宗教や敵対者について」カテゴリーアーカイブ

雑感 2017.1.19

周知の通り敵一味が陰謀論者とタッグを組んでの謀略で「先に買わない」を突き崩されたことによって、計画に大幅な狂いが生じている。
「先に買わされる」事態が発生したのはもう1ヶ月前の話だが、これと細細したものによるハタカセがあり動きが取れない状態になっている。これでもかなり、ハタカセを防いできているがまだ完全ではない。
勿論、積立金はまだ死守しているが、ギリギリの攻防になりつつあり厳しい戦局となっている。

先月謀略でハタカサレた金額は1万円近い。陰謀論者が照明絡みの謀略動画で煽り、これに乗じて敵一味が「先に買わない」を突き崩す洗脳を発動したものであった。
この1万円も本来は積み立て用に取っておいたもので、もっと云えば本来は2万円だったのだ。つまりハタカサレた結果、取り崩さずを得なかったのである。この時には封印も貼り紙もできておらず、封が開いた状態であったので洗脳操作によって簡単に取り崩させることができたのだ。

今月の積立金を守れているのは先に記事にもした封印と目立つ場所に貼り出した警告表示のおかげであり、先月にはそれができていなかったのだ。つまり、敵がハタカセの障害を作らせないために洗脳によってさせなかったのであって、ここでも敵一味だけが100%且つ一方的に悪いことになる。今そうである様に封印をして目立つ貼り紙をしておけば同じように守れたはずだからである。それをさせずに、陰謀論者とタッグを組んで殊更にハタカセるのはそこまでしても敵一味にとって「最後の砦」である辺境の地に押し込めて置きたいということなのだ。
「最後の砦」というのは既に敵の誘導したものがいくつも潰え崩されてきたがただ一つ残った最後の遺物がこの縁のない辺境の地ということなのだ。

この状況を打開するには今後のあらゆる場面において取り決めや規制を一の例外も無く厳格に守る以外になく、また不要不急を徹底して切る以外にない。
詳しくは次稿に譲るが、余計なカネは「取らせない限り使わない」である。
従って、当分の間予め申請のあった件以外の遠征は一切出来ないこととなる。
申請は時期未定で1件あるのみであり、それ以外は一切出来ないことになる。
そのために昨年カネをかけて室内で過ごすための装備を充実してきたわけでもあり、厳しくやる。

先日脱退記念行事で出かけていた最中に非通知でかけてきた不届き者がおる。

役所や企業は間違ってもこんな時間にはかけてこない。
つまり、かけてきたのは敵一味の工作員、恐らくは龍神だ。
私はあのキモヲタをロックアウトしているので番号通知でかければ遮断されて終わりである。
それで正体を隠して電話をつなごうとしたのであるが、このえげつない疚しさは一体何なのか。
多分は何か嫌なことの腹いせに難癖を付けようとしたに違いはあるまい。
勿論非通知では自動で遮断するシステムになっており、当然に撥ね返している。
更に抜本的対策を施したので、今後宗門人は私に接触することが出来なくなった。
いずれにせよ、あんな嘘つき脅迫宗教に私が戻ることなど断じてあり得ないのであって、今後のあらゆる引き戻し策は全て無駄であり宗門に何の利益ももたらさない。

法華講が法論に敗れるのは別に珍しいことではない。何故なら怪僧日有が興した超異端の異流儀だからであり、御書の殆どが偽書だからである。
真書を持っているのは本流である身延・日蓮宗であり、富士大石寺は本流でないのだから敗れて当たり前である。日蓮の墓は身延にある。日興の墓は日蓮宗の北山本門寺だ。日目の墓は京都要法寺の末寺・實報寺だ。いずれも大石寺には無い。
にも拘らず自分たち「だけ」が正しいと思い込んでいるので思い通りにいかないと八つ当たりや報復をしてくるから法華講は質が悪い。しかも、奴らは苦情が表に出ることを異常に嫌い、見つければ潰しにくる。この苦情潰しこそが、奴らが決して正しい教団ではない何よりの証左だ。正しい教団であれば苦情なんか出るはずが無いからである。苦情が出るということは正しくない教団であるということになる。苦情を潰してまで正しい教団を気取るのはあるまじき欺瞞であり、騙しである。

以前の稿でも明らかにしたとおり、敵宗門には最初から私を幸せにする気は無く、最初から敵扱いだったわけである。しかも敵一味は、人の幸せを自分で潰しておいてそれを隠しつつ罰だ罪障だと言って脅して宗門に引きずり込み、でっち上げの教義で騙し、裏で手を回して殊更に人の生活を破壊することで孤立化させ、以って宗門に依存させようとまでした邪悪な連中である。

今日の状況は全てこのような離間工作、妨害工作や洗脳、遮断、捩じ曲げ、押し止めなど敵一味による謀略によってもたらされたものであって、私の実力でもなければ運命でもなく、まして自己責任などでもない。自己責任どころか私には一片の責任も無い。
それでもそれがお前の人生だという人はさようなら。

日蓮正宗及び法華講は私に対する脅迫・嫌がらせ・裏での根回し・遮断・運命操作を直ちに中止しろ。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 雑感 2017.1.19 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-211-2.html

忌まわしの記憶

先の記事で出てきた「ラ・チーカ」事件は、それまで水商売に縁のなかった私の人生を悪しく変質させた許せざる事件のことであり、その後の風俗地獄に私を引きずり込んだ忌まわしい事件である。言ってみれば、今日の屈辱的な境涯につながる端緒となった事件でもあった。
勿論この事件を画策したのは宗門を首魁とする敵一味、宗創医連合軍以外にない。

この事件はまだ私が板橋にいた当時の事件であり、桶川時代よりも前のことである。
問題の「ラ・チーカ」は規制が緩かった当時に違法に営業していたフィリピン・パブのことである。
この店は池袋の東急ハンズの裏手、その立体駐車場の近くにあった。
当然事件が惹起したのもハンズで買い物を終え、自宅に車で帰ろうとしていた時のことであった。
件の「ラ・チーカ」の従業員の女が突然絡んできて、腕をがっちり掴んで離さない事態が惹起した。
何度断っても腕を離さず…根負けさせられて店に引きずり込まれたのだ。
そして、持っていたカネを殆どハタカサレてしまったのである。

今であれば、あまりしつこい奴には「警察を呼ぶぞ」とやればそれ以上はしつこく出来ないはずであり、当時でもそうだったはずである。何故なら向こうは違法営業である以上警察沙汰にはしたくないはずだからである。
しかし、このときに限ってそれが出来なかったのである。これはおかしい。
つまり、敵一味が汚い洗脳を発動して「警察を呼ぶ」ということを考えられないようにしていたということであり、とどのつまり女も店側もグルであったということである。
通常であれば「警察を呼ぶぞ」を発動してそれで終わるところがそれをさせず、根負けしなくてもいいものを根負けさせられるというのは敵一味による汚い洗脳以外に考えられない。
汚い洗脳というのはBMI機器による洗脳ということである。つまり平たく言うならば人間リモコンということであり、これをできるのは敵一味以外に考えられない。
BMIはあくまで手段であって、機械で操るという点以外においてはその手法は通常のヒューミントによる洗脳と何ら変わるものではない。ヒモ付き偽被害者はこの点を面白おかしく脚色しているので警戒が必要である。

而してその後もこの問題の女はしつこく私に絡んできて思わせぶりを続け、途方もない金額をハタカセたのであった。
とどのつまりは交際類似事犯であり、この女には私と交際をするつもりなど毛頭なかったのである。その過程にもBMIが絡んでおり、汚い洗脳なくしては成り立たない事件だったといえ、これを敵一味の画策である証左とする。

向こうにそのつもりがない、つまり思わせぶりの交際類似事犯であることを薄々感づいた私が一方的に関係を切ったことで事件は終わったが、その後に敵一味は「風俗地獄」などというくだらないハタカセ策動を用意していたのである。
つまり、「ラ・チーカ事件」は風俗地獄への導入を意図した惹起事犯であり、悪質な運命操作事件であるということが言える。

本件事件とその後の風俗地獄を併せ、途方もない金額をハタカサレたことによってその後の経済崩壊と貯えのない状態を強要されたことによって不本意な選択を幾度も強いられる原因となっており、まさしく「作り出された不幸」であり悪質な運命操作事件であるということが出来るのである。

本件事件の当時には改正風営法も改正ストーカー法も無かった。
つまり敵一味はやりたい放題だった訳である。
無論今日においては本件事件のような強引なやり方は許されないものであり、処罰の対象となることは云うまでもない。

本件事件が惹起した時は、まさにこれから蓄えを作って将来に備えようとしていた矢先のことであり、それを潰して後の不幸の原因を作り出すことが敵一味の目的であったということである。
その後も事あるたびにハタカサレて大魚を逃させられ、以って蓄えを作らせなかったことがそれを証明しており、後の風俗地獄とあわせ汚い洗脳が無ければ成立し得ない事件でもあり、敵一味特に宗門の邪悪さが浮き彫りになる事件である。

このような汚い手段で運命操作をしておきながらそれを隠蔽しつつ罰だ罪障だといって人を脅し宗教に引きずり込んで更に破滅にまで追い込んでおきながらそれに対して全く償いもせず、殊更に離間工作と暗殺で孤立化させて追い込んだ敵一味とそれに連なる連中を私は絶対に許さない。たとえ直接は加担していないヒラ講員であってもそれは同じである。

今日の極めて不本意な境涯にはこのような経緯があり、後の数々の運命操作の策謀と併せて極めて不本意な経緯があるのであり、どうまかり間違ったとしてもこんな不本意な不当に改変された人生をこれが自分の人生であるとは間違っても言えない筈である。
まして敵一味の予期せぬ手段での策謀と攻撃があってのものであって、私にはいささかの責任も無い。それどころか、ここでも敵一味だけが100%且つ一方的に悪いのである。
敵一味によって、自滅したかのように装い追い込まれたのであり、これは謀略であって自滅では断じてない。自滅したかのように装って追い込むのは宗門を首魁とする敵一味の常套手段なのである。
それでもこの屈辱的な人生を受け入れろという人はさようなら。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 忌まわしの記憶 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-211.html

脱退2周年に寄せて

一昨年の1月10日に忌まわしき宗門を脱退して漸く2年が経過した。
脱退してからこれまでの間敵宗門の凄まじい妨害や嫌がらせは筆舌に尽くし難いものがあった。
そしてそれは今もまだ続いているのが現状である。

「アンチ日蓮正宗ブログ」では離壇から5年は様子見期間とする旨仰せられているが、それだけ苛烈な妨害や嫌がらせに屈して戻ってしまう者が多いこと、また結局カルト依存体質から脱却できずに系列のカルト教団を渡り歩く、所謂カルトサーフィンの者が多いことに鑑みてそのように仰せられているのだろう。
一度カルトに嵌って失った信頼を取り戻すのにはそれだけの年月が必要であるという意味でもあり、まだ2年しか経過していない現時点では道半ばであるということになる。そしてあと3年は戦いが続くということにもなり、マイルストーンを重ねていくことに勝る闘争はない。

当家では当然に幾多の対策を重ねて敵工作員の撃退に努めてきたが、突撃が出来ないと見るや裏に回っての陰湿且つ卑怯な嫌がらせを激化させており、改めて敵宗門の者共が社会不適合者の集団であることが浮き彫りになっている。

本来であれば21世紀の幕開けとともに始まっていなければいけなかった真実の追究を汚い洗脳による焚き付けでスピンしたのは敵一味であり、その後も再三押し止めやスピンを行い真実の究明を妨害してきたのである。その目的が社会的抹殺にあったことは明白であり、それも些細な理由で勝手に敵認定したことが端緒となっている。
しかし、敵一味が最も知られたくなかった真相とは「宗門が敵」であること、私を騙して引きずり込んだ宗門自体が主導者であり画策者であったことではなかったか。がためにいち実行犯でしかない門外漢女を「首謀者」としてでっち上げ、デコイとして叩かせることで真の首謀者を隠蔽していたのが宗門だということである。
このでっち上げは汚い洗脳で刷り込まれ、これまた汚い洗脳によって徒に書き急がされ、内容に疑義ありとして消しても再度書かされたことは以前にも書いた。

敵宗門の者共は安心できるウソで「必ずよくなる」と私を騙してきた。
しかし、忌まわしき宗門に引きずり込まれてから脱退までの11年でちっともよくならないどころか実際には悪くなる一方であり、一家は離散し崩壊させられ、私は屈辱の境涯に突き落とされた。
しかも講内では常に孤立状態で、敵扱いされてきたのである。

敵宗門は、「罰」や「罪障」という言葉で誤魔化し、或いはこれらの言葉を使って貶め、私を悪者扱いしてきた。
そして、暗殺や離間工作で孤立化を行い、以って他に頼ることのできる者を奪い、宗門に依存させるような工作をしていたのである。
そして宗門に依存せざるを得ない状況を意図的に作り出すことで脱退を長年に亘って妨げてきたのである。
それを破ったのが、2014年に行われた「聖域なき見直し」である。

前にも書いたように、脱退するチャンスは以前にもあった。
石之坊からの脱退の砌である。
このときに宗門自体から脱退していればここまでの惨状はなかったはずである。
しかし、石之坊サイドは一方的に結論だけを押し付け、真相の追及を妨げた。
而してそのことが真実を物語るものであり、全ては寺ぐるみ・講ぐるみで行われた組織的犯罪だったのである。
そして、日有の贋作である「日蓮=仏」のまやかしに騙されていたことが脱退を妨げた。
結果、それ以後の4年半で私は全てを失わされ、屈辱の境涯にまで貶められた。
そのことに漸く気付いたのが、2014年の8月だった。
そして「聖域なき見直し」の結果宗門から脱退を決めたのが2015年の1月だったということになる。

脱退決定後、直ちに離壇の手続を取ることを決めたが、敵一味は汚い手段で行動を改変し、正式な手続を妨げてきた。
宗門と関係のない外部の者ということになると如何なる処分や懲戒も意味を成さず、脅してやり込めることが出来なくなる。そのために正式な手続を取られないように行動を改変し、その結果向かわされた宗務院でも離壇の受理を拒んで違う寺院へたらい回しにしようとしたのである。これは基本的人権である宗教からの離脱の自由を侵害する不当行為であり、断じて許されるものではない。
しかし、確実な離壇という観点から見れば離壇届は末寺に郵送で出すのが本来のあり方であり、それをされないように敵は汚い手段で行動を改変したのである。

そして敵一味は、私が力をつけることの無いようにと、事あるたびに殊更にハタカセて、買わされた物の売却で手元に取り戻してもいつの間にか使わされて失わされたのである。
力をつけることは選択肢を得ることにつながる。その選択肢を奪いたいということなのか。全くどこまで邪悪な宗団なのか。
離壇によって宗門にカネを落とさなくなったことが余程気に入らないのか。尤も私はそれほどカネを持っていたわけではないのでそこまでして引き戻しても利益など大して生み出さないはずである。

ハタカサレたカネが仮に全部残っていれば、今頃とっくに移住を果たしていた話であり、殊更にハタカセた敵一味が物凄く許せない。
然るに敵一味は失わせたものを全く償わないばかりか却って逆ギレして執拗な迫害を繰り返すばかりで全く反省が見られない。
このような宗団の者に反省を期待をすることは全くの無駄であり、邪魔者は殲滅する以外に方途がない。

敵一味による妨害の理由は他にもある。
脱退者(敵的には「退転者」)がその後幸せになられては信心に意味がないことが明白になってしまい脱退が後を絶たなくなり、収奪が出来なくなるからということなのである。つまり運命操作によって意図的に脱退者の幸福を妨げ収奪システムを守っているということなのである。
運命操作という汚いやり口を持ち込んだのは間違いなく敵宗門であり、その傘下の団体らはこれを流用しているに過ぎない。
しかし、「宗門無しで」幸せになれること、また逆にどんなに信心しても幸せになれないことを証明し、敵一味のたくらみを阻止しなければならない。
そもそも敵宗門の教義自体怪僧日有による贋作であり、「日蓮=仏」もそれ以前には無かったものであり偽仏による収奪システムは糾弾されなければならない。

大して宗門にカネも落とさなかった私に多大な費用をかけて引き戻しや遮断の工作をしたところで何の利益も生み出さないはずであり、「付きまとって何の利益があるのか」と謂いながら付きまとっていたことと併せそれは自家撞着の産物に他ならない。
以前敵工作員がのたまった「折伏の妨げは潰さねばならない」という極めて自己中心的且つ独善的な思想は全体主義、ファシズムのものであり、「世界平和」などとは到底相容れない。

ともかく、以前の記事でも書いたとおり「今年1年ハタカサレないために」を制定し、「先に買わない」「取らせないなら買わない」を徹底することとした。
失わされた物の中には、敵が洗脳犯罪を行ったために逃させられた大魚が含まれており、そのことに対する報復でもある。
逃させられた大魚だけでもとっくに移住を果たせていた話であり、絶対に許せない。
先に買うことは、敵の意向に従うことをも意味するものであり、買ってしまったがために失ったチャンスも多かったことから「先に買わない」は来ているのである。
先日書いたように前進を果たす最終期限でもあり、不退転の決意で臨む。
「買う」ことには無駄な外出でカネを使うことも含まれるというのが当家の見解であり、遠出をしないことが達成の近道でもあるということである。
従って、不要不急の遠出を避け、外出時であっても余計なカネを使わないことが肝要であるといえる。
これ以上ハタカサレる訳には絶対にいかないのが現在の一家事情であり、今度は厳しくやる。
過去の惹起事件から気をつけるべきポイントは心得ている。
汚い洗脳によるハタカセ、そしてそれが出来ないと水商売や風俗、そして交際類似事犯が来るのが敵一味の攻撃パターンだ。
最早それらに惑わされることは無いしラ・チーカ事件のような強引なやり方も通用しないからな。

たとえこのまま幸福な人生を取り戻せないで終わったとしても、私の人生を潰した宿敵であるカルト日蓮正宗宗門に戻ることは皆目あり得ないのであり、それが私の矜持であるということははっきり謂っておかねばなるまい。
従って如何なる理由や事情があったとしても宗門に籍を置く者は全て敵となるのであり、如何なる例外もそこには認められないのである。
それが解ったなら何の利益も生み出さない妨害や遮断の策謀からは早く撤退したほうが貴殿らのためだということを宗門、宗門人どもにこの場で通告しておく。

漸く脱退から2年を迎えることが出来たが、「失わされた14年間」を取り返すための戦いは始まったばかりである。
そして、「脱退から5年」を目途にするならばそこまではまだ3年ある。
移住を果たすこと自体、解放を果たすための第一段階でしかなく、敵一味が償いをしないどころか未だに遮断を続けている現状では厳格無慈悲に邪魔者を殲滅する以外に方途は無いということである。

必ずや解放聖戦を脱退貫徹による完全解決で勝利し、自分の人生を自分の手に取り戻す。
それが脱退2周年の新たな決意であるということである。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 脱退2周年に寄せて はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-210.html

あの日のこと

2015年6月14日、敵宗門石之坊は法悦院と共謀して寺院をまたいだ迫害部隊を結成し、私に対して宗教団体にあるまじき迫害を行った。
あまりの衝撃に、いまだ事件名が制定されないほどの忌まわしき事件であり、私の心に深い傷を残す結果となったものである。

この事件は敵一味の策謀によってBMIによる洗脳操作で書き急がされた旧回顧録ブログがカモにされ、更に当日に敵側がBMI犯罪による洗脳の影響下に置き、これによって操作を行いながら、私が一方的に不利となるような状態を作り上げた上で、寺院をまたいだ工作員数名(少なくとも4人以上)で押し掛け、言論封殺と強引な引き戻しを謀った事件である。

問題となった旧回顧録ブログは、その内容が敵宗門による創作であり、これをBMIによる洗脳で思い込ませて書き急がせたものである。さすがに違和感がありありであり、再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、その後の見直しにもこれを削除させないでおきながら、私が宗門の意に沿わず脱退するとこれをカモにして寺院をまたいだ工作員によって迫害を行わせ、しかもこれを宗門側がBMI犯罪によってアシストして工作員の側に一方的に有利となる状況を作り上げたのである。
私がいまだ宗門に隷属させられている間は宗門側は決してこれに手を付けず、数々の事件において宗門が真の画策者であることを隠し脱退を防ぐためのデコイとして門外漢女を利用していたものであり、私が宗門の意に反して脱退したことで当初の予定通りこれをカモにして迫害を仕込んだということである。
そうでなければもっと早い時期に問題になっているべき代物だからである。
工作員の側がこのことをどの程度知らされていたかは不明であるが、BMI犯罪が併用されていることから見ても単なる講員どもの連帯による犯罪ではなく、宗門宗務院が画策しその指示によって惹き起こされたものではないかと当方では見ている。
この事件が起こるまでの間にはいくつもの不審な出来事があり、脱退にかかる正規の手続が不当に妨害される事態も起こっている。
本件事件は、決して単発の一個事件ではなく、そこに至る過程に宗門との闘争があって惹き起こされたものであり、決して個人的或いは末寺レベルだけで惹き起こされたものではないのである。

2015年1月10日、私は宗門から脱退し、無宗教に戻ることを決めた。
しかし、敵一味はこの瞬間から然るべき手続をさせずに強引に引き戻し再洗脳した挙句抹殺するための悪逆なる策動に動き出したのであった。
まず、脱退届は基本的にその時点での所属寺院に出すべきものであり、宗門に直接差し出すケースもあるもののいずれにしても郵送で行い、敵のいるところには向かっていかないのがセオリーである。
ところがこれに対して早速操作が入った。
何をさせたかというと、わざわざ本山まで脱退届を携えて向かわせるという凶行に及んだのである。
これには、事前調査の不備とそれに対する妨害があったのである。
正しい脱退方法が記載されたサイトにアクセスさせないように、また検索で調べさせないように仕向けていたのである。
当時はスピン目的の偽被害者サイトやアカウントに愚弄されていたこともあり、BMI犯罪の主導者は宗門であるという重要な真実をまだ知らなかった。
スピン目的の偽被害者どもは、創価や公安など的外れなものをデコイとして叩かせるために演技を行い、本当の被害者を愚弄する連中なのである。

話を戻して、宗務院の者が脱退届を易々と受け取る訳はない。
何故なら、搾取する側であり、宗教にしがみつかせておきたい側がそう易々と脱退を受け入れられるはずが無いからである。
かくして、脱退届けを突きつけたはいいが敵宗務院の者はこれを何だかんだと理由を付けてついに受け取らなかったばかりか「謗法」を脅し文句に違う寺院で続けさせようとしたのである。結局は全くの無駄足に終わったばかりか、奴らのいわば仲間であるともいえるバス会社に儲けさせるだけの結果に終わった訳である。F社は富士・富士宮周辺のバス路線を寡占的に占めているだけでなくG社もその傍系であり、ほぼ独占企業だ。そしてこの会社は大石寺への路線を独占的に運行している。そのことだけでも「お仲間」であると気付くべきであった。
しかし、宗門そのものに疑問を感じていた私がその寺院に出向くことは無かった。
そして、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると、宗門側は掌を返すような態度に出たわけである。
まず、ツイッター上で法華講工作員が不審な態度に出始めた。
その中に、法道院の信者と思しき輩がいた。
恐らく、この者が宗門側に私の動きを逐一報告していたのであろう。
この者については激論の末にブロックの処分としている。
その後、私は新たな誘導先の寺つまり法道院に断りの電話を入れるのであるが、寺の者はまともに取り合わず馬鹿にした態度でぞんざいな応対をする有様であった。

さて、先述のとおり私は問題の回顧録ブログの内容には予ねて疑問と違和感を感じていたわけであるが、そのことが敵宗門にとっては都合が悪かったようである。
つまり、敵宗門はその内容が絶対に正しいと思い込ませたかったということになる。
そのために、敵宗門はBMI犯罪によってその影響下におき、私を不当に操作するという悪行に及んだのである。
それは、宗門側工作員どもを一方的に有利にするために行われたわけである。

宗門脱退の決定からおよそ5ヶ月経った2015年6月14日に、その事件は惹起した。
冒頭のとおり、寺院をまたいだ少なくとも4名以上の男子部が押し掛けてきて迫害を企てたものである。
その結果、認めなくてもいいものを認めさせられ、ブログは閉鎖に追い込まれしなくてもいい不本意な謝罪までさせられるという被害が発生したものである。
先述のとおり、私は問題のブログの内容に疑問を抱いていた。
しかし、それがそのときには敵の操縦によって消されて敵の操縦どおりのことを言わされる被害を受けてもいる。
それだけではない。
BMIの被害は、対応の改変にまで及ぶことになった。
元来このような不当な迫害者には何ら対応をする必要はなく、また食って掛かってもいけない。
ところが敵一味は不当な操作でこれらをさせるという所業に出たのである。
更に、敵工作員は偽名を使って法的拘束力のないちんけな紙を入れてきたのだが、このようなものに対応する必要は無いし連絡もしてはいけない。
ところが、敵はBMIでこれらを捩じ曲げ、対応をさせてしまったのである。
しかも、わざと怒らせるような手段を使い、心理操作まで行い冷静な判断をすることを徹底的に妨げたのであった。
したがって、当日のすべてが私にとっては非常に不本意なものであり、何ら私の主義主張を反映していないものであるから当家ではそのすべてを無効であると決している。

問題の回顧録ブログには、お問い合わせフォームを設置しており、異議や苦情に対応できるようにしていた。
しかし、奴らは決してそのアドレスを踏むことをしなかった。
つまり、苦情等は問い合わせフォームで行うのが正規のあり方であったのだが、奴らはこれを無視して押し掛けてきた。
敵工作員は初見の者とは思えぬ非常にぞんざいで高圧的な態度であり、わざわざ怒らせるようなやり方を取って冷静さを保たせないという非常に謀略的な方法を取った。これは石之坊住職・山根の指示であると思われ、それを思わせる言がこのものから発せられているので恐らくそうであろう。
そして、敵工作員はウソでたらめで脅し罵倒して私の言を全て「ウソ、でたらめ」などと罵って塞いで自分たちの主張「だけ」を一方的に飲ませようとしたのである。
そしてこれがBMI犯罪による操作によってアシストされたのであった。
思考は捩じ曲げられ混乱し、冷静さを奪われ、一方的にやり込められる事態となったのだ。
メールフォームを設置していたのはそのような事態を防ぐためでもあったが、奴らはそれを意図的にすり抜けていたということになる。
事件を画策した宗門僧侶が、メールフォームを無視して集団で押し掛けるよう指示していた可能性が極めて高い。

敵工作員・龍神ひろしは私がブログで使っていた「敵」という語句に激しく反応してきた。何故か?それは身に覚えがあるからに他ならず、この犯罪の主導者が宗門であると見抜かれているのではないかという恐れを敵一味が持っていたからに他ならず、また私が宗門を敵視し始めていたことに対しそれを引っ込めさせる狙いがあり、それで山根がこの男に指示していたのであろう。
また、この男は「ブログ辞めろ」「ツイッター辞めろ」とその目的をあらわにするような台詞を平然と吐いていた。
つまり、奴らの目的は記事の修正や削除ではなく、真実を突き止められないうちに私からブログやツイッターなどの情報ツールを奪い、その上で元の寺に引き戻し、そして皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺することにあったのである。
そうでなければ正規のあり方に従って、メールフォームから異議を申し立てればそれで済んだだけの話である。
他に疚しいことが無ければ絶対にそうしていたはずであり、正規のあり方に従わなかった時点で他に邪悪な企みや目的があったということを直ちに意味するものである。
尤も、あのような内容をBMIで仕込んで書き急がせている時点で貶める気満々であったと云わざるを得ない。
なお、お問い合わせフォームを無視したことにはもう一つ理由があった。それは、後々証拠が残らないようにすることであった。というのは、このフォームでは書き込んだ者の「足跡」つまりIPやOSなどのメタが必ず残るようになっているのである。これはWordpressの仕様に準拠したプログラムを使用しているためである。これらをすり抜けようとしている時点で疚しさ満点なのであり、犯罪者の行動であるといえる。

当時はまだ偽被害者どもの正体を見抜けておらず、奴らによって的ずらしされた情報がまかり通っていたことも問題であった。
これらも敵一味の側に有利に働いたことは厳然たる事実であり、創価や公安のせいにして逃げおおすことで真の画策者に矛先が向かないようにしている連中に敵一味が誘導していたこともほぼ間違いない。
おかしいと思って調べているところへ斯様の偽情報をぶつけられて誘導され、引っ掛かった者は統失呼ばわりされるシステムになっていたのである。

しかし、問題のブログこそ閉鎖することにはなったが、ツイッターアカウントや他のブログ・サイトはどうにか死守した。
更に、この男は偽名を使い、ウソで私を脅していた。
偽名であることは、後に判明している。
しかも、自分は偽名を使っておいて私には本名で謝罪文を掲載させようとしたのである。
これはその意図を見抜きそのようにはしなかったが、するとすぐさま電話で食って掛かるという所業に出たのだ。
これだけ取ってもこの要求が非常に邪悪な意図に満ちたものであったことがわかる。
つまり、本名を晒させることで徹底的に貶めることにあったのであり、奴らの目的は社会的抹殺であったことになる。

この事件が惹起した時は、真実の追究は動き出していたもののまだ完全には真実をつかめたとはいえない状態であり、「宗門=敵」という真実にもたどり着いていなかった。
この事件の狙いは、私が敵の正体を掴みきってしまわないうちに脅迫で丸め込んで再洗脳し、真実がわからないうちに皆で言いくるめて精神科⇒抹殺に追い込んでしまおうとしたことにあったのだ。

工作員の男は、通称龍神ひろしの名でブログを持っている。
ただし、現在は殆ど更新を停止している。
龍神は、事件の翌日ツイッター上で平然と私のことを統失呼ばわりするという暴挙に及んでいるが、これが日蓮正宗側の狙いを如実に表している。
やはり精神病扱いして精神科にぶち込み抹殺するのが宗門側の狙いだったのだ。

しかし、偽名を使っていたことがわかり文書は無効であることが判明。
翌月から再び被害をツイッター上に記すとともに更なる真相の究明に奮迅することとなった。
その後、問題のブログは内容に大きな誤謬があること、それが宗門側によって仕込まれたものであることが判明し、その稿は用いないこととなった。

この迫害&引き戻し策動、さらにはBMIによる心理操作によってもなお宗門に戻ろうとしない私に対して、敵は自分たちの所業である風評工作や離間工作をネタにして、しかも創価をデコイにして創価がやったという主張をし、これによって見直しをさせようという暴挙に及んだ。
しかし、これは程無く見破られ同年9月22日付にて宗門からの脱退を確定した。

だが、脱退のための正式な手続は押し止められたまま時が流れ、龍神からの一方的な電話。
しかし、宗門がキリスト教の下僕であることを私が指摘すると返答に詰まり、逃走したのである。自分で吹っかけてきておきながら。
その後この工作員をロックアウトし、ツイッターアカウントも一新したことにより、有害でしかないコネクションは切れることとなった。

結局、正式手続が執り行われたのはその後年が変わって2016年の2月のことであった。
脱退通告を封書で送った上で、本尊や過去帳、御書などを小包で送り返し、残余の書籍は市の回収に出した。
しかし、市が回収するべきこれら書籍ゴミは、回収が来る前に何者かに持ち去られてしまったのだ。
しかも、一緒に出していたダンボールは置き去りになっていた。
また市内の他所で当日に持ち去りは確認されていない。
つまり、書籍を持ち去ったのは宗門側の人間であろうというのが専らの推定になる。

この手続のあとに、一番厄介なものが残っていた。
生活環境の整備を妨げるような大きな仏壇である。
しかもこれは自分で買ったものではなく、講幹部から押し付けられたものであった。
近くの仏壇屋は、全く話にならなかった。
だが、市の回収で安価に処理してくれるということで、粗大ゴミとして回収してもらうことが出来た。
この時点で、脱退決定から1年2ヶ月が経過していた。
跡地については就寝スペースとして整備し、居室と併せてカーペットを新調し綺麗に整備されて今日に至る。

その後、偽被害者どもの正体が判明するに至り、斯様の者どもはブロックで追い出すこととなっている。
奴らは、一様に創価学会による集団ストーカーなどと主張し、その創価の親玉については一切触れないという御用振りであった。
従って、今日においては創価や公安は真の画策者を隠蔽するために用意されたデコイであると見抜き、当時の主張は破棄されていることに注意してもらいたい。

最初からよく調べて郵送で手続していれば、このような惨劇には恐らくならなかったであろう。
しかし、一連の軋轢や迫害は日蓮正宗という宗教の独善性、全体主義体質そして意に沿わないものへの不寛容さそして不都合者を平然と抹殺する邪悪な宗教であることを如実に示す結果となったのである。

敵一味は、今日に至ってもなお引き戻しと再洗脳のたくらみに余念が無い有様だ。
その目的としては、実在しない「仏」を立てることでその邪悪なたくらみを隠蔽し、抹殺を企んでいるとは思われないままに抹殺を成し遂げたかったということだろう。
しかし、それは最早不可能である。
そもそも神も仏も、罰も罪障も実際には存在しないものであり、そのようなものを騙って不幸を作り出し、殊更に搾取して力を奪い支配しようとしていることが既に明らかになっているからである。

【追記】
後年、この工作員「龍神ひろし」がウソを使って脅していたことが発覚しており、宗務院録事でも証明されている。
龍神はウソで脅したのみならず、自分の境涯をもウソで着飾っていた。
付き合っている女などいもしないのに事前の口裏合わせでいることにして殊更に私の境涯を貶める侮辱発言までかましていたのである。
更に、こいつと連携している法悦院の女工作員も一般人に偽装して裏で口裏合わせした内容の書き込みをして私を釣ろうとしていたのである。しかもプロフ写真に当人とは解りにくいものを使うなどきわめて悪質である。正体がわかっていれば突っかかっていくことはない訳で、人を何だと思っているのか。龍神の境涯粉飾に、こいつも協力しており引っ掛け事件でも事前に口裏合わせした台本に従って引っ掛けツイートしており、更にはウソで脅威を感じさせるなどきわめて邪悪である。
「龍神に彼女」がウソだとわかっていれば引っ掛かるわけはないのだが、ここでも遠隔洗脳操作が絡んでおり取る必要の無い対応を強要されるなど極めて邪悪である。
龍神のツイッターアカウントを冷静に分析すれば女などいないに決まっていることが鮮明に浮かび上がるわけであるが、敵宗門は冷静な分析をさせずウソに引っ掛けさせるためにこいつと連携して遠隔洗脳操作を行っていたのである。
このような宗教団体を断じて許すわけには行かず、何としてもファシズム教団・日蓮正宗を撲滅し法華講を殲滅しなければならない。

カテゴリー: 宗教や敵対者について, 旧ポータルブログからのインポート記事 | あの日のこと はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-209.html

敵宗門の動向について 2016.12.24

敵宗門における人事において、不倶戴天の敵人ふたりが日蓮正宗の管長たる早瀬日如から幹事に認証されていたことが判明した。
幹事に認証されるということは工作員の中でも精鋭であると認められたことを意味することで、当家としては予想の範囲内であるもののその持つ意味は決して小さくない。

また、この録事からこれまた不倶戴天の敵人である山崎が講頭職を降り、傀儡である秋山が講頭になったことが判明。
秋山は直接の敵人でこそないものの、石之坊講員である時点で私にとっては敵であるので、ここでも敵として扱う。
講頭を降りた山崎がかなりの高齢であり、Xデーに備えた人事であるとも取れるが、いまだ役員として認証されている状態であり、実質的には山崎による院政であると見ていい。
ここで謂う不倶戴天の敵人ふたりとは、謂うまでもなく龍神と門外漢女のことである。
門外漢女は実権こそ持たないものの石之坊における謀略の鍵を握る人物であり、山根、山崎らの命によって私に対する謀略の実行に当たったと当家では見ている。
私が引きずり込まれたよりも後から来た人物であるので、それ以前は山崎が直接手がけていたもの、山崎では出来ない交際類似行為などをこの門外漢女にやらせるようになったのであろう。
いずれにしても、これらの者が認証されたということ自体が日蓮正宗という宗教の謀略性を雄弁に物語るものであり、脱退の判断が正しいものであることをも証明するものである。

もう一つこの録事で重要なのは、龍神の本名が載っていること、および龍神のウソが白日の下にさらされたことである。
龍神はあの忌まわしき迫害の日、偽名を使って迫害を行い更に門外漢女が幹部でないとウソをついたのであった。
幹事に認証されるということは単なる役職とは意味が異なる。つまり、長いこと役職になければ幹事としては認証されないからである。つまり、門外漢女は2010年4月1日に横浜支区長に任ぜられて以来今日まで石之坊で役職の座にあったということであり、龍神はあの日ウソを使って私を脅したことになるのである。
なお、石川と中村については私の知らない人物でありここで語れることは無い。

門外漢女は私に対する謀略の功によって役職に任じられたというのが私の見方であり、石之坊脱退の日私が門外漢女の証人喚問を要求したにも拘らず石之坊サイドがこれに応ぜず、結論だけを押し付けて紙切れ1枚で追い出し門外漢女に証言をさせずこれを守った理由に通ずるものである。
つまり、石之坊におけるすべての事件は決して個人では起こされておらず、そのすべてが寺ぐるみ、講ぐるみ、宗門ぐるみであったということである。門外漢女が威迫によって真実をポロッとしゃべってしまうという事態を石之坊は恐れていたということになる。つまり、この真実がわかってしまえば直ちに石之坊のみならず日蓮正宗からの脱退につながってしまうからであり、2010年4月の時点での(宗門からの)脱退は何としても防ぎたかったというのが宗門側の偽らざる意向であったということになる。翻って当家の視点から見れば、この時点で宗門からの脱退を果たせていれば今日のような惨状は無かったし以後に惹き起こされた交際類似事犯も無かったということになる。
龍神による迫害が石之坊サイドの狼狽を表しており、石之坊サイドが私の筆に狼狽するということは私の推測が図星であることの表われであり、決して私の類推が的外れではないということになる。
それと、門外漢女は工作の任に任ぜられた時点で私から追及の矛先を向けられる危険性を承知していたはずであり、また石之坊サイドからいざという時には守ってもらうという約束を取り付けていたはずである。そうでなければ、あとから追及の矛先を向けられるようなリスクのある任務を易々とは引き受けないはずである。また、宗門に追及の矛先を向けられないためのデコイとして利用することを予め承知していたはずで、したがって門外漢女は決して傷ついてもいない。何故なら最初から謀略のための色仕掛け、交際類似事犯であり、相応の報酬、キックバックを受け取っていたに違いないからである。傷ついた振りをして涙で支配するのは悪いハラサーのやり口だ。
無論門外漢らは加担者や与同者の類であり首謀者ではない。また、門外漢女は全体構図から見れば最下級の戦闘員、ザコでしかない。龍神でやっと中ボスクラスである。
首謀者は宗務院の中にいるのではないかというのが当家では専らの見立てとなっている。

問題の旧回顧録ブログの内容は、敵宗門による創作であり、これを汚い手段で思い込ませて書き急がせたものである。再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、これがあとで敵工作員の龍神によってカモにされたということである。
いまだ宗門に隷属する間は宗門に矛先が向かないための的ずらしとして最下級のザコをデコイとして叩かせることでガス抜きとしてこれを利用していたものであり、また(宗門にとって)不本意にも脱退された際には迫害の理由作りとしてこれを利用することが予め予定されていたものであると見られている。
他にもヒモ付きの偽被害者などによる的ずらしのための情報が当時はまかり通っており、これも併せて敵一味のために利用されていたということである。
実際問題、いまだ宗門に隷属させられていた間には宗門も石之坊も問題のブログに対してアクションを起こすことは無く、宗門の意に反して私が脱退してからそれが行われた訳でもある。
なお、迫害事件の詳細については追ってポータルにて扱う予定である。
したがって、旧回顧録ブログについては公益に適わないばかりか私にとって害悪でしかないとして、永久に削除することになったものである。
その後の新しい回顧録についてはその後に判明した最新の史実によるものとして鋭意執筆中である。

話を録事に戻すと、この録事を見る限り龍神は石之坊においてナンバー4かそれ以上の地位にあるということになり、会計職が大した意味を持たないことと併せても現在の石之坊における中心的人物になっているということになる。
したがって、このこと一つ取っても石之坊、しいては宗門そのものが私にとっては相容れない輩であり敵であるということを意味するものである。
よって、あの日石之坊が取った龍神を派遣して脅迫し強引に引き戻しを謀るという手段は私の心に消えようの無い大きな傷を付けたという点で大失敗であったと言わざるを得ない。少なくとも功徳なる物がただのまやかしであることを知った人物に対して取るべき手段ではなかった。
石之坊は後々大きな代償を払うことになるであろうから覚悟しておけ。

いずれにせよ、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは宗門を首魁とする敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。

奴らが罰だ罪障だとしているものの正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回したことによる奴ら自身による自作自演、マッチポンプの産物でしかないから騙されてはいけない。
そもそもが罰論を先としている時点で罰だ罪障だといってありもしないもので脅しをかけて煽る脅しの宗教であり、キリスト教とやっていることが違わないのである。
その宗門はキリスト教的価値観をいくつも受け入れており、代替キリスト教であるといって差し支えない。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っている時点でキリスト教に与しているものであり、宗門刊行の破折書(つまりディベート指南書)にキリスト教の破折が載っていないことが、キリスト教の子分であることを雄弁に物語っているのである。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について | 敵宗門の動向について 2016.12.24 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-207.html