宗教や敵対者について」カテゴリーアーカイブ

交際事犯惹起未遂 敵の狙いは?

汚い操作で大魚を逃させられたあと、敵一味が畳み掛けるように交際事犯やら圧迫案件やらを仕掛けて辺境の地にあくまで押し込めておこうなどという悪逆なたくらみを顕にしている。

2014年に最初の病院で惹起した交際類似事犯、及びこれに絡んで惹き起こされた精神科への誘導未遂事件、更にそれが失敗に終わったことに対する報復として一方的に悪者にされて追い出された事件を契機として、我が一家は同年6月23日付通達にて「医療関係者・従事者との交際・交流は一切行わない」ことを申し合わせ、これが現在まで引き継がれている。
同年6月の転院、その後の昨年11月の再転院のあともこれが有効に働いて今日まで交際事犯の惹起を防いできた。
しかし、今般になって看護師の女が交際事犯を仕掛けてきたのだ。
私が対象者の真実をこの目で見ていたことと、我が一家では再三に亘って取り決めの厳守を徹底してきた故に問題なくスルーすることが出来、問題の発生には至らずに終わっているが、懲りずにこのようなものを仕掛けてきたこと自体が問題であり、一家では今後の対応を検討している。

敵が権謀術数を駆使して私をこの辺境の地に押し込めておこうとしていることは何度も書いているが、どうやら重石と圧迫を用いて逃させないようにしようとたくらんでいるようである。これは敵宗門の法華講がやったこととなんら変わらないものである。
3年前、敵宗門法華講の役員の男は他の講員が頓死して後放置されていた仏壇を押し付けてきた。
しかも、これには裏で遠隔操作の部隊が絡んでおり断れないように操作されていたという裏があるのだ。
当時は真実の追究が動き出す前夜であり、まだ暗闇の中であったのだ。
この事件は仏壇という重石を押し付けて法華講に縛り付けておこうという悪逆な策動のために惹き起こされたものであった。

然るに、敵一味は先般の大魚獲得封殺事件を完遂したことでこの辺境の地に押し込めておけると判断してそれがこのところの悪逆な動きに繋がっているのではないか。
しかし、チャンスはこの先まだ幾らでもやってくるので一つの押し止めで押込めておけると思ったら大間違いだから覚悟しておけ。

話を戻して交際事犯であるが、先に書いたとおり徹底したスルーで未遂に終わらせることが出来ている。
十中八九、引っ掛けではないかと一家執行部では見ているが、現在も既婚状態であることの確認が取れていない。
交際事犯の目的が何だったのかについては、以下のいくつかの推測が考えられる。

1.単なる引っ掛けであり、変な期待を持たせて行動を狂わせ移住を押し止めることが目的であった。
2.対象者が宗教関係者であり、引き戻しと再洗脳が目的の色仕掛けであった。
3.交際を重石にして移住をさせないようにすることが目的であった。

我が一家では医療関係者・従事者との交際交流を禁じている故にいずれのパターンであっても交際事犯に当たるが、仮に3であっても不当交際行為にあたることは同じであり、厳しく対処することになる。

我が一家では医療関係者・従事者との交際交流は一切認めていない故、本心であるか否かは最早問題ではなく、仮に万が一本心だったとしてもそんなものは関係なく、これを平然と踏みにじる用意が出来ている。

我が一家は、必ずや敵一味の策謀を粉砕して移住を果たし、我が人生をこの手に取り戻す。
邪魔をする者、邪魔になる者は実力を以って排除するのでそのつもりでいろ。

我が一家には、積み上げてきた英知というものがあり同じことは二度出来ないようになっている。
馬鹿にしてもらっては困るということだ。

6/18 追記
その後の調査研究の結果、恐らくは3択のうちの2.であろうと我が一家では断定している。
つまり門外漢女や柏原容疑者のケースと同じで、思う通りに誘導して貶めることが目的だと断じたのである。
これら2つのケースでは、惹起者が目的を達したあと疎遠になったり逃げたりでフェードアウトしており、門外漢女の石之坊は追及の場から外し、結論だけを押し付けて私を悪者扱いして追い出している。また柏原の阿呆悦院は、このことを伊藤に追及したところ年齢などというきわめて場違いなものを持ち出して「ある訳無い」などとほざいてはぐらかすという所業に出ている。どちらのケースも寺ぐるみの犯罪行為であり、前者は犯罪僧侶山根一順が、後者は直接的には当時の班長かつ副講頭だった伊藤英巨が主導して惹き起こされている。いずれも敵宗務院の命によって惹き起こされたものであると我が一家では断定している。
これだけ見ても「敵宗門」日蓮正宗こそがすべての元凶であったと云うべきであり、奴らさえいなければ私はどんなにか幸せな人生が送れていたことか。
我が一家は決して日蓮正宗グループを許さないし、いつか必ず復讐してやるから覚悟しておけ!

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について | 交際事犯惹起未遂 敵の狙いは? はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-222.html

転覆は不可能

この中間も敵一味は様々な策動を以って我が一家の道を塞がんと謀略の限りを尽くし莫大な損害を出してもいる。

悪質なハタカセ事件さらには洗脳事犯や誘導事犯によって莫大な逸失利益を発生させたのだ。
しかも敵一味は悪質な遠隔洗脳によって確認事項復唱の押し止めや不当に足を運ばせるなどの操作を行い必要のない物を不当に買わせ「買って売って」型のハタカセに嵌めるなどして行く手を遮ろうとしている。やはり敵宗門は謀略的宗教であると謂わなければなるまい。
しかし、これだけまんまと嵌めておいてタダで済まされると思ったら大間違いだから覚悟しておけ。

本来なら得られるべき大魚を逃させたあとになって敵一味が手先と見られる女を使って新たな交際事犯を惹き起こそうとしている。重石にしてこの辺境の地に縛り付けようとしているのだとしたらそれはそれであるまじき重大事犯であるが、おそらくは交際類似か虚偽交際で引っ掛けて不当に貶めようとしているのではないか。
しかし、俺は対象者の真実をこの目で見ており騙すことは不可能である。
もしわかってやっているとしたらそれは相当に人を馬鹿にした話だが、そもそも移住を目前にした戦いの最中にある現在では移住を妨げる者、移住の妨げになる者は全て敵であり我が一家はそれらを平然と踏みにじる用意があり、本心かどうかはこの際問題でないと謂っておく。
我が一家はかかる事態を受けてあらゆる趣味ごとの一切を差し止め、移住のために全力で戦う用意が出来ている。
敵一味はこれまでは押さえ込みで移住を妨害してきたのかもしれないが、押さえ込めたとしてもそれは一時であって、そういつまでも押さえ込んでおくことは出来ないと思い知れ。
押さえ込みを続けるのであればこちらにも相当の覚悟があるぞ。

なお、先日の逸失利益が全て補填されるその日まで趣味ごとの一切を差し止めることにしており、それを捩じ曲げようとする行為は許さない。ガス抜き程度では許さないから覚えておけといっておく。
趣味ごとだけでなく、交際問題などもすべて移住の悲願の前では余事であり、二の次三の次だ。
交際事犯で移住を転覆できるなどと思ったら大間違いだからな。
そもそも交際などは余事として趣味ごとなどとともに逸失利益が補填されない限り差し止めており、捩じ込む事は不可能である。
強行するのであれば惨劇を見せることも厭わないからそのつもりでいろ。

問題の当日について

当時、私は哨戒用カメラの修理問題を抱えており、これが敵一味に利用された格好である。
結局、カメラは修理不能となり、一家では新しい哨戒用カメラを着任させている。
しかし敵一味はこれに対して操作を仕掛け、受け取る必要のない代品を受け取ることを強要した上に当初下旬だといっていたその納期を裏で急がせて問題の当日に合わせて受け取らせ、気を散らす大きな要因を作り上げたのだ。更に新しい哨戒用カメラで使うレンズフードを発注したところ、その受け取りを配送ではなく店舗受け取りにさせる操作を行い、これらを勝負の前に余事としてはさませたのだ!その上で汚い洗脳で物を考えられないようにされ、最後の知恵も押し止めて折角の好機を無にさせたのだ!
しかも当日は本来の規定を有耶無耶にされて道中でカタカタさせられ冷静さを吹き飛ばされるなど、敵はどこまでも邪悪なたくらみで我が一家の行く手を遮ったのである!
これを受けて不当に受け取らされた代品は入籍しないことを決定し即日売り飛ばしている。また、勝負の前に余事を挟むことを一切禁止するとともに再度「電車の乗り方ルール」を規定しなおし、出発時間の規定新設や直行直帰の徹底、特別車の利用などで余事を挟ませないようにしている。
また、先述のとおり逸失利益が補填されるまですべての趣味ごとと交際と買い物を差し止め、移住に対して不退転の決意で臨むことを確認した。

日蓮正宗は仏教ではない

これまでに起きたあらゆる事犯や逸失利益、そしてハタカセなどによるあらゆる損害は全て日蓮正宗を首魁とする敵一味・宗創医連合軍の所業であり、奴らがいなければ俺は今頃楽勝だったはずだ。
それらの謀略による損害を奴らは「罰だ、罪障だ、そういう命だ」などといって自らの仕業であることを隠蔽しながら殊更に「罰が当たる」「地獄に堕ちる」などと脅して脱退を妨げていたのである。
ならば謂わせて貰おう、「罰が当たる」「地獄に堕ちる」と言うのははっきり言ってキリスト教と全く同じであり、罪障=原罪の言い換えであるから日蓮正宗は仏教ではない。
更に、日蓮を「全知全能の神」として崇める一神教であること(この点が本来の日蓮宗と大きく違う)、更に仏教としての論理的視点を持たずいきなり「信じないと罰が当たる」などとやっているあたりもキリスト教などと何ら違わないのである。
また、男女関係にやたら厳しく(とは言っても上のほうはやりたい放題だろう。流石謀略宗教だ)一夫一婦制やキリスト教の祝日である元日を祝うなどキリスト教の価値観をいくつも受け入れていることから謂っても形を変えたキリスト教であるといって何ら差し支えない。なお、このことを例の龍神に突き付けたら返答に詰まって一方的に電話を切り(しかもてめえから突っかかっておいてだ)遁走したことは周知の通りである。
日蓮正宗が仏教ではないのだから創価学会も顕正会も皆仏教ではないということだ。
それが証拠に奴らは押並べて残酷無慈悲であり、しかも価値観の全てが悉くキリスト教のそれと全く同じなのだ。
意に沿わぬ者に対して謀略の限りを尽くすところまでキリスト教と全く同じであり、仏教風キリスト教の謀略宗教であると謂っておく。
また、奴らは総じて全体主義的であり、それを誤魔化す為に敵対を偽装して創価のことを「全体主義宗教」「朝鮮宗教」と言わせていたに過ぎないのである。ならば謂おう、創価が朝鮮宗教なら日蓮正宗も朝鮮宗教だ!
今日の謀略主義的体質は何も近年に始まったものではなく、15世紀の怪僧日有に始まり今日に至り600年近く続いているものである。(今年2017年が日有登座から599年である。)
私が思うにあれは日本人ではなく朝鮮両班なのではないか。当時既に大陸や半島との人の行き来があり、朝鮮人が定住していても何の不思議もない。
日蓮正宗グループの宗教をはしごする事は「カルトサーフィン」といわれており、それは出直しでもやり直しでもない。そもそもこれら宗派は皆グルなのであり、対立は偽装でありプロレスだ。

そもそも人を偽装で引っ掛けて裏で喜び合っているような狂った連中が正しいわけはないので、正しいなどと謂っている奴らは危険分子として追い払ったほうが皆のためである。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について | 転覆は不可能 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-221.html

最後の手段、ついに発動

再三再四の警告にも敵一味が妨害とハタカセを辞めないため、ついに一家が最後のカードを切るに至った。

2017年4月16日付において本会執行部は、
・束社に対する無期限取引停止処分
・趣味活動の全面差し止め処分
の2処分とともに、未だ処分から漏れていた重大交際類似事犯を認定。この者は阿呆悦院の有力檀家であるため、家ごと丸ごと永代追放処分となった。
元より阿呆悦院の檀家は自動的に追放扱いではあるが、個別追放してない場合檀家を外れた時点でその効力が及ばなくなる訳であり、ここで敵一味の煽りネタを永遠に切り離しておくのは悪い話ではない。
敵一味の流すものは無い物であり、敵一味の流す期待は絶対に現実のものにならないのだから、最初から厳しくやっておくことである。

更に、ハタカセに対する抜本的対策としても先記の二つの差し止め・取停は極めて有効である。
一家では機材回復と移住準備の二大プロジェクトを推し進めており、これ以上の駄々漏れは命に代えてでも防ぎきらなくてはならない。

結局先日大問題となった4月10日の不祥事はプロジェクトを大きく躓かせることが目的の悪質洗脳ハタカセ事犯であると断定され、当該画像の破却が命ぜられた。
この事件は、これまでに無いタイプの危険なハタカセの手口であることがわかった。

これらは、本会作成の「最も警戒するべきハタカセの手口」パンフである。

然るに、10日の手口は2のほうに掲載している「ちょっとだけ」型のハタカセ手口であった。
これを機に、ハタカセを防ぎ切るには根元を絶たねばなるまいという判断が働いたのはいうまでもない。
敵一味に対する対抗手段は取り決め事項・決定事項の絶対厳守以外に無く、絶対に捩じ曲げられないように日々決意を新たにして戦っていく。
なお、この処分の発動により、GW中の活動については不許可となる。

それと、回顧録にも書いたとおり思わせぶりや交際類似行為による引っ掛けで宗門に貢献するのが優秀な女講員だと法華講では決まっているのだから、最初から離壇などに期待してはならないしその様な洗脳に深く嵌った輩に何を言ったところで労力の無駄でしかないのである。
当然のことだが、現在では法華講に一度でも籍を置いた女は当家として原則、交際禁止としている。

余談として
最近特に都内などで自転車に対する締め付けが厳しさを増しているが、これは恐らく自転車によって交通企業がカネを踏んだくりそびれている、利益を逸失しているという極めて身勝手な考え方から起こっているものである。
辺境の地から都内となるとかなりの労力であるが、都内在住であれば自転車だけで都内の移動は足りてしまうのである。これが企業社会主義の交通企業にとっては面白くないという訳なのである。
更に、自転車というのは健康的な交通手段であり、体も鍛えられる。クルマや交通機関で楽ばかりしていると体を動かさなくなり、体がなまって病気を呼び込むことになりこれが医療利権にとっても都合がいい故にこのような締め付けを行うのである。
更に、クルマが「走る電子レンジ」であり大変な被曝量の電磁波を発する代物であること、そして他の交通機関も電磁波を発しないものは無いことを考えると、これらによる移動を強要することで病気を増やし、支配する側にとっても医療利権にとってもとても都合がいい話であることは少し考えればわかるだろう。
企業社会主義における企業とは民衆を支配し搾取する側なのだからそのことをよく弁え、買ってはいけないものの代表格であると肝に銘じるべきだろう。
体力的に無理な人に無理強いするつもりは無いが、体力のある人は自転車で日常の交通を賄うことを強くお薦めする。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について | 最後の手段、ついに発動 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-220.html

雑感 2017.4.13

GW期間中における活動が、許可されない可能性が高くなった。
これは、再三再四の警告にも拘らず敵一味・宗創医連合軍が邪悪なハタカセ策動や収入妨害、執拗な誘い出しをやめようとしないためである。

記事「フォーシング」で紹介したような過大要求から小さい要求に切り替えてゴリ押ししようとする手口の他、今度は「ちょっとだから」で誘い出しいつもどおりにハタカセようとする手口が発覚した。その結果、ツイッターで発信したとおり余計に活動させられたことが発覚し、その分の公開中止が一家によって命ぜられた。
今回の手口は、過大要求から小さい要求に切り替えてゴリ押しする手口が通用しなくなったために新たに手を変えてきたものであると見られる。

敵一味は12日についても執拗に「ちょっとだから」で誘い出しをかけて余計にハタカセようとしたが、勝負の舞台から外させようとする企み、更にはその先に邪悪な「公開処刑」の悪企みがあることを見抜き、全蹴りにしていた。
そして迎えた12日、数日おきに実施している自転車の運行前点検において後タイヤの著しい劣化が発覚した。
自転車の、それも後タイヤの劣化は宿命であり、自転車はライフラインでもあるのでその維持は最優先事項であり趣味ごとをさし措くことの出来る事項である。
だが、一週間かそこらで急激に劣化するはずはなく、運行前点検を数日の間、押し止めてその上で誘い出しの犯行に及んでいたものだったのである。
更に、これには伏線があった。
誘い出しのために敵一味は最初の遠征の途上で姑息な操作を行い、煽る理由を作っていたのである。

自転車のタイヤに出費するのは当然のことであり、それがわかっていれば余計な活動はしなくて済んだはずだ。それに執拗に誘い出しておいて成果には疑問の付く内容で、曇りがちな天気を読みきっての犯行であることも明らかだ。かつて門外漢女に騙されていた頃のようなくすんだ画像には言葉も出なかった。
無論30Dはその程度のカメラでは決してないことは先日出したキレッキレの画像で証明済みであり、その様なくすんだ画像が出てくるということは敵の操作が絡んでいたということだと私は判断した。翻って、門外漢女によってもたらされたあのKissDはその程度のカメラだ。
その分はすぐに取り返したからいいようなものの、今後同様の事態を発生させるわけにはいかず、規制強化の判断が働いたのは云うまでも無い。

問題が発生した「4月10日」は、7年前にあの糞石之坊から不当に粛清されたその日だった。
その日に策動が発生したことを受けて、「4月10日」は特定日となり不要不急の活動が一切出来なくなる。
これによって4月は最多の9月(7個)に次ぐ6個の特定日を有することになった。
また、撮影対象がそう簡単に無くならないものであることもあり、余程の事態でも無い限り問題の撮影は封印する。

当局指定の特定日
(PDFファイル注意)

我が一家がなすべきことは移住であるが、それが実現するまでにやるべきことは第一にそのための蓄財であり、第二に回顧録やブログ(このブログではなく、ポータルのブログ)の執筆である。そして第三に敵一味から償いを勝ち取るか、或いはそれに等しい儲けを出すことである。そして最後に敵一味を一刻も早く撤退させこの人生のステージから追い出すことである。なお、当家では「追及より解放」の主義を取っており、償いをして解放に応じるのであればいつでも闘争を終わらせる用意がある。
これらが出来ないうちに趣味ごとに現を抜かしていてはいけないのが本来の筋であり、写真活動は特別の中の特別に許可を得て行われているものである。その認可条件を破らせようとする悪逆な策動は、何があっても到底許されるものではなく、斯様の勢力に対しては厳格・無慈悲・冷酷に対処・処断するからそのつもりでいろ。

今後は2年後に予定している移住事業の確実な実施ありきで蓄財の推進と機材の回復とを行い、辺境の地からの脱出を図る。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について | 雑感 2017.4.13 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-219.html

目には目を

まずは写真を数点見てもらおう。

この3枚は近場で30Dの試運転を行った砌の画像である。
レンズは継続使用の55-250STMである。
近場なのは、昨日は大混乱になることを予想していたからである。
案の定大きな混乱に見舞われたようだが、それは後述する。
見ての通り、キレが素晴らしくピクセル等倍でも鑑賞に耐えるものであった。
画質=画素数ではない。近年のデジタルカメラはやたら画素数が大きくなりつつなる傾向があるが、余りにも大きい画像は一般ユーザーの手には余るものであり、また必要ですらない。
メーカーには先の見えない画素数争いからは降りて本当の画質を追求してもらいたいと思うがいかがであろうか。
そのような「画質=画素数」という勘違いをしているユーザーが少なからずいることも原因になっているのである。
しかし、少なくとも現在の私には820万画素でも十分な画質であり当面において問題はないと決している。
ボディの堅牢性や連写、撮影後の立ち上がりなどカメラとしての基本性能は前任機とは雲泥の差であり、腐っても鯛とはまさにこのことなのである。

この2枚はやはり近場でP7700によって撮影している。
先日には某鉄道撮影地で練習をしているが、その折に試しにP7700でも撮影してみた。
その結果焦点距離に限りがあるものの連写速度も速く、8コマ/秒で6コマ切れるので余程タイミングを間違えない限りにおいては問題なく戦えることがわかった。
コンデジなりの画質ではあるが…。
そうは云ってもISO500辺りまでであれば十分な画質を確保しており、コンデジの場合は一眼ほどに絞る必要が無いので多少厳しい条件でも十分な画質を確保できる。

しかし、現状は決して誉められたものでないし、そもそも鉄道破却があったとしても機材を売る必要までは無かったわけで、敵一味に強要されたものであるとも言える。

その敵一味は今日に至ってもその所業を全く改める事無く、不当な嫌がらせに精を出して損害を出している有様である。
それに対する要求全蹴りは当然の措置であり、正当な報復だ。
その正当な報復に対しても敵一味は逆上して嫌がらせを重ねており、もはや奴らは人間ですらないというべきだ。
嫌がらせをされただけの目には目の報復をするのが至極当たり前であり、それに対する逆上は到底許されない。

しかも問題の売却強要は敵一味がその悪事に対する矛先を逃れようと洗脳操作によって機材のせいにさせたものであり、それによって損害を負わなければならない筋合いは我々にはない。
然るべき償いが成されない限りにおいては日蓮正宗殲滅のその日まで戦い続ける覚悟でいるのは当然のことだ。
表の連中は裏部隊が何をしているか知らないでいることが多いが、龍神は元から裏部隊兼任であり、裏で洗脳操作や裏工作をやってることを知ってやっているに違いあるまい。それでいて勝ち誇った書き方で誹謗をしているのだからもはや狂っていると言わなくてはならない。
そんな輩には女など出来なくて当然だしキモヲタ化の流れも至極当然だ。
しかし、工作員の柏原容疑者(2013年の交際類似事犯の惹起者)はさも龍神に女がいるかのような嘯きで恐怖を覚えさせるようなことをしたのである。ウソで脅しウソで恐怖を覚えさせるとはさすがウソで塗り固めたカルト宗団だけの事はある。
しかし、それも裏で遠隔洗脳部隊が汚い操作をしていてのことであり、組織的犯罪であるといえる。
奴が惹き起こした交際類似事犯も講幹部や宗門僧に下命されての組織的犯罪であり、だから伊藤は何があっても柏原を一方的に庇ったのである。
つまり日蓮正宗グループとは史上最悪級の組織犯罪集団であるといわなくてはならず、その殲滅は全人類の使命である。

今後も嫌がらせをやればやっただけの目には目の報復をしていくからそのつもりでいろ。

昨日の大混乱と敵の策謀について

昨日敵一味はなんとしても私を遠くに出かけさせたかったようである。
これに対して私は大混乱によって執筆が潰される恐れがあるとして全蹴りにしてやった。
そうしたら雷雨だの急病人だので交通機関は大混乱だったそうである。
全蹴りで大正解である。
敵一味はこれに対して強制催眠という邪悪な手口を以って執筆を妨害しにかかったものの、執筆を止めるには及ばなかった。
出かけるだけで時間の浪費になり、執筆が止まることを重々承知していた故に、私は全蹴りの判断を下したのだ。それが敵の狙いだったからだ。
無論敵の狙いはそれだけでなく、余計に出かけさせて資金を削ぐこともそうだし私が出たところに工作員を派遣して私を貶めるような事件を惹き起こそうとしていたであろう事が容易に想定できたのだ。そしてそれを以って殊更に時間を浪費させる‐それが敵の狙いだったのだ。
無論それだけではなく、その交通企業も向こう側であり当家では抑止対象である(趣味の対象にしてはならないという一家の指定)から、私の存在を理由に特急を全部通過にしたそんな糞会社にカネは払いたくない。10km圏が自転車の指定になっているのはそのためだ。
10km圏と書いたが、実際には10kmを超えていても自転車で出かけていることが多いので滅多なことではそんな糞会社を利用する事態にはならない。平坦に近ければ時間はかかるが20kmでも自転車で行けてしまったりするのだ。

そう簡単に貴殿らの策謀には乗せられんぞ。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 写真, 宗教や敵対者について | 目には目を はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-217.html