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脱退前事件の総括

この記事においては、主にブログリニューアルにおいて対象外となる、2012年以前の事件等の総括をここにおいて行うものとなる
なぜ宗創は敵なのか、なぜ千ラシ裏や門外漢女は敵なのか、なぜ多くの日本女は敵なのか、という背景が良くわかるように書くつもりである
以前の記事10件若しくはそれ以上を潰して総括することになるが、そこはご了承願いたい

先日シングスピール会では、記事の公開は2013年以降に限るとしそれ以前の記事で必要なものはリニューアルして新規記事とする旨発表している

吾輩が敵宗門から脱退したのは2015年1月10日のこととなる
それより前、吾輩は絶望的な現実に遂に気付くこととなり寺院への参詣を辞め聖域なき見直しをすることを決意する
真実の追及自体は2014年半ばにネット上における戦闘の終結があり、そのあとから始まっているものだ
その後、すぐに絶望的な現実に気付くこととなっているのだ
これにより、同年9月より聖域なき見直しに入り、一切を封じて見直しを行ったのだ
その結果として、まず11月には某ヲタ趣味の破却を決定している
なお、この際に法華講の者が破却に一切協力をしなかったことから関連性が浮上し、そして翌年1月10日、遂に敵宗門から脱退する決意を固め、今日に至る訳だ

吾輩が大きなうねりに巻き込まれたのは2000年、インターネット環境が手に入りいよいよ真実を手にしようと動いた時だ
この時までに某ヲタ趣味などは最早どうでもよくなっていたはずだったのだが、これをキッチリ粛清できていなかったことが敵宗門一味に隙を与えてしまったようだ

吾輩は1989年、本土への復員を果たしている
しかし、敵の連中は何も知らせないままに吾輩を放り出し意図的に毒牙にかけようとしていたことが分かっている
そこから2000年に至るだけでも紆余曲折を経ているのだが、中でも大きかったのはラ・チーカ事件とこれに続く風俗地獄である
これらについては青ブログの写真特集でも述べている
世紀末にはこれらは終息するが、スピンの数々はこれでは終わらなかった
やおら、敵宗門一味が持ち出してきたのは忌々しいとあるヲタ趣味だったのである
当時はまだテクノロジー犯罪などというものは一般には知れておらず奴等もやりたい放題だったのだ
それがネットによって白日の下に晒されること、それが奴等の恐れていたものだ
その為、敵宗門一味はこともあろうか某ヲタ趣味を焚き付けてのスピンという最悪のことをしてくれやがった
そしてそれがやがて岩下容疑者との遭遇という最悪の結果をもたらすことに、しかも敵宗門一味はその真実を隠蔽するべく岩下を亡き者にするという最悪のことをしてくれやがった
つまり某ヲタ趣味の焚き付け一つとっても最悪に過ぎる、それが無いだけでもこんな事態にはなっていないということだ
結果として某ヲタ趣味は2014年に破却、2020年にはこれを支持する形で再度破却となり失地回復の完全な達成が無ければその復活はないとしている
そして石之坊の邪悪さが知れてきたことにより第一次解放聖戦が勃発し、吾輩は事態の拡大を恐れた前住職によって石之坊を追われたという訳だ
これが2010年、脱退のおよそ5年前という訳だが本来であればここで脱退しておくべきだったといえる
前住職・山根はここで話を捻じ曲げるという最悪のことをしてくれやがった為に阿呆悦院に誘導されることとなり脱退が遅れたという訳だ
謂わば、脱退妨害の為に他の寺院に飛ばすということをしやがった訳で、いっそ除名にでもしてくれた方がまだ気が晴れるというものだが
本件が、脱退妨害事件であり、なおかつ門外漢女を守るために惹き起こされたことは明白であるが、その門外漢女は新住職によって役職から追われている
つまり門外漢女が役職に任じられたのは専ら謀略の功のみという訳で、それが新住職によってその地位を追われるという結果になっているのであって講内でも何かと問題を惹き起こしていて度々問題になっているのでは?
その辺については吾輩が2010年に石之坊から、2015年には敵宗門から脱退を果たしているために明らかでない
ここでは詳細を省くが、復員から今日に至るまでには多くの事件群が惹き起こされ一家の失地回復を妨げてきた

新宿事件

1992年2月、狐女によって惹き起こされた事件。この事件が原因で以降に多くの振り回し策動の末今日の事態を惹き起こしたといえる

瀬戸事件

1994年に惹起。

ラ・チーカ事件

風俗地獄事件

住宅統一不達成事件及びその後の各種策動

以上の事件は以前に解説済み
以降は失地回復プロジェクト発会後の事件だ

鉄道趣味の焚きつけによるスピン事件

石之坊への引きずり込みに絡むハタカセ事件

予定外機材売却強要事件

門外漢女がもたらした機材の粛清に対する逆恨みだと謂われている

5.20事件

石の湯事件

山崎派と対立派の対立から起こり、山崎派が石之坊を占拠する結果に。

第一次解放聖戦

石之坊からの粛清事件

この粛清以降、門外漢女と直接のかかわりは無いがスピンに繋がっている

バイク戦争犯罪(一次)

大金をハタカセ、移住潰しのために行われたとされる

柏原事件

移住潰しの後、目くらましのために行われたとされる
しかし、この事件が後の脱退に繋がっていると謂われる
-聖域なき見直し&敵宗門脱退以降-

冤罪未遂事件

引き戻して再洗脳し、総てを有耶無耶にしようとして惹き起こされたが、狙いは失敗に終わり敵宗門一味の邪悪さばかりが引き立つこととなった。

ファクサイ事件

再再度敵宗門一味が巻き返しを謀ったが計画は失敗に終わる

店内での店員や客による嫌がらせ事件

冤罪未遂事件、ファクサイ事件の失敗に対する逆恨みだと謂われている

第二次バイク戦争犯罪

債務整理成功に対する逆恨みだと謂われている

邪悪な運動への誘導事件

敵宗門とつながりがあり、それによって惹き起こされたとされる

正直、吾輩サイドのカウントだとしてもこんなにあるとは。開いた口が塞がらない。
これだけ取っても如何に敵宗門一味が邪悪であり害悪であるかがわかるというものだ

いずれにしても一人でこんなに事件に遭うというのは通常では考えられず、そこには必ず理由があるというものだ
その最たる理由は好き勝手ばかりし放題した挙句身罷り、その挙句その関係者によってジャーヒリーヤ島に抑留されたことが総てだった
絶海の孤島での4年半というものは、絶対に歴史に残してはならない4年半だった
せめてクズ元が身罷った段階で直ちに本土復員が果たせていれば…。
何千年経っても吾輩はこのクズ元を呪ってやる、と思うのが当然といえる
まだ敵宗門など日有系4宗派が滅んだわけではなく、最後の事件からまだ2年であることからまだ警戒は必要であるといえる

時は過ぎ狐女は既に52歳。瀬戸事件の瀬戸に至っては56歳という有様だ。
最早昭和の女に用はなく、我が一家は令和の今新たなスタートラインに立つ
これからは最早引き離す一方であり、二度とその距離が縮まることは無いのだ
あとから後悔してももう遅いのだ!若さゆえの過ちで済んだら婚活行き遅れ女の大量発生は無いのだ!

カテゴリー:回顧録, 宗教や敵対者について
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