「シングスピールの砦」からの移管記事」カテゴリーアーカイブ

忌まわしの記憶

先の記事で出てきた「ラ・チーカ」事件は、それまで水商売に縁のなかった私の人生を悪しく変質させた許せざる事件のことであり、その後の風俗地獄に私を引きずり込んだ忌まわしい事件である。言ってみれば、今日の屈辱的な境涯につながる端緒となった事件でもあった。
勿論この事件を画策したのは宗門を首魁とする敵一味、宗創医連合軍以外にない。

この事件はまだ私が板橋にいた当時の事件であり、桶川時代よりも前のことである。
問題の「ラ・チーカ」は規制が緩かった当時に違法に営業していたフィリピン・パブのことである。
この店は池袋の東急ハンズの裏手、その立体駐車場の近くにあった。
当然事件が惹起したのもハンズで買い物を終え、自宅に車で帰ろうとしていた時のことであった。
件の「ラ・チーカ」の従業員の女が突然絡んできて、腕をがっちり掴んで離さない事態が惹起した。
何度断っても腕を離さず…根負けさせられて店に引きずり込まれたのだ。
そして、持っていたカネを殆どハタカサレてしまったのである。

今であれば、あまりしつこい奴には「警察を呼ぶぞ」とやればそれ以上はしつこく出来ないはずであり、当時でもそうだったはずである。何故なら向こうは違法営業である以上警察沙汰にはしたくないはずだからである。
しかし、このときに限ってそれが出来なかったのである。これはおかしい。
つまり、敵一味が汚い洗脳を発動して「警察を呼ぶ」ということを考えられないようにしていたということであり、とどのつまり女も店側もグルであったということである。
通常であれば「警察を呼ぶぞ」を発動してそれで終わるところがそれをさせず、根負けしなくてもいいものを根負けさせられるというのは敵一味による汚い洗脳以外に考えられない。
汚い洗脳というのはBMI機器による洗脳ということである。つまり平たく言うならば人間リモコンということであり、これをできるのは敵一味以外に考えられない。
BMIはあくまで手段であって、機械で操るという点以外においてはその手法は通常のヒューミントによる洗脳と何ら変わるものではない。ヒモ付き偽被害者はこの点を面白おかしく脚色しているので警戒が必要である。

而してその後もこの問題の女はしつこく私に絡んできて思わせぶりを続け、途方もない金額をハタカセたのであった。
とどのつまりは交際類似事犯であり、この女には私と交際をするつもりなど毛頭なかったのである。その過程にもBMIが絡んでおり、汚い洗脳なくしては成り立たない事件だったといえ、これを敵一味の画策である証左とする。

向こうにそのつもりがない、つまり思わせぶりの交際類似事犯であることを薄々感づいた私が一方的に関係を切ったことで事件は終わったが、その後に敵一味は「風俗地獄」などというくだらないハタカセ策動を用意していたのである。
つまり、「ラ・チーカ事件」は風俗地獄への導入を意図した惹起事犯であり、悪質な運命操作事件であるということが言える。

本件事件とその後の風俗地獄を併せ、途方もない金額をハタカサレたことによってその後の経済崩壊と貯えのない状態を強要されたことによって不本意な選択を幾度も強いられる原因となっており、まさしく「作り出された不幸」であり悪質な運命操作事件であるということが出来るのである。

本件事件の当時には改正風営法も改正ストーカー法も無かった。
つまり敵一味はやりたい放題だった訳である。
無論今日においては本件事件のような強引なやり方は許されないものであり、処罰の対象となることは云うまでもない。

本件事件が惹起した時は、まさにこれから蓄えを作って将来に備えようとしていた矢先のことであり、それを潰して後の不幸の原因を作り出すことが敵一味の目的であったということである。
その後も事あるたびにハタカサレて大魚を逃させられ、以って蓄えを作らせなかったことがそれを証明しており、後の風俗地獄とあわせ汚い洗脳が無ければ成立し得ない事件でもあり、敵一味特に宗門の邪悪さが浮き彫りになる事件である。

このような汚い手段で運命操作をしておきながらそれを隠蔽しつつ罰だ罪障だといって人を脅し宗教に引きずり込んで更に破滅にまで追い込んでおきながらそれに対して全く償いもせず、殊更に離間工作と暗殺で孤立化させて追い込んだ敵一味とそれに連なる連中を私は絶対に許さない。たとえ直接は加担していないヒラ講員であってもそれは同じである。

今日の極めて不本意な境涯にはこのような経緯があり、後の数々の運命操作の策謀と併せて極めて不本意な経緯があるのであり、どうまかり間違ったとしてもこんな不本意な不当に改変された人生をこれが自分の人生であるとは間違っても言えない筈である。
まして敵一味の予期せぬ手段での策謀と攻撃があってのものであって、私にはいささかの責任も無い。それどころか、ここでも敵一味だけが100%且つ一方的に悪いのである。
敵一味によって、自滅したかのように装い追い込まれたのであり、これは謀略であって自滅では断じてない。自滅したかのように装って追い込むのは宗門を首魁とする敵一味の常套手段なのである。
それでもこの屈辱的な人生を受け入れろという人はさようなら。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 忌まわしの記憶 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-211.html

脱退2周年に寄せて

一昨年の1月10日に忌まわしき宗門を脱退して漸く2年が経過した。
脱退してからこれまでの間敵宗門の凄まじい妨害や嫌がらせは筆舌に尽くし難いものがあった。
そしてそれは今もまだ続いているのが現状である。

「アンチ日蓮正宗ブログ」では離壇から5年は様子見期間とする旨仰せられているが、それだけ苛烈な妨害や嫌がらせに屈して戻ってしまう者が多いこと、また結局カルト依存体質から脱却できずに系列のカルト教団を渡り歩く、所謂カルトサーフィンの者が多いことに鑑みてそのように仰せられているのだろう。
一度カルトに嵌って失った信頼を取り戻すのにはそれだけの年月が必要であるという意味でもあり、まだ2年しか経過していない現時点では道半ばであるということになる。そしてあと3年は戦いが続くということにもなり、マイルストーンを重ねていくことに勝る闘争はない。

当家では当然に幾多の対策を重ねて敵工作員の撃退に努めてきたが、突撃が出来ないと見るや裏に回っての陰湿且つ卑怯な嫌がらせを激化させており、改めて敵宗門の者共が社会不適合者の集団であることが浮き彫りになっている。

本来であれば21世紀の幕開けとともに始まっていなければいけなかった真実の追究を汚い洗脳による焚き付けでスピンしたのは敵一味であり、その後も再三押し止めやスピンを行い真実の究明を妨害してきたのである。その目的が社会的抹殺にあったことは明白であり、それも些細な理由で勝手に敵認定したことが端緒となっている。
しかし、敵一味が最も知られたくなかった真相とは「宗門が敵」であること、私を騙して引きずり込んだ宗門自体が主導者であり画策者であったことではなかったか。がためにいち実行犯でしかない門外漢女を「首謀者」としてでっち上げ、デコイとして叩かせることで真の首謀者を隠蔽していたのが宗門だということである。
このでっち上げは汚い洗脳で刷り込まれ、これまた汚い洗脳によって徒に書き急がされ、内容に疑義ありとして消しても再度書かされたことは以前にも書いた。

敵宗門の者共は安心できるウソで「必ずよくなる」と私を騙してきた。
しかし、忌まわしき宗門に引きずり込まれてから脱退までの11年でちっともよくならないどころか実際には悪くなる一方であり、一家は離散し崩壊させられ、私は屈辱の境涯に突き落とされた。
しかも講内では常に孤立状態で、敵扱いされてきたのである。

敵宗門は、「罰」や「罪障」という言葉で誤魔化し、或いはこれらの言葉を使って貶め、私を悪者扱いしてきた。
そして、暗殺や離間工作で孤立化を行い、以って他に頼ることのできる者を奪い、宗門に依存させるような工作をしていたのである。
そして宗門に依存せざるを得ない状況を意図的に作り出すことで脱退を長年に亘って妨げてきたのである。
それを破ったのが、2014年に行われた「聖域なき見直し」である。

前にも書いたように、脱退するチャンスは以前にもあった。
石之坊からの脱退の砌である。
このときに宗門自体から脱退していればここまでの惨状はなかったはずである。
しかし、石之坊サイドは一方的に結論だけを押し付け、真相の追及を妨げた。
而してそのことが真実を物語るものであり、全ては寺ぐるみ・講ぐるみで行われた組織的犯罪だったのである。
そして、日有の贋作である「日蓮=仏」のまやかしに騙されていたことが脱退を妨げた。
結果、それ以後の4年半で私は全てを失わされ、屈辱の境涯にまで貶められた。
そのことに漸く気付いたのが、2014年の8月だった。
そして「聖域なき見直し」の結果宗門から脱退を決めたのが2015年の1月だったということになる。

脱退決定後、直ちに離壇の手続を取ることを決めたが、敵一味は汚い手段で行動を改変し、正式な手続を妨げてきた。
宗門と関係のない外部の者ということになると如何なる処分や懲戒も意味を成さず、脅してやり込めることが出来なくなる。そのために正式な手続を取られないように行動を改変し、その結果向かわされた宗務院でも離壇の受理を拒んで違う寺院へたらい回しにしようとしたのである。これは基本的人権である宗教からの離脱の自由を侵害する不当行為であり、断じて許されるものではない。
しかし、確実な離壇という観点から見れば離壇届は末寺に郵送で出すのが本来のあり方であり、それをされないように敵は汚い手段で行動を改変したのである。

そして敵一味は、私が力をつけることの無いようにと、事あるたびに殊更にハタカセて、買わされた物の売却で手元に取り戻してもいつの間にか使わされて失わされたのである。
力をつけることは選択肢を得ることにつながる。その選択肢を奪いたいということなのか。全くどこまで邪悪な宗団なのか。
離壇によって宗門にカネを落とさなくなったことが余程気に入らないのか。尤も私はそれほどカネを持っていたわけではないのでそこまでして引き戻しても利益など大して生み出さないはずである。

ハタカサレたカネが仮に全部残っていれば、今頃とっくに移住を果たしていた話であり、殊更にハタカセた敵一味が物凄く許せない。
然るに敵一味は失わせたものを全く償わないばかりか却って逆ギレして執拗な迫害を繰り返すばかりで全く反省が見られない。
このような宗団の者に反省を期待をすることは全くの無駄であり、邪魔者は殲滅する以外に方途がない。

敵一味による妨害の理由は他にもある。
脱退者(敵的には「退転者」)がその後幸せになられては信心に意味がないことが明白になってしまい脱退が後を絶たなくなり、収奪が出来なくなるからということなのである。つまり運命操作によって意図的に脱退者の幸福を妨げ収奪システムを守っているということなのである。
運命操作という汚いやり口を持ち込んだのは間違いなく敵宗門であり、その傘下の団体らはこれを流用しているに過ぎない。
しかし、「宗門無しで」幸せになれること、また逆にどんなに信心しても幸せになれないことを証明し、敵一味のたくらみを阻止しなければならない。
そもそも敵宗門の教義自体怪僧日有による贋作であり、「日蓮=仏」もそれ以前には無かったものであり偽仏による収奪システムは糾弾されなければならない。

大して宗門にカネも落とさなかった私に多大な費用をかけて引き戻しや遮断の工作をしたところで何の利益も生み出さないはずであり、「付きまとって何の利益があるのか」と謂いながら付きまとっていたことと併せそれは自家撞着の産物に他ならない。
以前敵工作員がのたまった「折伏の妨げは潰さねばならない」という極めて自己中心的且つ独善的な思想は全体主義、ファシズムのものであり、「世界平和」などとは到底相容れない。

ともかく、以前の記事でも書いたとおり「今年1年ハタカサレないために」を制定し、「先に買わない」「取らせないなら買わない」を徹底することとした。
失わされた物の中には、敵が洗脳犯罪を行ったために逃させられた大魚が含まれており、そのことに対する報復でもある。
逃させられた大魚だけでもとっくに移住を果たせていた話であり、絶対に許せない。
先に買うことは、敵の意向に従うことをも意味するものであり、買ってしまったがために失ったチャンスも多かったことから「先に買わない」は来ているのである。
先日書いたように前進を果たす最終期限でもあり、不退転の決意で臨む。
「買う」ことには無駄な外出でカネを使うことも含まれるというのが当家の見解であり、遠出をしないことが達成の近道でもあるということである。
従って、不要不急の遠出を避け、外出時であっても余計なカネを使わないことが肝要であるといえる。
これ以上ハタカサレる訳には絶対にいかないのが現在の一家事情であり、今度は厳しくやる。
過去の惹起事件から気をつけるべきポイントは心得ている。
汚い洗脳によるハタカセ、そしてそれが出来ないと水商売や風俗、そして交際類似事犯が来るのが敵一味の攻撃パターンだ。
最早それらに惑わされることは無いしラ・チーカ事件のような強引なやり方も通用しないからな。

たとえこのまま幸福な人生を取り戻せないで終わったとしても、私の人生を潰した宿敵であるカルト日蓮正宗宗門に戻ることは皆目あり得ないのであり、それが私の矜持であるということははっきり謂っておかねばなるまい。
従って如何なる理由や事情があったとしても宗門に籍を置く者は全て敵となるのであり、如何なる例外もそこには認められないのである。
それが解ったなら何の利益も生み出さない妨害や遮断の策謀からは早く撤退したほうが貴殿らのためだということを宗門、宗門人どもにこの場で通告しておく。

漸く脱退から2年を迎えることが出来たが、「失わされた14年間」を取り返すための戦いは始まったばかりである。
そして、「脱退から5年」を目途にするならばそこまではまだ3年ある。
移住を果たすこと自体、解放を果たすための第一段階でしかなく、敵一味が償いをしないどころか未だに遮断を続けている現状では厳格無慈悲に邪魔者を殲滅する以外に方途は無いということである。

必ずや解放聖戦を脱退貫徹による完全解決で勝利し、自分の人生を自分の手に取り戻す。
それが脱退2周年の新たな決意であるということである。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 脱退2周年に寄せて はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-210.html

敵宗門の動向について 2016.12.24

敵宗門における人事において、不倶戴天の敵人ふたりが日蓮正宗の管長たる早瀬日如から幹事に認証されていたことが判明した。
幹事に認証されるということは工作員の中でも精鋭であると認められたことを意味することで、当家としては予想の範囲内であるもののその持つ意味は決して小さくない。

また、この録事からこれまた不倶戴天の敵人である山崎が講頭職を降り、傀儡である秋山が講頭になったことが判明。
秋山は直接の敵人でこそないものの、石之坊講員である時点で私にとっては敵であるので、ここでも敵として扱う。
講頭を降りた山崎がかなりの高齢であり、Xデーに備えた人事であるとも取れるが、いまだ役員として認証されている状態であり、実質的には山崎による院政であると見ていい。
ここで謂う不倶戴天の敵人ふたりとは、謂うまでもなく龍神と門外漢女のことである。
門外漢女は実権こそ持たないものの石之坊における謀略の鍵を握る人物であり、山根、山崎らの命によって私に対する謀略の実行に当たったと当家では見ている。
私が引きずり込まれたよりも後から来た人物であるので、それ以前は山崎が直接手がけていたもの、山崎では出来ない交際類似行為などをこの門外漢女にやらせるようになったのであろう。
いずれにしても、これらの者が認証されたということ自体が日蓮正宗という宗教の謀略性を雄弁に物語るものであり、脱退の判断が正しいものであることをも証明するものである。

もう一つこの録事で重要なのは、龍神の本名が載っていること、および龍神のウソが白日の下にさらされたことである。
龍神はあの忌まわしき迫害の日、偽名を使って迫害を行い更に門外漢女が幹部でないとウソをついたのであった。
幹事に認証されるということは単なる役職とは意味が異なる。つまり、長いこと役職になければ幹事としては認証されないからである。つまり、門外漢女は2010年4月1日に横浜支区長に任ぜられて以来今日まで石之坊で役職の座にあったということであり、龍神はあの日ウソを使って私を脅したことになるのである。
なお、石川と中村については私の知らない人物でありここで語れることは無い。

門外漢女は私に対する謀略の功によって役職に任じられたというのが私の見方であり、石之坊脱退の日私が門外漢女の証人喚問を要求したにも拘らず石之坊サイドがこれに応ぜず、結論だけを押し付けて紙切れ1枚で追い出し門外漢女に証言をさせずこれを守った理由に通ずるものである。
つまり、石之坊におけるすべての事件は決して個人では起こされておらず、そのすべてが寺ぐるみ、講ぐるみ、宗門ぐるみであったということである。門外漢女が威迫によって真実をポロッとしゃべってしまうという事態を石之坊は恐れていたということになる。つまり、この真実がわかってしまえば直ちに石之坊のみならず日蓮正宗からの脱退につながってしまうからであり、2010年4月の時点での(宗門からの)脱退は何としても防ぎたかったというのが宗門側の偽らざる意向であったということになる。翻って当家の視点から見れば、この時点で宗門からの脱退を果たせていれば今日のような惨状は無かったし以後に惹き起こされた交際類似事犯も無かったということになる。
龍神による迫害が石之坊サイドの狼狽を表しており、石之坊サイドが私の筆に狼狽するということは私の推測が図星であることの表われであり、決して私の類推が的外れではないということになる。
それと、門外漢女は工作の任に任ぜられた時点で私から追及の矛先を向けられる危険性を承知していたはずであり、また石之坊サイドからいざという時には守ってもらうという約束を取り付けていたはずである。そうでなければ、あとから追及の矛先を向けられるようなリスクのある任務を易々とは引き受けないはずである。また、宗門に追及の矛先を向けられないためのデコイとして利用することを予め承知していたはずで、したがって門外漢女は決して傷ついてもいない。何故なら最初から謀略のための色仕掛け、交際類似事犯であり、相応の報酬、キックバックを受け取っていたに違いないからである。傷ついた振りをして涙で支配するのは悪いハラサーのやり口だ。
無論門外漢らは加担者や与同者の類であり首謀者ではない。また、門外漢女は全体構図から見れば最下級の戦闘員、ザコでしかない。龍神でやっと中ボスクラスである。
首謀者は宗務院の中にいるのではないかというのが当家では専らの見立てとなっている。

問題の旧回顧録ブログの内容は、敵宗門による創作であり、これを汚い手段で思い込ませて書き急がせたものである。再三に亘って見直しが行われ、一度は内容に疑義ありとして削除が敢行されたが、敵一味は再度焚き付けてこれを書かせ、これがあとで敵工作員の龍神によってカモにされたということである。
いまだ宗門に隷属する間は宗門に矛先が向かないための的ずらしとして最下級のザコをデコイとして叩かせることでガス抜きとしてこれを利用していたものであり、また(宗門にとって)不本意にも脱退された際には迫害の理由作りとしてこれを利用することが予め予定されていたものであると見られている。
他にもヒモ付きの偽被害者などによる的ずらしのための情報が当時はまかり通っており、これも併せて敵一味のために利用されていたということである。
実際問題、いまだ宗門に隷属させられていた間には宗門も石之坊も問題のブログに対してアクションを起こすことは無く、宗門の意に反して私が脱退してからそれが行われた訳でもある。
なお、迫害事件の詳細については追ってポータルにて扱う予定である。
したがって、旧回顧録ブログについては公益に適わないばかりか私にとって害悪でしかないとして、永久に削除することになったものである。
その後の新しい回顧録についてはその後に判明した最新の史実によるものとして鋭意執筆中である。

話を録事に戻すと、この録事を見る限り龍神は石之坊においてナンバー4かそれ以上の地位にあるということになり、会計職が大した意味を持たないことと併せても現在の石之坊における中心的人物になっているということになる。
したがって、このこと一つ取っても石之坊、しいては宗門そのものが私にとっては相容れない輩であり敵であるということを意味するものである。
よって、あの日石之坊が取った龍神を派遣して脅迫し強引に引き戻しを謀るという手段は私の心に消えようの無い大きな傷を付けたという点で大失敗であったと言わざるを得ない。少なくとも功徳なる物がただのまやかしであることを知った人物に対して取るべき手段ではなかった。
石之坊は後々大きな代償を払うことになるであろうから覚悟しておけ。

いずれにせよ、すべてを遮断し分断し潰えさせていたのは宗門を首魁とする敵一味であり敵一味の外に責任はないということである。勿論加担者や与同者どもはそれと同罪であり今でもそれらに対して強い憎悪の念を持っていることは書いておかねばなるまい。特に自分を守るために迎合し私を見捨てた連中が特に許せない。それは宗門隷属時代の加担者や与同者にも同じことが云える。勇気を持って間違いを正すことをせず自分の保身のために迎合して村八分を恐れた者は例外なく苛烈な憎悪の対象になるということをここではっきりさせておかねばならない。これら加担者や与同者に限っては敵一味と同じであり共犯者としての責任を負う者であるということをだ。

奴らが罰だ罪障だとしているものの正体は単なるこじつけであるか、或いは奴等自身が裏で手を回したことによる奴ら自身による自作自演、マッチポンプの産物でしかないから騙されてはいけない。
そもそもが罰論を先としている時点で罰だ罪障だといってありもしないもので脅しをかけて煽る脅しの宗教であり、キリスト教とやっていることが違わないのである。
その宗門はキリスト教的価値観をいくつも受け入れており、代替キリスト教であるといって差し支えない。
キリスト教の祝日である1月1日を祝っている時点でキリスト教に与しているものであり、宗門刊行の破折書(つまりディベート指南書)にキリスト教の破折が載っていないことが、キリスト教の子分であることを雄弁に物語っているのである。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について | 敵宗門の動向について 2016.12.24 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-207.html

雑感 2016.12.4

昨年1月にあの忌まわしき宗門を脱退してからもうすぐ2年になろうとしている。
形の上では既に事後処理を行うなどして切り離しているが、敵一味は今もあの手この手で生活やプロジェクトに対する妨害や嫌がらせを仕掛けてくる有様である。
しかし、今大切なのは復興と未来への準備である。

あまりにも厳しすぎる現実に目が覚めたのは14年8月のことであった。
03年に引きずり込まれて以来11年にも及んだ忌まわしき宗門での日々。
その11年で良くなるどころか逆に取り返しの付かない状況にまで追い込まれていたという現実に疑問を感じた訳である。
そしてそこから「聖域なき見直し」が始まって参詣をやめた。
聖域なき見直しの結果、同年11月に鉄道趣味を破却。
これが最初からあったのか敵一味によるスリコミの産物なのかは今も不透明で今後も解明は難しいが、真実の追究からスピンするために焚き付けられ利用されたことを重大視したものである。
この時敵一味は激しく激昂したのか、もう一つの問題であった宗教問題についてあらぬ結論「だけ」を押し付けようとしたのだ。あまりにも急な押し付けは、私の推理があまりにも図星であったために敵側がこのままでは宗門からの脱退につながると狼狽したことの現れであったのだろう。しかしこれは破られ、翌15年1月10日に宗門からの脱退が決定したのであった。

そこから今日に至るまでの過程は決して平坦ではなかった。
脱退(離壇)に当たっては宗門か寺院に文書で通告するのであるが、これを郵送とするべきところを行動を改変されて本山まで無駄足を運ばされたことが更なる軋轢を生んだ。
郵送されてはそれで離壇の手続が終わってしまい引き戻しが利かなくなるので、行動を改変したのだ。
敵宗務院は脱退通告を受け取らず、私を別の寺にたらい回しにしようと画策したのである。しかし、どこに行っても同じになるという思いが私の中では既に支配的であり、これを真実追及の絶好機と見て真実を問いただす姿勢を見せた。
すると敵側は態度を一変させ、それが極めて不誠実な態度に現れたのである。
恐らく敵宗務院は法道院に誘導し、そこで前の寺(法悦院)と同じように巧みに追い込もうという腹積もりだったのであろう。それが却って真実を追及する姿勢を見せられたことは、敵にとって今までのやり方では騙せなくなったこと、それと同時にこれまで重ねてきた敵側のウソが風前の灯であること、そしてこのままでは全てが暴かれる日が近いことを意味したのである。
この時点で敵宗務院は法道院での再洗脳を諦め、強引な手段で法悦院に引き戻すという決定を下したようである。

そこで敵宗門が取ったやり方は極めて邪悪なものであった。

同年6月14日、寺院をまたいだ敵側構成員数名(少なくとも4名以上。監視カメラ画像による)が、自ら捩じ込んだウソである門外漢女主導説をネタにブログ記事の訂正ではなくネット、ブログ、ツイッターなどからの引き離しを目的として脅迫のために押し掛けてきたのである。
これにより当該ブログは閉鎖させられたが、残るメインサイトや当ブログ、ツイッターなどは身命を賭して守り抜いた。
その後問題のブログの内容は敵一味が汚い手段を使って捩じ込んだウソでたらめであり、真相の発覚を防ぐために汚い手段で思い込ませて書き急がせた物である事が発覚した。
押し掛け事件の以前にも何度も見直しをかけていたが、閉鎖も訂正も妨害されていたのである。
更に、一度は閉鎖を敢行していたが再度書き急がされていたものである事も発覚している。
つまり一家執行部でも度々疑問視されるような代物であったということである。
そのような流れの中で、敵一味は私が未だ宗門に隷属させられていた時には一切手を付けなかった。それは、このウソの内容が私を宗門にとどまらせておく為に作られた物であり、それが破られて脱退を図られた際には脅しのネタとしてこれを使い暴力的手段で引き戻すことが当初から考えられていたのである。つまり、私が宗門にいる間は宗門に留めておくためにそれを保持させる必要があったということである。

敵工作員は、(法悦院に)「戻ったほうがいい」などと嘯いていたが、私はそれを拒んだ。
しかし敵は、敵一味自らが行った風評工作をネタにしてまで、「宗門には戻らない」という決定を見直させようとしたのである。更には近隣の別寺院への誘導を、汚い手段を持って画策しようなどという企みもあった。
しかし、結局は6月の脅迫事件が問題視されたことにより、同年9月22日に宗門からの脱退が確定したのである。

脱退に伴う事後処理は遅々として進まず、それに手が付いたのは年が明けて16年の2月になってからであった。
事後処理に先立って、足手まといとなっていた宗門書籍を処分した。
本尊、過去帳や(偽書だらけの)御書などの一部は小包で寺に送り返し、脱退済通告書を寺に郵送して離脱の正式な手続とした。同時に押し付けられた古い仏壇と壊れかけていたブラウン管の処分の計画を進め、これらを同年3月に実施した。
聖域なき見直しの開始からここまでで既に1年7ヶ月の歳月を要しているが、これは明らかに敵一味の妨害による産物であろう。

漸く隷属にピリオドを打ったが、永きに亘る隷属生活で一家本部内は荒廃が著しかった。
この8ヶ月余りその立て直しに注力してきたわけであるが、それは最終目標ではない。
立て直しはしても薄汚い地は薄汚い地。恥辱の地は恥辱の地に過ぎないのだ。
やはり移住を果たさなければそれは復興したとは言わないのである。
従って、新天地プロジェクトはこれからが本番であるといわねばならない。
幸いにして、整備するべきものは既に終了しておりレンズについては稼ぐまで凍結の措置を取っているが一応の体制は整っており当面の活動に支障は無い。
よって、2017年は新天地事業を確立し移住を決定付ける戦いの年であるということになる。
そしてここ2年ほどの不本意を雪辱しなければならない年でもある。
同時に2018年の移住に向けての勝負の年ということにもなる。
移住を達成するためには手段を選んでいてはいけない。
そのため、第二第三の手段を考えているのは云うまでも無い。
尤も移住先についてはまだ構想が固まらず、現在も検討中である。
宗門に壊された自分の人生を取り戻す戦いはまだまだこれからなのである。
邪魔したら最後、消されるだけ。

年の瀬なので触れておくが、一家には新年を祝うという概念が無い。
何故なら新年を祝うというのはキリスト教の考え方だからである。
1月1日を新年として祝っている宗教は漏れなく代替キリスト教であるといって差し支えないと思う。
この半生はキリスト教的価値観に苦しめられてきた人生でもあった。故に一家ではキリスト教的なものを徹底して嫌うのである。
一方、昨年より一家では4月始まりの年度制を採用しており、4月からと10月からのそれぞれ半期ごとに戦略を定め計画を練って物事を進めている。
従って、いま年の瀬であってもそれは形だけで、半期ごとの計画に沿って進めているゆえ新年は単なるキロポストでしかないということになる。
よって新年の挨拶の類は今後とも一切ご遠慮願うことをご諒承いただく。

なお、移住に賛同しない者との交際交流については規制対象となり厳しく取り締まるのでそのつもりで。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 雑感 2016.12.4 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-205.html

雑感 2016.11.23

ここ数年ほど、敵一味によってグルグル思考にさせられた影響で正常な判断が出来なかったことが多く、そんな中で解放聖戦を戦わねばならない状況が続いていた。
これまた敵一味によって偽陰謀論なんぞというものに誘導されていた影響による思考停止もある。
真実の追究においては偽陰謀論を偽物と見抜くことから始まっているという側面があり、偽陰謀論からの脱却は一つの重要課題だったのである。

真実の追究が進んだことにより、ここにきて漸くグルグル思考から抜け出す事となり、過去の闘争に対する正当な評価が出来るようになってきた。
過去の闘争においては敵一味によって真実の追及からスピンされていた影響や姑息なスリカエの影響もあり、かなり遠回りさせられていた節も多分にある。
しかし、そんな最中でも過去の闘争があったからこそ現在の体制があるのであって、まるっきり無駄なわけではない。
何年も不変のものなどそうそうある訳は無く、時流によって考え方も思想も変化してゆくべきものなのである。
従って過去の闘争を評価する際には当時の時代背景を正しく認識してその上で評価するべきものであり、その上で正しかったものは評価し過ちは消去するということが必要である。
従ってそもそもバイクというものが闘争の具になること自体がおかしいのであるが、それは敵一味による姑息なスリカエに起因するものであってバイク自体が悪いということではなく、従ってバイクについては名誉回復が行われたものである。

そもそも闘争が始まった原因は敵一味のほうにのみ一方的にあるのであって、奴らが絡んでこなければ必要の無かったものである。
あの忌まわしき宗教に引きずり込まれて以来、搾取と軋轢にまみれた日々が十年余りに亘って続いてきた。
それはいわれの無い迫害であり、敵はその真の画策者を隠蔽するために闘争の焦点をずらしスリカエてきたのであった。その結果、闘争の真の目的であるべき支配者からの解放つまり宗門からの脱退は長年に亘って遠ざけられてきた。
今日でも形の上では切り離しているものの敵一味は有形無形の策謀を以って不当に粘着を続けており、復興の大きな妨げとなっている。

そもそもグルグル思考を持ち込んできたのも敵一味であり、それは私が再び力を付けないようにという奸計によって、悪辣な思考誘導を繰り返しその度に違う方向に誘導することで無意味に売り買いを繰り返させて殊更にハタカセていたのがその正体であった。
ハタカセるだけでなく、生活の安定をさせないという側面もこの奸計にはあった。
生活が安定することは、敵宗門の存在が不要になることをそのまま意味していたからである。故に、敵一味は私の生活が安定することを殊更に嫌っていたのである。
実際、今月奪還したばかりのレンズに対しても敵はあらぬ吹聴を仕掛け揺さぶりをかけてくる始末である。しかし、そのやり口がいつまでも通用すると思ったら大間違いである。
成り行きはともかく、一度買ったものは基本的にはそのまま使い続けるべきという考え方が一家には既に定着しているので無駄である。

グルグル思考によって失わされた物の中には、持っていればそれなりに役に立っていた物が多く、後に買い直させられる羽目になった物もある。
そのまま取り返すのが適当でない物や不要な物もあるが、基本的には復興の進展に従って取り返すべきものが多い。
時代や情勢の変化によってそのまま取り返すのが適当でないものは形を変えて奪還することになるのは云うまでもない。
今後は復興の進展に従って時流に合った形で奪還を行うことになろう。

----

皮肉にも、東日本大震災はその真実追究への扉を開くこととなり、そこから今日に至る、真の闘争の歴史が始まっている。
初期の追究の中で私は、企業社会主義による民衆支配を見抜くに至っていた。
しかし、偽陰謀論に誘導されたことによって思考は停止させられ、真の目的は妨げられることとなった。
敵一味にとっては、企業社会主義を見抜いたことが殊更都合が悪かったようである。
元から民主主義などというものはこの国には無かったということであり、民主主義の偽装によって支配者がその正体を隠していたということを私は見抜いている。
敵宗門も支配勢力の一員であり、そのことを暴かれるのは勿論それを広められてしまうことが殊更に都合が悪いようである。
ただでさえ敵宗門は布教が行き詰ってその打開に躍起になって坊主の締め付けなんぞに走ってるようだからな。

しかし、敵宗門にとってもっと都合が悪かったのはその宗門こそが私にとって不倶戴天の敵であることを見抜かれたことではなかっただろうか。
そのためか、私が宗門に対して真実を追及する姿勢を見せると掌を返したように不誠実な対応をするようになり、昨年6月には寺院をまたいだ工作員集団が数名で押し掛ける脅迫事件まで惹起している。
敵宗門にとってはネットやブログというものが殊更に都合が悪いようである。
そのため、当該工作員から「ネット辞めろ」「ツイッター辞めろ」などと脅された挙句「精神科行け」などと暴言を吐かれたという事実がある。
このまま抜けられては人物破壊工作の事実を広められて布教がままならなくなるので何とかバレる前に引き戻し、皆で言いくるめて精神科に誘導し抹殺してしまおうというのが敵・宗門の悪逆な企みだったのである。
しかし、その企みは真実追究の機運の前に潰えた。
悪評も何も、そもそも宗門内で私はれっきとした敵扱いだったのである。
だから、「本人に言ってはならない」という手口がまかり通ってしまうのだ。
逆説的に云えば、全ての宗門人は私にとっては不倶戴天の敵ということになる。
敵は、やたら「創価」を強調して真の画策者が宗門であることを隠蔽しようとしていたが、盗人猛々しいとも云われるようにやたら創価を持ち出すというのはやはり怪しかったのである。

まとめると以下のようになる。
・敵宗門が私を引きずり込んだのは、紛れもなく人物破壊工作のためである。従って、人を幸せに導こうなどという考えは微塵も持ち合わせていなかった。
・敵宗門は、宗門に引きずり込むために悪逆な環境整備や誘導などを行っていた。これについては既に別ブログで詳しく触れている。
・宗門隷属時における全ての事件&不祥事は全て寺ぐるみ、講ぐるみで仕組まれた悪逆な罠であって、講員個人で惹き起こされた事件は皆無である。
・宗門は、傘下団体などとも連携しながら私に対する人物破壊工作を行っていたものであり、汚い手口で私の行動を改変していたのもこの一味であった。
・宗門がやたら創価を持ち出し強調して創価のせいにしようとしていたが、仮に創価が関わっていたとしてもそれは宗門の手下としてであり、創価を強調する理由にはならない。
・その宗門は、すべてがウソでたらめで塗り固められたインチキ宗教そのものであり、伝統宗教の仮面を被った悪逆なカルト集団に他ならない。従って、日蓮教団の中でも超の付く異端でしかなく、間違っても「正しい」宗教などではない。

宗門が人物破壊工作をしていたということははっきりと伝えていかねばならないと思っている。

当家では、不倶戴天の敵である宗門とその手先によって破壊された生活を立て直し復興していく新たな戦いに入っている。
薄汚い辺境の地にいては復興も解放も無い。
そのため、移住によって復興を図るのが新しい新天地計画である。
事後処理を行って以降の環境整備によって見た目は荒廃から立ち直ったように見えるが、実際にはまだ敵一味による策謀の影響により大魚を逃す事態があったり、復興事業において結構な無駄が出ていたりする。
そこまでしても、私が再び力をつける事態を敵は恐れているということなのか。

未だ安定に至っていないので詳しくは書けないが、ついに敵一味による誘導先の一から脱出を図ることができた。
しかし、これに対しても余程都合が悪かったのか敵一味は汚い手口で破壊を謀ったのである。
しかもその影響で大魚を逃す事態にまで発展したが、すべては敵一味のせいによって「のみ」起きているということはわかっているぞ。

勿論、そういう態度を続けるのであれば私にも覚悟がある。
私にとっては宗門も信者もただの厄介な邪魔者に過ぎないからである。
私には、何があっても宗門にも宗教にも絶対に戻らないという確固たる意志を持っており、最早引き戻すことも戻るように誘導することも不可能であるから宗門人どもはよく肝に銘じておけ。
なお、突撃してきた宗門人は一の例外もなく永代追放であり名誉回復は不可能、子孫代々に亘って汚名を受け続けることになるからな。
更に、しつこく居座るなどして退去しない者は不退去罪で検挙させるのでそのつもりで。

立て直しと復興は一家にとって最重要課題であり、失敗は許されない。
従って、そのためなら私は手段を選ばない。
脅しではなく本当に選ばないので、そのつもりで。
邪魔したら最後、消されるだけ。

カテゴリー: 「シングスピールの砦」からの移管記事, 宗教や敵対者について, 日々の雑感 | 雑感 2016.11.23 はコメントを受け付けていません
この記事のURL:https://historia.singspiel.jp/weblog/blog-entry-204.html