風化させない 2

先の記事の続きをご覧いただく。

ツアーは更に富士宮市街に向けて下ってゆく。

宮原付近
宮原付近。

宮原付近
宮原付近

富士宮北高付近
富士宮北高付近。

宝町
富士宮市街に入り、宝町。

宮町
宮町。

西町
西駅に向かって右折し、西町。

西富士宮駅
西駅。

当日のルート

事件は2007年5月20日に惹起した。
この日、半ば強制的に参詣させられた支部総会の受付で、バス代として取っておいた金銭を受付の女子講員に恫喝されて掠め取られたものである。
その後、誰も助け舟も出さず結果駅まで8キロ以上の道のりを延々と歩かされる羽目になったものであった。

これには前振りがあった。
当月の初旬にカメラの代替に絡んでレンズの買い替え強要事件というものが惹起し、売らなくてもよいレンズまでそっくり売らされて社外品のレンズに買い換えさせられたという事件である。
更に買い換えたカメラの不具合で別の品に交換せざるを得なくなり、価格の上昇で家計が一杯一杯になってしまったのであった。
売却強要事件は、売らなくてもよかったレンズを売らせて別の品を買わせることで予定していた余裕を奪い、参詣させる頃にはカツカツになっているように予め計算されていたのであった。
不具合の出たカメラは、ランクの低い「並品」であった。
もし最初から「良品」だったら、この事件は起こっていなかったであろう。
なぜならレンズを買い換える余裕はないと判定され使えないレンズだけ売れば済んだ話だったからであり、本来はその予定でもあったのだ。
つまり、カメラ本体を売ったM店も、レンズを買い換えさせたF店も敵一味とグルだった(つまり、糞寺ともグルだった)訳である。
M店は最初から良品だけ出せばよかったものを値段の安い並品を出して手を出させ、F店に至っては問題の社外品をわざと目立つところに展示して目を引かせるなど非常に悪質であり、現在では両店とも永久追放(取引禁止)になっている。
この売却強要事件は、専ら仄めかしによって成り立っており、仄めかしによる売却誘導事件であると捉えることも出来る。
ただ、その際に過去の忌まわしき出来事が心中に噴出してきたことは尋常でなく、何らかの心理操作があったと考えるべきであろう。

そして、この事件は最初から寺ぐるみで仕組まれた悪質なハラスメント事件であったということがいえる。
この事件を惹起するに当たって寺側は誰として帰りに手助け(車に乗せる)などをしないように予め根回しをしていたのである。
その結果、先述の通り駅まで延々と歩かされる羽目になったものであり、これを見てもわかるようにこの寺、この宗派では私は最初から敵扱いであったのである。
それをわからなくするために姑息な環境整備で宗教に引きずり込み安心できるウソで騙して目くらましをしたのであった。
シングスピール・ウェブ立ち上げ当時に鉄道趣味を焚き付けてまで真実追究を押し止めたのも、全てはそのためだったのである。
このことを考えると、鉄道趣味の全面解禁などは到底応じられるものではないのである。
まして宗教などもっての外である。

恫喝体質そして意に沿わない者に対する不寛容体質は敵宗門全体に広く蔓延しているものであり、それが後年の脅迫事件にもつながっている。
「宗教は自由だ」「言論弾圧は出来ない」と言っていた寺の住職が講員を恫喝のために差し向けるくらいだから、最悪のカルト宗教であると断罪しなければなるまい。

敵宗門のウソでたらめというものが、この中間もこれでもかと言わんばかりに噴出している。
まず教えている歴史がウソでたらめだらけ。
そして大本尊は贋作。
更に二箇相承もでっち上げ。
これらをでっち上げたのは悪僧・9世日有である。
このような有様のカルトであるから、金輪際戻ることはないし引き戻しは絶対に許さない。

風化させない 1

2007年5月、当時隷属させられていた糞寺でバス代恐喝事件が発生し、その影響で8km離れた最寄り駅まで2時間半あまりも歩かされるという事件があった。
後年そのとき歩いた道を辿るツアーが開催された時に収めた写真を2回に分けてご覧いただく。
敵宗門の本山からほど近い場所に北山本門寺という日蓮宗(興統法縁会)の大きな寺がある。
そのすぐ近くの本門寺入り口交差点の付近からツアーは始まった。

門外漢女による最後の仄めかしがあった場所
本門寺交差点からカルト本山方向を望む。
この場所では糞寺脱退の日に門外漢女による最後の仄めかし事件が惹起している。

北山郵便局
本門寺入口交差点角には北山郵便局がある。

朝霧高原方より交差点を望む
朝霧高原方より交差点方向を望む。
このちょうど左側手前に富士宮行きのバス停がある。

本門寺入口バス停
バス停の名前も「本門寺入口」。

ツアーはここから西駅方向(富士宮市街方向)に進むことになる。

北山交差点より南進
交差点から西駅方向に進み始める。

北山にあったコンビニ
十数分歩いたところにあったコンビニ。
ここでなけなしのカネでパンとドリンクを買ったことが昨日のように思い出される。

外神付近
外神付近、カルト本山への抜け道の交差点を過ぎた辺り。

ツアーはまだまだ続く。

このあと富士宮市街まで延々と歩かされた昔日の経緯があったのであるが、一方的な下り道であるにも拘らず駅までは2時間半を要した。
事件当日は5月にも拘らずかなりの暑さでもあり、暑さに弱い筆者には殊更に応えてしまったのであった。
ツアーのときはバイクで下ったのであるが、市街までは15分ほどに過ぎなかった。
しかも、当該ルートはかなりの遠回りであり、最短ルートだと6.6kmで歩けたことがわかっている。
これに対して当時のルートは8.2kmもあり、事の重大さがわかろうというものだ。
これは当時予定がバス前提で組まれており、突然襲い掛かってきた災難であったが故に知りえぬ道では対応が出来なかったのに加え、当時はスマートフォンもタブレットも存在せずナビも持ってなかったため出先で調べることが出来なかったことによる側面が大きい。

以後の写真は次の記事で。

宗教について

管理者金城修一は無宗教である。
何故か?答えは簡単である。
宗教ほど馬鹿馬鹿しい物は無いからである。
宗教の教義などという偏頗なものに囚われること自体が馬鹿らしい。

2015年1月に、私は不本意にも11年間身をおいた宗教から脱退し、本来の姿である無宗教者に戻った訳である。
この記事では、その経緯について説明する。
既に過去の記事で触れた部分もあるが、改めてここで詳細を明らかにする。

私があの宗教に引きずり込まれたのは2003年9月のことである。
入信させられてからの6年半で、いい事は何一つ起きなかったどころか、巧妙なハラスメントで追い詰められ、結果2010年4月にこの寺院を脱退することとなった。
それだけではない。この間に父親を亡くしたのであるが、このときの対応がまた酷かった。
大切なことには何一つ触れず、「祈れば治る」などという「安心できるウソ」で私を騙し、以って必要な対応を何一つさせなかったばかりか、金銭的に余裕のない中で本山への参詣を強要するという暴挙にまで及んだのである。その一方で迫る死期とその前にするべきこと(アルバイトをやめて正規就職をするべきこと)には触れさせないようにして、ケツに火が付いてもそれに気付かせないように仕向けていたのである。このことが、今日まで尾を引き社会復帰への大きな障壁になっているのである。
それだけではない。父の死後、宗門などが私に対する離間工作を裏で仕掛けていて、兄弟親族に悪評を吹聴して分断していたのである。
なぜ宗門側が分断孤立工作を行うのか?
答えは簡単である。
そのことによっていつまでも信者を引き止めておくことができるからである。
よりどころを無くしておけば、その信者は自然と寺のほうに足が向き、頼るようになってくれるからである。
2010年の石之坊脱退に際し、寺院サイド住職・講頭は不正追及の件には一切触れず、「地元寺院云々」ということに姑息にもすりかえられてしまい、それで一方的に移籍の指定をされてわずか20分で追い返されたという経緯があった。私が用意していた不正追及は件の女工作員の件についてのものであったが、寺院側はこの女が当日寺院に来る予定があったにもかかわらず、当該の女との直接対決を回避する姑息な手配を取って、私が本山を後にするまで到着させないようにしていたのである。
なぜ石之坊サイドは不正追及に対して姑息なスリカエを行ったのか?
答えは簡単である。
奴らこそが不正の当事者であったからである。
これについては後の事件とともに後述する。
また、この移籍の指定には邪悪なロジックが仕込んであった。
石之坊を脱退することとなった、この「最後の日」は敵寺院側が一方的に指定したものであり、この日は御講の前日であった。つまり、一方的に移籍先を指定して次の日にはそこの御講に参詣させ考える暇を与えないために敵坊主が考え抜いたものであったものであったのだ。
そこで考える時間が2日でも3日でもあったらどうだったか。
悪くなる一方であった現状に気付いて離壇することが出来たかもしれないのだ。
かくして、本来ならば離壇するべきが敵の指定した地元寺院でずるずるとやらされることになってしまったという訳である。

そして、その寺院でも交際類似事犯が発生することとなったのである。
しかも、敵一味が画策した人工透析への転落に合わせてそれが行われ、厳しすぎる現実に目を向けさせず「まだ望みがある」と思わせるためにそれは行われた。
最初の寺でも交際類似事犯があり、その惹起者が脱退時に問題となった門外漢女であった。
ここでは詳細を省くが、これらの交際類似事犯は、いずれも寺側が仕組んだものであり、惹起者個人の勝手な行動によるものではない。
腎臓の病状が悪化しつつあったある御講の日、講の役員だった男が自分で帰ろうとしていた私を「無理に」引き止めて車に乗せたのであるが、そこに乗っていたのが問題となっている藤代の女講員だったのであった。
つまり、そこで私がそれを振り切ってしまえば企みは不成立に終わってしまうので断る私を無理やり引きずりこんで車に乗せたという訳である。
この交際事犯が寺ぐるみ・講ぐるみであって惹起者個人の勝手な行動によるものでないことは、この一件に明らかである。
私が人工透析に陥ってすぐ、退院後にお会式が行われたが、その後件の女は疎遠になり、この件を役員の男に追及したが、この男は誤魔化しに終始しはっきり言って話にならなかった。
宗門に対する不信は、この時点で既に始まっていたものであるともいえる。
その後、私はこの寺への参詣を停止し、「聖域なき見直し」に入った。
そしてその結果、鉄道趣味の破却と宗門からの脱退、つまり離壇を決定する(当時は「脱退」と発表)。
かくして2015年1月10日を以って私は宗門から脱退したのである。

その後宗務院は私を別の寺に誘導して続けさせようとしたが、私が真実を追及する姿勢を見せると掌を返したような対応をされ、そして6月に寺院をまたいだ講員数名で押し掛けてくるという脅迫事件が発生したのである。
その後も敵一味は何とか宗門に引き戻そうと画策を続けたが、当家は9月22日に脱退を確定する決定を下した。
その後手続き上の不備があったことが判明し、2016年2月に脱退通告と本尊の返還などの事後処理を行い、その後役員の男から押し付けられた仏壇の処分を敢行し、以後宗門とは無関係となっている。

その後当家は宗教の弊害によって疲弊しきっていた生活環境の整備に乗り出し、設備の更新と拡充を行ってきた。宗教の弊害は多岐に亘り、整備には多額の金員を要した。これらは宗教の弊害が無ければ当の昔に出来ていたものばかりであり、今でも怒りが収まらないのが本当のところである。
宗教の弊害による被害は少なく見積もって数百万円、それでも地方なら家が持てるレベルの金額である。

その後の真実追究で、日蓮正宗は教義の面でも教える歴史もウソでたらめばかりで、好んで使う御書も他門では偽書確定、または偽書の疑い大とされているものばかりだということが判明している。
更に、正宗は日蓮教団の中で異端であるだけでなく、富士門流系統の中でも異端であるということまで解っている。
つまりはウソでたらめで塗り固めた典型的なカルト宗教であり、正統というのは口だけだったというわけである。だからそこから出てくるカルトも一様に悪質になるわけだ。
これだから日蓮正宗は世間一般からもこれほどまでに嫌われるのである。

まとめとして、この宗教を辞めて無宗教に戻った理由を記しておく。
・触れ込みに反していくらやっても効果が無く、ただ搾取されコマとして使われていたに過ぎないこと。
・二度にも亘る交際類似事犯が、寺側が仕組んだものであり当初から敵扱いであったこと。その一方で本来あるべき交際の縁は狭められた選択肢の中で潰されていること。
・幸せにするためではなく、人生を破壊するために宗教に引きずり込んだものであったこと。
・触れ込みに反して講員の性格が一様に悪く自己中心的で最悪レベルであり、偽善と恫喝体質が染み込んでいること。なお、日蓮系の宗教は皆そのような傾向があるとのこと。
・すべてがウソと謀略で塗り固められており偽りに満ちた宗教であったこと。
・当家は元来無宗教であり、無宗教の時代には生活を保てていたことが後の検証で明らかになっていること。
・そもそも宗教の教義に縛られて生きること自体が馬鹿らしいこと。宗教のせいで人生の選択肢が狭められ悔しい思いをしていること。

当家は、2015年9月22日付の決定で宗教そのものに関わることを厳しく禁止するに至っており、如何なる種類の如何なる宗教であっても一律に禁止することとなっている。
したがって筆者においても今後宗教にかかわるということは金輪際ありえず、引き戻しや強要などに対しては一の例外も無く刑事対応とさせてもらうのでカルト講員どもはよく覚えておけ。

なお、地域交流上必要な場合は祭りなどへの参加を容認する方針であり、神社等への立ち入りは宗教行為を含まない限り同様に容認することとしている。
大石寺の総代が神社に参詣しているのだから人のことは言えまいよ。

「シングスピールの砦」からの移管記事

両寺院における、本当の真相 その1

忌まわしき敵宗門に引きずり込まれたのは2003年9月のことであった。
現在途中まで公開している回顧録は、今のところその手前のところで止まっている。
先の記事でも書いたように宗門と創価は裏で繋がっているので、この連合軍が私に対する全てのハラスメントを画策し、行ってきたものということになる。
除名にしたモラ母が創価学会に関わったことが全ての原因の始まりであるといえる。
今でも宗創は一体だが当時は名実共にであったので、恐らくそれが全ての始まりであったといえる。
1988年にモラ母が死んだことで、一旦は宗教から足を洗うこととなったのだが、これも曰くつきであり、決して評価は出来ない。やはり自分の意思で自分から足を洗ってこそ真の自立であるといえるのではないか。
そうでなかった故に、後年に至るまで敵の思うがままとなってしまい、今日の不幸に繋がっている。

これまでに惹き起こされた全てのハラスメント、交際事犯、裏切り、争いごと、一家離散と孤立化、そして全ての運命操作が宗創をはじめとする敵一味によって画策され、惹き起こされたものである。
それには裏に回っての根回しや風評の流布、無線技術・脳波技術を悪用したテクノロジー犯罪による感情操作などありとあらゆる手段が使われてきたのである。

忌まわしき宗門に引きずり込まれる数年前から、敵はさまざまな策略によって人生には不要なものを捩じ込み、或いは焚き付けることによって経済的圧迫や本来とは違う人格の演出などを行っていた。
回顧録にもあるように風俗地獄への誘導、「バイク」の捩じ込みや「鉄道趣味」の焚き付けなどを敵は行い、「その日」に備えていたのだ。

かくして2003年8月、敵の捩じ込みによって「鉄道趣味」のせいによる「関西遠征」に行かされることとなったのであるが、ここに敵はとんでもない罠を仕組んでいたのである。
他ならぬ石之坊講員、岩下を敵はその帰路に送り込んできたのだ。
本件は明らかに宗創一体の謀略であり、真実の追究を決定的に遠ざけるべくその総仕上げとして宗門寺院に引きずり込み、宗教の教義でもって目暗ましとし、自分たちのしてきたことに気付かせないままで決定的な不幸に陥れようとしたのである。

2003年9月に石之坊に足を運ばされた(間違っても自ら足を運んだのではない。敵の誘導による罠であり本意ではない故にこの表現を用いるのが正しい。)訳であるが、その日から敵はおかしかったのだ。
敵連中は、確認をさせないようにあれよあれよの間にコトを進めて、気が付いたときには本尊下付まで行っていたのである、これが真相である。
私はあくまで話を聞くだけのつもりであり、そこまでは考えていなかったのである。
では確認をすればいいではないかというかも知れんが、そもそもそそくさと話を進めたのみならず、それに抵抗をさせないように感情操作を行い精神誘導をしていたのであるから、当たらない。
そもそも敵は確認をしない、させないようにそのような癖をつけさせないようにしていたので、確認するということ自体が不可能であったということになる。
なぜなら、確認をされては早々に「安心できるウソ」のボロが出てしまい、引きずり込めなくなってしまうからである。

こうして自宗に私を引きずり込んだ敵は、都合の良い誘導を長い年月に亘って行い不幸を決定付けるべく、悪辣な策謀を次々と実行に移していくのである。

敵がまず行ったのは、信心の名の下に当家の経済を破壊し、金銭的余裕を与えないようにすることであった。その狙いについては後述する。
石之坊(講頭)は入信させた9月だけで三度も遠路本山まで半ば強制的に参詣させ、約4万円もの経済的負担を強いたのである。

これによって当家の経済は崩壊した。そこへ以って敵に強要されていた「鉄道趣味」による経済的負担が重なり、台所は火の車となりその日暮らしを強いられることとなったのである。

その狙いは、筆者を敵一味があらかじめ取り決めていた誘導先に誘導し、そこから抜けられないようにすることであった。
この誘導先とは、狭義にはこの薄汚い辺境の地のことであるが、取り決められた誘導先はそれだけではなかった。
つまり、どこの土地に誘導しどこの寺院に移籍させ、そして何の病気にかからせてどこの病院に誘導してそこに縛り付けるということまであらかじめ決められていたのである。
この取り決めをしたのは、坊ではなく(医療利権精力を含む)一味の実務レベルのトップクラスの連中ということになる。

このような情勢となっていた翌年、坊に新たな工作員が入ってきた。
通称門外漢女である。この通称は当方で付けた物であるが、知りもしないで人の生活に土足で踏み込んであれこれ注文をつけた門外漢、という意味でつけられたものである。
この工作員の真の任務は、徒に近づかせて「根掘り葉掘り」を行わせること、そしてそれによって意図的にミスリードをすること、そして自らが目立ち矢面に立つことであとでハラスメントが発覚してもハラスメントを行う者の正体(宗門をはじめとする敵一味であるということ)を隠蔽し、この女が主導しているかのように思い込ませることにあった。
この者の入信の経緯を不審に感じたことがあったが、工作員として白羽の矢を立てたのは石之坊住職であるので、入信の経緯は大して問題にならない。

そして敵一味が仕掛けたのが「自動二輪圧殺の演出」と「予定していた誘導先の土地への誘導」であった。
門外漢女が惹き起こした事件のひとつに「デジタル一眼スキャンダル」があるが、そもそも鉄道趣味の焚き付けが無ければデジタル一眼など必要なかったのであり、全ては敵一味による大掛かりな策謀の一部に過ぎないということである。
門外漢女は、筆者が撤回をしない程度に「反対する振り」をすることで反発心を起こさせ、以ってこの薄汚い辺境の地への誘導に寄与したのである。
そして、全ての誘導が完了すると門外漢女は疎遠になったのである。所詮は謀略のために近づいたに過ぎないということであり、典型的交際類似事犯であるといえる。

門外漢女は、全体から見れば単なる最下級のザコに過ぎず、単なる一工作員に過ぎない。
敵は最下級の雑魚を叩かせることで親玉の寺ぐるみがばれないように取り計らったものであり、ボスである宗門一味の関与を隠蔽し、宗門に縛り付けておけるようにするために最下級のザコに責任をスリカエたということである。

敵一味は、あくまで真実の追究から遠ざけるために宗門に引きずり込んだのであって、幸せに導くつもりも無ければ(その力も無いがな)、熱心に信心に励ませるつもりも無かったのである。

こうしてスリカエに成功した敵一味は、あれよあれよの間にさまざまな策謀によって筆者を決定的に不幸に貶める工作を行っていったのである。

この間には、抗がん剤による父の毒殺、その後の離間工作による一家離散といったものが行われたが、この坊において惹起した大型事件が二つある。

ひとつは「石の湯事件」である。これについては後述する。
もうひとつが、2007年惹起の「受付恫喝事件」である。
これは、単に坊の規模にとどまらない大規模かつ大掛かりな謀略事件であり、敵一味総出で行われたハラスメント事件である。
これは、「デジタル一眼スキャンダル」による産物のカメラを処分しようとしたことに絡んで感情操作を行い、売却の必要の無い機材まで売らせしかも不要かつ高価な社外品を買わせたことによる資金の枯渇により資金をはたかせ、以って帰りのバス代を確保するのがやっとの状況に追い込んでおきながら、支部総会の受付で供養が出せないことに対して恫喝を行わせたものである。なお、問題のカメラ店も敵一味のヒモ付きであったことが後年に発覚し、取引禁止処分となっている。問題のカメラ店は、敵の精神的誘導によってこのとき初めて足を運ばされたものであった。
したがって、この事件も単に受付の講員による個人的犯行では決してなく、恫喝を行うように何者からか指示が出ていたものである。

一方の2008年惹起の「石の湯事件」に筆者は関わってない。
この事件は、ネットのSNSに絡んで運営者の講員を焚き付けておきながらそこにケチをつけさせ、以って当該講員をスケープゴートにして、かつ2005年に就任していた当時の講頭を辞任に追い込んだものである。
この事件が起こされた理由は、特段筆者と関わりのあるものではないが、やはり住職の意に沿わぬ者を放逐したかったということではないかと思われる。
逆説的に言えば、住職と関係の深い人物が講頭でないと都合が悪いために惹き起こされたということではないかと思われる。それだけにしてはずいぶんと大掛かりなことをしでかしたものである。
この事件自体、特段筆者は勿論のこと門外漢女の利害にも特段関わりのあるものではなかったが、この事件が後になって門外漢女に全てをなすりつけスリカエるために利用されることになるのである。
利害には関わりが無かったようだが、門外漢女はこの事件で体制側に付き、紹介者である当時の講頭(辞任の後移籍)と決裂したようである。
私には関係ないが、仕事で使ってもらっていながらこの手のひらの返しようには開いた口が塞がらない。
なお、後に講頭に復帰した山崎某は「私は知らない」と白を切っていたが、体制ぐるみで行われたものを知らないはずは無く、詳細は不明だが何らかの形で事件の惹起に関わっていたのではないかと考えるのが自然である。

石の湯事件以降、筆者は急速に講の中で孤立するようになったが、それも狙いの一つだったのではないか。
つまり、もうひとつの「誘導先」である「地元寺院」への誘導を敵一味は本格化させたということだろう。

このころになると、父を宗教に引きずり込んだ大塚という男が、自分の担当地域でもない筆者の元をたびたび訪れるようになる。
一方で本来の管轄であった北関東地区の幹部は一度も来なかった。
これには理由があったのである。
つまり、大塚が勝手に行ったことではなく、坊サイドの指示によるものだということである。
恐らく、坊自称幹部「龍神ひろし」(阿見在住で北関東エリアに該当)が、この時点で既にエリア責任者だったということなのではないか(あくまで推定ではあるが)。

石の湯事件のあと、石之坊ではネットが禁止となっていたが、この龍神ひろしはこの当時からブログをやっているのが確認されている。これは明らかなダブルスタンダードであり、片方でネット禁止を標榜しておきながら龍神ひろしにはネットをやらせているということになる。
どこまでもご都合主義なのである。
これでは到底創価のことなど言えた義理ではなかろう。同じ穴の狢である。

僧侶の序列は厳しく、より上位の僧侶が指示しないことを勝手に出来るほど甘くは無いことを考えると全ては宗門ぐるみだったということになろうか。
つまり全てのハラスメントや交際事犯など、宗門寺院において惹起したことは全て宗門上層部の指示、ということになる。

2009年1月には思いつきで参詣したところ住職夫人から一方的に罵倒され、思わず寺を飛び出したという事件もあった。これはいきなり行っても「登山」(要するに大本尊内拝)はできない、ということを私は承知でいったのだが、にもかかわらず罵倒されたというものである。
やはり、罵倒させるために参詣を思いつかせた精神操作だったのではないだろうか。
テクノロジー犯罪の犯人は宗門側だ。

そして8月。
仕方なく続けていた仕事が行き詰まり(これも一味の策謀が絡んでいる)、私は出直しを決意したのだがここで感情操作が行われ、向かってはいけない寺のほうに向かわされたのである。
2009年9月13日。
8ヶ月ぶりに参詣した私の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。
坊玄関前に、明らかに新入と思しき若い講員数名がたむろしており、その中の一人が
「てめえから挨拶してこいってんだ!」
などと恫喝してきたのである。
もちろんそれに応じる訳など無いが、私の記憶違いでなければ、それが龍神ひろしだったのである。
奴の本名については既にネットで拡散されているのでここでは割愛する。

普通であればそこで気付いてもよさそうなものであったのだが、敵一味の洗脳の影響下にあったことでそれが妨げられたという経緯がある。

翌月も足を運ばされたが、さすがに失望を隠しきれず、足が遠のくこととなった。
その後、11月に大塚が電話口で「日払いで働け」などと恫喝してくるという事件があったが、既に公的制度を利用する手立てを済ませていたので実害は無かった。実害こそ無かったが、この一件は石之坊から心が離れるには十分すぎる決定打となった。

その後、敵一味によって就業への動きを押し止められているうちに時は流れ、約半年後の2010年4月に事態が動き出す。
石之坊からの脱退を一家で決定したのだ。
そして、石之坊の講頭に復帰していた山崎との間で激しい戦闘が行われた。
電話口での戦闘において、山崎は「お前のためを思って言ったんだろうが!」という趣旨の暴言にまで及ぶという事態となり、完全に敵対者としての本性を露呈したのであった。

話し合いの要求に対して、敵側は4月10日を指定してきた。
これには目的があった。
敵側の意図に反してそのままフェードアウト(宗門から完全に脱退すること)することを妨げる狙いである。
指定日の翌日は、敵宗門の寺院で「御講」が行われる日であった。
日にちを置かないことによって、考える時間を奪い意図に反してそのまま宗門から離れることを妨げたのである。
敵側の意図とは、「地元寺院」つまり法悦院に移籍させるということである。
それが証拠に、住職・山根は一方的に法悦院を移籍先に指定してきたのである。
当方には、そのような意図は無く、その後については何も決めてなかったというのが真相である。
当方は、当日に門外漢女を話し合いの席に同席させることを要求したが、当日に来訪予定があったにもかかわらずこれに応じなかったのだ。
応じなかった理由は二つ。
一つは、話し合いに同席させることによって激しい非難に直接さらされる事態を防ぐため。
山崎ですら手を焼く相手を同席させたらどうなるか。
そこでポロッといかれては困るということだったのだろう。
要するに、実行犯を寺ぐるみで守ったということだ。
もう一つは、疑念を解決させないことによって引き続き、門外漢女の存在を寺ぐるみ関与の隠蔽とハラスメントに利用し続けるためである。
1時間の予定だったが、話し合いは20分で終わった。ほぼ一方的な侭で。

なお、門外漢女は2010年4月に横浜地区の地区長に任命されている。
龍神ひろしの虚言癖から云って、今でもその地位にあるものと思われる。
いずれにしても、長年寺ぐるみの工作に貢献してきたことに対する褒美として地区長の椅子を与えられたのではないか。
対照的に龍神ひろしは入信してそれほど経たずに地区長になっているが、新規の任命であり(前任者が無いという意味)、人材不足から起用され、その後精鋭工作員としての教育を受けたのではなかろうか。
その時期は2008年から翌09年の前半にかけてということになる。
玄関口恫喝事件の時点で既に精鋭としての本性を見せていたことからそのように推定する。
しかし、どこまでも宗門の意向に忠実な工作員という意味ではなんらその本質は変わりが無い。
ともに傘下のカルトからの転籍であり、工作にはもってこいの人材であったということである。

長くなったが、以上が石之坊における大まかな真相である。

両寺院の者による押し掛け事件が惹起したのは、その約5年後、筆者が宗門を脱退した後のことである。
内容に問題があるのであれば、なぜ宗門在籍中にやらなかったのか。
それは、筆者が宗門に籍を置く限りにおいては隠蔽のためにその敵一味が刷り込んだウソでたらめを利用し続けなければならなかったからだ。
そうでなければ、ウェブ上での連絡も可能な状態であった故、そこに連絡して訂正を要求すればよかっただけの話である。
もちろん、弾圧惹起の時点でもメールフォームが生きていたので同じことが言えたはずである。
ところが、敵講員どもはその手段を「あ・え・て」取らなかったのだ。
つまり、ワザと怒らせて罪悪感を植えつけることでそのまま言いくるめて敵宗門に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に放り込み抹殺することが目的だったのだ。
正しいことをしているはずの団体が、なぜ苦情を潰して人格ごと抹殺するようなことをしているのか。
苦情が表沙汰になっては布教が立ち行かないほど、悪いことをしてきた団体だということだ。
近年だけの話ではない、日興以来の捏造カルトだったということである。
それが故に、10年と経たないうちに日向に取って代わられて久遠寺を退出しなければならなかったのだ。
日興は異端だったのである。
その辺については、信頼できるサイトに詳しく掲載されている通りである。

「迫害されてきた」は、それこそウソでたらめだったのである。
実際には、敵宗門こそが異論を迫害し続けてきた団体だったのである。

重大な真実について

前回の投稿から三ヶ月が空いてしまったが、この間も真実の追究はくまなく進めていた次第である。
宗門が創価等のカルト宗教とグルであった事などは既に明らかにしてきたところであるが、この三ヶ月でまたしても宗門にとって都合の悪い重大な真実が明らかになった。

では、早速今回判明したことについて明らかにしてゆく。

この犯罪の主導者は?

私に対するガスライティング犯罪、テクノロジー犯罪、運命操作を主導してきた者の正体が明らかになった。
この犯罪を主導しているのは、日蓮正宗宗門の宗務院であり、実行犯は鶴丸グループ各宗派に散らばっているものと見られる。
一昨年の秋、私は宗門に対する疑問、特に現証の面からの疑問により、宗教に対する見直しに踏み切った。
これに対し、敵は激しい攻撃をもってこれに応え、更に鉄道趣味を非合法化する決定をしたことに対して、宗教の見直しに対して都合のよい結論を押し付けてきた。これはすぐに破られることとなったが、このことは「宗門からの決別」が誰にとって都合の悪いものであるかを端的に示している。
私をターゲットとした理由、動機などはいまだ不明であるが、真実の追究を押し止めてそこから宗教、自宗への誘導を行っていること、更に真実を追及しようとした私に対する宗門側の仕打ち、両寺院の構成員どもによる迫害・言論圧殺事件などから、この犯罪の主導者を日蓮正宗宗門であると突き止めた。
なお、言論圧殺事件において問題になった内容を刷り込んで書かせたのも、宗門側の意向であり、この犯罪の本質を隠蔽していち構成員になすりつけ追及を免れようとしたものである。
つまり、真実の追及を押し止めたのも、煽りとハタカセの手口も、そのような趣味を押し付けたのも、離間工作も、医療利権への誘導も、全て宗門の意向で行われたということである。
要するに、私は宗門の意向で医療利権に差し出された訳であり、生贄にされたということである。

宗門(隷属時代)における数々の事件の本質

この犯罪においては、以下の要綱に基づいて行われていると思われる。

運命操作によって身近な縁を徹底的に分断し、離間工作等によって孤立化させる。また、新たな縁など作らせないように操作する。
癒しを与えないようにして、怒りやイライラの感情を煽り立て増幅させることによって狂わせてゆく。
些細なことを針小棒大に煽り立て、トラブルや紛争を頻発させて孤立させる。
交際事犯を頻発させ、女というものに対する不信感を植え付けることによって不幸の固定化を行う。

そして敵宗門は、そのことを以って宗門から逃さないようにし、かつ宗門への依存を強めさせようとしていたのである。

11年間で、重大な交際類似事犯が2件惹起しているが、いずれも寺ぐるみによる犯行であり、惹起者個人の勝手な行動ではない。
いずれの事件も、法華講組織によるモラルハラスメントの本質を隠蔽し、それをいち構成員になすりつけて誤魔化すためであり、また自ら広めた悪評を固定化するための謀略によるものであったのである。
2013年の事件は、当時班長を務めていた男が主導して惹き起こされたものであり、そのために断って自力で帰ろうとした私を無理にでも引き止めて、問題の女と一緒に車に乗せるという蛮行に及んでいるのである。
法悦院における悪評は、まさにこの男が勝手に広めたものであり、いわれのないものであった。奴らは、私をモラハラのターゲットとして講員どもの不満のはけ口、サンドバッグとさせることによって講役員や住職などに、強いては宗門に非難の矛先が向かないようにしていたのである。
最終的には、悪事がばれないうちに皆で言いくるめて精神科にぶち込み、抹殺しようとしていたのである。

しかし、私が敵の操作にも拘らずこれを破って脱退の道を選んだことで、奴らの思惑が狂いだした。
宗務院は、私が用意した脱退届けを受け取らず、何とか誤魔化して脱退を押しとどめようとした。
しかし、私が真実の追及をする姿勢を見せたことで、敵は手のひらを返したように数々の仕打ちを行い、両寺院の者による迫害事件に発展している。更に、昨年暮れには「自殺に見せかけて殺してやるぞ」という脅しを例の本山任務者の男から受けてもいる。
その後、正式な脱退の文書を送付し本尊を返したことによって、表向きは姿を現さなくなっているが、近隣の者をけしかけたり人の見ていないところで悪さをするなどして工作を繰り返している。
学会員の可能性もあるが、創価学会はこの事件の加担者ではあっても首謀者ではない。
いずれにしてもそれらの嫌がらせや運命操作は宗門の意向、宗門の命によって行われているのである。

1年ほど前、忌まわしき言論弾圧事件が惹起し、危うく言論という武器を奪われるところであった。
あの日、敵は両寺院の男子部3名を以って家に押しかけてきた。
これに呼応するように、テクノロジー犯罪部隊が怒りの感情を殊更に増幅させ、見境のない状態にされた上取るべきでない行動を取らされ、結果決定的な不利をこうむることとなった。
あの日、くだらない紙切れにさえ反応せずに無視していればあのような手口には引っかかることなど無かった。
敵にしてみれば、なんとしても引っ掛けなければならなかったということであり、そのためにテクノロジー犯罪部隊を頼って怒りの感情を増幅させ、自分たちに向かっていくような行動を取らせるマインドコントロールに及んだと考えるのが自然である。

この事件は、私が真の真実を突き止める前に敵が捩じ込んだ内容を問題にして言論を封じ、これをネタに「戻ったほうがいい」などと言いくるめ、無理にでも引き戻して「皆で言いくるめて精神科」のレールに乗せ、そのまま抹殺しようとした極めて陰湿な事件であった。

このことが物語るものは何か。
つまり、テクノロジー犯罪は宗門の意向で行われているということである。これが明るみに出れば、宗門は崩壊の危機に瀕する。だから、なんとしても隠し通さねばならないのだ。
実際問題、前寺院でこの犯罪のことや陰謀論などについて話すと皆一様に「考えすぎだ」などといわれる有様だったのである。なんとしても「考えすぎだ」ということにしなければ都合が悪い、そういうことなのである。

繰り返すが、創価学会は加担者ではあっても首謀者ではない。
それについては後述する。

その後、真実の追究が進んだことによって問題のブログの内容が確かに間違いであったことを突き止め、これは敵が真の真実を知られないようにするために仕組んだものであったこと、門外漢女がそのために自らが目立つことで注目を引き、批判の矢面に立つことで石之坊サイドに批判の矛先が向かないようにする役割を担っていたいち工作員に過ぎなかったこと、石の湯事件がハラスメントの隠蔽のために利用され、敵が仕組んだ間違った内容につながっていたこと、そして一連のハラスメントがすべて寺ぐるみであり、宗門によって仕組まれたものであったことを突き止めたのである。
もちろん、その間違った内容を捩じ込んだのはテクノロジー犯罪部隊であるから、この部隊は宗門側の意向に沿って動いているということであり、陰謀論系の気まぐれファイルが言うような「創価学会の独自犯罪」ではないということである。

敵は今なお、運命操作によって孤立化の固定化を行うことに余念がない。
ここまで孤立化の維持に腐心せねばならないのは、私が宗門にとって不都合な真実をたくさん知っているからであり、それが広まっては困るからである。
今宗門にとって最も拙い存在のひとりが、他ならぬ私であるということだ。
敵は、運命操作を連続的に行い揺さぶりをかけることによってこれを現証だ、罰だと脅して引き戻すつもりでいるようだが、そんなカラクリには騙されない。
何故ならそれらは全て敵の運命操作によるものであって、人為的に作られた謀略に過ぎないと見抜いているからである。

創価学会の本質とは?

この点においては、創価学会がその方針をコロコロ変えるところ、カメレオンのように権力にしがみつこうという姿勢から解るように、創価学会というものが、「己の意思」を持たない存在であることがわかると思う。
では、創価学会は誰の意志に基づいて動いているのか?
それは、日蓮正宗宗門である。
つまり、宗門から「キャスティングボートを手離すな」という絶対命令を受けており、そのためにこれまでの主張を曲げて政権に従うという行動になっているということである。
そもそも、創価学会ができたのは日蓮正宗の別働部隊としてであり、クリスチャンである牧口はそのために裏勢力によってリクルーティングされたということである。
創価学会の体質は、宗門のそれの丸写しである。そのため、学会が(宗門の下命によって)惹き起こしてきた事件の一部が明るみに出るようになると、出来レースによって離脱騒動を惹き起こさせ、叱り付ける振りだけして体裁を取り繕っていたのである。しかし、それにも限界があったのと、また別の目的があって、平成2年末からの出来レースによって形の上で「破門したこと」にして追及を逃れようとしたのが破門の本質である。
宗門と創価の両者には、両者を形の上で切り離した上で、下級構成員同士を争わせることによってそれぞれのトップに非難の矛先が向かないようにする狙いがあったのである。こんなことは口が裂けても言えないだろうし、ばれては両組織の存亡にかかわってしまう。だから両者は訳のわからない言い訳でこの「破門」を正当化し、その理由をでっち上げ、或いは信者に教えないなどしたのであろう。
この点についても、両者は終始苦しい言い逃れを以って何とか誤魔化しを図っているのが実情であり、特に宗門は、その何重にも被った化けの皮がはがれそうになって狼狽している、それで各地の工作員を使って言論弾圧にいそしんでいるというのが真相であろう。
埼玉の某寺院が、創価の最高幹部は学会葬、友人葬をしていないとゲロってしまった。
そこには、最高幹部の葬儀がどうしているという、肝心なことが書いていなかった。
つまり、それは絶対に書けない内容なのである。
具体的に言うと、最高幹部の葬儀は宗門の高僧がやっているということになるのではないか。だったら書けない訳だ。

宗門が信者を逃げさせないようにする手口

よく宗教などで、「功徳」だの「罰」という言葉を聞かされた人は多いことと思う。
結論から先に言うと、功徳も罰もそもそも存在しないものである。それらは、信者を逃さないように引き止めや脅しの文句としてでっち上げたものである。
功徳が存在しないことは、私の実体験で証明できる。
人工透析に貶められる直前、私は1日に何時間も祈らされていたが状況は一向によくならず、却って悪化するばかりだったのである。
祈るとかする前に、もっとするべきこと考えるべきことがたくさんあったはずであったが、それは敵の目暗ましによって出来ないように仕向けられていたのだ。
自ら数々のハラスメントや謀略行為を惹き起こしておきながらそれを宿業だ試練だと誤魔化し、しかもこれをネタに「そんなことを書いているから功徳が出ない」などと脅して言論を弾圧していた、これが宗門というものの本質であり正体だ。
しかも功徳などそもそも無いものである事を知りながら、その言い訳作りにしていたというのであればこれは言語道断の所業である。
「悪者は無い物で煽る」という事をツイッターでも度々書いてきたが、まさに「功徳」「罰」などという「無い物」で煽っていたのが宗門であり、これが宗門が悪者である何よりの証左になる。
凡そ神も悪魔も、己の心の外には存在しないものである。しかし、宗教はそれらを心の外にあるということにしてそれをでっち上げ拝ませることによって都合のよい結論に導き、目暗ましをして搾取するのだ。
宗教というものは支配勢力のためにある、支配勢力の手先であり、決して信者の人生を救済するものではないということを、現実を以って知るべきである。
あの忌まわしき言論弾圧の日、敵工作員はブログを消すことを「功徳だ」などと言った。
しかし、あれから功徳らしきことは何一つもないし敵も運命操作をやめるどころかこれをエスカレートさせるばかりの現状である。
このことこそが、功徳など存在しないものであり、功徳めいたものは人為的に起こされたまやかしでしかないということである。
いかなる宗教であっても、それに人を救済する力など持ち合わせたものは無い。
むしろ安心できるウソで人を騙し、自分の人生の手綱を自分では握らせないようにして必要なことをさせずに不幸に貶め、しかもそれをネタにゆすりや脅しで従わせて金を巻き上げる、それが宗教というものの本質なのである。
宗教は支配勢力の手先であり、「的ずらし」「目暗まし」によって真実の追究をさせないためにあるものなのである。

陰謀論者と法華講の関わりについて

創価学会のことを批判しているようでも、その親玉である宗門法華講を批判しないばかりかその悪行には一切触れず、創価学会「だけ」を強調している陰謀論者の輩が多くいる。
これらの者は、巷に多くいる陰謀論者と同じく支配勢力に飼われた輩であり、的ずらしや目暗ましに加担する暗黒の輩である。
中には宗門の宣伝文句とまったく同じに「日蓮正宗こそが最高の宗教である」などとのたまっている陰謀論者もいる有様である。
RKを見て創価を脱会したはいいが、そのまま向こう側の思惑通り法華講に流れている馬鹿者がツイッター上にもいる。また、前寺院にも陰謀論者の信奉者がいたことを考えるとRKと法華講の間には何らかの関わり、密約があると考えるのが普通であり、その点でもRKはヒモ付きであると言わなくてはならない。
創価学会は、日蓮正宗の別働部隊であり、自らが目立つことで批判の矢面に自らが立ち、これによって宗門の悪事を隠蔽する役どころを担っている(ちょうど石之坊における門外漢女が筆者に対して行った役割と同じである)。
また、先述のとおり創価学会自体は自らの意思を持たない存在であり、それを強調することは真の首謀者を隠すことに加担する悪魔の所業なのである。
なお、テクノロジー犯罪の意図的発覚の際に見せられた「気まぐれファイル」というサイトがあるが、このサイトも陰謀論系かつ敵宗門紐付きであり、具体的な手口に触れていないこと、「逃げられない」的なことをほざいていること、くだらない的な、ままごと的な記述に終始していること(これは、テクノロジー犯罪の実際とは大きく乖離したものだ)、日蓮正宗を全く批判していないことをその傍証とする。
つまり、脱退されては困るので正宗批判を含まないサイトに誘導したということであるのだ。

私はかかる宗門の首謀による運命操作を絶対に許さないし、その結果は絶対に受け入れないということ、これら運命操作に対しては手厳しい復讐を以って臨むということをここに宣言するものである。

読者の皆さんにおかれては一日も早く宗教の呪縛から解放されて、くだらない常識にはとらわれず身近な縁を大切にする生き方を取り戻してほしいと願うものである。

ご注意

本記事は、敵宗門より脱退後の混乱期に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。(重篤なものについては最新の見解をもとに修正しています。)