あの忌まわしき事件から6年

あの忌まわしき言論弾圧迫害事件から今日で丸6年を迎える。

この画像は2015年6月14日午後。
今から遡ること6年前のこの日に言論弾圧と迫害を行うべく襲来してきた石之坊と法悦院の男子部合同部隊の姿だ。
ぱっと見は3人に見えるかもだが右端をよく見てほしい。人の腕らしきものが見えるだろう。つまり、少なくとも4人以上はいたということになる。
引き戻しと再洗脳を奴等は目的として襲来したものであった。

事件前の経緯

私はこの年、2015年の年初頃にそれまで隷属させられていた敵宗門からの脱退を決断し、1月9日に宗教活動を取りやめ。翌1月10日を脱退日としている。その後宗務院は脱退通告書と本尊の返還を受け取らず、それどころかこの期に及んで他の寺にたらい回しにして問題をうやむやにしようとしたのである。
その後、法悦院幹部が襲来したが居留守でやり過ごし、法道院の話も断った。だがこの時の法道院の坊主のあまりにも横柄な対応が今にしてみれば逆上のフラグだったんだろう。
なお、法道院の話を断る直前には敵宗門信者と見られる工作員によって冤罪未遂事件が惹起しており、その対応や善後策に追われるなど一家は混乱状態に陥らされる事態になっている。この冤罪未遂事件は生活再生の出鼻を挫きこれを押し流す為のショックドクトリンを惹き起こすことが目的の破壊工作であったと一家では断定している。

法道院の話を断ってからおよそ2か月後に冒頭の事件は惹起した。

事件の惹起

2015年6月14日午後3時過ぎ。
冒頭の画像にある通り石之坊と法悦院の男子部が合同部隊を組んで我が一家の本部に押し掛けてきたのである。
奴等は敵宗門への復帰とブログの閉鎖、更には本名で謝罪文を出せなどと要求してきた。

これによってブログは一時閉鎖状態となったが、問題点を洗い出したうえで問題点を修正して復旧している(のちに統合等で現在の形になっている)。
また本名での謝罪文は突っぱねた。恐らく奴等の狙いは本名で謝罪文を出させ、これを喧伝することによって社会的に立ち直れなくして抹殺することが目的だったのであろう。
その後、奴等に書かされたものが法的に瑕疵があり無効であることを突き止めた一家は先述の通りブログを復旧した上で合意の破棄を宣言している。
なお、法悦院や敵宗門への復帰は当然に突っぱねている。

その後の経過

この事件は一家に大いなる混乱を惹き起こしたが、その後法悦院内での孤立化工作について調査した結果敵が遠隔で吹聴したような外部(創価とか)による工作の痕跡は見当たらなかったどころか工作は脱退以前に直接の「上司」だった寺役員の男によるもので、「上からの指示」による寺ぐるみ・講ぐるみであったことが却って発覚するに至った。
これは、日蓮正宗こそが我が一家、及び金城修一にとって第一の敵であるということについて大きなそして決定的な証拠であったともいえる。
これを受けて我が一家は、これによって2015年1月10日付で決定していた敵宗門・日蓮正宗からの脱退を確定とする裁決を同年9月22日に決定するに至ったものである。

事件の目的は

この事件の狙いは何だったのか。
云うまでもなく直接的には引き戻して再洗脳し全てを誤魔化しそして医療利権の養分にして抹殺すること、そして真実の追究を潰すことが最大の目的ではあったと思われる。
しかし、その後の経過を見るとそれだけではなかったようである。
この事件の前には先述の通り冤罪未遂事件も惹起しており、生活再生の出鼻を挫いて底辺のまま押し込めておくためのショックドクトリンの一環であったことは疑いようがない。
そしてその混乱の最中で生活の再生を押し流し新たな「三本柱の化城」に誘導することで仮に引き戻しが叶わなくてもそのまま医療利権の養分として再び立ち上がらせないまま押し込めておくことが目的の中に含まれていたであろうことは間違いない。実際に2020年初春まではそのような状態に押し込められていたという状況証拠もある。

実行犯について

この事件の主導的役割を果たしていたのが、石之坊認証役員(ただし認証は事件の翌年)である通称龍神某である。
奴は、当時の石之坊住職であった山根一順の「上手に出ろ」という指示によって非常に傲慢で無礼な態度を取っていた。
当時はまだ真実の追究がそれ程進んでおらず、このような傲慢で狡猾な輩は未知の存在であった。
敵宗門は、まだ真実の追究が進んでいないうちにその芽を潰して威迫と恫喝で引き戻し、以て再び洗脳して全てを誤魔化そうとしていた。これが言論弾圧迫害事件の本質であるのだ。
しかし、この龍神某はその後色々バレてくると返答に詰まるようになり、日蓮正宗とキリスト教の共通点について詰問すると反論不能に陥り、自らかけてきた電話を一方的に切って逃走したのであった。その後もネット上でグダグダほざいていたのでこれを重爆すると鍵をかけて逃走したのであった。現在では同門の輩からも非難を受けている有り様である。

首謀者は誰か

敵宗門において、異なる寺同士の同門の輩がヨコの繋がりを持つことは通常許されていない。それは所属寺院の住職・主管に対する越権行為になるからである。異なる寺院の信者が徒党を組めるというのはそれら寺院の僧らが認可しているか、或いは更に上位の指導者からの指示であるかのどちらかであるということであり、信者のみの独断専行では有り得ないということである。これだけでも宗門の関与が認められる決定的な証拠であると言えるのであり、この事件は惹起者どもの独断専行ではなく、敵宗門上層部の指示によって惹き起されたものであると断定できるのである。

脱退確定後

敵宗門からの脱退が確定し、龍神某が遁走した後も別の工作員による突撃が続き、更に年が明けると今度は上階の輩による嫌がらせに続いてゴミ集積場が荒らされる事態が惹起するなど事件が打ち続いた。これは今から見ても明らかに異常であり、生活の再生を押し流したままこれに立ち返らせずに底辺に押し込めておこうという邪悪かつ強固な意志しか感じられないものである。その為には「惨事」を起こし続けて混乱状態から抜け出せないようにしておく必要があったということのようだ。
結果、敵宗門一味が用意した新たな洗脳禍である「新・三本柱の化城」は2020年春に崩壊するまで我が一家を愚弄し続け、金銭的被害も拡大するなど多大な損害を惹き起こす事態を招いた。

その後現在に至るまで我が一家は無宗教を貫いて今に至るが、敵宗門一味は現在に至るまで失地回復を有形無形の逆上事犯で妨害し続けており、未だ脱退されたことに対して逆上を続けている状態である。
2003年に石之坊の工作員によって引きずり込まれてから脱退まで11年、その後の闘争で6年以上が無駄になった。
2009年以来の解放聖戦などによる負債の整理その他の戦後処理は既に終えているが、敵一味・宗創医連合軍による戦災からの復興が今も大きな課題として残っているのが現状である。
奴等によってもたらされた絶望的な境涯からの脱出と然るべき地位、然るべき生活に復することが喫緊の課題である。

しかし、この先どう転ぼうが我が一家、及び金城修一が敵宗門に引き戻されるなどということは未来永劫に有り得ないのである。
敵宗門は過去の犯罪行為の数々を悔い改めて裁きを受けろ。

ご注意

この投稿はTwitterへの投稿を元に構成してお届けしています。

鉄道趣味の問題点と機材問題を斬る

前回の記事で、2000年末になってインターネット環境がもたらされ真実追究への期待が高まったところでその時点で既にどうでもよくなっていて放置状態であった鉄道趣味が突如汚い手段で焚きつけられて真実追究からスピンされ、その後の不本意で屈辱的な人生に繋がってしまったことに少し言及した。今回は門外漢女などの交際類似事犯、さあこれからというところでの潰し策動やハタカセ策動などと並んで不本意と屈辱の大きな原因になってしまった鉄道趣味と機材問題について徹底的に斬り捨てることとする。

2020年11月24日、シングスピール会 金城家本部は鉄道趣味に対する限定認可を取り消し、その終了を命じた。
実はこの認可取り消しと禁制化はこれが初めてではなかった。2014年11月13日付けで鉄道趣味の認可を取り消しやらされていたサイトの閉鎖を命じてこれを強制執行した過去があったのだ。

鉄道趣味の禁制について


(シングスピール会ウェブサイトより)
2020年に取り消したのは2016年4月1日付の限定認可である。そもそも一度取り消したものが何故短期間のうちに再認可になったのかという点については大いに疑義がある。
この点については専ら以下のように推定する。
2014年に「聖域なき見直し」の中で決定された鉄道趣味の認可取り消しと禁制化は、鉄道趣味のごり押しを人物破壊工作の主軸に据えていた敵宗門一味(医療利権を含む)にとっては耐え難い衝撃であった。敵宗門一味は何とかしてその挽回を謀らねばならなかった。そこで敵宗門一味は、「鉄道趣味の導入が敵宗門一味による謀略による捩じ込み洗脳である」という破却当時の見立てを証明する状況証拠の不備を突き、限定的でも再開させるための言い訳を捩じ込んで限定認可に繋げたものである、と。
2014年に鉄道趣味の認可を取り消した際にはTwitter上で鉄道趣味系のアカによる執拗な粘着が繰り返された。裏を返せばそれほどまでにこの認可取り消しがたまらなく不都合だったことに他ならない。

先程、どうでもよくなっていたものが焚きつけられたと書いたがつまりは少年時代に捩じ込まれそれまで存在し続けていたということになる。
その後経済が疲弊を深くしていく中で鉄道趣味も放置されていくようになり、そのような最中でインターネット環境がもたらされることとなった。そして図らずも再起を図っていた所であり経済的にも復活しかけていた中でネットがもたらされることとなっていた訳である。そのまま放置しておくと人物破壊工作が頓挫しかねないという敵宗門の意向で汚い手段による遠隔洗脳で鉄道趣味が焚きつけられ真実の追究からスピンされた、と一家では断定している。

鉄道趣味の問題点としては以下のようなものが挙げられる。
煽りとハタカセを内包した趣味であり、自然発生ではなく体制側によって作られた趣味であること。
多額の金員と多くの時間を浪費する性質を有すること。それによって他のことを考えたり実行したりする余裕が奪われること。
鉄道趣味界には苛烈な煽りの風が吹き荒れており、鉄道事業者も鉄道趣味業者もグルであること。
更に放り出さない程度に適度にいじめてこの趣味にしがみつかせる悪質な手法が取られていること。
鉄道を含む交通趣味そのものが体制側である交通産業企業を対象としていること。
鉄道趣味界隈にはカルト宗教信者や工作員、性格に問題のある輩や社会不適合者が大半を占めていること。

これらの理由により今日では金城家として鉄道趣味は一家の構成員に不適合という立場を取ることとなっている。

もう一つの問題である機材問題もまた鉄道趣味によってもたらされた問題であると言える。
カメラ機材については鉄道趣味の中でも「撮り鉄」のジャンルでのみ問題になるものである。
その一方で2000年以前には撮り鉄はメインではなくそれまで一家には機材問題は存在しなかったものである。
つまり「撮り鉄」を煽らないと機材問題は発生させられない。だから鉄道趣味の焚きつけに当たって写真活動を主軸に据えさせ徒に費用を増大させる方策を取ったのである。つまりはハタカセが大きな目的の一つになっていたということである。
撮り鉄で発生する費用は機材だけではない。交通費や時には宿泊費用も必要になる。そして多くの時間も割かねばならない。結果考える時間も余裕も殺がれるということになるのだ。鉄道趣味者に反知性主義の塊の様な輩が多い訳である。
いずれにしても、鉄道趣味のないことろに機材問題も発生し得ないということなのである。

一家におけるデジタルカメラの歴史もまた鉄道趣味の影響が大きいのが現実である。
それでも2003年2月に購入した高倍率デジタルカメラが約5万円で、これを約2年使っていたのであったが2005年になってデジタル一眼レフの導入が計画された。
前著「門外漢女を斬る」でも述べた通り、ここに門外漢女の不当介入があり、生産終了と後継機の発売が決まっており職場人からも新しいほうを買ったほうがいいと言われていたにもかかわらず門外漢女の「安ければいいんです」が通ってしまい問題の大きい機種が入ってきてしまったのであった。更にレンズについても安かろう悪かろうにされてしまった。これによって歩留まりの立ち上がりが極度に悪くなり、使い物になるまでに約2か月を要してしまったのであった。

翌年、撮影中の転倒で仕方なく使っていたレンズ(望遠ズーム)が故障。これの救済のためネットで中古の純正レンズを見繕ったところ歩留まりが劇的に改善し、3か月後には「EF70-200/4L USM」の導入によって画質の大幅な改善も実現。なお広角側に付いては同年の早い時期に新レンズを導入して歩留まりの改善が図られていた。
それでもAI FOCUS AF固定の弊害で時折ピントが迷走することによる撮影の失敗が一定の頻度で発生する状況は改善できず、デジタル一眼レフの導入に絡むスキャンダルによって不本意にもたらされたカメラ本体の代替が計画されるようになった。

2007年4月にレンタル機材で試用した機材の運用結果が良かったことから同機種の中古カメラへの代替が決定。それまでのカメラ本体を売却して純正レンズ2本で運用する計画が立てられていた。これに逆上したのは門外漢女…ではなく、敵宗門の上層部である。結果不要となった機材の売却において不本意な店に誘導され、そこで売却予定だった機材だけでなく継続使用を予定していたレンズまで査定に出させられそこで感情を操作された結果予定外の機材まで売却させられレンズメーカー製レンズに逆戻りさせられる結果となり更に広角側のレンズまで失わされる結果にまでなった。これが「予定外機材売却強要事件」である。今考えても敵宗門に対する殺意が止まらない屈辱的な事件である。
この事件をきっかけに短期間で次々にレンズを買い換えさせられるようになりそれが約10年も続く結果になってしまったのだ。結局2014年11月の鉄道趣味破却決定に伴う売却でこれは終結することになったが、その後も鉄道趣味が再び煽られたことによって機材によるハタカセ事件が再三発生する結果になっている。これについては2017年6月にミラーレスシステムに統一したことによって終結しているが、機材問題の残した爪痕はあまりにも大きい。

一連の「売って買って」策動において大きな役割を果たしていたのが中野に所在する敵宗門企業とみられる某F店である。同店のシステムは気軽に、そして何度も買い換えさせるよう誘導するシステムとなっておりこれが利用された格好である。2017年末の粛清に伴い以後は同店の利用を禁止することとなり「売った買った」は終息したが、一連の機材問題による振り回しは多くの金員と時間そして考える余裕や思考リソースまでも奪い去る結果となっており、最初からそれが目的で敵宗門一味が画策したものであると今日では断じられている。恐らくはそれで簒奪していた金員が敵宗門に吸い上げられて一部がキックバックされていたのだろう。
なお、このF店、現在では妙観講企業ではないかと言われており、本会でもこの見解を支持しているところである。

鉄道趣味については2020年の認可取り消しの際に「失地回復が果たされるまでは決して再認可しない」としているが、その後新たな問題点である「鉄道趣味者には性格に問題のある輩が多い」という事実認定により今後の再認可は非常に厳しく、恐らく通らないであろう。今後のカメラ機材については必要十分の画質を確保した最低限の体制で行っていくことで合意がなされている。構想のあったフルサイズミラーレスについては導入コストが高く、5ヶ年計画の大きな目標をクリアすれば認可する旨通告済みである。まあ現在の情勢では厳しいだろう。

今後は失地回復プロジェクト第7次5か年計画が最優先となり、余事は後回しとなる上必要整備は終了となるのでそう簡単にスピンやハタカセは起こせないぞ。今後同様の謀略を企てる徒輩はその予測不可能な凄惨な結末に1000%かつ一方的な責任を負うことになるということを改めて警告するものである。

門外漢女を斬る

当ブログでもたびたび問題にしている石之坊信者の女工作員・通称門外漢女。
この女は2004年に石之坊に入ってきてから凡そ6年の間私に対する敵宗門の工作の主軸を務めていた輩であり、これによる直接的や間接的な被害は数知れない。
2010年に私が石之坊から粛清されたことによりその後の接触はないが、現在もなお石之坊の主力役員であることに違いはなく今なお警戒を要する輩である。

門外漢女は当初から今日に至るまで反省懺悔の一片も見せておらず、一言の謝罪も一円の賠償も無く遁走を続ける。
斯様の状態が続く限りに於いては私も奴に反省の態度が無いと見なしてここに書き続ける。

門外漢女の紹介者はかつて石之坊の講頭も努めた男(桜梅桃李)である。しかしながら、桜梅桃李が入信した時に門外漢女は入信していない。
確か数日だと思うが入信日に不自然なズレがあるのだ。もちろん同日とはなかなかいかないものなのだがそれであればもっと、例えば数週間とか何ヵ月とか差が開くものだ。
この数日というズレとともに、わざわざ2月7日を選ぶという釈然としないわざとらしさは、「お上」にお伺いを立てたとも取れるに足るものだ。
何もなければ疑うに足らぬ事なのだが、あれだけの事があっては何を言われても言い訳にしか聞こえないものだ。2月7日を選んだのは明らかに「演出」であったと誰もが見抜けなかったのである。その「お上」とは奴が日蓮正宗の前に在籍していた衛星宗教の顕正会に他ならない。
入信時の経緯から不穏な門外漢女は、入信早々からおかしな発言や行動が目立った。
まず、明らかにおかしい発言の数々。
「私は浄い」
「バイクは正法じゃない」
「いいんです」
どれを取っても明らかにおかしいのだが、特に、「いいんです」は間違いや謗法の指摘に対する口答えなのである。
いくら新入者でもこんな尊大な態度はめったに見ないと思っていたが、創価学会や顕正会からの移籍者にはよく見られることであるようだ。
そもそも、「バイクは正法じゃない」って何だ?今にしてみれば全く以って意味不明であり、バイクに乗っている同門者をも侮辱する発言に他ならない。

今となってはあまり意味のない話ではあるが、謗法厳戒の念の薄い門外漢は某ロックグループ(「A」ではない)が創価系だと教えても「いいんです」で聞く耳を持たなかった。
さらに、創価にいる友だちとやらに正宗の名前を出せないとほざいていたがこれは法華講員のあり方として大変おかしいものと当時感じられた。
仕事関係で生活がかかってる話ならいざ知らず…
だがこれらは現在では私を騙し陥れるための演出であろうという見解が本会では有力となっている。これはいわゆる「ほのめかし」であるというのが現在の私の見解である。
「私は創価の人とつながりがあるのよ」というほのめかしだったのだ。だから他の人に言う訳が無いのだ、言えば大いに非難の対象になるし厳しく指導されることとなるからである。
創価とつながりがある振りをしたのは全ての謀略が敵宗門によるものであることを何としても隠蔽しておかねばならず、私が真実に気付いて脱退する事態を防ぎ妨害するためであったことが今日では判明している。つまりは敵宗門上層部の意向によって、直接的には石之坊上層部からの指示でやっていたということなのである。

更に門外漢は私に対するソーシャルエンジニアリングまで行った。いわゆる根掘り葉掘りである、これは回顧録にも書いた。なおソーシャルエンジニアリングはこの女以外にも通称SG現場の通称・千ラシ裏女も行っていた。
今にしてみれば、他に男がいながら根掘り葉掘りはおかしい訳であり、この根掘り葉掘りが行われた頃には既に私は敵宗門によってあの卑劣な連中に売られていたということだ。
そして、この後自動二輪圧殺をはじめとする数々の悪事に手を染めていった訳である。

石之坊での目立った権謀術数が目立つようになる以前より、やたらと交友関係を広げてはそれを自慢するようなことを門外漢女はしていた。
これにも狙いがあり、恐らくは筆者の悪評を広めて結婚の可能性の芽を摘む狙いか、或いは矢面に立たされた場合の擁護勢力生成の狙いがあったのだろう。

そして奴は二つの大きな事件を惹き起こす。自動二輪圧殺演出事件とデジタル一眼レフの導入に絡むスキャンダル事件である。
そしてこの二つが完結すると途端に門外漢女はそれまでと一転して私から距離を取るようになり疎遠になっていったのである。

自動二輪圧殺演出事件の後、筆者は門外漢女を公開で問い詰めたが、予想だにしない狡猾な巧弁の前に敗れてしまった。
しかしながら、門外漢女の側も誤魔化すのが精一杯で策に詰まったのだ。

この2005年秋から2007年春の間に参詣が極度に減るなどの空白期間があり、特に2006年春以降門外漢女とは疎遠になった。

そして門外漢女は派閥を形成し、数々の策謀に手を染めていった訳である。更に門外漢女は、恩ある人々に対して平然と恩を仇で返す所業にも出たのである。
恩を仇で返すというのは日本人のやり方には元々無い。というより、今でもまともな日本人ならそんなやり方はしない。カルトでもない限りは。
私が思うに、あの女は日本人ではない。云わんとする事が解るだろう。何しろ出身地が朝鮮人の集落と言われているところだ。少なくとも、私はあの女が日本人ではないと確信する。♨だ。写真で面を見た限りは。

そして2007年5月に石之坊で私に対する恐喝事件が発生したが、この時門外漢女は主犯吉田某と共に受付に同席していた。共犯者、共同正犯といっても差し支えないだろう。
尤も恐喝事件自体恐らくは宗務院が画策して山根に命じたものであろうから、門外漢女はこの事件については共犯者の範疇を出るものではない。
なおこの事件はその後長らく続いた機材迷走事件の端緒となっており、我が一家はこの事件に対してあくまで追及の姿勢を緩めないものである。
また機材が迷走したことについてはデジタル一眼レフスキャンダルによって不本意に入ってきた粗悪機材の影響もあり、門外漢女の責任も極めて大きい。

その後、再び私が石之坊から離れている間にその石之坊でクーデター事件「石の湯事件」が惹起し、当時講頭を務めていた桜梅桃李が粛清され石之坊を追い出されている。
それと共に石之坊ではネットが禁止になり、山崎が講頭に返り咲き門外漢女も山崎側に付いて桜梅桃李を裏切る所業に出ている。

門外漢女は石之坊入りした頃にも交際相手がいたようなのだが、結局この男性が入信を拒否したため別れたようで、その後2008年頃に明らかにカネ目的と分かる柄の悪い男と結婚している。カネ目的だけではなく、自分の立場が悪くなった時に力づくで相手を排除することも念頭に入れられていたであろうことが明らかである。さすがクズ女である。尤も日蓮正宗は奴だけでなく殆どの女信者が銭ゲバプリンクズ女なのであるから何も驚くことでもないが。まあこんなおかしいカルト宗教に嵌まっている銭ゲバ女なんて愛想を尽かされるに決まっているのであるがな。入信を拒否して別れた男性は救われたな。

その後は直接のやり取りも面会もなく2010年4月に私が石之坊から粛清されたことでその日奴の高級乗用車とすれ違ったのを最後に私は姿を見ていない。

その2010年4月に門外漢女は石之坊で役職に任じられたことが報告されており、その後龍神ひろしが役員に認証されたちょっとした騒動になった際にこの門外漢女も認証されている。
以後今日に至るまで石之坊では新たな人事が発表されていないので、そのまま龍神と共に石之坊の認証役員を務めているものと思われる。

以上が門外漢女についての概要である。

この門外漢女であるが、当初よりその視野狭窄杓子定規振りが目立つ輩で、しかも言っていることの支離滅裂さが迸っていた始末だったのであるが、当時は真実追究からスピンされていた暗黒時代だったので騙される事態を防ぐことが出来なかった。
云うまでもなく敵宗門が自宗門に引きずり込んだこと自体が真実追究からスピンされた状態を固定化して奴隷化し養分にしてしゃぶり尽くすつもりだったがためのものであり、この石之坊でおよそ6年半を空費させられた時代こそが最たる暗黒時代である。
そして先述の通り二つの大事件を惹き起こすという「目的」を達成した途端に疎遠になってもいる。目的を達して、或いは目的が達せられなかったり著しく不利になると逃げるのはカルト工作員の常套手段であり、この門外漢女よりも後代に出現した工作員共もこれを必ず踏襲しているという事実もある。

そしてもう一つ重要なのは、真実の追究が進んだことで発覚した新事実である。
この輩は以前に離婚歴があり、子供3人の親権を失っているということを本人が平然と口にしていたのであるが、これが何を意味するかということが重要なことであり、詰まり奴は不倫で有責側になり親権を元夫側に持っていかれてしまったということを意味する。以前ほどではないものの未だに親権争いでは母親が有利とされることが多い中子供3人の親権を母親が取れなかったということは相当に重篤であり、余程のことを惹き起こしてしまっていることを意味する。例えば不倫に起因する著しい浪費(間男に貢いだとか)若しくは間嫁に対する執拗な嫌がらせとか、などの悪質な行為が考えられる。
しかも門外漢女はその重篤な所業を棚に上げて「子供を取り返したい」などとほざいていたのである。不倫女がほざいていいことではない。
何故これが重要なのか。つまりこの女は自分勝手な不倫女ということになり、典型的な銭ゲバプリンクズ女であるということになる。もし同じ内容を現在の頭で聞いていたら即座に銭ゲバプリンクズ女と判断できる、その程度の簡単な設問だったということになり真実追究からのスピンが如何に重篤な結果を招いたかということにおいて敵宗門の責任の重篤さを示しているということである。つまりこのことを即座に判断できる状態になられては奴等が騙しをできなくて困るから真実の追究からスピンしなおかつ自宗門に引きずり込んで洗脳を深めさせたということになる。

このことが何を意味するか。

一般的な常識さえこの頃に知ることが出来ていれば高が門外漢女ごときには騙されずにすんでいた可能性が高いということである。
2000年末にもたらされたインターネット環境によって真実追究に期待がかかっていた矢先に、どうでもよくなっていた鉄道趣味を遠隔洗脳によって焚きつけられたことで真実追究からスピンされた結果が忌まわしき敵宗門に引きずり込まれたということであり、その後再三再四に亘って交際類似事犯が惹き起こされ以って敵宗門の意図通りに底辺に押し込まれる結果になってしまったということである。その意味では中ボスの足下にも及ばない単なるいち雑魚とはいえその影響力は絶大であり、実質的に人物破壊工作の主力であったことは疑いようがなく、ゆえに門外漢女の所業が現在の屈辱を決定づけたとまで言い切れるものであるから果てしのない憎悪を向けられて当然の輩なのである。

門外漢女の惹き起こした二つの大きな事件、自動二輪圧殺演出事件とデジタル一眼レフ導入に絡むスキャンダル。
これらはその後も筆者が石之坊を去ることになった後にまで影響を及ぼし続け、自動二輪圧殺演出事件はその後バイク戦争犯罪につながって巨額の損害を出し移住を望みをも断ち切ってしまった。またデジタル一眼レフ導入に絡むスキャンダルの影響はその後10年以上にも亘る機材の迷走と売った買った策動の罠に嵌められこれまた巨額の損害を出ししかも殆ど何も残らない結果にまでなってしまった。この二つの事件が直接原因、或いは遠因となっての損害額はおよそ300万円超と見積もられている。
そして門外漢女はこの二つの重大事件を惹き起こすための身のために色目を使い交際類似事犯に及んでいたということである。
なお今回の記事を執筆するに先立ち門外漢女の写真を改めて見返してみたがこれが見事なまでに♨の鼻面だったのを見て「ああ、やっぱり」となったのは云うまでもない。そりゃあ♨が仕切ってる宗教だもの。

そもそも門外漢女という通称はバイクやカメラのことをよく知らない分際で口を挟んできた不届き者という意味でつけられた蔑称であるのだが、上から聞かされたものとはいえある程度のことを事前に敵宗門から聞かされていて犯行に及んだであろうことが現在では明らかである。尤も、上から聞かされただけなので予定外のことが起きた場合には対応できなかったであろうとは思われる。
実際に疎遠になってからの機材改善の取り組み、望遠レンズの改善やこの門外漢女によってもたらされた不本意な機材の処分には門外漢女自身は全く対応できておらず、これに対する逆上は別の謀略部隊が惹き起こしていると考えられておりその後の機材迷走問題は最早門外漢女の手を離れたところで某店などもグルになって惹き起こされている。これについてはまた別途記事を起こして取り扱う予定である。

この門外漢女を抜きにしても60~80年代の輩にはクズDQNが非常に多い(保母失格女’66年、狐女’71年、門外漢女’74年、龍神ひろし’79頃、千ラシ裏女’80年、うりこ’85年)ことは見逃せない事実であり、今日の金城一家ではこの年代の輩との交際交流を避けるようにしていることも当然の帰結である。それだけ昭和の時代と云うのがカスでクズい時代だったということではある。

後記
この門外漢女、疎遠になる前には「私は頭が弱い」などとほざいていたが、本当に頭が弱い奴は自分でそんなことは言わない。つまり最初から頭が弱い振りをすることで相手の警戒を突破して欺くつもりだったのだということである。つまりは人を欺くことだけは天才だったということである。この手合いの輩はそれまでに遭遇したことがなく、未知の存在だったことが被害を大きくしているが、ネット参戦の時から予定通り真実の追究が行われていればまず100%対応出来ていたはずである。とどのつまり、真実を追究されては騙せなくなるから敵宗門はあんなやり方でどうでもよくなっていた鉄道趣味を焚き付けてその上汚いやり方で遠隔操作で洗脳してスピンしやがったのだ。
もしこの門外漢女のようにテメエで頭が弱いとかほざいている輩がいれば、それは100%詐欺師であるということであるからそのような輩からは速やかに距離を置くことである。子供3人の親権を取れないくらいだから相当あくどいことをしでかしたんだろう、今なら簡単にわかるレベルの話である。

石之坊住職の交代について

石之坊といえば我が一家にとっては最悪クラスの忌まわしき場所であり、尚且つ不倶戴天の敵としてこの界隈では知られているところである。その石之坊で遂にあの悪逆な山根一順が隠居し、新しい住職が赴任することとなったのでここで言及する。

去る令和3年1月8日に早瀬日如より辞令が発せられ、山根一順が隠居することとなり斎藤道愉という輩が新たに住職となった。
以下は当該辞令が掲載された大日蓮令和3年2月号の紙面である。

住職なので当たり前だが山根はただ単に石之坊を仕切っていたのみならず、石之坊における私に対する人物破壊工作の中間責任者であったとみられている輩である。
石之坊に隷属させられた6年間で私の人生は大きく狂わされることとなり、しかもその間に我が尊父を医療利権に殺される事態にまでなっている。本来ならばその時点で全てウソであると見切って敵宗門から離れるべきだったわけで、その時点で連絡を絶ち敵宗門を排除しているべきだったのである。この時の山根の言い草は「葬式を本宗でやるのか、他宗でやるのか」というものでありお悔やみのオの字も出なかったのである。如何にこの男が私を侮蔑していたかの証左であるといえよう。

この男、ここ数年は頭の疾患で療養していたと言われており、それが真実であればまさに私共を陥れたことの報いであり自業自得であると云わざるを得ない。自業自得はこのことにとどまらず、日有日寛門流の偽教義カルト宗教、♨の衛星宗教を布教していたことの業障であることもそうだ。
年齢的にもいつ迎えが来てもおかしくない輩であるが、ここまでクビにせずに引っ張っていたのはやはり謀略の功を買われてのことだったということではないのか。
もう表舞台に出てくることは二度とないであろうが、だからといって許される訳ではないことはここに警告しておかねばなるまい。

新住職の齋藤道愉であるが、僧階:大僧都こそ山根と同じであるものの富士学林図書館長を務めるなど明らかに山根より格上の輩であり敵宗門が如何に石之坊を重視しているかということがこの人事からは窺える。これ以上僧階が上がることも最早ない山根と異なり今後権僧正(能化)に叙せられる可能性のある輩であり、先述通り如何に石之坊を重視しているかと共に現在の石之坊の惨状そしてその立て直しに命運を賭して任命しているであろうことも窺える。
私とは面識のない輩であるが、引き戻しのための謀略に手を染めない保証はどこにもなく、我が一家は怒りと警戒を新たにして今後に臨まねばならないだろう。

敵宗門・日蓮正宗をはじめとする日有日寛門流4宗派は表では争っているように見せかけて裏ではガッチリと手を取り合っているのみならず統一教会をはじめとする他のカルト宗教とも裏でつながっているということがハッキリしてきている。そしてその元締めにイエズス会(♨)がいることも火を見るより明らか。
何よりもその日有自身が♨の手先若しくは同族であり、南条時光から疑わねばならないレベルである。♨人がそれよりはるか昔の7世紀ごろに日本に既に潜伏していた可能性も高く、日顕も日如もその面を写真で見て明らかなほど♨であろうことが明らかである。今日の敵宗門は完全にイエズス会の手先であるということも然り。
全ての宗教は支配のための手段であるということを悟り宗教からは離れるべきであるということを改めてこの席を借りて言わせてもらうものである。

敵宗門脱退から6周年を達成

我が一家は去る本年1月10日にあの忌まわしい敵宗門を脱退してから満6周年を達成した。大きな節目は既に過ぎているとはいえ周年に意義のある記念日であることに変わりはない。

昨年一年を掛けて取り組み、敵宗門による戦災や背負わされた重石、そしていかなる敵宗門残滓をも除却するために行われた戦後処理事業はその全ての目標目的を達成し成功裡に終わった。それに加え長らく構想されながら敵宗門の妨害で遅れに遅れていた私有交通の復活をも達成し、一家史上初めて年間目標がまともに達成されたのである。

「再出発の年」の成功を受けて定められた今年の年間テーマは「蓄積の年」である。云うまでもなく蓄積するべきは人生を変え失地回復を達成する為の力、スキルアップである。必ずや本年に定められた課題を達成し失地回復に弾みをつける。これが一家の必修命題であり、余事や儚い夢などに躓かされるようなことは間違っても惹起してはならない。従って本年も前年に増して厳格な交際統制を行い失地回復の妨げになるような悪縁を寄せ付けない。

ご存知の通り、一家の失地回復は脱退を基準にすれば5年遅れであり、ある忌まわしき事件を基準にすれば25年遅れということになる。この二つに共通するのは、「さあこれからだ」というタイミングで出鼻を挫く為に大きな事件が惹起して時間と金員が徒に失われていることである。そこにあるのは、敵宗門一味の「するべきことを絶対にさせない、寄せ付けない」という強固で邪悪な意志なのである。それだけでなく、インターネット参戦を知るやどうでもよくなっていた悪しき趣味ごとを焚き付けて真実追究と失地回復からスピンするという残忍で邪悪な策動をも惹起させているのである。これらについてはまた別に記事を起こして検証する必要がある。

敵宗門一味によって人生の多くの時間が徒に失われた現在、失地回復は最早待ったなしであり時間と金員の無駄は少しも許されない。時間と金員を浪費させようとする勢力はその所属の如何を問わず我が一家の敵と見做され一の例外もなく粛清されるということ、かかる重要命題に敵対して身勝手な妬みや未練或いは自己の都合による勝手な行動を行う者は予測不可能な凄惨な結末に全面的かつ致命的な責任を一方的に負うことに必ずなるということを招かれざる客員どもは肝に銘じて立ち去るべきことを警告しておく。
我が一家は失地回復の必修命題に向かってただ一つの輝ける道を直進してゆくことをここに宣言するものである。


photo:昨年12月に導入した自動二輪車(導入当時の姿、グループサイトより自己転用)