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脱退4周年を迎えて

当ブログ主宰者である金城修一は、2015年1月10日に敵宗門・日蓮正宗から脱退してから、引き戻されることなく2019年1月10日に脱退4周年を迎えることが出来た。
昨年春には既報のとおり遺骨の奪還を果たし、秋には永代供養の実現、新施設への納骨まで滞りなく終了し、遺骨を握って支配するという敵宗門の邪悪な企みは永遠に潰えることとなった。

しかしながら敵宗門が裏に回っての生活・収入妨害は凄まじく、またしても催眠犯罪によってほぼほぼ取れる見込みだった大魚を封殺されるという大不祥事が惹起している。それも普段は出来ていたことが全く出来ない状態に陥らされてこれまで実になり始めていたものをパーにさせられるという極めて重大な犯罪被害であった。
以前問題になった大魚封殺事件の時は勝負以外のものがスピンや混乱させたり気を逸らさせたりすることに利用されており、それに気付けば気付いたでショックドクトリンを仕掛けられて持っていればよかった機材を破壊されてただただ無碍にハタカサレるという大事件まで惹起していたのであるが、そのようなものに加えあらゆるスピンネタを当家が徹底的に塞いだことによって敵宗門一味はこれまでとは違い精神的催眠状態に陥らせるという更に強力な洗脳犯罪に踏み切ったことのようであるのだ。

特に脱退4周年を迎える前後になってこうした各種妨害が激しさを増しており、上記催眠犯罪のほか人の尊厳を踏みにじるような操作や特に自転車絡みのトラブル創出の謀りなどが多発している。
この犯罪の首謀実行者が他ならぬ敵宗門(妙観講)であることを知り、その敵宗門の全てがウソとでたらめと捏造で出来ているという真実を知り、徹底して敵宗門の残滓を一掃し遺骨も他の施設で永代供養にした者がどうやって戻るというのか一般人頭脳の私には全く理解ができないのであるが、奴等は都合ありき、欲望ありきなので一般の常識が全く通用しないのである。つまり首脳はテメエらの都合だけ、前線の連中は屈服させられないことへの逆上だけなのである。

最近になって、重大な真実が複数発覚している。
一つは日蓮教義に関するそれであり、日蓮教義の本流は他ならぬ身延祖山の日蓮宗のほうにこそあるということである。
1400年代の怪僧日有(にちう)が本尊から教義から捏造した挙句多数の偽書まででっち上げて今日の超キリスト教的主義の宗教に仕立て上げたことは既に判明済みであるが、敵宗門は日有以前の歴史のあらゆる部分をでっち上げ歪曲して信者等に伝えていたことが判明している。
日有は日蓮が遺していない自称「戒壇の大本尊」を偽作し、それを弟子の日法(にっぽう)が彫刻したということまで偽書にして喧伝していた。
日蓮本仏論をでっち上げたのも日有なのであるが、戒壇の大本尊に意義を持たせるためには日蓮は本仏でなければならなかったということを、私が信頼する「アンチ日蓮正宗ブログ」では指摘されていた。これをキリスト教との類似性に着目して分析すれば、とどのつまり日蓮とは絶対神でありデウスでなければならなかったということになり、日蓮を一神教の絶対神にまで祭り上げて「悪しく敬って」いるのが敵宗門・日蓮正宗であるということになる。
勿論戒壇の大本尊とはキリスト教におけるデウスと同じであり信者に執着すべき「実体」として崇めせしめるものである。結果それに対する執着から反対者、無信者に対して憎悪を生じさせるということを日有は計算していたとしか思えない。
日有は鉱山マネーで潤っていたということも指摘されているが、鉱山など当時の日本人には手に余るものであり、その経緯に疑義がある。何故日有は鉱山マネーで潤うことができたのかということであるが、そこが不明点なのである。つまり、そこに外国勢力特に欧州覇道・キリスト教(イエズス会)勢力の影があったのではないかという疑念が払拭できない。
日有は、日本における最初の欧州覇道・キリスト教勢力の走狗であった可能性がかなりある。日有出現前の大石寺・富士門流はもはや滅亡寸前の状態まで落ちぶれており、例え1400年代であってもこれを乗っ取って利用しようとする勢力のあることは十分に考えられる。何故なら当時の日本は鎖国状態でもないし外国との交流も既にあった。日蓮在世に元寇があったくらいであるからだ。
つまり、日蓮正宗とは「キリスト教に乗っ取られた偽仏教勢力」であるというのが私の最終的な結論ということになる。
敵宗門側の輩がやたら「池田(大作・創価学会名誉会長)による乗っ取り」を主張するのも、敵宗門が「キリスト教勢力により乗っ取られた宗教である」ことを知られたくないという敵宗門トップの思惑があって流布させているのではないかということである。これは「テメエらのことを相手に吹っかけて脅す」というのが欧州覇道のやり口であることから考え得る。また、敵宗門がやたら日有を持ち上げ崇めるのもそこであり、敵宗門の首脳は全てキリスト教(イエズス会)勢力の手先であることの証左であると私には取れるのである。
今日の敵宗門・日蓮正宗の姿はまさしくキリスト教に背乗りされ新キリスト教主義的宗教に変わり果てた姿そのものであるのだが、1400年代の日有以外に大きな契機となった出来事が敵宗門(富士門流~日蓮宗興門派~日蓮宗富士派~日蓮正宗)には見当たらず、創価学会(創立当時は創価教育学会)の創立に日蓮正宗が関わっていること、その創価教育学会の初代である牧口常三郎がキリシタンであったという事実も既に敵宗門がキリスト教勢力に背乗りされた後の出来事としか考え得ないこと、日有以降の富士門流~日蓮正宗の教義には大きな変化が見られないことから、フランシスコ・ザビエルよりも100年以上早い日有が新キリスト教主義的教義を作り上げたという事実は非常に重く故に敵宗門は自称「戒壇の大本尊」の学術的測定も拒んで沈黙しているということなのである。

ちなみに、妙観講工作員が日蓮宗僧侶に法論を吹っかけたらしいが全うな正論の前に遁走を余儀なくされたようだ。
「妙観講員(法華講員?)vs日蓮宗住職」で、妙観講がまた虚言
なお、このページによると写真鑑定で既にパッチワークと証明された代物らしいのだが…。
結局都合が悪くなると遁走する、沈黙する振りをするのは言質を取られると即教義崩壊、教団崩壊に繋がるからである。
それでいて表向きは沈黙する振りをしておいて裏に回って陰湿苛烈な嫌がらせをするのが敵宗門のやり方なのだ、富士門流日有の時代から!

もう一つは、敵宗門一味が「カフカの階段」を知りながら該当するような状況に私を貶めていた疑いが非常に高いことである。
脱退前の2014年夏から真実追究の大進撃を始めていながら最近に至るまで私がこの「カフカの階段」を知らないでいたこと自体が割いた時間を考えれば異常に過ぎるともいえるのであるが、カフカの階段を知られることは脱退阻止もしくは引き戻しへの大きな障害になりかねずなおかつ恨みを殊更に増大させ復讐を恐れなければならないこととなる(但し、もう既に他の要因によりそのような状況になってはいるが)故に何とか知られないように敵が妨害していたということなのではないか。

コピーレフトの画像があったので引用させていただく。

これが世にも恐ろしい「カフカの階段」である。

現在私は社会保障によって最悪の状態を免れてはいるが、敵による「金銭からの排除」のたくらみによって苛烈な妨害に晒されており、既に「労働」「家族」からも排除された状態であり「住居」に関してももし今の居所を追われるようなことがあれば住居からも排除されかねず、既に多重排除の状態にあることで移住もままならない状態になっている。つまり他の地方に行くような大掛かりな移住には莫大な金銭が必要な状態であるということである(家を買わねばならなくなるため)。

敵が最初に実行に移したのが「家族からの排除」である。
敵一味は医療殺人によってわが尊父をこの世から消し去り、更に離間工作によって然るべき結婚のチャンスも失わされ、他の家族や親戚からも孤立させられることとなった。これら一連の工作は2007年から2011年にかけて行われた。また以前にも指摘したとおりこの一連の工作は敵宗門(の者)以外には頼る者のない状況に追い込むためでもあったのである。そしてそれがカフカの階段の恐るべき一段として実行されたということだったのである。
次に敵が実行したのは「健康からの排除」であるが、途中から「労働からの排除」も平行して行われている。これらは2010年から2013年にかけて行われている。
これらによって敵は私を人工透析へと貶め、更に労働からも排除するという極めて邪悪な「一石二鳥」をやってくれたのであった。
私が人工透析に貶められたのは、慢性腎不全だった私に阿呆悦院近傍の某病院の悪徳医師が「ディオバン」を押し付け削減にも応じなかったことが原因だとわかっている。それが証拠に、この病院は私が人工透析に陥ると持っていた薬を全て強制的に回収し証拠の隠滅を図ろうとしたのである。だが、何の薬を出したかという証拠は残っているので隠そうったって無駄だけどな!
また並行して行われた「労働からの排除」については、就職の際に一度は決まった就職を敵宗門幹部の干渉(口車)によってやり直させられてまんまと「手先」のいる職場へと誘導されたことが一因でもあった。更に2012年頃から妙観講の手先によって車両によるストーカー行為が繰り返されたことにより精神的な疲労が著しく、そこへ人工透析に陥らされたこと、更に阿呆悦院の寺ぐるみによる交際類似事犯に起因して更に精神的ダメージを受けたことによって就業の継続を諦めざるを得なくなったことが大きな要因であった。こんなことだったら以下に辺境とはいえ最初に決めた職場に行っているか、或いはもっと稼げる地域でその仕事に就くべきであった。
「住居からの排除」については、現在の不本意な薄汚い辺境の地に移らされ押し込まれた後に「家族からの排除」が行われたことによって、保証会社を利用するという手もあり全く不可能ではないものの通常の転居が極めて困難になっておりまた近隣で移ったところで状況は大して変わらないので敵宗門の意図した状況から抜けられる可能性は「一発逆転」にしかないという状況である。この状況は事実上「住居から排除」されたのと変わらない状況であるということである。
そして現在は「金銭からの排除」を奴等は推し進め大魚の獲得を妨害しているというのが現在の状況である。

もしもっと早く真実の追究が行われてこの恐るべき「カフカの階段」を知ってさえいれば、人生の一大事に比べれば取るに足らない趣味ごとなんぞにかまけて人生を棒に振ることもなかっただろうし尊父の死が迫る危機的状況を見れば何が必要かくらいわかったはずである。その意味でも真実の追究からスピンして趣味ごとや浪費にかまけさせた挙句に自宗門に引きずり込んで洗脳しこれらの真実や重要事項に触れさせまいとした敵宗門一味の所業は万死に値する。敵宗門によるスピン洗脳がなければ2001年には真実の追究と大金獲得への取り組みが行われていたはずだったからである。それは尊父からも命じられていたものだからである。

先述のとおり既に多重排除の状態にあることで身動きがかなり取りづらくなっている状態であり、何としても敵の妨害という壁をぶち破って大金を獲得し移住を果たさなければならない。
ところが敵宗門一味は「二兎を追う者一兎も得ず」を狙って勝負「だけには」集中させずにあれもこれも追わせて全てが中途半端な状態に追い込んで結局一兎も得られない状況に私を追い込んでいたことがこれまでの調べで明らかになっている。
従って金城家においては重要度の低い事業については本年における事業化を事実上見送り、重要性・喫緊性の高い事業のみに絞り行うことで「勝負」を阻害しないようにすることを決意した次第である。この薄汚い辺境の地では人の縁や誰かに助けてもらうことなど到底期待できない以上一攫千金に賭けるしか道は無いということである。
これが4年前であればまだ違った道があったのであろうが、こともあろうに敵宗門一味は「金銭からの排除」を狙いくだらないことでハタカセる行為を繰り返し貯蓄もさせずに却って重い負担だけを押し付けるというあるまじき迫害をしでかしてくれやがった。漸く苛烈なハタカセからは抜け出したものの、今から4年などという悠長な時間は最早残されておらず今からちまちまとやったところでそれは最早雀の涙でしかないということである。であれば男らしく一発逆転に賭けるのが正しい生き方であり、最低限の生活だけ守ってあとは勝負に賭けるべきであるということである。

それにしても全ての真実を知り全てが敵宗門の所業であったことを知った者が、しかも敵宗門の教義のカラクリやウソでたらめをすべて知り尽くした者がどうやったら戻るのか一般人頭脳の私にはまったく理解ができないのであるが、奴等は最早正論で勝とうなどとは思っておらず、人の生活と幸福を徹底的に塞いで疲弊させ力尽きたところを狙おうなどという暴力的手段で引き戻そうとしている恐れがある。
たかが一般人ひとりに対してそこまでするというのは通常ではあり得ず、この犯罪が敵宗門首脳の首謀と指示による犯罪である傍証であるといえる。まして表題のとおり既に引き戻されることなく4年を戦い抜いた人間に対してである。
だが、そのようなやり方であることがわかっている以上断固として戦い抜いていく覚悟が私は出来ているし同じ不幸で終わるのであれば引き戻されることなく矜持を貫いて終わるのが人間として至極当たり前のことである。

漸く敵宗門脱退から4年が経過したが、これまでは引き戻されないようにすることと事後処理だけで精一杯で、また真実追究の遅れからさまざまな金銭的、精神的被害にも遭ったことで失地回復が大きく遅れている状況である。
今年は何としても失地回復を前進させなければならないということで年間テーマを「復讐前進の年」とした次第である。
所定の「脱退から5年」まで、漸く1年のところまで漕ぎ着けることができた。状況は厳しいが、必ずこの難局を乗り越え引き戻しの謀りを撥ね退けて自主独立を死守してみせる。

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