしい生物(Disgusting Creatures)でしかない。
斯様な愚民が9割である以上関東で儚い夢を追い求めても意味はなく、そこは厳しくやるということになる。
したがって過去の忌まわしい連中も全て愚民であることに例外は無かろう、そのような輩など最早惜しくもないし忌まわしい過去は投げ捨てさし措くべきなのである。
前回記事にも書いたとおり、本当の投票は毎日の買い物、毎日の生活の中にこそある。何故ならこの国は民主主義に偽装した社会主義国家だからであり、その主体が企業社会主義勢力にあるからである。
愚民が何の抵抗もせずに盲従するさま、その足元を見ているからなのか、企業社会主義勢力は事もあろうにシュリンクフレーションなる手口を使い裏でこっそり内容量を減らして小売店も消費者がそれに気付けないようなやり口で協力してともに暴利を貪っている有様である。要するにこれがアベノミクスの正体なのである。
先ずは暴利を貪る企業どもを悉くぶっ潰さなければならないのであり、その意味でも日々の生活、日々の買い物が重要なたたかいの場となるのである。
前の記事にも書いたことだが、企業社会主義の支配下である今日においては企業こそが民衆にとって直接の支配者であり、解放を勝ち取るためにはそれを潰さなければならない。システムを止めなければならないのである。
そのためには支配層に餌を与えないことである。
現在において民衆は実に多くの不用品を買わされている。
これによって支配層は不当に民衆から搾取収奪を行い、その力を削いでいるというわけなのである。
このあたりについては前の記事「毎日の買い物が本当の投票だ」に書いているとおりである。
余計なドリンク類に始まり余計な趣味ごと、余計なレジャー、余計な流行りモノなど全てが支配層による収奪のツールであるということである。
つまり「×買っている⇒買わされている⇒買うな!」ということである。
同じように、「×出かけている⇒出させられている⇒出るな!」なのである。
つまり、自分の考えで買ったり出かけているようでもそれは実は自分の考えによるものではなく、支配層の手先による誘導もしくは洗脳操作によって強制されているのであり、させられているものなのだということである。
この「○○している⇒○○させられている⇒○○するな!」はわが一家が誇る最強ロジックであり、これによって多くの無駄遣いやハタカセを防いできたものである。このロジックに当てはめて考えれば、必ずや多くの無駄をシャットアウトできるであろうこと請け合いである。ゆえに敵一味にとってはこれがたまらなく都合が悪く、何度も朝礼ごと押し流そうとしてきたものでもある。その敵一味はこれまでにも書いてきたとおり支配層の手先であり、支配層の一部でもある。
今もメディアは多くのウソにまみれた情報を垂れ流し、民衆を愚弄して収奪を行い力を削いでいるのである。その意味では選挙もまた収奪のツールであり、民衆の力を削いでシープル(愚民やメディアスレーブの海外における名称)にするためのものなのである。そのような愚弄のためのツールは全て全蹴りにするべきなのである。全蹴り以外に選択肢は無いのである。
以前にも書いたことだが支配層やその手先はシステムが止まって貰っては困る、民衆からの収奪と騙しを生業とする伝統偽装カルトも同じなのである。
奴等は、日々の生活が行き詰っては困るという愚民の目先だけの考えに乗じてシステムをまわし続けのさばっているのであるからシステムを止めて潰さなければ未来は無いのである。