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言い逃れ

あれだけの不祥事(自動二輪圧殺、デジタル一眼スキャンダル、吹聴によるトラブル惹起)を起こしておきながら何故門外漢女が不問になるのか。
そこには、巧言による籠絡と狡猾な言い逃れ、更に買収があると考えるのが自然である。
もとよりこの女は教えを厳格に守るという頭が無く、世俗に固執し軟風にかぶれて迎合する傾向が強かった。
事もあろうか創価系として有名な徒輩の音楽でさえ、そう教えても棄てることが出来ないほどであった。
そのときは私とてその全てを知っていたわけではなかったが、そのユニットは既に創価系として有名であった。
なお、後に判明したことだが横山が口にしていた歌手のうち一人は創価系A社の所属であり、犬HKにも曲が採用されるほどであったから「ガチ」であるといえる。
もう一人も目玉グループのレコード会社だったので可能性はある。
しかも、その歌手当人が後にうっかり本音をしゃべってしまいその本性がばれてしまっている。
そんなものを聴けば「私が私が」になるのは自明の理であったのだ。
ただその点では当時の私も調べが甘かったといわざるを得ない部分があったが、判明すれば片っ端から決別している。
また、最近は創価系であることを隠して何でも出てくるので注意が必要である。
最近の事例だが、犬HKがラジオで某創価系アイドルグループの粉飾満載の万歳翼賛宣伝番組を流した。
2011年5月のことである。
当時は犬HKに対する認識がまだ甘かったので危うく取り込まれるところであった。
しかし、既に大震災後の大きなうねりが始まっていたこともあり、時間はかかったが辛くも免れることが出来ている。
話を戻すが、現講頭は2007年の暮れの年末御開扉の折、たまたま私が持っていた借り物の白レンズ(ググレカス)を指して
「趣味に金を使っている」と誹謗してきたのだ。
これが「レンタル機材誹謗事件」である。
当該レンズは後に保有する(現存せず)ことになるが、当時持っていたのはあくまでレンタルした借り物であった。
今思えばだが、以前から本山参詣時には一眼のセットは持参するのが当たり前になっていて、世話人も見ているはずである。
況して以前には私が総登山の集合写真をやっていたのだ。
それが突如非難を浴びるというのはやはり合点がいかない訳で、誰かが吹聴した、と考えるのが自然である。
ここからは推定になるが、悪い奴は何でも隠れてやるので推定でもやらなくてはいけない。
門外漢女には最早私とまともに対決しても勝てる自信が無かった。
そこで、力のある人間に取り込んで、巧言で籠絡して庇護を得るようになったのだ。
つまり、この段階で既に講頭は籠絡されていた、つまり買収済みであったと考えなければならない。
この時点でそれが解っていれば、石の湯事件後に脱出できていたかも知れぬ。
当時の私は悉く認識が甘く、最悪の事態を防ぎきれなかった。

しかし、その世話人にしても年がら年中私を非難するというわけではなかったので見抜くのは難しかったといえる。
だが、その立場(当時、副講頭兼世話人。後に講頭復帰)で石の湯事件を事後まで知らなかったというのはあり得ないわけで、「私も知らなかった」という言葉に釈然としないものを感じながらも鵜呑みにしてしまったことが今も悔やまれる。
誰かの吹聴で「知らなかった」事になっていたと考えるのが現在では自然である。
それを考えると私もそれだけの事態が起きていながら決心が付かなかったのは痛い。
こうして考えると2010年4月初に問題解決のため立ち上がった折の講頭の暴言・誹謗もこれで説明が付く。
つまり、門外漢の巧言と親近を受けてその軟風にかぶれ、当時講内で勢力を伸ばし力を持っていた門外漢に迎合するようになったのではないかというのが専らの推定である。
300万円の乗用車を何とも思わないのに10万円するかしないかのレンズにケチをつけるというのはやはりおかしかったのである。
ここで、門外漢女が如何様な言い逃れと巧言を使ったかを考察してみる。
先に、自動二輪圧殺事件について。
当該事件のときに奴が使った「バイクは正法じゃない」という言葉。
これを理論(屁理屈)として焼き直したものを使ったのだろう。
「バイクはまともな人の乗り物じゃない(これこそ偏見ではないか!)から正法の敵である」
くらいにのたまったのではないか。
デジタル一眼レフスキャンダルも同じ理屈で
「趣味にお金をかけすぎるるのはよくないので言った」
くらいにのたまったであろう。(これこそ偏見丸出しだ!)
そして、
「**(私の名前)のためを思ってやった」
とでも言ったのであろう。
まさに先の記事で書いたように適当な理由をつけて正当化をしていたのである。
悪い奴の使う典型的な言い逃れパターンでもある。
たかがカメラに100万も200万も使うわけでもないのに…
バイクは十数万使ったかもしれないが、バイクは有用な交通手段である。
しかも、バイクがあればバイクで参詣できる。
カメラは数年にわたって使うものだしレンズは10年以上持つ。
しかし、カメラ、レンズで数年持つのは中級機以上のしっかりした作りのものに限られるし、バイクだって安い物は早く壊れる。
そこで、デジタル一眼スキャンダルにあっては安物買いをさせておいて早期の買い替えを誘発し、銭失いをさせて、更に悪循環に陥れるという念慮があったに違いない。
カメラの知識は無くとも、「安物買いの銭失い」の道理は誰でも知っている。
云うまでもなく門外漢女は「お上」の指示に則ってこのような悪辣な策謀に及んだものである。
2007年以降、機材迷走をきたしてずいぶんと損をした。
が、その背景には「門外漢ら目先の敵対者への憤り」があった。
07年5月、それまで使ってきたカメラを中級機に買い換えることにした。
カメラを買うお金は既にあって、カメラだけ買い換えれば済む話だった。
しかし、そのとき私を迷走させたのは横山らへの憤り(の負の感情のマインドコントロール)だった。
持っていたレンズは、70-200mm F4と28-105mmと18-55mmだった。
もちろん、次のカメラでも使えた。
今まで使っていたカメラを売って、資金の足しにしようと考えていた。
しかし、レンズを査定にかけたところ相当の金額を提示され、迷いが生じてしまった。
そのとき、ショーケースの中にレンズメーカー製70-200mm F2.8があった。
生産終了した新品の残りの特価品だった。
血迷った私はレンズを全て売って買い換えてしまったのであった。
そこから機材迷走が始まったのだった。
しかしてそれから一年半後、SGで機材破壊工作が惹起した。
2007年の失敗以降、懸命の立て直しでカメラは当時の最新型になり、70-200mm F4は70-200mm F4 IS(手ブレ補正搭載)になっていた。
そこで敵の憤激が頂点に達したのであろう。
そして、私が未だに派遣で働いていたことを利用した。
というより、利用できるように派遣からの脱出を防いでいたのであった。
恐らくはSGの連中も、門外漢から見た「お上」によって買収済みだったのだろう。
門外漢は折伏もせずにこんなくだらないことに精を出していたのである。
そうとわかっていて除名はおろか参詣停止にすら出来ないこと自体がおかしいのである。
なお、当時横山がPCで私のサイトを見ていたであろうことは前にも指摘したとおりである。
何故なら、携帯サイトは早々に閉めてしまいPC版だけでやっていたからである。
あれは当時のガラケーでは見れない。
今のスマホとは性能が違いすぎる。

以下に掲げる女は極めて危険である。
・安物買いを煽る
・おだてるのが巧い
・「頭が弱い」を使う、おバカなふりをする
・感情的な行動をする
・特に憤激しやすい
・メディアの流すものを疑いもしない
・やたら情熱だの夢だのを語る
・偏見に基づいた発言や行動がある
一つでも当てはまれば、直ちに決別するべきである。
法華講員か謗法者かを問わずだ。
それと、カメラ・バイクで感情的な行動を取るのは極めて危険である。
他者への憤りはさし措いて冷静になって考えたほうがいい。
感情に任せた行動は後で必ず後悔することになるのである。

【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)

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