シングスピールの回顧録について
伝統偽装カルト「日蓮正宗」から2015年1月に脱退。その後同宗の謀略によって人生を台無しにされたことに気付き、以後その迫害と引き戻し策動に対して自主独立と矜持を賭けて闘争を戦っています。
なお筆者は脱退以後無宗教であり、特定団体からの支援を一切受けていません。
Author:金城修一 Shuichi Kinjou
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大粛清から4年…
早いものであの大粛清から四年余りが経った
大粛清によって筆者がSG現場から訣別したのは2009年9月8日のことだった
真の敵の正体が明らかになっていなかった当時は云うまでもなく、それが明らかになって全貌が暴かれつつある今でも大粛清は革命史の上で重要な意味を持つ
SGの総ては敵にとって大変都合がよいものであったからである
凡そ電磁波ガスライティングでは標的のみならず周囲の輩までも細かく洗脳し操縦できる
だから、SGに於ける対人感情とりわけ異性関係に於けるそれをまともに受けてはいけないのである
SG現場の輩はほぼ敵ばかりだし総ては真の敵によって掌握されていた
とどのつまりあの頃の異性関係は敵によって演出されたものに過ぎるものではない
敵による演出=幻に過ぎないということである
一方でSG現場には千ラシ裏女という工作員の中の工作員がおり、更にSG現場じたいが工作員の巣窟であった
そこに筆者の味方はおらず、そこから逃れるにはあの方法しかなかったのである
敵が大粛清に大憤慨したのも、それまで意のままに操っていたと思っていたのが呆気なく崩れ去ったからである
だから敵は千ラシ裏女に筆者の引き戻しを命じたのであり、敵は筆者をSG以外では就業させないことに執念を燃やしたのであった
それが一年半という異例に長期の失業状態につながったのである
SG現場の複数の輩がバイク戦争犯罪にも関わっており、その爪跡は未だ癒えない
化城の崩壊も、ある意味この大粛清に始まったと云える
大粛清に憤慨した敵は、門外漢女をして親衛隊を結成せしめ、登山に訪れた筆者を威嚇させたのである
無論石之坊にも味方は一人もおらず、結果戦局は石之坊にまで拡大し、後に思わぬ突き上げに狼狽した門外漢の口車によって筆者は石之坊から不当に粛清されたため石之坊を脱退するに至っている
その門外漢の口車も、敵の洗脳によって池田イズムが骨の髄まで染み込んで、謀略によって役職を不当に簒奪したことが産んだと云える
筆者の石之坊脱退も敵にとっては大いに想定外であったに違いない
いずれにしても、大粛清こそ真の意味に於いて革命史の第一歩であり交特協とは比べ物にならない程重要な意味を持つのである
【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)
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大粛清から4年… はコメントを受け付けていません
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化城の爪跡 5
入院から二週間が過ぎ、やっと首の管が取れた
退院も近いが、先行きは不透明である
仮に続投となっても見通しは暗く、気持ちとしては現職を退く方に傾いている
話し合いが予定されているので、そこで合意退職の方向に持っていくつもりである
前にも書いた様に敵によって細部まで細かく規定されていた30年来の悪習を徹底的に解体する必要がある
それには今の生業では覚束ないのである
今もまだ、戦後処理は延々と続いている
革命一家では化城の産物は総て敵の意向や都合によるものであるとして公式イデオロギーの上で否定することとした
よって運営サイトに於いて係る記述を削除し、歴史の汚点として扱う
一部過去の組織名称は闇に葬り去り、「商業化」は同じく歴史の汚点として扱う
回顧録は初版の時に真の敵の正体が判明していなかったという事情があり、原版を参照しながら一から書き直す
半生記は敵の正体が判明してからの初版でありある程度真実が反映されているので、新たに事実が判明した部分を修正反映して公開する
いずれも、新サイトの立ち上げには間に合わないので、出来たものから追って公開する
闘争関連資料については、大幅な見直しが必要であり、今あるものは忘れてもらいたい
新しい闘争関連資料は、電磁波ガスライティングに重きを置いた内容になるだろう
但し、妄言集はそのまま出ると思ってもらって差し支えない
敵の意向があるとはいえ、実際に奴等が放った妄言であることに変わりはない
なお、半生記は単一のコンテンツとしての公開に改める
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化城の爪跡 4
未だ筆者は入院療養中である
とかく入院の時は時間をもて余しがちであるが、筆者にはもて余す様な時間は無い
今までの人生に於ける教訓と闘争史を振り返りその全てを明確に書き留める大きな絶好機である
何故ならば、家に帰ろうものならネットが待っている、このネットが曲者だからである
ネットは多くの情報をもたらす一方で多くの時間をネットで空費することが多いのである
スマホがあるとは言っても、スマホで見れるものは限られている
従って、今が絶好機なのである
既出であるが、敵は日常生活の細部に至るまで必ず無駄が出る様に細かく規定した上で巧妙にマインドコントロールを行い筆者の人生を狂わせてきた
それがほぼ25年に亘って行われてきたのである
もっと早く敵のでっち上げた化城に気付いていれば、敵の正体に気付いていながら更なるマインドコントロール禍に襲われることはなかったであろう
敵はその化城の崩壊を予期していた訳で、それで化城が崩壊する前にカネをはたかせてしまおうと企んだのだ
併せて、まだ残っていた化城を利用して悪辣な誘導を行い大切なことを外させて「行き倒れ」を狙ったのである
しかし、化城は崩壊し、身体の異常にも気付いて行き倒れを防いだ
…
敵は必ず無駄が出る様にするとともに健康に逆行する様に食生活までも細かく規定していたのだ
最初に病院にかかった当時の創価医師が入れた栄養士は難しい机上の理論ばかり並べて具体的な方途を何一つ教えなかった
それも敵幹部の意向であり、敵幹部がその方面に相当精通しているという事だろう
今教わっている様な具体的方途は敵の都合に真っ向から逆らうが故それを絶対に教えない様に仕向けたであろうことは想像に難くない
或いは、宗門or創価栄養士であった可能性も否定できない
その様な意図があれば当初からそういう人選になるだろう
…
いずれにしても、敵によって細部に至るまで細かく規定されていたものをここで一度徹底して解体する必要がある
まさに今こそが、その絶好機なのである
高税率時代を生き抜くためには以前の様な生活では覚束ないからである
【ご注意】
本記事は、敵宗門より脱退する以前かつ「聖域なき見直し」以前に執筆された記事です。現在最新の真実並びに見解とは異なる部分を含みますのでご注意ください。
(重篤な箇所については適宜修正しています。)
その後の粛清で当該病院に籍を置く者は例外なく出入り禁止となり、事実上すべて放逐されています。
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化城の爪跡 3
今筆者は入院療養中であるが、戦後処理は待ったなしである
先刻プレスに出したが、当面は立て直しと戦後処理を優先し、今の生業についてその継続を断念することにした
一家組織については現状に即した形態に改めて不用な部署を廃止した
一部名称で揺れている部分があるが、形態は固まっている
戦後処理に於いて重要なのは今後の人生に於いて悔いの無い様にすることである
今にして思えば4月の健康診断の時点で見直しておけばよかったのだが、まだ化城が辛うじて立っていた頃であり、事故の解決に奔走していたこともあり、敵に睨まれていたのでここでマインドコントロールが行われたのだ
それが、目先の生活と仕事にしがみつかせるためのマインドコントロールだった
更に、敵はこの時点でカネをはたかせるためのマインドコントロールを用意周到に進めていたのだった
それには、三本柱の中で唯一残っていた「バイク」が利用されたのであった
従って、敵はバイクから心が離れない様に細心のマインドコントロールを行いカネをはたかせたのである
その後、化城は「バイク」の崩壊によって跡形も無く崩壊し、バイクの売却で約1/3を取り返した
この売却益で格安の乗用車を入手することが出来た
今手元に残っているのは、一部を生活費として取り崩したこともあり金額にして約1/3である
こんなにもはたかされたのも、敵によって日常生活の細部まで細かく規定されていたからである
それらをここで一度徹底して解体する必要があるだろうとの判断を下したことが先の決定に至った大きな理由である
敵は、日常生活の細部に至るまで必ず無駄が出る様に規定した上でマインドコントロールに精を出したのである
今は今後に向けての回顧を重ねつつ、二度と化城を作らせないこと、無駄を出さない体制作り、無駄を出さない日常生活の構築のため研鑽を重ねているところである
ドクターストップで九死に一生を得たもののそのまま走らされていたらどんな取り返しの付かない事態になっていたことか…
それを鑑みると、敵幹部の指示が「病院送り」でなかった可能性が高い
恐らくは「目先の生活にしがみつかせて、行き倒れを狙え」であったのではないか
それが、あの日の入院を渋らせるマインドコントロールになっていたのであろう
異常事態に気付いて薬を再開し、無理にでも予約を入れたことが敵にとって大いに想定外であった訳であり敵としては何としても入院を回避させたかったに違いない
(この部分削除)
デッドエンドこそ敵が狙っていたものであり、そこにあるのは終焉の暗黒だったのである
【ご注意】
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(重篤な箇所については適宜修正しています。)
その後、当該病院及び医師もグルであったことが判明し、その後の粛清で当該病院に籍を置く者は例外なく出入り禁止となり、事実上すべて放逐されています。
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