筆者がこの1週間何をしていたかというと、それは「畜産物からの脱却」の取り組みである
具体的には、近い将来の菜食への転換を目指し、
・肉
・卵
・乳製品
の排除と野菜・果物を積極的に取り入れる取り組みである
肉食が百害あって一利ない理由は下記に詳しい
健康面からの菜食のススメ2
(菜食のススメ)
上記サイトには宗教関連の記述もあるが、それを抜きにして読めば役立つことが多く書かれているので一読されたし
そもそも人間というものは肉を食するようには出来ていないのである
その弊害を一部列記してみる
・動物性食品の消化には多くのエネルギーを消費するので元気がなくなる。特に肉食動物の代表であるライオンは1日に体を動かすのはわずか2時間程度である。栄養価の高い物ほど消化にエネルギーを必要とするのだ
・蛋白質の取りすぎにより、筋肉を作ったり、筋肉の高い活動量を長時間維持したり怪我から身を守る集中力を保ったりするのに必要なエネルギーが、大部分消化のほうに回されるので、怪我や病気にかかりやすくなる
・肉が腸内で腐ることにより発癌性物質が生成され癌にかかりやすくなる
・肉を食することによってキレやすくなったり怒りっぽくなる。肉を食すると獣の習性が移る(屠殺時の恐怖により分泌されたアドレナリンが食肉中に残留している)
・地球環境の破壊の大きな原因は畜産業である。畜産のために多くの牧草や水を消費し、ハンバーガー1個で台所の広さの熱帯雨林が失われているといわれている(牛肉1kgを生産するのに16kgの穀物が必要である。牛1頭に換算すると…)
・日本で肉食が蔓延したのは畜産業界団体による大きなウソの宣伝が原因である。ウソをついてまで物を売ろうという浅ましい姿勢は現在の商業主義や企業社会主義に通じるものである
・狂牛病の発生したUKの牛や某国の大ネズミの肉の流通には闇ルートがある。この闇ルートは「アンタッチャブル」である。肉食は、そうした闇勢力を潤すことにもなる
これらはほんの一部である
この他、糖尿病や高血圧・腎臓病等の重い疾病も肉食が原因だし、肥満が増えるのも動物性蛋白・脂肪が消化しきれないで蓄積されるからなのである
世の中には「これでやせる!」「これで○○ボディを手に入れる!」などと喧伝して売られているものがあるが、肉食をやめないでそれを達成できるほど世の中甘くないのである
肉・卵・乳製品をやめることこそが肥満の解消への直道なのである
いずれ世界は個人も社会も次のシステムへ移行しなければ人類は生き残っていくことが出来ない
エネルギー問題、金融問題、さらには医療、農業、建築まで、20世紀の古い衣を脱ぎ捨て次のシステムへ移行しなければ生き残れないのである
その最大の障壁こそは畜産業であるといわねばなるまい
しかし、このことは権力3兄弟にとって都合が悪いのでマスゴミ等によって隠蔽されてきた上肉食の旗手である外食産業のプロパガンダも同じくマスゴミ等によってイメージを粉飾して流されてきたのである
人々は、権力3兄弟・マスゴミ・畜産業界等の喧伝により動物性食品がもっとも良質のたんぱく源だと思い込まされているのである
筆者は1年前に病に倒れてからいまだに通院しているが、病院は常に人で溢れている状態であり(混雑時のスーパーマーケット並みと言えば解っていただけるだろうか)医療関係もこの利害に絡んでいるのか?と思いたくなる状態だ
筆者の見立てとしては、健康な人ばかりになると医者・病院・製薬・栄養士等が儲からなくなるので畜産業界と裏で結託しているのではないか、ということである
健康な人ばかりになれば、病院が次々に潰れたとしても不思議は無いしそれでも問題にはならないはずである
実際、診療に対する保険料を払わなければならない立場の社会保険団体は、肉や乳製品のとり過ぎを注意するのであるが、畜産業界の利害団体は出したハンドブックに調査結果とは違う、沖縄の長寿老人はたくさんの肉を食べるから長生きができるかのようにウソを書いて全国にばら撒いたのである
そのため、栄養士などがこのウソの情報を盲信して肉や乳製品の普及に注力したのであるとされている
見方を変えると、病人が増えるとぼろ儲けできる立場にある医者・病院・製薬・栄養士等がこの畜産業界のウソに相乗りしたのではないかということである
更に、これら肉食はとんでもない価格破壊を引き起こしているが、その安さはどこのものとも解らないようなものを使っているからであり、その危険性は明白である
貧困層ほど肥満が蔓延しているのは安い肉食に飛びついてしまうからであり、まさに「安物買いの銭失い」なのである
これも格差社会が引き起こしたものであり、資本原理主義の弊害であるともいえるのである
肉食・外食は企業社会主義、商業主義、資本原理主義を利することになり、なおかつ自分の身体に無限といっていい危険をもたらす、ということを思い知り個々人が変わってゆかねばならないのである