島流しの日々のこと

失地回復史の続きを行く前に
色々と書いておかねばならないことがある
島流しの日々については未だ多くを語ることを許されていない
しかしながら、当時のことについて正しく検証することは大変重要である
何故なら、筆者の人生に大きな影を落とし多大な影響のあった時代だからである
当時は未だインターネットの無い時代であり隔絶された離島ではメディアから逃れることは不可能だった
だから、メディアから入ってきたものが大きな影響力と猛威を振るった
しかも、中には価値観の面で基準になっていたものがあり、後に精神域介入によって法統相続妨害に利用されたことが解っている
今の実行委員会はアイドルは禁止になっているが80年代にはその規制が無かった
で、敵の都合によって適当に誘導された女がいたのだ
当時何かにつけて話題になったのだが、周囲の徒輩は一々その人の悪口を云っていたのだ
当時の島人でその話を知らないというのは筆者を知らないのと同じである
何かにつけて一々悪口を云っていたのはガスライティングに加担していたということであり、真に友達だった訳ではない
だから切られて当然なのである
あのT.Sでさえその人の悪口を言ったことは無かったことからもその様に云える
勿論現在ではアイドル禁止であり80年代と雖も例外では無いが、あの当時の情勢でのあの悪口はガスライティングになる
あの当時の情勢でアイドルの何たるか、本質を解れという方が無理だ
無論今であれば絶対引っ掛からないし偶像より現実にいる女を重んじるだろう
今の境地から見ればバンドだろうがアイドルだろうがアーティストぶっているのだろうが皆同じ穴の狢である
本当に価値があるのは一握りだということだ
島流し当時のガスライティングは某カルトではなく、例のブルジョア家の所業だろう
島の「ムラ社会」もまたそれを利することとなったのだ
ムラ社会は筆者の最も苦手とする閉鎖的コミュニティーである
当時の情勢から云っても2004年以後のそれとは関連性が無いだろう
何故か最初に入ってきたのは某ロックバンドであった
それは永きに亘って影響力を持ち筆者の人生に大きな影を落とし続けた
何故ならキリスト教的価値観の念慮が強烈なグループであるからである
他にもアイドルだの谷村某だの何だの入ってきたが、それらとは比較にならない影響力があったのだ
その事が問題となり2003年に某ロックバンドは粛清となった(2015年の脱退時に粛清支持決議、今日も継続)
従って、現在では何の関係も無いということだけは解っていただきたい
実際、当時とは明らかに別人であり当時の面影はどこにも見出だせないだろう
2000年代に入ってから島人の姿を見ておらず、筆者を知っていた者でも筆者を見つけられないのも当然である
もし解ったとしても、あまりにかけ離れたその姿に愕然とするだけであろう
島流しの日々はイコール、ガスライティングとの戦いの日々であった
片方でガスライティング、他方ではメディア禍、しかも逃げ場は無いという地獄の日々だったのだ
その意味に於いて、当時の筆者の面影を追い求めることは何の意味も持たないのである
そもそも感覚を狂わされていたのだから、当時の姿は不本意でありそれは黒歴史である
SGの日々と同じである
SGの日々は島流しの日々以上に不本意な日々である
しかし、島流しの日々に於いて、何人かの人と引き離されたことだけは理解している
もう会うことは無いだろうが、いい学校いい会社いい家というステレオタイプでは真の幸福は得られないし人生の根本の問題はそういうことでは解決出来ないのだということ
島流しの日々については今後折に触れて書くこととする

42年4ヶ月18日

今日はある意味特別な日であった
クズ元(世を忍ぶ仮の母親)が生きた年齢を厳密な意味で超えたものである
ちなみに、1946.4.3~1988.8.21で42年4ヶ月18日であった
それだけクズ元が早死にだったということであるが一家での実母の評価は大変低いものである
何故ならあのブルジョア一家にそそのかされて島流しの道を選んでしまったからである
あれが無ければもっとまともな人生を送れただろうし島に渡る理由などどこにも無かったはずである
島に渡った時点で、進学の夢も断たれその後の不遇も決定づいてしまったものである
したがって、正求節も祝日級ではないし盂蘭盆会を以って命日の法要に代えているのである
他にもクズ元は大きな過ちを犯しているが、それについては未だ多くを語ることを許されていない
あの島流しは、クズ元の側にそれに応じる目的として筆者の交際関係を分断することがあったといわれている
部活動に対して非常に否定的であった理由もそのことにあったというのが専らの推定である
つまり、永代追放が当然ともいえるだけの罪状がクズ元にはあったのである
実際、頭破七分ともいえる死に方であったことがそれを物語っている

いずれにしても、島流しによって生じた人縁は全て悪縁であると看做すべきものであり、島流し以降の二十六年を我々は頑なに否定するべき者と思し召せ
進学はクズ元の死によって潰えたのではない、島流しにあった時点で潰えていたのである
実父は、あの島流しには一貫して反対であった
実父は非常にまっとうな感覚の持ち主であったのだ
一家では、島流しによって生じた縁はすべて悪縁であり否定するべきものという立場に一貫して立っている
そのような所の者は如何に美形であろうとも我々にとっては些かの価値も無い徒輩である
しかし、今までの一連の女どもがカス過ぎただけであって、それを物差しにしていると非常にうがった考え方になってしまうのである
筆者は、カスどもには些かの未練も無いのである
よって、たとえ道端でカスどもに会い見えようとも一瞥もする価値がない以上取り合うことは決して無いのである
島流しの日々は筆者にとっては何の価値も無いものであり、そこであったことは全て幻であると思し召せ
従って、そこでの筆者の言は一切の実体を伴わないただの方便であると思え

最悪の結果を目の当たりにして

私が今回の選挙についてあまり書かなかった理由は一つ
この国の民衆の大局的なメディアスレーブ度を見ていたことにあった
この中間、形は違えど各種のメディアはバンドワゴン煽動に熱を上げ続けた
某経済新聞の記事で自民大勝という、調査していないのに調査だとのたまう煽り記事を目にした
これを記憶にとどめておいて、果たしてその通りになるかを物差しにした

然るに、今回の衆院選の結果はメディアどもの煽動以上に酷いものとなってしまった
私は、メディアの煽りのなかで選挙絡みのバンドワゴンだけでこの結果を達成し得たとは思っていない
そこには多岐にわたる複合的な煽動があり、その結果として極端な低い投票率があるのである

もちろんあのバンドワゴン記事自体はそれだけで絶大な効果があった
それは、書いたことを時代の趨勢だと思わせることによって逆戻りへの抵抗を諦めさせる効果があったということである
そして、様々な方面から、政局(含む選挙)から衆目を逸らすための謀り、更にはよりによって年末のどさくさに紛れてこの時期にやるという狡猾なノダルフの汚いやり口もそうだ

そして、最初から政局、選挙など見向きもしない層がある事には愕然とした
しかしながら、それらすべてはそうなるように仕向けられたものである
長年に亘る「刷り込み・すり替え・誤魔化し」によって民衆の感覚がすっかり狂い果ててしまったのだ
楽しいことだけに現を抜かしているようではまともな人間とはいえない

我が茨城3区ではとんでもないファシストが議席を奪い去るという最悪の結果に終わった
そのファシストぶりはリンク先を参照していただくとしてあまりの民度の低さにはある種絶望に近いものを感じている
これが長年の愚民化政策の果ての姿ではある
日本人はここまでぼろぼろになってしまった

しかし、これで終わったと思ってはいけない
できることはまだたくさん残っている
しかしながら今回の選挙を通じて私はこの国のメディアスレーブのあまりの重症さ加減を思い知らされた訳である
メディアスレーブからの脱却無しにこの国は変わっていかない
そして、メディアスレーブからの脱却・解放を勝ち取る戦いは長期戦になることを覚知覚悟している
日本人の再生とは、イコールメディアスレーブからの解放である

私は、これまでに様々な煽りや洗脳、刷り込み・すり替え・誤魔化しなどを看破してきた
しかしながら、今までに看破したものですべてではないしむしろ氷山の一角にも近いと思っている
従って、読者の方々と共にメディアスレーブからの脱却・解放を目指して戦ってゆくことを専門と致したくご理解をお願いするものである
まずは、今後数回にわたって日本人のメディアスレーブ化について検証をしていくこととする

メディアスレーブからの脱却を目指すブログ・新天地からの手紙を今後ともよろしくお願いいたします

収奪装置

我々の住んでいる世界には隅々にまで収奪装置が存在することは以前にも書いた

しかしながら、その具体的な事をこれまでは書いていなかった訳である

まず、この世界の社会構造として、カネのあるところにカネは集まるように仕向けられているという事を理解してほしい

全ては仕向けられているという事だ

例えば、この不景気にも関わらずクルマが一向に減らない、しかも一向にダウンサイジングが進まないのは非常に不思議だ

これは、メディアの刷り込み・すり替え・誤魔化しの賜物だ

メディアスレーブはメディアの刷り込んだもの、流し込んだものを疑いもせずに受容しているが、そこから全てが狂っているという事を知ってほしい

おかしな事にも全て理由があり、それに沿って物事は進んでいるのだ

先の例でいえば、クルマというものには必ず税金がかかる
クルマが小さくなれば当然に税額も少なくなる
だから、軽が増えるのは収奪装置の主である給料泥棒官僚どもにとって都合が悪いのでメディアによって煽りが入って阻止しようとしているのだ

もっと言えば、クルマを手放されたり、二輪に流れる事はもっと都合が悪いのだ

よって、「クルマは絶対必要」という刷り込みが何重にもされているのだ

刷り込みのフィルターが取れて、自分の生活に何が必要か見つめ直せば本当に必要なのかが解るのだろう

筆者は一人で乗るのに四輪は必要ないと思っているのでバイクに乗っているのである
何故なら、自家用車は何の利益ももたらさないからである
だから、移動手段にかかる費用は低廉に抑えたいのだ
本当にクルマが必要な場面は非常に限られる
仕事で使う、という人は別だ
通勤ならバイクで事足りるはずだ
どうしても必要な場面でも、大抵はタクシーかレンタカーで事足りるはずだ

クルマ一つ取ってもこれだけのからくりがあるのだ
今クルマを持っていて生活が苦しい、という人はクルマなど手放してしまえば相当楽になるだろう
それが出来ないとしても、大きなクルマを軽に変えるだけで随分違うはずである

今や、うさを晴らすにも紛らわすにもカネがかかる
そして、そうなるように全ては仕向けられているのだ
レジャーなど、自ら収奪されに行くようなものだ
レジャーや観光なども、所詮は刷り込みで成り立っているだけの産物だ

そして、それらは本当に大切な事から関心を逸らすためでもあるのだ

政治とかそんな大それた事ではない

低い出生率も、メディアの「刷り込み・すり替え・誤魔化し」の産物だという事を知ってほしいのである

モバイル投稿

刷り込み

私が何度も書いている通りメディアはありとあらゆる誤りを民衆に刷り込んできた
私たちが常識と思っていることの多くは、実は権力或いは力のある者の側に有利なようにでっち上げられ刷り込まれてきたものなのだ
いわゆる世間体などというものも、それと日本人の悪しき考え方が相俟って御せぬほどの力を持ってしまっているものなのだ
メディアの創作物の多くもまた、洗脳や刷り込みのための物に過ぎず決して見たり読んだりしてはならないものばかりなのだ
悪評が立たないのは一方的な圧力によって言論が封殺されているからであって、悪評の立たないものほど怪しまねばならないのである
また、多くの偏見や差別感情も同じようにあらゆる手段を使ってメディアが刷り込んできたものなのだ
それらを何の抵抗も批判もせずに甘受する人のことをメディアスレーブというのである
新天地からの手紙では今後買ってはいけない・見てはいけない・読んではいけない・聴いてはいけないものについてこの観点から明かしていく所存である